「戻ってきた!」
 誰かが夜空を指さし、ミサトとリョウジはその先を追いかけた。
 星とは違う瞬きがあった。それは一定の明滅を繰り返している。明らかに信号であった。
 月の明かりでようやく形が判別する。ウィングキャリバーであった。足には理力甲冑騎をつかまえていた。
「大丈夫なのか」
 皆が心配したのも当然であった。激しい戦闘の結果、またも装甲がひび割れ、生気のない様子でだらりと垂れさがっている。
 黒くくすんでもいた。それでも開いたハッチからアスカが顔を覗かせると、皆は一斉に歓声を上げた。
 ああ、大丈夫なのだなと安心したのであった。


「姫様!」
 片膝を付いた理力甲冑騎へと真っ先に駆け寄ったのはミサトであった。
 シンジに両脇をつかまれるようにして降ろされたアスカを抱き受け、目一杯の頬ずりをした。
「いたいよ」
「心配をさせないでください!」
 アスカは嫌がりながらも、邪険にしようとはしなかった。ミサトの流す涙がが本気のものであったからだ。
 コウゾウを筆頭に館の者たちも二人を囲み、よかった、よかったと口々にこぼし合った。
 しかし、皆が喜んでくれればくれるほど、アスカの表情にはかげりが生まれた。
 今回の騒動の原因が、自分の身勝手によるものであったからだ。
 アスカは助けを求めるように人垣の外を見た。
 テッサを従え、離れようとしていたシンジは、冗談っぽく唇に指を当てて、しぃっと、黙っておくようにと彼女に示唆した。
(本当に……いいのかな)
 アスカは思う。しかし、シンジはそれで良いのだと、うなずいて見せた。
 この事件はアスカの家出ではなく、ただの誘拐であったのだ。そういうことにしておこうよと、悪いのはアスカをさらった者たちであるのだと、理力甲冑騎の中で口裏を合わせていたのだ。
 その時は納得したものの、こうして皆の泣き笑いの顔を前にすると、彼女は罪悪感に苛まれ、つい、本当のことを言ってしまいそうになるのであった。


 いつまでも喜んでばかりはいられない。
 油断を突かれたことについても反省しなければならない。
 シグナムに出し抜かれ、アスカをさらわれた話のことである。
 だからこそ、彼らは早急にシンジへと話を求めた。ことの顛末を聞き出し、先の展開を考える必要性を感じていたからである。
「なに!? 倒したのか、あのガウルンを……」
 シンジの話は刺激的ではあったが、情報の観点から言えば欠けているものが多かった。
 それを補足したのはテッサであった。シンジが赤いロボットと言えば、それをアマルガムのガウルンが操るヴェノムのことだ、と、口を挟むような形で注釈を付けていく。
 仮設テントの中、シンジ、テッサ、コウゾウ、リョウジと、もはや中枢として機能しつつある面子で話は進められていく。
 愕然としているコウゾウとリョウジに対して、シンジは恐る恐ると言った体で尋ねた。
「有名な人なんですか?」
「有名どころじゃない。傭兵としては手の付けられない男だ」
 コウゾウである。
「飼い慣らすことができない類の人間だよ。命令や契約内容を勝手に解釈し、好き勝手に振る舞う。そういう男だ」
 シンジはおかしいと感じ、言葉にした。
「そんな人に、人さらいを命じた人がいるっていうんですか?」
「経過を問わない。そういう依頼の形だったのかも知れないな。先を見据えることのできない殺人鬼とは違うからな。なにを見越していたのかは……君の話からの推測となるが」
 シンジの耳に、あの男の叫びが蘇ってきた。
「戦争」
 そうだとコウゾウは首肯する。
「誰がなんの目的で。それはあるが、奴にとってそれはどうでもいいことだったんだろうな。戦場さえ生まれるのなら。自分が生きることのできる場所さえ現れるのならな」
 無茶苦茶だというシンジに、そうでもないさとリョウジは語った。
「ここ数年、大きな戦争は起こっていないんだ。いや、戦争と呼べるような戦い、かな。ガウルンのような男には、戦いとも言えないような小競り合いだけじゃ物足りなかったんだろう……。だから大きな戦場が生まれるような仕掛けに荷担した。そういう流れなら理解できるんじゃないか?」
 理屈は納得できるが、感情的に理解しがたいんだよとシンジは訴えた。
「命のやり取りでしか自分を感じられないなんて、怖いよ、そんな人は」
 コウゾウはこの発言に、シンジという人間の本質を感じ取ったようだった。
「人殺しはできない、か」
 思い出したように口にする。
「君は言ったな、人殺しはできないと」
「それが?」
 なぁと、コウゾウはテッサに尋ねた。
「君はどう見る? 彼の力を。彼なら、村のひとつくらいは制圧できる。そうは思わないか?」
 テッサは「それは」と言いよどんだ。
 理力甲冑騎を抜きとしても、シンジは生身でシグナムや神像と渡り合えるほどの能力者である。甲冑があったなら機族とさえやり合えるほどだ。
「だけど……」
 シンジを見る。
 テッサは頭を振り、その反応にリョウジが怪訝そうにする。
「シンジはそんなことをしないと?」
 当たり前だというシンジを、リョウジは怪訝そうに見る。
「なぜだ?」
「なぜって……」
 シンジは言葉に詰まった。
 いけないことだから。そんな当たり前の言葉を口にしようとして、この世界では理解されない理屈だと気付いてしまい、口ごもってしまった。
 リョウジは問い詰めるように迫った。
「それだけの力、誇示したくならないのか?」
「そこだよ」
 コウゾウが身を乗り出す。
「人殺しは避けたいが、できないわけではない。人を支配下に置くことはできるが、する意義を見いだせない。それが君の本質なんだな」
 リョウジにはわからないことだった。
「優しい、あるいは、甘いと?」
 そうではないと解釈を伝える。
「できるから、していい。できたとしても、してはいけない。前者は無法者の論理で、後者は聖職者の倫理観念だ。なあ、シンジ。目の前にぼくとつとした村があるとしよう。君にはその村を滅ぼせるだけの力がある。そしてその村には君を止める術がない。そこまで条件が揃っていても、君は襲い奪うよりも、受け入れてもらおうとするだろう?」
 もちろんだというシンジに、なぜだとリョウジは食い下がる。
「人殺しはいけないからか? 脅すだけって方法もあるんだぞ」
 短絡的すぎるよと嘆息する。
「わからないのかな? 眠れない夜なんて、ごめんだよ」
 ぴんと来ない様子のリョウジに、シンジは重ねて口にした。
「言うことを聞けって言ったら、普通はなにを言ってるんだってなるよね? そう言う人を負かしたり、殺したりして、脅しても、どこかで裏切りやなんかを警戒し続けなくちゃならないだろう? こいつらは言うことを聞いているフリをしてるだけなんじゃないかってね」
「それはそうだが」
「簡単な話、人である以上は飲むもの食べるものが必要なんだよ。それはどこから持ってくるのさ? 奪ったとして、供えさせたとして、そこに毒が入っていないって保証はどこにあるのさ? たとえ食べ物をなんとかできたとしても、寝る場所は? 寝ている間はどうするんだよ」
 そういうことだとコウゾウ。
「シンジの考え方は、一見甘いように見えて合理的なものだよ。想像力がありすぎるきらいはあるがな。悪人として好き勝手に振る舞うよりも、善人として恐縮している方が、より多くの恩恵を受けられる。そう言っているんだよ」
 あごを撫でる。
「それにだな、少しばかり人よりも大きな力を持っているとしても、人である以上はその枠を外れた生き方を行えないということもある。シンジは力でわたしを殺すことはできようが……それ以上に、わたしはシンジをどうとでもすることができる。その方法などいくらでも思いつける」
 恐ろしいこと言うものだと目を丸くするリョウジだが、考えてみればとわかる思いがした。
「だが甘い汁を吸わせれば、味方に付けられる人間も居るでしょう?」
 これにはテッサが異論を唱えた。
「シンジさんはこの世界の……ものの考え方や、常識というものを知りません。それなのに人を説得したりするのは無理ですよ」
 それにとシンジ自身が付け加えた。
「村を自分のものにって言うけどさ、そんなことをしてどうなるっていうんだよ」
「好き勝手に振る舞えるじゃないか。酒、金、女」
 言った後で、ああと気がつくリョウジである。
「そう、そうか、そういうことか」
 力で押さえるためには、たとえば言いなりになる他はないのだと知らしめる必要がある。ではその方法は?
 人を殺してみせる。人質を取る。安易な方法は他にもある。だが……。
「支配したとして、恨みを買ってまで欲しがるようなものなんてないということなのか」
 そういうことだとコウゾウが言う。
「目先のことだけを考えている盗賊などとは違うと言うことだよ。彼の目はその先を見てしまっているんだ。優しいとか、甘いなどという話ではなく、彼はその結果なにを得てなにを失うことになり、どのような立場に立たされることになるのか、現実的にそこまで想像してしまっているんだよ」
 他にもありますよとシンジは告げた。
「あり方が違いすぎるんですよ。世界……国の仕組みが、僕の暮らしていたところとは違いすぎているんです。僕の暮らしていたところは王制なんてしかれていなくて、支配者層も存在していなかったんですよ。民主主義ってわかりますか? 国は誰かが治めているものじゃなくて、みんなで運営していくものだったんです。上にいるのは、そのために選出された代表者であって、支配者ではありませんでした」
「概念そのものを持っていないんだな、君は」
「僕に想像できるのは、せいぜい、税金を取るくらいのことですよ」
 なぁとリョウジは尋ねた。
「気になっていたんだが……シンジは人を殺したことはあるのか?」
 シンジの脳裏に、一人の人のことがよぎった。
 手に力がこもる。だが彼はごまかさなかった。
「あるよ……君は?」
「俺はない……だが少なくとも覚悟は決めているつもりだ」
 コウゾウへと目を向けると、聞かないで欲しいなと肩をすくめた。
 不意にシンジはテッサと目が合ってしまった。
 テッサは少しばかり苦い顔をした。それだけで彼女の答えはうかがい知れる。
「では」
 コウゾウであった。
「君は、どうしていくつもりなんだ?」
 そうですねと考える。
「売り物としてなら、この力は、それなりに価値があると思いますけど……」
「だが人殺しは避けたいわけだな」
「はい」
「機族にさえ拮抗しうる力か……それをはどれほどの力なんだろうな」
 テッサに振るが、彼女にもわからないことだった。
「比較対象が機族では、凄い、としか」
 なにしろ機族とは未知に近い力を持った存在である。これに対し、コウゾウはならばとガウルンのことを持ち出した。
「あの男ならどうだ? 彼の武勇は知られすぎているものだろう」
「でも」
 倒した訳じゃない。シンジはその点を強調した。
「今回は勝った……そういう感じですから」
 けどとテッサ。
「ヴェノムはばらばらになって……あれで助かったとは思えないんですけど」
 見た目だけだよとシンジは言う。
「派手に壊しはしたけどね……本体……芯っていうのかな……。核か。なにかすごく堅い力で跳ね返された手応えがあったよ。パイロットは……生きてる」
 難しい顔で語るシンジの様子に、テッサはなるほどと理解を示した。
「壊せたのは乗り物だけということですか」
「無傷ですまされてるとは思わないけど、だからって、もう二度と現れないとは思えないな」
 他に怖い人たちもいたからねと肩をすくめた。
 それはとテッサ。
「シグナムに……ソースケのことですね」
 ソースケという発音に濁りがあった。声に微妙な震えがあって、複雑な感情が窺えたものの、一同は触れなかった。
「白い神像……アーバレストだっけ。あれに攻撃されてたら、逃げられたかどうか……」
 理力甲冑騎はぼろぼろであった。
 ヴェノムを大破させた一撃。それを放った直後にテンションが落ちたのか、急にがたが来たのである。
 装甲がオーラコンバーターの振動に耐えられずガタガタと音を鳴らし、いつ欠落するかわからないような状態に陥った。最悪、空中分解もあり得ると心配したほどであったのだ。
 だがそれは、こちらだけが知る事情であったのかも知れない。
 テッサはにらみ合いながら後退し、そして遁走したことを思い出した。
 あの時の駆け引きは、そういうものであったのだと、今になって理解する。
 機体に限界が来ていることを見抜かれるかどうか。見抜かれたとして、見抜いた彼らが追撃を思い切るのか。それとも底知れない力に二の足を踏むのか。
(ソースケ達は、どう感じたんだろう)
 そっとシンジの顔を盗み見る。そこにあるのは凡庸な少年の横顔である。
 多少、悪人面ではあるが、お人好しにも見える、そんな顔だ。
 ソースケはともかく、生身で斬り結んでいたシグナムは、終始シンジのことを警戒していた。
 シグナムほどの人物であっても、油断ならない。そう思わせるほどのものを持っているのだと、シンジのことを推し量る。
「恐ろしかったのでしょうか」
「ん?」
「シンジさんのことが」
「は?」
 真実としては当たっていた。ソースケとシグナム、両者ともが精神的なゆとりを持って対峙できない。シンジはそんな油断のならない相手として育っていた。
 だが終始綱渡りのあげく、満身創痍になるほど理力甲冑騎を酷使せざるを得なかったシンジに、彼らの心境などわかるわけもなかった。シンジも必死だったのである。
「僕は……決め手に欠けるから、逃がして貰えた。そう思ったけど」
「それだって、あの二人が、力押しだけでは詰めが甘くなると判断した、と言うことでしょう?」
 シンジがコウゾウとリョウジに目を向けると、二人もそういう相手だと考えているようだった。コウゾウが口を開く。
「ソースケという人間のことはよく知らないが、シグナム副隊長のことなら知っている。彼女は力押しだけでなんでもできてしまうような人間だよ。その彼女が二の足を踏んだというのなら、策無しに斬りかかることのできない相手として、認められたと言うことだろうな」
 だがそれはそれでまずいかもしれないとコウゾウは言う。
「神像を一体、屠ったわけだ。それもあのアマルガムの神像を」
 テッサを見る。
「テスタロッサの手が入っているとはいえ、実験用に確保していた初期型の理力甲冑騎で……それも、機族との戦闘で、完璧とはほど遠い状態に陥っていた機体でだ。これはすごいことだよ」
 そうですねとリョウジは重くうなずいた。
「ちょっと……凄すぎましたね」
「ああ。噂が広まれば、ただ事では収まらないだろうな」
「これはますます、シンジには、アスカ様の騎士になってもらうしかないな」
 首に鈴を付ける意味でもと、本音を隠しもしない。
「だから……」
 シンジは、その話題は飽きたよと、嫌がる素振りを見せたが、リョウジは逃がそうとしなかった。
「いいか」
 強く、言い聞かせる。
「お前の言うとおり、よそ者だとか、そう言ったことは問題になるかも知れないが、それでもだ。姫の第一騎士が、そこらに居る程度の実力者ではいけないんだよ。話にもならない。それくらいのことは、今度のことを(かえり)みても、わかるだろう?」
 ふぅむとコウゾウがそれに続いた。
「確かにそれはあるな。どこそこの、ああ、あの家の子か……そういった馬鹿にしたことを言い出す者は大勢出てくるものだ。それを黙らせるだけの実力があればいいが、なければその程度の者を従えることしかできないのだと、ひいては姫の人望そのものが疑われかねないことになる。周囲を納得させることのできる実力者でなければならないというのは、実にその通りのことだよ」
「しつこいですけど、よそ者だって話はどうなるんですか……」
 隠しておけばいいさと、リョウジは勧めた。
「素性の知れない人間なんて山ほど居るさ。山奥で修行に明け暮れていた剣客の息子だとか、伝説の御仁の弟子だとかな。なら、お前のことも、噂を聞いた俺たちが探し出して、姫のために一肌脱いで貰うことにして探しだしてきたとかなんとか、適当にでっち上げれば良いんだよ」
 なにしろと言う。
「出会ったのは、本当に人の分け入らないような山の中だし、状況だって、まさか人がいるとは思っていなかった場所に、突然お前が現れたんだ。俺の言ってることにも信憑性が出るだろう?」
「あのときの人たちが言いふらしてくれてれば、なおさらって?」
「ああ。連中の親玉も、お前の正体探りに躍起になってるはずだよ。突然現れ、今度は神像を破ったんだ。大騒ぎだろうよ」
 シンジは大事なことを忘れていると指摘した。
「ミサトさ……ミサトが、協力してくれるとは思えないんだけどな。そこのところはどうするのさ?」


「つまんなーい」
 アスカは寝台代わりに繋げられた木箱の上にこしかけ、プラプラと足を揺らしていた。
 敷かれている布に皺が寄ってめくれていく。ベッドとしては最悪で、いくらシーツを重ねたところで、やはり寝心地は固いものだ。
 それでも、寝床もなくなり、木の下やたき火の側、あるいは工場の隅に丸まって眠っている連中に比べれば、これは破格の待遇である。
 以前のアスカであれば、そんなこともわからずに、あるいはわかっていながらも愚痴を言っていた。ミサトはそう思って、アスカの変化を感じ取っていた。
 人前では不平不満は漏らしはしない。だが自分だけにはと……。
「リョウジのところに行っていい?」
 アスカのねだるような口調に、ミサトはだめですと、彼女のための衣服をたたみながら答えた。
「いけません。今は大事な会議中です」
「でも会議って」
 口をすぼめて、アスカは拗ねる。
「シンジをあたしの騎士にするかどうかって話をしてるんでしょ? だったらあたしがいないと……」
 ミサトはシンジの名に対して過剰に反応し、いいですかと叫んだ。
「あの者は姫の騎士にはふさわしくありません。騎士になど、ならせません」
 少しばかりミサトの剣幕に驚きながら、アスカは反論した。
「そりゃもちろん、なんだか人のこと子供扱いするし、なさけないし、よわっちっぽいし? ……でもシグナム副隊長がびっくりしてたな。シグナムが懐に入られたのなんて、初めて見たよ? 斬られたのだって」
 えっ!? ミサトはぎょっとして、アスカを見た。
「斬ったのですか、あのシグナムさんを!」
「うん! こう、ずばーって!」
 きゃいきゃいと笑って、両手で剣を持った仕草をして、右脇から切り上げる仕草をする。
 とてもうれしそうに語る様は、シンジのことを嫌っている風には見えない。取り込まれ出していると感じて、ミサトは顔をゆがめた。


 シンジは外に出ると、大きくのびをした。
「疲れた!」
 その背後で、テッサが苦笑する。
 もうすっかり、そこが彼女の定位置のようになってしまっていた。
「いいんですか? 抜け出してしまって」
「残ってても仕方ないよ。だからみんなも止めなかったんじゃないのかな?」
「でも、あなたに関係する話なのに」
「騎士にはならない。何度も言ってるだろ? 僕にはまだ、この世界の常識ってよくわからないけど、それでも騎士っていうのが特別な職業だっていうことだけはわかったよ。もしなったら、途中でやめるわけにはいかない。それくらい特殊な職業なんだってことくらいはね」
「それは……はい」
 星空を見上げる。
「約束したから、守るよ。出来る限りのことはする。してあげたいよ。でもずっと側にいる約束はできないさ」
「どうしても?」
 シンジは寂しげにこぼした。
「みんなが許さないだろ? こんな正体のわからない人間のことなんて」
 そこには、いつ追い出されることになるかわからないという、現実的な思考があった。
「明かすつもりはないんですよね」
「僕自身、どうしてこんな場所にいるのかわからないんだよ。なにを語れっていうのさ? それに、突然現れたみたいに、いきなり居なくなってしまうかもしれないのに、無責任な約束なんてできないよ」
「それとこれとは違うでしょう? あなたが突然居なくなってしまったとしても、それは居なくなられてしまったわたしたちの問題でしかありません。……正体がわからない者などということを問題視して、アスカ様から力を削ごうとする人たちは出てくるかもしれませんが」
「一番嫌なのは、約束をしたのにっていうのが嫌なんだよ。小心者だからね。気になって眠れなくなるのはごめんだよ」
「それは中途半端ですよ。アスカ様は、もう、シンジさんのことを」
 わかってる。シンジはそう言って苦笑する。
「でもリョウジ以上に好かれるつもりはないよ」
「人の気持ちは……女の子の気持ちは、一瞬で移りますよ?」
「脅かさないでよ」
 シンジは調理場の方へ歩き出した。喉が渇いたからである。
 もちろん、テッサもあとに続いた。
「聞いておきたいことがあるんです」
 遠慮していても仕方がないと、テッサは踏み込んだ。
「アスカ様が攫われる前、あなたは違う世界に来てしまったのかもしれないって、言っていましたけど」
「うん、それが?」
「帰りたくはないんですか?」
 世界だなんだと、複雑なことを尋ねられるのかと身構えたシンジであったが、拍子抜けして笑ってしまい、つい口が軽くなってしまった。
「いまさらなんだよ」
「いまさら?」
「ああ。帰ったところで、誰が待ってるわけでも、なにかしなければならないことがあるわけでもないんだ。あそこにはなにもなくて、僕はただ、時間を潰して過ごすだけの存在だった」
「チルドレンなのに?」
「信じてくれるの?」
「とりあえずは、仮定として」
 苦笑する。
「なら考えてみてよ。君たちの知ってる伝説がどういうものかわからないけど、大きな戦いがあって、終わった。みんなは幸せに暮らしました。そりゃあ戦ったのが勇者とか英雄なら、そういうことにもなるんだろうけど、僕の場合はネルフって言う組織の一員で、エヴァンゲリオンって兵器のパイロットに過ぎなかったんだよ? 戦争が終わって、兵器が必要なくなったら、パイロットの居場所なんてどこにあるのさ」
「なら、なにをしていたんですか?」
「実験……かな。エヴァンゲリオンは特殊な兵器だったから、その関係の技術開発で、元パイロットのデータは貴重だからってね。退屈だけど、なにもない毎日だったな……。辛いことも苦しいこともなくて、ただ平和で穏やかだったよ」
 けれど幸せでもなかったとわかるシンジの横顔に、テッサは尋ねる。
「それでも、この世界でずっと生きていきたいとは、思ってくれないのですね?」
「重いよ、それは」
 それにと告げる。
「馴染めるかどうかって問題だってあるし」
「十分馴染んでいるように見えますけど」
「それは、甘いよ……君は、人を殺したことがあるんだろ?」
 さらりとした物言いであったが、ごまかさないで欲しいという願いを感じられ、テッサは素直にはいと答えた。
 そして口にしてから、どうしてそんなことを尋ねたのかと訝しく思った。
「人を殺せることが、この世界に住めるかどうかだって思ってるんですか?」
 そうではないけどと、言いよどむ。
「だけどね、人を殺すことは、なによりも一番いけないことだって教わって育ってきたんだ。そういうのもあるし」
 手のひらを見る。
「感触が……忘れられないんだ」
 それがトラウマになっているのだとシンジは語った。
「友達だった。初めて無条件に信じられると思った。それなのに裏切られたと思った僕は、殺したんだ」
 殺せと願われたことは問題ではない。
 殺せてしまった自分が問題なのである。それがシンジの悩みだった。だがこの点を語らなかったため、テッサは勘違いをした。
「人を殺そうとしても、その人のことが重なってしまうと?」
「……そう、だね」
「でもそれなら、殺さずの道だってありますよ。現にそういった道を貫いている騎士だっていますし」
「僕には無理だな。つい、やってしまう、きっとね」
 弱いから、そう口にする。
「追い詰められたら、やり過ぎてしまうよ。赤い神像との戦いを見ただろ? あれだって、殺しててもおかしくなかった」
 確かにそうだと感じる。それでもテッサは食い下がった。
「でも、あなたは立ち去ろうとしていない。ここに居てくれている。馴染めないとわかっていることをやらされると知っていて。何故です?」
 自嘲する。
「怖いからさ」
「なにが?」
「一人になるのが。放り出されてしまうのが、だよ」
 ここは見知らぬ土地だからと言う。
「常識というものがなに一つわからないんだ。最後まで付き合うってことは難しいけど、でも今は味方や後ろ盾が欲しい。一人っきりで放り出されたらどうすればいいかわからないよ」
 それは勝手だとテッサは怒った。
「もう、シンジさんはわたしたちの仲間です。仲間だと思っています。それなのに」
「そう思ってくれるのは、嬉しいけどさ……」
 勝手な期待だと、いつかの日のことを思い出す。
「本当の自分、考えや気持ちを押し殺して君たちに合わせて生きていくのは無理だよ。違いすぎるんだ。別の生き物だって言えるくらいに、考え方……生き方が違うよ。馴染めないって言う気持ち、わからないかな?」
「わかりますけど……」
 でもとこだわりを見せるテッサに、今はやめようとシンジは提案した。
「妥協はするよ……っていうと誤解されそうだけどさ。いまさら見捨てるのは寝覚めが悪くなるってわかってる。だから自分から居なくなるとしたら、まだまだ先の話になるよ。今は話していたって仕方がないさ」
「けど、騎士になるかどうかは、今の話ですよ」
「守っては上げたいけどさ、取り込まれてしまって、身動きが取れなくなるのはごめんだよ」
「あくまで、自分の意志で守るだけだと?」
「ああ」
 シンジの言い切り方は、見方を変えれば役職に関係なく、アスカのためならと言っているようにも聞こえるものだった。
 テッサはこっそりとため息をついた。
(わかっていないのかな?)
 アスカのことが、好きだから。そう言っているようにも聞こえるのだと。
「コウゾウ様の説得は、こんなものじゃすみませんよ?」
「頭が痛いよ……」
「どのみち、神国へは行ってもらうつもりのようでしたけど」
「北の地か……」
 どんなところなのかなと不安になる。
「騎士になる、ならないに関係なく、手紙を届けて欲しいって言ってたけどさ。北の姫? そんな人に面識があるコウゾウさんも、謎だよな」
 若い頃は、学業、研究のために、あちらこちらを旅していたのだというが、仮にも姫と称される人物である。一学生が簡単に出会えたり、知り合えたりするわけがなかった。
「手紙になにが書かれてるのか、知りたくはないけど……」
「怖いですね」
 くすりと笑うテッサである。
 シンジはこの国の人間ではない。
 たとえ国境を越えたとしても、彼らが非難される筋合いにはない。あくまで悪いのはシンジ個人だという話になる。
 これがリョウジやミサト、コウゾウであったなら、追っ手も探し出そうと躍起になるであろうが……と、それは詭弁であったが、理屈としては通じるものであった。
「行くのなら僕が適当、っていうのは、その通りだと思うよ。理力甲冑騎が使えるのなら、空だって飛べるしね」
「越境についてはそうかもしれませんけど……。こちら側にいる間はこちらの生まれ、あちらに出たならば、あちらの生まれと言い張ればいいのですから。でも危険なことに代わりはありませんよ?」
「守るって、約束したんだ。命くらいかけるさ」
 テッサは(かぶり)を振る。
「ほんとに……そういう言い方はやめた方が良いと思いますよ」
「投げやりに聞こえるかな?」
 そうじゃなくてと、テッサは前に回り込み、シンジの顔を覗き込んだ。
「わかってます? 女の子が命を賭けて守る、なんて言われたら、どう思うか」
 シンジは戸惑いを浮かべた。
「迷惑かな?」
「思い上がって、舞い上がってしまうって言ってるんです!」
 まさかぁと口にするシンジに、本当に呆れると頭を抱える。
 美男子、美少年、美青年、そう言った美醜で計れば、シンジは中庸の下の域であるが、決して醜いというわけではないのだ。
 きりりとすればそれなりに見えるし、なにより戦いの場でしか見られない男児の雄々しい姿にやられない女子などいるものではない。
「わかりません……付き合いきれないのに、命を賭けることには頓着しないだなんて。わからないんですか? この命に代えても、なんて言われたら、誰だってどこまでも信じてみようって気になりますよ。そういうつもりじゃないって言うのなら、いっそ付き合いきれないし、命も賭けられないと言ってくれればいいのに。それならそこであきらめをつけることができるんですから」
 どっちかにして欲しいってことかとシンジはこぼす。
「人のことなんてどうでもいいからねぇ、僕は……」
 笑っていうことではないとテッサは思うが、シンジはかまわなかった。
「命をかけたって、負けなければ良いだけだろう? 勝てばいいんだよ。死ぬつもりなんてないよ」
「命を賭けると言うことと、死ぬつもりはないっていう言葉は、反してませんか?」
「僕の中では、反発しないよ。共存してる」
 シンジは脳裏によぎったものを語るつもりはなかった。
 ただ、綾波と、ぽつりとこぼしただけだった。
 あの月明かりの中の横顔……そしてあの言葉。
 ──あなたは、わたしが守るもの。
 ──さよならなんて、言うなよ。
「はい? いま、なんと……」
 苦笑でごまかす。
「なんでもないよ」
 それよりもと話を戻した。
「君こそいいの?」
「え?」
「理力甲冑騎だよ。もし乗っていくとなったら、今度は返せるかどうかわからないよ?」
 おそるおそる尋ねる。
「やられるつもりはないんですよね?」
 もちろん、けれどとシンジは言った。
「乗り捨てるってことはあるかもしれないよ。道具は道具だ。こだわって、一緒に死ぬつもりはないからね」
 テッサは諦めたように頭を振って答えた。
「あれはもう、あなたのものです……ですから、好きにしてください」
「いいの?」
「どうせもう、他の人では動かないでしょうから」
 理力甲冑騎は基本的に適性のある人間であれば誰でも乗れるものではあるが、それでも生物を素体にしている以上、搭乗者の色に染まってしまう乗り物でもあった。
 神経伝達などの回路が、騎士にあわせて変質してしまうのだ。
 調べてみた結果、テッサはシンジとあの理力甲冑騎との相性の良さに、慄然(りつぜん)としていた。まるで運命の出会いを果たしたかのようでもあったと言う。
 理力甲冑騎のような人型のものを自在に()るためには、生体磁場を利用した信号伝達による指令入力が必要となる。そのための操縦管であった。
 意志が信号となって発信しやすい箇所はいくつかある。手のひら、指先がその一つである。
 操縦管は信号を増幅し、あるいはノイズを除去し、指先から正確に伝達するフェライトコアとしての働きを持っているのだ。
 言い換えれば、強力な信号を発信し、同調することができれば、コントロールユニットは必要ないのである。テストの結果、シンジの同調率はその領域に達していた。
 神経も、操縦管によるノイズ除去すら必要ないほど、シンジの生体電気に合わせたものに変質していた。
 だがテッサが本当に知りたかったのはそのようなことではなかった。
 初めてシンジが搭乗したとき、甲冑はコンバーターに火が入る前に立ち上がり、シグナムへと斬りかかっていた。
 エンジンが止まっている状態で動いているのだ。
 同乗した時にシンジから溢れるようにこぼれた光。それは理力甲冑騎へと浸透して見えた。それが鍵のようにも思えるのだが、今はまだ、そこまで踏み込んで尋ねて良いものか自信がなく、テッサは追求していなかった。
 ともあれ、シンジに懐いてしまった機体である。いまさらシンジ以外の人間に払い下げることなど考えられなかった。
「くれるっていうなら、もらうけどさ」
 テッサは少しだけいたずら心を出し、意地悪を言った。
「はい、差し上げます。けど、自分の首を絞めることになりますよ?」
 さすがに理力甲冑騎をもらっておいて、無関係を装っていくことはできないぞと脅す。
 人のことをのぞき見るテッサに、シンジはそうなんだけどねと苦笑を返した。
「君も、僕のことを、すごい騎士だって思ってる?」
「シグナムと斬り結べる騎士が、何人いると思ってるんですか?」
「凄い人みたいだけどね。僕はそんなにうぬぼれるつもりはないよ」
「あなた以上の人なんて、数えるほどしか見たことはありませんけど」
 嘆息する。
「でも、いるんだろ? 世の中には絶対にいるんだよ。自分よりすごくてさ、自分なんて足元にも及ばない相手って、絶対に居るんだよ。僕は世の中がそうできてるって知ってるし、自分がどんなに凄くないかもわかってる」
 はぁ……と、納得できない様子で、テッサは相づちを打つ。
「卑屈に聞こえますけど」
「へこまされてきたからね」
 肩をすくめる。
「どのみち、いま僕がここにいるのはまずいと思うんだよな。自業自得だけど、城をつぶしちゃったせいで、いろんな人が出入りを始めてる。いずれ僕のことは噂になる。その前に行方をくらました方がいいかなって思うんだ」
 そう言って、シンジはテッサに、理力甲冑騎の修理スケジュールについて尋ね、テッサもおおよそといった話で、旅に耐えられるほどの修理となるとと、時間の程度を説明し始めた。
 ふたりは工場へと入り、理力甲冑騎を見上げた。
「ずいぶん変わったね」
「外していた装甲を戻しただけです。速度は一割ほど落ちますが、防御力は四割は上がっています。腕も付け直しました。盾は腕で支えるようになるので、二回りほど小さいものを用意しました」
「防御力、上がりすぎなんじゃ……」
「元々が裸同然だったんですよ。あなたのいう……ATフィールド? がなければ、アーバレストやヴェノムの波動系攻撃の衝撃波だけで、分解していたはずです」
 そもそもと口にする。
「アーバレストと戦ったときよりもぼろぼろの状態で、ヴェノムに勝っているんですよ? それ自体が驚異に値します。奇跡ですよ」
 シンジは笑って言った。
「奇跡は起こしてこそ価値があるんだよ」
「なんですかそれは」
「ある人の名言さ。まあ……その辺は考えるだけ無駄だと思うな。秘密があることはわかってるんだろ?」
 まさか話してくれるのかとテッサは驚いた。その顔に苦笑して、シンジはこっそりと耳打ちした。
「二人っきりの時にね」
「なっ!?」
「あまり知られたくないからね」
 二人っきり、と囁かれた時とは別の意味で紅潮し、テッサはシンジの背を叩いた。
「からかわないでください!」
 ふたりは裏側へと回り込んだ。
「これのことを聞きたいんだけど」
「コアのことですか?」
 背骨側の装甲が外され、むき出しになっているものがあった。コンバーターの下、肩胛骨に挟まれるような形で、大人が両腕を使っても抱えきれないほどの大きさの赤い玉が存在していた。
 甲冑の組織が表面に張り付いて、まるで血脈のように鼓動を打っている。
「あなたが乗ってから、急激に成長したんですよ。元はこれくらいの……おむすびくらいの大きさで」
「コアって言うんだ」
「はい。中枢、魂、心臓。そんなところです。命の源と言われている物です。強獣……生き物を縫い合わせたからって、それが息を吹き返して動くようになるなんてことはありません。これこそが、理力甲冑騎の機密なんです」
「生きているのか、やっぱり」
「生き物ではなく、あくまで模造品(パッチワーク)ですが」
「コアがあって、エネルギーを供給されて動いて……その上、操縦はシンクロか。まるでエヴァだな」
「そうなんですか?」
「気味が悪いくらいに作りはそっくりだよ。コアが同じものだとは思わないけど」
 だがそうなのかもしれないとは怪しんでいた。シンジの中に巣くうものが、同調し、同化して見せているからだ。
(魂がなければ、同化できる。確かそう言っていたよな)
「なにか?」
「いや……なんでもないよ」
 なんだろうと思いつつも、シンジが意外と秘密主義なのだとわかってしまっているテッサは追及の手を引き、説明を再開した。
「実はこのコア、生き物なんです」
「これが?」
「はい。どういう生き物なのかはわかっていません。でも昔から存在していて、人に力を貸してくれているものなんです。成長したコアは知性に目覚めて、話すようにもなるそうですよ。見たことはありませんけどね」
「正体はわからないけど、でもどういうものかはわかっている、か。ますますエヴァに似てくるな」
「別に理力甲冑騎に使っているだけじゃないですよ? 杖や剣に組み込む形が一般的ですから。いえ、むしろそちらが当たり前の使い方なんですから」
「理力甲冑騎は最近生み出された物だって言ってたもんな」
「はい」
「じゃあ、いろいろなタイプが居るわけだ」
「と言うよりも、コアの方が変質するんです。合わせてくれるって言うのか……」
「だから、同調率なわけだ」
「はい。でも、こんな風に血管が浮いたり、まるで機体と融け合おうとしてるようなのは、初めて見ますけど……」
 そうかなとシンジは思った。
「このコアが生き物で、それが生き物の形をしているものを与えられて、そこに生き物としては足りないものがあるのなら、生き物としては正しい形に補おうとするのは、おかしなことじゃないんじゃないのかな?」
 その考えにテッサは驚く。
「わたしの知らない、コアの形、動きだと?」
「コアが生き物なら、考えだってあるんだろうさ」
 ぽんと肩を叩いて、シンジは一人外へと向かう。
 シンジはさらに余計なことを思い出していた。それはネルフ本部を危機に陥れた使徒のことであった。
 試験用の素体を取り込み、自己を変質させ、進化して行った使徒のことである。
(なら理力甲冑騎(パッチワーク)にだって融合できるはずだ。体を動かすのは神経パルス……電気なんだから、コントロールだってできないはずがない。剣とか杖の形もあるのは、進化や変化の方向性の違いで説明が付く。使徒が人間との共存共栄の形を模索し、選んだ? 人の力となることで自分を使わせて、そこに生存権を得ているんだとしたら? それが使徒の選んだ繁栄の形だっていうのは、考え過ぎなんだろうか)
 そんなシンジの背中に、テッサは溜め息をこぼした。
 自分の知らないなにかを知っていて、その情報を元に何かを思いついたようなのではあるのだが、それを教えてくれるつもりはないらしい。
 ファイルを胸に抱え直し、工員に指示を言い渡しから、そうしてシンジの後を追い、外に出た。
 いつか聞き出すと心中では思いながら、小走りに追いつく。
「北の神殿までは……距離の単位は言うだけ無駄ですよね」
「うん」
「サーバインの巡航速度で、三日と言うところです」
「サーバイン?」
 理力甲冑騎の名前ですとテッサは言った。
「いつまでも名無しでは可哀想ですからね」
「サーバインか……」
「気に入りませんか?」
「ううん、どういう意味なんだろうと思ってさ」
理力甲冑騎(オーラバトラー)の名付け元にもなった伝承に出てくる、機械人形の名前ですよ」
「誰でも知ってる名前なんだね」
「そうですね。それだけ注目されることになりますよ」
「……プレッシャーだね」
「はったりは重要ですよ」
 くすくすと笑う。
「今は筋肉に電流を流す作業を行っています。これは刺激を与えることで筋肉を育てることになるからです。この作業は時間が足りないので、平均的な理力甲冑騎の状態へ復帰させるのが精一杯のところになります」
「あとは常識の問題か……」
「はい?」
「関所とか、山越えとか、行った先の潜伏とか、街への潜入とか、この世界の常識を知らない僕に、どこまで出来るか……」
 テッサは少し考えるそぶりを見せた。
「そうですね……うん、そうですね。そういう問題もありますよね」
 何か思いついたようであったが、シンジはそれを見逃した。
 曲がり角から、ぼすっと何かが走ってきて、腰のあたりにぶつかったからである。
「アスカちゃん?」
「シンジ!」
 相手が誰だかわかると、がんっとすねを蹴飛ばした。
「痛いって!」
「どこいってたのよ!」
 テッサも一緒だったことに気がついて、ますます語調を強めた。
「みんなが大事な話をしてるってのにぃ!」
「その関係で、工場に来たんだよ」
 よいしょと小さなアスカの両脇に手を入れて、持ち上げ、抱きかかえる。
「おーろーせー! 子供じゃなーい!」
 シンジの顔を両手で押すが、シンジは笑って取りあわない。
 その様子に、テッサも口に手を当てて笑う。
「それでは、わたしは」
「うん、頼むよ」
 一礼して工場へと戻っていくテッサの後ろ姿に、シンジがちょっと複雑な顔をしているのを見て、アスカは神妙な面持ちで尋ねた。
「どうかしたの?」
「……頼む、だってさ。何様なんだろうね、僕は」
 おろそうとすると、今度は逆に首にしがみつかれた。力強くはなく、ちょっとびくっとした程度であったが、シンジはちゃんと察して、抱え直した。
「君は頭がいいから、正直に話すよ」
「うん」
「僕は、君の騎士にはなれない。でも守るって約束したから、守るよ。でも騎士だけはだめなんだ」
「なんで?」
 怒って言っているわけではない。
 聡明さが、ちゃんとシンジの話を聞いてみようという気にさせている。
「いろいろと聞いてみた。君の騎士になるってことは、僕って人間の一生を捧げるって意味だろう? でもそれはできない。君を守りたいって思った。君を守ってあげなくちゃって思った。助けたいって思った。それは本当の気持ちだから、だから僕は君を助けに行った。でもこれは君に対して忠誠心があるからじゃないんだ。僕が、そういう人間だから、なんだよ」
 うんとアスカはうなずいた。
「わかる……と思う。シンジは、助けたい、守りたいって思ったら、守ろうってしちゃう人なんだよね? それが誰かは関係ないんだ」
「そうだね」
 苦笑する。
「目先のことに気を取られないで、言うことを聞けって命令されても、僕はきっと聞くことができない。聞き分けよく耐える、見捨てるなんて真似はできないよ。きっといつか、そういう場面に出くわすことになる。これまでもそうだったから、きっとこれからもそうだって言い切れるよ」
「……いっぱい、助けてきたの?」
「助けられなかったよ……誰も。助けることができなかった」
「シンジでも?」
「僕は情けなくて、臆病で……だから、一度も間に合わなかったんだ。間に合わせようとしたことさえなかった」
 だからこそ。
「もう、これ以上は嫌なんだ。だから、騎士みたいに、一人の人のために尽くす人間になんてなれない。わがままだけど、僕は」
 シンジ自身もよくわかっていない強迫観念なのだと、アスカは理解した。
 ぎゅっとシンジにしがみつく。
「アスカちゃん?」
 怪訝そうに尋ねるシンジに、なんでもないと答える。
「大丈夫、あたしには、リョウジやみんながいるから」
「そうだね」
 苦笑する。
「君の騎士になりたい人たちはたくさんいるよ。僕は本当の君の騎士が現れるまでの、つなぎに過ぎない。その人のために、行ってくるよ。北の地へ」
 アスカの腕に、きゅっともう一度、力が込められた。

[BACK] [TOP] [NEXT]