「いったいなんの騒ぎなの!」
ようやくネルフの出番かと、捜索本部の設営に忙しかったミサトは、急な呼び出しに非常に不機嫌な声を発し上げた。
「ヨーロッパ方面の観測所にて、微弱ながらパターン青が検出されました!」
ミサトはぞっと背筋をさかのぼるものにふるえた。
「まさか、使徒なの!? 今になって……また」
「いいえ、それが……その」
情報担当官が、やけに歯切れの悪い調子で報告した。
「光学観測所からの映像なんですが」
「これは!?」
映し出されたものは、被写体を下方向からとらえたものであった。
青空に飛翔する物体は、逆行に影となりかけていたが、ネルフの誇るスーパーコンピューター、マギを持ってすれば、十分にその正体を探り出せる程度であった。
「イーブイエーゼロワン……って、まさか!? 形状が全然違うじゃない、大きさも……」
「はい。マギもこれが初号機そのものだとは……ですが、おそらくと思えるデータが発掘されました」
「映して……って、これは?」
主モニターに最終案であると思われる三面図が表示された。
初号機をベースに作成された設計図である。
「はい。これは使徒との交戦時に開発されていた、フィールド偏向装置です」
「増加装甲じゃないの?」
「その用途もあったようで。ですが、この追加装備の目的は、あくまでATフィールドの新たな可能性を模索するものだったようです……結局は、日の目を浴びなかったわけですが」
で……と結論を急がせる。
「これが未確認機と、どうつながるの?」
「……原型として、スケールダウンされたものが制作されていたようです」
ミサトは首をかしげた。
「だからって、フィールドを展開できない兵器に付けたって、意味なんて無いでしょう? これは本体が使徒やエヴァでない限り……」
途中で気がつく。
「まさか……!?」
そうですと担当官は重々しくうなずいた。
「……旧ゲヒルン体制下では、素体もミニチュアサイズでの培養が行われていたようです。記録にもあります……ただし、それ自体は使徒戦以前に廃棄されておりますが」
「なら、あれは一体……」
「さあ、そこまでは」
ですがと続いた。
「一つだけわかることがあります」
「なんなの?」
「はい。マギは、あれを初号機と判断しています。理由は、あれの放つATフィールドのパターンが一致しているからだと。となれば……」
ミサトもわかってしまったのか、はっとした様子を見せた。
「あれが初号機と同一の……あるいは位相が違うだけの、『綾波レイとリリスと零号機』に関係のあるものなら」
さすがにミサトも、このあたりのことは聞かれないように小声でつぶやくにとどめた。
「あれと同調して、起動させうる人物は」
担当官はこくりとうなずいた。
「サードチルドレン、彼だけです」
「シンジが!? 生きていたっていうの?」
勢い込むアスカに対して、落ち着いてとミサトは通話機越しに頼み込んだ。
こちら側はともかく、アスカの側には聞き耳を立てている者が多いはずなのだ。話は注意してもらいたい内容であった。
「なんでよっ、あんた死んだんだって言ったじゃない! あのとき、もう帰ってこないって言ったじゃない!」
頼むから落ち着いてとミサトは懇願した。
あのときは、そうでも口にしなければ、アスカに納得させることができなかったのである。
また、自分たちも、彼のことを引きずったままでは、いつまでも動けない人間のままだった。だから、区切りが必要であったのだ。
「まだ、シンジ君であるかどうか、確認は取れていないの。でも、その可能性は高いのよ」
「シンジは死んだって……言ったくせに」
「頼むから……。遺体は……本当は、遺体を確認していないの。確認されていないままよ。ただ、状況は、そう判断するしかないもので……」
アスカはミサトの口調から、今は溜飲を下げることにしたようだった。
「でも……じゃあ、どうして、シンジは……」
アスカには、わからなかった。
シンジが生きてくれていたことはうれしい……。だが、それならばなぜ、彼は今まで隠れていたのか?
自分たちに、連絡を取ろうとしてくれなかったのか?
「ミサト……」
アスカは、まだ何か隠していないかと問いつめることにした。
「そんなことのためだけに、連絡してきたの?」
「…………」
「それだけなら、あたしに隠したままで……蚊帳の外においたままで処分しても良いはずの事態でしょう? ねぇ……」
「…………」
「答えなさいよ!」
受話器をびりびりとふるわせる。
アスカの気迫に、ミサトは負けて、彼女に事態の深さを伝えた。
「彼が誘拐犯である可能性が、高いのよ」
アスカは、心のどこかで、やはりかと思いながらも、気持ちは動揺に揺れてしまった。
「なんで……」
つながりが彼女には見えない。
「シンジ君が乗っているとおぼしき機体は、かき消えるように姿が見えなくなってしまったのよ……。そして、あなたのお姉さんが誘拐された状況、それに、このタイミング……」
「…………」
「併せて考えれば、無関係だなんて、思えないわ」
状況証拠ばかりじゃないと、アスカは強がったが、否定し切るには弱かった。
むろん、ミサトの言葉も、断定するには根拠が薄弱すぎたのだが……。
「シンジは……」
アスカは絞り出すように尋ねた。
「シンジは……ネルフを、あたしたちを恨んでいるの?」
わからないわとミサトは返した。
「わからない……けど、シンジ君は、あなたではなく、あなたのお姉さんを狙った」
「それが、なんなのよ……」
いいかと、ミサトは言い聞かせた。
「ネルフに対しての恨みがあるのなら、あなたのお姉さんは遠すぎるわ。あなたのお姉さんと、彼との間につながりがあるとも思えないから、だとしたら、彼の狙いは……」
だったらとアスカは悲鳴を上げる。
「だったら! ……だったら、直接、あたしに」
「それでは気が済まないから。……という考え方しかできないわ、今のところはね」
だからと彼女は懇願する。
「あなたを苦しませることが目的であるのかどうかはわからないけど、とにかくあなたは、ネルフヨーロッパ本部の保護を受けて」
「ネルフの? なんで……」
「わかっているでしょう?」
重苦しい声に変わる。
「あそこには、弐号機があるからよ」
「そろそろだな」
シンジは時計を確認した。
苦笑する。自分がこれからなそうとしていることは、滑稽でしかないからだ。
「それでも」
操縦桿を握りしめる。
「怖いのも……なにもできないのも、しないのも……」
決意を込めた顔を上げる。
「僕はもう……、嫌だから」
──非常警戒警報が発令された。
ヨーロッパ本部は、突如として直上に現れたUNKNOWNに対し、すぐさまスクランブルを発動した。
「来たね」
青空を背景に、無骨なコンクリートの施設を眼下に、シンジは舌なめずりをして待ち受けた。
「同型機……量産型が十三機か。こっちはプロトタイプが一機」
奇しくも、『あのとき』と同じであると、シンジはさげすみを含んだ目で敵機を見下した。
放射線状に、渦を描きながら上昇してくるエヴァンゲリオンスモールシリーズ。シンジは機体を急展開させて、その内の一機へと突撃を敢行した。
「甘いよ!」
輪を崩して逃げ去ろうとする機体に対し、拡大発生させたATフィールドをたたきつける。
この機体については、エヴァンゲリオンが発生させるATフィールドと、同等以上に強力で、しかも広範囲の出力のものを展開させることが可能となっていた。
同型機であり、シンジの乗る機体を元とした後継機であったとしても、フィールド偏向装置を搭載していない機体では、これはかわしようも、耐えようもないものであった。あっさりと……目標以外の二機もこのフィールドに影響を受けて、体勢を崩し、ふらついたのである。
もし、このとき、シンジに動揺がなければ、撃墜された機体はシンジの力量を反映し、三機ともということになっていただろう。
「こいつら、小さいだけ!?」
てっきり、同じように偏向器を搭載し、重力遮断によって飛翔しているものだと思っていたのだ。
それが、簡単に、あっけなく体勢を崩している……なぜか?
「バックパックに搭載しているジェットエンジンで飛んでいるのか……」
道理でと納得する。
「それじゃあ、落としてくれと言ってるようなものじゃないか!」
機体の姿がかき消えた。
二重、三重にぶれたように消失し、次の瞬間には、迎撃体の内の一機の正面に出現を果たす。
──悲鳴が聞こえたような気がした。
迎撃隊の三番機は、突如出現したプロトタイプのATフィールドに正面衝突し、激突の衝撃を余すところ無く自らにフィードバックして、爆砕した。
火炎玉となって、真下の本部へと落下していく。
とても小さく、火球が発生するのを、シンジはみとめた。
「下がった方が良い……」
シンジは、通常回線を開き、話しかけた。
「僕は、戦闘に来たんじゃない……交渉に来ただけなんだから」
この呼びかけに応じる形で、ヨーロッパ本部は事実上の白旗を揚げ……。
ジャパン本部の葛城ミサトへと、問題の解決を投げやったのであった。
─Bパート─
ミサトは為す術もなく撃墜される新型兵器の有様に、まさに過去の光景をかいま見ていた。
量産型とは違う、圧倒的な能力を誇ったプロトタイプ。
また一機、正面からの激突で、力負けを喫し、敗北した。
手に持つライフルをフルバーストしながら突撃を敢行した機体が、未確認機の展開するATフィールドを中和できずに、無駄撃ちに終わって退避行動に移った瞬間を狙われたのだ。
武器は……武器による攻撃には見えなかった。ならばそれは、ATフィールドによるなにがしかの攻撃であったのだろう。
その上、ジェット推進器で飛翔している機体である。慣性の法則に従い続けねばならない以上は、自在に浮遊できる相手を敵にして、勝てるものではなかった。
(こんなこと……)
これほど一方的な所行は、シンジにできるようなことではない……そう思いたかったのだが、先ほど聞かれた声は、ミサトの期待を裏切っていた。
多少は低くなっていたが、声が伝えるイントネーションが、ミサトにシンジであると確信させてしまっていたのである。
「シンジ君……なの?」
ミサトの声は中継された。
ほぼ同時に、不明機コクピットの映像が公開された。
「シンジ君……」
狭いコクピットである。
面影もだいぶ違ってしまっている。
やや頬のこけた、眼光鋭い男……、だがしかし、そこに腰掛けている青年は、やはり彼に間違いなかった。
「どうして……」
ミサトには、この言葉を漏らすほかに、内心の激情を表すことができなかった。
「これは、どういうことなの……。なんのつもりなのよ!」
シンジは、ふざけ半分にへらっとした笑いを見せた。
「復讐……」
「復讐!?」
覚えがないという顔に、シンジはミサトの滑稽さをかいま見たようだった。
「……なんてことは、言いませんよ。どうせ無駄なんだから」
だから、こう言い換えたのである。
「たとえ、暗殺されそうになったって言ったって、ミサトさんや、大半の人は知らないことでしょうしね」
暗殺って──ミサトはそう呆然とした。
「ネルフが? まさか!」
「三年前……」
現在を見たまま、彼は語る。
「国連本部から移送される途中、襲われたんですよ……」
「移送? そんな話は……」
「知らなかったでしょうね……なにしろ、そっちは『俺』の葬式の真っ最中だったんだから」
そんなと漏らすミサトを哀れに思ったのか、彼は話をやめなかった。
「そして、俺を襲ったのは、『綾波レイ』だった」
ミサトは、シンジの言葉を疑った発言をした。
なにを言っているのよ……と。
「レイは死んだ、いえ、消えてしまったのよ……。それはあなたが一番よく知っているはずのことじゃない」
かぶりを振って、彼は否定した。
「知っているつもりだった……でも……」
会話に没頭していることを隙とでも見たのか? スモール隊の一機が攻撃を仕掛けた。
完全なるタイミング。下後方からの襲撃に、シンジが対応できるものではなかった。
集中しなければ、高密度のATフィールドは展開されない。一瞬で行われる中和。シンジの乗る機体は、電子の光の直撃を受けた。
──そして、新たな展開が起こる。
「未確認機を中心に新たなATフィールドを関知!」
「新たなってどういうことよ!?」
「待ってください……この反応は……過去にデータがあります! 第十七使徒?」
戦慄が駆け抜ける。
「十七……まさか、ゼーレ!?」
「いえ、十七使徒との戦闘中に検知された、正体不明の、第十七使徒と同等のATフィールドの反応と一致しました!」
「あのときの……」
ミサトはこみ上げる恐怖心に身震いを起こした。
あらゆる光波、電磁波すらも遮断した最強の使徒と、同等の力を持った何かが居た。
それが、シンジの乗る機体に組み込まれている。
そしてシンジは笑っていた。
それはあざけりの感情そのものだった。
「これを見ても……まだ、ネルフのしたことじゃないと言えますか?」
シンジは足下に置いていたバッグの中から、何かをつかんで掲げて見せた。
──ひっと、発令所の中で、気の弱い者の口から、短い悲鳴が上げられた。
それは、生首だった。
目と口を太めの糸で縫い止められた生首だった。
シンジは首の髪に指をからめてつかみ上げたのだ。
「レイ……」
ミサトは、言葉を失った。
額に弾痕をうがたれた生首は、確かにレイのものだったのだ。
しかも……何かをしゃべろうと、唇を動かし、封じている糸に抵抗していた。
「こんな状態ですが……ちゃんと生きてます。それから」
そしてシンジの背後にも、もう一つの真実があった。
そこには、半裸の少女の肉体があった。
機械に埋め込まれているそれは、両腕、両足を半ばで切り取られ、頭部を失っている首と同様に、筒状のものを無理矢理えぐり込まれていた。
筒は、ガムテープで乱雑に留められ、抜けないように固定されている。あげく筒からは、チューブや、コード、ケーブルがのびていた。
「マギなら、これが綾波の体であることを確認することができるはずです」
シンジの言葉に、ミサトはオペレーターの一人に視線を向けた。
向けられた人物は、その肉体の三次元データが、2015から2016にかけての綾波レイのものと合致することを目で報告した。
そしてもう一人……そんな肉体に注目した人物があった。彼は技術部から出向しているオペレーターであった。
目は赤くなっているチューブを注意深く観察していた。内容物……液体が流れ込み、あるいは流れ出しているのである。
「コアの……代わりにしているのか」
ミサトはこのつぶやきを聞きとがめた。
「どういうこと? はっきりと教えて」
彼ははばかりながらも、憶測混じりの推測を披露した。
「はい……。えっと、綾波レイは第二使徒リリスの異相体であったと聞きます。ならば、その内部にはS2機関に相当するものがあったのではないかと……。ですから、彼女の肉体に流れる血液を機体の素体に通わせることで……あるいは素体の血液を彼女の肉体を通し、加工することによって、機体のエネルギーを得ているのではないかと」
素体の出自がどうであれ、初号機もまたリリスの異相体の一つであったのだ。
ならば、同じ異相体であるレイの血液を通わせることによって、疑似融合状態を引き起こさせることは不可能ではない。
そして、この方法であれば、シンジの乗る機体のから、初号機と同様のパターンが現れたことについても説明が付けられた。
初号機にも綾波レイにも……リリスにさえなりうる可能性のあったものが、シンジを擁したことで、彼の魂の波動に引きずられ、複数の異相体の中から特に強く、初号機の意識が浮上したのではないかと想像できてしまったのだ。
これで初号機の反応が出ている理由がわかったと彼は報告したが、ミサトにはそれではすまない内容であった。
「シンジ君、あなた……」
愕然としてしまっていた。
「レイの体を……そんなことに使って」
そこまで変わってしまったのかと状況を認識したミサトに、シンジはその通りですよと答えた。
「予備の機関として使わせてもらってますよ。もっとも、ATフィールドを展開したのは、この首ですけどね」
シンジは生首を足下に落とした。
「便利で……かわいい奴ですよ」
くつくつと笑う。
「こんなになって、ようやく僕の言葉にだけ耳を貸してくれるようになりました」
「言葉?」
「たとえば……ATフィールドを使って、俺の存在を隠してくれないか……とかね」
ミサトはうつむき、拳をふるわせた。
彼女の当たって欲しくなかった想像が、これで確定してしまったのである。
「やっぱり……やっぱり、あなたなの? アスカのお姉さんをさらったのは」
シンジは素直に肯定した。
「そうですよ?」
にやりと笑う。
「こいつにお願いして、協力してもらったんですよ」
ミサトは自ら犯行を認めたシンジに、ますますなぜという気持ちを募らせてしまった。
心のどこかで、誘拐犯と、襲撃犯とは別であると信じたかったのかもしれなかった。
それは彼女の妹分でもある少女に、辛い真実を強要するものであったからだった。
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