オルガの顔色におびえの色は窺えなかった。
 それどころか、楽しげにドレスを脱ぎ出す始末である。下にはチューブブラと、ハーフパンツという、ウエディングドレスの下着としては、相当に不釣り合いなものを身につけていた。
 ──青年は苦笑して、礼を言った。
「もしかすると、向こうに売り飛ばされるんじゃないかって、思ったんだけど」
 まさかとオルガは、笑って、青年の頬に口づけた。
「売るならとっくに売ってるわ。でしょ?」
「そうだね……そうだろうな」
 青年からサングラスを取り上げて、自身にかけるオルガの無邪気さに、青年──碇シンジは、再度の苦笑をして見せた。
 あの日……国連本部にあった収容先から、突然の移送を受けた日。
 彼を救い、(かくま)い、助け、そして命をつないでくれた恩人に対する、それが彼の心情であった。


 ──車は一路、南に向かって駆けていた。
「どこへ行くの?」
 道の両脇に広がっているのは、ぼくとつとした農場である。
「南の国境そばの納屋」
 オルガは髪をかき上げ、梳いた。
「そのあとわたしは、どうなるの?」
「犯して殺す、それだけさ」
 もちろん、本当にそうするわけでないことは了解しているのだろう。
 オルガは平然と問いかけた。
「殺されるわね、アスカに」
 しかしシンジも退かなかった。
「殺すさこっちこそね」
 笑ってすらいる。
 凄惨に。
 いやらしく。
 ……オルガはそんな横顔に、ぞっとするようなエロスを感じて、陶酔したまま尋ねてしまった。
「ねぇ」
 それはずっと封印してきた疑問でもある。
「どうしてあのとき……動けたの?」
「あのとき?」
「わたしが、あなたを拾った日の……あのときよ」
 ああとシンジは了解した。
「少し前にね……放送があったんだ」
「放送? ああ、あなたのお葬式」
「そう」
 そこから絶望が始まったのだ。
「僕は生きてる。なのに葬式が始まって、弔問客が居並んで……国連の人は、僕に同情的だったんだ、だからその放送を見せてくれたんだよ」
 そして……彼は見てしまった。
「そんな中に、彼女がいた」
「アスカ?」
「うつむいて……ふるえて、泣いてるように見えた。はかなんでくれてるように思えた。だから僕も泣きそうになった。でも」
 ぐっとハンドルを握る手に力がこもり、血管が浮いた。
「僕は、見たんだ」
 うつむく彼女の唇が……。
「いやらしく、笑う形にゆがむのをね」
 あざけるように。
「だから、このまま死ぬなんて、殺されるなんて……死んでやるなんて、冗談じゃないって思ったのさ」
 ようやく氷解した。疑問の一部を解決したことによって、彼女は真実と誤解を知る立場となった。
(なるほど、ね)
 アスカは狂っていた。あるいは狂わされていた。
 ネルフ所属時代、一番でなければならないのだと思いこみ、思いこみのままに生きていた。
 そんなアスカを知るシンジであれば、ゆがんだ口元の意味を、邪魔者の排除に成功した鬼女の笑みだと取ったとしても、それは致し方のないことであろう。
 しかし──真実は違うのだ。
 アスカ……と、オルガはある夜、一人テラスのチェアに腰掛ける妹に話しかけたことがあった。
 彼女はネグリジェのままで、ブランデーグラスを握っていた。
 琥珀色の液体は強い酒気を放っていて、それが年若い少女が口にすべき度数のものでないことを物語っていた。
「酔いたい気分なの」
 だから許してと甘える妹に、オルガは仕方がないなと黙認を決め込んだ。
「でも理由くらいは話してくれるんでしょう?」
 アスカは話したかったのかもしれない。
 だから、とてもタガが緩かった。
「あのときのこと……思い出してたの」
「あのとき?」
「うん……」
 夜月へと視線を投げやる。
「シンジの……あいつのお葬式に出たときのこと」
「アスカ……」
「バカよね……何で死ぬのよって……。あたし一人に、英雄とかなんとか、そんな面倒な役割を押しつけてって」
「…………」
「そりゃあ? 昔は一番になるんだって勢い込んでたけど、でも、もうどうでも良いようになってから、一番になったってって……」
 そう思って……。
「バカって言ってやりたくって……あいつのこと思い出してたら、なんだから泣けて来ちゃったのよ」
 その自嘲が、あの笑みの正体ではある。
『そう……』
 過去と現在、二人のオルガが、同時に同じ言葉をつぶやいた。
「妬ける話ね」
 シンジはオルガの感想に、わずかばかりにハンドルさばきを誤ってしまった。
「な、なんだよ、それ」
 ふふんとオルガは意地悪く笑った。
「わたしには、そこまで強く、君の記憶に残るだけの自信がない……って、そういうことよ」
 それこそ冗談と言い返した。
 生き物の捕らえ方、さばき方、物の盗み方、使い方、そして金の得方に、使い方……。
 果ては女の扱い方に……人の殺し方まで教えた女の言いぐさだとは思えなかったのである。
「それが自分の妹を殺そうって奴をかくまった人が言うこと?」
「あなたの狙いはアスカじゃないでしょう? アスカが敵に回る可能性は高いにしてもね」
「敵に回るように振る舞っているよ。第一、オルガも協力してくれたじゃないか」
「これでアスカが真実を見誤るようなら……あの子は結局、箱庭の中の人形のままだということよ」
 それが。
「真実を知った人間の、取るべき道だと信じているの」

─Bパート─

 国境沿いにあるじめじめとした森の中。
 朽ち果てかけている伐採小屋の倉庫扉を開いて、シンジはオルガに秘密を見せた。
「これが……」
「ゼーレの遺産だよ」
 そこには全高十メートルに満たない巨人が、さも窮屈げに膝を抱えて丸くなっていた。
 装甲のデザインに多大な差違が見受けられるものの、有様はエヴァンゲリオンのスケールダウン版である。
「物々しいのね」
「リアクティブアーマーの一種でね、ついでにATフィールドの偏向制御装置にもなってるんだ」
「すごいの?」
「元々はネルフが対ゼーレ用に作っていたF型って装備の試験試作品なんだよ。実を言うと、この機体そのものがそうなんだけどね」
 オルガはシンジの言葉から矛盾点を拾い上げた。
「なら、なぜゼーレの遺産になるの?」
「ゼーレの方が上手だったってだけのことさ」
 ネルフからデータを盗み、対人邀撃には不向きなエヴァンゲリオンの代わりにと制作されたのが、この機体なのである。
「ただ、人が乗れるようには作られてなかったんだけどね。……小型化によって、エヴァほどにはエネルギーを食わないから、バックパックの蓄電器だけで十分長時間戦闘に耐えられるとか、そういう計算はできてたみたいだけど、その分、フィールドの出力に問題が出たりとか」
 お手上げだというオルガに、かみ砕いた説明を行う。
「本来は、小型化のせいで薄くなった装甲分を、ATフィールドで補おうとしたんだよ」
「ああ……物理兵器を無力化できればいいんですものね……。ああ、だから偏向装置なのね」
「そう。それでもって、機体自体はダミープラグを利用したオートマシンにする予定だったんだ」
「でも、うまくいかなかった?」
「うん。ダミーは使徒本来の本能で、出力を限界まで上げようとする。でも、機体は蓄電器で稼働するものだから」
 すぐ電池が尽きてしまったのである。
「融通の利くものに仕上がらなかったのね」
 そういうことだと、シンジは肩をすくめて見せた。
「で」
 冗談のように、彼はよけいな言葉を付け加えた。
「ネルフを()われた僕が、ゼーレの作った兵器に乗って現れるんだ。ネルフはどんな反応を見せてくれるのかな?」
 楽しみだよねと、シンジは軽快に機体の足を上って、膝と膝の間、その向こうにある腹部のコクピットへと潜り込んでいった。
「わたしは?」
「置いてきゃしないよ。ちゃんとどこか、誰もオルガのことなんて知らないところまで連れてってあげるさ」
 起動するような前兆は見受けられなかった。
 だがしかし、機体は突然に動き出した。筋肉をギギュッと音を立てて伸縮させて、倉庫小屋を内側からふくらませる。
「乗って」
 小屋を破壊しながら立ち上がる。その過程でオルガを手ですくい上げ、シンジは機体の腹に寄せた。
 オルガの手を取り、強く引く。
(…………)
 オルガはわずかに顔を赤らめた。
「なに?」
「なんでもないわ」
 王子の手に引かれて馬に乗り上がるお姫様……。
 そんな構図を思い浮かべてしまい、ついつい赤面してしまったのだ。
(でも……)
 王子役の青年は、年下の上に、自分は人妻未満のなりそこないで……。
 あげく白馬代わりの乗り物は、紫色をベースにした実験機を示すオレンジペイントの巨人(オーガー)である。
(酔い惚れるなんて、絶対無理ね)
 なにより自分は、純真な少年をそそのかした魔女なのだから。
「行くよ」
 狭いコクピットの中、青年は膝の上に彼女を座らせた。
 横座りにさせて、右腕に背を預けるよう促す。
「どうするの?」
「飛ぶ」
 ふわりと浮いた……。
「すごい」
 まるで荷重というものを感じない飛翔であった。震動もなかったのである。
 全天周囲のモニターである。眼下の光景に、オルガは瞳を輝かせた。
 緑の原が、流れていく。
「これが、偏向制御の力なのね」
「相転移を利用した重力遮断、あくまでも基礎的なスキルの一つさ」
 使徒にとってはとつなげる。
「それから」
 オルガは急に視界が……モニターの向こうの光景が曇って、残念そうに不満を漏らした。
「潜ったの?」
 よくわかるなぁとシンジは素直に感心した。
「使徒って元々は時間と空間の向こう側にある存在なんだよね。それが僕たちの世界に迷い出てきていたわけだけど」
「ええ」
「当然それは陰のような存在で……質量的なものはこちら側の世界にあっても、本体は向こう側。だから、向こう側とこちら側、この位相差を乗り越えて衝撃を与えなければ、使徒の本体を傷つけることはできなかったんだ」
「でも、それも初期の話でしょう?」
「もちろん。でも低層の次元に位置している使徒を倒せば、より高位の使徒が光臨することになる……この位と層ってのは、位相そのもののことだからね。倒せば倒すほど、より遠い世界の、遠くて高い次元の存在がやってくるって話になるんだ」
「終わり……いいえ、キリはどこになるの?」
「使徒から見て、目に見える範囲に、動くものがなくなったとき、かな?」
 目に見えないものを心配したり、気にしたりする人はあまりいないでしょう? と説明した。
「僕たちの戦いは、僕たちの世界の周辺に点在していた、そういった高位次元の存在を掃除するってことだったんだよ」
 そして両手を広げた範囲にぽっかりと何者もいなくなった空間を手に入れたとき、初めて『人類』は、空白の空間を所有する唯一の存在として、偏在することが許されるのである。
「ただし、まあ、その空間に見合った認識力と構成力を持った存在に、ランクアップする必要性が出てくるんだけど……でなければ、せっかく手にした時間と空間を、他の存在に横取りされることになっちゃうからね」
「そのための、人類補完計画であったわけね」
「うん。でも、失敗しちゃったけどね」
 破綻させたのは、今語っている本人である。
「だから、この空白の空間には、いずれもっと上の存在が気がついて、自分のものにしようって降りてくるんだろうね」
「そのときは、また戦争になるのね……」
「ま、僕たちが生きている間に来ることはないさ」
 だから、存分に、今はこの茶番劇に没頭できるのだと、シンジは現代科学ではとらえることのできない亜空間の中から、オルガの降ろし先を物色したのであった。


 ──一方そのころ、ネルフでは大変な騒ぎとなっていたのであった。

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