シンジはアスカを工場へと連れ込んだ。都合良く理力甲冑騎──サーバインの改修作業は終了していた。
 彼はテッサの姿を探し、他には聞こえないように話しかけ、サーバインの使用許可を求めた。
 テッサは多少の躊躇をしたものの、結局はシンジの提案に折れることにした。
 サーバインで遊覧飛行に出かけたい。それがシンジからの頼みであった。彼一人であったなら断っていただろうが、彼女もまたアスカ姫には、気分転換が必要だと感じていたのである。


 困惑する技術者諸氏と、苦笑するテッサに曖昧な笑みを返して、シンジはアスカとともにサーバインへと乗り込んだ。
 股の間にアスカを座らせ、両手を操作管の中へ差し込む。
 アスカのつむじに顎を乗せ、デートに出発とサーバインを立ち上がらせる。
 巨人は背をかがめて工場の扉をくぐり抜けると、上体を起こすのに合わせて背中のコンバーターを展開した。
 コンバーターの回転数が上がり、唸るような音が漏れ出す。魔力煙を噴出させると、サーバインは身軽に天空へと舞い上がった。
 その自然な挙動に、技術者達は感嘆の声を上げた。
 見たこともないような動きに、自分たちが作り上げた物の本当の素晴らしさを知って感動したのだ。
 そんな様子を盗み見ている少年が居た。それはあの銀髪の少年であった。
 月を背にして夜の空に浮かんでいた。スラックスのポケットに手を差し込んで、飛び去っていったサーバインへと驚きの目を向けていた。
 表情は驚愕に固まっていた。
「まさか……」
 彼はポケットから右手を抜いて、口元に当てた。
 こみ上げてくるうれしさを隠す。口元がゆるんでしまっていた。
「まさか、本物? この感じ、本物としか思えない、だけど……」
 彼の背後には、気味の悪い物を見る目をして、シグナムが控えていた。
 おそらくは騎士としての本来の姿なのであろう、魔道士風のアンダーウェアの上に、装飾に近い形で装甲の取り付けられている儀礼用の羽織物を羽織っていた。
「予定、変更だ」
 彼は振り返りもしないで口にした。
「僕が、彼を君たちの元へ連れて行く。ただしその間の時間は、好きに使わせてもらう」
「しかし」
 シグナムは彼の目にゾッとした。
 肩越しに向けられた赤い目が、爛々と輝いている。それは人のものとは思えない狂気を孕んでいた。
「これだけは、譲らないよ」


「きゃー!」
 普段を忘れて、アスカははしゃぎ声を上げた。
 シンジの股の間に座って、両手をシンジが差し込んでいる操作管の上に置いて、体を固定して、ハッチ越しの景色がくるくると回転し、流れ、とまり、また右へ左へとせわしなく移動する様に喜んでいた。
「すごい、すごいすごい、すっごい!」
 荷重に頭を振り回される。
 体がひっきりなしに揺さぶられる。
 それに合わせて悲鳴を上げる。
 夜空を、月をバックに、サーバインが曲芸飛行を披露する。
 上昇し、下降し、きりもみ回転を行い、アスカに自分を忘れさせる。
 それはアスカにとって、初めて我を忘れられた時間であった。
 ……三十分後。遊び疲れ、アスカの息は荒くなっていた。
 シンジはそんなアスカの汗で張り付いている前髪を払ってやった。アスカは「面白かった! 楽しかった!」と振り返り、どんなに凄かったかと感動を口にした。
 月の光を受けて二枚の羽が七色に輝いていた。虹色の航跡(オーラジェット)をひいて飛ぶ様は妖精そのものだった。
 なかなか落ち着かないアスカに苦笑しつつ、シンジは彼女のつむじに向かって話しかけた。
「誰かに乗せてもらったことはないの?」
「ある! けど、こんなにすごい早さで飛んでくれなかったもん!」
 それは飛べなかっただけだろうと思ったが、シンジは口にしなかった。
 そのことも苦笑の種にするしかない。
「あとね! こんなにすーって動かないの! もっとがくがくして、すっごく揺れるの! もう気持ち悪くなっちゃって……。シンジのは違うね。全然揺れないんだもん!」
 そうかとシンジは短く返した。
 機体の差ではないはずだった。この機体は初期の量産型で、改良されてはいても、新型に比べれば基本設計の段階で劣っているという代物だ。
 どう作り替えようとも、新型には及ばないのだ。話を聞いても、アスカが乗ったものは、この機体よりも新しく生産されたものだという。
 ならばとシンジは自分にわかる理解の仕方を選んだ。おそらくはシンクロ率による動作問題であるのだと。
 コンバーターを十分なレベルにまで吹き上がらせることのできない騎士であったのだろうと考える。車やバイクと同じだ。アクセルが十分に開かれず、エンジンが不完全燃焼を起こしてしまって、挙動が怪しくなっていたのだろうと。
 そう考えると、技術者が少し可哀想になってきたシンジであった。彼らはコンバーターについても相当改良を加えているはずだった。この機体にしても、実戦配備されていた頃に比べると、かなり良くなっているというのだ。
 だがシンジが高い能力をたたき出したことで、実際には初期の段階で十分なものができあがっていたということになってしまった。彼らの努力は見当違いの方向を向いてしまっていたと、シンジは証明してしまったのである。
 鍛えるべきは機体ではなく、騎士であるのだ。
 アスカの話は愚痴へと変化して続いていた。
「それにお姫様だからって、安全にって、こんなことしてくれなかったし!」
 それはそうだろと思うシンジである。
「僕だって、ミサトに知られたら、殺されそうなんだけどね……」
「いいの! もっと!」
 はいはいと、シンジは彼女が喜び疲れるまで付き合うことにした。
 機体を傾け、地表へ向かって飛び降り(ダイブ)させる。
 それからさらに三十分ほどして……。
 ずいぶん長くなってしまったなと、シンジはゆったりとした速度での帰投のコースを取っていた。
 湖が月光を反射している。それを目安にぐるぐると回っていただけなので、実際にはそれほど遠くまで出たわけではなかった。館跡からでもサーバインの飛んでいる姿は見えていたはずであった。
 湖をまたぎ、湖面の照り返しを受けて飛ぶ。
「疲れた?」
「ちょっと……」
 んくっと、持たされた水筒を、両手で固定して口に当てる。
 アスカは三口含むと、はいっとシンジに水筒を渡した。
「ありがと」
 つまむように受け取り、シンジも一口含み、栓をして、シート脇の固定具に戻した。
 自分が口を付けたものに平然と口をつける。そんなシンジの唇を見て、アスカは言った。
「やっぱりシンジは違うね」
「ん?」
「あたしをお姫様だと思ってないでしょ?」
 あまり深く考えずに、シンジは思ってないかもねと正直に答えた。
「子供だとは思ってるよ」
「シンジだって子供のくせに」
「君よりは大人だよ」
 馬鹿にされているのではないとわかるからか、アスカの返しもやわらかだった。
 シンジはそうだなと教える。
「僕の住んでいたところにはね、お姫様なんて居なかったから、わからないんだよ」
「いないの? じゃあ王子様は?」
「王様がいないんだよ」
 アスカは仰天する。
「じゃあ誰が国を治めてるの?」
「みんなでだよ。国民が代表者を選び出して、その人に任せてるんだ」
「そんなの!」
「それでもうまくいくんだよ。まあ、みんなでわがままを言い合うようなもんだから、うまくいかないことも多いけどね」
 あれ? アスカはふと、おかしなことに気が付いた。
「シンジはあたしに、良いお姫様になるって言ってくれたじゃない。じゃあ、シンジの言ってたお姫様って、なに?」
 それはお姫様で正しいんだよと説明する。
「僕の住んでいたところって言ったろ? 他の国にはお姫様がいるんだよ。そこのお姫様達は、こんな人のためにならがんばれる、耐えられる。そんな風に敬われてる人たちなんだ。この世界でもそれは変わらないんだろう?」
「そっか……」
 どの程度の難しい言葉が通じるのか。それを探りながらであるので、うまく語れない。
 だが思っている以上にアスカは利口であるらしく、シンジの言葉をちゃんと理解していた。
「シンジはあたしをお姫様じゃなくて、あたしって思ってくれてる。だからかな? お姫様でいなくちゃって、思っていられないのって……」
「嫌かい?」
「ううん。でも、他の人に見られたら、なに言われるかわかんないもん」
「ちゃんと他の人たちの前では、アスカ様って呼ぶさ」
 それもヤだなと口にするアスカの頭に、ぽんと右手を乗せるてやる。シンジはぐりぐりと少し強めに撫でてやった。
「それが処世術ってもんだよ」
「痛いよ」
 答えられないような話をされると、大人はこうやってごまかす。アスカはそれを知っていた。
 アスカは背中をシンジに預けて力を抜いた。
「ねぇ」
「ん?」
 甘える声でねだる。
「シンジと二人っきりの時だけ、こうしてて良い?」
「良いけどね」
 身をゆだねて安心しようとする姿に苦笑した直後のことだった。
 シンジの手が止まった。
 それだけではなく、体もこわばった。
 サーバインがシンジの意志を受けて急制動をかける。
「なに!?」
 アスカは何事かとシンジを見上げ、驚きに呆然となっている顔を見つけた。
「なんなの?」
 シンジの視線の先を追う。
「え!?」
 その先に、彼女もまた人影を見つけた。
 そこに少年がいた。宙に浮いていた。
 湖の上に浮かんでいた。
 湖面に浮かぶ月の上に立っているのだ。
「見たことない格好……」
 カッターシャツに、スラックスである。
 銀色の髪は月光にきらめき、なびいていた。
 振り向いたその顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
 月の照り返しに、赤い瞳が細まっていた。
「やあ」
 彼はゆっくりと下りてくるサーバインに向かって話しかけた。
「月はいいねぇ……闇に沈んだ僕の心を、やさしく溶かしてくれる気がするよ」
 そうは思わないかと、なぜか耳元で囁かれているかのように声が響いた。
 いや、サーバインのコクピットに響いたのである。ガウルンの時と同じ現象であった。
「碇シンジ君」
「君は!」
 サーバインに剣を抜かせる。少年はゆっくりと半身としていた体を回転させて、正面を向いた。
 その顔は、やはり見覚えのありすぎる、シンジには絶対に忘れることのできないものであった。
「僕の名前を忘れたのかい?」
 シンジはぎゅっと唇を噛んだ。噛みちぎらんばかりにかみしめた。
「生きているはずがない」
 震える声を絞り出す。
 シンジは身を乗り出して叫んだ。
「僕が殺した」
「なら僕は誰なんだい?」
「お前は!」
 反射的に斬りかかる。
 迫り来る巨人の迫力を押し返すように、彼は右手を広げて前に出し、不敵に微笑んだ。
「僕はまぼろしかい?」
 サーバインの一撃が金色の壁にはじき返される。
 押しとどめる力が湖面に激しい波を生んだ。
「ATフィールド!?」
 弾けるしぶきが小雨のように降る中、彼はにやりと口にする。
「少なくとも、現実だよ」
 足を広げ気味にサーバインは剣を構える。
 そして再度振りかぶり、斬りかかる。
 ガン、ガン、ガン、三度衝突音が響き渡る。剣を弾くのは金色(こんじき)の障壁だ。ぶつかる度に八角形の光が瞬く。
 少年は不敵に笑んだままだ。なにをするわけでもなく、ただ、そこに在るだけである。
「くそっ!」
 攻撃が通じないことにいらだちをはき出す。あまりの暴れっぷりに、アスカが腕にかじりついていることにも気付かない。
「お前は、なんだ!」
「カヲルだよ、シンジ君」
「カヲル君は死んだんだ! 僕が殺した!」
 操作管から抜いて突き出す。
 この手でと、シンジはハッチを開いて叫んだ。
 カヲルはそんなシンジの狼狽している姿を見て、ただ笑った。
 懐かしげに、泣きそうになりながら、笑った。
「君は知っているはずさ。僕に肉体的な死は意味を成さないと」
 使徒だからねぇと、彼は言う。
 使徒──その単語に、シンジは思わず反応してしまった。
「こんな世界にも、使徒がいるっていうのかよ!?」
「なら、君はなんなんだい?」
 なにをとシンジは戸惑いから動きを止める。
 カヲルの目つきが、シンジの知らないものになる。
 険を強めて、彼は言う。
「君は本物のシンジ君かい?」
「なにを……」
「君は本物なのかと聞いているのさ」
 虚を突かれた質問に、シンジはうろたえた。
「なにを……言うんだよ」
 良いことを教えてあげようと彼は告げる。
「先日、南の地で爆発が起こった。どうも機族の研究所で事故が起こったらしいんだけどね。そこでは復元実験が行われていたんだよ」
「復元?」
「人間のさ。肉体より解き放たれた魂は、自分と同じ肉体に回帰する性質を持っている。君がシンジ君なら、知っていることじゃないのかい?」
 心当たりのありすぎる話であった。
 ──同じ人なのに、違う感じがした。
 自爆という手段を用いた直後の、生きていたと知らされ、会った、彼女のことが蘇る。
 ──綾波レイ。
「だから、機族は遺伝子情報から肉体の復元を試みているのさ……チルドレンのね」
 がたがたと震え出す。
「僕が……偽物だって言いたいのかよ」
「そうでないのなら、君は何者なんだい?」
 偽物なら許さないと、彼は眼光を強めた。
「記憶、いや、情報をそれらしく焼き付けられているだけの人形に過ぎないのかも知れない。クローンか、系譜者か、あるいはただの先祖返りなのか。それとも本物なのか」
 カヲルの言葉に触発されて、シンジは記憶を掘り起こしていく。
 実験施設では外出することを許されていなかった。
 オーストラリアだと知っていたのは、そう教えられていたからだ。
 異世界に落ちたというのは考えすぎで、実は爆発事故で放り出されただけのまがい物に過ぎないのかも知れないと、不安が迷いを生んで、感情を鈍らせた。
 サーバインの持つ剣の先が落ちていく。
 それはシンジの内心を表している。
 不安から言い返そうとして、シンジはようやく左腕の痛みに気が付いた。肉を掻き血が滲みだすほど食い込んでいる爪。
 それはアスカの爪だった。
 アスカがおびえていた。左腕にしがみついて、シンジのことをその目で不安げに見上げていた。
 シンジはぎゅっと唇を噛んだ。
(僕は!)
 えらそうになにを言ったと思い出す。
 シンジは勢いよくアスカのつむじに顔を(うず)めた。
「……ちゃだめだ。迷わされちゃダメだ。迷わされちゃダメだ」
 すぅっと彼女の髪の臭いをかいだ。
 ふけ臭い臭いがした。シャンプーなどない世界なのだから仕方がない。
 それでも女の子の臭いじゃないなとシンジは思った。
 シンジは顔を上げ、カヲルを睨んだ。
 アスカの臭いが、シンジに現実感を取り戻させていた。動揺は去り、冷静にカヲルの姿を捉え直させた。
 真っ直ぐに彼を睨む。
「もう一度聞くよ……」
 声を震わせるなと、唇を噛んで、気をしっかりと保つ。
「君は、なんのために現れた」
 ほうっと、カヲルは感心して目を丸くした。
 そこに成長を感じられたからである。
 あるいは変化かも知れない。
 カヲルの口元に笑みが浮かぶ。
「受け入れるのかい? その事実を。君が偽物、作り物、まがい物だという現実を」
 シンジは爪を立てるアスカの手に手を重ねた。
「どっちだっていいさ」
「ふん?」
 本物かも知れない渚カヲルから目を外し、アスカと見つめ合い、口にする。
「僕が本物でも、偽物でも、どっちだってかまわない。『僕はここにいる』。それが全部だ」
 視線を戻すと、そこには絶句しているカヲルがいた。
 彼はすぐに、あははははと声を上げて爆笑した。
 ひとしきり笑った後で、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら告げる。
「目的は……アスカ姫だったんだ。今は君だけどね」
「君が黒幕?」
「狙っているうちの一人だよ。いろいろな組織が様々な理由で狙っているんだ。機族も狙ってる。君はその理由を知っているかい?」
「わからないよ……」
 ならばとカヲルは口にする。
「系譜者という言葉を知っておくと良いよ」
「系譜者?」
「チルドレンの血筋にあたる者。それを系譜者というんだよ」
 シンジはスモールに乗っていたアスカのことを思い出した。
「機族のアスカは」
「彼女に会ったのかい?」
 彼女は違うとカヲルは教えた。
「彼女はクローンだよ。セカンドチルドレンのね」
「クローン……あの子が」
「もっとも、元にしているらしい遺伝子情報自体がずいぶんと劣化してしまっているらしいよ。オリジナルとはかなり違ってしまっている。復元実験はそのエラーを訂正することも目的としているんだよ。系譜者はそのために狩り集められているのさ。よりオリジナルに近い個体を作り出すために、遺伝子の補完と修復を行うために。人造ではうまくいかないことを理由に、先祖返りと呼べる、よりオリジナルに近い遺伝子配列を持った自然の個体を回収して、DNAを採取し、あるいは個体同士でかけあわせ、生まれ変わりが起きないものかと期待して、研究を続けているらしいんだよね」
 あのアスカは、オリジナルを復元しようとして生まれ出た、失敗作だと言っているのだ。
 その辺りに、自分がああも憎まれている理由があるのかもしれないと思い至る。
「そんなことが」
「なにしろ四百年、この世界を管理してきた連中だ。成功させるためならあと数百年くらいはかけるだろうさ」
「よっ!?」
 シンジはさらりと告げられた事実に絶句した。
「四百年だって!?」
 とうてい信じることのできない数字だった。
「ここが、四百年も後の世界だっていうのかよ!?」
「君は、それを知らなかったのかい?」
 ならばと親切に教える。
「機族と呼ばれている南のシステムは、人類復興プログラムというものを掲げているのさ。彼らは人類の敵ではなく、味方なんだよ。少なくとも、彼らはそう思っている」
 人類復興プログラム。
 それがなにを意味しているのか、シンジには尋ねる余裕がなかった。
 四百年という時間に、激しく動揺してしまっていたのである。
 君は……とカヲルはシンジを見た。
「とうとう機族がサードチルドレンの復元に成功した……というわけでもなさそうだね。彼らは本部付きであったファースト、サードの遺伝子情報(ジーンマップ)を持たされていなかったから、もう君には……たとえ似た人であっても、会えることはないと思っていたから、この感情を、はやる気持ちを、必死に抑えていたんだけどね」
 カヲルは右手をシンジへと伸ばした。
 まるで手を繋ごうと、誘うように。
「……でもこの感じ。間違いないとわかるよ。君は本物だ。彼らが生み出した模造品じゃない」
 ぎゅっと、剣を握るサーバインの手に力がこもった。
 うなだれるように首を落としていたシンジの目が、前髪の向こうで眼光を強める。
「カヲル君……なのか」
「……本物なんだね、シンジ君」
 沈黙による邂逅が行われる。
 それは二人が互いを本物であると認めたことによるものであった。
 カヲルが先に、君はと尋ねる。
「四百年だよ、シンジ君。君は今までどうしていたんだい? どうして今になって現れたんだい? 君はどこから……」
「いまさら!」
 遮るように、シンジは叫んだ。
「いまさらなんだよっ、なんの用で現れた!」
 吐き出す怒気が、サーバインの口からも咆吼となってほとばしった。
 カヲルの前髪があおられて吹き上がる。
 彼は伸ばしていた手を戻し、手ぐしとして髪を正した。
「もし本当にシンジ君だっていうのなら、確かめるしかないだろう? 確かめたくて当然じゃないか」
 なにしろと語る。
「僕たちは……友達なんだから」
 なんの邪気もない笑顔だった。
 数瞬の沈黙が痛く流れる……そしてシンジは答えた。
「ありがとう」
 シンジは十分だと告げた。
「いろいろわかった、もういいよ!」
 ハッチを閉じる。
 サーバインの大剣が発光した。
 その先の言葉はない。オーラコンバーターからのエネルギーの大半が、手に持つ剣へと流れ込んでいく。
 それは一定のラインを超えたところで集束し、サーバインが振り上げると同時に刀身の倍以上の大きさの刃となった。
 ふっとカヲルは笑った。右手で手刀の形を作る。そして左手を腰に、フェンシングのポーズを真似て、突き出した。
 ガキンと弾き合う光。カヲルの手からは、手刀と同じ幅ながら、長さだけはサーバインの光の剣と同じ長さの光線が発せられている。
 その光の剣と、サーバインの光の剣が交錯する。
 一合、二合、背丈にして五倍は違う、大きさではさらに何倍も違う理力甲冑騎と人間が打ち合いを行う。
「彼女がアスカと別人なら、それで十分だ!」
 シンジは叫ぶ。
「僕は、彼女と、戦える!」
 そう、シンジは思い出していた。自分が語ったことを、言った言葉を。
 もはや帰るべき場所も、会いたい人も、すべきことすらもないと。だから……だけど。
 ──今、ここには、守らなければならない、約束を交わした子がいる。
 そのぬくもりを、抱いている。
「いっけぇ!」
 それは力を絞り出すには十分な(いまし)めだった。
「あああああ!」
 ATフィールドが中和されたことに、そして気迫のすばらしさに、カヲルは目を剥いた。
「変わったね、君は」
「君と違って、あれからも僕は生きた、それだけさ!」
 切り結び、力で押し合う。カヲルは押されるままに陸へと下がっていく。
「君を殺した後も、僕は生き続けた。意地汚く生きたんだ、少しは変わるさ、ずるくもなるよ!」
「生き方が変わったと言うことかい?」
「君と戦えるくらいには、成長したさ!」
 カヲルは笑った。声を上げて笑った。
「それは、大きな変化だよ!」


 単調な動きを隙と見たのか、数キロを経た場所で草木をかぶり、偽装してひざ立ちの姿を隠していたアーバレストは、右手に持ち、左手で重心をホールドしていた狙撃型のライフルの引き金を弾いた。


 衝撃にサーバインが浮き上がる。
 背部コンバーターを打ち抜かれたためであった。
 にやりと笑ったカヲルの姿がキャノピーからかき消えた。カヲルが逃げたのではない。機体がバランスを崩して空中で転がったためである。
 見失ってしまったのだ。
 しまったとシンジはほぞをかんだ。ATフィールドは互いに中和し合っていた。その上、理力甲冑騎そのものが持つ力は、斬り合いに傾けてしまっていた。結果、あまりにも無防備になりすぎていた。
 激震。森に突っ込み、木をなぎ倒してサーバインは停止した。
 眠っていた動物が走り出し、鳥がぎゃあぎゃあとわめいて飛び立っていく。
「この威力……ソースケ君か」
「シンジ」
「大丈夫?」
「うん……でも」
 不安げにあたりを見回すアスカの頭に、ぽんと手を置いてなで始める。
 森の中だった。深い。サーバインよりも頭の高い木々ばかりで、空はあまり見えなかった。
 足下も巨木の根が波打ち、それを苔が覆い、さらに草木が沈めている。
 サーバインの脚がくるぶしまで埋まるほど深いものである。
 シンジはため息をこぼし、反省した。
「熱くなりすぎたな……ごめん、こんなことになって」
 アスカはなでられながらシンジを見上げた。
「知り合いだったの?」
「たぶん……でも」
 シンジの歯切れの悪さに、アスカは彼の叫びを思い出した。
 殺したと言っていた、自分がと。
 ミサトが言っていた。シンジは人を殺せない腰抜けだと。なら、そんなシンジが人を殺しているというのは、どういうことなのか?
 いろいろと想像はできるが、アスカは口に出さなかった。どういうことなのかよりも、どういう気持ちがあるのか、その内心の方が気に掛かったためであった。
「あの人も、アマルガム?」
「さあ……でも、撃ってきのはソースケ君だ。彼とつるんでるってことは、無関係じゃないんだろうね」
 そっかとアスカはこぼす。
「ソースケなんだね。撃ってきたのは」
 おやっとシンジは首をかしげた。
「ソースケ君を知ってるの?」
 直接は知らないとアスカは言った。
「テッサは元々、軍の実験部隊を指揮してたの。そのときの話を聞いたことがあるだけ」
「そっか……部隊を率いていたって言うのは、聞いていたけど」
 実験部隊と言うからには、おそらくは理力甲冑騎の開発に関わるなにかだろうと推察された。
 そしてそこには神像まで配備されていたというのだから、なにか普通ではない物を想像させる。
「逃げるのは、無理そうだな」
 シンジは空を見上げて、操作管を動かしてみた。
 ガス、ガスッと、オーラコンバーターから不完全燃焼によるガス排気が行われる。綺麗にエネルギーが噴出しない。
 コンバーターは半壊していた。
「動けないの?」
「動けるよ、飛べないけどね。戦うのも……無理そうだな」
 実際、かなりの大事であるのだが、シンジはもっと剣呑な存在を見つけ、口をつぐんだ。
 アスカも気付く。
「シグナム」
 抜き身の刀身を握ったシグナムは、サーバインへとひるむことなく走り出した。
 藪の上をである。魔術であった。
 彼女は三歩目で地を蹴って飛んだ。
 サーバインの兜よりも高く飛んで、剣を一直線に振り下ろす。
「この!」
 とっさに身を引き、さらに剣を横にして振りかざし、シンジはシグナムの剣を受けとめさせた。
 シグナムが何事かを口にすると、いくつもの魔力球が発生し、流星となってサーバインを撃った。
「くっ、この!」
 出力の上がらないサーバインは、がくがくと膝が震え、歩くこともままならなかった。
 そればかりか、震えは全身に広がって、ついには膝をつくことになった。
 ハッチにひびが入る。
「下りろ」
 真下、ハッチの外にシグナムが見えた。
 切れ長の目が、二人をキャノピー越しに睨み上げ、剣先を向けている。下りてこなければ撃つと、魔力球を三つ体の周りを回転させていた。
「くっ」
「シンジ……」
「逃げられない……ここは」
 シンジは命令に従った。
 ハッチを開き、サーバインから落ちるように下りる。
 アスカは腕に抱いて下りていた。アスカをおろす。
 そのシンジの前に放り投げられたのは剣だった。一般的な長さのものだ。
 どういうつもりかと、シンジは口にしなかった。
 ひとつため息をこぼし、彼は剣を拾い上げ、鞘よりスラリと抜いて、かまえを決めた。
「シンジ……」
「そこにいるんだ」
 アスカを背後ではなく横になるよう回り込みながら前に出ると、シグナムが問いかけた。
「少年。剣を使ったことは?」
「慣れてるとは言わないよ!」
 シンジは、いやぁ! と奇声を発して、斬りかかった。
「ああああああ!」
 咆吼を挙げてでたらめに斬りつける。
 ただただ、上段から振り下ろし、弾かれた剣を力尽くでまた振り下ろすと言った無茶苦茶さだった。
 反動を腕力で押さえ込み、力任せにたたきつけるという強引な剣だった。
「気迫は良いものがある!」
 鉄の引っ掻き合う耳障りな音が不協和音を奏でる。くぅっとシグナムはうめいて、わずかに刃を傾け、シンジの剣を受け流した。
 だがシンジの手首を返す動きが速かった。剣は絡み合ったまま、動き、今度は正面からの押し合いになる。
「なんでなんだよ!」
 交差する刃越しにシンジは叫んだ。
「どうしてアスカを狙うんだ!」
「我が願いのため」
「あんなに小さな女の子を犠牲にしてまで、かなえたい願いだっていうのかよ!」
「それを決めるのはわたしだ! 世界の危機というわけではない。世界を救うためでもない。だがわたしにとって、それは世界が滅ぶのと同じことだ! わたしはわたしの世界を守り、救いたい!」
「わからないよ!」
「だろうな!」
 ギンッと音をさせて、ふたりが同時に剣を弾き、後ろに飛んで距離を取る。
「お前の力はこんなものか!」
 シグナムは空いている左腕を振るった。魔力球が三つ発生し、シンジへと飛ぶ。
「僕の力なんて、この程度だよ!」
 同じく空いている左腕を大きくスイングする。手先から赤い光の鞭が走って、魔力球を切断する。
 この隙を突いてシグナムがしかける。両手で剣を持ち、大きく振り上げて振り下ろす。
 発生したのは魔力による衝撃波だ。
 だがシンジも遅れていなかった。鞭を消すと同時に右腕一本で剣を突き出す。その剣先に金色の障壁が発生し、衝撃波を弾き壊した。
 その障壁ごしに、剣の間合いにまで走り寄っていたシグナムの姿を見る。
 しまったとシンジは後悔したが、遅すぎた。
 剣は突き出した状態、引き戻し受けるための型にする時間はない。
 左腕は引いてしまっている。これも突き出すには間が足りない。
 シグナムは既に間合いに踏み込んでいる。抜刀に入っている。
 シグナムの剣をさばく方法がない、しかし……。
《Please forgive me. 》
 シグナムが驚愕し、目を見開く。シンジ自身も驚いた。
 シグナムの凶刃がシンジへと届く刹那、障壁そのものがシグナムへと襲いかかった、いや。
 ATフィールドがシグナムの体をわしづかんだのである。
 人よりも大きな手のひらの形になって彼女を掴み、そのまま背後の木々を破壊して押しのけた。
 爆音がとどろき、土煙があがる。それが晴れると、倒木の折り重なるベッドの上に、シグナムが血まみれの姿で横たわっていた。
 ぐったりと仰向けで、だが頭だけは上げて、なんとか自身の胸越しにシンジをにらみつけたのだった。
 しかし頭からの血が目に入っているのか、左目は閉じていた。
「き……さま、そうか、召喚士……いや、精霊使い、か……」
 口の端から血が垂れる。
「…………」
 シンジはなにも言わなかった。
 取り憑いているものが勝手にやったことである。正直、良い気持ちはしなかった。シグナムとはお互いに正々堂々とやっているという心境があったように思える。なのに、と……。
 だが、こうなってしまったことは、言い訳のしようがない。そもそも共棲者の力を頼らなければ、シグナムと切り結ぶこと自体、不可能であるのだから。
 シンジは剣を斜に構えて、ゆっくりとシグナムへと歩み寄る。シグナムはそんなシンジを恐れることなく睨んでいる。
 アスカは何かを言いかけたが、うまく言葉にすることができず、口を開くことができなかった。
 そんな少女を観客に、シンジは剣を振りかぶる。
 そのときだった。
「シグナム!」
 声がして、氷柱が空から降り注ぎ、シンジの足下に突き刺さった。
「なっ!?」
 一瞬で地面が半径一メートルほどの幅で凍り付き、シンジの足を動けなくする。
 焦るシンジと、シグナムとの間に、ふわりと少女が舞い降りた。
 白い、道着のような、制服のような格好で、頭に帽子をかぶっていた。そして背中に鳥のような形の黒い翼がよっつ、羽ばたいている。
 彼女が地に足を着くと、その翼は光となって散って消えた。少女はシンジに対し、杖を構えて毅然とした声を張った。
「やらせへんで!」
「誰だよ!?」
「シグナムの(あるじ)、はやてや!」
 この登場はシグナムにも意外だったらしく、彼女は目を丸くし、驚いていた。
「主はやて、なぜ……どうしてここに!」
 はやてという名の少女はシグナムを無視した。
「あなたがどこのどなたで、シグナムがどれだけ迷惑をかけたのかは知りません。そやけど、主として、その責任はわたしにある! だから、ここから先は、わたしが相手をします!」
 絶望からシグナムは悲鳴を上げた。
「主はやて、やめてください!」
 シグナムの悲痛な声に、それ以上の涙声でもってはやては叫んだ。
「あほぉ! シグナムはわたしのために無茶をしようとしたんやろ! 自分の子が馬鹿をしたんやったら、責任を取るのは親の仕事や!」
 シンジはただひたすら困惑した。
「親? 子供!? なんだよ、誰なんだよ!? なんなんだよ!?」
 説明しようと、もう一体現れた。
 それはオオカミのような、ライオンのような生き物だった。
 目が赤く、そして体毛は紫がかっていて、首周りに白いたてがみを生やしていた。
 その上、人語を解するのだ。
「ザフィーラ、お前もか」
 シグナムはのっそりと現れ、自分の隣りに動いた獣に、とてもばつが悪そうな顔を見せた。
「ああ。コウゾウが密使を送ってきたのだ。お前に襲われたとな」
「…………」
「あの男は我々とはやて様のことをご存じだからな。理由も察しが付いていたのだろう」
 アスカは弱々しく声を発した。
「はやて……」
「アスカ様……」
 はやてはアスカを見て、うつむき、きゅっと唇を噛み、そして振り返って、シグナムの頬をはった。
 パンっと、夜の闇にいい音が響いた。
「あほぉ!」
 一喝である。
「人を犠牲にしてっ、自分だけが生き延びて、それで幸せになれるわけないやろが!」
 シグナムはひるまなかった。
「わたしは守護騎士です」
「そやからなんや!」
「わたしはあなたを守護するために存在しているのです。この国の王や、民のためではない!」
 喀血(かっけつ)しながらの叫びに、アスカははっとしたようだった。
 この国、王、王族、貴族、人民、たくさんの人たち……。
 そのひとたちのためではなく、忠誠を誓った、たった一人のために生きる人、騎士。
 シンジの視線を感じて、顔を上げ、目があって、アスカは眉間にしわを寄せ、視線を戻した。
 今になって、シンジが騎士になることを拒む理由を、ちゃんと理解したからであった。
「わたしを守護する言うんやったら、こんな方法を取ってどうするんや! アスカ様を、ううん、他人を犠牲にして生き延びて、わたしが耐えられる思うんか!」
 重い、と、アスカは自分の体を抱きしめた。震えが来ていた。
 もし自分なら? いや、すでにそうなっている。
 自分は──シグナムのような人たちの犠牲の上に生かされている。アスカはその重さに気付いてしまった。
 生き延びて、耐えられる?
 それは自分への問いかけのように思われた。
 犠牲となっている、なっていく人たちの思いを引き受けて、生きていけるのかという問いのように聞こえてしまっていた。
 話している間中、回復の魔法でも使っていたのか、シグナムは四肢に力を込めて立ち上がれるところまでは回復していた。
「時間が、ない……わかっているのです。はやて様」
「シグナム!?」
「闇の書は、その存在確率を安定させるために、はやて様という存在と入れ替わろうとしている。そしてもう、主はやては、半ば闇の書と入れ替わってしまっている。その証拠に、あなたの力は増大し続けている」
「そやけど、それはわたしの問題やろ!」
「ちがう! 闇の書から生まれたわたしたち、守護騎士としての問題でもある!」
 彼女はよろめき、剣を杖代わりに立った。
「守護騎士として、わたしは闇の書を守らねばならない! だが、わたしの主ははやて様なのだから!」
「シグナム!?」
「システムに、乗っ取られてしまう前に!」
 はやての顔に理解が走る。
「あんた!?」
 どういうことかといぶかっていたシンジに、ザフィーラが教えた。
「闇の書……と呼ばれるものがある。それは呪いの書と呼ばれるものだ」
「ザフィーラ!」
「シグナム、彼には知る権利があると俺は考える」
 シンジに、聞いてくれと、ザフィーラは懇願する。
「闇の書は、書でありながら、肉の体を求めている。この世に顕現するための生け贄をだ。それ故に、呪いの書と呼ばれている」
「それをどうにかすることと、アスカになんの関係があるのさ」
「直接はない。だが……」
 ザフィーラ左の目元をゆがめた。
「貴族連中は闇の書の管理者であるはやてを嫌っている。呪いの進行ははやてから行動の自由を奪っていく。隙を狙う者は時間の流れと共に増えていく」
「…………」
「ならば、味方を作るほかない。貴族たちですら手を出せないほどの後ろ盾を」
 シンジは嫌悪感から声を荒げた。
「主人を守るために……」
 ぎりっと唇を噛む。
「売り飛ばそうとしたって言うのかよ、こんな小さい子を! 売り飛ばして、人をさらうような、戦争をしたがってるような連中を味方に付けて!」
 吐き捨てる。
「最低だ」
 だがシグナムはそれがどうしたと返した。
「この身が泥に汚れることになろうとも、代えがたいものがある」
「シグナム」
 ザフィーラの言葉を遮るように、彼の鼻先に手をやって、シグナムは前へと歩き出した。
「わたしたちは闇の書によって生み出された。だが、誰のために生きるかくらい、選んだって良いだろう? なぁ、ザフィーラ」
「主はやてのために」
「ああ……アマルガムの頭首は、闇の書の正体について知っているようだった……機族ならば呪いも解けると言っていた」
「なにを言っている? なぜそんなことを伝える」
「遺言だよ」
 彼女は立ち尽くすように、まっすぐに背を伸ばし、かくんと頭を後ろに倒した。
 梢の向こうに月を見る。
 引きずるように持っていた剣を持ち上げ、彼女はシンジへと首を戻した。
「アスカ様を使えば、機族を誘い出し、罠にかけ、捕まえることもできると思っていたのだがな」
「いかせへん!」
 両手を広げてはやてが邪魔をする。
 シグナムは彼女を押しのけようとしたが、思い直し、そのまま剣を構えた。
「続きだ」
「ああ」
 はやてははっとし、振り返った。
 拘束の魔法が解けていた。シンジもまた、シグナムに対して剣を構えていた。
 間に立つはやてのことなど、二人とも見えなくなっていた。
 それほどまでにシンジはシグナムの勝手さに憤っていたし、シグナムもこの正念場に集中力を費やしていた。
「やめて、やめてや! アスカ様、とめて!」
 アスカは止めなかった。
「やめてやぁ!」
 交錯は一瞬だった。


 うっ、うっと、泣き声がする……。
「はやて様……」
「あほぉ……」
 シグナムははやての腕の中……彼女の揃えられた膝に頭を預けたまま、なんとか力を振り絞って、右手をはやてのほほに添えた。
「もうしわけ……」
「謝るくらいやったら!」
 そんなふたりを、残る三人が見守っている。
「シンジ……」
 アスカはシンジと手を繋ぎ、力なく尋ねた。
「シグナム……は」
 シンジは答える。
「騎士だよ。たぶん、あの人のあり方が、騎士なんだ」
 だから手加減しなかったとシンジは告げた。
 生きているのは、シグナムの反射神経が良かったためである。
 だが言い換えれば、反応速度が良すぎたために、即死できず、苦しんでいた。
 しばらくして、シグナムはシンジへと笑みを向けた。
「頼む」
 シンジは表情もなく、うなずいて、ふたりの側へと歩き出した。
 手を離されて、アスカは心細さから、その手を胸の前でつかみ合わせた。
 ただ見守ることしかできない。なにも考えられない様子だった。
 はやてが無表情のシンジを見上げ、懇願した。
「お願いや……まだ、間に合う」
「…………」
「見逃してや……助けることはできる」
 だめだとシグナムが諭す。
「わたしは、反逆者なのです。裁かれなければ……」
 本当に、はやてに責を問われることとなるという。
「責任やったら、わたしが負うから!」
「それは、僕の決めることじゃない」
 被害者に注目が集まった。
 つまりは彼女に、小さな姫に。
 アスカは胃がきゅっと縮まる思いを知った。
「シンジ……あの、あたし」
 シンジはかぶりを振って、頼るなとはねつけた。
「自分で考えて、自分で決めるんだ」
 皆が、アスカの判断を待つ。
 そのとき、アスカはシンジとの会話を思い出した。
 人の上に立つというのはこういうことなのかと、ようやく知った。
 上に立っている人間が、自分たちが幸せに生きられるように、考えて、働いてくれている。
 それはなんと幸せなことなのか?
 だが逆を言えば、上に立つ者は、人のために考え、人のために働き、生きねばならないということなのだ。
 ここに漂うのは、それが濃縮した空気だった。
 犠牲の上に、立って、生きる。
 誰もがなんの意味もなく犠牲になろうとはしない。なることはしない。
 犠牲になろうとするのは、肝心なときに助けてくれると信じているからだと思い知る。
 犠牲になったとしても、残った者たちのために尽くしてくれると信じ、後を頼むことができると安心できるからこそ、彼らは倒れることができるのだとアスカは知った。
 アスカは逃げ出してしまいそうになっていた。
 だが同時に、彼女のひらめきは、ここに至るまでの経緯の中で、一つだけシグナムを生かすことのできる嘘を思いついていた。
 助けなければならない。誰を?
 アスカは一番の被害者を見る。それは先走ったシグナムでも、巻き込まれたシンジでもなく、そして自分ですらない。
 シグナムを凶行へと走らせることになった原因。それこそが……なら。
 一番悲しんでいるのも、苦しんでいるのも、それは自分ではなく、王族たる自分が救うべき人は……。
「シンジ」
 アスカは決然とした面持ちでシンジに願った。
 伝わってくれと祈った。
 口にすることはできない。だから……。
「シグナムを、お願い」
 シンジの動きは誰の目にも追えなかった。
 振り向き、振りかぶり、剣を振り下ろした。
 その切っ先は、シグナムの前髪を揺らすだけに終わった。
 剣を戻そうとして、鞘がないことを思い出す。
 そんなシンジに、シグナムはどういうつもりだと口にした。
 シンジは肩をすくめる。
「さあ……理由はあっちのお姫様に聞いてよ。僕はアスカ様の願い通りにしただけだから」
「アスカ様?」
 アスカは幼いなりに、威厳のある姿を見せた。
「この場で、シグナムは亡くなりました」
 はやての目が丸くなる。
「アスカ様……」
「あたしを狙う賊を追うために、密偵として働いていたことを知られたのでしょう。彼女の名誉は、死後に回復されたものとします」
 背を向ける。
「そういえば、これからこの国に存在していないはずの人が、北の地へ向かうんだけど、不慣れだし、本当は誰かをつけたいんだけど、いい人が見つからないのよね」
 でも。
「もし、シンジと同じように、この国にはいないはずの人がいたら、ちょうどいいんだけど」
 シンジはシグナムを見て、苦笑した。
「どうする?」
 シグナムは目を閉じて、ふぅっと息を抜いた。
 そして笑い出す。
 あきらめと、自嘲が混ざったものだった。
「お前が斬ったのだ。負けたわたしは、お前に従おう」
「それは君の主様(あるじさま)に聞かないとね」
 はやてに問う。
「借りて良いかな? 君の……騎士を」
「そやけど……」
 この傷ではと、口にしようとすると、シンジが側に膝をついた。
「お願いされたからね、姫様に」
 そう言って、シグナムの隣に片膝を付く。
「ずるいよな……僕に人殺しができないってことを知ってて、やれっていうんだからさ」
 横目に睨むと、アスカはにまにまと笑っていた。
「僕まで試すような真似をしなくたって」
 だがシンジにも、この芝居は必要な手続きであったのだとわかっていた。
 アスカに言われたのではなく、シンジが自分で剣を振り、斬らなかったという選択をしたことに意味があるのだ。
 でなければ、シグナムを生かしたのはアスカだと言うことになってしまう。
 シグナムを斬らなかったのがシンジの考えであったのならば、アスカはそれを知らずに、死んだシグナムに対して恩赦を与えた、という話を作ることができるのだ。
 思わずため息がこぼれてしまうシンジである。
 これでシグナムは自由となり、はやては泣き過ごさずに済むようになった。
 アスカはとても満足していた。
 シンジはきっと、自分のことを信じてくれている。アスカは信じていたのだ。シンジのことを。
 殺せないシンジに殺せと命じても、きっとそんなことを命じるような自分じゃないと思ってくれると。ならその言葉はきっと嘘だと見抜いてくれる。そう考えたのである。
 そしてシンジはその通りにしてくれた。自分の真意に沿ってくれた。アスカは十分な満足感を得ていた。
 まったくもう、と、シンジはシグナムのふくよかな胸に手を当てた。
「なにを」
「黙ってて」
 手と胸の隙間から、赤い光が漏れ出した。
 その脈動に合わせてシグナムの傷口がふさがれていく。
「傷が……」
 誰ともなく、驚きから声を発した。
「力が……みなぎってくる?」
 なんなのだ、これはと、寝たまま胸元を見下ろすシグナムに対し、逆にシンジはさめていた。
 やっぱりそうなのかと、眉間にしわを寄せていた。
 彼女の力の根源は、使徒のS2機関に類似するものだと、戦っている最中に察しがついていたのだ。
 S2機関は、無限にエネルギーを作り出すことのできるものである。ならばそれに同調し、エネルギーを引き出してやれば、あとはなんとかなるのではないかと考えたのだが、しかし……。
 傷が使徒同様に急速にふさがっていく。その自己修復能力そのものは、シグナム自身が持っている治癒力でしかない。ならば普通の人間にはあり得ない回復能力を持っている守護騎士とはなんなのだろうか?
(話を聞く必要があるな)
 守護騎士を生んだという、闇の書というものについても、シンジはそう思う。
 カヲルはこの世界にも使徒が存在していると言った。四百年というのが事実なのかどうかはわからない。だがS2機関と使徒並の回復力を持っている存在を生み出し、人に成り代わろうとしているという闇の書の存在は、シンジには放置してはならない問題に思えた。
 シンジはここに来て、ようやく自分もまた登場人物の一人であり、決して部外者なのではないのだと思い始めていた。

続く!

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