幕舎から出ると、リョウジはシンジに真相を伝えた。
「犬猿の仲ってやつだよ。ま、女の子だってことだな」
「なんだよ、それ」
 リョウジはシンジの首に腕を回し、他には聞かれないよう、耳元で囁いた。
「いいか、ばれないように、見てみろ」
「へ?」
「正面からだ。二人を見比べてみろよ。両脇の辺りとか、特にな」
「脇?」
 しばらくはわからなかった。
 だが似たような身長に、体の細さだなぁと思ったとき、唐突にある事実に気がついたのである。
 ぶっとシンジは吹き出した。
「はみ出して、ない!?」
 それは胸のことであった。
 一人は横に余って二の腕を隠すほどなのに、もう一人はと言えば脇から腰まで一直線だった。
「そう……横から見てるとあたりまえの女の子に見えても、残酷だよなぁ。正面から見ると圧倒的なボリュームの足りなさから横へのはみ出しが消えてなくなり、まな板に見えてしまう。これを世間ではとある歌姫にちなんで、ちは……」
 いつの間にか、こわーい顔をしたテッサが、二人の背後に立っていた。
「いま、なにか?」
「「いいえ、別に!」」
「なにやら面白い考察が聞こえたような」
「「気のせいです!」」
 ああそうですかとふてくされるテッサに対して、はやてもまた不満顔であった。
「そやから揉んだろかー言うてたのに」
「いりません!」
 両腕で胸を隠して後ずさるテッサに、そういう仲なのか……とシンジはどん引きである。
「ま、ええわ。この件に関してはいずれその内、肉体的にな」
「肉体的ってなんですか!」
「それじゃそういうわけやから、シンジさん。行きましょか」
「どういうわけなんだよ……どこに行くのさ」
「わたしのうちに決まってるやないですか」
 城じゃなかったのかよと思う。城とうちではニュアンスの違いがはなはだしい。
 その上、これ見よがしに腕に組み付かれ、引っ張られた。
 もちろん彼女はテッサににやりと笑っていた。
 くーーーっとテッサは地団駄を踏んだが、だからと言ってどうしようもない様子だった。
 よほど揉まれるのが嫌らしい……当たり前だろうが。
 はやてはアスカにも声をかけた。
「アスカ様はどうします?」
「一緒に行く」
「コウゾウ様、よろしいんですか?」
「ウイングキャリバーを貸す。テッサとサーバイン込みで先に行ってくれ」
 戦力となるものを第一陣ですべて送り出すと言っているのだ。
 リョウジがシンジの肩を叩く。
「頼んだぞ。お前の側が、一番安全なんだからな」
 彼は挨拶を済ませると、コウゾウの元へと行った。
「俺も発ちます。丸一日あればオーラエンジンを載せた乗り物持ちの一人や二人、当たりに行けます。シンジが北へ出発する頃には、その連中がはやて様の城に到着できるでしょう」
 だがそこは闇の書の納められている城である。
 形は城でも、神殿なのだ。おいそれと部外者を入れるわけにはいかない。
「信頼できる人間か?」
「俺と同じ程度には」
 それならとコウゾウは安堵した。
「十分だな」
「俺は馬ですから、はやて様の城へは行けません。だから心当たりを当たれるだけ当たった後で、誰かの乗り物に便乗させてもらうか、王城に戻ってみようと思います」
「城元へか? 危険だぞ」
「だけど、やはり一度は戻ってみませんとね」
「テスタロッサ! 理力甲冑騎の修理と整備一日で終われるんだな」
「特急になりますが、やれます」
「移動を含めてもか?」
「シンジさんを送り出した後はいくらでも休めますから、無理してでもやります」
 ──その後のやり取りは、シンジは幕舎から離れたので聞こえなかった。
 シンジは夜空をみあげ、星に向かって吐息を付いた。
 金色と黒、二つの月が浮かんでいた。


 アスカを連れて、シンジは再び領地を出た。ウイングキャリバーに乗っての移動である。
 ウイングキャリバーの中は意外に広く、前方、虫の頭部の中にコクピットがあり、その真後ろ、胴部の中は人がくつろげる広さの空洞となっていた。
 テッサ曰く、グライダーを大きくしたようなもので、操縦席とオーラコンバーター以外は、ただの飾りなのだという。
 コクピットの座席は二つ、横に並んでいる。一つは運転手を務めるテッサが腰掛け、後の一つはアスカが占有していた。
 後部ははやてとシンジ、後はテッサの工房の人間が五人乗り込んでいた。
 機体へ乗り込む時に、少しだけアスカが城の跡を振り返っていた。ミサトの姿が見えないことに不安を覚えたのだ。
 そのミサトは、彼女の幕の中でぼんやりとしていた。
 側には出立前にと立ち寄ったリョウジの姿があった。
「いいのか?」
 ミサトは上の空で答えた。
「いいのよ」
 憑き物が落ちたような態度であった。
 さてどうしたものか……リョウジはそんなミサトにため息を吐く。
 ウイングキャリバー胴部と腹部のつなぎ目をまたぐようにして、サーバインは座る姿勢を保持させられていた。起動していない理力甲冑騎の体は硬直していて、自然とウイングキャリバーの胴体を締め付け、体を固定させている。
 ウイングキャリバーの足は、サーバインのための予備パーツを詰め込んだコンテナを抱え込んでいた。そのため、速度が出せず、ふらふらと揺れて飛んでいた。
「ここが……」
「はい。奈落の谷と呼ばれる渓谷です」
 緑の森林を二分する大きな亀裂が走っていた。
 底が見えないほど大きな断裂が、先細りする深い筋となって走っている。
 ウイングキャリバーはその合間を縫って、ゆっくりと飛んでいた。
 やがて正面に朝日が昇り始めた。
 シンジはアスカの頭の上から、コクピットのキャノピー越しに景色を眺めた。谷に陽が差し込んでくる様は壮観である。
 谷の闇が払われて、崖の岩が作り出す影だけとなっていく。変化に感動を覚えていて、左右におかしなものを見つけてしまった。
 谷の表面から水が噴き出し、滝となって落ちている。
 地下水脈が断裂し、水道となって水を放出しているようであったが、よく見ればその噴出口に人工的な構造物がうかがえるのだ。
 まるで鉄の筒であった。そこから水が噴き出している。
 筒は四角形をしていた。ひしゃげている物もあった。シンジは滝が谷の左右に対となって存在していることに気がついた。
 元は繋がっていたのだろうとわかる。地震か何かで、左右に引き裂かれてしまったのだろう。
 水道管にしては大きい、人二人分以上の高さと幅がある。
 シンジは、元は地下通路であったのではないかと想像した。だとすると、この一帯には地下施設があることになる。
「城です」
 やがて見えたものに、シンジは唖然とした。
 谷を埋め、ふさぐように、鋼鉄の物体が打ち込まれていた。
 確かに上部は城であった。数十メートルの亀裂をまたぐようにして城が建てられているのだが、その基部になっているものがおかしかった。
 圧力に歪み、砕け、崩壊している部分も見えるが、元は地下に埋まっていたものであろうと想像できる。だが、形状が妙なのだ。
「百メートルとかあるんじゃないのか?」
 まるで下を向いた円錐であった。
 普通、地下施設は、このように城が乗るような形をしている物ではない。
 通常は蟻の巣のように構築されているものだ。だがどう見てもそれは(くさび)であり、この楔が打ち込まれたことによって、大地が裂けてしまったのではないか? と空想させる状態となっていた。
 それにとおかしなことに気が付いた。
 城に近づいたことで、ウイングキャリバーが谷間から上昇すると、そこには城へと続く道が見られなかったのである。周囲は森の緑で埋め尽くされていた。
「人の住んでる気配がないように見えるんだけど」
「好きこのんで人がよりつく場所やないですから」
「どうしてそんな……」
 さみしげに笑うはやてに、それが闇の書にからむものだと気付かされる。
「そこまで敬遠されるようなものなのか」
「ねぇ」
 アスカである。
「闇の書って、一体なんなの?」
「見てもろたら、一番早いんですけど」
「無理なの?」
「資格を問う門があるんです。それを通り抜けられるなら……」
「ああ」
 アスカはぽんと手を打った。
「その、番人なんだ。門の。はやてたちって」
「それも兼ねてます」
「その奥に本があるんだ」
 アスカの無邪気な台詞を、くすりと笑って訂正する。
「書て言うても、本やないんですよ」
「そうなの?」
「知識や記録が収められてるんで、そう呼ばれてるだけです」
 次の台詞にシンジは愕然となった。
「本体は筒みたいなもんで、人より大きな三本の柱の姿をしていて……」
 もう、後の言葉は聞こえてこなかった。
(それって……、でも、まさか)
 発令所を思い出す。
 そこで笑っていたオペレーターたちと、白衣の人と、赤いジャケットの……。
 いいやとシンジはかぶりを振った。
(考えすぎだよ)
 そんなシンジの様子をいぶかしみ、アスカとはやては顔を見合わせる。
 そうして着いたはやての城は、それなりに立派な物であった。
 山の中で不便そうではあったが、堅牢な城壁を持っている。
 降りてみてわかったが、城の周りには村があった。森に生きる種族の村だという。
「亜人……わたしらとは少し違う人間の村なんです」
 シンジは、エルフとかそういうのかなと、ゲームの知識を引っ張り出した。
 城の庭にウイングキャリバーは降下した。他に誰も住んでいないという割には、きっちりと手入れのされている庭園であった。
 ただし、花の姿はない。草木ばかりである。
「花は手入れが大変なんで」
 城が大きすぎるために、他に手をかけなければならないところが多いのだという。
 ウイングキャリバーがエンジンを止める。ウイングキャリバーのハッチでもある虫の目玉を開いて、シンジはようこそと出迎えてくれたシグナムに顔をほころばせた。
「もういいんだ」
「本調子ではないがな」
 そんなシグナムを見て、はやてが顔をしかめた。
 簡素な衣服に着替えているのだが、シンジに斬られたときの血が、二の腕などの露出している部分にまだこびりついていたからである。
 シグナムはそれに気付くと、申し訳ありませんと主へわびた。
「なにしろくたびれ果てていたもので……」
 そのまま眠り、起きた後は食事を取って、また眠ってしまっていたというのである。
 実際のところ、あれから半日過ぎた程度だ、それも仕方のないことではあった。
 ウイングキャリバーの到着にも気付かず、眠っていたとしてもおかしくないほどの疲労を覚えていたはずである。
「ですがまずはと思いまして」
 後部ハッチから降りてきたテッサと工房の面々に、シグナムは歩み寄って頭を下げた。
「すまなかった」
 いやいやと。
 いい思いをさせていただきましたと不用意なことを言った誰かがぶっとばされた。
 シグナムは両手で胸を抱くようにかばった。
「忘れろ!」
「忘れません!」
「忘れられません!」
 手をわきわきと。
「嫌らしいぞ、お前ら!」
 もう二三人、宙を舞った。
「そやでー。あかんでー? シグナムの胸はわたしのもんやからなー」
 ええ冥土の土産ができたなー……という声がぼそりと聞こえた。
 何か呪いの呪文を詠唱しているのは気のせいだろうか?
 怒り肩で戻って来たシグナムは、そんなはやてに頭痛を治めてくると告げた。
「水を浴びて参ります」
「あかん。体が弱ってるんや、湯を使いや」
「しかし」
 ちらりと見られて、シンジは肩をすくめた。
「そこまで切羽詰まってるわけじゃないよ、待たせてもらうさ」
「わかった……わかりました」
「改めなくて良いよ。僕もそのつもり、ないから」
「そうか……ならそうさせてもらおう」
「僕も気はつかわないよ」
「ああ、それでいい……いや、それがいい」
 剣を交え、命のやり取りをした間柄である。
 互いの実力を知る以上、尊敬はしても卑下はしない。
 だからこその気安さで、二人は関係を構築した。
 それじゃあとはやてが両手を打つ。
「そんじゃ、シンジさんには」
 そのときであった。
「ううりゃー!」
 城の上層。踊り場より、小さな影が雄叫びを上げて飛び降りた。
 直上より振り下ろされたのは、柄の長い鉄槌、ハンマーであった。
 シンジはとっさにそれをかわした。直前まで立っていた地面がハンマーの一撃に割れ爆ぜ、白煙が爆風となって広がった。
「なんだ!?」
 あり得ない、と思う。
 ハンマーヘッドは五〇〇ミリリットルの缶を二つ直列に合わせた程度の大きさであるのに、地面は人一人分の幅で陥没していた。
 爆風にあおられたはやてが、あーあと呆れ、笑っている。
 ぶんと、巨大ハンマーが振り回される。粉塵が風に払われた。
 散った土煙の中心、爆心地の窪みに立っていたのはアスカよりも少しばかり年上らしい女の子であった。七歳か八歳。それくらいの年齢だろう。
 あろうことか、自分の体躯よりも柄の長いハンマーを振り回し、肩に担ぎ直して格好を決める。
 びしっと少女は指を突き出した。
「勝負だ!」
「なんでさ!?」
「シグナムの(かたき)はあたしが討つ!」
「わたしは生きているが?」
 シグナムの言葉を意図的に無視して、少女はシンジへとにじり寄った。
 両手にハンマーの柄を持ち、にまにまと笑っている。
 予備動作もなく横薙ぎに振り回されたハンマーを、シンジは後ろに飛んで避けた。
「待て!」
「待てるわけないだろ!?」
 中庭に出る。噴水を中心に据えたロータリーと思えた。車の動きを意識している形に思える。
 車どころか人も来れぬ場所だというのに。どういった目的があるのかわからない造りだった。様式を真似ているだけなのかもしれない。
 少女は噴水越しに詰問した。
「お前がシグナムを倒したって言うのは、嘘だろ!」
「なんでさ!?」
「動きがなってないからだ!」
 後を追ってぞろぞろとやってきた中で、シグナムが「確かに」とこぼし、それをはやてが「どういうことや」と受けた。
「足運びを見ればわかります。彼は素人に毛が生えた程度の人間です」
 はやてはその言葉に疑問を持った。
「そやのに、シグナムに勝った?」
 はやての目の前でである。
「真っ向からの斬り合いで、シグナムが後れを取ったんやろ? それが素人やて?」
 シグナムの言葉を疑っているわけではない。
 それならばシグナムを切り伏せた技術がなんであるのか、それを不思議に思ったのだ。
 目を戻す。
「いっくぜぇ!」
 少女が踏み出す。噴水を横切り、水の傘を突き破ってハンマーを縦に振るう。
 シンジは後ろに飛んで距離を取った。
 着地と同時に少女は横に何度も回転し、片腕でハンマーを振り回した。遠心力を足し二撃目を放つ。
 空振りを待ってシンジは前に出た。
 かかったとばかりに、少女は後ろ向きの状態から腰を捻った。ハンマーの軌道を直上へと直角に変更し、頭上に掲げる。
 そのまま背後、シンジへと振り下ろす。
 直撃する……かに思われたそれを、シンジは身を捻ってかわした。
 何故かそのまま後ろに下がる。
 シグナムが解説する。
「間の取り方が絶妙なんです。体捌きの悪さを補って有り余るほどに」
 少女の動きに合わせて、シンジは寄る素振りを見せ、あるいはまた気を抜いたように引こうとする。
 明らかにシンジは間合いを見切っていた。その動きをシグナムが分析する。
「あれは自然と身についたものです。訓練で身につけたものではありません」
「努力で身につけたものやない。そういうことか。そやけど……」
 はいと、シグナムは眉間にしわを寄せる。
「あのような感覚、そう簡単に身につくものではありません。どれほどの死線に出会い、乗り越えることになれば、身につくというのか……」
 同じことを、ちんまい少女も感じたようだった。
「名前……」
「え」
「お前の名前は!」
 びしっと指をさされ、シンジはため息混じりにこぼした。
「シンジだよ。君は」
「お前に名乗る名前はない!」
「一回言ってみようと思ってただろ、それ」
「うるさいうるさいうるさい! それよりなんだその変な戦い方は!」
「変って……」
「なってないんだよ! 修正してやる!」
「敵だったんじゃないのかよ」
「冗談だ!」
「本気だったろ!?」
「その臆病な戦い方! どういう趣味だ!」
「趣味じゃなくて、性格なんだよ」
「性格悪いぞお前!」
「ほっといてよ!? 大体こっちは素手なんだ。そっちの間合いでどうしろってんだよ」
「じゃあなんでさっきから近づこうとしてるんだよ」
「組み付こうとしてるんだよ」
「いやらしいな、お前」
「子供相手に馬鹿なことするわけないだろ!」
「なめるなぁ!?」
 怒り心頭、殴りかかった。
「今のはシンジが悪い」とアスカ。
「そやな」とはやて。
「うむ」とシグナム。
「最低です」とはテッサであった。
 シンジは愕然とした。
「味方無し!?」
 工房の人間まで「うむ」と頷いた。
「まあ、もうしばらくかまってやってぇな」
 はやては大丈夫やからと明るく笑った。
「その子、ちょっと噛み癖があるんや」
「そういう問題!?」
 シグナムも、まあ大丈夫だと保証する。
「ヴィータは騎士団の戦闘教官をやっていたことがあってな。お前のように基礎のなってない奴を見ると、我慢ができないんだよ」
「良い迷惑だよ!?」
 とは言え、半ば命の危機である。手加減されているとは到底思えなかった。
(あれだけの長さなのに、遠心力に振り回されてるように見えないんだよな)
 魔法の品なら使い手に重さを感じさせないくらいの作りは持っているかも知れない。
 なら疲れを待つだけ無駄だろう。シンジは身を低く、前に構えた。
「確かに、僕はそれほどこういうことを習ってないよ、だけど」
 ふわっと、彼の足下の風が渦を巻く。
 高まる緊張感に、ついに来るのかとヴィータという少女は身構えた。
 シンジはそんなヴィータに、不敵に笑って見せた。
「絶体絶命の大ピンチって言うのには、慣れてるんだ!」
 ふっと、姿がかき消える。
 来るか! っと少女がハンマーを振り上げる。
 しかし、なにも起こらない。
 しばらく経って、良いのかとシグナムが尋ねた。
「え? あ! あいつ!」
 すたこらと遠ざかっていく背中があった。
 はやてが呆然とつぶやく。
「逃げ……た?」
「あいっつぅ!」
 待てぇっと、ぶんぶかハンマーを振り回し、少女が駆け出す。
 シグナムはため息をついた。
「風呂に入ってきます」
「ゆっくりなぁ」
 そんじゃわたしらはと、はやてはアスカを促した。
「テッサ、工房に理力甲冑騎と機材を片付けて来ぃや。休憩しよ」
「台所、借りてもいい? みんなにお茶を出したいんだけど」
「好きにし。ザフィーラ、おるんか? ザフィーラ!」
 遠くで爆砕音が聞こえた。ヴィータであった。


「なんだこの城」
 背後で高々と上がっている爆煙に、どこの戦場だよと嘆息する。
 シンジは城というものを直接に知っているわけではないが、映画などで見たことがないわけではない。
 城の外壁がはがれ落ちていたのだが、城というものは石積(いしづみ)であるはずなのだ。壁の上に外壁を貼るというのはどういうことなのだろうといぶかしんだ。
 それで確認し、内部は黒い鉄鋼だと気がついたのである。
 それも大きな板であった。鋼鉄の壁に石を貼り付け、ただの石積に見せかけているのだ。明らかな擬装であった。
「地下……っていうか、下があれだもんな……。でもこれじゃあ」
 下のものを管理するために、上に城を造ったのではない。ということになってしまう。
「もともと城みたいな建物があって、それをただの城に見せかけているってこと?」
 そこにどんな意味があるのか、考察を組み上げる前に、どこに行ったぁ! という声が聞こえて、シンジはやばいと首をすくめた。
 ふと木立の影に、ほこらを見つける。
 倉庫のような作りのほこらであったが、扉はなく、地下への階段があった。
「まずい……かな?」
 まあ、大丈夫だろうとシンジは壁に手をつき、階段を下り始めた。
「いくらなんでも、こんな無防備に開いてる場所が、入っちゃ行けないところに続いたりはしてないだろ……」
 シンジは階下へ降りたところで拍子抜けしてしまった。
 雑然と大工道具のようなものがしまい込まれているだけだったのである。
「追い込まれただけじゃないか」
 シンジは再び壁へと向き直った。
 そして驚く。
 倉庫は階段を下りたところで終わっている。広さは四人も立てばいっぱいになる。
 棚が置かれ、小さな木箱がいくつも並べられていた。その裏、奥にある壁は組み合わせの筋目はあるものの、特に目にとまるものはない。
 ただ、赤く文字があるだけだ。
「E−12?」
 あわてて壁を隠していた工具箱などを払いのける。
 がたがたと荷が崩れたおれた。しかしシンジはかまいはしなかった。
 箱の山を乗り越えて、壁に手をつき、字を読んだ。
「ESCAPE……EMERGENCY……緊急用非常口」
 そして叫ぶ。
「葉っぱのマーク!」
「見つけたぁ!」
「え!?」
 ヴィータであった。
 出口を背にしているために、逆光の中、影となっているのだが、なぜだかうれしげににんまりと笑っている口元だけが視認できた。
「往生しろー!」
「ばか! こんなところで!?」
 彼女はシンジを狙ったつもりで、階段を飛び降り、全力でハンマーを打ち下ろした。
 どかんと一発。ハンマーが壁を直撃する。
「は!?」
 やばい! シンジが思ったのは一瞬だった。歪んだ扉が『内側』からの圧力ではじけ飛んだ。
 理由は水圧であった。
 来る途中で見た滝、その水道が元は通路ではないのかという、シンジの予測は当たっていた。
 シンジとヴィータは吹き出してきた水に飲まれた。水は一旦、シンジたちを外へと吹き出す勢いであふれ出したが、地上へと押し出す前に、今度は一気に引き始めた。
 二人はその流れに巻き込まれて、奥へ奥へと吸い込まれていった。


 アスカにお茶をと書斎に通し、はやては一通りの事情を聞いた。
 驚いたのはシンジが無名どころか、正体すらわからないという話にであった。
「そやけど、コウゾウ様も無条件に信頼してましたよね?」
「うん」
「アスカ様も……なにがあったんです?」
 壁際に本棚があり、大きな窓があり、中央にテーブルがあって、挟むように長いすがある。
 城主の書斎と言うには、あまりにもこぢんまりとした部屋だった。
 アスカは宙に浮いている足をぷらぷらと揺らしながら、出されたお茶を口に含み、顔をしかめていた。
 甘くなかったからである。
 だがそんなアスカのパフォーマンスは、考えるための時間稼ぎに過ぎなかった。
 聞いた話以上のものがあるというのは、はやての直感だが、実に正しい。
 アスカはちょっとだけ器の中の波紋を……そこに映る自分を見つめた後で、はやてにならと語り出した。
「コウゾウ様のことはわからないけど」
 顔を上げ、まっすぐにはやてを見つめる。
「シンジは、弱いから」
「弱い?」
「シンジが言ったの。逃げ出したことがあるって」
「…………」
「でも、逃げても良いことはなかったって。どこに行っても、どうなったのかって、どうしたのかって、気になってしかたなかったって、だから後悔してるって」
 あたしにはと顔を伏せる。
「そうなって欲しくないって」
 なるほどと理解する。
「臆病なんですね」
「そうだね……そうだよね」
 だからこそとアスカは言う。
「騎士だからとか、そういうんじゃないの」
「性分や、いうんですか」
「難しいことはわかんない。だけどシンジは、そうしたいと思ったら、そうしてしまう人なんだってわかってる。あたしを助けたいって思ったら、そうしなきゃ気が済まない人だって」
 ぎゅっと手に力を込め、器を握る。
「命がけのことになっても、きっと」
「アスカ様……」
 小さくなって、小刻みに震える姿が痛ましかった。
 この子はわかっているのだと、はやては理解する。
 言葉の上っ面をなぞるなら、そうしたいと思ったら、そうする。つまりは助ける価値を見いだせないなら、無関係を装う。そういう考えの持ち主だという話になる。
 だが、彼は、一度逃げ出し、苦しんでいるというのだ。
 ならば彼は後ろ向きの行動は取らないだろう。つまりは前向きに……倒れるまで逃走しようとするはずだった。
「はやては見てた? シグナムとのこと」
「はい」
「シンジ、殺そうとした。シグナムのこと」
 それははやてが割り込んだ時のことである。
「シグナムは死ぬことを望んでた。でも殺したくないからって殺さなかったら、『あの人はどうしたんだろう』って考えることになってた」
 はやては立ち上がり、アスカの隣に腰掛けた。
 そうして彼女の体に腕を回し、寒気を覚えている体を温めた。
 命がけという言葉に、アスカは言葉以上の意味を含ませていた。
 他人の命を奪うことによって、後悔し、心に傷を負うことになったとしても……夜も眠れず、苦しむことになって、心が死んでいくようなことになったとしても……。
「それでシグナムが救われるのなら、見えないところじゃなく、自分の手でって……」
 罪も罰も……悲しみさえも引き受けようとするというのだ。
 人が傷つくよりは良いと。
「だから、信じられるの。シンジは、一度関わったら、もう目をそらすことのできない人だから。でも、でも……」
 それ以上は言葉にはならなかった。
 シンジが信用できる理由の説明にはなったが、同時に恐怖も感じているというのだ。
 しかし幼いアスカには、その恐怖心の説明ができなかった。
 だが、はやては違っていた。想像ではあるが、おおむね間違いではないだろうと想像がついていた。
(見てもうたんか)
 騎士の姿を、ではない。
 どこの聖人や……そう嘆息する。
(自分の感情が削られて、切り刻まれて、殺されて……消えてくことになったとしても、この世の不条理を引き受ける方を選ぶやなんて)
 人に訪れる不幸など知れている。不運だなんだと言ったところで、結局はただの不条理に過ぎない。
 なにかが、どこかで連鎖を起こし、不運を見舞う。なぜ自分に、なぜ自分がとなる。
 そのような不条理に見舞われている人を見つけると、幕引きをしてやらねば気が済まないということなのだろう。でなければいつまでも気になってしまう。
 だがそれはあまりにも身勝手な考え方であった。干渉される側としては、迷惑きわまりない話にもなりえるものである。
 もっとも、シンジはそんな自分のことを理解している。だからこそできる限り無関係な立ち位置を取ろうとしているのだし、それでも踏み込んできた者だけを相手にしているのだが、はやてはそこまでシンジのことを知らなかった。
「怖い人や……けど」
「けど?」
 胸元から見上げてくるアスカを、可愛いなぁと、はやては思った。
「言い換えれば、情が(こわ)い、いうことなんやろうなぁ」
「どういう意味?」
「アスカ様が感じてる通りや」
 言葉がざっくばらんになっていたが、特に気にする場面ではなかった。
「シンジさんは、人が自分みたいになるのが放っておけへんのやろ。自分を見るのが嫌なんや。ただそれだけで……それが度を超してる人なんやろなぁ」
「でも」
「そや、それが行きすぎてるから、そのことがあるから、信用できる。それはアスカ様の言う通りや」
 難しい問題やなぁとはやては嘆く。
 アスカが大人であれば問題はないのだ。大人であったなら、アスカ自身がそんなシンジのことを慰め、癒すこともできただろう。
 シンジもまた、代償として心や体を求められたかもしれない。
 だが現実にはアスカは子供で、シンジもまたアスカのことを保護すべき対象としか見ていない。
 頼るべき相手とは思っていない。
 シンジのやること、やったこと、そのすべてをこの幼い姫は肯定できるだろうか?
 自分のためと口にされて、ありがとうとだけ言い続けることができるだろうか?
 きっとシンジは、無理だろうと悟っていると、はやては感じた。
 そんなことまで頼んでいない──そう口にするだろうと思っているなと想像した。
 シンジの人柄を考えると、君のためになどと責任を押しつけるような言葉を吐くことはないだろうが。
(アスカ様が思うてるのは、そういうことやろなぁ。自分のためにしてくれることを全部肯定して、なにがなんでもシンジさんを信頼して、信用しきって、シンジさんに愛される自信がない、そういうことやろ……)
 わかるのだろう、シンジの本当の望みが、期待が。
 彼の求める安らぎと優しさの絶対さが。
 だがその基準が絶望的なほどに遠く、理想が高いと、直感的に把握してしまっている。
 いつか、いつの日か、きっとシンジは離れていく。それは自分が彼の心を満たせるところにいないからだ。だから彼は自分を見限る。さようなら、と。
 傷つくだけ傷ついた後で、よかったね、と、なぜ自分がと言う、自分自身への不条理さについては飲み込んで、平然として、平気な振りをして。
 何一つ返してもらおうとせずに、なにも求めることなく、あっさりと。
「格好付けなんやなぁ」
 ふと、人の気配を感じた。すぐにテスタロッサとわかる。立ち聞きと言うよりは、部屋に入ろうとして、雰囲気に飲まれ、立ちすくんでしまっているように感じられた。
 それが動く。
 扉を開いたのはテッサであったが、先に入ってきたのは狼の姿を取っているザフィーラであった。彼女の足下をのっそりと歩いて入室する。
「はやて、少し良いか」
「どないしたんや」
「地下だ」
 え? っと驚く。
「侵入者か?」
「いや……よくわからないが、胸騒ぎがする」
 ますますはやては顔をしかめた。
 地下には闇の書が眠っている。侵入者があるのならば、守護騎士以前に、自分になんらかの警鐘が鳴らされるはずなのだ。
「そういえば、音、消えてるなぁ」
 音とはもちろん、ヴィータの放っている破壊音であった。
 ならばだいたいの理由には察しが付いた。
 はやてはアスカから身を離し、立ち上がった。
「シグナムを呼んで……なんや、来たんか」
「そちらも?」
 風呂上がりで髪が乾ききっていないようであった。
 まだ重くしおれている髪を、シグナムはむりやりまとめ、くくり上げようとしていた。
 それを、貸しぃなと、はやてはシグナムを椅子に座らせた。
 髪をまとめてやりながら説明する。
「ザフィーラが教えてくれたんやけど、うちにはなんにも感じられんのや」
 なるほどと、シグナムは合点がいったような顔をした。
「危険な相手が潜り込んだわけではない……ならば、ヴィータと彼ですね」
 ただなぁと、はやてはまたも首をかしげる。
「なんでや」
「さて……」
 短い応答であったが、シグナムには通じていた。
 ヴィータはわかるが、シンジは客人に過ぎない。
 警報に引っかからない理由がないのだ。
 これはと、腰を上げざるをえない状況であった。
 はやては腕を振り、戦闘衣装へと一瞬で変身した。
 手に現れた杖の柄尻(つかじり)をトンと床に落とす。
「行ってみるしかあらへんなぁ……行くで」
 シグナムは対面に座るアスカのことを直視できないのか、顔をはやてに向けたままで尋ねた。
「アスカ様は」
「連れて行く。ザフィーラ」
 はやてはアスカに、申し訳ないがと彼にまたがることを望んだ。
 アスカは、いいよと言って、渋々と言った体でまたがったが、外側から見れば、十分わくわくと乗り心地に期待しているのが見て取れる表情をしていた。

[BACK] [TOP] [NEXT]