ミサトの部屋に集まっているのは、リツコとレイと、アスカであった。
 部屋の主が口火を切った。
「日本政府が使えないとなると、国連を使っての圧力?、ほんと、分かり易いわね」
 権力図が浮き彫りである。
「で、どうなったの?」
 リツコの問いかけに、ミサトは肩をすくめた。
「国連の機関が一国家と独自に軍事提携するのは好まないとかなんとか、まあ、そっちの方は冬月司令がやってくれてるわ」
「鬱陶しいのよ」
 口を挟んだのはアスカであった。
「そんな面倒なことしなくても、あたし達だけで十分なのにぃ」
「それこそ駄目よ、シンジ君はあなた達のためを思って、準備してくれてるんだから」
「はぁ?」
「これを読んで」
 リツコが放り出したのは、シンジが書いた日記であった。
 それも、過去の。
「私的な意見は省かれているわ、幾つかの事件と展開をルーチンにして描いてあるけど……」
「ゲームやってんじゃないのよ?」
「シンジ君にとっては同じことよ、幾つかの枝分かれを選んで、あらかじめ知っている物か、あるいは似てる結果に導こうとしてるんだから」
 アスカはそれを読み進めて、なるほどと納得した。
「だから、対エヴァ兵装なわけね?」
「そうよ、それがサードインパクトを誘発するためのものか、あるいはネルフを接収するために用いられるか、その違いはあってもね」
「つまり、その時、世界の敵になるのは……」
「そう、わたし達」
「それに対する準備もしておけっての?、あの子は」
「他にもよ」
 リツコはタバコをくゆらせた。
「とりあえずは使徒ね、シンジ君の話しだと、前々回取り込まれた時、本当は使徒との精神的接触があった、前回では初号機が暴走し、使徒を食らった」
「食う?」
「そうよ?、だってエヴァは『生き物』だもの、そうやってS機関を取り込んだらしいけど……、要はその恐ろしさね、それに興味を持った使徒は、次回、精神攻撃をかけて来る」
「精神攻撃?」
「人のね……、感情や記憶を根こそぎ覗くんだそうよ、そこに書いてある通りだと、アスカが精神汚染を食らって、壊れてしまったようだけど」
 アスカは身震いした。
「冗談じゃないわね」
「そう、冗談じゃ済まされないわ、相手は成層圏から接触を試みる、そこで……」
「ドラグーン?」
 リツコは頷く。
「幾つかのパターンから、使徒は近距離戦での危険性を察知して、距離を置こうとしてる、こちらの手が届かないようにね」
「武器の有効射程範囲外ってことね?」
「その上で、ATフィールドの強度に関係の無い方策を取ろうとしたわ」
「でも、シンジの前に失敗してる」
「このテキストはね、シンジ君自身がフォローし切れないものを、こちらで考えろと言う宿題なのよ、サードインパクト、その日にシンジ君が居なくなって、その後で補完委員会が動く事も在りえるの、その時に戦うのは」
「あたし達だけ、ってことね?」
 ミサトが頭を掻いた。
「その……、さあ、シンジ君を引き止めるってわけにいはいかないわけ?」
 リツコの目が、レイへと向けられた。
「引き止めるのは……、無理ね、恐らく」
「でも、着いていくことは」
 アスカが顔を向ける。
「何よ、それ?」
「レイに頼まれて計算して見たの、サードインパクト……、いえ、彼にとってはフォースインパクトね、その可能性を」
 タバコをもみ消す。
「シンジ君が経験したサードインパクトを再現できれば、その依り代を同じ輪廻の中に送り込む事も可能でしょうね、でも……」
「でも?、でも何よ?」
 ふうと溜め息。
「シンジ君が言ってるでしょう?、戻る度にまた赤の他人に戻る、その空しさをね」
「そうね」
 ミサトが足した。
「あのシンジ君は、確かにアスカやレイを支えてくれる、けど」
「最初からああだったわけじゃないわ、彼自身口にしてる、幾度も頑張っては、裏切られて、無駄だと悟ったとね?、あなた達が今のシンジ君を求めて追いかけたとしても、あなた達を知らないシンジ君に出会うだけだわ、あなた達は彼を支えるつもりがあるの?」
 二人は唇を噛んだ、当然、支えられるとは思えなかったからだ。
「何度も失敗をくり返せば、あるいはそれだけ成長出来るかもしれない、でも彼同様に、いくら導いたとしてもやり直しになる、その空しさは計り知れないわ、実際、彼を追いかけたあなた達も居るのかもしれない、けど百度もやり直して、彼は未だ出会っていない、なら一万回?、一億回やり直さなくちゃいけないの?、人の心で堪え切れる物ではないわ、事実、シンジ君の心は何処か壊れてる」
 リツコは新しいタバコに火を点けた。
「サードインパクトについては、初めてのそれをシンジ君は覚えていないわ、ただ状況に流されて、気が付いたらって言うのが本当らしいし、後のやり直しで調べて、サードインパクトの情報を知ったってだけで、それ以外の要因については、なにも分かっていないのよ」
 それはつまり、再現できないと言う事でもある。
「それに、あなた達の希望を叶えるためには、引き止める方法を取るしか無いのよ、それが例え、どれ程絶望的でもね、……きっと、シンジ君もそれを望んでるはずだから」
 リツコの言葉は、どこか自分の望みのようにも聞き取れた。


 その一方で、シンジは一人、部屋の中で黄昏ていた。
「残る使徒は、後二つ……」
 三つではない。
「カヲル君」
 唇に狂気が滲む。
「今度もまた、僕は君の首を締めるよ」
 その中には憂いも何も無い、彼を使徒として処理するつもりは無いのだろう。
 あくまで人として殺すつもりなのだ。
「君に殺された事もあったね?、首を締めてもらったり、君は友人であったり、敵であったり、……アスカを奪ったり、綾波を犯したり、色々あったけど」
『好意に値するよ……』
 リツコの言う、サードインパクトのための不確定要素。
 それこそが、アスカと、レイと、彼との関係、そのものである。
 導き手の存在だ。
 目を閉じて呟く。
「今度はどんな君が来るんだい?」
 気怠げに。
「できれば……、殺し易い君であって欲しいな、せいぜい、ためらわないですむように」
 静かな呼吸は、いつしか寝息に代わっていった。


 帰宅したアスカとレイは、珍しい物を発見した。
「こいつ……、寝てるの?」
 リビングの壁にもたれるようにして、静かな寝息を立てている。
 こうまで無防備な姿を見るのは初めてのことだった。
 レイが動く。
「風邪を引くわ」
 起こそうと言うのだろう、アスカが止めた。
「やめときなさいよ」
「でも……」
「いいから」
 シンジの顔を見る、そのあどけない表情を。
「こいつって……、ほんとは、こんな顔してるんだ」
 レイもハッとした様に気が付いた。
「気が張り詰めてないって言うか……、そうよね」
 思い直すと、レイが呟いた。
「碇君は……、優しくして欲しかったと、言っていたわ」
「でも、誰も優しくはしてくれなかった」
「今でも、そう思ってる……」
 だから誰にも甘えない、頼らない。
「そんなの……」
 疲れるだけだと言いかけて、やめた。
 自分もそうであったからだし、その息抜きに加持を求め、加持を取られた事からシンジを頼った。
 そんな自分に、口にする権利があるのかどうか、迷ったのだ。
「う……」
 しかし二人のやり取りは、シンジに気配を悟らせていた。
「あ……、帰ってたんだ?」
 シンジは目を擦って欠伸をした。
「ごめん……、ごはん、これからするよ」
 起き上がろうとすると、レイが言った。
「今日は寝ていて」
「え?、でも……」
 アスカが答える。
「あたし達で作るわ、ね?」
「ええ」
「そう?、じゃあ……」
 シンジは怪訝に思いながらも従った。


 食後、食器を洗うから、その間に風呂に入れと言う。
 布団に入って先に寝ていると、珍しく一緒にシャワーを浴びた二人がやって来た。
「シンジ!」
「え?」
「こ、こっち見ないでよ」
 言われた通りにすると、まず白い体が跨ぎ通って、布団に潜り込んで来た。
 続いて背中側に滑り込んで来たのはアスカだろうが、これまた珍しく前を向いていた。
 背中に胸が押し付けられる、ぐいと腕を引かれて仰向けにされた。
「なにさ?、二人とも」
 もうシンジには分かっていた、二人とも裸なのだ。
「れ、レイが、気持ち良いって言うから……」
「碇君も、脱いで」
「分かったよ」
 シンジは苦笑して体を起こした。
「きゃ!」
 アスカが胸を抱き隠そうとする、シンジは微笑み、見下ろしてから、シャツのボタンを外しにかかった。
 成長期だ、一年もかければそれなりに逞しくなっている。
 アスカは顔と髪形に騙されていたと感じた。
「んっ……」
 再び横になったシンジの腕を、レイは静かに抱き締めた。
 慌ててアスカも同じようにする、が、レイの様に足を絡める所まで思い至らなかった。
 内心を表せば……
(きゃーきゃーきゃーきゃーきゃー!)
 である、下の丘にある若草をこすり付けるなど、出来ようはずも無い、アスカには。
 だから、シンジの腕を胸の谷間に挟み込むだけで精一杯だった。
「そんなに堅くならなくてもいいよ」
「な、なに、よ……」
 語尾が小さくなってしまったのは、シンジの微笑みに魅入ったからだ。
「いや……、僕は、幸せなんだろうなって、思ってね」
「だったら、そんな空しそうにしなくていいでしょ?」
 シンジは何も言わない、ただ、瞳の悲しみが増しただけだ。
 リツコの言葉が思い出される、どれほど好きになろうと、愛し合おうと……
 永遠にならず、永遠にも出来なくて、毎度やり直しを強要されるのならば。
 今、何のために幸せなど味わえるのか?
「あんっ!」
「あっ……」
 二人の口から、それぞれに甘い驚きが漏らされる。
 シンジが腕を引き抜いて、二人の体の下に通し、抱き寄せたからだ。
 だがこの温もりも幻になってしまうのだと思えば……
「シンジ」
「碇君……」
 二人はシンジの胸に頬を当てたまま、その空しさの大きさを推し量ることすら出来ないのだと、今、ようやく痛感していた。



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