「ふむ……」
 トイレの中を隅からすみまで確認するケンスケが居る。
 懐中電灯で汚物層の中まで調べているのだが……
 ──うっうっうっうっう。
 理科室、その教壇ではアスカに背を撫でられながらヒカリが暗くしゃくりあげていた。
 その前ではシンジとトウジが非常に気まずげに立っている。
「もどったぞぉ」
 ケンスケはわざとらしく大声を出して気を引いた、懐中電灯で肩を叩いている。
「で、なんかあったの?」
「別に?、委員長の見間違いじゃないのかぁ?」
「そんなことない!、絶対あたし!」
 はいはいとアスカはなだめ、冗談のつもりでケンスケに振った。
「相田、あんたまさか」
「まさかってなんだよ?」
「なんか仕掛けたんじゃないでしょうねぇ?」
「はぁ!?」
「おっかしいと思ったのよねぇ、こぉんな人の来ない場所にある廃校に誘うなんてさぁ」
「なに言ってんだよ!、勝手について来たのはそっちだろうが」
「そうだっけ?」
 あはははは、と二人で白々しく笑うのだが、ヒカリのしゃくりあげる声に台無しなった。
「こんなところ早く出よ?、ね?」
「出ようって言われても……」
 アスカは悩んだ。
「でも外は危ないんじゃない?」
「そうだぜ?、野犬でも出たらどうするんだよ、第一、昼間でも迷いそうだんだぜ?」
「それでもこんなところに泊まるよりマシよ!」
「大丈夫と思うんだけどねぇ……」
「アスカ……、信じてくれないの?」
 余りにも呑気なアスカにヒカリは焦れた。
「そんなことはないけどさ」
 でもねぇとアスカ。
「ここ、怖くないし」
「え?」
「だから居たとしても別のもんだと思うのよねぇ」
 う〜んと悩む、そんなアスカに怪訝なものを感じたのはケンスケだった。
「なんでそう言い切れるんだよ?」
「だってあたし、本物見た事あるから」
 さらりと口にしたアスカに驚いてしまう。
「本物って……、どこで?」
「ドイツとアメリカ、日本と違ってちゃんと観光名所になってるのよね、それに立ち入り禁止なの、たまぁに研究だとか言ってカメラ仕掛ける奴らが居るんだけどさ、凄いのよねぇ、誰も居ないはずなのに戸が開いたり閉まったり、人影だけが廊下を通ってったりするの、友達に誘われてツアーで行った事があるのよ」
 でもねぇと。
「その時は確かに怖いって感じがしたんだけど、何か居るって……、でもここには何にも感じないし」
「アスカって、何か見える人なの?」
「見えないっての!、でも鳥肌が立つ感じってあるじゃない?」
 だからとアスカは説明した。
「ヒカリが見たのも別のもんだと思うのよ、例えば虫とか」
「虫ぃ?」
「うん、怖い怖いなんて思ってると、目の端に写ったもんを意味のある物として認識しちゃうことがあるのよ、誤認識ってやつね、家鳴りって知ってる?、家の建材が湿気のせいで収縮してパキパキ鳴るの、あるいは夜中に窓に見える人影、そんなのも月明かりと反射の角度の都合で見えた木の影だったりとかさ?、自分が意味のある物にしなかったら怖くもなんともないものだった、なんてね?、ヒカリが見たってのもそうじゃないかって」
「でも日本には光る虫なんていないぞ?」
「昔は居たんでしょ?、ホタルだっけ?」
「今はもう、居ないはずだけど、第一居たとしてもあれは夏の虫なんじゃなかったか?」
「う〜ん、でもさ、何かの本で読んだんだけど、昔実験用のマウスにホタルイカのDNAを組み込んだ人が居たのよね、すると光るマウスが生まれたのよ、おんなじようにさ、日本でも実験した人が居て、その昆虫が逃げ出して自然繁殖しちゃって、生態系が破壊されたって大騒ぎになった事があったはずよ?」
「じゃあ……、あたしが見たのも?」
「断言は出来ないけどね、でもこういう場所だから、あたし達の知らない虫が居たっておかしくはないし……」
 それにとアスカは心中で付け加えた。
(ああいうのも居るしね)
 その視線の意味にシンジも納得する。
(確かに)
「だからさヒカリ」
 アスカはにやりと笑って口にした。
「怖かったら鈴原にでも頼んだら?、一緒に寝てくれるって」
「一緒にって」
「ちょっと待てい!」
 真っ赤になる、その一言に血の気が戻って来たらしい、一気にのぼせた。
「アスカ!」
「なに言い出すんじゃ、お前!」
「ああら鈴原くぅん?、女の子が泣きそうになってんのよぉ?、ほっとく気ぃ?」
「くっ、そやったらお前が寝たったらええやないか!」
「こういう時は男の子に手を繋いでもらった方が安心出来るのよ!、ね?、シンジぃ」
「あ、うん」
 目が笑ってないと感じて頷いておく、それが彼の処世術だ。
「ちょっと待てや!、そりゃ惣流とシンジはそうかもしれんけど、わしと委員長は……」
「鈴原……」
 アスカはわざとらしい吐息をついた。
「こういう時のお約束って、知ってる?」
「何やっちゅうねん……」
「幽霊が怖いって言って、まず女の子が早く帰ろうって喚き出すのよね、それで飛び出すとお化けがどこまでも追って来る、車を見付けて乗せてもらうと、その窓にばんっと張り付いてぇええええええ!」
 きゃーっと耳を塞いで悲鳴を上げたのはヒカリであった。
「どうよ!」
「なにがじゃ!」
「こんなに怖がってんのよ!?、あんたそれでも男なの!?」
「脅かしとんのはお前やろ!、それになぁっ、委員長なんかと寝られるかい!」
「酷い!」
 アスカは両拳で口を隠して怯えた風を装った。
「ヒカリのこと、そんな風に思ってたのね!?」
「あっ、違う、そやなくて!」
 ぽんと、焦ったトウジの両肩に手が置かれた。
「トウジぃ……」
「僕もそれは無いと思うよ?」
 二人は一歩下がって、トウジを一人立たせていた。
「お前ら!」
 前に立たされた格好になっていると気がつき焦る、アスカはそこに勝機を見出した。
「何ぼけぼけっとしてんのよ!」
 畳み掛けるようにトウジを責めた。
「女の子が返事待ってんのよ!?、ちゃんと答えなさいよ!」
「答えて!?」
 話が変わってきているのだがそれに気がつく余裕は失われてしまっていた。
「あんたヒカリのお尻も見たんでしょう!?、責任取りなさいよ!」
「あ、アスカぁ」
 恥ずかしい、と頬を染めて訴える。
「すぅずぅはぁらぁ?」
 だらだらと汗をかき出したトウジに対して、アスカはニヤリと後押しした。
「あんたのせいでねぇ?、ヒカリがお嫁に行けなかったらどうすんのよ」
「ど、どうって……」
 トウジはおろおろとヒカリに目を向けた、アスカの言いたいことはなんとなく分かるが、果たしてそれで良いのだろうか?
「う……」
 迷うということはNOなのだと、ヒカリは悲嘆にくれて小さくなった、その様子にドキリとする。
(わ、わしでええんか?)
 というか、嫌がってない?、それが動揺に拍車をかける、二人の世界に入ってしまう、というか、そんな二人をスポットライトが照らし出す。
 ライトの主はマナだった、机に上がって両手に懐中電灯を持ってバンザイしている。
 ヒカリとトウジ、二人だけを明かりは照らす、このスポット効果にトウジの意識はヒカリだけに吸い込まれて行った。
 恥じらいと怯え、小さく震える姿が痛ましい、愛おしくなる、ついでに嫌がってない、拒絶されてない、どっちかと言えば万事OK、のーぷれぶれむ?、あたしはいつでもスタンバイ?
 ──ぐびり。能動的欲求の表れ
「い、委員長……」
 引きずられてぐぐっと前のめりになる一同である。
「……鈴原」
「委員長」
「鈴原」
「もうワシ我慢できんのやー!」
「きゃー!」
「待て!」
「あほかぁ!」
 咄嗟に止めようとしたケンスケの手がジャージに引っ掛かってパンツまで下げる。
 そこに命中する鉄拳制裁。
「きゃー!、ばっちぃ!」
「す、鈴原!、鈴原ぁ!」
「す、すまんトウジ……、悪気は無かったんだ」
「……」
 トウジは股間を押さえて悶絶中だ、横倒しになってぴくぴくと痙攣している、死期が近いのか顔が紫色になっていた。
「これで何かなったら、アスカが責任取ることになるのかなぁ?」
 げっと唸るアスカと、えっと焦るヒカリ。
 そんな二人にくっくっくっと、そっぽを向いて笑ったのはレイだった。


「まったくもう信じらんない!、馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、あそこまで馬鹿だとは思わなかったわ!」
 怒り肩で先頭を切って歩くアスカである。
 空が明け白じんで来るのを待って、一同は地図を確認、川へと向かうことにしたのだ。
 ばっさばっさと拾った木の枝で草を払う、随分と放置されて来たのか、砂利道にまで草木の枝が伸びかかって来ていて邪魔だった。
 続くケンスケはともかくとして、その後ろではトウジがしゅんとなっていた、何故だかそのトウジの袖をつまんでいるヒカリが居る。
 恥ずかしげに俯いて、顔が真っ赤だ。
 シンジはなんだかなぁと、その様子を眺めていた。
(献身的な介抱ってことになるのかなぁ……)
 同衾は無くなったが男としてとても大事なブツを看病したりしてもらったり、これはある意味、同衾以上の事態だろう。
「おっと」
 最初に気付いたのはケンスケだった、砂利にごつごつとしたものが混ざり出している。
「着いたみたいね」
 アスカは抜け出た場所に、わぁっと目を輝かせた。
 奇麗な川だった、川幅は五メートルほど、澄んだ水底は浅い場所もあれば深い場所もある、潜る程度には泳げそうだった。
 手前にはちょっとした岩場があった、向こう岸は藪に潰されてしまっている。
「自炊出来そうじゃん」
 うきうきと岩場に下りていく、荷物持ちのケンスケがようやく一息吐けると安堵した。
「え、っと……」
「委員長」
「あ、うん……」
 なんだかんだ言ってちゃんと面倒を見るトウジと、照れながらも手を貸してもらうヒカリである。
「……この気持ちはなに?、寂しいのねわたし、悲しいの」
 ああはいはいと手を貸すシンジだ、バランスを崩さないようにレイの腰に腕を回したのだが。
「じゃーんぷ!」
 マナに抱きつかれて一緒に崩れる。
「わぁ!」
 ドスンと音、振り返ってアスカは呆れた。
「なにやってんのよ」
「たはははは」
「良いからぁ、早くどいてよぉ」
 レイと一緒にマナの下敷きになっているシンジである。
「ったく」
「あ、おいしい」
 水をすくって口に含み、ヒカリは目を丸くした。
「これならご飯作れるかも」
「かもやあらへんで、腹減ってたまらんのや」
「そうね、アスカ、どうしようか?」
「ヒカリに任せるわ、適当に材料は節約してね」
「節約?」
「うん、だって無くなったら強制的にカレーオンリーよ?、それもレトルト、嫌な感じよね」
 ケンスケはその言葉にさめざめと泣いた。
「……うう、貴重品の軍用レーションなのに」
 シンジが突っ込む。
「嘘吐かないでよね、被災地の炊き出し用のを盗んで来たって言ってたじゃないか」
「うわっ、最低ね!」
「相田君……、それは」
「わしもそれはあかんと思うで」
「みんな……」
 レイが発した声は不思議と全員の注意を惹きつけた。
「……メガネを虐めていても埒が明かないわ」
「……そうだね」
「そうかも」
「そやな」
「それにまあ」
 珍しくフォローを入れるアスカである。
「最初に思ってたほど悪くは無いし、相田、誉めてあげるわ」
「へ?」
「じゃーん!、こんなこともあろうかと、一応準備して来たのよね!」
 バッグからずるりと引き出したのは水着だった。
「おお!」
 一気に復活するケンスケである。
「特別に撮影の許可を上げるわ!、ちゃんと撮ってよね!」
「もちろんであります!」
「なんや、委員長も持って来たんか?」
「え?、うん……、アスカが、どうしてもっていうから」
「綾波とマナは?」
「問題無い……」
「きゃははははは!」
 ばしゃっとレイの顔に水が掛かった、無言で手で拭いてぴっと切る。
 やったのはマナだった、既に水に入ってはしゃいでいる、暴れてシャツが透けているのだがお構いなしだ。
「あの馬鹿!」
 腕まくりしてアスカが行く、どこか嬉しそうだ、靴を脱いで靴下も、そして素足で入っていく。
「つっめた〜い!、ってこら!」
「きゃははははっ、あ!」
「あ!」
 どっぱぁんっと深みへ。
「もうなんてことすんのよ!、この馬鹿犬!」
「やったのはアスカだもぉん!」
「待てってのよ!、この!」
「あああ、アスカ、風邪引くってば」
 おろおろとしているヒカリに溜め息を吐く。
「しゃあない、ケンスケ、シンジ、あれやるで」
「あれって?」
「あほかい、こういうとこ来たらやるこた一つやろ……、風呂作りじゃ!」
「お風呂!?」
 驚くヒカリ。
「ねぇねぇそれって!」
 目を輝かせたのはマナの首根っこを『固めた』アスカだ。
「焼けた石を放り込んでジュウって奴!?」
「そや!」
「きゃー!、凄いじゃない!」
「そ、そうか」
 照れて鼻先を掻くトウジである。
「昔っからケンスケに付き合わされて、こんなんばっかりやらされとって、覚えてしもたんや」
「クスクスクス、そして二人きりで温もりあったのね」
「あ、綾波……」
 虚しくなったのか悔しそうに男泣きに泣くトウジ、ケンスケもだ、シンジは慰めの言葉を探して狼狽えた。
「ああもう、そん時はともかく、今日は女の子が四人も付き合ってあげようってンだから」
「そ、そうだ!、俺達には今日という日があるんだ!」
「そやな!」
「……」
 そうだよ、そう追従しようとしてシンジは迷った。
「なんだよシンジ」
「そやそや、ノリ悪いで」
「あ、いや……、別に」
 気まずげに目を逸らす、が、無駄だった。
「そりゃあシンちゃんにはアスカもレイちゃんも居るもんねー?」
 静まり返った岸辺であった。


 そして一時間後。
 取り敢えずスクール水着と見紛うものに着替えたヒカリが、まだ冷たい川の中に静かに入ったり、その隙に洗うでぇとデリカシーの欠けらもなく上流で食器を洗おうとしたトウジをアスカが殲滅したり、色々とあったのだがおおむね平和に時は流れた。
「しっかしさぁ、女の子って度胸あるよなぁ」
「なにが?」
「あれだよ、あれ」
 ケンスケが指したのは少し離れた場所にある木の枝のことだった。
 枝と枝にロープを張ってバスタオルを吊るしてある、アスカとヒカリが着替えたのはその裏だった、確かにこちらからは見えないが……
「怖くないのかね、ちょっと回り込んだら覗けるぜ?、あれ」
「その前に殺されると思うよ……」
「そうかぁ?」
 甘いよケンスケ、シンジはそう思った、相手は女の子だ、裸を見られたらきゃあと泣き喚くだろう、そう考えるのは普通かもしれない、しかしだ。
 シンジは知っていた、心理的な恐怖というのは一点を超えると逆上へと転化する、キレるのだ、そうなった時に抱かれた破壊衝動は、普段の五十倍には達するだろう。
 シンジはふと視線を感じた、何だろうと探して川面に行きつく。
「……」
 水面から鼻半分の位置にまで頭を出しているレイが居た、こちらをじっと見ている、シンジは引きつりながら手を振った、一度、二度とぎこちなく。
 ──にやり。
 そう目だけで笑って、また潜っていく。
 後にはぷくぷくと泡だけが……
「ほんまかなわんわ」
 少しだけびっくりしつつ、トウジに振り向く。
「なにさ?」
「洗っといたろういうのに、なんで怒られなあかんのや」
「トウジは神経おかしいんだよ」
「どういう意味や」
「せめて下流でやれって言ってるんだよ」
「さよけ」
 さすがにシャンプーや石鹸を使うわけにはいかなかったが、それでも髪を濡らせただけでもさっぱりとする。
 アスカとヒカリは川から上がると、水着の上からシャツを羽織って、日なたの岩の上に腰かけた。
 少し離れた場所では男子三名が必死に岩場を掘っている、岩を持ち上げては放り捨て、そのくり返しだ。
 アスカはちらりとマナとレイを探して見付けた、即席温泉用の岩を焚き火で焼いているのだが、その前に二人でしゃがみ込んでいる。
 マナはどきどきわくわくと両脇を締めて握り拳を作っていた、レイが『生木』の枝を手に取り、炎の中にがさがさと突っ込む。
 ──数秒後。
『パン!』、焼けた生木が爆ぜた、びっくりして目を丸くするマナ、髪を膨らませてしまっている。
 その髪が元に戻ろうとするのを狙って、またパパンと爆ぜた。
 尻尾があれば相当膨らんでいることだろう、おおうと驚きに目を見張って楽しんでいる。
(バカ犬……)
 最近バカさ加減が進行している気がする、そんな気がした、シンジと会った頃からだろうか?、ドイツではもっと人間らしい雰囲気があったというのに、気が抜けているのかもしれない、あるいはリラックスしているのか。
(やっぱ土地……、なのかな?、あたしもこっちの方が好きだし)
 色々心中複雑なのだ。
 ドイツよりこちらの方が住みやすいのは、元に戻れたと言う感覚のせいもあるのだろう。
 元々日本生まれだ、それをドイツに馴染んで見えるよう矯正した、そこで暮らすためには生活習慣を合わせる必要があったからだ。
 だがやはり無理は無理だったのだなと考える。
 それはあくまで矯正なのだから、生来慣れ親しんだものには負けるだろう、また無理をして矯正しなくてはいけない類のことでもないから、尚更タチが悪いのだ。
 なぜこれでいけないのかと疑問を感じた時に、反論できるものが何も無いから。
(もうドイツに戻っても、暮らせないかもね)
 やはり窮屈に感じてしまう、あの生活は。
 今が自然だと思う、だがまあ問題が無くもないのだ。
(犬……、か)
 アスカは思い浮かべた想像にげんなりとうなだれてしまった、それは犬と貴族社会の構図であった、犬も貴族もボス格のものが一族を従えるという点においては同じである、そしてそれはシンジを長として考えると酷く当てはまってしまうのだ。
 貴族社会における家長とは、そのまま一族の長なのだ、これに逆らうことは秩序の崩壊を意味しているから許される物ではない。
 アスカが考えてしまったのはもしかすると自分がレイのことを許しているのもそれに根差しているのではないのかという疑念であった、自分の中には知らぬ間に長の振る舞いを許容してしまう精神が刷り込まれてしまっているのではないのかと。
「まさかね」
 だがそう口にしたアスカの表情は青ざめていた。
 自分以外の女と喋るななどという独占欲は押し付けでしかない、だから口喧しくするつもりは無かったが、もしそれが家長に命じるなど不敬であるという意識から来ていたとしたらどうであろうか?
 どんな女と知り合おうと、仲を良くしようと、許容するしかないと、諦めてしまっていたとすれば?
 ──アスカは唇を噛んで想像してみた、だが嫉妬に狂った自分というのは嫌だった。
 ならばどうすれば良いのだろうか?、今を許容するにしても言い訳が欲しい。
(今のアタシは許せてるよね?)
 アスカはその余裕がどこから来ているものなのか考えてみた、そして見付ける。
「そっか……」
 今はまだ我慢が出来る状態だからだ。
 誰かがシンジの一番ではない、ではこの状態を維持するには一体どうすれば良いのだろうか?
 その答えもまた一つであろう。
「アスカ?」
「ん?」
「なに考えてるの?」
「ん〜?、ちょっとねぇ」
 にたりと笑う。
「なんとかしてシンジに責任、取ってもらわなきゃねぇって」
「え?」
 ぎしりと固まり、ヒカリは顔を背けた。
(い、碇君、フケツよ……)
 そう思いつつ、ヒカリはちらちらと盗み見た、アスカのお腹をだ。
 アスカにしてみれば自分がここに居るのはシンジがここに居るからだし、だから原因はシンジで全ての責任はシンジに……、というだけの話なのだが。
(で、でもあたしも、もう、だから……、ってきゃー!)
 いやんいやんと悶えるヒカリだ、アスカは放置して、さてどうしようかと計画を練り始めた、視線はマナへと投じている。
 じーっと焚き火に顔を寄せていくマナ、その鼻面で薪が爆ぜた、パン!、何か飛んだのかギャンと泣いて鼻を押さえてのたうち回っている。
「バカ……」
 我関せず、レイはただただ薪をくべている、それはそれで怖いのだが……
「プランは……、固まったわね」
 アスカは立ち上がり、腰に手を当てて高笑いをした。
「何やねんアイツら」
「さあ?」
 岩の上でほーっほっほっほっと笑っているアスカと、その横で悶え転がっているヒカリ、それはあまりにも近づきたくない感じであった。


 ──そして夕刻。
「ちょっと待て」
 カメラを手にしてケンスケは言った。
「入浴シーンはどこ行ったんだよ」
「はぁ?」
 場所は校舎の廊下である。
「何言ってんだよ、もうみんなで浸かったじゃないか」
「そうそう、気持ち良か……」
「がぁああああ!、馬鹿言え!、だったらなんでこいつのメモリーが空なんだよっ、ええ!?」
「知るかい、あほぉ」
 一行は取り合わず、荷物の置いてある教室へと戻った。
「まだ五時なのに……、ずいぶん暗くなっちゃうのね」
「これからどうしようか?」
「昨日はヒカリのせいで、なぁんにも出来なかったしねぇ」
「アスカ……」
 真っ赤になって俯いてしまうがそんなものは無視だ。
(ちゃ〜んす)
 アスカは舌なめずりをしてほくそ笑んだ、こうまで都合好い展開になるとは思っていなかったからだ、これなら計画を実行に移せる。
 ──アスカは自分なりの恋愛の形について、一つの結論を出すに至っていた。
 今に満足していられるのは、シンジに相応しいのが自分であるという自負があるから、それだけなのだ。
 だからこそシンジの勝手、我が侭も我慢出来る、変なところも、情けないところも許してしまえる。
 ならばそれを持続させれば良いだけのことだ。
 ──誰よりも自分のことを想っていると、常に示してもらえば良い。
 心だけではなく、態度でもだ、そうすればどんなことだって我慢出来る、例えそれが浮気でも、本当の一番はわたしだモンねと胸を張れる。
 それは自衛の本能がもたらした結論であった、唯一絶対、無二では無くて、優劣の付けられた序列、比較としてのトップ、その地位に着く事こそが重要であると。
 胸を張って、あたしはこの男の『妻』なのよ、と誇れる立場に置いて貰うこと。
(それがあたしの恋の形よ!)
 ではシンジの恋とはどういうものか?、アスカには簡単に想像を付けられた、お手手繋いで散歩して、シンジの恋とはきっとそんなものなのだ。
 幼稚というのではなく、そこから始まり育っていくようなものなのだろう、対して自分は最初から最も情熱的なものを求めている、それが感覚的なズレとなって横たわっているのではないか?
 アスカはそう判断した。
 徐々に育むものだと考えているシンジとの間をまず埋めなければならない、シンジに自分と同じところにまで育ってもらわなければならない、それにはどうすれば良いのだろうか?
(どうせシンジが相手だしぃ?)
 アスカは余りやりたくは無かったな、と、主義を変えることにしたのだ、それはもう嬉しそうに。
「んじゃま、何をするかなんだけどさぁ」
 アスカはもったいぶる事で、みんなの注意を引き付けた。
「ほら!、相田が良いもん持って来てたでしょ?」
「良いものって?」
 アスカは何故だ、何故なんだママンと悶えるケンスケを爪先で小突いた。
「こいつのおもちゃよ」
 ああ、とシンジは納得した。
「サバゲーやるつもりなの?」
 そうよとアスカ。
「バトルロワイヤルって言ってよね、チーム組んでやんない?、場所は校舎の中限定、これだけ暗かったらやりがいあるじゃん」
「でもチームってどう組むのさ?」
「アンタバカぁ?、あたしとマナ、シンジとレイ、鈴原はヒカリね、相田はハンデってことで単独」
「どうせ俺なんて……」
 シンジは曖昧に笑いつつ首を捻った。
(トウジと委員長は分かるんだけどな)
 少し悩む、どうして自分とではなくマナと組むのかと。
(何考えてんだろ?)
 らしくないと思えるのだ、そしてらしくない事をする以上、何か企んでいるに決まっている。
「しゃきっとしなさいよ!、アンタの望み通りにしてやろうって言ってンだから!、銃が入ってんのはこれね?、じゃあどれを取るかはくじ引きで決めましょうか」
 シンジが悩んでいる間にも、着々と準備を進めていく。
 余程気が焦っているらしい。
「はいシンジ」
「え?、うん」
 シンジは深読みし過ぎたために、ちゃんと悩まずに引いてしまった。
 ちらりと見る、七番だ。
「何番?」
「七番だよ」
「え?、七番?」
「七番って……」
 一同は一つだけおもちゃ丸出しになっている銃を見下ろした。
「……ニューナンブ」
 小さく、安っぽく、ちゃち過ぎる作り。
 あんまり過ぎるその銃は、キッツイ存在感にくすんでいた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。