「そうだ、その問題に関してはすでに解決してある」
ゲンドウである。
会話の相手は電話の先だ。
『ですが、戦自の横やりは聞いちゃいませんよ?』
──第二東京。
高層ビルの上層階なのだろう。外には町並みが睥睨できる。
会議室であるらしい。多数の人間が集まっていた。
「どうかね? 最近は」
誰も彼も、年老いた人間ばかりである。
「国民が騒ぎ始めております」
「やはりネルフか」
「株価の暴落も馬鹿にはできん」
「だがそれは世界中のことだからな」
手元の資料をパンと叩く。
それはネルフが発行したものだった。
「今の今まで、黒で塗りつぶしたものばかり提出していて、いきなりこれだ」
「だのに貴重な使徒のサンプルに関しては独占か」
「法的整備による囲い込みはどうなっている?」
「ご破算だよ。これだけの事態となってはな。そんなことにかける時間は国会にはない」
「紛糾中か……」
「それでもなお、ネルフには不透明な部分が多すぎる」
「ああ。主力兵器であるエヴァンゲリオン一つにしてもな」
「ではどうするね?」
「必要なのは金だよ、金」
「だからどうするというのだ?」
ふんと男は鼻を鳴らした。
暗い草色の服の肩と胸には、階級章が付けられている。
「敵は使徒ばかりではない。第一、電力供給無しには十分と動かん兵器では話しにならんだろう」
「そこにつけいるのか……」
「ああ。デモンストレーションとして、送り出してある」
「うまく運べば、良いのだがな」
ASUKA / 第三章
彼は思考を停滞させていた。
刺激を刺激として受けてしまうからこそ、悩んでしまい、苦しむのだと。
思考を止めるために、絶望による死へのふんぎりを期待していた、なのに。
「あの……。ふぁ、ファーストチルドレンの、山岸マユミです。その……よろしくお願いします」
ああと、彼は大きく嘆いた。
おどおどとするばかりで、目を合わせようとしない。
ノースリーブのジーンズ地の上着に、長いスカートを着た少女だった。空母の甲板に居るには場違いで、それは当人もわかっているのか、落ちつかない。
眼鏡はやぼったく、黒い、太いフレームのもので、長い髪もただ伸ばしただけのものを切りそろえている、そんな感じの少女だった。
(ああ……)
アスカに逢いたかったのに……彼の目には、落胆の色が浮かんでいた。
(なんだよ、これって)
誰にともなく、笑ってしまう。
(誰が、こんなに、的確に)
青い空。アスカの心に比例して晴れた空。その空と同じ色合いの海の上で、シンジは望んでいたものとは別の意味での絶望感に、酷く苛まれ、苦しんでいた。
──旗艦。オーバーザレインボウ。ブリッジ。
リツコたちを出迎えた男たちは、最初から友好的な態度を捨てて見えていた。
「ふん、戦自の次は、ネルフのおでましか?」
鼻で嘲笑ったのは艦長だった。
「余程我が艦隊は信用されておらんと見えるな」
しかしリツコはその挑発には乗らなかった。
「万が一に備えるためとご理解下さい」
「あの人形を海上で動かすなどという予定は聞いてはおらんが」
「できればわたしどもも避けたいところですが、ここは『使徒多発国』の領海内です。ここまでの努力が無になるのは、どちらも避けたいことではありませんか?」
「……万が一の場合の指揮権は」
「了解しております。ですから作戦司令部からの人間ではなく、技術開発部からエヴァの整備のためにわたしが来ました」
ほぉっと艦長は驚いた。
「君はそれほどの人物なのかね?」
気付かれない程度に胸をはるリツコである。
「申し遅れました。わたしは技術開発部主任を申し付けられております。全てのエヴァはわたしの監督下にあります。もし戦闘となった場合、エヴァがご入り用でしたらお声をどうぞ。では」
颯爽と立ち去るリツコの背中に、艦長は見とれた後で溜め息を洩らした。
「彼女はいったいいくつだ?」
「歳ですか? 三十……取っていても半ばでしょう」
「シット! 妬ましいものだな! エリートとは!」
「正にですな」
「実力でネルフの技術陣のトップに就いたというのなら、下手な扱いは到底できんな」
「色仕掛けで地位を得ているようには見えませんから、実力でしょうな」
ふぅっと切ない溜め息が洩らされる。
「どうした?」
「いえ……」
副長は憂いを隠さずに口にした。
「わたしの娘にも、見習わせてやりたいと思いまして」
よさんかと艦長はたしなめた。
「作戦行動中に家族のことなど振り返るな」
制帽を目深に被って目を隠す。
「そういう女々しいことを言う奴から死んで行くことになるんだ。巻き添えはごめんだぞ」
「注意します」
リツコはシンジを従えるようにして歩きながら、大体の事情を説明していた。
「国連ってね? 第三次世界大戦を避けるために、強引な真似をしているでしょう? そしてそのまま、世界の主導権を握っているような状態にあるのよ」
「あの子のお父さんって、国連の人なんですよね?」
「そうよ」
「じゃあ彼女って、お偉いさんの娘さんだってコトですか?」
「ゼーレって知ってる?」
「なんです?」
「セカンドインパクトの後にも生き残った組織の一つよ。あまり綺麗な噂はないけど、ネルフの上位組織である人類補完委員会のメンバーは残らずそこの出身よ」
「大げさな名前ですね」
「そうね……それでね? 彼女はそのゼーレから人類補完委員会に出向してるメンバーの一人の娘さんなの」
「VIPってやつですね」
「点数稼ぎとかいろいろとね……。あの子自身を取り巻いてる環境っていやらしくて。そのからみもあって、やっかみとか、風当たりを強く受けてるのよ」
「弱そうですもんね」
「そんなご機嫌取りたちの機嫌をさらに取らないといけないのがあの子の立場なの。わかってあげてね」
「努力はしますけど、押しつけられるのは嫌ですよ?」
──山岸マユミか。
シンジは一人で海を眺めていた。
(なにか変な感じがするな……明るくなった子がまた元に戻ってるのって)
そういう意味では、彼女は知っている彼女の姿そのままだった。
他の皆はどこか同じでありながら、初めから違っていたからだ。
「今の僕に、前みたいに相手ができるとは思えないけど」
シンジはポケットの震えに、電話? と怪訝そうに取り出した。
「はい?」
『シンジ君!』
マナだった。
──病院。
マナはベッドの上に仰向けになって、足を曲げて揺らしていた。
耳に当てているのは、差し入れられた携帯電話だ。MAGI経由でシンジに回線を繋げてもらっている。
「どう? マユミと会った感想は?」
おちゃらけた口調。だが浮かべている表情は真剣そのものであった。
『……知り合いなの?』
「そりゃ向こうに行く前はこっちにいたんだから」
『そっか』
低感触かとほくそ笑む。
「相変わらず暗かった?」
『なんだよそれ……』
「あの子ってさぁ……いろいろやっかまれてるのよね」
『…………』
「お父さんが国連のお偉いさんでね? そのコネだとかって思われてるの。そんなのでなれるもんじゃないのに」
『そうだね』
「でもね? もし本当に使徒が来たら? それでサードインパクトを阻止できたら? その時は本当に英雄じゃない? お父さん──政治家さんが、そういうのを見越してないはずがないって、周りの人たちは信じてるの。それで」
『いろいろあったってこと?』
「言われてるみたい。まあおじさん……山岸のおじさんは、使徒なんてくるかどうかもわかんないんだしって、そのくらいのつもりだったみたいなんだけど」
『……霧島さんは?』
「え?」
『霧島さんは、どうしてエヴァに乗ってるの?』
「…………」
『なんだよ?』
くすくすと笑っている。
「やっと興味持ってくれたみたいだなって思って」
『…………』
「あたしもねぇ……ホントいうと似たようなものかな? 戦自の方で訓練受けてたんだけど体壊しちゃって、お荷物扱いになっちゃって。そんなときにネルフからの話が来たのよね」
『ネルフから?』
「そう。エヴァは特性上、子供でないと乗れないじゃない? だったら訓練を受けた子供の方が生存確率は高いだろうって思って、戦自に協力を求めたんだって」
『ふうん……』
「戦自の人たちは、嫌がらせのつもりであたしならって思ったんじゃないかなぁ? でもホントに使徒は来ちゃったでしょう? その時になって、チルドレンにって差し出したあたしのことを思い出して……まあ、そのからみがあるから、戦自ってネルフに対して弱いみたいなんだけど」
なんの話してたんだっけ? と思い出す。
「ええとマユミのことだっけ? だからかなりいらいらするような態度取ると思うけど、怒んないでやってね?」
『……努力はしてみるよ』
「あの子臆病だから……あ、先生来ちゃったから、じゃ!」
シンジは切れた電話を耳から離してしばし見つめた。
「なんだかなぁ……もう」
ポケットにしまい、ふぅっとため息を吐いて柵にもたれる。
潮風に前髪を揺らす。
(霧島さんに、山岸さんか)
穏やかな時間が過ぎていく中、マユミはリツコに話しかけられていた。
「どう? シンジ君は」
「あの……」
「ごめんなさいね」
休憩所兼食堂である広めの部屋で、リツコはマユミに頭を下げた。
「あの子、決して悪い子じゃないんだけど……」
二人はテーブルを挟んで向かい合う形で腰かけていた。
テーブルの上にはトーストにサラダ、それにコーヒーが並べられている。コーヒー以外は料理長のサービスだった。
困惑する様子を見せるマユミに、リツコはふうと息を吐いて、白状した。
「このところの戦闘でね……。みんなにはれ物を扱うような態度を取られてるから」
「はれ物ですか?」
「ええ、恐いって。あの子、我を忘れると人の声なんて耳に入らなくなるところがあるのよ」
酷い話ねとリツコは言った。
「乗りたくて乗ってるわけじゃない。乗れと命令されて乗ることになって、必死になれば嫌われる……」
「碇君は、乗りたくて乗ってるわけじゃないんですか?」
「ええ、あなたと同じよ」
「…………」
「ほんと、上手くいかないものね。戦いに向いてるマナは体があの状態だし、あなたは性格的に向いてないし、シンジ君にはやる気が欠けているし」
「やる気……」
「そうよ」
ふうと溜め息を吐く。
「あの子にはね、どうも付き合ってた子が居たらしいの。こちらの調査ではわかってないんだけど、その子、死んでいるらしくてね」
とつとつとこぼす。
「あの子にとって、世界というのはその子一人だけを指すようなのよ。世界のため、人類のため、そんなお題目は意味を成さないの。その子が居ない世界なんて、守る価値がない、そう思っているようなのよね」
でもとマユミは恐る恐る訊ねた。
「聞きました。最初の戦闘で……碇君。霧島さんの代わりに戦ったって」
「ええ、そのくらいには優しいのよ。目の前の誰かを見捨てられるほど薄情にはなれない……」
リツコは第二次会戦の時のことを思い出してしまった。
戦場に紛れ込んだ、クラスメート。あの時シンジは、躊躇した。
(本当に冷たいなら、無視することもできたのに)
「終わっているのね、きっと。あの子の未来は」
「未来、ですか?」
「そう、もう未来には期待してないのかもしれないわね。将来に希望なんて抱いてない。夢はもう果たせているから、満足している。戦ってまで失いたくないものなんてなにもない。それでも他人を見捨てる理由にはならないから、手を貸してくれている……」
マユミはしょげかえるように俯いた。
「わたしとは、違いますね」
「え?」
俯いてしまったマユミに対して、リツコは小さく嘆息した。
──ブリッジ。
「なんですか?」
リツコは呼び出しに応じて顔を出した。
艦長が側に来るように指示をする。
「……合流予定だった戦略自衛隊の艦艇から報告が入った。外洋から正体不明の物体が海面下をこちらに向かって進行中とのことだ」
「まさか」
「わからんが、迎撃体勢に入る」
「エヴァの出撃は」
「まだだ。正体の確認が先だ」
「ですがそれでは遅すぎるかもしれません!」
「だがどこかの船であった場合はどうするのかね?」
「それは……」
「エヴァの開発に当たっては、軍事力として行使しないと言う盟約があったはずだ」
「はい」
「これを犯すことは、問題になるぞ」
「わかっています……けれど」
その頃、シンジの姿は、艦橋の中程にあるタラップにあった。
ぼんやりと地平線を眺めている。この高さになると波の揺れに大きく揺さぶられることになるのだが、気にもしていない。
現在その頭の中は、本部の医療棟に居るはずの、霧島マナのことで占められていた。
『霧島マナ、戦自で徴兵を受けた少年兵だってことは承知してるわね? 彼女がエヴァへの適性が認められて所属を移ることになったのは、半年くらい前の話よ』
『戦自……って仲悪いですよね?』
『そうね。おかげでスパイを招き入れることになるとか、色々と論議は上がったけど』
『なんです?』
『……実はね、戦自はマナを手放したがらなかったのよ』
リツコの言葉は険を帯びていた。
『彼女の体、ぼろぼろだったから』
(ぼろぼろか……)
想像は付く。
原因は平走している二機のロボットだろう。
その開発に関って、非人道的な行為がくり返された。事実を隠蔽するためにはマナを放逐する訳にはいかなかった。それが真相であろうとあたりを付ける。
(でもネルフだって同じじゃないか。結局戦争に狩り出してる)
柵に手を置いて、体を伸ばし、天を見上げる。
(マナは、そんな裏の事情を知らないのか)
そうしてシンジは、まぶしい太陽に目を細めた。
(アスカ……)
笑顔の彼女が思い出せない。
(試されてるのか? 僕は……。アスカへの想いが、忘れてしまうようなものなのかどうかって)
──わたしたち、似てるのかもしれませんね。
そう悲しく微笑んだ、あの子のことは、思い出せる。
似ていない方が良かったと口にした。
似た者同士は上手くいかないとも言っていた。
その言葉の意味に気付けなかった自分は、どれほど子供であったのだろうか?
(そう……だね)
唇を噛み締める。
「効果的だな。今度は上手くやれるかもしれないって希望がある。誘惑に負けそうになっちゃうよ」
だけどと左手に力を込めて柵を握り締める。
──頑張れるかもしれないって。
「そう言った山岸さんの未来を潰したのも僕なんだよ」
シンジは人の声に振り返った。
「おい。ほんとにこっちの方に居るのか?」
「まだ動いてなかったらね、ムサシも見たろ? 人が居るの」
ドアをくぐり、二人の少年が顔を出した。一人は浅黒い肌をしており、一人は貧弱そうな感じがした。
(確か……)
身構えるシンジに対して、その内の、浅黒い肌をした少年の方が声をかけた。
「サードチルドレン!」
「……誰?」
胸を張り、自分に向かって親指を立て、彼は喚いた。
「俺は戦略自衛隊特務小隊隊長、ムサシだ!」
「あ、僕はケイタ。よろしく……」
ぼそぼそと追随して喋るケイタに、シンジはなんでこんな子をマナの彼氏だと思ったんだろうかと首を捻った。
「よろしく」
「暗い奴だな」
ムサシが忌憚のない感想を述べる。
「……そうかもね」
シンジはあえて否定しなかった。右手をポケットに手を入れたのは、無意識の内の行動だった。隠した状態で、いつもの癖──右手を何度も握り込む。
「それで、なに?」
びしっと突きつけられる指。
「お前に言っとく!」
「…………」
「マナが泣くようなことになったら、俺が許さないからな!」
単細胞だ……シンジは思った。
「なんで僕に言うのさ?」
「うるさいんだよ! わかったか!」
目が血走っている。
シンジにはうんと頷くことしかできなかったが、納得はできない。
そこで肩を怒らせて行ってしまった彼のことを、残った少年に訊ねることにした。
「どういうこと?」
「え? あ、うん……」
ちょっとねとケイタは気弱な笑みを見せた。
「君は聞いてないの? マナのこと」
「っていうか、君たちなんなの?」
あっと彼はわたわたと慌てた。
「元々同僚だったんだ、僕たち」
「へぇ……」
「とりあえず、マナはね? 僕たちの先輩にあたるんだよ。ムサシも僕も、よく面倒を見てもらったんだ」
懐かしんでいるのか、顔が緩んで見える。
「僕たち、仲間だったんだ……。でも」
──マナ!
「実験中の事故だったんだ」
「…………」
「マナ、体壊してね……。元々無理な実験だったんだけど、それからだよ、マナ、役立たずとか言われて、襲われ掛けたりしたこともあって」
──マナに手を出すな!
「ふうん……」
シンジは眉間に皺を寄せて訊ね返した。
「それで……、どうして僕につっかかってくるのさ?」
「それが……」
引きつりながらもケイタは語った。
「ネルフに移ってからも、マナとは手紙のやりとりを続けてたんだけど」
「…………?」
「最初は赤木博士のことばっかりだったんだ。優しい人だって、親身になって治療してくれて、今じゃ普通に走り回れるようにもなったって、それが」
「なにさ?」
「……使徒が来てからだよ、碇君が、碇君がって。手紙の中身、そればっかりになっちゃったんだ」
(意外と粘着質なのかもしれないな)
ケイタの口ぶりはそう思わせるようなものだった。ただ気弱なだけではないような。
「僕も、ムサシも、早くマナと一緒になって戦えるようにって、頑張ってたんだ。訓練生の時からだよ。でも同じテストパイロットになった時には、事故でマナは外れちゃうし、それでもって思ったら、ネルフに行っちゃうしで」
「僕に言われても……」
「あ、あ、ごめん」
元に戻った。
「ええと、そうでなくてもさ、マナっていうか、僕たち少年兵がどんな扱いを受けてたのかって、ネルフ経由で発表されて、ムサシ、完全に無駄な努力だったって感じになっちゃってたのに」
なんとなく、荒れる様が想像できた。
「それでも、共同作戦とかあるはずだって思ってたのに、碇君が登場して来て」
ムサシ、出番無くしちゃって。そう言った彼の言葉に、シンジはムサシの哀愁を知った。
……知ったからと言って、だからどうしたといったものでしかなかったのだが。
「だからムサシ、今度の護衛任務には命賭けてるんだよね」
「命って……」
「大袈裟だけど、ムサシにはマナってそれくらい大事なんだよ。マナに必要なのは自分だって思ってるんだ」
「君は?」
「ぼ、僕なんて!」
酷く慌てて、彼は話題を逸らした。
「ほら! あれが僕たちの機体。トライデントって言うんだよ」
ケイタが指を差した先には、あの奇妙な曳航のされ方をしている機体があった。
「陸戦型巡洋艦。接続されてるのは洋上移動用のオプションパーツ、って言っても廃棄処分寸前の船を改造して使ってるだけなんだけどね」
(オプションだったのか)
「本当は今日の護衛には、最新鋭の戦艦を使うはずだったんだけど、どうせネルフに対する示威的行為でやるんなら、トライデントを持ち出すべきだ、なんてね? ムサシが強引にごり押しして、今日の任務に……」
シンジは右から左に聞き流しながら、妙なことを考えていた。
(あ〜。なんだかアスカと一緒に見た巡洋艦のこと思い出しちゃうな)
使徒の体当たりに弾けてしまった。
(あれもドォンってやられたりして)
──ドォン!
「あ……」
シンジは間抜けな声を洩らしてしまった。
ケイタも目を丸くしている。
起こった高波が空母を傾ける、シンジは踏ん張って声を荒げた。
「使徒!?」
「僕のトライデントがぁ!」
海面に新たな航跡が浮かび上がる。波を切るのはせびれであった。
空母ほどもある巨大な体躯が影として確認できた。それは間違いなく使徒であった。
Bパート
──怒号が交錯する。
「状況を知らせ!」
「はい! 海中より攻撃を受けました! 敵艦の所属は不明!」
「体当たりをする船などあるものか!」
罵り、艦長は目の端に映るリツコに対し、相手を認めた発言をした。
「使徒とというやつだな、これは」
双眼鏡をリツコに手渡す。
リツコは短く謝辞を述べて、自由に泳ぎ回る奇妙な生物の存在を確認した。
「目標は……」
「君たちの人形だろうな」
おいと彼は部下を呼んだ。
「荷物を中心に陣形を整えろ。外側の艦のコントロールはこちらに回させろ。乗員は退艦だ。急げ!」
えっとリツコは驚いた。
「船を盾に使うおつもりですか!?」
「他に方法はない」
「しかし」
艦長は目深に帽子を被って表情を隠した。
「わたしとて君たちの金食い人形なんぞに大事な船を失いたくはない。だがそれ以上にあの子に戦闘をさせるわけにはいかん」
リツコははっとした様子で確認した。
「艦長は……、あの子のことをご存じで?」
「ああ」
小さく頷く。
「彼女の父親から直々に頼まれている。娘を頼むとな」
「それは」
「養父の方からだよ。実父は終身刑だそうだな」
「はい……」
「妻殺しの男と、それを目撃した娘か。彼は後悔していたよ、使徒など来るはずがないとタカを括っていたのになと。自信を付けさせるつもりでネルフに協力させたのが、このざまだとな」
リツコはふっと嘲るような笑みを見せた。
「あの子がネルフに協力を誓った時、わたしは反対でした」
「なぜだね?」
「わたしの友人に似ていたからです。仕事ばかりの父に、邪魔だからと置き去りにして、捨てられて。……そんな風に落ち込んでいるのが手に取るようにわかりましたから」
「君は甘いな」
「お恥ずかしい話です」
ヘリが昇る。
中にマユミの姿が見て取れた。
緊急離陸できる状態にあったヘリに連れこまれ、山岸マユミはエヴァンゲリオン零号機が収められている輸送用タンカーへと移らされていた。
「きゃ!」
横波に傾斜する甲板に下ろされ、そのまま転がり柵を越えそうになってしまう。
懸命に掴まったのだが、眼下の波を見て貧血を起こしかけた。
もう嫌だ、そんな露骨な顔色をしている。と、脱落していく船の中に、知った艦があるのに気がついた。
「あれは浅利さんの」
こっちだと呼ぶ声にはいと答えた。
──オーバーザレインボウ。
リツコはよろめきながら飛び込んで来たシンジに声を荒げた。
「シンジ君!」
「リツコさん、使徒は?」
「潜ってるわ。遅かったのね?」
「迷っちゃったんですよ。でもどうして使徒の接近に気付かなかったんですか?」
リツコは気が付いてはいたのだと説明した。
「途中までは、ちゃんとレーダーで確認できていたのよ。それが」
姿が消えてしまったのだという。
「おそらく下の街をうまく使って近づいてきたのね」
「下の街?」
「ええ。この下にはね、セカンドインパクトに伴う海面上昇によって沈んだ街が眠っているのよ。使徒はそれを利用したんだわ」
──こぷりと顎の隙間より気泡を漏らす。
光の揺れる海面を見上げ、怪物はゆっくりと動き出した。身をくねらせて浮上する。ヒレでひとかきするごとに、異常なまでに速度を増す。
その先にあるのは、もちろん……。
突然水柱が上がった。水柱の中から使徒が空に昇らんと姿を見せる。
泡立つ潮に混ざって、二つに折れたタンカーと残骸が、踊るように回転している。
「零号機は!?」
「あそこだ!」
間一髪──起動に成功した青い巨人が、無様にタンカーの残骸に掴まり浮いていた。
『山岸!』
通信機からの声。
『こっちだ! 掴まれ!』
巨人の傍に、トライデントが回り込む。
「マユミ、旗艦へ運んでもらって。予備電源ではそうは長くは持たないわ」
『は、はい』
上擦った声が緊張の度合を教えてくれた。
ガチガチと震えている様が見えるようだった。
「艦長」
「わかっている。準備はできている」
「ありがとうございます」
返礼してから、リツコは使徒の邪魔が入らないだろうなと不安を感じた。隣を見る。
(シンジ君?)
シンジは気難しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ……」
シンジはぽつりと呟いた。
「アスカなら、って……」
(アスカ?)
誰のことだろうかと不審に思う。
第一、シンジは今の問いかけに対して、意識して答えた様子ではなかった。ついこぼしてしまったと言った感じだった。
それも当然だろう。
シンジの目には、華麗に宙を舞う弐号機の幻が見えていた。
その動きは、無様に人の手を借りて、回収されようとしている零号機とは、酷いほどに違いすぎる。
「アスカなら、もっと……」
陣形の外に出て、ぐるりと迂回する形で、ムサシは機体を旗艦に寄せた。
よたよたと手を伸ばして、必死に甲板に上がろうとする。そんな零号機の重みに負けて、艦は一瞬転覆しかけた。
「しっかりしてくれ!」
艦長が声を荒げる。這々の体でようやく這い上がった零号機の姿は、陸に打ち上げられた魚とさほど変わらなかった。
「敵影接近! 真後ろから来ます!」
「マユミ! 早くケーブルを繋いで!」
どこだろうかと辺りを見回し、あったと手を伸ばす零号機にやきもきとする。
そんな悠長なことをしていられたのも、ムサシが囮となるべく行動してくれたおかげであった。
旗艦を離れたトライデントは、オプションである前頭部分のボートを捨てた。メインエンジンに火を入れて、その勢いに乗って離水する。
浮かび上がった船体の下に足があった。角度を変えて、高い機動性を発揮する。
「この!」
ムサシはおよそ普通の艦では不可能な半径での高速旋回を試みた。
無理矢理照準に使徒を入れて、トリガーを引く。
──弾丸が光となってばらばらと伸びる、それらはガキンと弾かれた。
金色の障壁に。
「あれがATフィールドか!」
しかし時間稼ぎにはなったようで、警戒したのか、使徒は海中へと姿を没した。
無気味な静寂に包まれる。
「ソナーに感。離れていきます」
「次は来ますね。この船に」
「ああ」
「いかがしますか?」
「一応訊ねるが」
深くシートに尻を預けて、艦長はリツコに横目をくれた。
「あの人形を捨てて逃げるという案はどうかね?」
「それをするには遅過ぎるのでは?」
「今だからという考え方もある」
「それで生き残ることができるのならば」
「そういうことだな」
シンジは聞くともなしに聞いてしまっていた。
(エヴァがないと使徒は倒せない。エヴァを捨てれば今は生き延びられるかもしれないけど、サードインパクトの確率は酷く高まる。ここで死ぬか、後で死ぬか。ほんの少し生き延びるか、それとも他の人たちのために希望を残すか)
自分のことをかえりみる。
(そんな思いで戦ったことなんて、なかったな)
「戦艦二隻を後退させろ」
「は?」
「脱出した者たちの救助に当たらせろ。砲撃艦は使えん。護衛艦には魚雷とハープーンの準備を、急げ」
「はっ!」
ふぅと彼は虚脱する様子を見せた。
「君たちはどうするね? 脱出するなら用意させるが」
「わたしはここに残ります。シンジ君、あなたは退避して」
「え? でも……」
リツコは何とも言えない微笑を浮かべた。
「嫌な言い方だけど、わたしが死んでも代わりは居るのよ」
「リツコさん……」
まさかと思う。
(綾波の口癖って)
零号機へと目を向ける。
(震えてる?)
確かに小刻みに震えていた。
(恐いのか、当たり前だな)
ふっと微笑を浮かべてしまう。
(やっぱり……僕を追い込むような、そんな意図が働いてるのか?)
ここで逃げ出せば、一生の後悔を背負うことになる。
嫌というほどわかりすぎている展開だった。
(アスカ)
「シンジ君?」
右手を軽く握り込む。
「リツコさん……」
「なに?」
シンジは虚ろな瞳を向けた。
「……僕が、乗ります」
「シンジ君!? でも……」
「乗ったからって、動かせるかどうかはわからないけど、山岸さん一人よりは良いでしょう?」
迷っている暇はなかった。
「……そうね」
艦長に訊ねる。
「お願いできますか?」
「それは良いが……」
「すみません」
リツコは艦長に適当な理由を説明した。
「少なくともこの船よりは、エヴァの方が頑丈でしょうしね」
零号機の元へと走るシンジ。
だが艦橋からの出入り口に、居たのかと驚くような人物が待ち伏せていた。
「やあ」
「誰です? 急いでるんですけど」
「加持リョウジ。まあお仲間だよ」
「仲間?」
「ネルフのね」
彼はIDカードを見せた。
「これから逃げ出すんで、挨拶だけはしておこうかと思ってね」
「そうですか……」
彼は面白そうに目を細めた。
「聞いてたのとは、ちょっと違うな」
「え?」
「何が何でも自分で倒したがるサードチルドレン。そういう噂だよ」
「そうですか……」
「間違ってるかな?」
「別に……ちゃんとした人がやってくれるなら」
「確かになぁ……」
ぼりぼりと頭を掻く。
「マナもマユミも、パイロットには無理があるからなぁ」
「……山岸さんのことは、まだよく知りませんけど」
「話したんなら、わかるだろ?」
「まあ……感じだけなら」
「でも君も似たようなものなんだけどな」
「そうなんですか?」
「初号機は君のお母さんが作ったものだろう? 碇博士はシンクロ機構の開発のために、サンプルとして自分や君のデータをサンプルとして使っていたんだよ。だから君でも起動することがわかっていたんだ」
「それで僕は呼び出されたわけですか」
「がっかりしたかい? 作られた英雄だったとわかって。参号機以降はちゃんとしたパイロットが用意されることになってるんだよ。君はあくまで緊急避難的な存在として呼び出された予備なんだ。あの二人よりはマシだろうってね」
たばこをくわえて火を付ける。
「……やるかい?」
「……いただきます」
「お? 意外と不良だな、君は」
何も言わずにわけてもらったものをくわえ、加持と顔を近づけ火種を移してもらう。
「……慣れてるんだな」
「はい」
「そういう生き方をしていたわけだ、君は」
「そうですね」
まるで苦笑まで移ったようだった。似ている笑い方をした。
「たぶん、たばこを吸うような奴なんて嫌い……いえ」
「なんだ?」
「苦手でしょうね、山岸さんは」
「用意!」
随伴する戦艦が砲撃を開始しつつ撤退する。
続いて魚雷が撃ち出されるも効果は無い。
「沈まんか!」
「パイロットの交代の間だけで良いんだ! なんとか時間を稼げ」
シンジはエヴァ背部から垂れてきたタラップに掴まり、引き上げてもらうまでの間にくわえていたたばこを吸いきり、捨てた。
危なげもなく這い上がり、プラグに回り込み、搭乗する。
「碇さん」
「ごめんね」
「いえ……」
彼女を押しのけて、シートに座る。
シンジは目を閉じると、すぅっと息を吸い込んでから、口にした。
「接続開始」
静かな駆動音が耳に障る。
LCLが注水される。
「エヴァンゲリオン……起動」
やけにあっさりとモニタが回復する。
シンクロ率を示すゲージを確認する。
「動くのか……」
シンジの呟きに対して、マユミは複雑な顔をした。
「あの……ごめんなさい、わたし」
「良いから」
シンジは苦笑して告げた。
「それよりごめんね。降ろしてる暇は無いみたいだ」
「はい」
「顔色悪いね……って言ってもなにもしてあげられないんだけどさ」
「はい……」
「行くよ!」
シンジは勢い込んで体を前に倒した。
「え? きゃあ!」
軽い震動の後に続いたのは浮遊感だった。LCLの中、体が僅かに泳いでしまって、マユミは慌ててシートと壁に腿を張り付け、踏ん張った。
うそ……。少女は少年が操ったエヴァの動きに、小さくそうこぼしてしまった。
目前にリモートコントロールされている護衛艦が流れて行く。エヴァはその艦橋に向かって降下して行く。
着地と激震。船の一隻を踏み付けて、さらに遠くの船へと移動する。
その高い機動性に驚いたのは、なにもマユミだけではなかった。
「シンジ君は機体を選ばないというの?」
リツコもまた唖然としていた。未調整の機体に、それも思考ノイズの元となりかねない少女を相乗りさせて、初号機と比べても遜色のない運動性を演出している。
──三つ目の艦を踏みつけ、潰す。
艦橋をへこませて立つ。シンジはそこを対決の場と定めたようだった。旗艦を中心とする防御陣形の最右翼である。
やや斜に構える形で真っ直ぐに立たせ、シンジはウィンドウを開いて忙しく情報を求めた。護衛艦とのリンクを要求して、レーダー関係の情報を引き出す。
使徒はゆっくりと回遊し、再び戻って来るコースに移っていた。
(いける?)
わからない。だがシンジは感じていた。
(これってあれだ……、初号機の感覚だ)
それもS2機関を搭載した後の。
──ぐっと手に力が篭もる。
アスカが食い殺された、あの時に導き出せた初号機の力。
シンジはそれに匹敵するものを感じていた。
(でもどうして?)
「碇君っ!」
少々深く考えにふけり過ぎてしまったらしい。
シンジが前を向くと、すぐそこにまで使徒はやって来ていた。白く泡立つ尾が海面に長く曳かれている。
その発生源は至近距離にまで迫って来ていた。
[BACK][TOP][NEXT]