あったま、あっか、あーか!
 たっいど、高びーしゃ!
 そっれがどうしぃた?
 あたしは、ア・ス・カ・♪


 はぁ、一人ってむなしい…



 あーんあーん、あーん…
 子供が泣いている。
 目の前には女の人。
 倒れ、血溜まりが広がっている。
 あーん、あーん、あーん、おかあさーん!
 だがむくろは動かない。
 泣き続ける男の子。
 その肩に後ろから優しく添えられる手。
「今日からあたしと暮らすのよ?」
 どうして、どうして?、どうして!?
 僕知ってる。
 誰かが言う。
 捨てられたんだ。
 シンジはもう、泣き続けることしかできなかった。



てけてけん♪
シンジ(中編)...の巻

ふぁ〜んふぁ〜んふぁ〜〜ん…




「遅刻だよぉ!」
 はっはっはっと、息を切らせて走るシンジがいた。
 口にはパンを咥えている、8歳、まだ4年生になったばかりの頃のこと…
「ちょっとレイ、少しは急ぎなさいよ!」
「命令なら、そうする…」
「努力しろって言ってんのよ!」
「そう…、でも無理、これがあたしの限界だから」
「諦める前にやることやれって言ってるのよ!
 そんな怒鳴り声が、T字路の向こうから聞こえてきた。
 やだな…、怒鳴り声って。
 そんな風に思ったからかもしれない、声がずいぶん近かったことに気がつかなかった。
「え?、うわ!」
「きゃ!」
 どっし〜ん!っと激突、すっ転ぶ二人。
「いったぁ…、あんたバカァ?、一体どこ見て…」
 はっとする赤毛の少女。
 足を大股に開いてしまっていた。
「あ、ごめん…」
 しっかりとパンツを見ているシンジ。
 パン!
 派手に平手の音が響いた。
「な、あ…」
「見物料よ、安いもんでしょ?」
 そう言って、身を翻す。
「さ、行くわよ?、レイ」
「…さよなら」
 レイの冷たい目が一瞬だけシンジに向けられた。
 その目に臆するシンジ。
「なんだよもぉ、ただの事故じゃないか…」
 赤くなった頬をさすりながら、シンジは小さく毒づいていた。


 あ〜、びっくりした…
 アスカは全力で走っていた。
 シンジの顔を見た時…、一瞬で分かってしまったのだ。
 絶対、間違い無い!、あの時の…
 そっと、上着の膨らんだポケットを撫でる。
 それは息切れした動悸を整えようとしているようにも見えた。
 だが本当は違う。
 そこに入っているのはシンジの財布。
 綾波を大切にしてあげて…、妹のようにね?
 振り返る、汗一つかかずに付いて来た妹の姿。
 おにいちゃんだ…
 アスカの顔は自然とゆるみ、ニヤけていた。


 思えば、どらエヴァンが教えてくれたのよね?、シンジのいるとこ…
 木陰で三角座りをしているアスカ。
「いっくわよー!」
「何でキーパーがいないのよ〜!」
「暇なんだも〜ん!!」
 その前ではクラス全員参加で20対20の変則サッカーが行われていた。
 どらエヴァンとの再会、だけどどらエヴァンはあたしのことを知らなくて…

「シンジ…と名乗ったのだな?、その少年は」
 素っ裸のどらエヴァン。
「そ、そうよ…」
「そうか…」
 素っ裸で思い悩むどらエヴァンに、アスカはちらちらと視線を向けていた。
 だ、誰か来ないでしょうねぇ?、今こられたらこいつ、幼女相手の変質者って感じで連れてかれちゃうじゃない!
 そんなアスカの心配を余所に、どらエヴァンは「ふむ」と何かを思い付いたようだった。
「ではこの住所へ行くと良い」
「え?、第三…、新東京市?」
 何処から取り出したのか分からないメモに目を細める。
「そうだ、そこに「碇シンジ」が居る」
 うそ!?
 アスカは瞳を輝かせた。
「だが一つ問題がある」
「な、なによ?」
 傍目にも分かるほど、アスカはそわそわと浮き足立ってしまっている。
「シンジは君のことを知らん」
「え!?」
 アスカは酷く衝撃を受けた。
「嘘…」
「嘘ではない、だが君の言う通り、いつかは過去へと赴くことになるだろう」
 どらエヴァンは腰に手を当てた。
「それはわたしに任せると良い、だがそれまでシンジには秘密にしておかねばならんのだ」
 ど、どうしてよ!?
 アスカは今すぐにでもシンジに会いに行きたいと焦っていた。
「歴史は積み重ねられていくものだ、君には君の築いて来た歴史があるように、君と出会うシンジの未来は、これから作られねばならんのだよ…」
「じゃあ!」
 アスカはしつこく食い下がった。
「じゃあどらエヴァンがシンジを連れて、「あの日」に行くまで隠してればいいのね?」
 希望と期待に瞳を輝かせる。
「まあ、そう言うことだな」
 にやりと腰を突き出すどらエヴァン。
「ひっ!」
 ボグ!
 アスカは目の前にぶら下がっているものに、思わずナックルを叩き込んでしまっていた。

「シンジ、どこ行っちゃったんだろ?」
 姿が見えないので不安になる。
 まさか、帰っちゃったのかな?
 登校拒否児童だったことは知っていた。
 だがその理由は知らない。
「探してみるか!」
 アスカは立ち上がって、お尻に付いた砂を払い落とした。


「アスカは、優しくしてくれる?」
 コクンと頷くレイ。
「そっか…、羨ましいよ、綾波が」
 シンジにも一人、とても心配してくれる人が居た。
 自分のことでしょ!
 しっかりやんなさいよ!
 頑張ったわね?
 人のことなんて関係無いでしょ!
 でもその言葉はどれも大人としての言葉だった。
 僕の気持ちなんて分かってくれないんだ…
 そんな想いばかりが強くなる。
 そりゃ言ってることは正しいんだけどさ…
 シンジの大人びたものの考え方は、そんな所から形作られてしまっていた。
 だがレイには、そんなシンジの胸中は分からない。
 羨ましい?、そう、羨ましいのね、碇君…
 凄く辛く、悲しくなってしまっていた。
 アスカが心配してくれる、その事が羨ましい。
 アスカを譲ってくれと言っているように受け取ってしまったのだ。
「綾波、僕ね…」
 シンジは気付かず、先を続ける。
「本当は、もう「碇」シンジじゃないんだよ…」
 レイはその言葉に、首を傾げてしまった。


「あのね、今日は大事な話しがあるのよ…」
 そう言って、彼女、シンジの保護者でもある葛城ミサトは、頭を派手にぼりぼりと掻いた。
 父親が外国に行ってしまったシンジは、ミサトのマンションにやっかいになっていた。
 シンジは黙って、ミサトの正面に座っている。
 いつも「大事な話し」は決まってダイニングキッチンで聞かされていた。
 何のことはない、食事の途中で切り出されるからだ。
 仕方が無いよな…、と諦める。
 シンジはたいてい自分の部屋に引きこもっている、ミサトも自室で持ち帰った仕事をしていた。
 ミサトの方針で、夕食だけは一緒にしている、だからこういうタイミングになってしまうのだ。
 今日はシンジの大好きなエビの天ぷらだった。
 でも、胸の奥から込み上げて来る重い物の方が苦しい。
 美味しくないよ…
 シンジは本当は嫌だった。
 ご飯を食べている時に大事な話をされるのは…
 どんなに好きなおかずでも、暗い気分で食べたいなんて思わないよ。
 だから箸を置いて、シンジはじっと言葉を待った。
「あのね?、今日、お父さんから手紙が来たのよ?」
 え?
 シンジは顔を上げた、だが真っ直ぐミサトを見て後悔した。
 言い出しにくいことを切り出そうとしている、そんな人の顔が晴れやかなわけはないのだ。
「それで、こんなことが書いてあったわ…」
 ミサトはその手紙をシンジに渡した。
 無言で手に取り、目を通す。
 シンジの瞳が揺れた、ても動揺に力が入り過ぎたのか、手紙に皺を寄せてしまっている。
「シンジ君?、シンジ君、シンジ君!」
 シンジははっとして、自分を取り戻した。
 そこにはこう書いてあった。
 養育費は口座に振り込んである、親権を譲り渡したい、そのための準備はすんでいる、あとは君に委ねる。
 手紙には書類も一式揃えられていた。
 養子でも里子でもどちらでもいいように…
 これで、本当に捨てられちゃうんだ。
 シンジの手から力が抜けた。
「あ、あのね?、だからってシンジ君の何かが変わるわけじゃないのよ、今まで通りここで暮らしてればいいんだし…」
「いいですよ…」
 シンジは諦めたように呟いた。
「し、シンジ君?」
「僕、家に戻ります、家まで無くなっちゃったわけじゃないんでしょ?」
「帰るって…、帰って、一人でどうしようってのよ?」
 確かに家は残されていた。
 シンジの父であるゲンドウは、マンションからそちらに移って暮らしてくれてもいいと、言って来てもいたのだ。
 裏を返せば、家には二度と帰らないって事なのよね…
 さすがにそれは、シンジには知らせられないことだった。
「大丈夫ですよ…、お金はくれたみたいですし、なんとかなります」
「なんとかなりますって、あんたねー」
 ミサトは呆れてしまった。
「子供一人じゃ何ともならないことだってあるのよ?、第一、危ないわ」
「いいじゃないですか、ミサトさんには関係のない事なんですから…」
 その言葉にミサトは切れかけた。
「関係無いって!?」
「だってそうでしょ?」
 頭に血の上っているミサトは、シンジの表情が消えてしまっていることに気がつかない。
「こんな迷惑な話しってないですよね?、困ったから、僕にこんな手紙見せたんでしょ?」
「ち、違うわ、そうじゃなくて!」
 シンジは聞く耳持とうとしない。
「それにミサトさんのお友達も言ってたじゃないですか…」
 それは酔った友達と、この家で飲んでいた時の会話だった。
 よくやるわね、家族ごっこ?
 そんなことしてるから仕事溜まっちゃうんじゃない?
 シンジは寝付けず起きていたのだ、聞こえたのは酔ってミサト達の声が、大きくなってしまっていたからだった。
「僕が居ない方が、ミサトさんだって…」
 自暴自棄、やけになるシンジ。
「人のことなんて関係無いでしょ!」
 バン!
 苛付きミサトは、派手にテーブルを叩いてしまった。
 びくりと震えるシンジ、その瞳が脅えている。
「だって…」
「だってじゃないの!」
 ミサトは真っ直ぐ視線を合わせた。
「シンジ君、逃げちゃダメよ」
「え?」
 シンジには何のことだか分からなかった。
「あなたは今、お父さんから…、何よりも辛い境遇、立場から逃げ出すために、一人になろうとしている…」
 シンジは顔を伏せた。
「でも一人になったからってなんになるの?、誰にも見向きもされないで、誰からもかまってもらえないで、たった一人で死んでいくの?」
 それも良いかもしれない…とシンジは思った。
「ほんと、お父さんとそっくりね?」
「え?」
 その苦笑に、シンジは自分に引き戻された。
「あたしのこと…、話したわよね?」
「母さんの…、教え子だったって話ですか?」
 ミサトはゆっくりと頷いた。
「だからおじさんの話も色々聞いたわ…、すぐに諦める、何も執着しない、全てに失望してしまっている」
「そんな…」
 シンジは衝撃を受けてしまった。
 あの父さんが!?
 去っていく後ろ姿が見える。
 シンジの知っている父親は、何事にも揺るがない男だった。
「だって、父さんは…」
「だからなのよ」
 ミサトはシンジの話を遮った。
「だから先生…、ユイさんを無くされて、堪えられなくなってしまったのね…」
 シンジの手はいつしか汗ばんでいた。
「逃げたんですか?」
「そうよ?、家族の思い出で溢れた家から、街から、そしてあなたから」
 気持ち悪いからか、無意識のうちに握り直してしまう。
「どう?、この話を聞いてもまだ逃げる?」
 シンジはとっさに、どう答えていいのか分からなく、ごくりと喉を鳴らしてしまった。
「迷ったわね?、でも良いのよ、今はそれで…」
 微笑むミサトに、首を傾げる。
「ミサトさん?」
「早く大人になる必要は無いわ…、今はただ、こういう話もあるのって知っておいてもらいたいだけなの…」
 ミサトは辛くまとめようとした。
「自分で決めろって…、事ですか?」
「そうよ?」
 再び真剣な表情に戻るミサト。
「でもそれは「いつか」でいいの、本当に自分で考え、自分で決められるようになった時…、そう、今の感情や想いに流されないで、自分を見つめ直せるようになった時に…」
 シンジにはまだ良く分からなかった。
 だからうつむいたままだった。
 でも、ミサトさんの所にいても、逃げることに変わりは無いと思うから…
 それだと頼っちゃう、甘えちゃうだけだから。
「ミサトさん…」
「ん?、なに?」
「ぼく…、やっぱり出て行きます」
 シンジは結局、ミサトの所を出ていってしまった。


「だから「碇シンジ」って名乗り続けようと思ったんだ…」
 実際レイには、シンジの話の半分以上が理解できなかった。
 いや、理解したくなかっただけかもしれない、だって苦しみは十分過ぎるほどに分かってしまえたから…
「強くなろうと思ったんだ、人に頼ってもらえるぐらい…、人を捨てたりしない、自分のことよりも人のことを思いやれるような、そんな人に…」
 そしてシンジはレイを見詰めた。
 はにかむように、微笑んで。
「でも、どうすればいいのか、わからないんだ、知らないし…」
 そんなことはない、と言いたい。
 あのさ、おかしって700円まででしょ?、でも僕そんなに食べないからさ…
 大事だと思うよ?
 碇君は、強さを知ってる…
 だけど、その事を教えてあげられない。
 姉さんのように、なりたい…
 言いたいことを口にできる、あの性格が羨ましくなる。
「僕は、綾波にも酷いことをしていたのかもしれない…」
 二人は気付かなかったが、昇降口のドアがきいっと開きかけ、また半分閉められた。
「僕は結局、その相手を綾波に求めてただけなのかもしれない…」
 可哀想だと思うことで…
 優しくして、優越感に浸ることで…
「僕は、最低だ…」
 何話してんのよ、あいつら?
 アスカはドアの影に隠れて、聞き耳を立てた。
「嫌ってくれて、良いよ…」
 寂しげに笑うシンジ。
「アスカとも、もう友達じゃなくなっちゃったし…」
 え!?、どういう意味よ!
 アスカは激しく動揺した。
「そうだよな…、アスカでなくても、僕みたいな奴と友達になってくれる人なんて、いるわけなかったんだ…」
 アスカが来てからだった、急に親しげに話してくれる人が増えたのは。
 碇君って、もっと暗いのかと思ってた。
 以外とおちゃめ〜☆
 それはアスカに、からまれていたからだった。
「ごめんね?、綾波の大好きなアスカに、酷いこと言っちゃって…」
 シンジは再び運動場に向き直った。
「アスカの言う通りだ…、「あのこと」がなかったら、きっと…」
 それはレイの知らないことだ。
 だけど何か深い繋がりがあるとわかるから…
 キュッ…
 唇を引き結んでしまう。
 違う!
 そしてアスカは叫びそうになっていた。
 そんなつもりで言ったんじゃない!
 本当は…
 本当は!
 アスカにしかできない、アスカにならできることが…
 あの時からシンジはもう、レイの事だけを見ていた、考えてた!、でも違うの、そうじゃないの!
 アスカはあの時の気持ちを覚えていた。
 約束ね!
 シンジの首に噛り付くアスカ。
 とっても優しかった…
 誰のせいでも無い事故に胸を傷め、自分を責めていたシンジ。
 もしシンジが情けない言葉を吐いていなかったら…
 泣きじゃくることしかできなかったかもしれない。
 シンジが居たから…、シンジがどうすれば良いか教えてくれたから!
 そんなシンジに、会いたかったから…
 アスカはうなだれてしまった。
「僕は…、いらない人間なんだ」
 アスカ、レイ、それぞれの心にシンジの言葉が突き立つ。
 そんなシンジに自分の心を伝えたい、胸の内を明かしたい!
 そうは思っても、うまく言葉が見つからない…
 二人はまだまだ、子供であった。


続く



 エンディング省略形

「こんなとこで引くなー!」
 吠えるアスカ。
「出番が無いですぅ!」
 泣く泣くミズホ。
「碇君…」
 鼓動が高鳴り、胸焦がす。
 次回、どらエヴァン、「シンジ(後編)」
 さよならは、いつも涙と共に呟く言葉…


「って、おじ様?」
 ん?
 アスカの怪訝そうな声に、ゲンドウはわずかに新聞を下ろした。
「どらエヴァンって、1クール放映って本当ですか?」
「ああ…」
 再び新聞の裏に隠れるゲンドウ。
「じゃあ誰と引っ付くかは、もう決まっているんですよね?」
 無言のゲンドウ。
 それに対し、移動するアスカ。
「ねぇん、おじさまぁん」
 背後から抱きつき、ねだるように甘える。
「う、アスカ君、大きくなって…、いや違う!、違うんだ、ユイ!」
 え?
 アスカも驚き顔を上げた。
 ああん…
 ユイがお盆の上に、きゅうすと湯呑みを乗せて立っていた。
「あはははは、じゃ、じゃあおじ様、今度絶対教えてくださいね?」
 そそくさと自分の部屋へ戻るアスカ。
「ああ待てっ、待つのだアスカ君、ちゃんと誤解を説いて…」
 無言で部屋からアスカが出て行くまで待っているユイ。
 ピシャッと閉じられる襖。
「さてと、あなた?」
 この後は、もう語るまでもないだろう…
 やはり似ている親子であった。

[BACK][TOP][NEXT]