「だから、さ、今からでも頑張らないの?」
 アスカは「え?」っと、そのシンジの言い様に興味を覚えた。
「今からでも遅くは無いんだよ…、これからでも頑張っておけば、直接戦闘には出られなくても邪魔だって思われずにすむように出来るんだよ?、必要な人間として関係していられるんだ」
「パイロット以外のことも出来るようになれってぇの?」
「そうだよ?、チルドレンである経験は君の可能性の幅を伸ばす代物なんだ、でも君は「エヴァのパイロット」、セカンドチルドレンって事で完結している」
 アスカは息を飲んだ。
「わかるだろ?、惣流には他に何も無いんだ、それは惣流がそこで終わっちゃってるからなんだよ」
「そんなんじゃないわよ!」
「違うよ、君も分かってるんだろう?、だから恐いんだ、その唯一で絶対のものを壊すかもしれない僕の存在が」
 パン!
 シンジの頬が鳴った、アスカの右の手のひらによって…
 しかし呆然としたのはアスカの方だった。
「あ…」
 アスカもわかっているはずなんだ…
 そこまで愚かではないと信じていた、だからこそ話を続ける。
「…わかったろ?」
 シンジは冷徹とも言える目でアスカを見据えた。
 それはどこか、父親に似た瞳で。
「中学校に行って、家ではだらだらとだらけてるのはどうしてだよ?」
「…あたし」
「その方が楽だからって分かってるんだろ?、やることがなくなって気を抜いた瞬間にだらけたんだろ?、でもエリートだからそれを言われるとバカにされたって反発するんだ」
「そんなんじゃ…」
「だらけてるのは本当の自分の姿じゃない?、本当の自分はエリート?、僕に言わせるとどっちが本当の惣流さんなんだよ?」
 ガクガクと膝が震える、もう一言あればアスカは逃げ出す、それはシンジにも感じられる。
 だがその膝を見てもシンジは続けた。
「本当の自分はエリートで僕、違う、みんなとは違う存在なんだ?、そんなにバカにして楽しいのかよ?」
「違う…」
「結局楽がしたいんだろ?、ほんとは楽しいことがしたいんだ、でもエリートの自分はそれを許すわけにはいかないから…」
「もういいわよ!」
「よくないんだよ!」
 アスカは逃げる足も封じられた。
「あ…」
 シンジの怒声に足がすくむ。
「ちゃんと考えろよ!、自分には嘘は吐けないんだよ!、惣流はほんとはどうしたいんだよ!」
「ど…」
 どうって…
「あたしは…、あたしはセカンド」
「そんなのは結局護魔化してるだけじゃないか!」
 シンジはアスカの深層を突いた。
「ほんとの自分はチルドレン、選ばれた自分を、自分を作るために消して来たから、今更楽をしたい俗っぽい自分を思い出すわけにはいかない、だから護魔化してるんだ、図星を突かれたら、人を叩いて、怒って!」
 最後の部分で、シンジは反論すらも封じ込めた。
 叩くわけにはいかない、それはシンジの言葉を肯定する事になってしまうから。
 だからアスカはリアクションを起こせなかった。
「もし…、もし僕の言う事が違うんなら受け流せばいいだろう?、それこそ勝手に決めるなってバカにすればいいんだ…、見下げればいいんだよ、どうなの?、できないの?」
 アスカは言葉も紡げない。
「出来ないんだ?、それはどうして?、自分の心に嘘を吐く事になるから?」
 まだ答えられない。
「嘘を吐いてもいいさ、でも苦しくなるだけだよ…、そしてその辛さを護魔化すためにまた嘘吐いていくんだね?、一人になっていくんだね?、そんなの…」
 シンジはアスカ以上に悲しい顔をした。
「辛いだけじゃないか…」
 無言の瞬間が訪れる。
「…あたしは」
「惣流さんが楽しい事を選びたいのならそれで良いと思う」
 シンジはぽつぽつと語るように切り出した。
「ただエリートって皮を被ったままじゃ自分を護魔化さなきゃいけないから、結局疲れてくだけだし、ほんとに楽しくはなれないよ」
「…どうしろっていうのよ?」
 シンジの言葉を受け入れ始める、その瞳はまるで迷子の子猫のようにおどおどとして。
「…ネルフに行って頑張るのも、学校に行って遊んで過ごすのだって、もっと素直にすればいいと思う」
「素直って何よ?」
「息が抜きたいんだろう?、ならそうすればいいさ、エリートになりたいんだろう?、なら頑張ればいい、でも、二つを混ぜることは無いじゃないか」
 シンジは肩越しにフライパンに乗っている野菜炒めを見た。
「今は家に居るんだよ?、ごろごろしたいんでしょ?、ならそうすればいいよ、息が抜きたいんでしょう?、僕はサードだからってここでこんなことをしてるわけじゃないんだよ?」
「…あんた」
「そうだよ?、僕の話だよ、これ全部ね?」
 アスカは今のシンジの瞳が見たいと思った、しかし背後に向けられていてそれは叶わない。
「ただ僕の事に惣流さんを当てはめて見ただけさ…、当たってた?、そんなに…」
 再びアスカに向き直る。
「僕は惣流さんじゃないから…、見透かしてるように思えたかもしれないけど、でもほんとはどうなのかわからない」
 瞳は先程までと変わらなく冷たい。
「でも、今はただゆっくりとしたいんだよ、惣流さんがセカンドで僕がサードだって言うのはわかってるよ、だからそれを持ち出すならネルフの中だけにしてくれないかな?」
「…そんなにチルドレンだって事が嫌なわけ?」
「そうかもしれない、でも僕はチルドレンだけやっているわけにはいかない」
「なんでよ?」
「もっと他に出来る事があるからだよ、だからそのための苦労はしなくちゃいけない」
「これもそうだっていうの?」
 アスカは顎をしゃくって料理を差した。
「そうだよ?」
 にこりと微笑む。
「ミサトさんだって気が張り詰めてるんだ、だから僕にこういうのを作らせてる、それは僕だから頼める事なんだろうし、僕もそう言った「期待」に答えられる「地位と信頼」を得られるように努力している」
「期待…」
 それはアスカの一番欲しがっていたものだった。
「きっかけは料理が出来るって事だったけどね?、それはエヴァも同じだよ」
「こんなのと一緒にするってわけ?」
 呆れたっとアスカは表情を和らげる。
「おかしい?」
「おかしいわよ…」
 ついくすりと笑んでしまった。
 お互いに。
「そうなんだけどね…、でも根本じゃ似たようなもんだよ、たまたまエヴァに乗れる可能性があったから僕はチルドレンなんだ」
「偶然だっての?」
「それも少し違うよ」
「苛付くわねぇ…、だったらなんなのよ?」
 アスカは緊張感が抜けたからか?、椅子に座って力を抜いた。
「エヴァも料理も、まず最初に自分って言うベースがあるって事だよ」
「ベース?」
「そう」
 シンジも椅子に座って、アスカと真正面から目を見合わせる。
「料理の出来る僕、エヴァを知ってる僕」
「知ってるって…」
「僕は初号機に母さんが吸収されるところを見てたからね?」
 ビクッとアスカは震え上がった。
「きゅ、吸収?」
「そうだよ?、そうやって死んだんだ」
「あんた…」
 そんなものに乗ってるの?
 その瞳の質問に、シンジは頷きをもって肯定する。
「でもきっかけなんてそんなもんさ」
「そんなものって…」
「僕は既にエヴァを知ってて、協力するつもりもあったし、だから乗せてもらえる事になった、でもこれはきっかけだよ、始まりにすぎないんだ」
「始まり?」
「料理だってそうだよ…、たまたま一人暮らしをしてる僕は料理を覚えてた、だからミサトさんはそれを都合がいいと考えた」
「…ええ」
「だから僕はその期待に添えるように頑張ってるんだ、でもそれ以外の事も期待してもらいたい、それは僕が頑張れる、僕に出来る事を増やすための、僕って人間を豊かにするための糧になるから」
「糧?」
「誰でも誉めてもらえれば嬉しいでしょ?」
 ああ…
 アスカは急に納得した。
「だから惣流さんにも聞くんだ」
「あたし、に?」
 シンジは叩かれた頬をさすりながら尋ねた。
「惣流さんは、エヴァに乗れるだけの自分でいいの?」
 感情が冷えた分、シンジの言葉は強烈だった。
「…あたしは」
「なにもない?、他に何も無い?、チルドレンだから?、エヴァの起動実験、実際の運用以外には必要ない?、違うよね?」
 シンジは柔らかい笑みを浮かべた。
「惣流さんはもう大学を出ちゃってるぐらいに頑張れる人なんでしょ?、ならもう少し頑張ればチルドレンとしてだけじゃなくて、ネルフって組織にとっても絶対に居なくちゃならない人になれるはずなんだよ、頭の良さはみんなに「もしかして」って期待してもらえるだけのものなんじゃないの?、なら「ほら、できる」って所を見せてやればいいじゃないか」
「…そうだけど」
 すねた様に口を尖らせる。
「ならどうしてそう言わないのさ?」
 得心のいったアスカに、シンジは満足げに頷いた。
「惣流さんは直接リツコさんに口が利けるんだよ?、これってどんなに凄い事か分かってるの?、ネルフのトップに近い人なんだよ?、リツコさんは」
「だからって…」
「そうやって可能性を否定するわけ?、チルドレン以外のエリートへの道だってあるんだよ?、エヴァに乗れるのは自分だけだからって、そう言う事にしたいの?、なら僕や綾波…、ファースト、それにこれから選ばれるチルドレンを殺していくしか無いじゃないか?」
 微笑んだままにしては言葉がきつかった。
「エヴァは君でなきゃ動かせない、だから君が傷つけられることは無いさ、だから今さっき僕の頑張りや何もかもを否定したように、人の心を傷つけて逃げ出すように仕向けて、ほうらやっぱりって嘲って生きていけばいいよ、そうやって自分を守っていけば、でも、それじゃあ…」
 シンジの言いたいことは真実でもある。
 冷えた頭だからこそ、咀嚼して受け入れられる内容だった。
 アスカは意味も無く天井を見上げた。
「最低な人間よね…、あたしって…」
 シンジはたっぷりと間を置いた。
 それが必要だと思えたから、でも永遠にするのも恐くなった。
 存在意義を否定した事に、アスカのイデオロギーの消失を感じて寒くなったのだ。
 少し焦った声でシンジは再開した。
「でも惣流さんはそれに気がついた」
 アスカは顔は上に向けたままで、目だけを下に、シンジに向けた。
「それとも、そんなことも分からないほど愚かしいの?」
 最上級の侮辱だった。
 なによなによなによ!
 こいつ嫌い!
 絶対に許さない!
 アスカは怒りと恥辱を感じた。
 なんでこんな奴がチルドレンなのよ!
 人を子供みたいに扱っちゃってさ…
 でも、でも…
 明らかに相手の方が大人だった。
 子供なのは、あたしか…
 それがアスカは悔しかった。
 だからシンジが立ち上がっても動けなかった。
「…惣流さんの分もあるから、気が向いたら食べて、それじゃ」
 シンジはエプロンを外し、椅子の背にかけ、玄関へ向かって廊下に消えた。
 この瞬間には、アスカの思考はシンジへの興味に傾いていた。


 そう、あたしは確実に成長している…
 与えられたレールを走るのではなく、自分で選んだ道を踏み固め、そして価値ある存在を目指している。
 それはあたしに求められてる道じゃないんでしょうけど…
 チルドレン足ること、エリートであること、その「内訳」にはない事柄かもしれない。
 でもあたしは満足してるわ?
 惣流・アスカ・ラングレー。
 その形を自分で選び出した事に、作り出していける事に。
 試行錯誤できる喜びに、それは生きていると言う実感を多分に与えてくれる事だから。
 そう、無駄な時間は何処にも無いのよ…
 だらけてちゃいけない。
 シンジの「叱咤」を思い起こす。
 気を抜く時は気を抜く、楽しむ時は楽しむ、…そして頑張る時は頑張るのよ。
 今はやるべき事のある時だから。
 だらけているのは時間を無駄にしているだけだから。
 ならちゃんと休息を取った方がマシだから。
 さあ行くわよ?、アスカ。
 アスカは「素人」なりにリツコと意見を交換し、その知識の懐を増やしていた。
 リツコという博識から飛び出す専門用語の羅列と、それを理解し咀嚼できるだけのアスカの頭脳が見事にマッチしていた。
 リツコはアスカの学習能力の高さに教える事の快感を見いだし、アスカは知ることによって出来る事、想像する事の幅を増やしていた。
 これもシンジの言った通りよね?
 関係、関り合いは見逃さなければきっかけにできる。
 後はそのきっかけを逃さずに、関っていけるだけの能力を、その素地を用意しておけばいい。
 そしてアスカはリツコの講義によってそれだけの知識を得た、それは惣流・アスカ・ラングレー『博士』の誕生を意味していた。
 これが始まりなのよ。
 リツコとの意見交換によって、「素人」なりの新技術、兵器を考案していた、その設計図や理論概念図はMAGIによってこちらに送られているはずだが、開発には結局の所『科学者としての直感』を必要とする。
 ううん、でもそれだけじゃダメなのよ。
 実際に作り上げるのは技術者である、だがアスカはその部分をリツコの勘に頼っていた。
 だからここからは、ドイツ支部からは『技術者としての直感』を学び取って帰らなければならない、でなければ少なくともリツコには追い付けない。
 ただ機械を組み上げるための勉強であれば、本を読むだけで何とかなる。
 だが一から想像するために必要な能力は、それこそ『実習』をくり返さなければ身につかない。
 そしてネルフは、それに関してもおそらく世界で一番経験の積める場所であった。
 誰にも負けない、本当の一番になってやるわ。
 そのためには自分よりも優れている人間を認めなければならない。
 その人間から貪欲に学び取らなければならない。
 それが謙虚さなのだとはアスカは気がついていない。
 そしてもう一つ、まだ気のついていないことがあった。
 シンジの言葉、息を抜く時には息を抜く、それがどれだけ大事な事なのかと言うことを。
 再び盲目的に張り詰めなかったのは、シンジや友達と言うふざけ合える同級生との触れ合いを素直に受け入れるようになったからだ。
 ばかシンジぃ!
 そうやっていられる自分、また楽しいと感じている自分。
 そんな自分を微笑んで、にやけられるようになった事。
 それが二の轍を踏まないだけの、自分を見返せる余裕を与えてくれていた。



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