呼気を深くし、息を吐く。
 心音を捉えるかのごとく気を落ち着かせ、そこから徐々に高ぶらせていく。
 呼応するかのように、理力甲冑騎のコンバーターが、回転数を高めていく。
 シンジはゆっくりとまぶたを開いた。
 シンジの希望によって、操縦管から操縦桿に換装されたレバーに目をやる。
 そのグリップを、指を一本一本、開いては閉じて、感触を確かめる。
 レバーとなってもサーバインの鼓動は感じられた。棲まわせている物を介しているシンジにとって、操縦管のようなフィラメントなどなくとも、機体とのシンクロには問題はない。
 サーバインのコクピットである。隣にはシグナムが、正面には技術士が居る。
 シグナムは騎士甲冑のアンダースーツ姿だった。窮屈そうに右側のスペースに体を押し込んで、身を小さくまとめていた。
 お尻をシンジの右脇、懐に置くようにして、左足をシンジの股ぐらに差し込んでいる。
 右足は膝を立てて、抱え込んでいた。
 長身のために、どうしても上半身は天井に当たらぬようかがめていなければならなかった。左腕でシートの頭を掴んで、上半身を乗り出すように固定しているため、シンジの視界の右側は、たゆんと垂れる大きな胸にふさがれていた。
 アンダースーツはぴったりと張り付くようなもので、まるで下着のように体の線を補正し、強調している。そんな肢体を抱き寄せるように、シンジは右腕を彼女の腰に回していた。他にやりようがないとは言え、意識せざるを得なかった。
 そんなシンジの格好は、地下で見つけた白いシャツに黒のスラックス、その上に借り受けた黒のフライトジャケット風の上着を着ているものだから、衣装としてはバランスが悪かった。
 そんな二人の格好に、技術士はうらやましいぜとにやにやとしていた。
「いいか! コンバーターを派手に吹かせるとオーラ光が広がる。注意しろ!」
「はい」
「もう一度確認するぞ! 発進は城の下層口からだ! 電磁気を利用した方法で機体を打ち出す! 浮遊感を感じたら、機体を前に傾けて足下を蹴れ! そうすれば勝手に加速して打ち出される!」
「はい!」
「谷の気流に乗って縫って進め! すぐに上昇に使える長い直線に入る。そこで一気に高々度まで上昇だ! 浮上にはお前の言うATフィールドだかなんだかを利用しろ! 魔法もオーラジェットも探査魔法に引っかかる、他に方法はない、やれるんだな?」
「やります」
 不可視のATフィールドは、魔法検知も受けずに、浮遊くらいのことはやれてしまう。実に便利なものだった。
「後は北に向かう風をつかまえろ! ジェットは雲の上に出るまで禁止だ! 雲の上ならオーラ光は吹き散らされる。だが安心して大きくは噴かすなよ! 尾を引く雲を作ってたなびかせることになるからな!」
「了解です!」
 ──普通に発進しないのには理由があった。
 オーラジェットの噴煙は虹色に輝く。その軌跡は夜空にははっきりと残ってしまうのだ。昼間でも程度こそあれ、やはり目立つのである。
 はやては言った。この城は見張られていると。
 それは当たり前の話であった。闇の書のあるこの城が、国の監視対象とならないはずがないのだ。
 そこにウイングキャリバーが日に何度も往復しているのである。
 出入りしているウイングキャリバーがコウゾウのものだということはすぐにわかるだろう。ならば理力甲冑騎の動向は、最大限に注意されていると見て間違いなかった。
 大気にあふれているという生体エネルギーを吸い込み、凝縮、圧縮してエネルギーに転換するのがオーラシステムとコンバーターである。
 オーラジェットはこの凝縮されたエネルギーを意図的に圧壊させ、その際に発生する爆発力を推進力とするシステムであった。
 つまりオーラジェットの虹色の光とは、オーラ力が崩壊する際に放つきらめきなのである。オーラ力が生命エネルギーであるのなら、きらめきは悲鳴であった。
 原子が崩壊する際にきらめきを放つように、オーラ力もまた光るのである。
 これは自然に起こる現象ではなく、だからこそ、空に走る虹色の航跡は、そこに人造のなにかが居ることを示していた。
 姿を隠せる魔法もあるが、噴煙は風に乗って流れ、魔法の効果範囲の外に出る。隠しきれるものではないのである。
 かように隠密性に乏しいため、理力甲冑騎は戦場(いくさば)における決戦兵器として位置づけられていた。悪目立ちするがために、運用目的が限られてしまったのである。
 とにかく目立つと言うことから、目立たせる以外に使い道がないという皮肉なものであった。
 かてて加えて、騎士が幅を利かせている世界である。兵器をただの駒として扱うような発想は起こりえなかった。結果、決戦兵器、旗印として扱われるようになったのである。
「上昇するチャンスを逃したからって、焦ってコンバーターを吹かすなよ! 谷底には光源なんてないんだ、目立ちすぎて、一発で見つかるぞ!」
『艦長』はどこにいったんだよと愚痴りながら、技術士はハッチから体を抜いた。飛び降りて、足場にしていたのであろう脚立を肩に走り去るのが見えた。
 ゆっくりと深呼吸をし、心拍数を抑えるようなイメージを行う。それに合わせて回転数が下がっていき、歩く程度のことならできる、それでいてコンバーターから噴煙の出ないレベルのところに落ち着いた。
 目前の扉が開いていく。足下には貨物車用のレールがあった。
 やはりここは工場などではなく、格納庫だった。この先には発進口が待っている。
 シンジがハッチを閉じると、ハッチ兼キャノピーでもあるマジックミラーの透明度が増した。
 マジックミラーには、この施設の機械を利用して、生体電流が流れるようにとの改造が施されていた。なぜか電気を流すと透明度が上がるというのだ。
 シンジは電気信号によって透明度の変わるマジックミラーの存在を知っていたから、そういうものなんだろうなと適当に認識していた。
 シンジは工場の中を一通り見回し、首をかしげた。
「どうした?」
 シンジは横向きの顔に真正面からのぞき込まれて少し赤くなった。
「見送りはなしかと思ってね」
 シンジの照れに気をよくしたのか? わざと艶がにじむように、彼女はアップにしていた長い髪の、首にからむほつれ毛を、ついと直した。
「寂しいのか?」
「ちょっとね、にぎやかだったからさ」
「そうか、そういう類だと、わたしがいるだろう? と言っても、無駄だな」
「からかわないでよ」
「そうか?」
 シンジが背筋を伸ばして座り直したので、シグナムはお尻をずらしてシンジの腰の上に体を落とした。
 どっと落ちて、そのまま背を預けるように、寄りかかるように腰掛けようとして、まとめていると邪魔だなと、結い紐を外して髪を下ろした。
 そうしてからシンジの左の首元に後頭部を据える。シンジを背もたれとして、頬同士を当て、甘えるような姿勢を取るようなものであったが、シグナムはシンジの照れた様子に気をよくしてくすりと笑った。
 そんなシグナムに対して照れを隠すように、シンジはシグナムの腰がうまくはまるように下半身を揺すった。
「誰もっていうのが気になるんだよな。一人くらいは様子を見に来ても良さそうなのに」
「それはそうかもしれないが……」
 テッサについてはと考える。
ちい姫(アスカ)様の側から離れられないんじゃないか? 拗ねておられるだろうしな。あるいは外で見送りをしてくれようとしているのかもしれないが」
「アスカ様はともかく、テッサが最終確認に付き合わないなんてこと、あるかなぁ? それに人目に付くからまずいんじゃないの? 見送りなんてさ」
 そう言いながら、黒布をかけられ、みすぼらしくなっている機体を踏み出させる。
 布は肩にかける外套のような形に裁断されていた。腹を出しているのはコクピットの都合であるし、後ろはコンバーターと羽根の都合で開かれているのだが、綺麗に覆うには布が足りなかったのか、つぎはぎの縫った跡があちこちにあった。
 探査のための魔法波を吸収してしまう布だという。
「こんなので大丈夫なのかな。隙間だらけなのに」
 不安はあるなとシグナムは答える。
「出立さえ知られなければ、理力甲冑騎は城に留まっていると勘違いしてくれるだろうが……」
「工房に隠されたままだって?」
「ああ」
「ばれない内に戻れたらいいけどさ」
「間者が入り込む心配はいらない。ザフィーラが目を光らせているからな」
「どれくらい騙しておけると思う?」
「国境は今日明日には越えられるんだ、それで十分だろう」
 がこんと音がしてエレベーターが動き始める。
 上昇ではなく、斜めに下降していく、機体三機分ほどの高さを降りると、正面に伸びる通路へと出た。
 ガイドレールや信号機があったが、今は動いていなかった。
 シンジはこの構造が理解できなかった。
(地下施設……なんだよな? なのに地下に発進口?)
 施設の状態を見れば後から増設されたものとは考えづらかった。そして構造を考えると、この部分がかつては地上にあったとも思えなかった。
(地下道とかあったのかな……でも電磁射出って……地下でやらないだろ? 普通は)
 しかしエヴァのことがあったなと思い出す。
(射出通路とかあったのかな? まあ考えたって意味ないんだけど)
 待機デッキに到着する。
 両壁、天井、床が淡く光っていた。
 ガイドビーコンらしい光が先へと走り、漆黒へと飲み込まれている。
 射出口の光は外へは漏れないようになっていると言う。ならこのビーコンも、途中で切れているのだろう。
 さてととシンジは意識を切り替えた。シグナムのおかげで過度の緊張は抜けていた。
「それじゃ、発進するよ」
 機体を前屈みに、穴の中を潜り込むように進ませる。
 するとふわりと軽くなったような感じを受けた。
(ここだ)
 息を吸い込み、声を出す。
「サードチルドレン、碇シンジ、理力甲冑騎サーバイン、行きます!」
 サーバインが床を蹴る。
 と、いきなりの加速が二人を襲った。
 吸い込まれるように一気に通路を奥へ──外へと引き込まれていく。
 壁の光が途中で途切れる。電磁波の誘導はそこまでだった。シンジはぞっとした。
(バランスを!)
 上下左右から磁力を受けることで機体は中央に浮かんでいたのだ。それが切れたと言うことは、少しでも動けばバランスを崩して壁面に激突すると言うことであった。
 もっと恐ろしいのは外套のことである。
 風に抵抗を受けている。はためき、機体のバランスを崩すどころか、壁に引っかかる危険性もある。
(無謀すぎる!)
 知っていたらと後悔したが、遅かった。
 漆黒へと放出される。
 虚空へと機体が舞う。不思議なもので、ハッチの代わりとしている強獣の甲殻ごしだと、灯りのない真闇であっても、薄暗く地形が確認できた。
「壁だ!」
 シグナムが警告する。
 いきなり正面に崖が見えた。
(左に!)
 頭から弾丸のように射出された機体を左へと曲げる。
 滝のように水が流れ落ちていた。真っ暗で見えなかった。ぶつかればそのまま谷底へとたたき落とされるだろう。
 ぎりぎりのところで身を捻ってかわす。
「直線ってどこだよ!」
「そこだ! 出るぞ!」
 シグナムの発憤に気を乗せる。
「ATフィールド展開! 上昇する!」
「行け!」
 ATフィールドによる軌道変更が無茶すぎたのか、ドンッと強い荷重が機体を襲った。
 機体ががくんと揺れ、ぎしりと悲鳴を上げる。あちこちでがたがたと音が鳴った。
 ガチンっと音がした。なにかの留め金の外れる音だった。それは頭上のハッチのものだった。
 天蓋のふたの留め金が外れた。開いたふたは振り子のようにシンジの顔面をはたいて揺れた。
 がんっと痛そうな音が響く、くあっとのけぞったシンジと、「シンジ!?」っと振り返ったシグナムとの間に、大きな塊がずぼっと落ちた。
「んな!?」
 シグナムはその物体に押され、前屈みになった。
 シンジが、なにがなんだかとわけがわからないと頭を起こすと、顔の下半分が柔らかくて生暖かい布に押し当たった。
 その白い布の両端からは肌色のすべすべとしたものが伸びていて、それはじたばたと暴れていた。
 布の真ん中は割れているようで筋が入っていて、よく見ればしわが……。
「って、パンツ!?」
 仰天する。
 しかも見覚えのあるパンツだった。
「アスカのぱんつぅ!?」
 理力甲冑騎の頭から繋がっている神経束を体と脚に絡ませて、逆さになってもがいているのは、確かに小さな姫様だった。
「アスカ様だと!?」
 シグナムが前屈みに体を起こす。するとずぼっとアスカらしい幼児がさらに落ちた。
 シグナムがハッチに手をつき、尻を突き出したような格好のまま振り返った。そこにシンジの股ぐらに頭をつっこみ、逆さになってもがいているアスカを見つけて、さすがにシグナムも言葉を失った。
「うわっ、ちょっと、暴れないで!」
 シンジはおもわず内股になって、アスカの頭を挟んでしまった。
 もがー、ふがーっと、シンジの股間で熱く息をこもらせ、アスカは暴れた。
 アスカの体……逆さになっている下半身が、シンジに向かって倒れ込んだ。股ぐらが彼の頭をシートへと押しつける。
 アスカは苦しいのかじたばたともがき、足をばたばたと暴れさせた。
 シンジの手元が狂い、機体が揺れた。
「危ないぞ!」
 シグナムは咄嗟に振り返って、アスカの腰を胸で押すようにしてシンジへと抱きついた。
 逆さになっている両足をつかみ、シンジの肩から首に回して、頭の後ろで引き結んだ。
 シンジは「ふがっ!」っと非難の声を上げたが、シグナムは「我慢しろ!」っと間近で怒鳴った。
「集中しろ! 理力甲冑騎はお前の意識に反応するんだ! コンバーターを噴かす気か!」
(でもさ!)
 シンジはくらっとくるめまいを感じていた。
 髪でさえ臭いがきついのだ。股間のアンモニア臭は意識を奪われかけるほどだった。
(デッキブラシで洗ってやる!)
 シンジはなんとか顔をアスカの股間から抜け出させた。顎をアスカのとても大事な部分に乗せて、真っ赤になって叫んだ。
「とにかく上がる!」
「この低空じゃ人の目でも見える、高くだ!」
「わかってる!」
 明らかに現在の自分の状況を鑑みないようにしているシンジに対し、シグナムは黙祷を捧げるかのようにまぶたを閉ざし、口からこぼした。
「耐えてくれ……」
 なにをだろう? シグナムは自分で言っておきながら、状況のばかばかしさに耐えられなかった。
 シンジは慎重にレバーを引いた。上昇角を調整し、正面に黒い月を捉える。
 シンジの顔は、恥ずかしさのあまりゆであがり赤くなってしまっていた。彼は顎が刺しているぷっくりとした割れ目について、(なんのプレイなんだよ、これ!)と、内心で泣いていた。
 視界を得るために首を横向けるためには、どうしても顎を乗せているお姫様の大事な部分を、ぐりっと凌辱することになってしまう。そこでもしアスカがなんらかの反応を見せたら? そうでなくともお姫様が先ほどから自分の股間部をもてあそんでくれている。こちらも反応してしまったら?
(し、死ぬしかない!)
 かつてない危機だった。
 戦いならば負ければ死んで終わりだが、ここで負けると一生の恥がついてまわる。
 なにか必死に意識しないようにしているシンジは哀れを誘った。
 いっそ笑ってあげた方が親切なのかもしれないのだが、あいにくとシグナムはそういう女性ではなく、生真面目すぎた。
 シンジは目を血走らせて正面だけを見ている。
 とにかく恥ずかしい。相手が恋愛対象外の幼女であるのがまた問題を難しくしている。
「運が良い! シンジ、向こうに鳥の群れだ! 気流があるぞ!」
 思わず確認しようとしたのが悪かった。前のめりになってしまったのだ。
 大事なところに顎先を押し込まれたアスカがもぞもぞと動いた。暴れようとしたのだが、足はシグナムに押さえられてしまっている。
 やわらか……はっとし、シンジはあらゆる思考を放棄した。いま何か考えると、すべてが終わると直感する。
 シンジは機体を右へ傾かせた。
 そうして鳥の群れの最後に付いて、紛れ込む。
 鳥の群れを隠れ蓑に、最後尾に着いて追いかける。
 鳥の目がこちらを向いていた。
 大きく、理力甲冑騎にも匹敵する大きさであった。
(鳥って……これ、怪獣じゃないか)
 恐竜というのもおこがましいものだった。
「シグナム」
「ああ、離すぞ」
 ようやく挙動が安定したことで、シグナムは体を離し、アスカのお尻を受け支えるように、彼女をひっくり返した。
「まったく!」
 シンジの股間で窒息寸前になっていたのだろう、アスカもまた真っ赤になっていた。湯だって目が回っていた。
 アスカを抱き、解放しながら、シグナムはシンジを見上げた。
 背中を抱きしめ、正面ハッチにお尻を置くよう腰掛ける。シンジを彼の脚の間から見上げると、シンジもまた、けほけほと喉に手を当ててむせていた。
 機体は放っておいても、気流に乗って高く、高く、鳥とともに、風に揺られながら登っていく。
「大丈夫か?」
「死にはしないけど、アスカは?」
「のびてる。こぶがある。あざもだ」
「こんなところに隠れてるからだ」
 上を見上げる。
「一人で入り込める場所じゃないな、誰に手伝って貰ったんだろ?」
「そそのかされたとは思わないのか?」
「そこまで馬鹿な子じゃないよ、アスカは」
 腹立たしさを隠し切れていなかった。
 言葉に険が立っている。
 なによりもアスカのことを呼び捨てにしてしまっていたが、シグナムは気付いていないふりをしていた。
 シグナムは、あそこを見ろと、強く流れる雲を指さした。
「あの強さの風ならオーラ光は吹き散らされる。あそこまで登ろう」
 なるほどとシンジは了解した。
「助かる。詳しいね」
 シグナムは笑った。
「お前、わたしが飛行機にも乗ったことがない未開人だと思っていないか?」
 ごめんとシンジは謝った。実はそう思っていたからだ。
「騎士って、なんだか古くさいイメージがあってさ……飛行機って言うのと合わなくて」
 シグナムは微笑した。
「まあ、気持ちはわかるがな。オーラジェットだなんだと空を飛ぶ乗り物が出てきたのはここしばらくのことだ。それ以前はお前の思っているとおり、地を這うのが当たり前だった。乗り物と言えば馬とか、強獣だったよ」
「魔法は?」
「それほど高くは飛べないさ」
「なるほどね……便利になったってわけだ」
「どうだろうな。あれを見ろ」
「どれ」
 樹海のことだった。
 シグナムのお尻が踏んでいるキャノピーにじっと目をこらすと、眼下に広がる密林に筋が引かれていた。
 大樹が何かに押し倒され、森が航跡のような傷を負っている。
 その先端には波を立てる怪獣の姿があった。
「でかい!」
「強獣だ。あんなものを何頭も仕留めなければ飛行船一機作り出すこともかなわないんだ。便利と言うには苦労が多い」
 シンジにはなんとも言えなかった。
 現在の高度に飛ぶものは、地上からでは小さな影としか認識できないだろう。
 なのにその高さからでも形状がわかる大きさというものは、想像を絶するものだった。
 オーラ力かとシンジは口にする。
「なんだ?」
「話したよね? 世界が滅んだって話をさ」
 シグナムがまだ目を回しているアスカの前髪を払う。そういう動きは実に女性らしいなと、シンジはあこがれた。
(髪とか良いにおいがしたんだよな……お風呂があるとか言ってたっけ)
 そう言えば、湯を使うかどうか、話していたなと思い出す。
(わかすのが面倒……っていうよりも、燃料のこととか考えると、贅沢なのかな)
 ガスではなく薪であろうしと考える。
 どうしてアスカの身はここまで臭うのだろうかと思う。そう言えばと思い出したのは、中世ヨーロッパの記事だった。
 女性が大きなスカートを履くのは、下半身の臭いを隠しているからだとか。
(ほんとかどうかは知らないけどさ)
 シグナムの胸の中でぐったりとしているアスカを見やる。
 そうしてから、シンジは唐突に、シャンプーやに石けんと言った日常品を作り出す方法くらいは、闇の書のデータベースにあったかも知れないと思い至った。
(そうか、僕の時代にあった文明、科学のことなら、なんでもわかるはずなんだ。あれはそのために残されたはずのものなんだから)
 シンジがそんなことを考えているとは思いもせず、シグナムはただシンジの話題に相づちを返した。
「人の殻を壊して、魂を一つにするという計画か……なにを思ってそんなことをしようとしたんだか」
「寂しかったらしいよ」
「寂しい?」
「うん。人の心には隙間がある。だから、一つになれば埋まるだろうってさ」
 愚かな話だとシグナムは言うが、シンジは曖昧に笑ってごまかした。
 わからないでもない……と思えるのは、心理的に弱いからだと自覚していたからだ。
 同時に、シグナムは強いんだなと思う。
「でも計画……儀式は途中で破綻したんだよ。そのとき、まとめられている途中だった魂たちは、世界中に散ることになってしまった。戻れる人たちはなんとか命のある姿に戻ったけれど、戻れなかった人たちの魂は、そのまま形をなくして、今は大気にまじって漂っているんじゃないかって思ったんだ」
 シグナムは驚きに目を丸くした。
「それがこの世界に満ちているという、オーラ力の正体だというのか?」
「もしかしたらそうなのかなって程度の話だよ。思いつきさ、信じないでよ」
「だがオーラ力は魂の力、命の源の力だとも言うからな」
 だとしたら切ない話だなと、シグナムは共感する。
 鳥を置き去りにして、さらに高度を上げていく。やがて雲を抜け天に出た。
 雲海が月明かりに波打っている。夜空を見上げて、そういえばと、シンジはなんなんだろうと口にした。
「あの月……黒い月って、なんなんだろう?」
 シグナムには、彼の感じているものが理解できなかった。
「なにかおかしいのか?」
「うん。金色の月は僕の時代にもあったものだけどさ、でも黒い月なんてなかったんだ」
 これほどの高空に上がっても、黒い月に陰影は見られない。つまりそれは自然の天体ではないということだった。
 第一、昼も夜も同じ位置に浮かんでいる天体などあるわけがない。
「誰が作ったんだろう……あれ」
 シンジのつぶやきに仰天する。
「月を!? 作ったというのか……あんな巨大なものを?」
 常識が違うのだなとシンジは思う。
「作れたんだよね。まあ、作れるというだけで、実際に作るとしたら、ばかげた話だけどさ」
「作れないことはなかった、と言うことか」
「うん……で、そろそろいいかな?」
 アスカと呼びかける。
「いい加減、気付いてるんだろ? こら!」
 シンジは彼女の頬をつねり引っ張り上げた。
「痛い!」
「やっぱり起きてたか」
 嘆息する。
「隠れて着いてくるなんて!」
「あたしだけじゃないもん!」
 頬を押さえながら叫び返したアスカは涙目だった。
「アスカだけじゃ……ない?」
 うんと怯えながら頷いて、アスカはシート、ヘッドレストの向こうにあるハッチを指さした。
 二人は顔を見合わせてから、シンジが半身を捻ってシートの背後に手を伸ばした。
 理力甲冑騎と繋がっている神経束。それを割るようにあるハッチには、旅に必要な食料などが納めてあるはずであった。
 シンジはそのハッチの留め金を外し、扉を開こうとした。
 が、留め金を外した途端、ふたが勢いよく弾けて開いた。内部からの圧力に押し負けたのだ。
 ばごっと音がしてハッチが開き、荷物がシンジの上へと雪崩を起こした。だがそれだけではなかった。
「「ひぃっ!」」
 開かれたハッチの中から、でろりと死体がこぼれだしてきた。シンジだけでなく、シグナムまで乙女のような悲鳴を上げて、二人はアスカを挟んで抱き合って身を縮めた。
「テッサ!?」
「テスタロッサ!?」
 青ざめた二人であったが、テスタロッサは生きていた。
 頭部に大きなこぶがあった。どうやら無茶の挙動で荷物と一緒に揉みくちゃにされ、頭を壁か荷物にぶつけたらしい。
 きゅうっと目を回していた。
「ちょ、なんで!?」
「テスタロッサ、おい!」
 シグナムとシンジが立ち上がると、こぼれだしていた荷物は歯止めを失い、さらに崩れてアスカの上に降り落ちた。
「痛い! 痛い!」
 シンジとシグナムはそれにかまわず、テッサの上半身を上向けにして介抱し始めた。
「よくもまあこんなところに」
「入っていたものだ……」
 もの入れの狭さを考えると、人一人が入り込むだけでも難しいというのに、荷物と一緒に収まっていたのだ。
 ふたりとも半ば呆れながら、そのコンパクトさに感心した。
「う……」
 テッサがうめき声を発した。
「テッサ!」
「気がついたか、大丈夫なのか?」
 テッサはうっすらとまぶたを開くと、寝ぼけている様子で名前をこぼした。
「シグナム……?」
「さっさと目を覚ませ! まったく、お前までアスカ様と一緒になって」
「一緒って……え? ここは?」
「サーバインの中だ。城から出て、もう空の上だぞ」
 え!? 彼女は驚いた。
「なんで、どうして!?」
 おやっと、シンジとシグナムは顔を見合わせた。
 隠れ、潜んでいたにしては様子がおかしかったからである。
 どうやらアスカとは事情が異なるようだった。
「自分から潜り込んだんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょう!? え? 押し込まれて? ってこんなラックの中に!?」
 くすくすと笑い声がした。アスカであった。
「テッサはなにも知らないよ。あたしがはやてに頼んだの」
「はやて様に?」
「うん。ヴィータがね、一緒に行った方が良いって言うから、そうすることにしたの」
「ヴィータが? 何故」
「放っておくと、シンジは死ぬからって」
 シグナムはことの次第が見えた気がした。
「あくどいことを」
 シグナムはかぶりを振って頭痛を堪えた。
 シンジの性格が問題なのはわかるが、その足かせに使うというのはどうだろうか?
(まあ、もう一つのこともあるのだろうが)
 それはシンジの力のことについてである。
 それはシンジが気を失っている間に、二人で行った会話のことであった。

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