雲を割り、霞のしぶきを上げ、巨大な船が浮き上がる。
 それは航空母艦であった。
 雲の中から浮上し、月光に黒光りする巨体を照り輝かせる。
 それは、への字型をした巨大飛行機であった。エヴァンゲリオンのウィングキャリアよりもさらに大きく、翼の両端の長さでは優に倍にも達するほどであった。
 これほどの巨人機ともなれば、雲と同じ高さにあっても、地上から楽に形状を目視できる。
 黒色の翼の下には片翼三機ずつ、スモールを係留していた。
 機体の上部には艦橋があり、その中には複数の人間の姿が見て取れた。
 造りはコクピットではなく、まるで艦船の司令塔であった。
 艦長席の前に両腕を組んで仁王立ちしているのは、機族の側のアスカであった。
 アスカの三倍は歳を経ていそうな艦長が報告する。
「複数の個体がうろついているようだが」
「めんどくさい。モルモットのフランケンね。理力甲冑騎とか小難しい名前を付けてるみたいだけど」
「だがその中に、あり得ないほどはっきりとしたATフィールドを展開している個体があります」
 これは副長の台詞である。
「この強固さは、人造生体兵器(エヴァンゲリオン)としてはスモールの上を行くものです。モルモットの製法でここまで個を主張する個体を作り出せるとは思えません」
「乗っている人間が特別(スペシャル)だと見るのが妥当か。でも別の兵器だって可能性は?」
「あなたが持ち帰ったデータと照らし合わせた結果、八十パーセントの確率でと出ました」
「微妙なところね」
「戦闘レベルではないのだろうな」
 艦長である。
「非戦闘モードでは、不安定になるものだろう?」
 強獣を素材としている理力甲冑騎は、レーダーに映らない。強獣の皮や甲羅は、レーダー波を吸収してしまうためである。
 だがだからと言って、機族に対抗策がないわけではなかった。それがATフィールドの検知である。
 強獣の生体組織を部品として用いている理力機械は、オーラ力を血液のように循環させることによって、仮初めの命を与えて活動させるものである。
 ATフィールドは生命が個として存在する時に発生する障壁である。仮想生命体ということで、理力機械はこのフィールドのレベルが非常に低く薄いのであるが、それでも機族の側にとって探知できないレベルではなかった。
 特にシンジは、共棲者の力を当てにしすぎていた。
 機族にとっては、まる見えも同然であった。
 テッサなどは、レーダーというものの存在は知っていても、その性能や種類まで熟知しているわけではない。あくまで神像などに装備されているものから理解しているに過ぎなかった。
 ATフィールドと呼ばれる特殊な波長のことなど知りもしなかったのである。だからこそ、シンジに警告することなど、思いつきもしていなかった。
「無理を言って、艦長に船を出して貰った甲斐があったわね」
「なぁに。この船はオーバー・ザ・レインボーだ。その名はセカンドの御座船となる船に、継承されてきたんだぞ。セカンドの系譜者である君のためなら、艦を動かすくらいわけはない」
「初代は沈められて散々だったらしいけど」
「沈んではおらん! 退役になっただけだ!」
 憤然とする艦長に副長が肩をすくめ、そしてアスカはくすりと笑う。
 機族とて広範囲を探索するには、常時警戒網を敷くなどするほかないのである。だが無尽蔵にエネルギーを自己生成できる理力機械と違い、彼らの機械は飛ぶにも推進剤が必要であった。
 機族が長期間に渡って北の地で活動しない、できない理由を、テッサたち科学に聡い者は把握していた。神像などを扱っていれば自然と身につく理解である。だからこそ、機族が常時警戒網を敷くほど執拗に行動するなど、思いもかけない異常事態であると言わざるを得なかった。
「艦長が力を貸してくれるなら派手に行きましょう」
 にやりと笑う。
「どうせ戻れば査問会議が待ってるんだから」
「せこい話だ。オーバー・ザ・レインボーの出撃など、止めようと思えば止められただろうに」
「連中も本音では知りたいって思ってんでしょうね。本物かどうか」
 艦長はうろんな目を向けた。
「サードチルドレン……君はどう感じた?」
「本物」
「系譜者やクローンでなく?」
「……そう言われるとね。あたしだって資料でしか知らないわけだし」
「なのに君は断定している。何故だ?」
「ATフィールドの感応としか言いようがないわ」
「そう感じた、か……」
「ええ。だから、確かめたいのよ」
「本国の連中に踊らされながらか。議会が黙っちゃいないな」
 一枚岩ではないということを示唆させる言葉であった。
 サードチルドレンの出現は、彼ら機族にとってはあり得ざる現象であり、同時に、長年欲していたものを手にする機会が現れたという期待をも抱かせていた。
 だがそのために威力偵察を行うということには問題がついて回ったのである。彼らはサードチルドレンが、伝承によって紡がれているような英雄ではないことを知っていた。
 エヴァンゲリオンを持たないサードチルドレンなど、ただの子供に過ぎないのだ。威力偵察をかけるなど論外であった。殺すようなものである。
 だが現場に立つアスカは知っていた。理力甲冑騎がスモールと同じくエヴァンゲリオンの粗悪品であることを。
 それがサードチルドレンの力を得た場合、どれほどの化学変化を起こすのか、すでに片鱗を目の当たりにしている。
「委員会はあたしたちの行動を追認して、議会は完全否定するでしょうね。ただし、責任についてはどちらもこっちに押しつけるでしょうけど」
「そのための追認だろう? もし俺たちが目標を消してしまったとしても、あるいはこちらが全滅することになったとしても、責任逃れをする腹を決めているのがまるわかりだよ。出撃について事前に承知していたことなど、おくびにも出さず、しらを切り通すだろうな」
「ずるっこい連中よね」
「だから好かないんだがな。さて、もし目標が『本物』であった場合、わたしの部隊も壊滅してしまう恐れがあるわけだが」
「貧乏くじを引かせて悪いわね」
「でかい当たりくじも、身を滅ぼす元になったり、敵を呼んだりと、様々だがな」
 オペレーターが会話に割り込む。
「スモール隊が発進許可を求めていますが」
 アスカが艦長に先んじて命を発した。
「先行させて。あたしも出るわ。艦長」
「母艦はこの高度で待機だ。観測用の無人機を射出。リツコとナオコを起こせ。アスカ、熱くなるな。あくまで確認が目的だ」
 アスカは答えず、身を翻した。


 シンジたちは稜線を縫うように、木々の先をかすめるほどの低空を進んでいた。
 シンジは住み処(すみか)に腹ばいになっているテッサへと振り返った。
「この先?」
「廃村があります。そこでなら休めます」
 アスカが悲鳴を上げた。飛んできた羽虫が……一抱えもあるような虫が、キャノピーにぶつかって潰れたのだ。
 シンジの左腕にしがみつき、きゃあきゃあと喜んでいるようにも聞こえる声で身をすくませる。ひときわ大きな油虫がハッチに取り付き、怖気をふるう腹部を晒してくれたとき、彼女はあまりの嫌悪感からシンジの腕に爪を立てて額を当て、目をつむった。
 わりと痛いのだが、シンジはなにも言わず、好きにさせた。
「それにしても……湖が多いな」
 シンジは照り返しの光が気になっていた。
 大きな川があるわけでもないのに、森のあちこちに穴が開いていて、その穴が光っているのだ。
「地下水脈で繋がっていますから」
「地下水脈?」
「ええ。この辺り一帯には、巨大な地底湖が幾つもあって、それらがそれぞれに大きな水道で繋がっているんです」
「この辺り一帯が、国境として重要な地点となっている理由にもなっているんだ」
「どういうことさ?」
「戦争ともなれば大きな魔法が使用される。そうなれば岩盤を壊してしまう可能性が出てくるからな」
「一つでも地底湖の天井が崩れれば、連鎖的にこの辺り一帯が崩壊する危険性があるんです」
「戦争どころじゃなくなるってことか」
「それに、地底湖の水があふれれば、地形が変わってしまいますからね。理力機械が当たり前になっても、主力はあくまで地上戦力……人と馬ですから」
 と、シンジは腕にかかっていた力と、爪の痛みがゆるんでいることに気がついた。
 アスカが眉間にしわを寄せて、目を細くして、遠くを見ようとしていた。
「どうしたのさ?」
 シンジ……と、アスカは体を前のめりにした。
「なにか来る……」
「え?」
「大きいよ……光ったりしてる。鳥じゃない」
「どこ!?」
 シンジの意識を感じたのか、ハッチ内側にいくつものウィンドウが開いて、辺りの景色をクローズアップした。
 これもまた理力甲冑騎としてはありえない機能であるのだが、いまさらテッサですらも気にかけなかった。
 もはやこの機体は当たり前の理力甲冑騎ではないと認識している。
 忙しなく、シンジの焦りを示すように、意識に連動して違和感の原因を探るようにあちこちと風景が映し出される。
「そこだ!」
 シグナムがウィンドウの一つを指さした。
 空と地との狭間で光が横一線に瞬いた。
 シンジは直感的に悟った。
「ミサイル!」
 機体に上昇を命じ、同時に盾で正面をかばい、ATフィールドも展開する。
 六本のミサイルの内、一本が直撃し、残りは近い場所で火の華となった。
 爆発の中からサーバインが姿を見せる。無傷であったが、黒の衣装は燃えていた。
「機族か!」
 外套をむしり取り、(くう)へと捨てる。
 風に乗って魔法の布は流れて飛んだ。その布が機銃によって切り刻まれる。
「空を飛ぶ機械が六! シンジ、戦うのか!?」
「無理だよ! 理力甲冑騎の飛び道具じゃ、あの速度で飛んでるものなんて落とせない!」
 絶対的に速度が違いすぎた。
 サーバインの盾に仕込まれている火炎兵器──フレイ・ボンムは空中を飛ぶ速度が遅すぎるのである。
「それにあっちは空を飛ぶ機械で、こっちは空も飛べるだけの人形なんだ。編隊を組んで来られたら、対処のしようなんてないよ!」
「なら下に……」
「爆撃されたら逃げ切れない! この森にはこもってやり過ごせるような場所なんてないだろう!?」
「なら逃げましょう!」
 テッサが提案するが、そうはさせるかとばかりに雄叫びがこだました。
『碇シンジぃ!』
 どがんっと、上方よりほぼ直角に降下してきた機体に衝突される。
 シグナムがなんだと仰天した。
 四百年前に存在したあらゆる文字が、埋め尽くす勢いでハッチに映る。
 ガウルンの時と同じ現象であるが、今度はその文字の奥に人の顔のようなものまで写り込んでいた。
 結像が甘いが、それは確かに人の顔であり、おそらくはこの文字が表している感情を放っている人物であると、想像することができた。
 同時にシグナムは、どこかで見覚えのある顔だと思った。
「アスカか!」
 シンジの声にぎょっとし、気付く。
「アスカ様に似た女!? 知り合いなのか」
「知り合いの親戚みたいなもんだよ!」
 二機は絡まり合い、螺旋を描くように落下し、それから上昇へと転じて飛翔した。
 スモールのマニピュレーターと理力甲冑騎の指が、互いを絡み取って、つかみ合う。
 力比べをしながらの飛行となった。
 どんっと腹のハッチ同士が接触する。キャノピー越しに互いの顔が見えた。
 アスカは席から立ち、ハッチに両手をついてシンジへと哄笑を上げた。
「やっぱり、あんたか!」
 通信機が繋がっているわけでもないだろうに、まるで壁などないように言葉が伝わる。
「うれしそうにしないでよ!」
「うれしいでしょう!? あんたはこの顔につきまとわれる運命なのよ!」
「冗談だろ!? 勘弁してよね!」
 同じ顔をしてるってだけで! ──そのように、やっぱり別人なのだという意味合いを込めて怒鳴り返し、シンジはサーバインに蹴り足を放たせた。
 足の爪がスモールのコクピットに突き刺さる直前、アスカは立ったまま、足先を差し込んでいたフットペダルだけを操作して、上半身を反らさせ、蹴りをかわした。
 理力甲冑騎の手を突き放し、そのまま一回転してスモールの脇腹、コクピットの左右にあるスリットから機銃を掃射する。
 弾丸が理力甲冑騎の表面で爆ぜた。割れて煙となって二機を包んだ。
 天と地、二者は二方に煙の玉をつっきり、姿を現す。
 上に出たのはサーバインだった。少し後方へ下がるように、左右に振って上空へ動く。
 スモールは逆に降下しながら速度を上げて直進した。それは生体兵器であるサーバインと、機械兵器であるスモールとの違いから来る動きであった。
 スモールは推進剤で飛ぶ機体であるが故に、戦闘速度は増速するのが基本であるし、理力甲冑騎のような不自然な軌道を描く真似はできないのだ。推進力に任せて前に飛ぶ以外の挙動ができないのである。
 ホバリングでは戦闘するに十分な速度が得られない以上、スモールの戦略は高速戦闘に制限されていた。
 エヴァを模していても、根幹は機械なのである。
 大きくターンし、加速をつけて戻ってくるスモールを、サーバインは後進しながら待ち受けた。
 小回りにおいては上回る理力甲冑騎であるが、最高速度ではスモールの推力にはかなわない。
 速度で対抗すれば追われることになる。ならば後退して待ち受ければ、相対速度を減らす形を取ることができる。
 剣を抜いて振りかぶり、交差する。
 瞬間の交錯、剣は翼を、ミサイルは衝撃でコクピットを揺さぶった。相打ちである。
 シンジは操作管の中のレバーを握り締めて耐えた。そのシンジの両肩にシグナムとアスカの爪が食い込む。頭にはテッサがしがみついた。
「邪魔だよ!」
 左右の二人は腹をシンジの肘に押され、尻をシートと壁の隙間の窪みに落とした。テッサは頭に押し返されて、ごめんなさいと謝った。
「だめだ! 無理がある! これだけ乗り込んでる状態で戦闘なんて無茶だっ、できっこないよ!」
 邪険にされても、同乗者たちは批難の声を上げなかった。
 爆発物で揺さぶられるという経験をすることによって、彼女たちは同乗できるだけの空間があることに、どれだけの危険性があるのか気付かされていた。
 隙間があれば、先ほどのような衝撃に振り回されて、辺りに体をぶつけて跳ね回ることになる可能性が高くなる。そうならないためには、がっちりと体がはまっている必要がある。
 故に、同乗できるような余裕や空間など、本来は排して設計されていなければならないはずであった。
 そこに、今は体を固定できない者たちが三名もおまけとして同乗しているのである。特にテッサは、コクピットのレイアウトについて、真剣に考えを改めていた。
 乗り込むのが貴族、騎士と言うことで、内装に凝る者たちも居る。そのためサーバイン程度のコクピットサイズが標準となっていたのだが、本気で乗り回すことを考えた場合、これでは遊びが多すぎた。
 追撃を避けるために上昇しようとすれば、六機がかりで押さえられる。低空を飛べば容赦なく相打ちまがいの決闘を迫られる。


 機族のアスカは、メインウィンドウを縦に流れる情報を目で追って舌打ちした。
「これじゃあ、この間のデータの方がよっぽど良い数値が出てるじゃない。追い込み方が足りないのか」
 前に体を倒し、左右のコントロールレバーを掴み、背筋を伸ばした。
 機首を引き上げるための操作を行う。


「このままじゃ」
 焦るシンジに、テッサが彼の右肩から前へと手と指を伸ばした。
「あの二山の間を抜けてください!」
 直感的にシンジは逆らわず、従った。
「わかった!」
 低い山であったが、その間を抜けたときシンジは驚きに目を見張った。
「湖!?」
 唐突だった。
「ここにも!?」
 川もなければ、それらしい作りもない場所に、突然円形の湖があった。
 地下水脈から水が噴き出しているのだろうか? それにしても何か不自然だとシンジは感じた。
 どこかで見た形だと思う。それが記憶の中の芦ノ湖と呼ばれた爆心地と重なったとき、シンジはそれが爆発によるクレーターだと感づいた。
(岩盤とかを抜いて、水が噴き出したのか!?)
「潜ってください!」
「逃げ場を失うよ!」
「大丈夫ですっ、底に穴が開いています! それを通って」
「こいつで潜るの!?」
 正気じゃないとシンジは叫んだ。
「正面のハッチなんて、ほとんど重なってるだけだよ!? 合わせ目からすきま風だって入ってきてるのに、水の中なんて無理に決まってるじゃないか!」
「それこそ、オーラ力だとしか言えないんですけど……」
 テッサは、そうですねと、わかりやすい言葉を選んだ。
「オーラ力は大気に紛れているものですが、空気よりもずっとくっつく性質があるんですよ。ですから水の中のように、全方位から圧力を加えられると、空気ごと(たま)になってしまうんです」
「ちょっと待ってよ?」
 さらなる不安要素を見つける。
「大気中に存在しているってことは、水中には?」
「……聞きたいですか?」
 ずーんと気分が重くなる。シンジは聞かなければよかったと後悔した。
 想像は付く。大気から吸引することができないのなら、他から求めるほかないのである。ならその他とはなにを指すのか?
 外がだめなら、内がある。
 つまり、このコクピットに座る者が対象となる。人間こそ、オーラ力の塊なのだから。
「持つと……祈っててください」
「やっぱり無茶なんじゃないか!」
「シンジさんのオーラ力なら問題ありません。むしろ問題があるとすれば、呼吸の方になるでしょうね」
 シグナムにはわからなかったが、シンジはすぐに理解できた。
 酸素かとつぶやく。
「四人だと何十分も持たない」
「浮上して、取り替えられるような空気だまりはあるんです。けど、都合良く定期的に見つかるかどうかは」
 出たとこ勝負って……と、シンジは呆れかえった。
 それを、大丈夫です! っと、テッサは根拠もなく言い放った。
「シンジっ、来る!」
「ええい! 他に手もないか!」
 やってみる! ──シンジは理力甲冑騎の高度を落とした。
 金色と黒、二色の月が浮かぶ水面にしぶきを立てて、湖面と並走し、理力甲冑騎はそのまま月の写し見を割って水中へ没した。


「嘘でしょ!?」
 アスカが叫ぶ。
「あのっ、馬鹿!」
 それも尋常ではなく焦っていた。
「ここの地下には、あの化け物がいるってのに、それを知らないの? どっちにしても」
 機族のアスカは機体に上昇を命じた。
「今の装備じゃ水中戦は……観測班っ、追える!?」
 すでに無人機で追尾中との応答があった。
 ディスプレイを開き、データを待つ。
 彼らの『目』には、地下を縦横に走っている水脈、洞窟が見えていた。
『目標のATフィールドは強力ですが、岩盤の下にまで潜られると……』
「追跡用の小型観測機をあるだけ放っておいて! わたしはオーバー・ザ・レインボーに戻る……なに!?」
 夜の端に虹色の光が広がる。
「モルモットどもの人形!」
 邪魔な! アスカは叫んだ。
「αチームはあいつらの相手をしてこの湖を確保! ATフィールドも張れないような連中よ、好きなように料理してやりなさい! せっかくここまで追い込んだのよ、逃がすもんですか!」
 飛来した四機の理力甲冑騎に三機のスモールが襲いかかる。
 最初の交錯で、あっさりと理力甲冑騎はコンバーターに機銃掃射を受け、落下した。
 それを尻目にアスカの機体は、残り三機と共に渡り鳥のような編隊を組んで、上がっていった。


 湖の底にある大穴をくぐり抜けてしばらく進むと、上部より光の差す空洞に出た。
 地上のどこかに通じているのだろう、新鮮な空気のある洞窟だった。ただし光はヒカリゴケによるもので、薄明るいという以上のものではなかった。
 切り立った鍾乳石の崖、床はこされたように選別されたさらさらの砂が敷き詰められていた。サーバインはその砂の上にへたり込むように腰を落とした。
 衝撃で生まれた波が浜を大きく打った。
 バクンとハッチが開く。
「はぁ!」
 シンジが大きく息を吐く。
 シグナムとアスカが、持ち上げられて腹の前で開かれた手のひらに移った。
 シグナムは軽く曲げられたサーバインの指を背もたれにして、寄りかかった。
 テッサも「ごめんなさい」とシンジに謝り、彼の左肩の上をずるずると這って落ちる。
 よいしょと起き上がると、彼女はシンジの足下、ハッチの縁に、シンジを見上げるように腰掛けた。
「ん〜〜〜!」
 アスカが左の手のひらの上で体の筋を伸ばしてほぐす。
 思いがけず、理力甲冑騎の水中活動についての実験も行えた。水中へ潜ると、サーバインを中心とした泡が発生したのである。テッサの話の通りであった。
「溺死してたらと思うとゾッとするな」
 シグナムはまだ指に寄りかかったままである。ぐったりとして見えるのは、ほっとしているからだろう。
「機族……待ち伏せだったんでしょうか」
 テッサの質問に、シンジはどうだろうと答えた。
「だとしたら、目的は僕かも知れない」
「アスカ様でなく?」
「彼女……怖い顔をしてたからね」
 アスカという名前の少女のことだろうとあたりを付けて、シグナムが尋ねた。
「何者だ、彼女は」
「セカンドチルドレン。エヴァンゲリオンのパイロット……の、クローンだって話だけど」
「セカンド……ということはお前の」
「先輩だよ。仲間だね」
「その複製人間ですか……機族に、人間をコピーする技術があるのは知っていましたけど」
「セカンドと僕は仲が悪かったからね……まあ、それだけじゃなさそうなんだけど」
 ふむとシグナムが考え込む。
「機族の目標は、アスカ様ではなく、お前に切り替わっているのか?」
「だったら?」
「いや……まあ、国元の連中には無駄な話だな。もしそうだと伝えたとしても、アスカ様を亡き者にしようという話はすでに動き出している」
「北に行くのは、機族対策じゃありませんものね」
「そういうことだな」
「頭が痛いよ」
 シンジはため息をこぼしてから、湖を一望した。
 綺麗な青い色の湖だった。
「これからどうするの?」
 股の間のテッサに尋ねる。
 テッサはシンジを見上げて、このまま進みましょうと進言した。
「地下水脈は複雑ですけど、この子(サーバイン)が通り抜けられる程度の道ならいくらでもあります。北に向かっていれば、いずれは」
「なんてアバウトな」
 でもと思う。
「だったら、どうして最初からこの道を使おうとしなかったのさ」
「それは……」
「北の地底湖には化け物が棲んでいる」
 シグナムが抑揚を殺して告げた。
「そういう話がある」
「そういうことか」
 化け物……とアスカが想像しようとしているのを見る。
 シンジは否定せずに肯定した。怪獣が闊歩している世界である。そのような生き物の一匹くらいは生息しているだろう。
「いるとしたら、どんな生き物なんだろう?」
(ぬし)とか呼ばれているがな。まあ、伝説だ」
 なにしろと笑う。
「誰も帰ってきたことがないというのに、どうして主なんて生き物が居るとわかるんだ?」
「ま、そんなもんだよね」
 ひとしきり笑った後で、シンジは洞窟の天井を見上げた。
「上はもう無理かな?」
「戦闘そのものが派手だったからな。地上じゃ今頃、押っ取り刀で駆けつけた理力甲冑騎で溢れかえって居るだろう」
「大丈夫かな?」
「機族は歯牙にもかけないだろうが……」
 シグナムは彼らの冥福を祈った。
 多くは事情など知らずに動員されている同僚たちである。そしてよく見知っているだけに、彼らが猪突以外の考えを持たず、玉砕する運びが見えてしまっていた。
 シンジが、幾ばくかの同情を持って口にした。
「こういうときは、慎重なくらいで良いのにさ」
「騎士は猪突猛進で良いくらいだからな」
「こっちに気付くかな?」
「機族がなにかと戦っていたのは明白なんだ。放ってはおかないだろうが」
「機族が張ってる限り、捜索隊は出せないか」
「ああ」
「でも機族の追っ手は来るでしょうね」
 気を抜こうとするシンジを、テッサは叱った。
「希望的観測はやめておいた方が良いです」
「つねに最悪の事態をって?」
「よくわかっているじゃないか」
「でも、あれだけはっきりとした大穴が開いていたのに、見張りが立てられていないっていうのはどういうことなのさ?」
「こういった洞窟はいくつもあるんですよ。普通は潜ったら、二度と出られるようなものではありませんから」
「そんなところに潜れって言ったのか……」
「信じていたからですよ」
 微笑みを浮かべる。
「通常の理力甲冑騎じゃ潜っていられる時間なんて知れていますけど、シンジさんならって。予測通りでしたね」
「魔法は?」
 これにはシグナムが答える。
「この空気だまりまでの長さもそこそこのものだったし、先に魔術の効果時間が切れるだろうな」
「それなら、機族以外の追っ手のことは考えなくても良いのか」
「水脈がどこにどう繋がっているかなんて、調べようがないんです。大規模な調査を行おうにも、樹海には強獣や危険な獣、昆虫が多く生息していますから、調査団を派遣しようものなら、どうしても兵団まで必要になるんです。だけど」
「それだけの戦力を国境に集中させると、大変なことになる」
「勘ぐられるってこと?」
「そうだな」
「ですから、普通は人が来た気配を調べて回る程度なんです」
 シンジはサーバインが腰を落としている砂浜をながめ、そして足もとを見た。
 しっかりと這いずった跡が残されている。
「機族がこんな原始的な痕跡の確認の仕方をするとは思えないけど……」
「さっさと向こう側へ渡ってしまいましょう。それが一番です」
「帰りのことは……今は考えないようにするしかないよな」
 行こうとシンジは、三人にサーバインの中へ戻るよう命じた。
 サーバインが立ち上がる。足先が波を蹴る。シンジはお構いなしにサーバインを歩ませた。
 水位が腰に達したところで、シンジはコクピット下を見た。水の侵入はなかった。
「気を張ってなくても大丈夫みたいだね」
「方角はこれを頼りにしてください」
 テッサがシンジの肩越しに手のひら大の機械を渡した。
「これは?」
「本当は出発前に説明して、渡そうと思っていたんですけど……その機械はサーバインの目と連動しています。移動している方角と距離を計測して、記録しているんです」
「オートマッピング……便利なものを」
 笑ってしまう。
「行くよ」
 ざぶりと一気に頭まで潜らせる。
 暗い水の底には、不気味な洞窟が開口していた。
 その洞窟は水道と言った状態ではなく、岩盤を何かとてつもなく巨大なものが堀り抜けたものであるかのような穴をしていた。


 シンジたちが追っ手を振り切るための決意を固め、行動に出た頃、雲の上の空中母艦では、アスカのスモールがオプションパーツの換装を急いでいた。
 そして艦橋においては、アスカが拳を振り上げていた。
 ばきりと痛い音が響き渡った。
 アスカの拳に殴り飛ばされたのは、まだ十歳にも満たない女の子だった。
 赤毛の女の子だった。白衣を着ている。その子をかばうように駆け寄ったのは、顔も格好もよく似た子だった。
 ただし、駆け寄った子の左目の下には、まるで見分けるためのように泣きぼくろがあった。
「ナオコ!」
 ナオコと呼ばれたほくろのない子がアスカを睨む。
 涙でぐしっと顔をゆがめそうになりながらも、気丈にも耐えていた。
「なにをするの?」
「ふざけたことを言うからでしょ!」
 つばを吹きかけ怒鳴り散らす。
「してやられた? このあたしが!? また負けて帰ってきたですって!?」
「逃げられたじゃない」
「その上、スモール同士だったら、あたしが負けていたですって!? あいつにスモールを与えてみようなんて、あんた正気!?」
「だって、サードなんでしょ? あんな使徒もどきのできそこないじゃ、データが取れないじゃない」
「そうやって、おもしろ半分で使徒関連技術の流出なんてやって!」
「やめないか!」
 副長が止めにかかる。
 だがアスカは引かなかった。
「こいつらはね! 頭が良すぎて数値で物事を観測することでしか物が見られないのよ! だれかが殴ってどこで歯止めをかけなきゃいけないか、教える必要があるのよ!」
 アスカは塊となって身を縮め合う二人を眺め下ろした。
「モルモットって言ったって、知能はこちらと変わらないのよ。そのくせ、倫理観念や道徳心は低すぎる! そこに使徒関連技術が加われば、暴走してなにを生み出すかわからないわ!」
 艦長はずりずりとシートの上を滑り落ち、深く帽子を被って、顔を隠した。
「だが感情任せに殴るのはよくないな。殴るのなら、なにに対して怒っているのか、正しい理屈を理解させてからだ。でないと反発を生むだけだぞ」
「恨むのなら恨めばいいわ! ナオコ! リツコ! あんたたちもアカギタイプの後を継いでいるのなら、手を貸しなさい!」
 よろよろと立ち上がるほくろのない子……ナオコが口にする。
「なにをすればいいの?」
「N2Mのロックを外して」
 ぎょっとしたのは艦長であった。
「アスカ!」
「本国の連中なら大丈夫よ」
「嘘だ!」
「あいつらは本物の碇シンジかどうか知りたがっているわ。結果として確認できるなら、N2M(ノーニュークリアミサイル)くらい、大目に見るでしょうよ」
 N2、ノーニュークリアとは、核爆発並みの破壊力を、核以外の方法によって()ることに成功した兵器の呼称である。
「そこまで執着するの?」
 泣きぼくろのリツコが尋ねる。
「どうして? そんなに似てたの? サードチルドレンに」
「でもあなたはセカンドチルドレンじゃない。セカンドのクローンなのに」
「クローンだからこそ求めるのよ」
 アスカは二人の前にしゃがみ込んで目線を合わせた。
「やつが似てるだけの人間なのか、それともクローン、コピーなのか……あるいはそれこそ当の本人なのか、それはわからないわ。だけど、あたしの呼びかけに、あいつはサードチルドレンとして反応したわ」
 だから。
「知っているかも知れない。見られるかも知れないじゃない。本国の連中が求める本物ってやつを。あいつらが求めて止まないなにかを」
 立ち上がる。
「あんたたちだってそうでしょう? サードチルドレンでないにしても、あの異常な力の発動。興味はあるんでしょう?」
「……うん」
「そうね」
「だけど、捕獲は無理よ? さっきの戦闘、あんたたちも見てたでしょ? 落とす気でないと」
 おやと艦長が大仰に驚いたふりをした。
「戦う前から負けを認めるのか? らしくないな」
「あのパッチワークの張るバリアの数値は異常よ。まるで伝説の使徒並じゃない。通常兵器でどうにかできる相手じゃないわ」
「だから非核ミサイル(N2M)を使うの?」
 格納庫では着々と改装が進められている。
 高機動型兵装(スーパーブースター)から、全天候型重武装兵装(フルアーマー)へと換装が行われ、そして終了を迎えた。
 スモール……小型のエヴァンゲリオンの胸元から下が埋まるほどの形状を持ったコンテナ。それがフルアーマーパックだった。
 両腕は背丈の半分ほどの盾で隠しているが、これは盾の形状をしたビーム兵器だった。ヴェスパーと呼ばれるものである。
 腰部両脇から極太のエネルギー供給パイプ二本ずつが、それぞれの盾の後部に接続されていた。
 スモールの腹部には張り出すような大きな装甲が取り付けられていた。まるで棚である。この棚は腰部、そして背中へと回るアーマーともなっていた。
 その背中側には六つの筒。羽のように広がっているが、これは増槽(プロペラントタンク)だった。そんなタンクを挟む形で、首もとのアーマーを固定部に、肩の部分に巨大なミサイルコンテナが接続されている。直立した状態では、やや前に倒れる角度で固定されていた。
 コンテナの大きさは盾に匹敵する長さであるが、入っているものがミサイルであるために、太さは三倍はあった。
 このコンテナの背部にはスリットがあり、ミサイル発射時の噴煙を吹きだすようになっている。外側には機動用のバーニアがあった。
 そして足は、片足ずつ、真四角に近い箱に包まれていた。後部には噴射口が四つ並んでいる。
 首の真後ろには煙突があった。これは前に倒れて、頭を隠す仕様になっていた。煙突の倒れる支点部からは、背骨の上を流れ落ちて、尾てい骨に当たる部分から、そのままバランサー代わりの細くて長い尻尾を伸ばしている。この尻尾はATフィールドの偏向装置を兼ねていた。ATフィールドを意図的に歪め、推進力としてエネルギーを放出する装置である。
 どこを撃ち抜かれても、ビームのエネルギーあるいは弾薬が誘爆して、本体は火だるまとなるような危険な強化ユニットであった。
 これはATフィールドによってあらゆる攻撃を無効化し、対処できるという条件があって、初めて運用が許されるような代物であった。

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