修復の終わった初号機が佇んでいた。
 初号機再起動実験、その一時間前。
 アンビリカルブリッジに一人の人影、ゲンドウである。
「もうすぐ全てが始まる…」
 初号機に向かって優しい微笑みを浮かべている。
「残る使徒も後わずかだ、もうすぐ終わりの時が来る…」
 カツン、カツン…
 足音が響く。
 それにつれ、ゲンドウは笑みを消して表情を影にひそめた。
 カツン。
「…シンジか」
 シンジもまたゲンドウにならって横に並んで初号機を見上げた。
「いいのか?」
 なにが、とは聞き返さない。
「今はまだ…、これが僕に出来る事なんだから」
 それは『以前』の二人にはありえなかったやり取りだ。
 それだけでも…
 シンジは少し満足する。
「すまんな…」
 これもまた嬉しくなる様な一言だ。
「サードインパクトか…、正直よくわからないんだ、だってセカンドインパクトもほんとに見たわけじゃないんだからね?、でも…」
 目を閉じる。
「僕は…、捨てられるのが恐かったから」
 表面上は何も変わらないが、明かに二人の間の緊張感が増した。
「だから父さんに泣きついたんだ、捨てないでって、僕に出来る事は何でもするからって」
「ああ…」
 それはもっと幼い頃の出来事だ。
 だがシンジは目をつむったことで明確に思い出せる。
 きゃああああああああ!
 悲鳴を上げる母。
 ユイ!
 動揺する父。
 それから全てが始まった。
 眠るたびに不思議な夢を見ていた。
 知らないはずの出来事、知るはずなの無い知識、見た事も無いもの、会った事も無い人達が、次から次へと登場して来る物語。
 奇妙な事にそれらの出来事は時間軸が存在し、そしてまた整合性も取れていた。
 そしてシンジは母が消えた瞬間に確信を抱いた。
 夢じゃなかったんだ。
 焦る父達、消える母。
 そこにある顔ぶれ、光景、出来事。
 全てが夢の通りであったから。
 これはゲンドウにも話してはいないことだった。
「僕は父さんにも母さんにも捨てられたくない…、だからこれに乗る、これに乗れば母さんにも触れられるから」
「ああ…」
 ゲンドウの目に、やや羨ましそうなものが混じった。
 そんな父と横目で目線を交わし合う。
「…父さんも、母さんに会いたいんでしょ?」
「…ああ」
「そっか…」
 安堵したように息をつく。
「父さんもやっぱり同じなんだね?」
 言葉の意味をつかみかねたのか?、ゲンドウはようやくシンジに顔を向けた。
「僕は…、捨てられないために期待に答えたくてエヴァに乗る…、それは父さんだって同じなんじゃないの?」
 シンジは値踏みするような目を向けた。
「母さんの夢を守りたいんでしょ?」
「…そうだ」
 ユイの期待に答えたいからこそ、その夢を紡ぐ、断ち切れないように。
 シンジはその返事に満足して目を和らげた。
「だったら逃げないで、父さん」
「逃げる?」
「…僕から、何よりも自分から」
 ゲンドウは憤慨して、分からないほど微妙に鼻息を荒げた。
「わたしが逃げていると言うのか?」
「僕に好かれてるかどうか分からないから避けてるんでしょ?」
 ゲンドウは目を伏せようとした。
 だがそれはシンジが許さない。
 その目が絶対に許さなかった。
「わたしはお前を傷つけるだけだからな」
 だからこういった逃げを打つ。
 まったく父さんは…
 シンジは心の中で溜め息を吐いた。
「気持ちは分かるけどね?、好かれてないと分かるよりも離れている方が楽でいい、希望も持てる…、でもそんなのは嫌なんだ、諦めたら…、きっと本当に欲しかったものはずっと手に入らなくなっちゃうよ」
 途中からは自分のことになってしまった。
「それがここにあるというのか?」
 吸い込まれる。
 ゲンドウはシンジの瞳にそう感じた。
「『敵』を倒して、母さんの願いを守って、父さんはそれで満足できるの?、母さんの元に行くつもり?」
 なに?
 シンジの言葉が補完計画のことを指しているようで、ゲンドウは一瞬身を強ばらせた。
 やっぱり、か…
 もちろんシンジは示唆したつもりだが、『ここ』では『知って』いてはいけないことだ。
 だからずっと遠回りにする。
「全部が終わっても父さんは生きてくんでしょ?、その満足感だけで足りるの?、父さんは…」
 ゲンドウはサードインパクト以降にも世界があると信じている言葉に安堵した。
「…わたしには、ユイしかいないからな」
「そんなのダメだよ」
 シンジは力無く首を振った。
「母さんの願いを守るためにも、もっと辛い事を我慢しなくちゃいけなくなるよ?、その内に分かってくれる人だって出て来るでしょ?、分かって欲しいって思える人にだって出会うはずなんだ、冬月さんや、リツコさんとか…」
 シンジは的確に人選をする。
 もちろん偶然を装って、だがゲンドウは確実に動揺した。
「シンジ…」
「信じられる人は母さんだけじゃなくなっていくよ…、その人達に嫌われる事だって恐くなる、だったら最後は死ぬしか逃げ道なんて無いじゃないか、そんなの…、おかしいよ」
 シンジは俯いて震え出した。
「母さんは父さんの力に期待して一緒になったの?」
 ビクッと震えるゲンドウの肩。
「そうじゃないんでしょ?、父さんはそれを信じてるんでしょ?、父さんは母さんに何を期待したのさ?、母さんの何を信じたかったの?」
「それは…」
「いいんだ、でもその時感じたものはきっと父さんを信じてる人達も欲しがってるものと同じだから…」
 背を向ける。
「だから、それを裏切らないで、どうすればいいのか分からないからって逃げないで…、みんな父さんの事は嫌いじゃないんだ、ううん、好きになりたいんだと思う、だから…」
「もういい」
 その一言は拒絶では無く…
「すまなかったな、シンジ…」
「ありがとう、父さん…」
 二人は踵を返し、背を向けてそれぞれの橋の両端へと歩き出した。
 お互い口元に笑みを浮かべながら。


 ドイツ、アスカは専用機で降り立っていた。
 出迎えはネルフの保安部員と…
「お久しぶりです」
「アスカ、大きくなったな?」
 ドイツ人特有の赤ら顔は、「あたしもこうなっちゃうのかしら?」とアスカに不安を抱かせるものだった。
「やだ…、まだ半年も経ってませんよ?」
「いや、そう言う事ではないんだよ…」
「ママもお元気そうで?」
「ええ…、アスカは変わったわね?」
「そうかしら?」
「ええ、ほんとに変わったわ?」
 以前は感じた壁のようなものを感じ無い。
 アスカはふっ切ったのか?
 自分は彼女の母を捨てた。
 あたしは寝取った女。
 アスカもそう感じていた、はずだった。
 変わらないのは…
 わたし達だけなの?
 二人はそんなアスカに不安を抱く、まるで置いていかれてしまったようで。
「ごめんねパパ、ママ?、あたしすぐにエヴァの修理に入らなくちゃいけないから」
「お前が関係するのはまだ先だろう?」
「そうよ、今は体を休めて」
 アスカは嬉しそうに俯き首を振った。
「ううん、やることは一杯あるの、それじゃね?」
「アスカ!」
「アスカ…」
 アスカは「さあ行きましょう」と、黒い車に乗り込んだ。
 変わった…、そうね、変わったわ?
 自分でも驚くほど余裕を持って接しられた。
 余裕?、そうよね?、これって余裕なんだわ…
 自分をエリートだと思い込まなくても、確実に自分はあの二人よりも優位な位置に立って居る。
 それを自然と感じられた。
 これって自信が付いたからかしら?
 アスカは目を閉じ、深くシートに体を預けた。


「あんたも暇ねぇ…」
 それが二人っきりになった直後の言葉だった。
 セカンドチルドレン。
 惣流・アスカ・ラングレー。
 葛城宅。
「なんだよいきなり…」
 シンジはミサトの手料理が食べたいと言う要望によって連れて来られていた。
 ちなみにミサトは本部からの呼び出しにより、急遽車を駆って出ていってしまった。
「サードは気楽でいいわねって言ってるのよ」
 時間は綾波レイが初戦闘によって精神的に傷を負い、再び第三新東京市を発った直後のことである。
「そう?」
「笑ってないで、なにか言ったらどうなのよ?」
 むかつく。
 軽くいなされてるようでアスカは苛立った。
「ごめん…、でもいま余裕ないから」
 理由は簡単、ミサトの言いつけにより夕食の準備中なのだ。
 なによ!、あたしよりそっちの方が大事だっての!?
 注意を向けようとしない事に苛立ちまくる。
 随分な言い草ではあった。
「はん!、あんたなんてそうやって主夫やってるのがお似合いよ!」
「はい」
「なによ?」
 突き出された袋に戸惑う。
「にぼし、やけにカリカリしてるから、カルシウム」
 パン!
「バカにするんじゃないわよ!」
 アスカはシンジの差し出した袋を弾き飛ばした。
「あのねぇ…、なに怒ってるのさ?」
「あんたみたいのがサードだからよ!」
 そうチルドレンは選ばれた人種であるはず、それが…
 なによこいつ!
 まるで特別性が感じられないのだ、なのに皆シンジを頼りにしている、実験も訓練もシンジを基本、基準にして組み立てられている。
 それがアスカには気に食わなかった。
 平行線か…
 シンジはまだ、アスカについて詳しい情報は与えられていない。
 でもこのままじゃ…、しょうがないか。
 シンジは小さく舌打ちして心を決めた。
「…そう言えばさ、惣流さんってドイツで大学出てるんだって?」
「そうよ!」
 誇らしげに胸を張る。
「あたしは選ばれたエリートなのよ!」
「ふうん…、エリートねぇ」
「なによ!」
 値踏みするような視線に反発する。
「なのになんで中学校なんて行ってるのさ?」
「それは…、ミサトが!」
「じゃあ聞くけど、なんでこんなに汚いわけ?、部屋」
 見渡す、台所だけでもべたつき、食器すらまともには洗っていなかった。
「はん!、あたしにはそんな暇…」
「だらしないんだ、自己管理も出来ないなんて」
「なんですってぇ!?」
 シンジは余裕を見せて、調理を続行しながら軽口を叩いた。
「ついでに言うけどさぁ、セカンドチルドレン…、エヴァのパイロットだって事がそんなに自慢なわけ?」
「なによ!、あたしは選ばれた…」
「そうだね?、選ばれたね?、で、今みたいに喧嘩を売って歩くわけ?、フォースにも、フィフスにも、その後に続くチルドレンにも」
 愕然…、と言った表情でアスカは立ちすくんだ。
「なによ…」
「それにエヴァって兵器だよね?、当然敵と戦うんだよ?、壊れることだってあるんだ」
「なによ!、あんた自分がやられたからって…」
「惣流さんも、でしょ?」
 二人ともいま機体は満足に稼働できる状態に無かった。
「でもさ?、それって当たり前なんだよね?」
「なんでよ…」
「だってエヴァって兵器なんだよ?、戦いで壊れるなんて当たり前なんだよ、それが前提条件なんだからさ?、そういう風に作ってあるんだ、…それでさ?、惣流さんの乗る弐号機がダメになった時、惣流さんはどうするのさ?」
 アスカの顔から血の気が引いた。
「エヴァって互換性のない専用機みたいな物なんだよね?、つまりは最悪、一度負けたらお払い箱なんだ」
 少なくともレイと張った共同戦線で防御を担当した時、そうなるかもしれないと言う恐怖は一瞬沸いていた。
「う、うっさい!、そんなわけないじゃない!」
「あるよ」
 だからこその虚勢なのだが、シンジは冷静に看破する。
「だから僕は負けてもネルフに残れるだけの努力をしている」
 はっとするアスカ。
「努力って、なによ?」
 負け惜しみに近い口調だった。
「惣流さんは大学を出てるんでしょ?、ならネルフを放り出されても適当に生きていけるさ、どこかの研究室に入ってもいいんだし、だから誰も後のことなんか心配してなんてくれないよね?」
 それは真実の一端を突いていた。
「そんなことないわよ!」
 いや、あった…
 事実、父は既に見向きもしてくれなくなっているのだから。
「あるよ…、でもね?、研究をするならネルフが最先端だし、非合法な事だって出来るんだ、わかる?、惣流さんならMAGIへのアクセス権だって貰えるかもしれない、その可能性の話しをしてるんだよ」
「…可能性?」
「そうさ」
 シンジは調理を一段落した所で止めた。
 そして振り向き、話に引き込まれだしたアスカと視線を合わせる。
「エヴァは機密情報の塊だよ?、だからオペレーター一人でもその身辺の調査には物凄い手間がかかるんだ…」
「あたしにそんな事をしてろって言うの!?」
「違うよ…、必要とされる幅の話しをしてるんだよ」
「幅ですって?」
「そうだよ?、オペレーターは例の一つさ」
 シンジは考えをまとめるように一つ呼吸を入れた。
「エヴァに乗ったって事だけでも他人には無いキャリアだよ?、その運用、的確な指示、サポート、オぺレート、実戦経験に基づいたポジショニングの指示、それはどれも元チルドレンでなきゃできない事なんだ」
 それは、そうでしょうけど…
 納得してしまいそうな自分を感じ始める、それがわずかに焦りを生む。
「納得できない?、でもエヴァは壊れる、完全にじゃなくても修理だってありえる、その間はどうするのさ?、何をしてるわけ?、戦闘には出られない、なにもできない、ただ見てるだけなの?、ぼうっとして人の邪魔になるだけ?、お荷物扱いされるだけ?」
 反論できない、それも真実だ。
 ファーストチルドレンとの共同作戦により壊れた弐号機。
 そして今はやることもなくだらだらするだけ。
 アスカはギュッと唇を噛んだ。
「悔しい?、でもそれはチルドレンとして以外の能力を身に付けておかなかった惣流さんの怠慢が原因だよ」
 シンジは辛辣の言葉を投げかけ、だがすぐにフォローを吐いた。



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