「はぁ……」
帰って来るなり、シンジは深くため息をついた。
「これで明日は大騒ぎだ……」
きっとあの二人はいつもと違う時間に登校するんだ……。
そう、一番人の多い時間帯に。
「それでさり気なく話すんだ……」
さっきの僕たちのことを、大声で、でもさりげなく……。
その噂の伝播速度は推して知るべし。
ひょいひょいと靴を脱ぎ、すたすたとレイは上がり込む。
軽く左右に揺れるお尻、その視界の端に引っ掛かるものを、シンジはゆっくりと見下ろした。
犬小屋だ。
でも、出かける時と位置が変わってない?
……と、シンジは恐くなって、考えまいと決め込んだ。
「ねえ、あやな……み」
ジュー……コトコトコトコトコト。
勝手にハムエッグを焼いている。ふいているのは味噌汁だろうか?
ぼ、僕の朝ご飯が……。
がっくりと来るシンジ。
「あ、碇君の分もあるから」
「はは……ありがと」
「いえ……」
態度はそっけないが、尻尾はパタパタ揺れている。
分かりやすいな、誉められて嬉しいのかな?
だがシンジは困っているのだ。
……いつも学校では大人しいと思ってたんだけど。
窓際の席、物憂れう少女。
夏の陽射しの中に溶け込み、その姿に眩しく見とれる。
……その正体がこんなだったなんてぇ!
苦悩する。
「我慢してたの、人の振りをしなくてはいけなかったから」
「……って、勝手に考え読まないでよ!」
「ごめんなさい……犬だけにご主人様の機嫌には敏感なのよ」
それとこれとは違う気が……。
トホホと来る。
「さ、食べましょ?」
いつのまにか出来上がった料理が並べられていた。
「いただきます」
やたらと礼儀正しいレイ。
「いただきます……」
シンジはかなりの勢いで諦めた。
「……ねえ?」
「なに?」
ハムをかじっていても気になってしまう。
「……綾波は、今までどうやって暮らしてたの?」
「極普通に、犬小屋で」
シーン……。
一瞬静寂に包まれる。
「あ、あの、それって住む家があったってこと?」
「そう、でも今はもう無いの……」
シーン……。
今度は別の意味で言葉を失ってしまった。
「あの小屋は、わたしが生まれた日に作られたの」
「ごめん……悪いこと聞いちゃって」
「なぜ? 気にしてないわ、捨てられたわけじゃないから」
え!?
シンジは驚いた。
それって、誰かに飼われてたって事?
顔を見ても、答えは分からない。
「……あの頃、わたしはまだ小犬だったの」
そんなシンジの心中をも見抜いたのか? レイは勝手に切り出した。
「綾波……」
「でもある日、いくら待っていてもご主人様は帰って来なかったの……」
「それって……」
「匂いを頼りに探し回ったわ……」
「もういい! もういいよ。綾波……」
黙って首を振るシンジ。
「そう……」
レイは心底残念がった。
ここからが面白いのに。
ニヤリとほくそ笑んでいる。
レイは彼女を飼っていた髭面の親父を見つけてはいたのだが、彼は既に栄養失調で病院にかつぎ込まれてしまっていたのだ。
うーん。食費がぁ……赤い目がぁ、レイ、わたしを殺すつもりか、レイ! と。
ちなみにこの髭面の親父は、現在も病院に入院中である。
「わかった。わかったよ。これからは僕が綾波を飼うよ」
「……ありがとう」
レイは小さく微笑んだ。
「だからもう何も心配しなくていいんだよ……さ、食べようか?」
「ええ」
笑顔を浮かべる綾波。
久しぶりの白いご飯ね?
綾波、辛かったんだね、綾波……。
微笑み合うが、隔たりは大きい。
シンジは、ドツボにはまっていた。
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