「なんなんだよ、いったい……」
予想できない展開となった。
連行された場所は、城壁に囲まれた街の、その奥にある神殿であった。
山を削り崩して作られた神殿であった。神殿と言うよりも宮殿と言った方がしっくりとくる作りである。
上層は空中庭園などもあるようだが、中層は棚のような空洞が左右にずれながら何段か積み重なっていた。
まるではちの巣の入り口である。
空洞は空を飛ぶもののための駐機場となっていたようで、サーバインとスモールは、そんな格納庫へと誘導された。ただし、駐機場所は別の層であったが。
シンジはヘッドレスト脇にあるテッサの顔に右頬を当てて呟いた。
「空を飛ぶ機械は最近のものだよね?」
「はい」
「だけどこの格納庫って、もっと古いんじゃないの?」
「昨日今日のものじゃないです。五十年、百年ってくらいの……」
それはつまり、この宮殿に住まう者たちは、古くから『空を飛ぶ者たち』とのつきあいがあるという話に繋がった。
理力甲冑騎が普通に立って入れるような天井。それを支える柱。そしてどのような意味があるのかわからない石像群。
そんな石像の狭間に、シンジたちは立たされていた。
奥には祭壇があった。二メートルほどの高さの位置に作られている。
そこには偶像がまつられており、十二枚の羽根を開いた少女の像がかざされていた。
どこかで見たような髪型だとシンジは思った。
祭壇前には少しばかり広い棚があった。
神官たちが、そこで誰かを待っている。
シンジとカヲル、機族のアスカは、その棚の前に並んで立っていた。
背後にテッサ、小さなアスカが控えている。シグナムの姿はない。彼女は仮面を付けて、サーバインの元に残っていた。
今更であるが、渚カヲルが出てきたことで、そのような立場を取ることにしたのだ。
小さなアスカとテッサの視線は、自然と機族のアスカへと向いていた。
後ろからその横顔を覗き見ていた。
赤く長い髪。
すっと通った鼻梁。
そして青い瞳。
素裸の線をそのまま浮き彫りにしている、不可思議な光沢の赤い服。
なるほど似ているとテッサは思った。
小さなアスカに。
機族がどうしてアスカをさらおうとしているのか。その理由についてはもう理解している。
こうまで似ているのなら、その内面、霊的なものまで酷似しているという話は、理解できないことではなかった。
一方で、前列の三人は、三人でなければ通じない話を行っていた。
「なんでここにいるのさ」
「僕は使徒である前にチルドレンだからねぇ……それも本物の」
「どうしてここで出てくるのかって意味なんだけど?」
「ふん。巫女気取りの女に懸想されてるって噂は、本当だったのね」
「釣れないねぇ。僕と君の仲じゃないか」
「そういう仲なの?」
「違うわよ!」
じゃあどういう仲なんだろうと思うが、シンジは『惣流・アスカ・ラングレー』に対する苦手意識から追求できなかった。
怒鳴られると、つい引き下がってしまうのである。これはもう習性であった。
その代わりにと口にしたのはカヲルである。
「君たちこそ、どういう関係なんだい?」
「どういう意味さ?」
「さっきまでは殺し合いをしていたのに、今はこうして並んで立っている。大人しくね」
二人は顔を見合わせた後で、同時に言った。
「そう言う状況じゃないだけだろ?」
「そう言う状況じゃないだけよ」
言葉が被さり、お互いに渋面を作る。
「真似するなよな……」
「真似しないでよね……」
そんな様子に、カヲルは含んだものを持って笑う。
「仲が良いねぇ」
「「誰が!」」
反応の仕方が、一つ一つ、本当にアスカに似ていると、シンジは感慨を持った。
しかし違う点もある。
「作戦が中断された以上、仕方ないだけよ!」
「君たちが? 従うっていうのかい? 機族が彼女たちに?」
アスカは口ごもってしまう。
シンジは興味深げに観察した。しかし表面からでは、彼女の複雑な立場は理解できるものではなかった。
彼女は今、独断での行動中である。
サードチルドレン・碇シンジの追跡調査については、黙認の形で許可を与えられているが、あくまでも表向きは独断ということになっている。
母艦は彼女の行動を追跡しているだろうが、それもいつ本国へ呼び戻されるかわかったものではない。
そうなれば、この地に一人取り残されることになるのだ。使徒を従える北の者たちを前に、下手な動きをするわけにはいかない。
彼女はクローンでしかなった。予備の居るクローンである。
今は最上位の個体として好きに行動を許されていても、いつ見限られるかはわかった物ではない。
放棄される可能性もないではないのだ。だから北の国ともめるほどの大きな騒動を起こすわけにはいかず、ある程度は妥協して見せなければならなかった。
「なるほどね」
そんなアスカの事情を深読みし、カヲルは勝手に納得する。
「機族としてもと言うことか」
だが理由を読み違えたらしい。アスカはそれを訂正せず、シンジは気にはなったが、問わなかった。
「使徒……か」
機族としてもというのなら、考えられる理由はそこにしかなかったからである。
「気になるのかい?」
「それは……」
……という会話の邪魔をするように銅鑼が鳴った。
「ファーストチルドレン──レイ様である!」
シンジはその名に、顔を跳ね上げた。
──しずしずと現れた少女は、その身に真っ白な衣を纏っていた。
右の柱の影にある通路から、祭壇の前へと横に歩く。
少女の顔は薄絹のかぶり物によって隠されていたが、白い前髪がわずかに揺れて見えていた。
正面、壇上に立つ。
お付きの者がそのヴェールを上げ、皆に顔を見せた。
白い髪に、赤い瞳。
しかしその顔を見て、シンジは思わず、「え?」とこぼした。
必死に笑いをかみ殺しているカヲルの姿が目の端に止まる。
カヲルはしぃっと、黙っているよう、人差し指を唇に当てて見せた。
かつんと、神官の中でも上位にあたるのであろう女性が、錫杖の尻を石畳に打ちつけた。
注目せよということなのだろうが、シンジはいぶかしむことに夢中で、挙動に不審さが現れていた。
レイを名乗る巫女姫と目が合った。
交錯は一瞬だった。
しかしその少女はなんの感慨も浮かべずに、シンジから視線を外した。
いや、素通りした。
少女はただ、一同の顔を右から左へと眺め見ただけだったのである。
少しだけ反応があったのは、視線がカヲルの前を過ぎるときであった。わずかに瞳孔が収縮したのだが、これも知った顔に対するものではなかった。
何かを感じ取ったために出た反応に見受けられた。
一方でシンジも、彼女の瞳から、強さも、暖かさも……そして冷たく凍てついた心も、特になにも感じ取れず、なによりも……と、我慢ができなくなって、声を潜めて問いただしたのである。
「綾波だって?」
カヲルへと囁くように尋ねる。
「どこが?」
カヲルは苦笑が本当の笑いになってしまう寸前で堪えていた。
耐えるのに必死な様子で震えている。
冗談じゃないのかと、シンジは巫女姫へと目を戻した。
何度も見ても……その顔は、綾波レイとは似ていなかった。
ふと、彼女の右の手首に目が行ってしまう。
少女はブレスレットをしていた。プレートの両端がチェーンで繋がれ輪になっているもので、鎖を二重三重に巻いて手首に付けていた。
(なんだか……)
兵士が首に付けているタグのようだと思う。
もう一度錫杖が打ち鳴らされた。
神官に当たるらしい……シンジには巫女や神官と言った人間の違いなどわからなかったが、とにかくえらそうだと思える人物が巫女姫の前に立った。
彼女のことを、シンジは自分と比べて、年下かなと考えた。つまり、中学生くらいの年代だろうとあたりを付ける。
髪は短く、首の後ろ辺りで揃えられていた。巫女姫を除くと、一人だけフードを外して顔を見せているため、酷く立ち位置が目立っていた。
そう言えば、と、シンジは顔をしかめるように目を細めた。
(この子だけ、他の子とは顔が似てないな……)
髪や肌の色もしっかりとしていた。
その女の子が口を開く。
「サードチルドレン」
無音の空間に、少女特有の高い声が響き渡る。
「前へ」
シンジは迷った末……前に出なかった。
少女は顔をしかめた。
消去法で行けばシンジ以外にはあり得ない。他に男はいないのだから。
小さなアスカとテッサは戸惑った目をしてシンジを見ている。機族のアスカはどうするのかという観察の目でシンジの横顔を盗み見て、カヲルはと言えばただただ笑っていた。
少女神官は小馬鹿にされたとでも思ったのか、ムキになったようだった。シンジを視界に入れないよう、目をカヲルへと向けた。
隣にいるのだ、その目の合わせ方は不自然ものになった。
「フィフス様」
「なんだい?」
「サードチルドレンの来訪。フィフス様のお話ではありませんでしたか?」
「確かにね」
「なら、その者は?」
「さあ?」
肩をすくめる。
瞬間、少女神官のこめかみに血管が浮いたように思えた。
それほどに引きつったのである。
ならばと彼女は言葉を換えた。
「灰の都市。聖地でのあなた方の振るまい。それは許されざるものです。サードチルドレンであるのならばと事を収め、この場へと……」
「まるで自分が全権を握ってるみたいね」
機族のアスカである。
「穏便に済ませてやろうと思ったのにって? 何様よ、あんた」
なんで怒らせるんだよとシンジはため息をこぼした。
にらみ合う二人の間に、邪魔をするように立つ。
「僕たちは、ただ、コウゾウ様の信書を届けに来ただけです」
少女神官は、アスカへと向けていた剣呑な眼差しのままでシンジを見た。
「何者です」
「使いの者です」
あくまで、名は名乗らなかった。
信書をと、シンジが蝋で封をされた巻物を見せると、少女神官は控えていた神官の一人に、それを取るよう促した。
その封書が彼女の元へと届く間に、カヲルはシンジへと問いかけた。
「あれ……何が書いてあるんだい?」
シンジは逡巡したものの、まあ、言っても良いかと口を開いた。
「僕を騎士として認めてくれって書いてあるんだよ。あの子のね」
カヲルは背後の幼い子供の顔を見て、目を丸くし、仰天したままの表情をシンジへと戻した。
大きなアスカについても似たような顔をして、まったく同じような意味合いでうめき声を上げた。
「まさか」
「うそでしょ?」
二人とも揃って声を無くす。
ややあってから、機族のアスカが、ふざけた話だと吐き捨てた。
「なんのために……北の国にって思っていたけど、まさか、そんなことのためだったなんて……」
「そんなことってなんだよ」
むっとする。
「元はと言えば、君たちがアスカを狙ったりするからだろう?」
「狙った?」
「だから国の中がもめ始めて、アスカを守ってくれる奴が必要になって……」
「ちょっと待ってよ」
なにか、誤解があるなという顔をする。
「狙う……ってどういう話よ?」
「え? だから……」
「確かに」
背後をちらりと見る。
「あの幼体を引き渡すよう要求は出しているけど」
「幼体って……」
「こっちはただ、回収に……」
アスカは、口を滑らせてしまったと思ったようだった。
ふとシンジは違和感に襲われた。
(あれ?)
そう言えば……と考える。
(僕たちは、アスカを引き渡せって、言われたことがない?)
突然、口をつぐんだ彼女に変わって、カヲルが問いただす。
「君は、自分でなにを言っているのか、わかっているのかい?」
「なにって……」
「いや、君自身というものをわかっているのかって、聞いているんだよ」
わかってないと同意するアスカに、シンジは二人ともなんだよとむくれた。
「僕だって、断ったんだ。でも関わっちゃったんだから仕方ないだろう?」
「他にも方法はあったでしょうが」
「君になにがわかるんだよ」
拗ねるように言う。
「今の僕にはなんの力もないんだ。頼れるものもない。だから」
「力がないだって?」
カヲルは目つきを鋭いものにした。
「それはなんの冗談なんだい? ……アスカ姫」
カヲルは振り向いて、小さなアスカへと問いかけた。
その声は大きく、巫女や神官たちの注目を引いた。
小さなアスカは、カヲルに見下ろされて身構えた。
だがそれは、知らない人に対してのおびえではなかった。彼女は渚カヲルという個人の得体の知れなさを知っていた。
生身でサーバインと渡り合える化け物であると、アスカは知っている。
だからこそ恐怖に膝が震えるのだが、それでも「なに?」と、彼女は問い返した。
負けるものかと、震える小さな拳を握りしめ、ぎゅっと唇を噛んで耐えて見上げた。
そんなアスカに、カヲルは、君が手に入れようとしている物の価値を知っているのかと問いかけたのである。
「価値?」
「そうさ」
カヲルは笑みを深めた。
そこには柔らかなものはなく、深い冷たさだけが込められていた。
凍てついた、蔑んだ目で、アスカを見下す。
「君は本当にわかっているのかい? 彼を手に入れるということが、世界を手にするのと同義であるということを」
そんなカヲルのシャツの襟首をつかみ、やめなよと、シンジは引っ張った。
「君がなにを言っているのかわからないよ」
「わからない?」
「本当にわかんないの?」
機族のアスカまで呆れかえり、カヲルは、では教えてあげようと、大きな手振りで語り出した。
「かつてこの世界は、とてつもなく大きな力によって蹂躙されて、滅ぼされた」
「なんのことだよ」
「サードインパクトのことを言っているのさ」
そしてと天井を指す。
「空を見てごらん? そこになにがある?」
「なにって……」
シンジは石の天井を見上げて、はっとした。
その向こう、天空に浮かんでいる、異質な物体のことを思い出したからである。
イメージが構築される。
巫女姫が使徒を呼び出したとき、空に何があったのか。
黒い空間。あの巨人は、そこからまるで、あちら側の空間そのものが形を成すように現れてはいなかっただろうか?
「まさか……」
そう……と、カヲルは首肯する。
「彼女はいまもただ一人、あそこにたゆたっているんだよ」
シンジは闇の月の正体に愕然とする。
「あの闇の中にいるの? ……初号機が。母さんが」
世界が滅んだとき、一人天へと去っていったはずの人が、まだそこに居るという。
そんなシンジの独り言に、カヲルが一つの名を追加した。
「彼女も、だよ」
それが誰のことかなど、考えるまでもないことだったが、シンジはいぶかしげにつぶやいた。
「綾波のこと?」
シンジのつぶやきに、巫女姫がわずかな反応を見せる。
だが気付いた者は居なかった。
カヲルは続ける。
「この次元において、初号機の力は神の域だよ。人の手には余る代物であり、そして君の呼びかけになら、きっと応えて現れるだろうね」
巫女姫が使徒を降ろすようにと口にする。
だがシンジには信じられない話であった。
「まさか、そんな」
機族のアスカが補足する。
「あんたの記録、読んだことがあるわ。搭乗もしないで反応させたことがあるらしいじゃない」
それも、一度や二度では無くと。
シンジは口元をゆがめて否定した。
「でも僕は」
いいやと、カヲルは話を曲げることを許さなかった。
「するとか、しないとか、そんなことについては考えるだけ時間の無駄だよ。できる、できないの話をしているんだからね」
だったらと、シンジははっきりと宣言した。
「なら、やらない。これでどうだよ?」
カヲルは露骨な態度で、それはどうだろうとあざ笑った。
「人は追い詰められると、すがってしまう生き物だからねぇ」
シグナムとやり合った時のことを言っているのかと思ったが、そうでもない様子だった。
(あの時は、僕たちの決着を見ないで引き上げていたのかな)
たとえ見られていたにせよ、あれはすがったわけではないし、『彼女』が勝手にやったことでしかないのだが、シンジはもう一つ、大事なことに気がついて、そちらに気を奪われてしまった。
(僕の中に綾波の……綾波の魂を受け継いだ子がいるってことに、気が付いてないの?)
そのカヲルが、壇上の人々を見上げた。
神官が口を開く。
「その者がサードチルドレンであると?」
「僕はそうだと言ったよ?」
カヲルはにやにやと巫女姫を見上げる。
「僕の言葉が信じられない?」
その視線を遮るかのように神官が立つ。
答えようとした巫女姫をとどめ、神官は口を開いた。
「その者が、なににふさわしいというのです?」
小さなアスカがカヲルを追い越し、悲鳴を上げるように叫んだ。
「わたしの、騎士に!」
彼女は小さな体で力一杯に訴えた。
「シンジは、助けてくれた! 何度もっ、命賭けで!」
だがそれは感情任せな発言に過ぎなくて、神官の心を揺さぶるようなことはなかった。
神官は諭すように伝えた。
「力とは人格を表すものではないのですよ。幼いセカンド」
たしかにと口にしたのは機族のアスカであった。
「パッチワークで多少強いATフィールドを張れるくらいでは、サードチルドレンとは言い難いわね」
そこから離れてよとシンジはため息をこぼした。
「サードチルドレンとか、どうだとか……そういうのとは関係ないだろ? この話はさ」
アスカはふぅんと、小馬鹿にするような目を向けた。
「じゃあ、ただの人間風情がって、言って欲しい?」
やめてよとシンジ。
「そういう話をしてるんじゃないって言ってるんだよ」
「じゃあどういう話なのよ」
「騎士にふさわしいかどうかって話だろ?」
「はん!」
手を打つ。
「あんたの取り柄なんて、あのパッチワークの操縦くらいのもんでしょうが!」
しかしとカヲル。
「機族の機体と張り合えるとなると、無視はできないさ」
「手加減してやってたのよ!」
アスカはムキになって突っかかっていった。
「殺したら元も子もないから、戦闘だって合わせてやって!」
ぼそりとシンジが毒を吐く。
「N2まで使おうとしたくせに」
カッとアスカは赤くなった。
「しょうがないでしょ! あんたが常識外れなATフィールドなんて使うから!」
はいはいとシンジは手を広げて肩をすくめる。
「それって僻み?」
「僻んでないわよ!」
カヲルはくつくつと笑った。
「仲が良いねぇ」
「だからっ、誰がっ!」
カヲルへと矛先が移ったのを幸いに、シンジは巫女姫の表情をうかがった。
だが巫女姫の顔にはなんらの変化も感じられず……。
むしろ、黒髪の少女神官の目つきが、自分たちのことを蔑むかのようなものになってしまっていることの方が、気になったのであった。