シグナムの傷がふさがったところでシンジは立ち上がった。
「まだ横になっていた方が良いよ。傷はふさがったみたいだけど、その分、体力を食われたはずだからさ」
実際、シグナムの体は小刻みに震えていた。
カロリーの消耗に伴う寒気を覚えているようだった。
シンジは、さて、どうしたものかとサーバインを仰ぎ見た。
渚カヲルやアーバレストのことが脳裏をかすめたが、気にする必要はないなと放置する。
一人は自分のことを碇シンジと確かめただけで、今回はよしとしたようであったし……。
アーバレストはお膳立てだけが目的だと思われた。
両者とも、気配は感じられなくなっている。
この戦いはあくまでシグナム自身が、自らの行いについて決着をつけるために行ったものだ。彼らはそれを尊重し、悪く言えば、捨て置いたのだろう。
決着に興味はなく、彼らには関係のない事柄だとして、次の企てのためにこの地を去った。
「でも……わからないことだらけだな」
渚カヲルが渚カヲルであったとして、では、彼は何者であるのだろうか?
それは使徒であるのかどうかという意味ではなかった。
この世界での役回りがわからないのだ。
ATフィールドを操る以上は、使徒であることに代わりはないだろう。しかしながらシグナムが身を寄せていたアマルガムという組織とどのような関わりを持っているのか。そのことについて想像が付かなかったのである。
ソースケについては皆も知る話のようなので、こちらは簡単に調べが付くだろうが……。
「アスカと似た子が現れて、カヲル君らしい人まで現れて、両方とも僕のことを知っていて」
ため息をこぼす。
「無関係を決め込むなんて、できないよな」
積極的に関わらなければならないのかもしれない。シンジはふくらはぎの布が引っ張られる感じに足元を見た。
アスカが裾をつかんでいた。
「シンジ、サーバインは……」
アスカの頭に手をやって答える。
「歩かせて帰るしかないよね。ちょっと遠いけどさ」
と、頭上を聞いたことのあるジェット音が通り過ぎていった。
「オーラジェットの排気音。ウイングキャリバーかな」
「探しに来たんやないですか?」
はやてであった。
「この理力甲冑騎やと思うんですけど、えらい光が空に広がってましたし。あれ見たらなにかあったと思うんは当たり前なんと違いますか?」
「光?」
「たぶんコンバーターが壊れたときの光やと思うんやけど、オーラ光があふれ出したみたいに、ぶわぁっと広がって……、あれ、遠くからでも見えましたから」
コンバーターが壊れるとそんなことになるのか……シンジはぼんやりとそう思った。
「それにしては、来るのが遅かったなぁ……」
そうですか? と、彼女は不思議そうにした。
「理力機械は、心臓に火を入れるのに時間がかかるもんですやろ?」
そういえばそうかと、シンジは考えを改めた。
サーバインとて裏技を使わなければ緊急起動などできないのだ。
コンバーターが十分にオーラ力を吸い込み、圧縮し、燃料化を終えるまでには、それなりに時間がかかってしまう。
オーラ力は液体燃料のように、あらかじめ生成して備蓄しておけるものではない。生体エネルギーとも言えるものである以上、世界の循環から切り離されたオーラ力は、消失し始めてしまうのだ。
だからこそ、オーラコンバーターによって、常に新鮮な使い切りのエネルギーを生成しなければならない。
「こっちを見つけたかな?」
音が上空を旋回し始めた。
「ザフィーラ」
はやてが狼を呼び寄せる。
「先にシグナムを連れて城に戻ってぇや」
「いいのか?」
「ええですよね?」
ザフィーラの問いかけに、はやてはシンジへと許可を求めた。
「シグナムは闇の書によって生み出された騎士なんです。体を本調子に戻すには、一旦闇の書の元へ帰さんと」
「だから、城?」
「そうです。姫様はあなたに力添えをするよう言うてはりましたけど」
詳しいことは自分が聞くために残るからと言うのだ。
「味方になってくれるってこと?」
「さっきそういう話、しましたやろ?」
ふと見ると、見知らぬ男が立っていた。
浅黒い精悍な男なのだが、彼はシグナムを抱え上げ、肩越しにはやてを見た。
肩の出た衣服に、鋼の手っ甲を付けていた。灰色の獣耳と尻尾を持っている。
「それでは」
「頼んだで」
「心得た」
彼はシグナムを胸に抱きかかえたまま、森の闇へと紛れていった。
……シンジはぽかんとして見送ってしまった。
「え? 誰?」
「ザフィーラや」
「ええ!? 狼じゃなかったの!」
「化けただけや。行きましょか」
化けただけって……と、唖然とするが、アスカが平然としているので、シンジは頭痛を堪えることにした。
「考えても仕方がないのか……」
そういえばと、シンジは気になったことを尋ねた。
「コウゾウ様は知ってるの? 君がここにいるってことをさ」
いいやとはやては口にする。
「向かう途中やったんや。空に広がった光が気になってこっちに来てみたら、シグナムの気配がするやないですか」
「そっか」
「本当なら、シグナムに直接謝らせたいところなんやけど」
それはやめておいた方がいいとシンジは止めた。
「まだみんなぴりぴりしてるから」
でも……と、アスカが口を挟む。
「心配することはないんじゃないかな」
「なんでさ」
アスカはシンジの手をつむじで押し上げるように顔を上向けた。
「みんなは、あのシグナムがとか、まさかとか、そんな風に、信じたくないって思ってるみたいだったから」
彼女は一人になるため、いろいろな場所に隠れ、潜んでいた。
そのような会話をあちらこちらで拾っていたのだ。
「だから、きっと大丈夫だよ」
にぱっと笑う。
これもまた、嘘がうまくいくと彼女が確信するに至った理由の一つであった。
──アスカのためにあえて敵方に紛れ込んでいた。
国のために、姫のために。その姿の方がよほどシグナムという名前の騎士らしいものであり、皆が望むものなのだ。
「人は信じたいことを信じる、か」
そういうものだもんなと、どこか達観した様子でシンジは口にした。
「まあ、シグナムさんは誰も殺してないから」
殺されそうになったのって僕だけだしと愚痴のようにこぼす。
「工場でも飛びかかってくる連中を投げ飛ばしてただけだったし。館の方に居た人たちは、誰もシグナムさんのことを直接には見てないしな」
ライトがシンジたちを照らし出す。
『シンジさん、アスカ様!』
スピーカーからの声はテッサのものであった。
木々が邪魔で降りられないのだろう。シンジはサーバインを立ち上がらせることにした。
「それじゃあ、ええと、はやて……さん?」
「はやてです。……えと」
「シンジだよ」
「シンジさんですね。行きましょか」
シンジはサーバインへと乗り込み、二人を理力甲冑騎の手にすくい上げた。
オーラコンバーター独特の大気を震わす振動音。そしてオーラジェットの排気音に耳を塞ぎながら、館の面々はウイングキャリバーに吊られて戻ってきたサーバインの姿に顔をしかめた。
場所は戻ってコウゾウの館跡である。
山向こうに見えた火線に、戦闘かと武器を手に取った。だが火線は一度きりで、見間違いかとも疑われていた。
それにしては、シンジたちの帰りが遅い。
心配になったテッサがコウゾウに捜索を要請したのだ。破壊されたのはコンバーターだけであるが、大きく目立つ部品でもある。噴出したオーラ光によって機体の表面も焼かれて、装甲色が汚らしく変色してしまっていた。
そんな傷ついた理力甲冑騎の姿は、激しい戦闘があったのだと知らしめるものであった。
ウイングキャリバーは昆虫を模した作りとなっている。コウゾウが所有する機体は蝉の幼虫に昆虫の羽を付けたものが一番よく似ていた。
空気を地面に叩きつけるように羽を震わせ滞空し、高度を落とした。
サーバインの足先の爪が、地を削るように引きずられる。
前鉤でつかまえていたサーバインを解放して、ウイングキャリバーは再び上昇した。
ウイングキャリバーのための離発着場は、少し離れた林の中に作られている。
円形に広く木が切り倒されて、その場所は作られていた。
サーバインが屈するがごとく両膝をつく。
そのままへたりこむように尻餅をついた。両腕を後ろについて体を支える。
大きな振動が皆の足下を揺らす。不安から彼らは走り寄りそうになった。
リョウジが叫ぶ。
「シンジ!」
サーバインの右腕が上がる。
大丈夫だという意思表示だった。
壊れていると言っても、コンバーターの破損のみである。必要な出力が得られず、力が抜けてしまっているだけなのだ。
だがエンジンの損傷は普通の故障とは違っている。重大なものである。
ハッチが開く。最初に出てきた人の姿に、コウゾウは安堵の息を漏らしたのであった。
「間に合ってくれたか……はやて」
続いてなんの不安の色合いもなくアスカが顔を覗かせた。
「ただいま!」
はやてに抱かれて飛び降りる。
続いてシンジが顔を見せた。シンジは集まりすぎている人の多さに怖じ気づき、身構えたが、前もって行っていた打ち合わせ通りに、思い切って大声を張り上げた。
「ヴォルケンリッターが主、はやてをお連れした! 道を空けて、コウゾウ様を!」
皆の視線がコウゾウへ向く。
コウゾウはおおように頷いた。前に出て、そこでひときわ強い視線を感じ、横目に確認した。
それはミサトに抱きしめられ、辟易しているアスカからのものであった。
ミサトの腕の合間から、アスカがじっとコウゾウを見ていた。
強く、はっきりとした意志を持った目をしていた。視線は今日の昼間に見た彼女のものとは明らかに違う鋭さを宿していた。
(成長した? なにがあった)
横目に見ながら、それでもはやての前へと歩いていく。
コウゾウは歩みを止めずに、誰にともなく命じた。
「幕舎の用意を!」
リョウジが駆け出すのが端に見えた。
はしっこいと苦笑する。
「シンジ! 詳しい話を聞かせて貰う。はやて、アスカ様も!」
「このたびは、うちのシグナムが、えらい迷惑をかけてしもうて」
幕に入り、人の目が遮られると、はやては真っ先に頭を下げた。
皆の前で取っていた毅然とした態度はどこかに行ってしまっている。
コウゾウはそんなはやてに頭を上げろと口にした。
「その話はもう終わったことだ。そういうことで良いんだな、シンジ」
「はい」
口出ししようとしたミサトを、リョウジが腕を横に突き出して抑えた。
ミサトはキッと睨んだが、リョウジは黙っていろとにらみ返し、黙らせた。
ここは部外者の出る幕ではないのだと、到底ミサトには許容できないことを納得しろと、無言で命じる。
今やミサトは、事態からかけ離れたところにいる。
誰よりも心配しているという自負だけでは、口出しできない領域へと事態は進行している。いい加減、そのことを理解しろと、リョウジの目は諭していた。
コウゾウが、それでもこれだけは確認させてもらうと尋ねた。
「シグナムはどうした」
「倒しました。僕の手で」
人殺しは嫌だと言っていたシンジが? コウゾウがそう思ったのは当然のことである。
コウゾウははやてを見た。取り乱しては居ない。彼女がもし自分にも等しい身内を失っているのなら、こうも落ち着いてなどいられないはずだった。
だからこそ、手打ちがあったのだと察することができる。
「そういうことか」
「そういうことです」
「ならば仕方がないな」
自分の知らないところでと思うのは、思った者の勝手でしかない。現実には、それはもう片付いてしまった問題であって、蒸し返したところで意味はない。
そこまで自分の感情をコントロールしてしまえるコウゾウは大人であった。感情むき出しのミサトとは経た歳の数が違うということだった。
それでも、話しておかなければならない問題はある。
「そやけどシグナムのやったことで、人死にが出たと聞いとります」
「その恨み辛みは、彼女自身が受けねばならないことであるが」
シンジが割り込み、アスカの考えをさも自分の考えたことのように述べた。
「あの人はあの人なりに、忠義に生きている人でした。アスカ様にまつわる不穏な動きを察知し、その背後にあるものを確かめるべく動いていたと。しかしそのために決して少なくはない犠牲を許したことも事実である以上、あがないを僕に求め、僕の剣に討ち取られることを望みました」
だから、倒した。シンジはそう言うが、討った、殺したとは言っていない。
「そうか」
目と目の間を指で揉む。
それが後から作った話であることは明白であるが、シグナムが人を斬り殺すところは誰も見ていないのだ。工場の人間も、シグナムの胸を掴んだだのなんだのと、酒の席で笑い話にしているような有様だった。
本気のシグナムという騎士が、そのような無様な姿をさらすだろうか? 彼女が本気であったなら、広域魔法一つでこの一帯など焦土と化しているはずなのだから。
斬られそうになったのも、魔法で殺されそうになったのも、シンジだけであるのだから、後はそのシンジが、シグナムからは殺意など感じられなかったと証言してしまえば、皆も騙されることを選択するだろう。
シグナムが敵に回っているという話よりも、よほど受け入れられる嘘である。
敵に回ったという話など、嘘であって欲しいと願っている者が多い以上、シンジが口にした嘘を受け入れてしまう土壌は存在している。
この話に異を唱えたのはミサトであった。
「待ってください!」
やはりだめだったかとリョウジが頭を痛める。
「ミサト……お前な」
「リョウジはこんな茶番を受け入れる気なの!?」
だがなと理解を求める。
「はやて様が味方についてくれるというのなら、これほどうれしいことはないだろう? 違うか?」
またそれかと、シンジの時と同じことを繰り返すのかと、ミサトこそ同じ繰り返しの文句を言い始める。
シンジはこっそりとはやてに尋ねた。
「闇の書ってもののことは、みんなは知らないの? 闇の書の騎士とか、なんとかってさ」
はやては、そう多くが知る話ではないと告げた。
「コウゾウ様くらいになれば知ってる話やけど……普通は辺境の騎士団、ヴォルケンリッター、そのくらいや」
「あまり秘密でもない話だってことか」
「大昔からこの国にあるもんやしねぇ……おとぎ話にも出てくるんやで?」
と、そこに疲れた様子でテッサが入ってきた。
「あ、テッサ」
脳天気なシンジの声に、テッサは澱ませていた目を上げた。
そして、むーっと上気し、ついには癇癪を爆発させた。
「あなたって人はぁ!」
詰めより、胸ぐらを掴み上げる。
「直したばっかりだっていうのに!」
「ごめん! 悪かったけどさ」
まあ落ち着けとコウゾウが取りなした。
「テスタロッサ、実際のところ、損傷の具合はどうなんだ」
しぶしぶシンジから手を放す。ほっとシンジが息をついたのがかんに障ったのか、彼女は恨めしげに横目に睨んだ。
「壊れていたのはコンバーターだけでした。交換するだけですみますから、予定を変更する必要はありません」
コウゾウは、よく予備があったなと驚いた。
研究場所を提供している以上、彼女たちの懐具合にも関与しているのだ。
予備の部品があるほど、余裕があるとは思っていなかったのである。しかし、これには理由があった。
「コンバーターは機械でできていて、腐るようなものではありませんから、余裕のあるときに予備を作って保管しておいたんです。機体本体については、生きている素材を用いていますから、そういうわけにはいきませんけど」
釈然としないなぁとシンジ。
「なんで僕は怒られたんだろう」
「いくらかかってると思ってるんですか!」
「ごめん!」
「ごめんですんだら、賠償金制度なんていらないんです! 反省が足りません! 弁償してください!」
これは、そう簡単には落ち着かないなと助け船を探して……藁を見つけた。
「だったら、はやてさんに請求をさ」
「なんでや!?」
なにを言ってるんだと、シンジは真顔で口にする。
「部下のしでかしたことは、上司の責任だろ?」
この場合、会社、でも間違いではないだろう。
「だって、相手がシグナムさんじゃ、仕方ないじゃないか。そうじゃない? はやてさん」
ふられたはやては、「そんなことはない!」っと声を裏返らせた。
「なに言うてんのや! シグナムと一騎打ちで、誰が勝てるいうんや。それをやってもうた人が、仕方ないなんて言うたらあかん!」
「でもさ、やっぱりなにかの形で罪滅ぼししておかないと、良心とか、傷まない?」
痛まへん! はやては言い切った。
「壊された自分が悪いんやろ!? あたしに罪はあらへん! あたしかて、シグナムを失って悲しいんや!」
と泣き真似を始めた。
「ひどっ!? そういうこと言い出すの!?」
「シグナムの罪はシグナムが討たれて終わりや! あとは関係あらへん!」
ぷいっとそっぽを向く。
いい加減にしておけとコウゾウ。
「責任のなすりあいを、互いを褒め合うことで行うとか、遠回り過ぎるぞ」
あははと笑うのはアスカである。
「まあ、結局は、シンジが体で返すしかないってことだよね」
「あのねぇ」
シンジの恨みがましい目つきにも、彼女は動じなかった。
「シンジは、あたしのこと、守ってくれるんだよね」
「まあね」
「ならシンジのお給料を回しておくから」
「金持ってるのかよ」
おやっと思ったのはコウゾウとリョウジであり、直接尋ねたのはリョウジであった。
「騎士になるって、諦めてくれたのか?」
尋ねられて、シンジは肩をすくめた。
「行くこと自体に文句はなかったよ。騎士ってところに抵抗感があっただけで」
「それで?」
「騎士については、まだだめだな」
そうかと諦めかけて、リョウジはふと、ニュアンスが違ってきていることに気がついた。
「まだって……ことは?」
「条件が一つあるんだ」
「なんだ?」
「君たちにじゃないよ。解決してない問題があるって話さ」
事情ができたと顔をゆがめる。
「ようやくね……ここがどこなのか、自分が何者なのか、説明できる手がかりを見つけたんだよ。それを確かめない内は、まだ駄目だね」
隣で聞いていたアスカには、それがあの銀髪の少年にからんだ話だとすぐにわかった。
自分を狙う者、自分を中心に動く陰謀。あの少年はその事情を把握しているどころか、黒幕そのものであるかも知れない。
そんな人物と関わりがあるかも知れないというのでは、騎士になどなれるはずがない。アスカ自身がどうであれ、周りが雇わせはしない。それくらいのことはアスカにもわかる理屈である。
ここではやてが首をかしげる。
「えらいこだわってるんやなぁ……」
これはシンジの心境のことではなく、コウゾウたちのことであった。
話の流れからシンジが部外者だと言うことはわかる。だがどうしてそこまで彼を欲しがるのか、その理由がわからないのだ。
「なんか北に行くとか言うとったけど……そもそも、シンジさんてどういう人なんです?」
これはもっともな質問であった。
「手紙には、シグナムのことは書いてあったけど、シンジさんのことなんて書いて無かったし」
「それは」
言いかけたシンジをミサトが叱りつけた。
「なに考えてるのよ!」
「え?」
「ほいほいと誰にでも話して良いことじゃないでしょう!?」
アスカが口を開く。
「はやてなら大丈夫。あたしが保証する」
「アスカ様!」
コウゾウが、きりがないと口を開いた。
「昔のつてを頼ることにしたんだよ。君はアスカ様のことについて、どう聞いている?」
「お隠れになったということだけで……城ではご病気かと心配する噂が立ってますけど」
「そういう話になっているのか」
これはリョウジである。
彼は、「ん?」と首をかしげた。
「シンジ、はやて様には、どう伝えたんだ?」
「詳しいことはなにも」
アスカ様がと話す。
「この国の人間じゃない僕が、この国から抜け出したからって、なにか問題になるわけじゃない。でも常識も知らないんじゃ問題があるじゃないか。だから僕と同じようにいるはずのない人間がいたら、道案内としてはいいんじゃないかってさ」
それが誰のことを指しているのか、考えるまでもないことだった。
ミサトが吼える。
「敵として襲ってきたやつを雇うっていうの!?」
「文句ならアスカ様に言ってよ」
「ミサトは黙ってて」
反射的にミサトは喚いた。
「アスカ様こそ黙っていてください!」
「黙って!」
びりびりとテントの中の空気がしびれた。
シンと無音になる。人から言葉を、声を奪う、子供にはあり得ない迫力だった。
「あたしは子供じゃない」
ミサトが黙ってしまったのは、子供そのものの言葉に、幼稚さとはまるで相反する芯の強さがあったからだった。
年長者の怒鳴り声をはじき返すほどの堅さである。
これにはコウゾウやリョウジも目を見張った。
確実に、なにかが違っていた。
そこにいる子は、子供ではない。
初めて見る姿だった。雰囲気であった。
彼らの知る幼い姫とはまったくの別人であった。
アスカは静かに、ゆっくりと口にする。
「わたしが考えて、自分で決めるって決めたの。だから邪魔をしないで」
「アスカ様……」
ミサトは口を挟むことも、引き下がることもできずに迷ったが、アスカはそんなミサトにかまわなかった。
シンジと視線を合わせるために顔を上げると、シンジはじっとアスカを見て待っていた。
アスカは尋ねる。
「シンジはあたしの力になってくれるんだよね?」
いいやとシンジはかぶりを振った。
「それはだめだよ。君たちのことは君たちでしてもらう。よそ者の手を借りた、なんて話は不利になる材料でしかないだろう」
「身内にはなってくれないんだね」
「ならないんじゃなく、なれないだろうね」
「今はなれない、でしょ?」
「そうだね」
「じゃあ今は? なにならしてくれるの?」
「盾になることだけだね。まあ、僕にできるのはそれだけだけど」
「命を賭けて?」
むろんと答える。
シンジの返事に迷いはなかった。
「僕の盾は絶対の盾だ。誰にも貫かせたりはしないよ。アスカ様に届かせたりはしない」
じっとシンジを見上げていたアスカは、そのまま目をそらさずに、しばしの間見つめ合った。
(でも)
思う。
(シンジは、後味の悪いことにはなりたくないって言ってたけど)
シグナムとの斬り合いを思い返す。
(シンジは、シグナムを殺そうとした!)
倒れたシグナムに向かって、ゆっくりと歩み寄っていったシンジの背中。
あのときの光景が思い返される。
死を覚悟した者と、死を請け負った者と……その二人を前にして、自分は声を吐くどころか、指一本動かすことができなかった。
はやてが現れなければ、彼はシグナムに刃を突き立てていたはずだった。
──いま、あの人はどうしているのだろう?
それを考えずに済むもう一つの方法は……。
(その人を消してしまうこと)
アスカの幼い頭では言葉にできない思いである。だが本能的にはつかめていた。
シンジは人を殺せないわけではない。ただ殺したくないだけだ。
だが殺してくれと言うのであれば、彼はそれが最善であれば、請け負うことのできる人間であった。
シンジが自分のことを守ってくれるというのなら、本当に守ってくれるだろう。
それこそ、自分が、どうにもならないように。
目が届かなくなったとしても、安心して暮らせるように。
──あらゆる不安を排除するため、破壊と殺戮を手段としても。
ぐるぐると視界が回る。シンジの目だけがはっきりとしている。
たとえ誰かをその手にかけることになったとしても、多くの命を奪う結果になったとしても、世界が「よかったよかった」で終わってくれるのならば、シンジはきっと、誰にも見られることなく、誰にも知られることなく、やりたくもないことをやり、一人で悩み、押しつぶされる道を選ぶだろう。
シグナムを思う。あれだけの思いをはやてという人間は請け負っているのだ。
シンジに契約を持ちかけながらも、自分こそがその契約に耐えられる人間であるのか、試されているのだと自覚を持つ。
このとき、なぜアスカが間を置いたのか、そこでなにを思ったのかは、誰にもわかることではない。
ただ、シンジと何か、目と目で通じ合っていたように見えただけであった。
ややあってから、彼女はこくんと頷いた。
「わかった。なら、認める。シンジをわたしの盾とする」
「アスカ様!」
うんざりだと、アスカは幼い顔に嫌気を見せた。
「ミサト、いい加減にして」
「あなたはまだ幼いから、ことの危険性が理解できてっ」
「どうしてミサトは、そうやって、あたしが生きてくためにはこうすることが一番だって押しつけようとするの? それじゃああたしに必要なのは、あたしがお姫様だっていうことだけだっていう人たちと同じじゃない」
こうして生きるのが理想なのだという押しつけも。
こうして死んでくれることが皆の理想だと言って襲ってくる連中も。
みんな同じだとアスカは言う。
「結局、自分の気に入るような形にしたいだけ……」
「違いますっ、アスカ様!」
冷めた目をしてミサトを見た。
「同じことだよ……。あたしは、自分で考えて、自分で決めなくちゃいけない」
『いけない』の部分では、ミサトから目を外し、シンジを見ていた。
だよねと、彼女はシンジに問いかけていた。さすがに精神的な支柱を持つには至っていないと言うことだろう。それをシンジに求めていた。
シンジはわずかに首肯する。
今の彼女には、国に仕えるものとしてではなく、主のために汚辱にまみれようとした騎士、シグナムの姿から学んだものが刻まれている。
あれだけの思いを受け止めなくてはならない人間が、誰かの言いなりであってはならないのだと。
その考えは決して悪いものではないのだから、だから迷うことはないと、シンジはアスカの背中を押した。
押されたアスカは、周りの目に自分の変化がどう映っているのかなど、気にしなかった。
「リョウジとコウゾウは人を集めて取りまとめて。テッサ、シンジなら、北に行くとして、どれくらいかかるの?」
突然振られて、テッサは声をうわずらせた。
「さ、最速で三日です! 往復で一週間くらい……」
裏返っていたのだが、誰も笑わなかった。
それほどまでに、幼いアスカの変貌が劇的であったからである。
「リョウジ、シンジが居ない間の、あたしの護衛については?」
リョウジは仰々しく、臣下の礼を取った。右腕を横にして、胸に当て、足を揃える。
まるでそうすることが当然のように、言葉遣いも改めた。
「コウゾウ様には申し訳ありませんが、やはりこの地の者たちでは力不足かと。しかしながら助けを乞うにも、わたしが使える一番速い乗り物は馬ですから、もうちょっと欲しいくらいです。もっとも、はやて様にご協力いただけるのであれば」
うんとアスカは考え込み、計算を始める。
「余所に助けを求めたとしても、その人たちがやってくるのは、シンジが出たあとになる……はやて」
「はい」
「手伝ってくれるんだよね? わたしを守ってくれる?」
「わたしはアスカ様の味方です」
「たとえお父様から裏切れと言われても?」
「わたしたちはこの国にありながら、この国に帰属するモノではありませんから」
恐ろしいことをのたまった上で、にこりと笑う。
あくまで彼女たちは闇の書の守り手であり、その書がたまたまこの国にあるというだけで、別段、この国そのものに従属しているわけではないと言っているのだ。
国に保護されているのではなく、国にこそ我らを保護すべき義務があるのだと。
(シグナムさんが暴走するわけだ)
シンジは冷や汗を掻いた。
これでは王城に味方など居るはずがない。国にとって闇の書などは爆弾も同じ、抱え込まされ、とても迷惑しているに違いない。
保護しているのは、彼女たちが国に対して協力的だから、それだけだろう。
「ですが周りは待ってはくれません。どうします?」
臣下の礼を保ったままである。アスカもその真似をやめさせようとしなかった。
皆もまた、誰もおかしいとは感じていなかった。アスカの見せた変化が、この状態こそもっとも自然であると思わせるからだ。
「それなら、わたしの城をお使いください」
はやての提案に、しかし、それはと、コウゾウが唸った。
「他者を招くことは禁忌とされていたはずだ。良いのか?」
「勝手にそう言われてるだけです。別に門戸を閉ざした覚えはありません」
「そうなのか?」
「ま、来るのが泥棒ばっかりなんで、そういう噂が立つようなことにはなってますけど」
ぺろっと舌を出す。
「テッサだって、神像がらみでよく来てましたし」
アスカが尋ねる。
「だからって、みんなってわけにはいかないよね。どの程度の人数なら受け入れてくれるの?」
「別に手勢すべてでもかまいませんけど、場所が場所ですから……」
「遠いの?」
「樹海の奥だったな……しかし、ここよりはましか」
コウゾウは肩をすくめた。
「なにしろこの有様だ。一団で攻め込まれればひとたまりもない」
「こちらの城には、魔法防御やらなにやら、いろいろとありますから」
「だからって……」
ミサトである。
「だからって、襲ってきた奴の主の城に行くだなんて、自殺行為もいいところだわ」
これで何度目だと、いい加減うんざりだと、リョウジが口にする。
「お前はもう、黙ってろ。いや、外に出ていろ」
「リョウジ!」
「アスカ様は独り立ち成された。それすらわからないのか」
皆の視線に気付く。
ミサトは怯え、後ずさった。彼女を見る皆の目がさめたものであったからだ。
「わたし……は」
シンジはテッサに尋ねた。
空気を変えようとしたのだ。
「サーバイン、すぐって言ったね?」
テッサは焦って待ったをかけた。
「えと、一日待ってくれますか? いくら予備のパーツがあるって言っても、新品も同然なんです。慣らしておかないと」
「エンジンだもんね。それはそうか」
「それに、予備と言っても、試験的な調整を施していたものですから、それを安定状態にまでデチューンしないと……ついでに」
「まだあるの?」
「サーバインの装甲を塗り替えないと。オーラ光に焼かれてしまって、色合いが目立つものになってしまっていますから」
それもそうかと、シンジは機体色を想像した。
「あの色のままじゃ、景色に溶け込めないもんな」
希望の色はありますかとテッサは尋ねた。
「騎士は本来、前面に立つものですから、機体もそれに合わせて映える色合いでまとめられているんです。大抵は、家紋や、実家方の旗の色を使うようですが」
シンジが思い浮かべたのは、初号機のことであった。
「なら僕は……青、それも紫に近い青になるのかな」
「え?」
「なんでもない……そういう色がいいなって思っただけさ」
「はぁ? ……じゃあそうしましょうか。それほど目立つ色でもありませんし」
「迷彩色でも良いんだけど、どういう場所に行くことになるかわからないから、任せるよ」
「シンジさん」
はやては良いことを思いついたとばかりに提案した。
「修理もうちの城でやりませんか?」
「はやてさんのところで?」
「神像を組み上げられる工場があるんです。理力甲冑騎の整備くらいできます。ここの工場がどないなものかは知りませんけど」
「いや、ここよりは立派だろう」
コウゾウだった。
「ここの工房は、しょせんは物置を改造したものだからな」
こればかりは仕方のないことであった。個人宅で理力甲冑騎にまつわる研究ができるだけでも、望外の幸いなのだから。
「だが、なにを企んでいる? なんの理由もなく誘っているわけではないだろう?」
もちろんとはやては笑みを浮かべる。
「シンジさんに、なにか武器をプレゼントしようかと思って」
「武器を?」
「はい。見たところ、丸腰みたいですし。なにかあった方が良いでしょ? 幸い、うちには闇の書の代々の守り手が使ってきたたくさんの武器や魔導書がありますから、なにかシンジさんに合うものがあるかもしれません」
その数はかなりのものだと言う。
闇の書というものがいつから存在しているのかはわからないが、それは城から動かせるものではないらしい。
この書に使える者が居て、その代々の者にシグナム達のような守護騎士達が居た。
これら守護騎士たちの残した武器は、いにしえの技術が使われているのだと言う。
「その時間があればですけど」
もともと、シンジがすぐに発つと決めていただけなのだ、一日二日遅れたところで問題はないとコウゾウは話す。
その遅れを補っても有り余るほどの魅力が、はやての城にはあるということだった。
「どうです」
問われて、そうだなとシンジは考えた。
ここが本当に四百年後の世界であり、彼女が大昔の武器を保管しているというのであれば……。
(それなら、僕にでも扱えるものがあるかもしれないな)
食指が動く。
「貸してもらってもいいのかな?」
はやては食いついてきた! っと、微妙に口元をゆるませた。
「むしろ、持つべきやと思います。シグナムを切り伏せるほどの人が、自分の剣も持ってないやなんて」
「まあ……僕は騎士とか剣士とかじゃないからね」
まずい! ……危険なものを感じ取ったのか、テッサが二人の会話に待ったをかけた。
半ば本能的に、彼女は二人の間に割り込んでいた。
「でもシンジさんの本職は、兵器を動かす、つまり、理力甲冑騎のようなものを操縦するパイロットなんでしょう? だったら専用の武器なんて、扱いに困るだけなんじゃないんですか?」
それもそっかなとシンジは思い直した。
誘導されたとは気付いていない。
「確かに、手入れとかわかんないもんな……下手に武器なんて持って調子に乗るのもまずいしな……」
戦いは苦手だが、必要ならば前に出る程度の根性は身につけている。
それが武器を持つことで、前に出た方が簡単だと思うようになってしまうかもしれない。
それはなにかが違ってしまうのではないだろうか?
シンジが自分の性格を考えてすりあわせを行っていると、そんなことは考える必要がないとはやては安心させた。
「魔法の品や。手入れなんて必要ないし、護身用の武器くらいは持つべきなんと違いますか?」
彼女はシンジの向こう側にいるテッサを睨んで言った。余計なことを言うなという目つきであった。
「魔法の逸品ばかりや。手入れせんでも、鈍ったり壊れたりせんし、シンジさんに殺す気がないんやったら、そういう風に手加減だってしてくれます」
テッサもまたシンジごしに顔を覗かせてにらみ返し、直接意見した。
「でも人は刃物を持つと変わってしまいます。シンジさんは人斬りなんてするつもり、ないんでしょう?」
「武器いうても、使い方次第や。持ち手次第でどうとでも……」
「護身用の武器くらい、こちらでも用意できます。シンジさん、工場の人間がこれを拾ってきたんです」
と言って押しつけられたものは、意外に重くて、シンジは手から落としかけた。
「これって……あいつが持ってた拳銃!」
それはガウルンの銃だった。
「弾丸も用意しておきましたから」
シンジが持つと、手に余るような大きさである。撃てば反動で体が跳ねとばされるだろう。
だが身の内に宿しているものの力を借りれば撃てないことはない。なによりも、知っている兵器だということがありがたかった。
「もらって良いの?」
プレゼントに心を傾けたシンジに、はやては危機感を募らせた。
「そんなもの、弾がなくなったら終わりでしょう? うちには魔法の銃が」
「それは、魔法が使える、魔力持ちの人間でないと使えないものでしょ?」
「シンジさんはマナ持ちやろ」
「シンジさんは理力持ちなんです!」
「シグナムを倒すほどの魔法使いや!」
「機族を追い払えるほどの騎士なんです!」
「だいたいがそんなもんで撃ったら誰でも死んでしまうわ!」
「ちゃんと麻酔弾とかあります!」
「そんな大口径で発射される弾に麻酔とか意味あらへんやろ!」
「素質次第で威力が安定しないような魔導器よりマシです!」
おっやぁ? っと思ったのはシンジであった。
「もしかして、いま、モテてる? なんで?」
答えたのはリョウジであった。
「そりゃお前が面白いからさ」
ふくれっ面で返す。
「面白いってなんだよ」
怒るなよ、っとリョウジ。
「理力甲冑騎に乗れば神像を打ち倒す、生身であってもシグナム副隊長を相手に引けを取らない。これが面白くなくてどうなんだよ。誰だって、自分の身内に引き込みたくなるさ」
「自分のこと、便利な道具だって言ったの、シンジでしょ?」
リョウジとアスカの言葉に、はやてとテッサは反射的に違うとわめいた。
「「そういうつもりじゃ!」」
「わかってるよ」
アスカ様、と、余計な紛争まで起こすんじゃないとたしなめる。
「でも、君たちって、知り合いなの?」
それがどうしたのかと不思議そうにする二人に、仲が良いのか悪いのかわからないとシンジは返したのであった。