──あんたっておかしな奴よね。
 きょとんと間抜けた面をして問い返す。
「なんだよいきなり」
 彼女はくすくすと笑って言った。
「だってさ、話し聞いてると、あんたって『あいつ』が人間じゃなかったってこと、全然気にしてないじゃない」
「そっかな?」
「そうよ! 渚カヲルってのについてもそうじゃない。自分を騙したとか裏切ったとかってさ! 『あいつ』に対してもそう。何を考えてたのかとか、どんな風に思われるのかってのが恐くなって、避けちゃったなんて言ってる」
「そっか……」
「あんたって、よっぽど飢えてたのね。友達に……わかってくれる人に」
「そうかもしれない」
 絶対そうよと、彼女は力強く断言して、言葉と同じくらい強く強く抱きついて見せた。
「あたしと同じね」
「アスカ」
「いいもん! 今はシンジが居るから!」
 僕もだよ。そう口にするべきだったのかな? シンジの中にまた一つ後悔の種が芽を吹かす。
(あの時アスカ、残念そうな顔をしたよな。なんで僕もだって言えなかったんだろう……。そう言ってれば、きっと)
 どうだっただろうかと思うと切なくてたまらない。
(いつもそうだ。僕はいつも後悔してる。だからこそ戦うんだ。もう嫌なんだよ、いつもいつもいつも! あの時ああしておけばってことばかり考えてる、でも)
 ──アスカの背中がそこに見える。
(よかったね? なにがよかったんだよ! あの時、あの時、あの時ってさ! そうやって自分のことしか考えてない! そしていつもいつも後になってから気が付くんだ。僕はそうやって、自分のことばかりかわいがって、その間、傷つけてしまった相手が、どんな気持ちで悲しんでいたかなんて、まったく考えないで、放置し続けていたんだってことに)
 ──だから。
『シンジ君』
 シンジは酷く落ち着いた目をして、はいと答えた。
『いいわね?』
「はい」
『では……』
 ──作戦、スタート!
「くっ!」
 強い荷重に襲われる。
(綾波!)
 荷重に堪えるために、彼は彼女のことを呼んだ。
 月を背にした彼女の背中に、別の背中が重なって見えた。それはアスカの背中であった。
 どこまでも走って行く、駆けて行く。
 追って欲しいと叫んでいる。
 呼び掛けてくれと泣いている。
 精神攻撃を受けた後のアスカの背中。
 しゃがみ込んでいる彼女の背中。
 あの寂しげな背中が重なって見える。
 ガコンと地上に到達する。
 爆煙の向こうに使徒の一部が垣間見えた。
 シンジは吼える。
「このぉ!」
 ノイズ交じりに爆破とのミサトの声。
 使徒間近にあった兵装ビルが、一瞬膨らんでから火の手を上げた。噴火して、破片を周囲に巻き散らす。その幾つかが使徒を激しく揺さぶった。
 自爆によって巻き散らされた瓦礫は、手榴弾と同じ効果をもたらした。ミサイルだけでなく自走臼砲によるビーム攻撃、さらには単純な高射砲による弾幕までもが加えられ、使徒の混乱に拍車をかけた。
 使徒からのレーザーは、煙を裂いて荒れ狂った。しかし目標とするものが多過ぎるのか、追い付いていない。そのレーザーが、カキンと硬質な音を立てて角度を変えた。
 ──煙の中から、ATフィールドを張った初号機が飛び出す。
 初号機は空中に浮く使徒本体を完全に無視して、その下部にあるドリルブレードに狙いをしぼって、ぶつかった。
 ごきんと異音を立ててブレードがへし折れる。シンジは肩に担ぐようにイメージをして、雄叫びを上げた。
「うわぁあああああ!」
 奇妙な風船を担いで走る。その先にあるのは、芦の湖だ。


「上手い!」
「使徒内部の高エネルギー反応に変化あり!」
「放出するつもりです!」
(お願い!)
 ミサトは祈った。


 初号機の右足が、芦の湖の湖面に波飛沫を立てる。大きく背負い投げの要領で放り出し、シンジは湖に飛び込むように指示を下した。
 ──爆発。
 熱波が吹き荒れ、湖の水が衝撃波に散らされる。しかし緩衝材としては十分な役に立ってくれた。
「くうううう!」
 直撃では堪えられずとも、これならとシンジは踏ん張った。湖の底から白く泡立つ天を見上げる。ぼこぼこと気泡が一方向へ散っていく様を、恐ろしく見続ける。
 水面が、近づいてくる。水かさが減っているのだ。
 湖水はあっという間に吹き散らされた。水底に仰向けになっていたエヴァ初号機の姿がさらけ出される。
 しかし直撃を避けられたことで、初号機はATフィールドによる白熱の破壊力の減殺(げんさい)に成功していた。
 光が徐々に薄らいでいく。その中より無残な都市が姿を現す。
 熱に全てが揺らいでいた。建物は融解してひしゃげて傾いている。湖の水は残らず吹き散らされた揚げ句に、蒸発してしまったようだった。
 もうもうと立ちこめる蒸気の中を、使徒と初号機が対峙している。
 使徒はいまいましげに初号機を見下ろし、初号機は泥に足を取られながら、中腰になってかまえていた。


「ちっ」
 次々と飛び込んで来る被害報告、その被害の小ささに舌打ちしたのはミサトであった。
「どうなのリツコ」
 だめねとかぶりを振る。
「向こうも試合巧者だということね」
「どのくらい消耗させられた?」
「八十パーセント程には減ってはいるわ」
「たった二十パーセントでこの威力か……」
 街だけではない。遠くの山にある『第一中学校』の校舎までもが焼けただれていた。その手前にある住宅街は衝撃波に吹き上げられ、姿を消してしまっている。かろうじて大きな建物が、融解した姿をさらしていた。もっとも、自重に負けて、傾きつつあるのだが。
 山はめくられ、土砂を裏側へと巻き散らしていた。火災も発生しているようだった。
 もくもくと上がる黒煙が、空を覆い尽くそうとしていた。皮肉なことに、爆心地に近い芦の湖周辺の市街地ほど、平穏と静寂に包まれていた。
 ──全くの更地となっている。
「第二ラウンドね」
 ミサトが仕切り直しの言葉を発した。
「初号機の装甲に問題は見られませんが、一部の機器に障害が見られます」
「やられたの?」
「いえ、電波障害だと思われます」
 無差別にエネルギーを放出する使徒の攻撃によって、非常に状態が悪くなってしまっていた。
「観測機器を出して」
「はい」
 地上施設のほとんどが破壊されてしまうことを予測して、ミサトは幾つかの観測施設を、地下に収納するように指示を出していた。
「どのくらい生き残った?」
「六割は」
「十分、フォローして」
「はい、電波通信からレーザー通信に切り替えます。接続終了」
「シンジ君、聞こえる?」
『はい』
「調子はどう?」
『電池切れまで後三分ありません』
 マコトに訊ねる。
「一番近いルートの生き残りは?」
「B−12です」
「ということよ。そこにコネクタを出すわ。接続して」
『わかりました』
 シンジの意識を受けてか、初号機は首を動かし、場所の確認をした。
「危ない!」
 マコトが喚く。その隙を突いて、使徒はレーザーを放った。が、これはATフィールドによって弾かれて消えた。
 ふぅと息を洩らして冷や汗を拭う。
「やるなぁ、シンジ君」
「だけど余所見は頂けないわね。次からは気をつけて」
『はい』
 しかし口では殊勝に答えていても、シンジの考えは別にあった。
(余所見を理解するなんてね……)
 意識はちゃんと使徒へと向けていたのだ、なのに攻撃して来た。
 そのことが指し示す意味を考える。
(目でもあるのかな?)
 となると使徒は、人間型の物体のどこにどんな器官があるのかを理解しているということになる。
(後でリツコさんが喜びそうなネタだな)
 そのリツコから聞かされた話を思い出す。
『街を犠牲にすることにはなるけど、上手くいけばあなたが生き残れる確率は飛躍的に向上するわ。だってそうでしょう? ATフィールドが全ての決め手になるんだから』
 通常兵器がATフィールドを前にしては無力なように、使徒の攻撃力を上回るATフィールドを展開できるのなら、負けることなどまずあり得なくなる。
 そしてこの場合は、使徒の攻撃力を初号機の張れるATフィールドの出力以下に引きずり落とせればそれで良いのだ。
『試算では七割……いえ六割削ることができれば、後は時間の問題になるわ。使徒に再チャージする間を与えないよう気をつければ勝てる』
(でも……)
 MAGIが観測している使徒のエネルギー保有残量を表示する。
 目標数値を割っていないのが明白だった。
 前を見る。泥の上に使徒が浮いている。その向こうに剥げた山が見える。空は黒く煤けている。
 それら全てが陽炎に揺らいで……。
「くぅ!」
 横っ飛びに避ける。レーザーが大気を貫き街であった土地を穿った。爆発。この展開に誰もが悪夢を思い出した。
『シンジ君避けて!』
 やけにクリアに悲鳴が届く。
「くっ!」
 使徒の内部でエネルギーが加速される様が、肉眼でも確認できた。
(やられるな)
 シンジはレバーを握る手から力を抜いた。
 諦めの境地に達して、考えていたことを実行に移す。
 彼はいきなり席を立つと、シートの背部に回り込んだ。
『シンジ君が初号機の自爆シーケンスを作動させようとしています!』
『シンジ君やめなさい!』
 まさかとミサトが口にした。
『最初からこれを狙って? だから遺言を残して……』
 シンジは薄く笑った。
 それは肯定を意味していた。
『シンジ君!』
 ──だめ!
 その叫びと共に、火線が走った。
 まさかという思いと共に振り返る。中学校の側にある山の斜面が無くなっていた。
 隠れた発進口だったのだ。そこに固定台を頼りに片足を失くした弐号機の姿があった。
 盾を被って、体の半分を隠すようにして、見慣れないライフルを構えていた。
 ──『綾波』!?
 心臓がぎゅっと掴まれたような気がして、シンジは言い知れぬ恐怖を感じた。
(なんで!?)
 瞬間的に何かが閃く。
(余計なことを!)
 弐号機の損傷は左足だけだった。それも焼き千切られたために出血も無かった。つまりはパイロットさえ戻せば再起動は可能であったのだと気が付いた。
 自分が戦っている間にマナを乗せたのだろうとシンジは読んだ──そしてその読みは正解だった。


 ──三十分前。
「マナ!」
 ほとんど這うようにしてケージに現れたマナの元に、慌てた様子でリツコとミサトが駆け付けて来た。
「あなたなにしてるの!」
「早くっ、誰かこの子を運べるものを」
 そんな二人の腕を取って、マナは強く懇願した。
「あたしも出ます」
「なに無茶言ってるの!」
「大丈夫よ。シンジ君がやってくれるわ」
 マナは微笑を浮かべて嘘を見抜いた。
「でも、勝てるとは限らないんでしょう?」
「……ええ」
「リツコ!?」
「だからと言って、あなたが出て行くことはないわ」
「それでも」
 マナは決意を表明する。
「それでも、行かなくちゃいけないんです」
「どうして……」
「だって、悔しいじゃないですか」
「え?」
「……あたし、シンジ君のこと、ほんとに好きになっちゃったみたいなんです」
「マナ……」
「でもシンジ君は、あたしのことなんて眼中になくて……」
 力を抜いて、マナは支えてくれるリツコに身を任せた。
「シンジ君の心を、そこまで捕まえてる人って、いったいどんな人なのかなって、思って、気がついたんです。きっとその人って、もう居ないんだって」
「…………」
「それがわかったら、悲しくなって……。シンジ君にとって、その人以外はみんな同じなんだって思ったら、悔しくて」
「あなた……だから行くというの?」
「はい」
 マナは決意を込めて、リツコの胸に頭をすりつけるよう、頷いた。
「シンジ君は、あたしのために戦ってくれました。あたしの身代わりに」
 それは最初の戦いのことだった。
「どういうつもりだったかなんて、関係無いです。でも、変です。おかしいですよね? 鈴原君や、相田君なんて……知るもんかって言ったのに」
 ──好きじゃなくても……嫌いでも。それが知ってる人なら、心配したっていいじゃないですか。
「なんだか……よくわからなくなっちゃって、でも、確かめたいから、知りたいから」
 立ち上がろうとする。
「あたし、行きます」
「マナ……」
「シンジ君の本当を……確かめたいから。だからあたしだって、シンジ君のために命がけになれるんだってとこ、見せなくちゃ」
 微笑を浮かべる。
「あたし、碇君の大事な人に、勝ちたい」


 ──きゃああああああああ!
 光の矢は初号機ではなく、こしゃくな邪魔者に対して放たれた。
 くうううううとマナの苦悶の声が耳に障る。赤い機体の持つ盾が光の放射に溶けていく。それは一度見た光景だった。以前は後ろから、今は前からという違いはあったが。
 ──悲鳴の色は同じであった。
「うわぁあああああ!」
 初号機が立ち上がる。
「シンジ君待って!」
 そんなミサトの声は伝わらなかった。
 シンジはシートと壁の間で、背もたれに掴まった状態で、エヴァを動かしてみせた。
 向かって来る初号機に、使徒は攻撃目標を変更した。
 一旦打ち切った加粒子砲を、今度は初号機へと使用する。
 ──煌めきが、街とエヴァを白く染めた。
 初号機のATフィールドが貫かれる。光の洗礼。初号機の姿が霞んで目に見えなくなる。
「なんてことを!」
 ミサトは驚愕した。
「あの子は、なんて真似をするのよ!」
 光は初号機の寸前で散っていた。正しくは初号機の右手によって散らされていた。
 使徒の砲撃を初号機は右手を犠牲にして受け止めていた。踏ん張っている。指が溶ける、もげる。手が手首から千切れ飛ぶ、腕が爆ぜるように分解されて行く。
 それでも初号機は下がらない。
 ATフィールドだけでは削りきれない熱量を、右腕を与えて消耗させているのだ。二枚仕立ての盾を武器に、じりじり、じりじりと押し迫っていく。
 先に力尽きたのは使徒だった。
 徐々に光線が細くなり、消えていく。最終的には初号機のATフィールドの防御力を下回り、カキンと高質な音を立てて、折れ曲り、空に消えた。
 マヤが叫ぶ。
「フィードバック過多! 下げられません!」
 悲鳴も上げる。
「パイロットの神経に異常が発生しています! 脳内物質の過剰分泌を確認っ、完全に我を失ってます!」
「暴走……」
 誰の呟きだったのかはわからない。だがシンジ自身が引き起こした暴走は、エヴァ本来の暴走よりも凶悪であった。
「わぁあああああ!」
 高速で駆けた初号機は、跳び上がり、壊れた右腕を突いて使徒を地に押し倒そうとした。
「あああ!」
 残った左腕を、手刀の形にして突き込んだ。腕の付け根まで潜り込ませる。
 ──ごぶりと粘着質な血が泡立ちこぼれた。
 初号機はさらに内臓らしきものを掴んで引きずり出した。そのまま背後に倒れるが、空中であるためにぶら下がる形になる。使徒がバランスを崩した。諸共に落下する。
 ──二体は地響きを立てて転がった。使徒は滑るように、初号機は受け身を取って回転した。
 素早く立ち上がった初号機に、使徒が牽制の攻撃を行った。
 無駄だと知りつつなのか、それとも足掻いているだけなのか。使徒はレーザーを撃ち出した。意外にも初号機の頬の部品が斬り壊れた。
 ──ガコンと顎の外れる音がした。
「額部ジョイント破損……」
 マヤの言葉に重なって、初号機の雄叫びが空高く上がった。
 獣そのままに跳びかかって行く。装甲表皮を突き破って出ている爪が、酷く剣呑な武器に見えた。
 シンジが何を喚いているのか、叫んでいるのか? ミサトたちにはわからなかった。
 喉がはり裂けんばかりに上げられる声は、だみ声となって、とても聞き取れるものではなかった。
 ただ……彼女らにも、一つだけ理解できることがあった、それは。
(初号機が……喋ってる)
 まるでシンジの声を叩きつけるかのように、初号機もまた何かを叫んでいた。
 いや、彼女たちにはわかっていた。本当にそれはシンジの口の動きをトレースしているのだと。
(エヴァっていうのは……。ここまでシンクロできるものなの?)
 手刀を突き込み、外皮を力任せに引き剥がし、足を突き入れ、腕と足とで裂け目を広げる。
 まるで潜り込もうとするかのような行為に、ミサトは新たな恐怖を抱いた。
(なら……この残虐性は、シンジ君の本性だと言うの?)
 誰もが戦慄し、魅入られた。気の弱い女性職員が口元を押さえてえずいた。
 生の肉、血の色をした臓物に埋もれ、掻き出しながらも、一行にその狂気を治めようとしない。
 腸のようなもの、心臓のようなもの、様々なものが血しぶきをまといながら、宙を踊って地に落ちる。
 その内、使徒の動きに鈍りが感じられた。表皮の鮮烈な青がくすんで灰色になって行く。
 ズシャッと一際大きな音がした。中身を失い圧力を保てなくなり、ひしゃげた使徒を初号機が完全に踏み潰した音だった。掻き出された内腑が転がる真ん中で、使徒だったものがほぼ平らな形で死に様を曝した。
「…………」
 何も無かった。爆発も。咆哮も。
 戦闘の終了と言える合図のようなものは、何一つもたらされなかった。
 それでも戦闘は終了したのだ。それを知らせてくれたのは、ついに力尽きて地響きをたてた、弐号機を守っていた盾であったものの残骸であった。

Bパート

 洗浄液を浴びる初号機の前に、レインコートを着た人間が二人、立っていた。
「わたしは今になって、この初号機を怖いと感じました」
 それはリツコとゲンドウである。
「しかしわたしはそれ以上に、シンジ君を怖いと感じました。彼は一体何者なのですか?」
「…………」
「人は生理的に、臓物に触れることを忌避するものです。慣れによって解消することは可能でも、あれほどの残虐性を手に入れることは難しいものです。彼の心は既に壊れているのかもしれません」
「そうだな……」
 リツコは目を丸くした。
「司令?」
 しかし彼からそれ以上の言葉を引き出すには、彼女は明らかに役不足であった。


「結果的には正解だったか」
 同じ頃、ミサトはマコトを前にして、つまらないことをこぼしていた。
「退去命令ですか? そうですね、使徒を見られることにはなりましたが」
「死傷者の数も最低限にしぼれたしね」
「第三新東京市の外では相当出てますけどね」
 マコトは口篭ってしまったミサトに対して、失言だったかと感じたが遅かった。
 情報規制を敷いていたことが災いして、街の外にまで避難行動を強制することができなかったのである。
 大丈夫だとタカを括っていた者、どうせ大したことはないと楽観していた者などが、あっさりと使徒の攻撃に伴う衝撃波に乗って、行方不明となってしまっていた。
「街は閉鎖ですね。復興するにしても、完全な要塞化は避けられないでしょうね」
 ミサトはこれにも答えなかった。彼女が本当に気になっているのは……。
 ──今は病棟にいるはずの、あの少年の動向だった。


 ──三週間が経つ。
「街は崩壊。帰る家も失って、人々は疎開。このままゴーストタウンになるかと思いきや、そうもいかず」
 ミサトは独り言を言って現状を確認した。
「ジオフロントの一部を解放するみたいですよ? 仮設住宅を作って建設業者を入れるようです。業者と言っても天井都市を天井要塞に改造する兵器業者ですけどね。中学校なんかの施設も避難所として利用するみたいですし」
 情報を担当しているオペレーターの青葉シゲルが、退屈なのか話題を振った。
「何しろ今回の戦闘については、隠しようがありませんでしたからね。地球規模で影響が出てますし」
「爆発の影響?」
「ええ。衝撃波は成層圏にまで影響を及ぼしてますよ。地球上、どこの観測所からでも、この異変は感知できたでしょうね」
「ちなみにどの程度の規模なの?」
「NN爆弾を、同時に何発も使用したんじゃないのか? だそうですよ」
「本当は数百発規模で食らうかもしれなかったんだって知ったら、どう思うでしょうね」
「知ってるんじゃないですか? 今回のデータは司令が国連経由で全て公表したみたいですし、日本にはフォッサマグナとかありますからね。プレートの集中してる土地だけに、どこも他人事じゃないでしょう」
「プレートの端で爆発を起こせば、反対側で地震が起こるってやつ?」
「はい。その上それを起こすのが、地殻に穴を開けかねない爆発であったとなれば」
「セカンドインパクトよりは大人しいにしても、か」
「ろくなことにならないのは目に見えてますからね。日本だけの問題として見ることも、これでできなくなるでしょうね」


 霧島マナはごろごろとしていた。
「ちぃ〜え〜」
 つまんないなと唇を尖らせている。
 理由は一つだ。相部屋だった少年が、一足先に退院してしまったからである。
「もうちょっと入院してれば良いのにぃ」
 にへぇっと顔を緩ませる。
『はぁい。シンジ君。あ〜ん』
『…………』
『シンジくぅん?』
『わかったよ……』
 はぁっと溜め息を吐くシンジの様子に、上目づかいに拗ねて睨まれるのが苦手なのだなとメモをした。
 にへにへと涎を垂らす。
 マナの場合、内臓への負担からの入院であった。それだけに外からでは状態はわかりづらい。若干顔色が『黄色い』のが失調を訴えている程度である。
 それに対して、シンジの怪我は酷かった。右手が全く動かなくなっていたのである。
 だがフィードバックによる影響だろうと予測は立てられていたので、数日間様子を見るだけにとどめられていた。
 そして実際、なにをすることもなく回復していた。
『なんであんな無茶をするんだよ』
 そういうから言ってやった。
『だってシンジ君が負けちゃったらどうせ終わりじゃない。そうなったらミサトさんは本部を自爆させるでしょうね。どうせ死ぬなら』
『戦って死ぬって言うの?』
『ううん。あたしだってってところを見せたかっただけ。あたしだって真剣なんだよって、シンジ君のこと』
 マナはぴたりと動きを止めた。
「シンジ君……どう思ったかな?」
 先日までは埋まっていた隣のベッドを見る。
 とまどうような顔が思い出される。それは受け入れようとして、それでもなお、誰かのことが引っかかって、素直にはなれないといったものを感じさせる様子だった。
「はぁ……」
 マナは、当たり前のことを呟いた。
「あたし、嫉妬してるんだ……誰かさんに。シンジ君にそこまで思われてる誰かさんに」
 あたしもそんな風に思われたい。マナはそんな贅沢を言って、もう何日も会っていない彼の顔を思い浮かべた。


「ところで」
 意識を切り替え、ミサトは問う。
「弐号機の方はどうなってるの?」
 シゲルは驚き問い返した。
「聞いてないんですか?」
「なにが?」
「弐号機は先程佐世保に向けて送り出されました。港で船に乗せ換えて第三支部へと送り返されることになったんですよ」
「ドイツへ?」
「はい。本部の予備部品だけじゃ修復はともかく、これ以上の戦闘を考えると心許ないんだそうで」
「ドイツで改造させようっていうの?」
「素体から組み直すって話でしたが……。ちょうど零号機を輸送してる艦隊が到着するところなんですよ。だから往復してもらおうって」
 ミサトはえっと驚いた。
「零号機が戻ってくるの?」
「はい。それと、一応乗せ換えのために赤木博士とサードチルドレンが……」
「え?」
「だから、赤木博士とシンジ君は、弐号機を送り出しに行っちゃってるんですよ。今朝から」
 何とも言い難い顔をしたミサトに、シゲルはどうしたのかと問いかけた。
「あの……」
「ううん。なんでもないわ」
「はぁ?」
「ただね。戦力の補充を急いでるのはわかるけど、マナがまだベッドの上だってのに、シンジ君を連れ出すってのはどういうことかと思ったのよ」


 ヘリの中。リツコはノートパソコンで何かをしているふりをしながら、シンジの様子を盗み見ていた。
(今頃ミサト、怒ってるでしょうね……)
 理由はわかる。あのシンジの暴走だ。
 あれがシンジの本性ならば、外に出すべきではない。野放しにすべきではないと考えている。
 少なくとも、ミサトはそう思っているのだろうとリツコは見ていた。
 そしてリツコもまた、確かに怖いとは思っていた。だがそれが必要な資質であるのだろうと、今では理解もしていた。
 でなければ、『上司』が放置しておくはずがないからだ。
 ミサトとの会話を思い出す。
「それで? なにかわかったの?」
 彼が入院している間にと、不誠実な行為に勤しんでいたミサトであったのだが、結果はまったくもってさっぱりであった。
「綺麗なくらい、真っ白だったわ」
「そう……落ち着かないわね」
「怖いわね……。あの子の考え方って、一足飛びだしさ」
「そうね」
「正直、あたしたちってさ、あの子の好意とか善意にすがって、助けてもらってる状態なのよね……だから、文句なんて言えた義理じゃないんだけど」
「気持ちはわかるわ」
「これが安っぽい使命感とかだったらまだ良かったんだけどねぇ……」
 とても苦い顔つきになる。
「ううん……本当はあの子が恐いんじゃない。あたしが怖がってるのよ。あんまり底なしだったから」
「今回のこと?」
「ええ……あの子が、あたしたちのために乗ってくれてるってのはわかってる。けど、普通はせいぜい自分にできる範囲とか、自分にできる精一杯のことって範囲で、がんばろうってするもんじゃないの? なのにあの子は……。まるで自分ってものがないみたいに、簡単に命までくれようとしたわ。それが怖くてたまらないのよ」
「そうね……」
「犠牲になってくれるって感じでもない……犠牲になろうって気持ちは、何かに捧げようって気持ちがあって、はじめて覚悟を決められる。そういうものだと思うんだけど……」
「好意を持っている相手もいない……」
「そう……気味が悪いって言い換えることもできるわね。自分のために戦うってんなら命までは賭けられないでしょうし、だからって誰かに褒めてもらいたいとか思ってるわけでもないみたい。どうして戦ってくれているのか? それがわからない限り、あの子に対してはどうもイマイチ信用がおけないのよね」
 無理やり乗せられているから自棄を起こしている、というのでもない。
 無償の好意などあるはずもない。
 だからこそ、シンジの中にある『戦うべき理由』が理解できない。
 リツコはそっと、ため息を吐いた。
 そしてシンジの横顔を見つめる。なにを思っているのだろうか?
 なにを見ているのだろうか?
「シンジ君?」
 彼女は思わず話しかけてしまっていた。
「どうしたの?」
「いえ……」
「何を見てるの?」
「波です……。それと、潮……」
「潮?」
「はい……。好きなんです……こういうのを眺めてるのって。電車の窓から見える電線とか、上下に揺れて、流れて……そういうの。じっと見てると、飽きなくて……」
 暗い……。そう思ったが、リツコは堪えた。
「そ、そう……」
「はい」
「時間的にはもうすぐ別の物が見えるはずよ」
「別の物って?」
「太平洋艦隊」
「あれかな……」
 リツコはわざとらしくシンジの膝の上をまたぐように体を伸ばして窓を覗いた。
「そうね」
 青い海の上に白い航跡がなびいている。
「駆逐艦に、戦艦に、空母。それに輸送用タンカーが一、あれは……」
「なんです?」
 リツコはシンジの隣に腰を落ち着けると、ノートパソコンを開いて何かのデータを呼び出した。
 それを見て、シンジも驚く。
「船? ロボット?」
「その両方ね」
 もう一度窓の外を覗く。
「戦略自衛隊所属の陸戦型巡洋艦、トライデント」
 渡されたオペラグラスを覗いて、シンジは激しい動揺を押さえ込んだ。
 そこには『彼女』に絡んで現れたあのロボットの姿があった。ただし前方部を曳航用のボートの後部に打ち上げる形でロックしている。
 曳航用の船はそれ専用のものなのだろう。普通の艦を前後に切り離し、前方部だけで構成されているような形をしていた。トライデントと一つになることで、初めて一隻の船に見える。
「陸戦型……」
「一応海面上でも機動できるような性能はあったはずだけど、無茶は無茶ね」
 シンジは当然の疑問をごまかし訊ねた。
「あんなの、今まで出て来なかったですよね?」
「武装が通常兵器である点に関しては、戦闘機や戦車と変わらないもの。多分太平洋艦隊に対する牽制の意味で出して来たのね」
「仲間なのに?」
「政治的には仲間でもなんでもないのよ。特にこの海域は、中国ロシア朝鮮と、各国の潜水艦がひしめいていることだしね」
 そしてそんな風に二人が乗っている大きなヘリを、船の甲板から手をかざしてじっと見ている少女が居たのであった。


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