「シンジ!」
 心配していたとおりになった! アスカはそんな顔で問いつめた。
「校長になに言われたのよ!」
「…………」
「まったく! プライベートまで入り込んでくるなんて! だから日本の教育業界は嫌なのよ」
「…………」
「大丈夫よ! まかせて! アタシがなんとか……」
 シンジは違うんだ……とかぶりを振った。


 ぽちゃーん……。
 河面に波紋。
 石を投げ入れたポーズのままで、シンジはしばらく固まっていた。
「はぁ……」
 ため息をこぼす。
「どうしたの?」
 川に入って存分に遊んできたレイが訊ねた。
 頭までぐっしょりだ。その上、髪に藻が付いている。
「うん……って、僕が心配しても仕方ないんだよなって、思うんだけど」
 レイはスカートを搾りながら、シンジが口を開くのを待った。
「アスカね……。ドイツじゃ、すっごく人気があるんだって」
「アイドル?」
「そうなんじゃないのかな? よくわかんないんだけどさ」
 はいと鞄からタオルを取り出し、渡すシンジだ。
「それでね? すっごく人気があるのに、やめちゃって、日本に来てるんだって……。アスカは帰ってきたって言ってたけど、あの人たちにとっては、きっとアスカって、ちょっと旅行してるだけなんだなって思って」
「恐いの?」
「わかんないよ……」
「連れ去らないで欲しいの?」
「わかんない……」
「マンションから出なくてはならなくなるから?」
「違うよ! ……でも、僕はこうなることがわかってた気がする」
 首を傾げるレイ。
「なぜ?」
「……母さんが死んだ時、僕は見ていたらしいのに覚えてないんだ。あんまり恐くて、気を失っちゃって、起きたらそのこと、覚えてなかったらしいんだ」
「…………」
「僕は必死に、父さんに、母さんはどうしたのって……。父さんは死んだんだってくり返すだけだった。きっと、あれが原因だったんだな……父さんが僕を人に預けようと思ったのって」
「……よくわからないわ」
「……父さんだって、辛かったんだよ。なのに、僕があんまり母さん、母さんって言うもんだから」
 扱いきれなくなって。
「……そう」
 レイはぶるぶると髪と体をふるわせて、水気を飛ばしてから、顔をタオルで拭いた。
「恐いの?」
「……うん」
 素直に認める。
「父さん……僕を預けていったとき、逃げちゃだめだって言ったんだ。きっとあれは、忘れて、逃げるような、そんなことはするなって、言いたかったんだと……思う。思い出せよって、言ったんだ」
「碇君」
 レイはしゃがみ込むと、シンジの顔をのぞき込み……そして、その頬をぺろりとなめた。
「綾波?」
「寂しいのは、いけないことよ」
「そうかな……」
「人は笑っていられるからこそ、生きられるんだと思う」
「そうかもしれない……」
「だから、寂しいのなら、それを埋めるべきだわ」
「どうやって?」
 ぱたぱたぱたぱたぱた。
「碇君……」
「綾波?」
「ご休憩なら、約二時間」
「え?」
「四千円と、リーズナブルよ?」
 シンジはそーっと、背後になる土手の上に目を向けた。
 レイの視線のその先に……。
「あ、綾波……」
 はっはっはっはっはっ……。
 ……中学生には、その路地に入るのも勇気がいるような、そんなホテルの毒々しい看板が、異様な迫力を誇っていた。

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