暗い部屋の中に、オレンジ色の塊があった。
すっぽりと体を覆う服に身を包み、マユミはベッドの上に身をとても小さくしていた。
どくん、どくんと、鼓動が大きくなっていく。
耳鳴りが酷くなるに連れて、彼女はケージでのことを思い出す。
「ばかっ!」
パンと大きな音が鳴って、次いでじんじんと鈍い痛みが頬に広がった。
それでもマユミは動けなかった。
それほどまでに、マナの怒りがすさまじかった。
「死ぬところだったのよ!?」
「ごめん……なさい」
「ばかっ!」
横座り気味に、頬を押さえて床にへたり込んだマユミに、マナはどこまでも容赦がなかった。
「ごめんじゃないでしょう!?」
謝ったところで仕方がないのだ……死ぬところだった、つまり、自分のことであるのだから。
謝罪するようなものではなくて、注意すべきものであるのだから。しかし、怒りが浸透している彼女の言葉はとても足りなくて、マユミに真意は伝わっていなかった。
「なに勘違いしてるの! シンジ君に無理させたくなかったら、無理をするんじゃなくて、自分の身は自分で守ろうとしなくちゃ駄目じゃない!」
それは言われたくないとマユミは泣き叫んだ。
「マナさんだって!」
マナには前科があった。
第五使徒の話である。
「あたしだって……あたしだって!」
「マユミ!」
マナは逃げ出したマユミを追いかけようとして、肩をつかまれ、引き留められてしまったのだった。
自分が代わりに行くとでも言うのかとシンジをにらみつけたのだが、シンジはかぶりを振っただけだった。
放っておけと言うのである。マナは目を丸くした。
──習慣とは恐ろしいもので、マユミは無意識の内に更衣室へと駆け込んでしまっていた。
背後で閉まった扉にもたれかかり、そのままずるずると崩れ落ち、泣き出す。
──ドア横の端末がチャイムを鳴らした。
『山岸さん?』
ドアの外からの通話。ケイタだった。
『あの……マナのことだけど、許してやってね?』
「…………」
『マナ、碇君のことが好きだから、きつくなっちゃってたけど、でも山岸さんのことも心配して……』
マユミは両手で耳を塞いで、嫌だとかぶりを振っていた。何度も、何度も。
『じゃあ……』
許して、お願い、責めないで……。
思い上がったあたしが、馬鹿だっただけだから。本気でそう思い始めていた。
●
「お前さぁ」
「なに?」
「こういう時にこそ、下の配給、手伝いに行っておこうとか思わないか?」
なんでだよと訊ねるケイタに、甘いなぁと教えてやる。
「彼女が行かなくなったから、行くのを辞めたんじゃ、それって下心があって手伝ってましたって言ってるのと同じじゃゃないか」
「あ……」
「あくまでそれとこれとは関係ないことなんですよってパフォーマンスは重要だぞ?」
本音は追い出したいだけなのだが、表に出さないように努力している。
「どうせ山岸のことは、碇が面倒見るんだろうし」
「碇君かぁ……」
ケイタは真剣に問いかけた。
「碇君のどこが良いのかな? 山岸さん……マナもだけど」
「そりゃ……」
言えないし、言いたくもない。
落ち込んでいる女の子が居るというのに、このチャンスにと浅ましいことを考えもせず、救ってやりたいと気を揉むこともなく、ただただ冷静に間を置くような、そんな『子供離れ』した違和感と抵抗感の塊を、うまく表現したくはなかったのである。
空から灼熱に燃える巨大な物体が降下してくる。
その圧倒的な迫力を前に、赤く染まっていく世界を目の当たりにして、マユミは身をすくめてしまった。
──そしていつものように、黒い影が、紫の背が、彼女をかばうために割り込んで来たのだ。
マユミはぼんやりと考えていた。
時計のカウントが、頭の隅に引っかかる。
(パン……)
碇君は、どうしてるだろうか?
食事は摂っているだろうか?
様々な想いが交錯する。
思い詰めたことをしてしまった自分を、シンジはどう思っているのだろうか?
どんな風に見るだろうか?
それでいて、彼は今どうしているだろうかと考えてしまう。
生きることにさして興味を覚えていない彼のことだ、食事を抜いているかもしれない。
一方で、こんな風に逃げ込んでしまって、ばつが悪く、外に出られないと嘆く、臆病風に吹かれた自分がとても情けなくなっていた。
(碇君に……あたしなんて必要ないのにね)
けれどもと悩んでしまう自分が居る。
シンジのために尽くす必要はない。実際、彼は会いに来ない。
このまま忘れ去られてしまうのだろうか? そして自分は行きづらくなって、それで終わりになってしまうのだろうか?
(行きたいのかな、あたし)
かと言って、どうやって謝れば良いのだろうか?
そもそもシンジは怒ってなどいない。それは確認せずともわかることだった。
マナが怒ったのも、今ではちゃんと理解できている。死んで欲しくないんだからと、心配したんだからと、彼女は怒ってくれたのだ。
ふふ……っと微笑が浮かんで消える。
どうやらそれがわかるくらいには、自分は冷静になれたらしいとわかったからだ。
「でも……」
本当はわかっている。
シンジの言葉通りだと。
(ここで動かなかったら、あたしはきっと、動かなかったことをずっとずっと悔やむに決まってる)
それがわかっていても、動けないのだから……。
「あたし……碇君のようには、なれない……」
彼女にはシンジにとっての『アスカ』がどこにも居なかった。
──エヴァンゲリオンケージ。
「使徒とエヴァか……」
なんですと、傍らでボードを手にチェックしていたマコトが顔を上げた。
「なにか気になることでも?」
「ううん。ただね……」
歩き出す。
「使徒が来る前は、エヴァこそが唯一頼れる兵器だって言ってたじゃない?」
「はぁ……」
「でもあたしたちが頼ってるのは、エヴァじゃなくて、シンジ君なのよね」
「そうですけど……でもエヴァあってのシンジ君なんじゃ」
「じゃあシンジ君無しのエヴァって考えられる?」
答えられないマコトの様子に、意地悪しすぎたかと反省する。
「マナの調子は?」
「……ドクターストップがかかりました」
少しほっとした様子でマコトは続けた。
「ストレスが限界に達しているとのことです。これ以上は体を壊しながらになると……マユミちゃんの様子はどうですか?」
「タイミングを計ってるところよ」
「…………」
「なに?」
「のんびりしてて良いんですか?」
ミサトはわずかに肩をすくめた。
「シンジ君から頼まれてるのよ……慎重にやってくれって」
「シンジ君にですか?」
「先のことを考えたら、目先のために焦るのはよくないんですって。次の使徒のために無理矢理引っ張り出しても、その先でまたくじけるようじゃ意味なんてないから」
マコトは声を小さくした。
「あの噂、本当なんですか? シンジ君、パイロットを辞めるって」
「まさか。辞めさせたがっている人が多いだけよ」
「そうなんですか?」
「戦闘に出るたびに、集中治療室に担ぎ込まれてる。これが問題がないって言える?」
見てる側が辛すぎるというのが、大勢の意見であった。
「純粋に、怖いって言うのもあるんだけど……」
ミサトは翼を展開したエヴァの姿を思い出し、身震いをした。
「でも『子供』のくせにあそこまで自分を捨てられることが、本当の怖さなのよね」
「そうですね」
「壊れるって事に関しては、シンジ君、自覚してやってることよ」
マコトはそれこそ信じられないと目を剥いて驚いた。
「そうなんですか!?」
「ええ」
堅い顔をして頷く。
「だからこそ、マユミのケアをきちんとしてもらいたいなんて言っているのよ。近く自分は壊れてしまうから、その後はもう、手助けなんてできなくなるから……」
エレベーターへと乗り込んだ。
「……そう言えば、今日は技術部で試験があるんだっけ?」
ミサトは気分を変えるように声を明るくした。
「トライデントですか?」
ハンディコンピューターを取り出し、スケジュール表を呼び出す。
「午後からですね」
「改造したエヴァ用の陽電子砲やパレットガンを装備しての実働試験……だっけ?」
「はい。今はそのための起動シミュレーションを行っているはずです」
トライデントの周囲には、多くの作業員が取り付いていた。
コクピットにはムサシとケイタの姿があった。ただし大きなヘッドギアをかぶらされている。
両手は忙しく機器類を操っていた。トライデントのコクピット周辺には、タラップが設営され、計測機器が乗せられていた。この機械はコクピットのコンソールと幾重ものケーブルによって接続されている。
『第五次試験開始』
ヘッドギアの内側、シミュレーション画面には、使徒の画像が作り出されていた。ムサシはレバーを繰って、ターゲットスコープをうまく合わせた。
トリガーを弾く。
しかしガトリングガンと違って、ビームには発射までのタイムラグがある。
陽電子が生成され、光弾が射出される頃には使徒も移動しており、酷くあっさりとかわされてしまったのだった。
「こんなものか」
リツコはペン尻で頭を掻いた。
反対の手には、資料を留めたボードを持っている。
「やはりMAGIではだめね。陽電子砲の使用プログラムは新規に作成して、トライデントに組み込むしかないわ」
でもとマヤが振り返る。
「リソースが不足するんじゃないですか?」
「そうなのよね……」
ビームのためのエネルギーパックを増設するようなゆとりはない。開発する予算もない。
となれば、エヴァ用の電源ケーブルを流用するほかなく、トライデントの上甲板左右に取り付けられた砲門の後部には、ケーブル接続用の差し込み口が作られていた。
引き金を弾けば、MAGIがチャンバー内の加圧等を制御する仕組みである。
しかし、それでは遅かった。単純にMAGIとの距離の問題がある。使徒による電磁波干渉のことを考慮すると、やはりケーブルで情報を交換するのが一番なのだが、それでは通信に速度制限が発生してしまうのだ。
「それにしても」
マヤは思った。
「これじゃあ地上巡洋艦っていうより、巨大戦車ですね」
「そうね……」
エヴァですら二門装備は無理がある大きさである。
トライデントに装着すると、本体よりも大きく見えた。
「まあ、脱着式にはしてあるし……だけど」
問題はと、ケイタ機を見やる。
「彼の方は、問題が多いわね」
残ったエヴァ用の銃砲頭を、できる限り装着してある。
場合によっては、そのままエヴァに融通できる仕組みだった。
「回せるものに、ろくなものがなかったのよね」
ただ、腹の下、股の間に、大きな砲が一門装備されていた。
それは細く、長く、後部はムサシ機に装備された陽電子砲と同じく、ソケットの差し込み口が作られている。
戦略自衛隊技術研究所より提供された、自走陽電子砲を改造した特殊砲であった。
●
(あ〜〜〜あ、とうとうやっちゃった)
マナはぷらぷらと施設内を歩き回っていた。
右手には点滴袋を下げた鉄棒を握り、歩調に合わせて押している。
(好きになってもらえないからって、逆ギレよね。でもなぁ……)
マナはやってくる少年に気がついた。
「ムサシ」
「マナ」
よぉっと彼は、非常に元気なく手を挙げた。その様子に目を丸くする。
「どうしたの?」
「ちょっとな」
マナは怪しいなぁと眉をひそめた。
「またなにかよけいなことしたんじゃ……」
「そんなことは……あるけど」
「やっぱり」
腰に手を当てて、マナはふんっと鼻を鳴らした。
「それで?」
「え?」
「言えないこと?」
「まあ……」
「ムサシ?」
ん〜〜〜っと下からのぞき見られて、ムサシは必死に顔を逸らそうと妙な角度に曲げたのだが……。
「なにかなぁ?」
嫌な感じにニヤつかれてしまい、結局は降伏する他なかったのであった。
●
ズクン、ズクンと、鼓動が右手から大きく聞こえる。
指が倍ほどにふくれあがり、腫れて、腫れて、手のひらを閉じることもできなくなって、感覚すらも見失い……。
それでも、血の通う震動だけは響いてくるのだ。
──馬鹿。
彼女は泣きそうな顔をして、グローブのようにふくれあがった手を取ってくれた。
痛ましげに、何重もの皮越しに触れられているようなくすぐったさで、さすってくれた。
馬鹿……と、彼女はもう一度泣いた。
「あんた馬鹿よ」
「なんでさ」
「いい加減、気付いてよ……」
泣かせていたのは自分であった。
「あたしのためにってのはうれしいけどさ……ここまでされたら、あたしのせいなのって、辛くなるのよ」
「ほどほどにしてるつもりだけどな」
「どこがよ!」
「たまたまだよ……いつもは」
「いつもじゃない!」
彼女の涙混じりの説得には、とてもあらがいがたい迫力があって……。
シンジは夢からゆっくりと覚めた。
「寝ちゃってたのか……」
ぼそぼそと話し声が聞こえる。
ついたての向こうからだった。
「シンジ君、まだ寝てる」
「そっか……」
「ねぇ……相談ってなんなの? あたしのこと?」
(なんだろう?)
シンジはじっと耳を澄ませた。
「マナじゃなくって、山岸さんのことだよ」
「え゛っ、ムサシってマユミ狙い……」
「違う! ケイタのことなんだよ!」
「……なんだかすっごい遠回りな話?」
まあなとムサシの声は疲れていた。
「さっきな、ケイタが、もう一度山岸さんに声をかけに行ってみるって、言い出してさ」
「またぁ?」
「途中で、偶然加持さんに会って、やめといた方が良いですよねって、応援を頼んだんだけど……」
『そりゃまあ、元気づけるのは悪くないけどな。でもよっぽど親しくて、とても追い返せない相手だっていうんならともかくさ、説教じみたことを言われるのがわかってるのに、わざわざ自分の部屋に、親しくもない男の子を上げてやる女の子なんて、居ないんじゃないのかな?』
『べつに、山岸さんの部屋に入ろうとか思ってるんじゃなくて……』
『冗談だよ、冗談。でもな、だったら外に引っ張り出そうっていうのか? それこそ親しい相手でないと、耳なんて貸さないだろ』
『碇君に任せろってことですか?』
『そういうことじゃなくてだなぁ』
『そういうことなんじゃないですか……』
「……でも、ケイタって、ああいう人、嫌いだろう?」
マナはそうだったかなぁと首をひねった。
三人でよくつるんでいたと言っても、やはり男の子と女の子の壁はあったし、第一、ムサシが思っているほど、マナは親しんでいたつもりはなかった。
せいぜいが、ムサシのお供だという感覚であったのだ。
「え? なに?」
ムサシがじっと見つめていた。
「お前って、そういうヤツだよな」
「え? え?」
「だからさ、結構仲が良いって雰囲気作って、勘違いさせて、実際はそうでもないって、そういうこと」
マナは責めないでよと眉間に皺を寄せた。
「そんなこと言われても……」
「ケイタ、お前のこと、好きだったんだ、知ってるよな?」
「うん……」
「けっこう、気安かったろ? だから勘違いして……」
途中で区切る。
「俺はそういうの、差し引いて見てるから、あんなに都合の良い妄想はできないんだけど……」
そういうことかとマナは了解した。
「ああ。だからね……マユミにまとわりついてるのって」
そういうことだと肩をすくめた。
「自分じゃもう、友達のつもりなんだろうな……どう見たって、ただしつこくつきまとってるだけなんだけど」
「はぁ……」
「で、ケイタにしてみれば、加持さんってムカツクタイプなんだよ。あの人、相談しやすそうなところがあるだろう? ……ニヤけてるけど」
「そうかも」
「ケイタにしてみれば、よけいなお世話だって感じで、加持さんにしてみれば、言葉にできないくらい当たり前の判断で……どっちも納得させられないし、納得できないしで、どうしたもんだかって感じになってさ」
「それで、どうしたの?」
「しぶしぶ引き下がったんだけど」
あれはと彼はうなだれた。
「ケイタって……どう見ても山岸さんに惚れてるっていうより……」
「ケイタって、ヤラしいから」
おいおいとムサシは冷や汗を垂らした。
「おま……そういうこと言うなよなぁ」
「どして?」
思い当たるまでに、間があった。
「ああ……そうか、そういうもんね」
「そういうものって?」
「あたしが昔いた施設のオトコノコなんだけど、ベッドのマットレスの下にエッチぃ本を隠してたりとかよくしてたのよね」
「…………」
「相手のことが好きなのか、ヤラしいことをする相手が欲しいだけなのかって、大事だと思うよ?」
降参と腕を広げる。
「まあ、だから俺も慎重なんだけど……」
「あたし?」
「ヤな女ぁ……わかってて避けるんだもんな」
「あたしの最優先はシンジ君ですからね」
まあいいやと彼は頭を掻いた。
ずいぶんと軟化しているらしい。
「ケイタだよ、ケイタ」
今の話はと強引に戻す。
「あいつの頭の中じゃ、山岸さんとどこまで進んじゃってんだか」
「あんまり想像したくない……」
「いや俺も想像したくないけど」
これも脱線だと頭を痛める。
「戦自じゃ休養日なんて言ってもやることなかっただろ? やって良い遊びなんてキャッチボールかバスケだったし」
「だから?」
「まあ……その、なんだ。女の子と同室だとさ」
「…………」
「そういうことして暇つぶしてるか、そういうことばっかりしてる奴から話を聞いてうらやましがってるか、どっちかしかなくてさ」
「で、ムサシは?」
「今はケイタの話!」
必死にごまかす。
「興味があっても、それを顔に出したら、みんなでよってたかってからかわれることになったんだよな……。だからあいつ、興味ありませんってふりをしようとして、よけいにからかわれることになっててさ」
「ふぅん……」
溜まってたわけだと、ついたての向こうからの声に、ムサシはきょとんと目を丸くした。
マナも驚いたように顔を弾き上げた。
「シンジ君?」
「悪い、聞いちゃった」
なんだよとムサシとマナはついたてを回り込んだ。
「盗み聞きすんなよ」
「だったらそんなところで話さないでよ」
ムサシは笑って冗談にしようとしたが、シンジのギプスに顔をしかめた。
「痛そうだな……」
「ん……でも痛いのは麻痺してる神経が治ってきてる証拠なんだってさ」
「そうだろうけど……」
彼はマナが移動させた椅子を受け取り、腰掛けた。
「だから山岸さんって……マナもだけど」
「なに?」
「考えたけど、やっぱり俺には理解できない。フィードバックシステムだっけ? 体張ってるのと同じじゃないか。そりゃ……ATフィールドがある分だけ、通常兵器に乗せられてる人間よりは、安全なのかもしれないけど」
マナを見る。
「マナも、ドクターストップがかかったんだって?」
「うん……一ヶ月の搭乗禁止だって。戦闘は二ヶ月」
「山岸さんだって、同じくらいストレスかかってるんだろうし。だからじゃないかなってさ」
「なんの話よ?」
「ストレスを肩代わりしてくれてる奴に、惚れない方がどうかしてるって、そういうこと」
ああとマナは納得して見せた。
「それはそうでしょ……普通」
「そういうこと」
シンジへと目を向ける。
「それに比べたら、ケイタなんて、まだ実戦にも出てないからな……。気にしてもらおうっていう方が無理さ」
「僕に言われても……」
「でも傍目には碇の彼女って感じで……イテッ」
股をつねられた。つねったのはマナだった。
「彼女じゃないの」
「どっちでも良いんだよ……ケイタみたいなのには、好きな子と、他の男が、エッチなことしてるって想像ができるだけで、結構来るものがあるんだから」
シンジはそうだねとため息混じりに同意した。
「なんとなくわかるよ……」
「みんなそうだよなぁ……」
一人わからないとマナだけがむくれた。
知り合いの彼女、友達の女友達。
女の子に縁のない人間にとっては、誰かとつき合っている女の子などは、いやらしい妄想をするための恰好の材料なのである。
きっとあんなことをしている、こんなこともと考える。
「好きな人ができたら、自分もそういうことをしようって思うもんなんだよな……碇はどうだったんだよ?」
「わりと……普通だったよ。そういうことを考えてるって知られると、からかわれそうで、怖くて」
「ケイタと同じタイプか」
「でも……」
マナはアスカさんがと地雷を踏みそうになった。
「……今のシンジ君は、そんな感じしないけど」
「そりゃそれを冗談にできるようになったからだよ」
見透かされることが怖かった自分はもういないと語った。
「意気地がなかったって言えば、それだけだよ。明るい性格……ムサシ君なんかはそうじゃないの? 冗談にしちゃって、笑い話にできるんじゃないかな……」
「まあな」
「それが僕にはできなかった。今でもできないけどね、似合わないし」
ふぅとシンジは息を吐いた。
寝起きに一度に話すことになって、少しばかり疲れたからだ。
ムサシはそんなシンジの疲労を見て取り、話を切り上げるために用件を優先する事にした。
「なぁ……碇」
「なに?」
足の間で手をもてあそぶ。
よほど切り出しにくい話題なのだなと、シンジは枕に頭を置いたままでじっと待った。
「マジな話……山岸さんのこと、どう思ってる?」
マナはガウと吼えた。
「ムサシ!」
真摯な瞳に、答えなければいけないのだなとシンジは白状した。
「可愛いと思うよ」
「…………」
「よく世話も焼いてくれるしね」
「…………」
「正直、好きだよ」
「そうか」
ショックを受けるマナのことを、二人は故意に無視した。
「でも、それだけだ」
「手を出すつもりはないんだよな?」
「出せないんだよ……僕には好きな人がいるからね」
「アスカ……だっけ?」
蚊帳の外に置かれた状態で、マナはびくんと体をすくめた。
シンジが怒らないかとおろおろとする。しかしシンジは気にもしなかった。
「もう死んでる。僕も一緒に死ぬはずだった」
「自殺だったのか?」
「寿命だよ」
病気なのだろうかと、二人は想像した。
「そうか……」
「本当なら、僕もそこで終われるはずだったのに……」
生きながらえてしまっているのだと、絶望した表情で口にした。
「死にたい……けど、自分で死ぬことはできない。そんなことをしたら叱られるからね」
「山岸さんと……」
ちらりと横目に見る。
「マナのことは?」
「……他に行き場がないからだよ」
「ふん?」
「子供じゃね……働けないし、どうしようもないだろう? ここでパイロットをやるしかないんだ」
「だから、エヴァに?」
「そういうことだよ」
ムサシはその消極的な選択を責めなかった。
戦略自衛隊での同僚たち、それに自分は、まさにその選択の結果、そこで訓練を受けていたのである。
──生きるために。
「なるほどね……」
「エヴァに乗るなら、ちゃんと乗らなきゃいけない。ちゃんと乗るなら、一緒に戦ってる仲間を守らなくちゃいけない……たぶん、そういうことなんだと思う」
「自分のことだろ?」
「……後付けだよ。今適当に考えただけ。でもたぶん一番近いよ」
「動機なんて、そう簡単に説明できるもんじゃないって、知ってるよ」
ムサシは大人の顔をかいま見せた。
「山岸さんが、碇にどういう気持ちを持ってるかっていうのはわからない。知らないし……頼ってるだけなのか、それ以上なのか、わかんないけど」
「けど?」
「泊まらせたりしてたんだろう?」
「……まあね」
「あの子、期待してたか?」
「そういうことはないよ」
「じゃあ好きな人ってのとは、違うのかな? 碇は」
タイプが違うという意味だった。
「そうなると……難しくなるな」
「なんだよ?」
深く考え込む。
「できればケイタに引導渡してやって欲しかった……いてぇ!」
マナッと振り返る。
「なに!?」
二発目の拳を振り上げていた。
「……ええと」
びくついて撤退する。
「碇はともかく、山岸さんに脈がないのは明らかなんだよ。でも山岸さんって、お断りしますなんて言えるかなぁってさ……気が弱そうだし」
第一と付け加える。
「ケイタも告ったりするわけないしなぁ……。距離を計って、安全にって、嫌われないようにって気を付けるタイプだから……」
「それが苛つく感じなんだけどね」
「当人はわかってないんだよ」
シンジは気になって訊ねた。
「教えてあげないの?」
『どうして?』
綺麗にハモッた。
「言ったところで、変わらないって」
「そうそう」
「でもムサシ君が言うほど、臆病ってわけでもないみたいだけど……」
「そこは感覚の違いだよ」
「感覚?」
「あいつも戦自が長かったからさ、どっか性別って意識が抜け落ちてるんだよ。あれくらいのなれなれしさなら、十分顔見知りの範疇だって思ってるんだな」
「ふうん……」
「それにほら、あいつってマナで懲りてるし」
「どういう意味よぉ」
「そのままだよ」
苦笑する。
「もてない人間っていうのは、ちょっとでも話しかけてくれる子には、すぐ勘違いしちゃうもんなんだよ。でもって、それでもめるってのはいつものことで……でも、ケイタ、マナで痛い目を見てるはずなんだけどな」
「初耳……」
「そりゃそうさ、裏で他人が取り合いしてもめてただけだよ。当人そっちのけで」
「なにそれ……」
「よくあるだろう? マナをかけて勝負だ! 勝った方がデートに誘うんだ! って……」
「そういうのか……」
「マナとは違うって思ったのかな? ま、どう思ったんだかはいいや」
マユミについてを訊ねる。
「どうかな? 脈あるかな?」
「……ない、って言ったら、僕が妬いてるみたいだよね」
「でも、ない?」
「ないだろうね」
ため息をこぼす。
「って言うかさ、そういう話は苦手なんじゃないかって思うよ。たぶん退く」
「そっかぁ……そうだよなぁ」
「マユミ臆病なとこ、あるもんねぇ」
「うん……」
「でもケイタは暴走気味になってきてる。ますます山岸さんに絡むだろうな。で、そこには碇がいるわけだ」
「居心地が悪いのは嫌だな……」
「じゃあマナに替わってもらうか?」
世話のことである。
「なんでそうなるのさ……一人で」
「だめ!」
部屋の中に響くほど大きな声を出す。
「一人は絶対にダメ!」
「マナ?」
「シンジ君、麻痺状態が治ったって、握力はほとんど戻らないんでしょう?」
「どういうことだ?」
「マユミと一緒だったのだって、もう、スプーンも持てなくなってたからだって、聞いたよ?」
ムサシは大きく驚いた。
「お前、そんなに面倒見てもらってたくせに、慰めに行かないのか?」
論点がずれていた。
「しかし……なぁ」
困ったなぁと頭を掻く。
「俺、ああいう感じになってた奴を、一人知ってるんだ」
「誰?」
「昔な……」
「ムサシ?」
きょとんとするマナに、正直に話す。
「施設にいた頃の話だからな、十歳の時の話だよ! 俺、女の子に告白されたんだ」
「…………」
「でもどうしていいかわからなくてさ、気が弱くて、なんでも言うことを聞いてやってた。本当はからかわれるのが嫌で嫌で、逃げ出したかったんだけど、せっぱ詰まった顔をして、好きだなんて言われると、どうしても断ることができなかったんだよな」
「マユミもそうだっていうの?」
「ケイタもあいつと同じ感じがあるんだよな……山岸さんって、あのころの俺みたいだし。そりゃ全部が似てるってわけじゃないけど、人を傷つけるってところに臆病だと、それくらい良いかって、ちょっと譲ったつもりで泥沼にはまって、どこまでも振り回される羽目になっちゃったりするんだよな」
どうしたもんだかと嘆息する。
「ケイタは良いんだ。気になるのは山岸さんだよ……前向きになってる時って、よけいなことまでがんばろうってしちゃうだろう? そういう時に、ケイタみたいなのにすがられたら、相手をしなくちゃって間違ったことを考えちゃうんだよな」
どうなんだよと口にする。
「今はあの状態だけど、山岸さん、そのうち立ち直るだろう? そのときにまたケイタのせいで鬱になるようなことになったりしたら、あの子、大丈夫かなって気にならないか?」
「だから、引導を渡して欲しいとか思ったの?」
「マナには悪いけど……マナには俺が居るし」
「いらない」
「却下」
「なんでよ!」
「うるさい」
きゃんきゃん吼える声を、彼は耳を塞いでやり過ごした。
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