水流の音はほこらの奥から不気味な咆吼として轟いていた。
 そのためか、テッサの工房の者たちが、なにごとかと集まっていた。
 そこに、はやてたちが顔を見せる。
「物置でなにがあったんや」
 びしょ濡れの階段を下りていき、二人は荷物のさんざんな状態に顔をしかめる。
「奥の壁が空いているな」
「こんなところにも通路があったんか」
「ここのところ、水道が涸れ気味だと思っていたが」
「どっかで穴が空いて、道が変わってたんやなぁ」
 水道ねぇと、一番後ろからのぞき見ていたテッサが呆れた。
 地下水によって浸水している地下施設の通路から水をくみ上げているだけなのだ。
 彼女はそのことを知っていた。
 びしょ濡れの雑貨品にため息をこぼしつつ、元は壁……扉であったらしいものを、シグナムは持ち上げ、立てかけた。
 奇妙なへこみがある。かなり強い力を叩きつけた痕だった。
「ヴィータだな」
 ふんふんとザフィーラが鼻を鳴らす。本当に臭いをかいでいるわけではない。
「ヴィータたちはこの奥だな」
 行こう、と、シグナムが前に出た。
 彼女たちが入り込んだ通路、その横、壁には、注意書きと共に、『NERV』の文字が刻まれていた。


 薄暗い通路をとぼとぼと肩を落として歩く人影があった。
「どこなんだよ、ここ」
「まずったなぁ……廃棄通路じゃねぇか」
 当然この二人である。
 一時休戦と言うことで、びしょ濡れのまま来た道を探し……ついには迷子になっていた。
「道わかるの?」
「わかるわけねぇだろ……廃棄っつってるじゃねぇか」
 口の悪い子だった。
 天井を見上げため息をこぼす。
 電灯は生きていた。つまり電力は供給されていると言うことである。
(発電機とかあるのかな?)
 そもそも四百年も交換不要の電灯というものはどういう代物なのだろうか?
 シンジには想像もできなかった。
 もうずいぶんと迷っていた。いくつか枝分かれする道を見つけてはいるのだが、どこも行き止まりになっていた。老朽化による物か、道が圧壊したり、あるいはシンジたちのように流されてきたのか、瓦礫がゴミのように詰まったりして、通れなくなってしまっていた。
 瓦礫を力尽くで撤去する。という案を持ち出しはしなかった。
 それが天井を支えてくれているという直感があったからだ。
 壁の向こう側は空洞であることをシンジは知っている。そこには無数のケーブルやパイプが通っているだけだ。
 通路も一種のパイプでしかない。壁の向こうのものの固定が外れて落下しているのなら、その重量だけで通路は押しつぶされてしまうだろう。
 そうなっていないのは、こういったゴミが圧力を分散しつつ支えてくれているからだ。シンジにはそう思えてならなかった。
「ここもか」
 実際、直角に組み合わさっていたはずの床と壁と天井に傾斜が見られるのだ。
 地割れのことを思い出す。渓谷と言っていたが、やはりこの施設は地中にあるものだったのだろう。
 それが外にむき出しとなり、地の支えを失って自重に潰れていっているのだろう。
 圧力の変化によって引いた水流に飲み込まれ、どこまで引き込まれたかわからないが、流れに飲み込まれただけなのだから、流されてきた道さえ見つけられれば、必ず地上へと出られるはずであった。
「お前がこっちだって言うからよぉ」
「聞かないであっちだとか言い始めたの、君じゃないか……扉だ」
「あー、やめといた方がいいぞぉ」
「なんでさ」
「こじ開けようとすると、守護獣(ガーディアン)が飛んでくるんだ」
「ガーディアン?」
 こーんなんで、と、大きく腕を広げる。
「箱形の機械でさ、弾撃ってくるんだけど、いってーんだ、あれ」
 ふぅんと生返事をする。
「こじ開けようとすると、か」
 でもなぁと、シンジはため息をこぼす。
 もうここまで来ると自棄だった。
 いろいろなことが、もう間違いはないのだから。
「お、おい!」
 シンジは聞かず、扉の脇にある操作パネルを開いた。
「やっぱり生きてる」
 パネルのランプは点灯していた。
 通路の電灯が生きていることから、通電していることはわかっていたが、扉のロックとなれば別問題である。しかし、問題はないようであった。
 カードキーを紛失したときのための、パスワード入力機能を起動する。
 テンキーを見て、少し考える。
「ここがネルフなら、共通パスが使えるはずだ」
 サードチルドレンのコードと共通パスを打ち込んでみる。
 パシュッと、圧搾空気の抜ける音がする。
 ヴィータは唖然とした。
「開いた……って、お前」
 シンジを見る。目を丸くして。
「なにやったんだ?」
「鍵を開けただけだよ」
 ため息をこぼす。
「僕のコードが通るってことは、やっぱりそうなのか……カヲル君」
 ぶるりと寒気に震える。
 中に入る。
 縦に置かれた鉄の箱がずらりとならんでいた。
「ロッカールームだ」
「なんだここ? なんにもないじゃないか」
「服を着替える部屋なんだよ。ほら」
 自信満々にロッカーを開く。
「…………」
「…………」
 沈黙が痛かった。
「なんにも入ってねぇだろ」
「ええと……」
 つぎつぎと開いていく。
 綺麗に空だった。
「レ、レイアウトは同じなんだし、だったら備品が」
 あった。
 奥の壁の下にあるへこみに手を入れ、引っ張ると、備品格納庫の口が開いた。
 中には無菌パッキングされた衣類が収められていた。
「やった! シャツだ! それにスラックス! 靴まであるじゃないか!」
「なんだそれ?」
 ヴィータがのぞき込む。
 ビニールに包まれた折りたたまれた布。彼女にはそれ以上わからなかったが、シンジにはこれ以上ないくらいうれしい贈り物だった。
「服だよ、服!」
「ちょっと貸してみろ」
「ちょ、そっちに女の子用のが」
「いいからそれ貸せ!」
「うわ待って、うわぁ!」
 ひっくり返る。
 いたたた、と、ヴィータを腹の上にのせて体を起こそうとすると……。
「なにしてるんや」
 冷たい目をした一同がいた。


 着替えたシンジを目にして、奇妙な顔つきをしたのは、アスカとシグナムの二人であった。
「その格好は」
「あの人とおんなじ……」
 ついでに靴下とスニーカーまで出てきた。シンジはほくほく顔でもちろん履いた。
「後でここ、もう一回来ても良いかな? 服、持って帰りたいんだ」
「ええけど」
 昔の服かぁと、はやては顎に手をやって、シンジの体を下から上にじっと見た。
「さっぱりした、味気ない服やなぁ」
「ベースだからさ。この上からいろんなものを羽織って、付けるんだよ」
「……なんでそんなこと知ってるんや」
「はやてさん」
 シンジは改めて一同を見た。
「なんや」
「僕を、闇の書の元へ案内して欲しい」
「おい!」
 調子に乗るなと、ヴィータがすごむ。
 こちらは合うサイズがなかったため、シャツを二重に重ね着していた。二重なのは素肌が透けて見えないようにとの考えである。
 大人のサイズのシャツのため、ワンピースのようになってしまっていた。
「待て」
 シグナムが制止をかける。
「理由があるのか」
 シンジは、はやてだけを相手にした。
「たぶん、それが一番速いんだ」
 はやては考え込んだ後で、テッサとアスカを見た。
「審判の門……それがくぐれるんやったら」
 もちろん、シンジは正面から乗り込む道を選択した。


 ──答えから言えば、審判の門というのはただのゲートであった。
 ロッカーの時と同様に、直接パスコードを打ち込んでロックを開く。
 開いてしまったことに、皆は驚きの声を上げた。
 シンジはアスカを腕に抱き上げ、テッサには背中に抱きつくようにと命じた。
 密着していると、一人として判断されることを、シンジは知っていた。
 さすがに深部となると共通パスなどというものはなく、個人固有のパスワードが必要になる。
 そうしてゲートを無事にくぐり抜け、一行は巨大な階段を歩いて降りることになった。アスカはほぇえと広い空洞に感心していた。
 首が痛くなるほど傾けないと見えない天井に、下はどこまであるのかわからない深さだった。
「さすがに動いてないか」
 シンジのつぶやきはただの独り言で、アスカの耳にだけ入る大きさのものだった。
 だが一行は、ここまでくると、このシンジという少年が、この施設のことについて熟知していると理解せざるをえなくなってしまっていた。
 そうして延々と深く降りてたどり着いた先の通路をさらに進み、ようやくたどり着いた部屋に入ったとき、シンジは呆れた声音で吐き捨てた。
「まるで発令所じゃないか」
 本部に比べると規模は小さい。だが立派な作戦指揮所であった。
 そしてシンジがウイングキャリバーで聞いた、懸念したとおりのものもあった。
「やっぱりか」
 唇を噛む。
「なにが闇の書だよ。MAGIじゃないか」
 シンジの声に反応してか、三つの黒い筒……高さ二メートル半、幅一メートルほどのボックスの表面に光学線が浮き上がる。
 部屋の奥、ボックスの向こうの席のさらに向こう、階下に複数ある席のさらに先で、巨大なスクリーンに灯がともった。
 投影スクリーンではない。大きなモニターだった。首を上げてじっと眺める。
 しかし最初に浮かび上がった文字列は、MAGIシステムの起動を示すものではなかった。
「MAGIじゃない?」
 シンジは目には追えない速度で流れだした文字列の終了を待った。
「でもOSの起動画面だよな……?」
 一同を置いて歩き、勝手にモニター正面のオペレーター席に腰掛ける。
 そしてキーボードのキーを押してみた。壊れている様子はない。キーも固くなっておらず、楽に押すことができた。
 適当に操ってみる。
「施設じゃ、こういうの使えないと、暇だったんだよな……」
 思い出すと言うほど昔のことではない。ほんの数日前までは、遊びに、勉強にと、操っていたのだから。
 操作し、項目を呼び出し、知っている固有名詞を選び出しては、情報を開いていく。手元のモニターに連動して、メインモニターにもウィンドウが開かれ、重ねられていく。
 その内に画像ファイルを見つける。モニターに写真が映る。その写真は……。
「父さん……」
 だった。
 どういうものかはわからないが、ネルフ初期、零号機らしきものを建造している最中を映したものであるらしかった。
 延髄を垂れ下げた巨大な頭を前にして、誰かと話しているらしい父親の姿が映されていた。
 黒い制服ではない。白衣だった。ネルフの前身、ゲヒルン時代のものだろう。
「父さんの写真がある。ってことは……」
 さらに続けて、彼の父の写真を包み隠すように、重ねてウィンドウが開かれていく。
「人類……『保管』計画?」
 そして見つけた。
 シンジもあれから聞かされていた。自分が関わっていた戦いの背景に、人類補完計画なるものがあったのだと。それはあの施設で聞かされた話なのだが……。
「違う漢字だけど、誤字なわけないよな」
 詳細な内容はどうかと進めて、パスワードに引っかかる。しばし悩んだが、サードチルドレンのIDとパスワードを入力してみた。
 これが通じたことに、シンジは眉間のしわを深める。
「僕のパスで開けるようになってるって、どういうことだよ」
 情報の深度から言えば、一パイロットに閲覧できるものではないはずなのだ。
「もしかして、誰にでも開けるようになってるのか?」
 ぽかーんとしているはやてたちを放置して、シンジはさらに真実を求めた。
「セカンドインパクトにおける有機物の分解率と考察って、なんだこれ? なにに関係して……生命維持について? これってミサトさんがセカンドインパクトの後、南極で救出されたときの写真だよな? とエントリープラグの写真? サードインパクト……の、失敗って意味だよな、これ。失敗した場合の保険? アンチATフィールドはあらゆる生命に対し干渉を確認。微生物さえも? だから生体ユニットを使っているMAGIもサードインパクトに耐えられないって? だからその前の世代の、機械のコンピューターによる完全制御と……MAGIに似てるだけなのか。……なんだよこれ? 生命のスープって、これって僕がエヴァに取り込まれたときのデータじゃないか。ここからの還元現象? あと染色体レベルでの保管と、再生時の……」
「あ、あの……」
 おそるおそると言った(てい)で、はやてが話しかけた。
「読めるんか? その、古代語が……」
 シンジは「え?」っと振り返った後で、ああと、はやての言いたいことを理解した。
「半分は読めるよ。残りは僕の知らない言葉だし、あとは難しすぎて意味がわからないけど、想像はつくしね」
「でも、読めるんて……!」
 ちょっと待ってよと、シンジもようやくおかしいと気が付いた。
「君は読めないの?」
 ふるふるとはやてはかぶりを振った。
「そんなん、わかるわけないやんか……誰もそんな文字知らんし」
「けどさ! これが闇の書なんでしょ? 君と取って代わろうとしてるっていうのなら……なんで?」
「わたしはそこに映ってるんを、そのままそらんじることができるだけや……意味がわかるわけやあらへん。口から出した言葉かて、みんなにはなに言うてんのかわからんへんで、伝わらんし」
 そういうことかと思い至る。
 英語の歌が歌えたからと言って、音を追って覚えているだけで、意味などわかっていないことなどざらにある。
 言葉の意味を調べるためには辞書がいる。だからといって、専門用語や、スラング、さらには固有名詞……助詞や形容詞といった細々としたものに至るまで、すべてがわかる辞書などはないのだ。
「ちょっと待てよ?」
 おかしいと感じ取る。
(そう言えば、僕は日本語でしゃべってるけど、この子たちは何語で話してるんだろう?)
 ガウルン戦で、コクピットに浮かび上がった雑多な言語のことを思い出す。
(それでも僕にはなにを言ってるのか理解できた。ガウルンって人があんなにたくさんの言葉を知ってたはずがないし……そもそも四百年だろ? 日本語だってどれだけ変化してるかわからないじゃないか)
 今更の問題ではあるが、放置してはならないと直感できた。
(ご都合主義が働いてるのなら、なんでここで、はやてさんが読めないとかわからないとか、そんな中途半端なことになってるんだ?)
 意味がわからない。
 はやてという人間を通すことで、『現代語』へと変換されるというのであれば、まだ納得できるのだが……それもない。
「じゃあ、なんのために……君が」
 調べるしかないか。シンジはコンソールと向かいあった。
 はやてや守護騎士と言った存在について、何か無いかと情報を求め、検索する。
 無言の時間が数十秒続いた。誰も話しかけられないほど、シンジは鬼気迫る勢いでキーを叩き続けた。
「これか……」
 そして見つける。
 ウィンドウの一つを、一番手前に移動させた。
 そこにはシグナムたちの写真付きの文章があった。闇の書のログの一部である。
 はやてがシンジの座る椅子の頭に手を置き、左側から身を乗り出した。
「なにが書いてあるんや」
 みなも同じように前に出る。
 シンジが通訳した。
「君を蝕んでいるっていう、呪いの正体についてだよ」
 シグナムたちが息をのんでシンジを見た。
 それこそ、彼女たちが求めていたものであったからだ。
「……旧式の機械式コンピューターじゃ、処理速度と柔軟性、それに緊急事態の対処に関して問題が発生する。それを解決するためには生体ユニットが必要になるけど、生体ユニットは機械に比べて劣化が早い。この問題を解決するには、定期的なユニットの交換以外に方法がない。……メンテナンス要員とかオペレーターのことだな、これ。生体ユニット生成工場の機能不全に関するエラーログ? だから、はやてさんなのか。生体ユニットの血族は脳の造りが比較的情報の複写に適している……強制学習システム。シナプス経路の再形成って、そこまでやるのかよ。そりゃ人格が破壊されるわけだ。相手を人間として見てないんだな。生体適合率70%、ユニットへの転写状況は四十パーセントか。危ないのかどうなのかわからないな……。それから守備防衛のためのシステムについて……これがシグナムたちのことだろうな」
 シンジはシグナムとザフィーラを見た。
「守護騎士ユニット」
 はぁとため息をこぼす。
「こんなことなら、もっとまじめに勉強しとくんだったな……上っ面しかわからないや」
「どういう意味や?」
 辛抱強く待っていたが、それも限界のようだった。
 シンジもいらだちを感じ取り、はやての顔を肩越しに見上げた。
 意外と近くに胸があった。その胸越しに目を合わせる。
「わかりやすく言うと、はやてさんのご先祖も、シグナムたちと同じように、この闇の書によって生み出されたってところから始まるんだよ」
「それは知ってる」
「なら次だ。本当なら、同じように、『自分』……この書の面倒を見てくれる人を作っていけばいいはずだった。だけどその装置が壊れたんだよ。そこで、君に……いや、君たち面倒を見てきた人たちの子供に目を付けたのさ」
 メンテナンス要員としての適齢期を過ぎたユニットは、地上へと解放され、そこで新たな人生を送ることになっていた。これがはやての先祖である。
 シグナムが唸る。
「呪われた血族……そういうことか」
「そういうことだね」
 姿勢を戻し、キーを押す。
 関連情報を開いていく。
「今の君は、これをこんな風には操れないだろう? それじゃ困るから、操れる人間に作り替えようとしているんだよ。決して君と成り代わろうとしてるわけじゃない。それは誤解だよ。だって人間は死ぬものだからね。こいつにとっては、何百年も変質しないで在り続けることができるかできないか、それこそが重要なんだ。人間なんかじゃ、役不足なんだよ」
 だがとシグナムが割り込む。
「先代、先々代の夜天の主……書の持ち手は、奇怪な言葉を話すようになり、やがては化身のように振る舞うようになったと記録にあるぞ」
 それはとシンジは想像した。
「最終的には、これの一端末……つまり、使いっ走りにされるわけだから、そうなるだろうさ」
「はやてもそうなるっていうんだろ……」
 歯ぎしりをしての言葉はヴィータのものであった。
「それがなんだよ!」
「落ち着け」
 シグナムが押さえる。
「他には」
「僕には問題がわかるだけで、それをなんとかすることはできない……それくらいだね、わかることって言えば」
 いいやと、シグナムは鋭い目でシンジを見た。
「まだあるはずだ。なにを隠しているんだ」
 シグナムの真っ直ぐな目に観念し、シンジは打ち明けた。
「君たちで言うと……魔法陣かな? 魔法陣を見て、それがどんな魔法を引き起こすのか読み取れたとして、その魔法陣を書き換えて都合の悪い部分を改変する、なんてことできる?」
「できへんなぁ……」
 はやての即答に、でもと話す。
「できるかもしれない連中に、心当たりがあるだけだよ。これは確実な話じゃない。ただの想像だ」
 シグナムが身を乗り出す。
「聞かせろ」
 シンジはやや前のめりになって声を潜めた。
「今から話すことは他の人には話さないで」
 ちょっと待ってやと、はやてが止める。
「わたしたちを信用するんか?」
「当事者だから教えるんだよ」
 さっと手を動かし、コンソールパネルを操作する。
 そしてかつての地球の姿を写し出した。
「これが今、僕たちが立ってる大地の正体だよ」
 三人は唖然と見上げた。
 大パネルに映るのは、真っ暗な真空の世界に浮かぶ、青い球だ。
「綺麗や……」
「これが世界か」
「星っていうんだよ。もっともこれは、昔の姿だけどね」
「今と違うんか?」
「たぶんね」
 別の映像を探し出す。衛星からの地球の画像を拡大。空と海と山……次第に地表に近づいていく。
 この段階になると、空を飛べる彼らには、星という概念を理解することができた。
「この世界って……こんなに大きいんか」
「まあね……そして世界は一度滅んだ」
 だが探してみてもその記録は出てこなかった。
「一人も生き残らないはずだったんだ」
「はずてなんや」
「その滅びが、計画されたものだったからだよ」
 驚きに声が上がる。
「人が世界を滅ぼそうとしたていうんか!?」
 まあねとシンジは言う。それは余談だとも。
「目的はあったんだ。そのためには一度人の命を魂にまで戻す必要があったんだ。だけど計画が失敗してしまった場合は、ただの自殺になってしまう。そのために、万が一失敗した場合に供えて、世界を元に戻すための仕組みが残されていたんだよ。この世界の、どこかにね」
 だが記録には、その場所はシークレットと出るだけだ。
「そないなことできるんか?」
「詳しくは説明できないけど……でもできるんだ」
 クローニングや細胞の培養による人造生命の創造。
 そう言った行為が可能だったことは、シンジ程度の子供でも知っている常識である。
 生命のソース、染色体。ここまで最小単位にすることができるのなら、あとはエントリープラグと同様のものを用いて保管することができる。
 シンジが映し出したものの中には、巨大な縦穴と、その外壁をびっしりと埋めるよう差し込まれているエントリープラグを模した試験管の姿があった。
 エントリープラグのシステムがアミノ酸やタンパク質すら分解してしまう生命の還元現象にも耐えうることは証明されていた。葛城ミサトという生き証人が居る。最初にシンジが驚いていた研究データは、これらを立証するためのものであった。
 もっともこれらは命となる前の、魂の宿っていないひな形を保管していたに過ぎない。
 復元されたこれら生命体に、サードインパクトによってまとめられようとした魂が回帰してくれるかどうかは賭けであった。
「この闇の書っていうものは、実はこういったことを伝えるだけのものなんだ。生き残った人たちとか、あるいは蘇った人たちのために、だと思うんだけど……、いつか誰かに読んで貰うために、用意されていただけのものなんだよね」
 はやては複雑な面持ちで画面を見上げた。
 彼女には画面を映し出されている物の価値がわからない。
「そやったら、これ、ただの歴史書なんか……これ」
 そんなもののために自分の一族は使い潰されてきたのかと……。
 シンジは彼女の心中がはかりきれず、そこには触れず、事務的に解説した。
「……物騒な話なんだけどさ、故障したり、壊されたりしないように、保存のための機能の必要性も考えられていたんだよ。最初はただの機械に任されていた。だけどそれの拡張と改造が繰り返されていって……やがてはやてさんのご先祖様や、シグナムたちが生み出されたんだよ」
 と、守護騎士に関するログを呼び出し閲覧する。
「はやてさんは闇の書の一部として認識されてる。システムの一部として保護対象に入ってるんだね。移動型の端末ってところかな。でも当然のごとくってやつだけど、闇の書に関するマニュアルを無理矢理焼き付ける行為には無理があるんだよ。そのために頭を作り替えられていってるんだ。その上、はやてさんは自分を守るユニットであるシグナムたちのリソース……行動についても、代わりに計算させられてもいるんだからね」
「それは、あたしがシグナムたちを操ってるってことか?」
「違うよ、シグナムたちが、自分の頭だけじゃ足りないところを、君が肩代わりさせられてるって話なんだよ。シグナムたちくらいになると、できることややれること、やらされることややらなきゃいけないことが多すぎるんだ。だから、判断に迷ったりして行動力が落ちてしまう。そういったことを防ぐために、君が全体を見て指示を出す形で、仕事を割り振られている。それだけの話さ」
 もっとも、それは脳に酷い負荷をかけていると話すと、これにはシグナムが食いついた。
「つまり、なにか? はやての頭痛や吐き気、めまいはそれが原因なのか?」
「君たちは考えなくても連携が取れてるはずだよ。でもその連携について指示を出しているのははやてさんだろう? はやてさんは直感的に全員の位置や行動について把握できてるはずだ。何故かっていえば、今言ったみたいに、君たちの考えがはやてさんの深層意識に伝わっているからなんだよ。同時に三人分も四人分も考えを整理しようとしてるんだから、そりゃ頭痛ぐらい覚えるさ」
 だから、希望があるんだと伝える。
「だからはやてさんの命を助けたいのなら、これ……闇の書とのリンク、接続を切ればいいだけなんだよ。普通の人間と同じようになるだけだから問題ないはずなんだ。だけどこれを壊したり、無理に改造したりしようとすれば、シグナムたちはきっとキレる。だって守護騎士はこのシステムとその端末、闇の書と夜天の主? はやてさんを守るために作られた人たちなんだからね。まあ、僕にはこれをどういじればいいのかがわからないから、やれないんだけどさ」
 シグナムはため息をこぼした。
「それでは、どうしようもないな」
「でも……これを使える連中がこの世界にはいる。だろ?」
 ぴんと来たのはシグナムとザフィーラであった。
 アマルガムの頭首が口にした言葉を思い出したのである。
「機族か」
 そういうことと、シンジはうなずく。
「プログラム……システム……じゃない、ええと、設定を改変できるのは、これと同じものを使ってる連中だけだ」
 はやてが驚きに叫びを上げる。
「同じものって……闇の書は機族のものなんか!?」
「そういうわけじゃないよ。機族はこれと同じ造りのものを使ってるってだけさ。もしかすると、機族のところにも闇の書があるのかもしれないけどさ」
 だけどそうなると……とシンジは眉間にしわを寄せる。
「君たちは、機族と同族だってことになるかもしれない」
「なんやて!?」
 はやては目を丸くし、シグナムたちは青ざめる。
「どういうことだ!」
 詰め寄るふたりを、おちつけと両手で制す。
「向こうにも闇の書と同じものがあって、同じようにユニット……使い魔が生み出されて、それが機族と呼ばれるようになった……考え過ぎとは言えないだろう? もしかすると、機族の元にあるものが、命を元に戻すための機械なのかもしれないよ。そこにあるのは目的の違う同じ造りをしたものなのかもしれないけどさ。一応、それらしい計画書がデータバンクには入っているんだ。だったら、機族が君たち守護騎士と同じような成り立ちで生み出されていたんだとしても、おかしくはないだろう? 同じように守ったり、手足として働いたりするものが必要になって、機族ってものが生み出されていたんだとしてもさ」
 ウイルス対策ソフトやファイアウォールなどを司る防衛機構、それに自己保存のための修復ソフト、そのたもろもろを物理的機構として存在させるための計画書……。
 そういったものが引っ張り出せたと見せてみても、彼らには読み解くことはかなわない。
 シンジとて彼らよりはましな程度で、細部は理解できていないが、少なくともスモールのデータと、それを動かすためのパイロット育成計画書。これにクローンだのなんだのという記述を拾うことができれば、だいたいのところで予測は付いた。
「でもまあ、言いたくなかったのは、想像に過ぎないからなんだ。間違っている可能性だってあるし、なにより機族が君たちとまったく同じなら、君たち同様に、これを弄ったりはできないって話になるからね」
 だがとシグナムが口にする。
「お前は間違っているとは思っていない」
「ああ」
 シンジは肯定した後で、一同と順番に目を合わせていった。
「テッサの言うことは正しかったな……」
 はてと彼女らは首をひねった。代表してシグナムが質問する。
「テスタロッサ、なにを言ったんだ?」
「なんのことでしたっけ」
 忘れないでよと苦笑する。
「空にある星の一つ一つが、この僕たちの居る世界と同じ土の塊だとしても、その中に同じように人間が生きていける世界は、よっぽどのことがない限りみつからないって話だよ」
「ああ……」
 思い出す。
「それなのに、自分と同じ姿形をした人間が存在してる別の世界があるなんてこと、あり得ないって、そういう話をしたんです」
「なにを言ってるんだ?」
「……同じように、別の世界から、別の世界へ飛ばされる……そして飛ばされた先の世界には、自分と同じような人間が生きていて、自分と同じ言葉を話してる世界だなんて、そんな偶然、あり得るわけがない。テッサはそう言ったんだよね」
「はい」
 理解が追いついたとき、まさかという思いが募り、シグナムは目を丸くして叫んでいた。
「お前は別の世界から来たというのか!?」
 違ってたんだと、シンジは席を立った。
「別の世界に来てしまったのかもしれない。そう思ってたんだよ。でも違ったよ、ここは……」
 僕が住んでたところから、遥か先の、未来の世界、そうらしい。
 シンジはため息混じりに答え、サードチルドレンの項目を呼び出した。
 シンジの顔写真が添付されているデータシートが表示された。
 シンジはモニターの表示画面と並ぶように立ち、その写真と並んだ。
 ……まったく同じ顔だった。
「四百年前の記録だよ。特務機関ネルフ本部所属、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機パイロット。サードチルドレン碇シンジ……これが僕の正体さ」
 はやてたちは、それでも飲み込めずに唖然とし、アスカは理解ができないのか、そんな一同を見比べていた。

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