──居間。
 アスカは不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「それで?」
「ドイツに帰りましょう?」
「嫌っ!」
「アスカ……」
 ふぅっとため息を吐く。
「あなたはこんなところに居て良い子じゃないでしょう?」
「だからって、なんであんたたちの金儲けの道具にされなきゃいけないのよ?」
「……お母様だって」
 アスカの視線に、殺意が篭もる。
「ママにまで……」
「ええ。今度の企画に一枠設けるって話したら、すっごく喜んでくださったわ」
 ──人質。
「だから……あんたなんて嫌いなのよ」
 たばこをくわえ、火を点ける。
「そう? ありがと」
「シンジまで脅すなんて」
 ふぅっとアスカに吹きかける。
「脅す? それは心外だわ。わたしは解放してあげて欲しいと頼んだだけよ」
「……解放?」
「そうよ」
「なによそれ!」
「……自分が不幸だと主張しないで。訴えないで。そんなことをするから優しいアスカは羽ばたけないで、こんなところに満足している。そう伝えただけよ」
「あたしの居場所は、シンジの隣よ!」
「でもシンジ君はどうなの?」
「…………」
「シンジ君は、あなたにすがっているの? あなたを頼っているの?」
「…………」
「昔から、シンジ君のことは聞いていたけど、あなたが勝手に面倒見の良いお姉さん役を引き受けていただけでしょう? 頼まれたの? 違うでしょう?」
 勝ち誇ったように見下して言う。
「本当にあなたを必要としている人は、こんな島国じゃない。ドイツにあるのよ」
 パンパンパン……。
 白々しい拍手が送られた。
「見事な詭弁だね」
「カヲル君?」
「あんた……」
 少し離れて聞いていたカヲルであったのだが、嫌悪はマヤに向けていた。
「僕はただ、アスカちゃんにちょっとした意趣返しができればいいなと思っていただけだよ? 随分と話が違うんじゃないのかい?」
「人を売り飛ばすような子に、味方するの?」
「あいにくと、彼女が消えると悲しむ人がいるんでね」
「誰?」
「奥の部屋で知恵熱を出して倒れている子だよ」
 マヤの目がきつくなる。
「あなたまでわたしを裏切るというの?」
「裏切る? それは面白い。あなたはコンダクターではあるが、僕の契約主ではないよ。コンダクターとしての初仕事だと張り切っているのはわかるけどね、だからといって、人の幸せを崩してもいい道理はないね」
「あなたは……」
「でもまあ、それでは引っ込みが付かないこともあるだろうと思ったからね。ああ、ちょうど来てくれたようだ」
 ピンポンと音がする。
 めずらしくカヲルに懐柔されてやったレイが連れてきたのは……。
「あんた……」
「先輩!?」
「え!?」
「マヤ……」
 彼女、赤木リツコは……久方ぶりの知り合いに、とても悲しげに目を伏せた。


 アスカとカヲル、それにレイは、シンジの部屋にそっと逃げた。
「どうなってんの? あれ」
「彼女──伊吹さんが、マナちゃんを捨てた張本人なのさ」
「うそ!?」
「本当だよ……。元は赤木博士の下で働いていたらしいけどね? 赤木博士が碇氏──シンジ君のお父さんとつき合い出すようになって、腹立ち紛れに実験体であったマナちゃんを連れて飛び出したらしいよ。そして、捨てた」
「なんでよ!」
「衝動的に、困らせてやりたかった。それだけだからさ」
「酷い……酷すぎる」
「…………」
「シンジがどれだけ!」
 青い瞳に炎が見える。
「……まあ、形は違えど、マナちゃんも僕たちの同族だからね。彼女にはヘコんでもらおうと思って、企てたのさ」
 彼は寝苦しげなシンジへと目を向けた。
「それで、どうするんだい?」
「なにがよ……」
「向こうでは、君を軸にプロジェクトが進められているよ」
「知ったことじゃないわ」
「伊吹さんが、わたしが説得してみせますと自信ありげに口にしていてね。僕としては、断って欲しい」
「なんでよ……。あたし、売ったのよ? あんたを」
 苦笑する。
「でもそのために君は自らの存在を知らしめてしまったんだよ? これからも彼女ような人は来るだろうね。自業自得とは言え、その苦労を考えれば、ね」
「そう……」
「納得、できないのかい?」
「妙におとなしいから……」
「彼女と同じだよ」
「レイと?」
「大人になってきたのか、性衝動が希薄になってきているんだよ。君のおかげで、随分と色々な体験をさせられたからねぇ」
 ふふ……。とても遠い目をしてどこかを見る。
「まあモードとかそっちの世界って知りたくもないから聞かないけど」
「答えるのは難しいよ。それより、君はここに残るんだね?」
「あったり前よ!」
「お母さんは、どうするんだい?」
 言葉に詰まり、胸元を握る。
「……あたしは」
「捨てきれないのかい?」
「でも、戻れない」
「…………」
「あたしには、わかってる。あたしってイメージがあるから、そこから離れられなくて、ママはスランプに陥っているのよ。ママに必要なのはあたしじゃない。アタシとは全く違ったイメージのキャラクターよ」
 その通りだねと同意する。
「君のお母さんのことは任せて欲しい。僕がなんとかしてあげるよ」
「あんたが?」
「もちろん下心はあるさ」
「……なによ?」
「今は、良い。ただ、シンジ君を守って欲しい。シンジ君の心をね」
「言われなくても」
「でも、それはとても難しいことだよ? 僕が居なければ、君は今頃、伊吹さんに負けていたんじゃないのかい?」
 ぐっと唸る。
「だろう?」
「…………」
「シンジ君は人を頼ることを知らない。いや、嫌っている。少し調べさせてもらったよ。君と過ごした、幼い頃の時分のことを」
 それは最悪の時期だった。
「頼ろうとすれば、うるさく思われてしまう。だから、堪える。それでは、人として悲しすぎる」
「……なんだかまともね、今日のあんた」
「言ったろう? 学んだからだと」
 ドキリとさせるような笑みを浮かべる。
「そう……少年愛もいいけれど、やはり青い果実はだめなんだ、とね? 青い時分は中世的だから、やはり男同士の良さというものが、酷くスポイルされるのさ」
 あうん、シンジくぅんと自分の体を抱きしめる変態に、こいつもやはりレイの同類か、と、シンジの股に挟まって寝ようとしている彼女ともども再幻滅した。

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