(本音をごまかしたままで付き合いたいっていうのは、後ろめたさがあるからなんだよ。都合の良いところだけを上手く擦り合わせて付き合ったって、好いことなんてなにもないんだ。アスカはそれを、教えてくれた)
昔の僕なら、そう思う。
(喜んだだろうな……そんな付き合い方。でも今はもう駄目だよ、僕はアスカと行くとこまで行っちゃったからね)
あれ、これ、それ、どれで全てが通じる仲にまで行き着いてしまった今となっては、今更また長い時間をかけて、そんな人を得ようだなどと、面倒過ぎて考えられない。
どれだけの時間が懸かったのか、どれだけのぶつかり合いがあったのか? それこそ殺し合いにまで発展したことも二度や三度ではないのだ。
(お互い途中でやめたけどさ)
さすがに怖かったからである。
たった一人で、あのような世界に取り残されてしまうなど、怯えが走ってできなかった。
──嫌い嫌い嫌い、大ッ嫌い!
くすりと笑う。
(あんなこと、普通だったらきっと途中で嫌になって別れてるよね。でも僕たちは二人だけだったから、行くところまで行くしかなかった。でなかったら僕も、アスカも、他の人に逃げ込んで……)
実際、滅ぶ前の世界では、それをしていた。
自分は別の少女に、彼女は大人の男性に。
そして少女は他人に替わり、男性は帰らぬ人となった。
一番逃げたいものから逃げ出し、当たり障りのない人の元で護魔化していた。その結果が、ああだった。
(……この想いを、マナに説明しようなんて思わないよ。勝手にすれば良いさ……。だけど、利用されるのはもうごめんだ)
どうしてなんだよと愚痴を言う。
(僕はね、アスカ。アスカとのことをとても大事に思ってたんだよ? だからその想い出を胸に逝こうって心で決めてたのにさ……、どうして……、どういうことなんだろう? 何か意味があるんだろうか? 僕はなんのために、こんな嫌な想いをさせられているんだろう……。本当に意味なんてあるんだろうか?)
これじゃあもう、アスカだけを想って逝くことなんてできないよ……。シンジはそんな風に思って、背筋を伸ばし、壁に背中を押し付けた。
──瞼を開く。
制御室の中。
シンジの目前では、弐号機の起動実験が、いま行われようとしていた。
「大丈夫そうですね」
マヤの言葉に聞き耳を立てる。
「前回のチェックから放置していたわりには、大きな狂いはありませんね」
傍のリツコが返事をした。
「少しばかり放置してたくらいでおかしくなってしまうようじゃ、兵器としては役に立たないわ」
「故障は多いんですけどね、計測用の機器に」
まあねとリツコは軽く返した。
「実際の話、シンクロするためのシステムさえ無事なら、問題はないのよね。素体との神経接合さえ確立できれば、機械的なものは何一つ必要ないんだから」
顔を上げる。
「それにしても、ドイツから送られて来たこれが、第一会戦に間に合っていればね」
「そうですね。梱包を解く間もなく、使徒が襲来しちゃって。その後だって、初号機のチェックとかが優先されちゃって、弐号機のために作成していたスケジュールは、全部延期で……」
「これで起動できたとしても、まだ遅延していた分を取り戻せるだけなのよね」
聞き咎めたのか、少し離れた場所で聞いていたミサトが口を挟んだ。
「実戦にはどうなの?」
「さあ? どうだか」
「ちょっとぉ……」
「実際、どうなのかわからないのよ。あなたもどうして弐号機がドイツから本部に移送されたのか、知ってるでしょう?」
ミサトは渋面で頷いた。
「向こうじゃ手に負えないからっていうんでしょ? でも実際には予算の都合……」
「そうよ。エヴァの開発には膨大な予算が必要になるわ。結果を出せなければ首を切られるだけじゃすまないほどにね。私服を肥やすにも命がけのお荷物なんて、誰も扱いたがらない、そうでしょ?」
「その結論が、赤木博士に任せてしまえば良いってことに繋がったってわけね」
「手間ばかり増やしてくれるわ、ほんと」
「で?」
「ん?」
「あたしが訊きたいのは、この弐号機が初号機みたいにはならないのかってことよ」
リツコは口元を僅かに歪めた。
「……システム上、あり得ないことではないわ。一応同じものだしね」
「でも弐号機は、量産のために組み上げられた、金型用の機体なんでしょ?」
「だからこそ、3号機以降の計画について、見直しが始まってるんじゃない」
そっかとミサトは了解した。
しかしはたで聞いていたシンジは、その会話に別の不審を抱いていた。
(今、適当に合わせたみたいだったな、リツコさん)
癇癪持ちのアスカに、正に死ぬまで付き合ったのだ。その程度の洞察力は培っている。
(弐号機と初号機って、なにか違うのかな?)
ふいにシンジの脳裏に、あの白い巨人のことが蘇る。
(エヴァンゲリオンか……)
彼は意識をそこへと移動させた。
(そうだよ、アスカはエヴァに襲われたんだ。それから世界が終わったんだ。ならサードインパクトっていうのは誰かが起こそうとして、起こしたことなんだよね)
誰が?
(父さんが?)
いやそれはないなと否定したのだが、それだと『彼女』のことが繋がらなかった。
(綾波か……)
「シンジくぅん?」
シンジは反射的に、はいと答えてしまっていた。
まあ悩んでみても仕方のないことだなと思索を打ち切る。
「なんですか?」
「マナと喧嘩したんだって?」
嫌悪を顔に浮かべる。
「耳、早いんですね」
「マナが落ち込んでるってんで、みんなおたおたしてんのよ。で?」
「なんて言ってました?」
「それがねぇ」
にひひと笑う。
「逆に聞かれちゃったのよん! シンジ君と付き合ってた人って、どんな人だったんですかってね!」
「はぁ?」
「一応プライベートなことだから、ノーコメントって護魔化しといたけど」
このこのと肘でつつく仕草でからかう。
「隅に置けないんだからぁ。前に住んでたとこの子なんでしょ? その子」
「……知りませんよ」
「嘘」
「嘘じゃないです。調べてみればすぐにわかりますよ」
「おっしゃ! 許可が出た」
「って本気ですか」
「あったりまえじゃない!」
「…………」
何もかも言う気が無くなって脱力する。
「まあ、良いですけどね」
顔を上げる。
「でもこれで弐号機が動いたら、僕はお払い箱ですか?」
「え? なんでそんな話になるのよ?」
「だって初号機は凍結なんでしょう?」
「一応弐号機との起動試験をしてもらうわ」
これはリツコの言葉である。
「そのシンクロ値次第ね」
「そうなんですか」
「マナの体のことを考えれば、予備パイロットは必要なのよ。弐号機の起動に成功したからと言って、頼れるほどの強さを持った子ではないしね」
ふうんと強化ガラスの向こうの弐号機の顔を眺める。
そんな様子を観察しているリツコに対して、ミサトは問いかけた。
「どう思う?」
「演技だとしたら、相当なものね」
「素だと思うけど……」
「だったらあの現象は、シンジ君が意図的に起こしたものではないということになるわね。初号機からのなんらかのアプローチがあったと考えるべきだわ」
「ならシンジ君を、弐号機に乗せられる可能性が出て来たか……」
「でも彼自身が自分の資質に気がついてないって可能性もあるわけだから」
「どのみち試験をしてからね」
「そうなるわね」
さもマナのことを相談していたかのように言葉を続ける。
「マナ、どう? 調子は」
大丈夫ですとの答えが戻る。
「よろしい。それではフェーズ3に移行します」
起動試験はつつがなく進行し……
そして、夜が訪れた。
●
「あったくもぉ……」
不機嫌な様子でミサトは愚痴った。
「なんでこんな時間に呼び出されなくちゃなんないのよ」
「寝てたの?」
「寝てたに決まってんじゃない!」
「うっぷ。ビール抜けてないじゃない」
リツコはポケットから錠剤を取り出して渡した。
「二錠よ」
「へいへい」
文句を言わずに手に取り呑み込む。
アルコールを抜くための薬だが、効き過ぎるために頭痛が起こる。
「きくぅ〜〜〜」
「そこに夜勤用のスポーツドリンクがあるわ。それ飲んどきなさい」
「ありがと……」
五百ミリリットルのボトルを手に取り、がふがふと呑む。
アルコールは脳の中にまで侵入する、これが揮発することで脳は水分不足に陥る。このために起こる痛みを二日酔いと言うのだが、先の錠剤はこれを促進させるものだった。
だからこそ、ドリンクで水分を補充しようと言うのだが……。
「呑み過ぎよ」
「まだ三本目よ」
「十分じゃない……」
「シンジ君とマナは?」
「じきに到着するわ」
二時かと呟く。
正面の巨大モニターを見上げると、闇夜の空を、何かが浮遊してくるのが見て取れた。
戦略自衛隊の哨戒機や、地上部隊のライトアップを受けて、暗い青色の照りを返し、異様な荘厳さを見せつけている。
暗闇から、徐々に、徐々に、浮かび上がる使徒の姿に、女性職員の何名かが、ほうっとみとれて、声を洩らした。
「奇麗……」
ライトアップされた使徒は、星を背に、どこか人ならざるものの造形美というものを感じさせていた。
青い色は、鏡面の奥の色であるらしく、その青の中にまた無数の小さな光が泳いでいる。
正八面体の物体。第三新東京市の方角へと進行しているのは、一辺が百メートルを超える、そんな巨大な存在であった。
「で、どうなってんの? 戦自が手を出さないなんて」
「恐れているのよ」
「恐れて?」
「ええ。先の戦闘で、エヴァが南極の物体のコピーであることを公表してしまったじゃない? ならそのエヴァと同じであるらしい使徒もまた、本当にセカンドインパクトを起こせる存在なんじゃないかってね? 下手な手出しを控えているのよ」
「悪くすりゃネルフも解体の憂き目にあうわね」
「……それはどうかと思うけど」
「なんで?」
「だってエヴァの建造は、国連が正式に認可したものなのよ?」
「下は知らずとも、上にとっては周知の事実か」
「そんなものまでも利用して勝ち残ることを選択した。今更その決定を覆すつもりは無いってところでしょうね。それを否定するつもりなら、エヴァに代わる、使徒に通用する代替兵器を用意しろ。ってところだろうし」
「…………」
「なに?」
「本当にそんな兵器が作れると思う?」
「作れないからエヴァが造られたんでしょう? それに」
「ん?」
「MAGIでもわたしでも無理なものを、他の誰が作れると言うの?」
そんな、あまりにも自信のみなぎる赤木リツコ博士の態度を、おーおーとミサトはからかった。
「さっすがぁ! 天災博士♥」
「…………」
「なによ?」
「いえ、なにか引っ掛かるものを感じただけよ」
ミサトはぺろっと舌を出した。
街の灯の向こうに現れた使徒は、クリスタルの輝きを持って圧倒的な迫力を生み出し、見せつけている。
プラグの中に沈んだマナは、ぼんやりとシンジとミサトとの会話のことを反芻していた。
「悪いわね、こんな時間に」
──発令所。
「眠い?」
「大丈夫です。使徒は?」
「第三新東京市から三十キロの地点よ。到着までは一時間と言ったところね」
「僕は?」
「まだよ。でもいざとなったら、出てもらうから」
出したくないという思いが強く窺える言葉だった。
暴走した初号機は、発令所からの命令を一切受け付けなくなるのだ。停止させることも、自爆させることもできなくなるということがある以上、実は使徒と全く変わらない脅威なのである。
「とりあえずは、弐号機で様子見よ。他に手もないしね」
緊張気味のマナに、ミサトは悪いわね、と言葉をかけた。
プラグスーツであるからか、体を強ばらせているのがよくわかる。
「でも良いんですか?」
訊ねたのはシンジだった。
「前は止めてたのに」
「今回は医師から許可が下りてるのよ」
「そうですか……」
「そんなに心配なの? マナのことが」
マナの体がビクンと震える。
恐る恐るシンジを見る。
シンジはその顔に、アスカのすがるような表情を重ね合わせて見てしまっていた。
──アスカ。
「だめですか?」
「なに?」
「心配しちゃ、だめなんですか?」
まるで使徒と対しているときのような真剣さだった。
「好きじゃなくても……嫌いでも。それが知ってる人なら、心配したっていいじゃないですか」
「それはそうだけど……」
ミサトはパイロット搭乗願いますとの声に、逃げるように話題を切った。
「市街地の避難が完了するまで時間を稼がせて」
周囲を飛ぶ飛行艇が、星の瞬きを与えてきらびやかさを演出している。しかし現実には使徒は見た目ほど甘い存在ではなかった。
「使徒周辺に重力場の変動を検知!」
「なんですって!?」
「強力な磁界が発生してします! 電波状態が……」
「なにをす……」
ミサトの言葉は、モニタからの発光と、スピーカーからの爆発音によって遮られてしまった。
「あ……」
外周を一周するように打ち出された閃光が、周囲を飛ぶ『かとんぼ』を撃墜していた。
火の点いた燃料をまき散らしながら、多数の兵器が落ちていく。
「なに? 今のは……」
「レーザーか……なにかでしょうね」
さっそく映像がリプレイされる。
鏡面の一点に波紋が浮かんだと思われた次の瞬間、そこから光条が放たれていた。
放たれた光は使徒中心部からのものだった。その証拠に使徒の中央を基点とした軸を描いて、くるりと外周を一回転して終息した。
その様はまるで巻き付けていた鞭を解放したかのようだった。使徒の周囲を飛んでいた飛行艇は、これの熱と衝撃波によって空中分解し、爆発していた。
炎を纏って墜落して行く。
爆発が地を彩った。
ぼんやりと暗闇の中に、山の稜線が浮かび上がる。
その映像に、皆完全に見入ってしまっていた。
「弐号機、発進準備完了です」
はっとする。
「わかったわ。弐号機射出。マナ? 市街地に逃げ込んで、ビルを盾に」
『了解』
「発進!」
『くっ!』
「マナ!」
『はっ、はい!』
この時マナは、よく反応したと言えた。
「使徒内部に発光現象!」
「かわして!」
『きゃあ!』
必死にレバーを繰り、真横へ避ける。使徒からの光線は、エヴァを送り出した固定台を、一瞬にして融解せしめていた。
しかし。
「使徒内部に高エネルギー反応! 周円部を加速。収束していきます!」
「まさか加粒子砲!?」
「マナ、撤退して!」
撤退もなにもない。既に身を投げ出すようにしてかわしていたマナには、起き上がるだけで精一杯だった。
──きゃああああああ!
悲鳴が上がる。
「マナ!」
弐号機の左足が千切れ飛んだ。
「シンクロカット早く!」
「アンカー射出! 強制収容!」
ミサトはぎりっと歯を噛み鳴らした。
憎々しげに使徒を睨みつけて。
Bパート
邪魔者は排除できたと判断したのか、使徒はアンカーによって引きずられ、収容される弐号機を完全無視して、悠然と街の中心部に向かって侵攻を再開した。
ビルの谷間に静止して、腹の底から原始生物の生殖器に似た突起物を排出する。
ゆっくりと回転するそれの先には、レーザーによる先端部が形成されていた。
ドリルである。
使徒はこのドリルを地面に突き刺し、ゆっくりと地に穴を穿ち始めた。
「状況は芳しくないわね」
──作戦司令室。
地上にカメラを設置してきたのは、特殊部隊の隊員たちである。
ミサトは彼らにねぎらいの言葉をかけると、どうしたものかとその映像を見つめた。
「これを」
補佐役の日向マコトが、威力偵察の結果を手渡す。
「攻撃に関しては無敵のATフィールド、一定範囲内に入る敵については自動排除か……。まさに空中要塞ね……」
「ただそれだけに、反応の予測がしやすくて助かっていますが」
「こちらから手出しをしない限りは、か……」
「はい。ですが手を出さなくとも、十時間後には」
「わかっているわ。それで、マナの容態は?」
「はい」
手にしているファイルをめくって、医師からの報告書を探し出す。
「シンクロ率の低さが彼女の命を救いましたね……。フィードバックによる影響は無しです。ただし、脳波に若干の乱れが見られるそうです」
「まさか精神汚染じゃ……」
「いえ、電気系統のショートによるシンクロシステムの破損が原因のようです。こればっかりは時間の解決を待つしかありませんね」
「そう……」
ミサトはペン尻で頭を掻いた。
弐号機は使徒の脇に放棄したままだ。その上マナも動けないとなると……。
「とりあえず初号機とシンジ君の出撃許可を取るしかないか」
「そうですね」
ミサトはようやく、部屋の片隅で黙っていたシンジへと声をかけた。
「悪いわね」
「いえ」
「結局出てもらうことになるけど……」
ミサトは何かを恐れるようにして訊ねた。
「怖くないの?」
「え?」
「マナがあんな目に合ったって言うのに」
シンジはああと納得した。
「そりゃ……怖いですよ。寒気がするくらいです」
「とてもそんな風には見えないわね」
「でもなんとかしなくちゃいけないんでしょ?」
「ええ……。ごめんね、あなたにやってもらうしかないのよ」
「なら頑張ります」
「お願いね」
ミサトは今ひとつ覇気の無いシンジの答え方に、若干の不安を感じていた。
エヴァンゲリオンケージ。
開封された初号機のエントリープラグの中に、シンジは静かに腰かけていた。
インダクションレバーを握り込み、じっと黙して思考している。
「初号機の暴走」
──会議場。
「よもやあのような形で、S2機関を取り込むとはな」
誰かがそうだなと同意する。
「やはり初号機は動かすべきではなかったか?」
「そういうことではないのかね?」
「碇ゲンドウ君」
下が現実的な問題に直面している頃、上は今後の展開についてを協議していた。
老人たちが碇ゲンドウを責めている。ゼーレと呼ばれる一団の首領、あるいは幹部連による突き上げであった。
「……現有戦力による迎撃、全ては予定通りのことです」
「弐号機はどうしたね?」
「初会戦の準備不足は明らかに失策であった」
「二次会戦の失態はパイロットと作戦部の教育不足から起こった事態だろう」
「そのツケが今に来ているのではないのかね?」
長の席に着いている老人が、皆の暴走気味の興奮を諌めた。
「だが碇でなければ間に合わせることができなかったのも事実だ」
シンとなる。
「現実に零号機、初号機の代替機となるはずであった弐号機のロールアウトは遅れ、使徒襲来の一月前になって、ようやくドイツより送り出すことができたのが関の山だった」
一人が渋い顔をした、どうやらヨーロッパ方面の取りまとめ役であるらしい。
「その他の開発についてもだ、武器兵装の開発が追い付いているのもまた碇の治める本部のみだ」
今度は全員が口をへの字に曲げた。
「初号機の使用については制限を設ける。が、これは禁止するものではないとする」
「了解です……」
「だが碇、勝てるのかね?」
その質問こそが誰もがしたかったものなのだろう。
皆ゲンドウの次の台詞に注目した、そして……。
「そのためのネルフです」
ゲンドウの言葉は、皆の期待を裏切らなかった。
(僕は……)
シンジは悩んではならないことを悩んでいた。
(僕は負けても良いと思ってるんだ)
シンジはグリップを強く強く握り込んだ。
(負けたって死ぬだけなんだ。もう死んでる僕は、死ぬことなんて恐くないんだ。それよりも今の方が恐いんだよ、ミサトさん)
自分の心に唾を吐く。
「つまんない……。どっちが感傷なんだよ」
こんな世界、滅んでしまえば良い。早く消えてしまえば良い。
確かにそう思っている自分が居るのだ、なのに。
(ごめん、ミサトさん。もう嫌なんだ、これ以上アスカとの思い出を薄れさせたくないんだよ。だから、僕は)
──でも、逃げ出して、マナやみんなが傷つくところも、見たくもない。
シンジは馬鹿野郎と罵った。
自分のことを。
トウジたちのことは切り捨てているくせ、気になる女の子たちには甘い、自分のことを。
「シンジ君……」
そんなシンジを監察していたマヤが報告を入れる。
「凄いですね、この数値」
「まったくよ」
リツコもマヤの意見に同意した。
「脳波正常、若干の緊張は見られるものの……。まったく」
信じ難いとかぶりを振った。
「マナがあれだけ酷い目に合ったっていうのに、怯えもしないで」
ちらりとミサトの反応を窺う。しかし彼女は苦悩に顔を歪ませていた。
恐る恐る訊ねる。
「シンクロテスト……しない方が良かった?」
「いえ……。してくんないと、作戦の立てようもないしね」
「そうなんでしょうけどね……」
リツコはハァッと盛大に溜め息を吐いた。
前回の暴走騒ぎの後、初号機はそのまま封印行きの憂き目に合い、パイロットとの再調整は行われぬままとなっていた。
今作戦への投入に際して、その未調整部分を解消することとなったのだが……。
「シンクロ率が桁違いに跳ね上がってるだなんてね……」
マヤが余計なことを言う。
「ATフィールドもですよ。出力から見て、先の使徒の攻撃くらいなら簡単に跳ね返せます。S2機関は眠ったままなのに……」
そのことが怖いのだとミサトは胸中で毒づいた。
これで休眠状態にあるS2機関が稼働した場合、どのような結果がもたらされるのか?
「……即サードインパクトということはないはずよ」
「リツコ……」
「無論可能性の問題でしかないけど、とりあえず今後のことは考える必要は無いわ」
「どうして?」
「ここでしくじれば……使徒の侵攻を許したとしても、初号機の暴走が引き起こされたとしても、どっちにしろサードインパクトで全ては灰よ。逆に上手く行ったなら、後の作戦は零号機と弐号機によって行われることになるわ」
「零号機?」
「ええ、さっき国連で採択されたそうよ。初号機の再封印と戦力の補充案がね。初号機が無くても弐号機がある。その考えがいかに甘かったかを思い知らされて、考え直したというところでしょうね」
「……ぎりぎりなのよね」
「そういうことよ」
それからもう一つと、リツコはプリントした用紙を手渡した。
「なによこれ?」
「プレゼントよ」
「嫌な予感がするんだけど……」
本当に嫌そうに受け取るミサトである。
「なにこのグラフ?」
「使徒内部のエネルギー量よ」
「右肩上がりじゃない」
「そうよ」
メインモニターに目を向ける。
「あの位置に静止して以来、使徒はずっとエネルギーをチャージし続けているのよ」
「……なんですって?」
「最終的には穿孔中のドリルブレードの先から放出するつもりなんでしょうね」
「ここに直接攻撃を?」
「予測数値なんて割り出したくも無かったけど……。最終的なエネルギー量がそのまま放出されれば、本部どころかジオフロント全体が融解することになるわ。地殻にまで撃ち込むつもりかもしれない。天井都市はその熱量で膨らんで……」
ボンよと、手で弾ける様を作って見せる。
「これがもう一つの、今後のことを考える必要がない理由よ」
ミサトも悟ったのか、瞼を閉じた。
(そういうことか……)
エヴァによる迎撃の失敗は、即本部の崩壊に繋がるのだ。
ならば、死なば諸共。本部の自爆という選択肢を選ぶのが最上の判断だということになる。
無駄死にではなくなるのだから……。
「リツコ……」
「なに?」
「シェルターに退避してる人たちを逃がすことはできる?」
「……可能ね」
マヤに指示して、メインモニターに表示させる。
「この通りよ。シェルターは幾つかの通路を使って繋がってるわ。ちゃんと指示すれば作戦時間までに郊外に誘導できるはずよ」
言ってからリツコは、ミサトに小声で忠告した。
「駄目よ」
「リツコ……」
「本部職員に避難命令は出せないわ。混乱を引き起こすだけよ」
「……そうね。そうなんだけど」
「第二次戦闘の経緯を考えれば、市民を避難させることは当たり前だと納得させられるでしょうけど、それ以上は無理よ」
ミサトが葛藤を断ち切り、わかってると答える迄には、少しばかり長い時間が必要になった。
「でも……、単純な策は取れないとなると、難しいわね」
ミサトの台詞に腹心のマコトが質問をする。
「初号機の単独出撃は避けますか?」
再び作戦室である。
「使徒の研究の遅れが……悔やまれるわね」
「一応前回の使徒の死体が回収されてはいるんですが……」
「うぐ……思い出させないでよ」
「すみません」
言った本人も青くなっている。丁寧に拳で突き潰された巨大な死体は腐敗も早く、見ているだけで気分が悪いものになってしまっていた。
揚げ句、蝿や蛆が涌き、ゴキブリやネズミまで出て、食い散らかす始末である。
完全防備のクリーンルームなど用意できなかったのだ。肉塊の量があまりにも大き過ぎて。
「一応、初会戦の記録からデータを起こしましたが……」
「ATフィールドを中和したところで無駄か……」
「おそらくは。兵装ビルからの攻撃くらいでは、外皮を傷つけることすらできないでしょうね」
ミサトが考えたのは、エヴァをシャフトの途中に配置し、地下からATフィールドの中和を行わせるというものであった。しかし、中和したところで後が続かないのであれば、意味がない。
「結局は肉弾戦しかないのか……」
「一応、めぼしい兵器のリストを作成しましたが、使えるのはこれだけですね」
「陽電子砲? 戦自研のプロトタイプね」
「うちの陽電子砲も後少しで完成する予定ではありますが」
「何時間ぐらい?」
「突貫作業で三十時間と出ています」
ミサトは口汚なく罵った。
「これじゃあシンジ君に何を言われても仕方ないわね」
「は?」
「リツコが気にしてたのよ。シンジ君に用意が悪いって言われたことをね」
「ああ……」
「やっと技術部の連中も、切羽詰まってる状況なんだって自覚が生まれて来てるって喜んでたけど……」
「もう遅過ぎる……ですか?」
「後悔して、投げやりになられちゃ困るんだけどねぇ……」
しかしミサトの心配を余所に、技術部の作業員たちは燃えていた。
「鬼気迫る勢いね……」
「そうですね」
「なんでまた……」
様子を覗きに来て唖然としているリツコである。
「どうやらマナちゃんのことが効いたみたいですね」
「マナのことが?」
「はい……自分たちが何も用意できなかったせいで、マナちゃんに無理な戦闘をさせることになったんだって」
「ああ……」
「だから、せめてもって感じですね」
「なるほどね……」
しかしとリツコは考えていた。
「問題はどの程度役に立つのかということなのよね」
巨大な盾の横を通り過ぎる。
「SSTOのお下がりで作った盾ですか……。一応試算では十五秒は保つと出ています。誤差は二秒と言ったところですね」
「それも先の攻撃からサンプリングしたデータで出したものでしょう?」
「はい」
「今、使徒の中には核爆発を上回るエネルギーが蓄えられているのよ? もしそれが初号機に向けられたら」
「…………」
「盾なんて役に立たないわ。解放されたエネルギーは巨大な光球を作り出し、エヴァを完全に呑み込むでしょうね」
「光の中で、蒸発、ですか……」
「でも使徒は地下への攻撃を優先するかもしれないわ。そのために初号機への攻撃には使い渋りをするかもしれない。そう考えれば盾は完全に無駄ってわけでもないのよね。でも」
「そうですね、邪魔な敵を排除してから改めてってこともありますもんね」
「賭け……なのよね、これは」
非常に分が悪いとほぞを噛む。
「一応、使徒に見られる自衛反応から、自己保存本能があるのだとはわかっているけど」
「それだけが頼みの綱ですか」
「期待するしかない……。心許ない話だけどね。それでも使徒自身が自分を傷つけてまで戦うようなことは無いと信じるしかないわ」
「葛城さんは超長距離戦を想定していたようですが」
「論外よ、話にならないわ。あれだけのエネルギーを遠慮なく撃ち出せるようにしてやるなんて、勝負を投げるようなものよ」
「……ですね」
「でも希望的になれる話が一つだけあるのよ」
「え?」
リツコは深刻な顔つきで作業員を見た。
その顔つきの一つ一つを。
「え……」
驚いた顔をする。そんなシンジに、リツコは説明をくり返した。
「作戦案は二つ、一つは初号機のATフィールドをあてにした作戦よ。市街地の攻撃施設を稼働させて牽制をかけ、初号機を紛れ込ませる」
「できるんですか?」
「使徒の光線の発生機関はおそらく一つよ。それは使徒の中心部にあるの。だから戦自の重戦闘機に対しては、全周囲に一回転する形で放っているわ」
ミサトがデータを表示させる。
「使徒は自動的に敵を排除するように働くわ。だから牽制をかけるのよ。攻撃を受けた使徒はすかさず全部のビルを破壊しようとするはずよ。シンジ君にはその隙を突いて突入してもらいます」
「街を囮に使うんですか……」
そうよと二人の女性は頷いた。
「使徒には二つの攻撃パターンがあるわ。一つはこのレーザーによる攻撃、もう一つは加粒子砲。でもレーザーならば初号機のATフィールドで防げるわ」
「大した攻撃じゃないから無視できるってことですよね?」
「そうよ。だから安心して使徒のレーザー網をかいくぐって」
(それを言うならレーダー網なんじゃ)
不安になって来るシンジである。
「あの、それで、もう一つって言うのは」
「初号機の機動力をあてにした作戦よ」
「機動力?」
「ええ。覚えてる? 前回の戦闘であなたが何をしたのか」
困惑するシンジにリツコは教えてやった。
「あなたはね、瞬間移動をしたのよ。エヴァで」
「瞬間移動?」
「ええ。もっとも、本当のところはわからないわ。ただそうとしか言えないことをしてみせたの」
「はぁ……」
「これは極秘事項なんだけど……」
ミサトに対し、あなたも黙っていろと口止めをする。
「エヴァの体はね、使徒と同じものでできてるの。粒子と波、両方の性質を持った光のようなものでね? つまりは必要に応じて『薄く』することで、物質をすり抜けることも可能なのよ」
「本当ですか?」
「と考えられるという話よ。これなら使徒が突然現れることも証明できるしね」
「だからって、再現しろって言われても……」
「それがリスクの一つなのよ」
シンジは嫌そうな顔つきになって不満を言った。
「どっちみち、リスクはあるってことですよね?」
「そうよ。支援攻撃は煙を起こすからあなたからも視界を奪うわ。つまり高速移動による接近ができなくなるのよ。ビルに突っ込んだりしたら? しかもそれが兵装ビルだったりしたら? それこそ目も当てられないことになるわ」
なるほどと納得してしまうシンジである。
「かと言って、のんびりと接近する余裕もない……。加粒子砲への切り替えを許してしまうことにもなりかねないしね」
「両方の好いところを組み合わせることはできないんですね……」
シンジは暫く悩んでから口にした。
「ちょっとだけ……考えさせて下さい」
「長くは待てないわ」
「はい」
「一時間、それが限界だから」
「わかりました」
ミサトとリツコは苦しむようなシンジを送り出し、それから互いに嫌悪し合った。
「肝心なことは隠したまま?」
「リツコだってそうでしょうが」
「シンジ君、死ぬことになるわね、どの道……」
「なら効率的に死んでもらうのが一番よ、そうでしょう?」
お互いに顔を歪める。リツコは使徒の攻撃が想像も及ばないほどに苛烈であることを隠していた。しかしミサトのそれはもっと酷かった。
そのようなエネルギーを生成している使徒が、爆発したなら?
地上に太陽が生まれることになる。
ジオフロントは……上手くいけば助かるだろう。光と熱と衝撃波が地上を舐めたとしても、多くは天へ地へと広がって、地下をえぐり取る力は少ないものですむはずだった。
関東全域が消滅することになったとしても……。
シンジが消え去ることになったとしても。
初号機のケージ。作業員たちの何人かは、アンビリカルブリッジの上に立つ少年に目を向けていた。
シンジである。シンジはじっと初号機の顔を見つめていた。
(綾波……)
閃光と、爆発。
その向こうに散った、彼女のことを思い出す。
(綾波は、死ぬ時、どんな気持ちになったのかな?)
シンジは俯いて小さくかぶりを振った。
(言わなきゃ気付かないとでも思ったのかな? ミサトさんたち。でも)
右手を見る。何故だか小刻みに震えている、それは恐怖からのものではない。
握り込んでみせる、だが、なぜだか指は閉まりきらず、間に隙間が残されていた。
「……なんだろ?」
「なんでしょうね?」
「わからないわね」
配置に着いた初号機の中。コクピットに居座るシンジの表情に、発令所の女たちは首を傾げた。
「気難しい顔してるわね」
「気付かれたってわけじゃないみたいだけど」
「なんの話ですかぁ?」
いいからと護魔化す二人である。
シンジは記憶を辿っていた。
──ばかシンジ!
陰気になる自分を、叱りとばしてくれたあの子の笑顔。
(僕は……君にあこがれてしまったんだ)
だから。
(君がいない世界なんて、真っ暗なんだ)
「時間です」
マコトが重々しく伝える。頷くミサト。
「作戦開始までカウントダウンよろしく。シンジ君、任せるから」
しかしシンジから返って来たのは、望んだような決意に満ちた声では無かった。
『あの……』
「なに?」
『できたら、後で霧島さんに謝っといて下さい。ごめんねって』
「シンジ君?」
ミサトは顔を歪めて注意した。
「そういうのは、自分で言いなさい。それじゃあまるで遺言みたいよ」
『……そうですね、わかりました』
ミサトと非難する声を意図的に無視する。
偽善以下だとミサトにもわかっていた。
シンジを想って口にしたわけではない。生き残る自分の今後のことを考えると、言わないわけにはいかなかったのだ。
自覚していた。
(わかってますよって。僕はかまいませんよって言ってるように聞こえるのよ)
自分が殺す分には、良い。それならば殺したのだと言う罪を抱えて落ち込むことができるのだから。
だが自分から死なれては困るのだ。そんな風に覚悟を決められてしまったのでは、後味が悪くて仕方が無い。
義務感から死ぬのではなく、あくまでこちらが殺したのだと言う形を作り上げねばならない。
そうすることで、後戻りはできないのだと、自分を追い込み、邁進するだけの理由作りにすることができる。だがシンジの善意によって決着が付いてしまうのでは、恨み言の一つでも残して欲しかったと、弱音を吐きそうになってしまう。
ミサトは、それではいけないのだと、己を律していた。
使徒はまだ来るのだ。ここで弱音を吐くわけにはいかない、だから。
自分を悪く見せることで。
ミサトは悪役になろうとした。
悪い人間は、罪の意識など全く感じないものなのだから、それでも……。
(できれば……死なないで帰って来てよ。シンジ君)
その時には、全部を話して、殴るなりなんなりしてもらおうと心に決める。
ミサトは自分の心情に変化を感じていた。何故なら確かに、禍々しい翼を広げた悪魔の姿を、あの力の再来を。
心のどこかで望んでしまっている自分が居ると、どこかで自覚してしまったからであった。
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