目覚めると、石組みの天井が見えた。
「知らない天井だ」
「なに言ってるんですか!」
 そんなシンジの真上に身を乗り出して、彼の頭の両側に手をついたのはテッサだった。
 つばを吐きかけるのもかまわずにわめき散らした。
「無茶ばっかりして! これからだって時に、いきなり寝込んでどうするんです!」
「えと……ごめん」
 記憶が飛んでいるなぁと、シンジはとりあえず癖で謝りを入れた。
 体を起こす。
 誰が着せてくれたのか、地下で見つけた白いアンダーシャツ姿だった。下はキュロット風のパンツだったが、これは腰紐で縛る、この世界では一般的な寝着であった。
 シンジは軽く腹筋だけで起き上がれたことにに驚き、自分の体をあちこち見回した。
「あれ?」
 痛みも倦怠感もなかった。
「怪我がない……治ってる?」
 治してくれたのかと問う前に答えを与えられた。
「勝手に直しやがったよ、中の奴がな」
「ヴィータ」
 彼女は部屋の戸口の柱にもたれかかり、両腕を組んでいた。
 下からなめるようにシンジを見て、ちっと舌打ちする。
 本当に呆れたという態度であった。
「お前、治るって見込みもないのにあんな真似をしたのかよ。無茶しやがって」
 ごちんと、ヴィータの頭にげんこつが落ちた。
「それはお前もだ」
 涙目で頭を抱え、ヴィータは見上げた。
「いってーな、なにすんだよぉ」
 拳を落としたのはシグナムだった。左腕には水の入った小さな椀を抱えている。タオルが浸されている。シンジのためのものだった。
 彼女はシンジが眠らされていたベッドの脇にある椅子に腰掛けると、タオルを絞り、シンジに渡した。
「すまんな、熱くなりすぎた」
「どうしてシグナムが謝るのさ」
「どうせ、こいつに引きずられてやり過ぎたんだろう? わたしにもそういう覚えはあるからな」
「あれって、そういうものなのか……」
「経験したことはないのか?」
「ないよ。でも、不思議な感覚だったな……殺したいとかそういうわけでもないのにさ」
 左手で額にタオルを当て熱を取る。
 ぼんやりと思い出し、右手をぐっぐっと握り込む。
 自然と銃を握って撃っていた。それもあたれと祈って撃っていた。
 一発でも当たっていれば、ヴィータの命はなかっただろう。だがそんなことにまで頭が回っていなかった。
 命を奪うかも知れない行為だというのにである。
(不思議だな……憎いわけでも怖いわけでもないのに)
 殺すかも知れない行為をやれていた。
「おい、まだ寝ぼけてんのか?」
 ぼかっと殴られ、シンジは現実に回帰した。
「痛いよ」
 いつの間にかヴィータがベッドの上に身を乗り上げて膝をついていた。
「いいからさっさとベッドから降りろ、ばかシンジ」
 シンジはその呼称に息をのんだ。
「ばかシンジ……って」
「うっせぇなぁ。お前なんかばかで十分だこのばーか」
 そういう意味で言ったんじゃないんだけどなと、シンジは胸に浮かびあがった郷愁に震え、涙をこぼしそうになってしまった。
「どうしたんですか?」
「なんでもないよ」
 テッサを押しのけ、ベッドの端から足を下ろす。と、ヴィータがほらよと上着を投げてよこした。
 それは黒いジャケットだった。
「なにこれ?」
「バリアジャケットってんだ。着てみろよ」
 シンジは渋々袖を通した。
 シャツはともかく、下履きがジャケットには合わないなと思ったからだった。
「これで良いの?」
 大きいなと思った瞬間、シンジは締め上げられるような痛みを覚えた。
 それはジャケットが縮んだことによるものだった。
「なんだよこれ! 勝手に大きさが……形まで変わってる」
 その慌てっぷりがおかしかったのか、シグナムが口元に拳状にした手を当て、笑いながら教えた。
「お下がりで悪いが、そのジャケットには防御機構の他に装着者の身体維持機能、調整機能も備わっている。お前にはぴったりだろう」
「魔法の品ってことか。僕にはってどういうことさ?」
 ヴィータが答える。
「お前の中にいる奴な、ありゃ精霊とか神とか悪魔じゃねぇよ。デバイスだ」
 これに食いついたのはテッサだった。
 彼女はサーバインに同乗した際、シンジの中より抜け出したものを見ていたからだった。
「あれが、デバイス?」
「ああ。融合型の奴だな。おっそろしく強力な奴だけど、今んところは怖かねぇよ」
 将来的にはどうだかなとヴィータは話す。
「お前、初めてシグナムと会ったとき、逃げるのが精一杯だったんだってな? それが会う度に強くなって、今じゃあたしと真っ正面からでもやり合えるようになってる。あげくに大けがも速攻で完治だ。馴染んで来てんだよ」
 そっかと、シンジは自分の右手を見て、ぎゅっぎゅっと握り込む。
 それから顔を上げて尋ねた。
「で、デバイスってなに?」
 ふんっと振り回されたハンマーが、シンジの頭のあった位置を通り過ぎた。
「危ないよ! っていうか、どこから出したんだよ!」
「デバイスというのは、まあ、魔法の道具だと思えば良い」
 何事もなかったかのように説明するシグナムである。
 一方ヴィータはじりじりとシンジの頭を狙っている。
「魔術プログラムが組み込まれていたり、持ち手の補助を行ったり、強化をしたり、その機能は様々だな」
 身構え、目はヴィータから離さずに、シグナムに尋ねる。
「僕の中にいる子も、そうだっていうの?」
「ああ。どこでつかまえたかは知らないが……力が強くなっていると言うことは、同調(シンクロ)率が上昇しているってことなんだろう。その子の力を効率的に引き出せるようになって来ているってことだ」
 シンジは複雑な顔をした。
「喜んで良いのかな、それ」
「シンジとデバイスとの共生関係にもよるだろう」
 難しい話である。
「関係か……」
 シンジは体の中の子に飛び込まれたときのことを思い返した。
 もともと向こうから飛び込んできたような形なのだ。相手がどう思っているかなど、わかるものではなかった。
「デバイスについては北への道中にいくらでも講義してやるが……時間はあるだろうからな」
「頼むよ」
「ああ。今はこれだけは覚えておけ。さっきも言ったが、そのジャケットには装着者とデバイスとの同調を補佐する機能もある。それを着けていれば、今までよりもデバイスを呼びやすくなるはずだ」
 この子をか……シンジは心中で考え込んだ。
 名前も与えていない子である。だがしっくりと来る名前も思い浮かばなかった。
(綾波、レイ、その名前でだけは呼びたくないんだよな)
「名前はないのか?」
 見透かしたかのようなタイミングに、シンジは言葉に詰まった。
「……ないよ」
「決めてやると良い。その方が親和性が高まるからな」
「それからよ」
 ヴィータは気がそがれたのか、ハンマーを肩に担いだ。
「慣れりゃ、ある程度は思った通りの色や形に変形させられるから、便利なんだ。色んな場所や場面で使えるんだよ」
「これをくれるの?」
「お前には武器なんて贅沢すぎっからな、代わりだよ」
「ヴィータ」
 シグナムの叱責に、ちげーよ、考えた結果だよと、ヴィータは答えた。
「意地悪じゃねーよ。言っとくけどな、こいつに武器なんて意味ないぜ。こいつの魔法、あれ、あたしらの魔法となんかちげーんだ。詠唱なんていらねぇし、発動前の前兆もないしな。魔法感知できねぇ上に、すっげー強力なんだぜ? あれで十分だろ」
「だが、武器は別の話だろう?」
「こいつに使い分けできる頭があれば考えたけどなー」
 ヴィータが苦々しく思い出しているのは、両手で銃を持って特攻してきたシンジの姿である。
 まるでなっていなかった。
「状況に応じてってのは、結局、毎日の訓練で身についてる条件反射から来るもんだろう? こいつにはそういうの無理だよ。できねー。期待するだけ無駄だよ、無駄」
 そうかとシグナムも納得した。
「下手なものを持たせるよりは、いま持っているもので押し切ることを覚えろと言うことか」
「ああ。さっきも言ったけどな。魔法感知されねぇってのは強みだ。ノーモーションで最大攻撃力をたたき込めるんだぜ? こいつの力で対人戦で負けるなんてこと、まず考えられねぇよ」
 ヴィータはシンジに、全力を出し切ってなかっただろうと問いかけた。
「あれが全力ってわけじゃないんだろ?」
「全力でやったつもりなんだけどな」
「わたしが食らった砲撃は、神像の障壁を貫きかけていたが?」
「げぇ、マジかよ……」
「あれはそれなりに練ったからね……君ほど」
「ヴィータでいいよ。あるいは副隊長と呼べ」
「……ヴィータちゃんほどすばしっこいのが相手だと、溜めなんて作れないよ」
「なんでちゃん付けなんだよ、こら」
 シンジは無視して、腰に手を当てて、軽く体をほぐした。
「んっ、く」
「いいのか?」
「体は軽いんだよね」
「そうか」
「今は朝? 夕方?」
「もうすぐ日が落ちるところだ」
「ならちょうどいいか。テッサ、サーバインは?」
「準備はできてますけど……本気ですか?」
「なんでさ?」
 不思議そうにするシンジに、呆れた口調でシグナムが指摘した。
「あの血の跡を見ればそうも言いたくもなるだろう。わたしもお前に斬られてかなりの血を流したが、お前のあれはそれどころの量じゃなかったぞ」
「でも体力が落ちてる感じはしないんだよな……お腹は空いてるんだけど」
「おかしなやつだな。まあいい。なら、せめて腹にものを入れてから、準備に取りかかれ。なにか用意してやろう」
「手作り?」
「……期待したいのか?」
「ごめんなさい」
「失礼な奴だ。良いだろう。是非とも手料理をふるまってやろうじゃないか」
 シンジは独りごちた。
「こんなとき、どういうことを言っとけばよかったんだろう……」
「そもそも余計なことを言わなければよかったんですよ」
 実に冷たいテッサだった。


 シンジが食堂へ行くのには付き合わず、テッサははやてに会いに動いた。
「なんや話しって」
 他には聞かれたくない話だと、彼女ははやての私室を求めた。
 テッサのための大机と、来客のための小さなテーブルと、それをはさみ合う形での二人がけの椅子が二つ。
 そして壁には本棚がある。
 テーブルの上に茶器があったことから、誰か来ていたのかとテッサは思ったが、深く考えはしなかった。
「シンジさんが隠していることについて、ちょっとね」
 戸を閉めて、彼女は切り出した。
 はやてと向かい合って、テーブルに着く。
「秘密があるんか?」
「そういうことじゃないんだけどね……」
 テッサが語り出したことについては、アスカに話したものと同じで、特に付け足しのあるものではなかった。
 守護騎士システムを無効化した上で、闇の書本体を攻略するというものである。
 はやてはなるほどと納得した。
「そやなぁ。確かに言われてみれば、そういう方法もあるんやなぁ」
 その上で、でもという部分についても、テッサと同意見だとはやては答えた。
 確かに選択肢としてはあり得ないものであったからだ。
「犠牲の上に自分だけって言うのはぞっとせんなぁ。どうせならみんなで幸せになりたいわ」
「たぶん、シンジさんも同じように思ってる。だからこそ、その方法を口にしないんじゃないかって思ってる。シンジさんにはその程度の分別がある。わたしはそう信じてるの。はやてにはそれをわかって欲しいのよ」
 はやては不思議そうにした。
「妙な話やないか? それをわたしに言う理由はなんや? シグナムを預けるからか? わたしに理解を求める必要なんてあらへんやろ」
 誰かを犠牲にして誰かを救うことが、誰かにとっては良い選択肢で、誰かにとっては最悪の選択になる。
 シンジが旅先でシグナムにこの解決方法についてなにかしら示唆するかも知れないが……。
「そんなことはせんやろ、あの人は。その程度のことはわかるつもりや」
「そうじゃないのよ」
 問題は彼の知識にあるとテッサは語った。
「シンジさんにはわたしたちにはない知識があるの。だからわたしたちには想像もつかないような解決策を思いついてしまうかもしれない。そしてそれを実行するべきだと思ったならやってしまう。やろうとしてしまうのよ、あの人は」
 ああ、そういうことかと、ようやくはやてにも合点がいったようだった。
「ヴィータの相手をした時みたいに、……シグナムの時みたいに、そういうことやな?」
 無茶とか加減を知らないようだとテッサは話した。
「いまはまだ、それほどあなたたちに思い入れがあるわけじゃないけど、……でも、シグナムと旅をして、親しくなったら? 彼女が切羽詰まって、自棄を起こしたり、涙をこぼしたりしたら? そこまであなたの状況が進んだときに、あの人はそんなシグナムを見てどうすると思う?」
 ふぅむとはやては頬杖をつく。
「放って置けん……そう考える? いや、思い詰めるってことやな……まるで自分のことのようにや」
 そうやなぁとはやては考え、例を出した。
「シグナムは守護騎士やからなぁ……頭ではわかってても、結局は感情で動いてしまうんや」
「アマルガムについたみたいに?」
「そや」
「それが?」
「シグナムは騎士やから、シンジさんの生き方、やり方には、口をつぐんでしまう可能性があると思うんや」
「どうして?」
「騎士や武士や言うのはな、結局のところ生き方なんや。もしシンジさんがテッサのみたて通り、自分を貫いてしまうようなお人なら、そうか、って、シグナムはその判断を尊重してしまうやろうて、思うんや」
 シンジさんがシグナムを殺そうとしたようにとはやては言った。
「アスカ様は、自分の手で終わらせるために──そう思ったみたいやけどな、わたしは違うと思ってる」
「…………」
「シンジさんはシグナムの覚悟に飲まれたんや。そやから望みを叶えてやろうとしてしもたんや」
 それはテッサにとっては、驚かされるような解釈だった。
「自殺の手伝いをさせられてしまったって言うの?」
「せや」
「それじゃ、シンジさんは了承させられてしまった?」
 自分はその場にいなかった──だからテッサには、その場の空気がそうさせたのだと告げられたなら、そういうことも確かにあるのだろうと納得するしかなかった。
「言い換えたら、そういう騎士なり人なりの決意がわかるようなタイプの人間や、言うことやと思う。そやからブレーキの役目が欲しいんなら、シグナムやとあかん。シグナムも騎士やから、決意とか見せられたら、逆に同調して、後押ししてしまいかねへんわ」
 ならば、付き合おう……そう口にするシグナムの姿が見えるようだとはやては語る。
 それにしてもと、その一方ではやては尋ねた。
「そやけど、なんでそんなにシンジさんのこと心配してるんや?」
 所詮は部外者に過ぎないというのに。この疑問に、テッサはアスカのことが気がかりなのだと上げた。
「シンジさんへの依存度がね……日増しに高まってる気がするのよ。今あの人を失ったらどうなるか、それが心配で」
 怖いのだ。大人のような決意のほどを伺わせるようになってはいるが、それは背後にシンジという柱があってのことなのだから。
 その柱が失われたなら、やせ我慢をして、張りぼての姿をさらすしかない。
 それは痛ましく、そして危ない姿になるだろう。
 はやても考える。シンジがいなくなってしまうことは、ないとは言えないと思ったのだ。
 何故かシンジは人に簡単に共感を覚えてしまうと感じられた。シグナムに乗せられ、ヴィータにも付き合ってしまった。もしかするとアスカに対してもそうなのかもしれない。
(なんやろ? 人の気持ちとかに敏感なんやろか?)
 答えは意外に簡単なのかも知れないと思う。
 ならばシンジが傷つくのは嫌だ。死ぬのも去ってしまうのも嫌だと、だだをこねられる人間が常に張り付いていればいいのではないか?
「そういう人情的なもんには弱そうやしなぁ」
「なに?」
「ん、まあ、なんやシンジさんがことの中心になってしもてる感じがあるなぁと思てなぁ」
 失うには早い、それは同感だと言う。
「今いなくなられたら、なにもかも崩れてしまいそうな感じもあるし……そうすると、まずいなぁ」
「なに?」
 はやてはテッサの考えに抜けがあることを指摘した。
「忘れてへんか? もうひとり、テッサと同じように、機械をいじれる人間がいたんを」
 誰のことだろう? そう思って不意に思い出し、硬直した。
 それはテッサが部隊を失うことになった事件に関わっている話であった。
 去っていったソースケを、ソースケの追う一人の少女のことを思い出す。
「かなめ!」
「そや」
 それはアマルガムにさらわれたという少女のことであった。
「神像……ちゃうな。古代関係の機械学知識者、やったか? 普通やとわかりもせんような難しい科学式をすらすら解いてしまう人たち。そういう人たちを保護して回ってたんがテッサの仕事やった。そやな?」
「ええ……」
「かなめはその一人で、アマルガムに目つけられてた。最後には自分でアマルガムに下ったっていう話やけど……」
「普通の様子じゃなかったとは聞いているけど」
「ま、それはその場にいた人間にしかわからんから、どうにもな?」
 テッサも、彼女の警護に就いていたソースケから聞かされた話でしかなかったために、抗弁できなかった。
 ソースケはその時のことを酷く悔いていて、だから彼女の後を追って姿を消していた。このことははやても承知していることだった。
 ソースケの乗る機体はこの城の施設で完成し、何度も調整を施している。彼らとも顔見知りであり、友人でもあった。
 落ち着いて見えるが、はやても心中穏やかでいられる話題ではなかった。
「テッサがどう思ってるかは置いとくとしてもやな、アマルガムは犯罪組織としては酷くまっとうな組織やから、かなめがこの国よりもアマルガムを選んだとしても、それほど驚くことでもないんやけどな」
 なにしろと、分かりきっていることを口にする。
「アマルガムの最終目的は世界征服やろ? 変な世直しを掲げとるような連中よりは、よっぽど正統やで」
 覇を唱える国が当たり前のように隣り合っている世界である。
 戦争目的は多々あれど、世界征服、世界制覇は、王であれば大抵の人間が取り憑かれる野望であって、それほど病んでいる思想とは考えられていなかった。
 アマルガムは組織であって国ではないが、国を呑むような巨大な組織ではあるのだ。
「アマルガムの連中は、国同士がやる戦争みたいに、いらんもんまで傷つけへんしな。森や畑を焼いたり、人を無差別に襲ったり、歴史のあるもんを壊したり……そういうもんも、ちゃんと利益になると思て、逆に保護までして回っとるような連中や。まあ、手足として使ってる奴らの中には、問題のある連中も多いけどな」
 たとえばガウルンのような傭兵であった。
「テッサんとこの部隊があの子を保護しとったんは、余所の手に渡さんためやったな」
「ええ」
 利用するつもりで確保していたのではない。この点は重要であった。
 そこが、アマルガムとは違うという、テッサなりの矜持の置けるところであったのだから。
 かなめが利用されても良いと考え、あちらへ移ったというのであれば、それは個人の自由だと認めるしかないのである。
 ただし、国としてはそのような異能者を他国、他者へ渡すなど、あり得ない話であったのだ……だからテッサは罷免され、コウゾウのような男のところに身を寄せるしかないことになってしまっていたのである。
「シグナムがアマルガムの人間から聞かされた話やと、闇の書の呪いは機族なら解けるっていうことなんや」
 驚きに息をのみ、どうして黙っていたのかと、テッサは批難の目を向けたが、言えない理由があったと、はやては告げた。
「そのアマルガムの人間っていうのが、どうも首領らしいんや」
「首領っていうと! 銀髪の……」
「らしいな。その首領が、どうしてもシンジさんとふたりきりで話したいって言うて……なんや理力甲冑騎と生身でやりおうたらしいんやけどな」
 その場にはアスカも居たはずなのだ。
 テッサは一瞬に色々なことを考えた。
『身内にはなれない』
 シンジの言葉を思い出す。
「そういうことなの?」
 はやても同じことを思ったと言う。
「騎士として従うことはできない。アスカ様はシンジさんの台詞に納得してたな」
「そう……そういうこと」
 シンジとアマルガムの首領とが個人的な知り合いであるというのなら、確かに今は無理な相談だった。
 内通者として一番疑わしい位置にいることになるのだから。
「その首領がや、シグナムに譲って姿を消したんや。このままシンジさんを放っておくと思うか?」
「必ず出てくる……」
「そや。シンジさんは、地下で、闇の書と同じものが機族のところにもあるかも知れんて言うてたやろ? 少なくとも、同じものをつこうてるて。そやから機族にならなんとかできるかもしれんて。……どうしてアマルガムの首領も、それを知ってたんやろ?」
「アマルガムの首領は、何百年も生きているって噂が……!?」
 絶句する。
「そんな!?」
「そや。シンジさんと同じ、過去からの異邦人やとしたら?」
「当然、かなめ……いいえ、機械学知識者を集めているのはそのため? 機族を攻略するために? 彼らなら機族の使っている機械のことがわかるって……それで?」
「世界征服を考えたら、最後にはなるやろうけど、やっぱり機族が最後の壁や」
 黙り込むしかなかった。
「まるで解けかけのジグソーパズルみたいやと思わへんか?」
 唐突に言い出す。
「最初はなんやわからんかった。似たような色とぴったりと合うピースをくっつけてるだけやった。そやけど出来上がってくると、ピースの塊同士がどんどん繋がって、大きな絵が完成していく」
「なにが言いたいの?」
「機族にアスカ様が狙われてしもうたいうんは発端やけど、シンジさんが現れてから、いろいろ見えんかったもんがさらけ出されて行ってへんか? まるで連鎖反応を起こしてるみたいや」
 確かにそうだとテッサは思った。
「シンジさんがアスカ様と出会ったのは偶然。だけどそのアスカ様を狙って現れた機族、闇の書、アマルガム……全部が繋がって行って」
「けどほんまはその前からずっとつながり続けてたんや。こうなってくると、シグナムがアマルガムに下ったんも運命やったんと違うか? その首領が……たとえシンジさんと同じ四百年前の人間やったとしても、知り合いやったっていうのはどうなんや? それも偶然ですませるんか? 機族かてそやろ。シンジさんが本当にサードチルドレンや言うんなら、当然知ってるやろうし、放ってもおかんやろ」
 恐ろしい話であった。
 分散していたピース群が、シンジという核を得て、自ら組み上がろうと押し寄せてくると言うのである。
「最終的に、どれだけ大きな絵になるか、想像もつかんわ」
 テッサは青くなっていた。
 自分が思い描いていたよりも、さらに大事になっているのだとわかったからだ。
 アスカ一人の身がどうという問題ではなくなってしまっているのかも知れない。
「あなたたちがどうとか、もう、そういうことじゃないのね……」
「わたしはええよ。幼い頃から死ぬことはわかってたし、覚悟もできてる。ただシンジさんが言うてたやろ? 闇の書の主を作り出す機械は壊れてしもたて。だからわたしの次の主はもう出てこんのや。わたしも子供を作るのは間に合わんかったしな。血族ももうおらんし。心残りなんはあの子らのことやけど、わたしが死ぬ前でも後でも、あの子らだけは助けてあげて欲しいと思うんや」
「はやて」
「わかるんや……わたしは一年ももたへん。そやけどシンジさんは、もうシグナムを切り離したりできんやろ。あれは情に(こわ)い人やから。きっと助けてくれると思う。それだけでわたしは安心なんやけど」
 きっとそれだけではすまないと思う。それは二人の一致した意見だった。
「少なくとも、機械学知識者が機族の機械を理解してどうこうできる。それは間違いないわけやろ?」
「そうね、そういう特殊な人種が居て、それをシンジさんが知ったらどうするか……」
「機族を当たって回るよりは確率も効率もええんとちゃうかな? それくらいの数はおるし」
「その上、あなたを失ったらシグナムはって……同情から暴走するかも知れない」
「あるいは、余所からのアプローチをチャンスと見るかもしれんな……自分を餌にするくらいのことはやるかもしれん。シグナムのために捕まえようとか……」
 テッサは頭を抱えて呻いた。
「そこまでお人好しではないと思うのに、どうしてこんなに想像しやすいの?」
 それは激しい頭痛を起こらせる考えだったが、はやては冗談ごとのように笑った。
「人の体は一つしかない言うのになぁ」
 アスカ様だけでは飽きたらんのやろうなぁと、あっちもこっちも助けて回りたい人間なんと違うか? はやては笑った。
「笑い事じゃないわよ」
 テッサは頬をふくらませる。
「思いもかけないような解決方法を思いついてしまうかも知れない……さっき自分で言った言葉だけど、それを思いつけるだけの情報源が群がってくる環境はもう出来上がってたのね……」
「それもなにかの流れかもしれんけどな」
「流れ? さっきの話?」
「そや。運命的な、な?」
「歯車の間違いじゃないの?」
「どんな絵ができあがろうとしてるんかわからへんけど、まだまだピースが足りんやろ?」
「だから、トラブルはまだまだ起こるって言うの?」
 話を戻そうという。
「トラブルは起こる。やってくる。それはもうそうやと思うた方が良いけどやな、シンジさんには、自分の仕事を忘れんで欲しい。それが問題なんと違うやろか」
「そうね」
「そやったら、アスカ様を同行させたら?」
「アスカ様を?」
「そや。アスカ様から話を聞いたんやけどな、シンジさんが我を忘れたりしたとき、アスカ様がブレーキになった、みたいなことを言うてたで?」
 はっとなり思い出す。
 ガウルンと相対していたとき、アスカがシンジにかじりついたことを。
 そのとき、シンジが急に冷静になったことも。
 だがと彼女はかぶりを振った。
「危険すぎるわ。アスカ様を餌になんて」
 まあそうやなと、はやてはあっさりとこの案を引っ込めた。
「なら、他の手を考えるしかないやろうけど」
「なに?」
「わたしが思うに、アスカ様のあれは、もう手遅れや思うで?」
 そうかも知れないけどと、テッサはため息をこぼす。
「真顔で、守るよ、なんて囁かれたら、どう思うか考えろって、一応忠告はしておいたんだけど」
 あはははと、はやては爆笑した。
「そんなこと言うたんか!」
「もう! 笑い事じゃないんだから……」
「シグナムもヴィータも、気に入ってしもてるみたいやしなぁ」
「あなたも……じゃないの?」
「テッサもやろ?」
 まあそうやなと、はやては言う。
「結局、歯止めになれる人間ってだけじゃあかんやろうなぁ。運命的なもんが動いてるとしたら、結局はってことになってしまうやろうし」
「じゃあ、放っておくしかないって言うの?」
「いいや。運命っていうもんは残酷や。結果に行き着くなら筋道なんて気にしぃひんもんやろ。経過がどうあれ、結果良ければすべて良し。それが運命とか歴史やろ? そやけど、そこに生きてる人は違う。それで済まされたらたまらんことばかりで、死ぬまで後悔させられるんや」
 嘆息する。
「そこをうまくやりくりできるような人間を捜せってことなのね」
 いいやとはやて。
「探す必要なんてないやろ、ここにおるやんか」
 え? っと思ったときには遅かった。
 テッサはくらりとよろめいた。
 瞬時に気付く。
 ──眠りの魔法!
「はかったわね……はやて……」
 さぁて、どうやろなぁと、はやては眠りへ落ちる寸前の友人に告げた。
「あんたはアスカ様と一緒に一番安全な闇の書のある地下にこもってる、そういうことにしとくから」
 なぜわたしが……テッサが意識を失うのと入れ違いに、書斎の続き部屋の戸が開き、アスカが姿を見せた。
 はやては、「懸念ごとが多すぎるわ」と、嘆息し、アスカに向かって頷いた。
「良いんですか?」
「あたしが離れたくないだけかも知れないけど」
 アスカは迷いを振り切って口にする。
「たぶん、もう、あたしがどうのこうのじゃなくて、機族も、アマルガムも、シンジが目的になってて、これからもそうなっていくような気がしてるから」
 まあ、お好きなように。
 そのような意味合いで、はやてはため息をこぼして見せた。

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