「やっぱり、特別待遇ってことだよね……」
与えられたのは、牢屋よりはマシという、石室だった。
山側であるから窓もない。いや、扉に小窓が付いていた。そしてその窓は外から開けられるようになっていて、内側からは閉められないものだった。
どう見ても監視用の窓である。
それでも牢屋でないと思えるのは、出口がうすい木の扉であったからだった。
魔法がかけられている様子もない。簡単に蹴り破れるほどに薄いものだ。
もっともそれが、外から聞き耳を立てるのに楽だから、という理由ではないという保証はなかったが。
天井は、ベッドに腰掛けていないと、頭が当たってしまうほどに低かった。
小さな台があって、水差しとコップがあったが、水の汚れ具合に、シンジは飲むのを諦めていた。
これなら庭園の水路から口に含んだ方がマシだと思える透明度であったからだった。
嫌がらせなのだろうなと思う。カヲルの部屋でアスカが飲んでいた水は、とても澄んでいたからだ。
「巫女姫とはどういう関係なんだろうな。あいつは」
口にしたのはシグナムである。
二人は並んで寝台に腰掛けていた。他にくつろぐスペースもない。
しかしその寝台も、シンジが横になれるぎりぎりの長さのものである。シグナムでは足を曲げなければならないだろう。
そんな台だから、自然と腕を触れあわせる距離で熱を感じ合っていた。
いっそ外に出た方が楽であったが、あまり勝手に動き回ってもまずいという判断を働かせていた。それに、ここ数日で、いやというほどお互い人には見せられない姿を見せ合ってきている。
この程度のことに気を回すような感情は麻痺してしまっていた。
「あの男、アマルガムの首領だと思っていたが……そういうわけでもないらしい」
もちろんカヲルのことである。
「聞いたの?」
「こっそりと教えられたよ。スポンサーに過ぎないとな」
「先手を打ってきたわけだ……」
「騒がれては困ると思っているわけでもないだろうが」
不思議だという。
「スポンサーだというのなら、その資金源は? 背景はどうなっているんだ?」
結局は、どこの誰だという話になった。
フィフスチルドレンであるから豊富な資金を蓄えている……という理屈は成り立たない。
活動資金を提供しているのなら、その金銭を得るための方法をもっていることになるのだから。
そうなれば、彼には『表向き』の立場があるはずであった。
「あの容姿だ、それだけの資産を運用しているのなら、噂ぐらいは聞こえていても良さそうなものじゃないか?」
シンジはどうだろうと、後ろに手を突き、天井を見た。
乾燥のためかひび割れていた。
空気を逃がせる場所もないのに、蝋燭で明かりを取る部屋だからだろう。
「僕にはその辺のことはね……」
酸欠が怖いため、シンジは火を使わずに、シグナムに照明の魔法を頼んでいた。
天井を鬼火がふよふよと漂っている。
そうかと、シグナムはそんなシンジの顔をのぞき見て、鬼火の姿を遮った。
シンジはシグナムの唇を見ながら、聞いたのかと尋ねた。
「闇の書については?」
「……研究班を入れるつもりがあるのならと言われたよ」
「つまり、仕事として頼めってことか」
「信用できるかと問われた気もしたよ。到底無理な話だな」
「信用ねぇ……」
「闇の書は心臓そのものだ。お前も信頼できる人間を見つけられるかどうかと言っていたが……。確かに手段は見つかったが、難しいな」
行き詰まったなとシンジは嘆いた。
問題を解決できるとわかったというのに、その手段にも方法にも手が出せないのである。
「降ってわいたって言うのはこういう状況だと思うんだ。でも」
「こちらの状況を知られるのも面白くない……まあ、片側には知られて……見抜かれてしまっているようだが」
カヲルのことである。
シンジは機族の側のことを問題視した。
「機族が闇の書の存在を知っているのかどうかってこともね。もし知らないんだとしたら、知られるとやっかいなことになりかねないし」
「どういうことになるんだ?」
これには想像が追いつかなかったらしく、シグナムは半身を捻って、シンジの胴体を挟むように腕をおいた。
シグナムの胸がシンジの胸に乗る。重いなと、柔らかさよりもそちらを気にするシンジである。
「……持って行かれちゃうかもしれないってことさ、丸ごとね」
ああ……と彼女は納得して身を離した。
元の状態に戻って、顎先に手をやり、考え込む。
「しかし、存在を知られていないとも思えないんだが……」
「今まで放置されてきたわけだからね……知ってて放置してるのかどうか」
これだけ世界が変化していると、見失っている施設や行方不明として処理されている設備の一つや二つはあるかもしれない。
シンジもまたシグナムのように体を起こして悩み込み、そうだと別の問題を思い出した。
「カヲル君と機族、それに巫女姫がどの程度のつながりなのかもわからないんだった……」
シグナムは考えてもいなかったことであったらしく、シンジに説明を求めた。
「どういうことだ?」
「どの程度の情報って言うか、常識を共有してるのかとかさ。アマルガムに、北の国に、機族と」
納得する。
「ああ、そういうことにも気を配るべきなのか……そうだな。裏で繋がっていたり、密約がかわされている可能性だって」
「大丈夫かな……あの二人」
シンジが心配したのは、ここにはいない二人のことであった。
巫女姫の元へと、陳情に向かったのである。
時間を無駄にしたくないとアスカがごねたためであったのだが、密約のようなものがかわされているとなれば、なにを訴えたところで受け入れてはもらえない可能性があった。
特に、焦りの見えるアスカのことを思い浮かべる。
彼女には、まだそう言った裏の事情を読むようなことはできないだろう。発想もないはずだ。
対立しているもの同士が、影ではなれ合いを演じている。などという話は。
アスカはここのところ一気に大人びたが、それはあくまで雰囲気の話であって、情緒面での成長が、感情の抑制に繋がるかと言えば、それはまた別の話なのである。
視野が広がったために、今までは見えてなどいなかった、理解しがたい状況、情報を手にし、感情的に陥る。ということもある。
あの子のことを、テッサが押さえきれるだろうかと心配する。
「しかし、わたしは公式には存在しない人間だからな」
そう言って、シグナムは口を濁し、あの白い仮面で、顔半分隠してみせる。
ついて行くわけにはいかなかったという、言い訳に過ぎなかった。
その仮面を取り上げる。
「これも今更って感じだけどね」
ベッドの端に放り捨てた。
その仮面の動きを目で追ってから、シグナムは口にした。
「機族のアスカ。確かに似ていたな。ちい姫に。アスカ様に」
「アスカ様は先祖返りってことらしいけどね」
ただ……と、思う。
「アスカの……機族のアスカの話が本当なら、あの二人って、姉妹とか、親戚とか、親子とか……そういう関係になるんじゃないのかな……」
シグナムは一瞬驚いたが、クローンというものに対して得た知識を掘り起こし、そうなるのかと納得した。
「機族のあの娘と、アスカ様のお母様とが同じ生まれだとしたら、そうなるんだな」
「おばあさんとか、ひいおばあさんとか、もっともっと前の人がそうだったかもしれない。って程度なのかもしれないけどね」
機族の側が何代前までの血統を把握しているのか、どういう基準、水準で判断して、回収のための対象としているのか。
どういう方法で検査して、確認を取っているのか。調査している者がいるのかどうか。
(協力的だとも言ってたし)
なら連絡を取る手段を持った、『草』のような一族もいるのかもしれないし、あるいは帰化して連絡を断った者もいるのかもしれない。
あらゆる事に対して、想像が追いつかない状態だった。
「アスカ様のお母様……キョウコ様が、市井の出であることは知られている話なのだが……」
「一般人だったってこと?」
「理力甲冑騎に乗ることができて、騎士として認められたらしい。いや、逆だったかな? ともかく、そういった流れから、陛下に……当時は王子だったわけだが、見初められてな」
「凄い人生だね、それって」
しかし『アスカの血族』であるのなら、理力甲冑騎とのシンクロはあり得て当たり前の話であった。
「で、な?」
これは興味本位で尋ねるんだがと、シグナムは声を潜めた。
「本物のセカンドチルドレンとはどうなんだ?」
「彼女?」
「ああ」
「似てるよ、すっごくね」
「ではレイ様は?」
「…………」
そうかとシグナムは納得して見せた。
口にするほど不用心ではない。
代わりに、ショックだったようだなと、シンジの頭を抱くようにして彼の髪をかき回した。
「知らなかったんだな」
シンジは彼女の脇の下から、胸の上に頭をもたげ、ため息をこぼした。
「綾波の……ファーストチルドレン信仰ってなんだよ」
「ファーストチルドレンが実は人類の始祖であったというのは定説だからな」
しかし……とシグナムは言う。
「お前たちの話を聞くと、違った考え方も浮かんでくるが」
「どういうことさ」
そうだなと考える。
「始祖、とは、つまり最初の人間ということだろう?」
「うん」
「しかし科学的には、始祖などというものは存在しないじゃないか?」
「まあね」
「となれば、始祖というのは、命の元になったもの、という考え方が正しくなるとは思わないか?」
「つまり?」
「一個の生物として考えるから、想像が面倒なことになるんじゃないのかと思ってな」
「え?」
「完全な存在……な。それはわたしたちが想像するような形ではなくて、もっと純粋な、ただのエネルギーのようなものなんじゃないのかと思ったんだ」
シンジは想像し、そういうことならと思い至った。
「生物の誕生はアミノ酸から始まったんだっけ……」
(使徒がそのアミノ酸の、さらに大本だったとしたら? 人間って定義づけられるのはなにも僕たちだけじゃないもんな)
鳥、魚、昆虫、動物……全ての命があるものが広義においては人間ということになってしまう。
(だからセカンドインパクト、サードインパクトでは、命とか魂があるってされていたものは根こそぎ……)
シンジは自分の想像にゾッとした。
(……こね直されたとしたら、それに相当するものが生まれてる?)
セカンドインパクトで生まれたものなら想像が付いた。
ジオフロントの地下に収められていた使徒、リリスである。
ならサードインパクトでは?
シグナムの言葉が、その思考を遮った。
「だとして、ファーストチルドレンが本当に始祖であるのなら……」
「ん?」
「つまり、この世界の使徒だということになる」
シンジは首をかしげた。
なんのための確認なのかわからなかったからだ。
「それが?」
「レイ様のお力のことだよ」
使徒を降ろす力のことである。
「わたしたちは異界の神を降ろす力として認識している。……まあ現実に見たのは初めてなんだが」
「噂程度のことは知っていたって事?」
「ああ。そして降りてきた神のことを、お前やあの二人は使徒というんだが」
「そっくりだからね」
「機族の子のことはわかる。だが彼の方はなぜ断言できるんだ?」
どうするかな、とシンジは悩む。
そんなシンジの様子に、理由を知っているのだと見て取って、シグナムは探りを入れた。
「フィフス様と呼ばれていたな、彼は」
「その通り、フィフスチルドレンだからね」
「しかし、フィフスチルドレンは、お前と同じ、四百年前の人物だろう?」
「だって、カヲル君は……」
シグナムには話しておくべきかと、シンジは判断した。
「カヲル君も、使徒なんだよね」
これは驚いたらしい。
「なっ!?」
立ち上がり、頭を天井にぶつけた。
ごぃんと音が鳴って、ぱらぱらと土が落ちた。
「だ、大丈夫?」
「もんだい……ない」
涙目でうずくまっていたが、ややあって顔を上げた。
「彼が、使徒だって?」
「う、うん……君もあの力を見たはずだろう?」
本当に大丈夫かと冷や汗が出る。
「別の世界の神さまで、一度は僕が殺したんだよね」
「お前が? ……ああ、そうか、お前は」
サードチルドレンだったなと、シグナムは立場を思い出し、同時に、だからかと納得した。
初めてシンジを見たときの、夜空でシンジを見つけて顔を歪め、大笑いをした渚カヲルのことを思い出し、そういうことかと理解する。
あれは縁といったものに対してのものだったのだろうと。
シンジはシグナムに、だから生身で戦おうなどとするなと忠告した。
「それほどなのか、彼は」
「伝説のエヴァンゲリオンと生身でやり合えるって言えば、すごさもわかるだろ?」
そう言えばと思い出す。
「サーバインの剣を生身でさばいていたな」
アスカの他に見ていたのは、彼女と、あとはどこにいるのかわからないソースケだけである。
「遠目だったが……あれは凄かったな」
「うん……。こっちの攻撃が全部いなされてたよ。カヲル君は、この世界で存在を保ち続けるために、常に力を使ってるっていうのにさ。それなのにあの強さだよ」
心の壁。
ATフィールド。
自分という形を常に作り続けているのだとシンジは直感する。
「彼も使徒だというのなら、巫女姫が?」
いいやと否定しようとして、シンジは果たしてそうなのかと悩んでしまった。
「シンジ?」
(元々はゼーレとかって組織の遣いだったんだよな……)
首を捻るシグナムの声にも反応を返せなかった。
使徒を降ろす、という行為については、それほど特別なものではないのかもしれないと思ってしまったのだ。
(もしかしたら、使徒は意図的に呼び出されて、僕たちはそれと戦わされていた?)
過去にはそのような降臨を促すための技術があったのかもしれない。
もしそうだとすればと、思考を深める。
(なんのために? 儀式をやるだけなら別に戦う必要なんて……いや、エヴァを作るための理由が必要だったのかな? 戦闘で危機感を煽ってお金を出させてエヴァの建造を……? それにしたって初号機の戦闘は急だったし、もしあそこで終わってたらもう意味なんて……。使徒を倒さないとっていうのなら、せめて武器くらい完成してからでもよかったはずだし)
この考えは飛躍のしすぎだなと放棄した。
「シンジ、どうかしたのか?」
なんだ? 話せと言うシグナムの鋭い視線に、シンジは焦って生返事をしてしまった。
そのために、なにか大事なことをもう一つばかり気付きそうになっていたのだが、そのまま流すことになってしまったのだった。
ともかくと、今は別の話でごまかしておくことにしたのであった。今更の話をしたところで意味はないのだし、だからと言って、なにか話さないと、ごまかしたと思われそうな雰囲気があったから、シンジは思いをはせるきっかけになった部分にだけ触れることにしたのであった。
「カヲル君なんだけどさ」
渚カヲル──フィフスチルドレンは特別な個体ではあるが……それでも彼らから聞かされた使徒の正体についての話が本当のことならば、使徒をこの世に降ろすためのメソッドは、彼ら自身が降臨する際のプロセスとは、まったく異なるものである。
(巫女姫の力だと、あの黒い月みたいなのが足かせになってるような形でしか、使徒を呼び寄せられないみたいだったし)
だが彼は完全な形で降臨している。
ならば彼は、別の方法、手段で再降臨を果たしたのだろうと想像できた。
「ここの人たちは、カヲル君のことを認めていたろ?」
「それが?」
「うん……フィフスチルドレンとして敬意を払っているのか、それとも使徒として崇めているのか、どっちなんだろうってさ」
それは確かに難しいとシグナムも悩む。
「どちらかといえば、神にというよりも、チルドレンに対して、というスタンスに見えたがな」
「それなら良いんだけどさ」
「なんだ?」
「ファーストチルドレンを信仰してて、ファーストチルドレンが使徒だってわかってるんなら、他の使徒に対しても腰を低くしてるだなんて、裏切り行為なんじゃないかって思ったんだよ」
「裏切り?」
「使徒は世界を取り合ってるんだよ? 次に成長……進化できる住み処をさ」
「ああ、そういう話だったな」
「元の世界が息苦しくなって、新しい世界でも、限界にまで成長するつもりなんだよ。だから他の存在を排除して、自分のものにしたがってるんだ」
そしてそこにリリスが使徒を惹きつける理由が、そしてリリスを守らねばならない理由があった。
カヲルたちの話からすれば、リリスは集団の長、中心として、使徒には見えていたのだろう。
それは実際にその通りで、どれだけの犠牲を払ったとしても、守りきらねばならない対象には間違いがなかったのである。
「それはこの世界でも同じなんだと思うんだよね。なのにさ」
シグナムはシンジの懸念に気がついた。
「つまり、崇めている使徒であるファーストチルドレンのものであるこの世界に、別の世界の神が存在していることを容認するだなんて、危険すぎると、そういうことか……」
「その上、使徒を降ろしてるだろ?」
力を借りるつもりで呼び出して、滅ぼされることになるかもしれない、という考えであった。
しかしなとシグナム。
「その説明には、想像や、空想がだいぶ混じってるんじゃないか? 彼らと話すまで、使徒や使徒との戦いについて、そこまでわかっていたわけじゃないし、詳しく聞いたと言っても、細かいところは脚色してのものだったんだろう?」
「それでも大筋では当たってると思うんだけどな」
「だが、だったらリリスとやらはどうなるんだ? 母なるものの存在だなんて話は、聞いたことがないぞ?」
「それなら、あそこに居るらしいから」
そう言って天井に指を向ける。
もちろん、黒い月のことを指している。
シグナムはううむと唸った。
「ここの者たちが、使徒というものについて、深く知らないだけなんじゃないのか? ファーストチルドレンは特別だと盲信しているとか」
こぶをさすりながら、考え込む。
「ファースト信仰の根幹は、ファーストチルドレンが人類の母だというところから来ているんだ。異世界の存在、異界のエネルギー。この世界に来るもの、という意味でなら、始祖様と使徒とは違ったものとなるわけだしな」
あくまで別世界より迫り来るもののみを使徒とする、ということである。
「それに、信仰の対象を、他にも同じようなものがいるだとか、『唯一でないもの』とする宗教というのは、ありえないだろう?」
シンジは、そうなのかな? とは思ったが、反論できるほど詳しくは知らなかった。
「うん……けど、気になるんだよ」
「なにがだ?」
「この世界には、もう僕たち『ヒトのタグイ』っていう名前の使徒が溢れてるんだよね」
「わたしたち?」
「始祖から僕たちが生まれたのなら、僕たちだって使徒だろう?」
「……まあそうとも言えるが」
「始祖、使徒の別形態だろ? 僕たちは……。まあ、かなり特殊ってことになるみたいだけど」
「どう特殊なんだ?」
「多様性を求めて、群体化の道を選んだところがだよ。使徒は強く大きくなって、自分という存在で飽和した世界から次の世界へと移り住むものらしいのに、僕たち人類は、分裂していってるだろう? つまり、一体一体のエネルギー総量が小さくなる道を選んでるんだよ。そうやって進化の道を探ることにしたらしいんだけど……」
「多様性? 道?」
「一匹が進化しようとしても、行き詰まったら終わりだろ? だったら別れて道を模索した方が早くて安全だって思わない?」
「あっちがだめでも、こっちはということか?」
「枝が分かれるみたいに進化して、どこかが行き詰まったとしても他の枝が伸びていく。そういう図形を思い浮かべればわかりやすいんじゃないかな?」
「そういうものか……」
「ついでに、人間って生き物も、使徒に対する世界みたいに、器に過ぎないのかもしれないなって思ったけどさ。ウイルスとか、微生物とかに寄生されてる集合体だろ? いろんな生き物が同居してる」
「そこまで枠を広げると収拾が付かないだろう?」
「いや……そういう意味じゃ、あってるのかなって思ってさ。いろんなものが同居してるって事は、ヒトっていう個体は億とか兆とかって単位で構成されてる、まさに群体そのものじゃないか」
「それをたった一つのものに構築し直すための補完計画……という考え方もできるのか」
「最適化、だよね」
「お前は心の隙間を埋めるためのものだと言っていたが」
「それも本当のことだったんだけどね……」
「違う側面もあったと言うことか」
「完全なひとつのものに戻る儀式……あるいはひとつのものになる儀式? でもあったってことだよね」
失敗してくれて良かったとシグナムはこぼした。
「わたしは不完全でも、今が良いな。情緒的であるからこそ、不安になって、辛くなって、……救われて、人を好きになることができるんだから」
好き……か、と、シンジはシグナムの言葉をあまり深く捉えなかった。
シグナムを救った覚えなど無かったからである。
「でさ、失敗して、たくさんの人が消えて、世界に人の数は少なくなっちゃったみたいだけど、それでもカヲル君っていう、別の世界に収まっていられなくなった使徒が現れて、世界の余白を埋めちゃってるわけだろう? さらに巫女姫が別の世界の使徒を呼び出してこの世界を圧迫したりなんてしたら……」
シグナムにも彼の懸念が理解できた。
「この世界の枠組みが壊れる騒ぎになると言うのか!?」
「かなり無茶な感じで……世界って袋の中に、いろいろな存在が押し込まれてることになるから……」
世界が破裂してしまえばどうなるのか?
シグナムは想像する。
「偶然にも召喚、招来が重なれば、世界が滅ぶ可能性が出てくる?」
それはシンジにも想像できないことであったが、シンジはその可能性を疑問視したのである。
「でも、もしそうなら、ファーストチルドレンって偶像崇拝なのかなって思ってさ。どうせ降ろすなら、なにも他の使徒でなくても良いじゃないか。綾波……ファーストチルドレンだって」
「しかし巫女姫には降ろせない……?」
もちろんシンジには降ろせない理由はわかっている。
魂が常に自分と共に在るからなのだが……。
「それは崇めているものだからじゃないのか? 声をかけるとか、そういうことは……」
「だからって他の使徒を呼んでも良いって話にはならないよね」
「それは……」
「だから、降ろさないんじゃなくて、降ろせないんだとしたら? あの子が呼び出していたものは、やっぱり使徒なんかじゃなかったのかなぁって思ってさ。召喚術って、どういうレベル付けがあるのかとか、どっから呼び寄せてるなんなのかとか、そういうの、やってる人にしかわからないみたいだし」
「それに、今までに世界が壊れるような兆候は出ていない……と思うが」
「うん……そんなことにならずに来ているって事は、巫女姫が降ろしてるのは、使徒と呼ばれるレベルじゃない、そういう段階になってないものを呼び出してるのか、あるいはただの召喚術なのか……」
「あれはただの異世界の生き物だと?」
「それなら言い訳も立つわけだしさ」
「しかしな、巫女姫の呼び出していたものが使徒ではなかったとしても、あれは別の世界の……いや、別の世界そのものを呼び出していたようだとしか思えないんだが?」
「巫女姫が呼び出した使徒、あれって……黒いどろどろとしたものが使徒みたいな形にねられてるみたいだったよな。よその世界の『なにか』をこう……ずるりと引っ張り出して……」
「しかし、『彼ら』はあれを、使徒だと断言しているな」
そうなんだよねぇと、シンジは『彼ら』が指し示す二人のことを考えて首を捻った。
「そもそも、分体でも唯一の存在でも、結局、使徒は使徒なんだし……」
機族のアスカはともかく、渚カヲルは使徒である。
同じ存在のことを見間違えることはないはずだった。
「使徒かどうかっていうより、使徒と呼ばれる水準があるとかないとかって話なのかな?」
結局、悩んだところで、証拠も揃えられない、考察の域を出ない、証明のできない問題でしかないのだから。
思索が行き詰まった辺りで、シンジは、それで? と尋ねた。
「ん?」
「カヲル君が使徒だって話をする前に、なにか言いかけてなかった?」
しばらく首を捻って悩んだ後、ああと、シグナムは思い出したようだった。
脱線しすぎて忘れそうになっていたため、つっかえつっかえの尋ね方となってしまう。
「言葉遊びの域を出ないんだがな」
「うん?」
「今の話にもかかるんだが、わたしたちは、異世界のエネルギーなどを天使と呼んで召喚することがあるんだ。霊界や異界の生き物を召喚したり、顕現させたりな。しかしお前の話を聞いていると、その、使徒? というものの降臨と、そこにどういう違いがあるのかがわからなくなってきたんだよ。術のレベルが違う……という話でしかないと思えるんだが」
あるのはスケールの違いだけで、やっていることは同じに思えると言っているのである。
「なにが気になってるのさ?」
シンジは首をかしげた。何が言いたいのかわからなかったからである。
「北の姫は特別な力を持つから巫女姫なのだと崇められてる。しかしお前たちの理論、論理だと、あの方の力はわたしたちが知るものが、ただ大きくなっているだけのものだと言うことになってしまうじゃないか」
「そうなんじゃないの?」
「いや、わたしはあの灰色の谷で巨人を見たとき、神か悪魔だと思った」
「使徒だから……そうだよね? あってるじゃないか」
「問題はお前たちが持っている理論なんだ。それを当てはめると、あれは神などではなく、ただの異界の存在だと言うことになるじゃないか」
ようやく理解するに至る。
「もしそうだとしたら?」
「巫女姫の御技が、神の御遣いとして使徒を召喚できる特別なものなのではなく、あれはただの人の所行だという話になってしまうんだ」
途端に巫女姫は人から崇められるような存在ではなくなってしまう。シグナムはそう言っていた。
「それは、神国の存在そのものが危うくなるってこと?」
「違う。もし巫女姫の秘密がその程度のことであったのなら、どうして『使徒』や『機族』がああも巫女姫の立場を尊重しているのか? という疑問が生まれるという話をしているんだ」
巫女姫の操る術が、ただの人が使うものよりもスケールが大きいだけの代物であるのなら、対等の交渉の場を成り立たせるためのカードにはならないと、シグナムは言っていた。
「……壇上から見下ろす。なんてことが許される理由にはならないもんな」
機族の戦闘に介入するとしても、下手に出て邪魔をするはずであった。
なのにシンジたちの戦闘には、力尽くで割って入ったのである。
そしてそのことが不問とされた。
「それだけじゃないってことか」
「コウゾウ様の考えは甘く過ぎないか? とな、それが心配になったんだ……」
相手には、こちらのわがままに付き合う義理も理由もなにもないのだ。
それはと言いかけて、シンジは言葉を濁してしまった。
確かに、自分たちの勝手に付き合って、機族に刃向かうための下地作り、一国の内乱に手を貸せと言うのである。
「無理、無茶、無謀か」
「なんだ?」
「押し通すしかないんだろうけど、って話さ」
けれどもとシンジはシグナムの間違いを指摘した。
「レベルが違うって言うのは、人が人を尊敬する理由にはならないの?」
人が王を崇めるように。
人が神を奉るように。
「人が人の域を超えて神になる。神さまとして認められることだってあるんじゃないの?」
それが巫女姫の、異界からエネルギー体や生物を呼び出す術だと定義づければ、どうだろうか?
「誰にもできないことができるのなら、それは……」
しかしなと言う。
「それはそれだけのことだろう? 宗教にまで発展する理由にはならないだろう」
呼び出しているものが特別な存在であるからこそ、宗教にまで発展するのだと力説する。
「お前も言ったじゃないか。なぜファーストチルドレンではなく、使徒なのかと」
「…………」
「ただの特異な存在を呼び出しているだけじゃ、大道芸扱いされるだけになる」
そこまで言われるとと、シンジは自信を無くしてしまった。
「やっぱり、巫女姫が呼び出してるのは、使徒なのかなぁ……」
おいおいと不安から彼女は言った。
「さっきまで否定していて、自信なさげに」
「こっちの方が高位次元だって言うし、大昔には、世界には百億って人間が住んでたらしいしね……だったら、そのくらいの許容量はあるのかもしれないし……」
「ひゃく……?」
シグナムは絶句した。
大きな都市でも人口は一千の単位である。想像が追いつかなかったのだ。
「最盛期にはそれくらいの数にまで膨れあがっていたらしいんだけど……やっぱり、あれ、使徒だったのかなぁ?」
直感に従えば、気配や抱かされた恐怖心にウソはなかったと思えるのだ。
しかしなにか理屈に合わないというのも事実であった。やはり巨大なだけの存在で、使徒ではなく、こちらが勝手に勘違いをしているだけかもしれないと思い悩む。
だとすれば、この国には、使徒であるカヲルや、機族ですら手出しを控えているような何かがなければならないだろう。
それがあるとすれば、やはり巫女姫にだろうと考える。
──苦労性なのか心配性なのか? シンジの思考は、ネガティブな方向へと走っていた。
「油断してるよりは、使徒って思っていた方が良いのかな……」
完全にシグナムの存在を忘れ去ってしまっている。
人に好かれたり、嫌われたり。
そのようなことで一喜一憂することがなくなっている。
人のことを無視してしまうようなことは、かつてはなかった。
そのようなことをして、人から嫌われたり、避けられたりすることを恐れていた彼には、人の視線を無視することなど、かつてはできることではなかった。
それもまた十四才の頃から比べれば大きな変化ではあったのだが、この場にいるのはシグナムだけであり、彼女には今のシンジが全てであった。
だから彼女は、シンジの朴念仁ぶりに、からかい甲斐がないと苦笑し、好きという告白も、この場ではじゃれ合いの一つとして終わってしまったのだった。