「エヴァンゲリオン……初号機」
アスカが漏らす。
震えていた。声が、体が。
「そんな」
マヤが愕然と、膝から崩れ落ちた。
「まさか、本当に、本物……?」
拮抗が破られた。
ATフィールドを突き破る。だが巨人の動きが早かった。右手を突き出す。
誰しもが、その手のひらに激突し、四散するサーバインの姿を思い描いた。
誰かが、あるいは誰しもがシンジと叫び、悲鳴を上げる。だが。
「なっ!?」
機族のアスカが目をむいた。
巨人の手のひらにぶつかったサーバインが、燐光となって四散したのだ。
「質量を持ったATフィールドの残映!? そんなことできるわけが!?」
「これなのか」
カヲルである。
彼は見抜いていた。サーバインより別れ出た存在があったことを。
ATフィールドは心の壁とも呼ばれるものである。故に、その発生源である生命の持ち主を中核としての放射展開以外の状態はあり得ない。
ATフィールドを発生させているのは魂なのである。魂を肉体より分離することができない以上、ATフィールドは魂の在りかを中心とした球状展開以外の発生はできないはずなのだ。なのに、ATフィールドだけが突進して、弾けて消えた。
だからこそ、先のアスカの疑念となるのだが、真実はカヲルが見抜いたとおりであった。
「シンジ君の中に、使徒がいた?」
シンジの中に棲んでいたものが分離し、サーバインの姿を複写投影して、おとりとなったのだ。
「使徒を飼っていたのか。あるいは取り憑かせていたのか……それが君の自信の秘密なのかい?」
だとしたらと、カヲルは軽蔑する。
「仮初めの力で、自分は強くなったと、偽っているようじゃ」
自分が凄くなったと錯覚しているようではと……。
成長がないよと、彼は嘆く。
だがカヲルの懸念は的外れであった。
シンジはシグナムが感嘆していたこともあるように、力などに振り回されず、自分というものを持っている。
だがそれでも、意志の強さだけでは間に合わなかった。
隙を突いたとばかりに巨人の脇に回り込んだサーバインであったが、彼女の力無しではシンクロもままならず、その剣撃は巨人の鎧を削ることすらできなかったのである。
「くっそぉ!」
汚らしく罵る。
「僕に力を貸してくれ、サーバイン!」
橋渡しとなってくれていたものがいない今、サーバインとシンジは握りしめているレバーのみで繋がっている。
騎士ではないシンジに、理力甲冑騎を繰る資格はない。素養もない。素質もない。資質もない。
だのにサーバインは、シンジの願いに応えて吼えた。
この時初めて、シンジとサーバインはダイレクトにシンクロしたのである。
──それでも現実は残酷だった。
そんなシンジの、サーバインの視界が、真っ黒に染まった。
巨人が鎧を剥がしたのだ。
直撃を肩口に食らって、サーバインは空中で横転した。
次々と落ちてくる石の塊に飲み込まれて、サーバインの姿は影に隠れて見えなくなる。
幾つかの落石を剣で切り飛ばしたシンジであったが、破片の一つがコクピットに飛び込み、彼の頭を打った。
シンジは、ここまでなの? と意識を閉ざした。
「サーバインが!」
小さなアスカが悲鳴を上げる。
降り落ちていく鎧であった瓦礫の隙間に、力なく頭から墜落していくサーバインの姿を見つけたのだ。
シグナムは助けに行きたくとも動けなかった。テッサとアスカを抱えているためだ。
「シンジ!」
だから、祈るしかない。
その一方で、驚愕している人物が居た。アスカである。
「これが……」
マヤを見る。いや、睨み付けた。
「これが北の国の、秘密!」
岩を纏い、塔のようであった巨人の正体が明らかになる。
それは確かにエヴァであった。
大きく翼を広げる『白銀』の騎士。
それはここには居ないはずの、この世からは居なくなったはずのエヴァであった。
「エヴァンゲリオン、四号機!」
白銀のエヴァが、は虫類じみた笑みを浮かべている。
そしてカヲルは、甘く見すぎたかと後悔していた。
「量産機と思っていたけど……」
四号機ともなれば話は違ってしまっていた。
「……米国でS2機関の移植を受けて消失した四号機。でもそれは消失であって消滅ではなかったということか。S2機関の移植を受けたことで四号機が使徒と化していたのなら……エネルギーの総量不足から、殲滅されたときの使徒と同じく、一旦低位の位相空間にその身を沈めただけだったのだとしたら……」
ここに戻っている四号機はという話になる。
この次元に舞い戻れるだけの進化を遂げた『使徒』であるのだということに。
「巫女姫、君が呼び出している中途半端な形の使徒とは違う、あれは、本当に使徒としての力を蓄えて戻ってきた、本物の使徒だ」
いざとなれば自分が割って入ることを考えていたカヲルも、これではと躊躇することになった。
この世界へと顕現できるだけのエネルギーを蓄えて来ているのなら、それは自分と同等同格の存在だと言うことになる。
割って入ったところで、勝ちをもたらせるかどうかはわからなくなってしまった。
「シンジ君!」
視線の先を、光が走る。
光はゆっくりと回転しながら落下しているサーバインのコクピットへと飛び込んだ。
羽を広げた少女を象る光は粒子となって拡散し、サーバインへと浸透する。
サーバインの目に光が灯る。
最後とばかりにサーバインはコンバーターからガスを排出した。
それは不完全燃焼のガスが吹き出したような、ガス、バスッというものであったが、それでもなんとか、元は神殿であったものの斜面へと機体を寄せることに成功する。
外壁に手をかける。それがブレーキとなって上下が反転し、落下速度のままに神殿を崩しつつも、頭の位置が上となる。
背中がぶつかる。コンバーターがもげる。ずるずると滑落していって、ようやく張り出しの一つに足を、尻を落とし、そして止まった。
「う……」
シンジの頭からは血が流れていた。
うめき声を発して、わずかにまぶたを開く。
ぼやけた視界に、人の手が見えた。光でできた手が、頬をそっと撫でてくれていた。
その腕の持ち主であろうものが、シンジから目を離し、天井を……サーバインを見上げる。
ぐっと、痛みに体がのけぞる。
シンジは再び意識を手放した。
「シンジ……」
小さなアスカが、声を漏らす。
サーバインは動かない。
神殿に寄りかかったまま、腰を落としたまま、動かない。
「シンジ!」
小さなアスカが、叫びを上げる。
神殿の外壁が崩れ始めた。滑落した瓦礫の山が、サーバインの頭上へと降り注ぎ、その体を埋めていく。
それは肩を、腰をと。
「シンジぃ……」
シグナムも、テッサも、状況に怯え、声を出せずに硬直する中……。
アスカだけが、大きく叫ぶ。
「このっ、馬鹿シンジぃいいいいい!」
──サーバインの手に、力がこもる。
「僕は」
シンジは頭を振って起き上がった。
だがそこはサーバインのコクピットではなかった。
どこだろうと思うこともない。死後の世界かと考え、苦笑しただけであった。
「僕は、負けたのか……」
《まだ負けてない》
目の前に人がいた。
金色の地平の遙か彼方でありながら、まるで目前にいるかのようでもあった。
それはシンジと同じ姿を取っていた。
だから自分の本心の現れなのだろうかといぶかしむ。
「でも、僕は」
《まだ、まだなんだ》
それはシンジではなかった。
気持ちが、想いが……。
人の姿を取っているだけのものであると感じられた。
それはシンジの似姿を取っているだけのものだった。
「君は……」
《だから、力を貸してくれ》
その人は、言う。
《僕(わたし)は、あの子を守りたいんだ》
「あなたは!」
シンジは飛び起きた。
「ぐあ!」
とたん、頭痛に見舞われる。
「くそっ」
おかげで、なにか大事なことがわかった気がしたというのに、わからなくなってしまった。
「ちくしょう」
《Is it all right?》
「ああ……くそ、状況は?」
《I am the worst.》
「サーバイン……くそ、コンバーターが、もう……」
《But...》
「え? ……あ、なんだ!?」
サーバインが立ち上がろうともがいた。
両腕を瓦礫に突っ張り、震える体を立たせようとする。
背中の側からのしかかっていた瓦礫が崩れて、腰の辺りへと流れていく。
足はパワー不足からか、まったく動こうとしていないというのに、それでもだ。
上半身だけでも這い回ろうとし、腕を伸ばし、叩きつけるように手を落とした。
前のめりになって、動き出す。
そのためシンジは、真下になったハッチから落ちかけた。
「なにを!?」
サーバインは床に爪を立て、腕を曲げて、腰を引きずり、進もうとする。
「どこに!?」
《It is still all right.》
彼女がなにを言おうとしているのか、気付く。
「あれは……」
そこに、まだ希望があった。
それは崩れた天井に半ば埋もれている……アスカのスモールの姿をしていた。
カヲルが地上に降りる。
その側にシグナムも降り立ち、抱えていた二人を離すと、すぐに飛んだ。
シンジを救い出すためだ。
一方で、機族のアスカも動いていた。
「こんなことで死ぬんじゃないわよ……」
外壁の張り出しを足場に、壁に張り付き、サーバインが落ちた場所へと移っていく。
マヤは、そういうものでしょうねと、目を伏せていた。
そこには諦観としたものがあった。
そうしてアスカとシグナムが同時にそこへたどり着いたとき……。
『なっ!?』
ドンッと……瓦礫を吹き飛ばして、『赤紫』の機体が飛び出したのである。
テッサが口にする。
「サーバインじゃ、ない?」
燐光が夜空を貫く。
ううんとアスカが否定する。
「あれ、サーバイン!」
それは『鎧』を着込んだ理力甲冑騎であった。
機族のアスカが呪詛を放った。
「なんてことするのよ!」
背後から血臭がする。スモールの素体がうち捨てられていた。
「あたしのスモールをばらして着込むなんて!」
あまりにもでたらめな行為に、シグナムは絶句する。
「そんなことが……できるのか?」
ようやく、唸るように口にして、シグナムはどうしていいのかと動きに迷った。
サーバインはスモールの素体から上半身の装甲を剥ぎ取って着込んでいた。
失われたコンバーターの代わりに、ランドセルのような部品を背負っている。
二つのカニばさみのような部品は大きく口を開いて、中のシリンダー──魔力炉が動作して、紫色の粒子を排出していた。
胸部装甲はうまい具合にコクピットハッチの代わりを果たしてくれていた。
外が見えなくなるかもと言う不安もあったが、装甲の裏側に、あの不可思議な現象が起こっていた。
外の光景が映り込んでいるのだ。
シンジは尋ねた。
「動いてくれてる……いけるの?」
《During program update. Please wait...》
サーバインの背部にあるコアを、スモールの素体の背骨をフォローしていた部品が覆っている。
その下でケーブル──脊髄と繋がっていた信号線が、今はサーバインのコアに癒着していた。
サポートはコアの部分だけで張り付いて、残りは尻尾のように揺れていた。
サーバインに機械を制御するようなコンピューターはない。なら、彼女に頼むしかないと、シンジは若干の不安を感じながらも黙って待つことにした。
手応えを確かめながら、天空を目指し、四号機の位置を確認する。
そして地上付近から見上げている姿を見つけた。
「あれが正体ってわけか」
エヴァンゲリオン四号機。
見たことがあると思う。は虫類じみた顔を。
自分が知っているものは、黒い色をしていたなと吐き捨てた。
「だけど、君がどこの誰でも」
《The update end. Please anytime.》
「僕は、負けられない!」
サーバインが、上昇をやめて、反転する。
カニばさみが、前方部も解放する。
一旦後部を閉じ、それからスライドするように後方上へとカバーを開く。
中に収まっていた片側二本、合計四本の筒が前後に伸びて、さらに上下左右に四つに割れた。
中心軸が高速回転し、魔力を巻き取るように吸い込んで、不必要なカスを機体の外側へと噴出した。
そのカスは光り輝きながら広がって……。
マヤはやり場のない怒りを抱えて、叫びを放った。
「お前のようなものが、光の翼を広げるなんて!」
マヤが吐く呪詛の言葉に触発されたように、彼女の正面を四号機の巨大な顔が、体が通り過ぎ、天へと登っていく。
「助けはいらない。君はサーバインのフォローを!」
サーバインを動作させるためには、オーラ力が不可欠であった。
しかしコンバーターが失われてしまった今、それを供給する方法がない。
魔力炉はエネルギーをくれている。それはコンバーターがオーラ力を元に生み出すエネルギーと遜色のないものではある。
だがそれはパワーを生み出すためのものであって、理力甲冑騎に命の息吹を吹き込むものではない。
では『オーラ』とはなんであろうか?
それは命が生み出す輝きである。そして理力兵器は、その『輝きを凝縮したもの』を与えられることで、一時的に生命体として活動を許されるだけの人形に過ぎなかった。
──オーラが人の生み出す残映であるのなら、その影を操ることで本体を意のままにすることはできないだろうか?
たとえばこのような魔術があった。
創造物に対し、自らの存在を重ねることで、手足のように駆動させるというものである。
それはオーラマシンの根底に存在している理論であった。
元は魔術、魔法の領域で行われていた、人形研究の論理である。
人の手の形をした岩山を築き、術者は自分の腕の動きとシンクロさせて振るうことができる。
それを機械的に行わせようとしたのが、オーラマシンのはじまりであったが、現実にはそううまくはいかなかった。
まず対象となるものの大きさが問題であった。人の保有するオーラ力はあまりに微量で、駆動させるにはとても小さなものが限界だったのである。
ならばと考え出されたのが、人形そのものを疑似生命体とする方法であった。これならばその疑似生命体が放つオーラ光を操ればよいのだから……と考えられたのだが、これもまたうまくはいかなかった。
どれだけ命の光を集めようとも、命のない物体に留まらせることができなかったからである。
さらに言えば、多くの命を犠牲としなければ、凝縮されたオーラ力を求めることもできなかったからだった。
そこにもたらされたものが、オーラコンバーターというものであった。
大気中に拡散しているオーラ力を吸引し、凝縮するこの機械に、魔術師たちは自らが友としている魔道具の中枢部品──コアをからめることを思いついた。
命の中核となるコアと、仮初めの命の光を生み出すオーラコンバーター。
オーラマシンの誕生である。
だがそれでもまだ問題は晴れなかった。
なぜならコンバーターによってオーラ力を供給されているにも関わらず、乗り手にまで大きなオーラ力が求められたからである。
ここからはテッサですら気付いていない話であった。
彼女は科学者であってオーラなどというものの専門家ではなかった。だからこそ気が付くことができないでいた。
彼女はオーラコンバーターのことを、ただの動力炉だと思い込んでいた。理力甲冑騎を動かしているのは、背部のコアだと信じていた。
そして騎士が、コアを通じて、魔導具のように操るものだと思い込んでいた。
人が、ハンドルを操作し、コンピューターを介して、車を動かすようにである。
これは正解でもあり、間違いでもあった。
適性のない人間が搭乗し、動かそうとして、枯れて死亡してしまうのには、ちゃんとした理由があったのである。
死亡した者たちは、オーラコンバーターが理力甲冑騎へと供給しているオーラの流れに同調して、この流れを操ろうとしたのである。これは魔導士がゴーレムを映し身として操る際に行う術と似た方法であったが、それは急流に立ち、腕を広げるようなものであった。
いくらその流れを思い通りに操ろうとしたところで、莫大なオーラ力に飲み込まれ、押し流されて、溺れ死ぬのが当たり前である。
そうしてマシンの中を循環するエネルギーの奔流へと飲み込まれ、溺れぬようにもがき続けている内に消耗しきり、ついには力果ててしまう様が、外からはオーラ力を吸い取られて、衰弱し、枯れて行ってしまうように見えてしまうだけの話であった。
だが騎士と呼ばれている者たちは、大きなオーラ力を持つが故に、直接に干渉する危険性を本能的に察していた。
そのため、コアを介し、コアに命じて、この流れを誘導していた。
彼らはコアとリンクし、対話することに、自らのオーラ力を用いていた。
そのように、日常的にオーラ力の扱いに慣れている者たちばかりが生き残り、結果、オーラ力のあるものが騎士となることができる、と、誤解される運びとなったのである。
(アスカが言ってたっけ……前に乗せて貰ったことがあったけど、動きががたがたしてたって)
それも当然である。
コアとのシンクロすら十割とは行かないのに、それを経由して、理力甲冑騎を動かそうというのだ。
習熟訓練だけで乗り越えられる問題ではなかった。
操っている人形で、別の人形を操ろうというのである。うまく行くはずがない。
一体、思考の何割が、実際の動作として反映されていたのだろうか?
(でも、僕だって勘違いしてた。僕だって使徒のコアが取り憑いてるだけだって思ってたんだ。だから僕は、『君』に間に立ってもらって、シンクロしてた)
だが、真実は違っていた。
(オーラマシンが、コアっていう心のありかを、コンバーターって言う命の素を与えられて、理力甲冑騎っていう生き物になったんだ。僕は今まで、そのことがわかっていなかった……)
仮初めとはいえ、オーラ力を供給され続けたことで、理力甲冑騎は、一個の生命体として存在が成っていた。
地下世界の主のように。
オーラは命の輝きである。オーラ力は意思の現れである。目的がある。志がある。
だからこそ、生きる力、オーラ力と呼ばれていた。そしてシンジは、サーバインが発するオーラと同調が成ったことによって、彼の本当がコアにはないことを知った。
コアを含めて、『彼』なのである。
エヴァに乗っていたシンジだからこそ、理解できた話であった。
オーラを発するようになりつつあるサーバインは、オーラ力をも手にしつつある。
それはテッサが懸念していた疑似生命化現象そのものであったが、シンジはそれを怖いことだとは思わなかった。
エヴァに乗って、LCLを介してシンクロし、機体を操っていたように、シンジは自身のATフィールドをオーラ力の代わりとして、理力甲冑騎とシンクロしようとしていた。
だが、人が発することのできる力は、これほどの巨体を操るにしては、あまりにも微弱なものでしかなかった。
故に、彼女は嫌がったのである。
《No! Your life is absorbed.》
シンジと運命を共にしている彼女は、その行為を否定した。
シンジは彼女にコンバーターの代わりをしろと言ったのだ。自分の命を与えてやるから手伝えと。
オーラ力の代わりに機体を循環しろと。そうして発生するATフィールドに対してシンクロするというのであるが、これは先に説明した、騎士が命をくしけずられて衰弱死する形、そのものであった。
違いはオーラ力であるか、ATフィールドであるか、それだけである。そしてどちらも、命の力であることには違いがなかった。
この方法は、彼女の力を借りて、コアにシンクロしていた今までの方法とは全く違う。
彼女には使徒そのものとして活動しろというのである。その使徒に対してダイレクトにシンクロしてみせるというのである。
それは必要な分だけ命を削られる方法であった。そして人が持つ力では、人が保てる意思力では、使徒の巨大さには太刀打ちできない。
汚染という形で飲み込まれてしまう。まるでオーラ力に溺れてしまう、騎士のように。
それはまさに、自殺でしかない。
「だけどね」
シンジは笑う。
「そこまでする必要があるんだ、してあげたいじゃないか、だって!」
コントロールスティックを握り込む。
サーバインを思う。
傷だらけで、ぼろぼろで……。
装甲は剥げ、素体は筋まで痛め、血が染み出している。
そんな体を押してまで、戦おうとしている。
シンジは、これこそ本物の『騎士』だと誇った。
「だから、僕は!」
ドッと……。
大きな力の逆流を感じる。
ああ……とシンジは身震いをした。
それがサーバインからの鼓動であると、歓喜であるとわかったからだ。
「これが、理力甲冑騎とのシンクロ!」
サーバインが、自分の思いをわかってくれる相手を見つけ、喜んでくれている。
生きているから、なんだというのだろう?
彼は、『彼女にふさわしい者』として、負けてなどいられないと言っている。
自分も同じだ、守ると言った。助けると誓った。なのに無様な姿などさらせるだろうか?
彼女の仲介を無しに操縦が可能となったことで、シンジはようやく理力甲冑騎本来のスペックを把握することになった。
エヴァのように圧倒しようというのではない。
母のように取り込もうというのでもない。
共に戦ってくれと、願う意志が……。
添うような力強さが。
諦めたように、彼女は言う。
《I come.》
「負けやしないさ」
(もう怖くはない。そうだろう?)
シンジは操縦桿から手を離し、その手前のフレームを撫でた。
機体が素直な反応を見せる。
互いの考えが重なるならば、オーラ力を導くために、そう大きな力は必要がない。
四号機の右腕が伸びる。その手がサーバインを握り込む。
直後、『黒い剣』がその指を切り飛ばした。
剣はサーバインの爪がそのまま伸ばされたかのような形で、黒い粒子が放出されていた。
だがこれは傷にもならない。
切り取られた指の傷がもごもごと膨れあがり、元の指の形状を取り戻す。
左手が来る。
これを黒い刃がはじき飛ばす。
右手が来る。
これを魔力障壁と化している翼が跳ね返す。
口が来る。
その鼻面を蹴って、サーバインは一回転した。
──そして。
巨人の絶叫が響き渡った。
サーバインが両手で黒い剣を握り込み、その顔面をたたき割ったのだ。
顔を手で覆って四号機は落下する。
その手の間から、爛々とした目が覗いた。
狂気に血走り、剣を振りかぶって降下してくるサーバインを睨み付けた。
両腕を、翼を広げて、エヴァが絶叫を放つ。
ATフィールドが世界そのものを歪め、形として視覚化する。
折りたたまれて、立方体となって凝縮し、弾となって飛んだ。
理力甲冑騎に激突し、飲み込んで、傘のように広がって弾け、流れた余波が空に大きく広がった。
その中心を、サーバインが突き抜ける。
排出物でしかなった光が、本物の翼となって、輝いた。
──閃光の中で、シンジは見た。
あの子を守りたいと願った人を。その姿を。
アスカに似た人が、戦い、敗れていく様を。
「あの子に未来を残してあげたいの! お願い、サーバイン、戦って!」
しかし結末は無残に過ぎた。
「あの子には、自分で、未来を!」
機体正面に下から現れ、ハッチの向こうを敵機が影となって覆い尽くした。
影の放つ閃光が、キャノピーを貫く弾丸が、恐怖に顔を歪めた彼女の体をはちの巣にする。
女性騎士は、誰かに願うように手を伸ばした。それは娘の笑顔から引き離されまいとするかのようであった。何かをつかみ取ろうとするかのような動きであった。
それは死に際の動きであったのかも知れないし、あるいはただの衝撃のせいで、偶然そのような格好を取っただけなのかもしれなかった。それでも。
アスカ……? と、口にして、彼女は哀れな肉塊と成り果てて……。
「わたしは、守れなかった」
泣きそうな顔をして、彼女は言った。
言わなくてもわかってしまった。
放牧と言った。目的を持って放たれた個体。その一つである『彼女』から生まれた子供。アスカ。
自らの子がいつか回収されてしまうことがわかっていたから、研究のために囲われるのではなくて、自由を与えてあげたかったと……。
放たれるときに持たされたものがあった。
それは小さな二人組の研究者から持たされた、不可思議な機関の設計図だった。
──かつて機族と戦った騎士が居たという話があった。
そして破れたという話もそこにはあった。
彼女はやがて生むことになる娘のために決意して、そして娘のために力を形にして、そして挑んだのだ。
戦ったのだ。
サーバインは廃棄処分にされるところだったものであった。
では元の持ち主とは誰だったのだろう?
廃棄処分となることになった理由はなんだったのだろうか?
その機体がシンジに力を貸す理由。
シンジが居なくとも動き出そうとするそのわけは?
『その騎士』の無念を、願いを……。
アスカの母親だった人の記憶を引きずって。
アスカの母の姿を借りたものが口を開く。
「わたしは、あの人の思いを、かなえられなかった。かなえてあげられなかった、でも」
その者は、口にする。
「わたしは、たくされた」
光を突き抜け、シンジは慟哭を涙と共に吐き出した。
「うぁああああああああああ!」
理力甲冑騎の、サーバインの抱えていた想いが、シンクロという形でシンジの中にフィードバックされ、その共感が、今までにない力の高ぶりを生んでいた。
エネルギーの残照を身に纏って、サーバインは四号機の襟元、エントリープラグを直撃した。
内腑をえぐり、腹部から飛び出す。
エヴァの血にまみれたサーバインは、振り返るなり光の羽を最大限に開いた。
身を濡らす血が、飛散しつつもその熱気によって凝固して、装甲の上に殻を作る。
鱗のように、鎧のように。
そして垂れ下がっているだけであった尾を振り回す。
──その様はまるで小型の竜であった。
サーバインは血濡れの顔を上げて咆吼する。
「おぉおおおお!」
そのコクピットの中、エヴァの血という羊水のあふれかえった子宮に沈んだままで、シンジが前へと身を振り、乗り出した。
最後の抵抗なのか、四号機が落下に近い勢いで覆い被さる。
金色の干渉壁が瞬く。空に大きく、平行に。
四号機の圧力を、小さな理力甲冑騎が受け止め、押し返す。
血だまりの中で叫ぶ。
「気張れよ、サーバイン!」
エヴァの巨大な顔面が視界を埋める。
その口へ飛び込まんばかりに体をシートから起こして、シンジはレバーを力一杯に押した。
「アスカのっ!」
サーバインが歯を食いしばる。
「騎士だって事を!」
魔力炉が過熱して、タービンが赤くなる。
「守れるんだって!」
バギンと、サーバインの奥歯が砕けた。
「もう誰にも負けないって!」
シンジの体が、痩せていく。
「見せつけてやれよぉおおお!」
サーバインが咆吼を上げた。
「いっけぇええええええ!」
身が細りながら、シンジの目は血走り、獣じみた気配を纏った。
「うぁあああああああああ!」
口腔にまで流れ込んでいたエヴァの血を、声と共に吐き散らし、シンジは力の限りに雄叫びを上げた。
闇ではなく、光を振るう。右手に沿ってオーラ光が長く伸び、四号機の張るATフィールドを両断する。
「そこだぁ!」
さらに左手の黒い剣が振るわれる。
その光は四号機腹部のコアを両断した。
びくんと、四号機が顎を上げて痙攣する。
「うぁああああああああああ!」
そして光と闇を束ね合わせる。
白光が生まれ、装甲の突起が、十二枚の翼のような影を地に落とす。
「貫けぇええええ!」
光の剣が、コアから背部のエントリープラグへと貫通した。
エヴァが最後の絶叫を上げる。
断末魔の叫びの後で、顎を上げ、のけぞり、そして……落下を始めた。
「シンジ!」
シグナムは焦った。
サーバインの剣が、破片となって砕け散る。
そしてそのまま、後ろ向きになって、落下した。
まるで四号機を追うように、サーバインも遅れて背中から落ちていく。
ゆっくりと、錐のように回転する。二度目の回転で、コクピットから気絶したらしいシンジが空中へと投げ出された。
戦闘の安全圏にいたために、彼女の飛行魔術では間に合わない。
誰ともなく悲鳴を上げる。
──心配いらないわ。
その時だった。
──碇君は、わたしが守るもの。
誰も見えないシンジの口元に笑みが浮かぶ。
サーバインより剥がれた人型の粒子が、球となってくるくると舞い踊り、シンジに追いつき、塊となってその身をくるんだ。
ふわりと、シンジの体が浮き上がる。
落下の速度が遅くなる。
シンジは背中に暖かなものを感じて、肩越しにその人の姿をぼんやりと見、綾波……とつぶやいた。
ゆっくりと地におろされたときには、その人影は消えていた。
しかし誰もが見、聞いたのだ。
特に巫女や神官の驚きようはすさまじく、今にも倒れ伏しそうだった。
瓦礫や建物のあちこちから顔を、体を覗かせて、崩れ落ちそうになるのを耐えていた。
ゴウッと音がして、風を起こしスモールが飛び去る。それはアスカのものではなく、アスカを回収するためにやってきた別の機体であった。
手のひらにアスカを乗せていた。
彼女は風に暴れる髪を手で押さえつけながら、複雑な気分で口にした。
「本物ね……あれが、本物じゃないって言うのなら……」
一瞬、カヲルとも目があった気がしたが、この距離である。
確かめようもなかった。
そしてアスカは、最後に小さなアスカを視界の端に捉えた。
捉えながらも……彼女は目を反らし、去ることを選ぶ。
カヲルはそんなアスカを……スモールを見送ると、気絶している少年へと笑みを向けた。
「理力甲冑騎でエヴァを破ってしまうなんてね……」
予想外だよと、彼はシンジの健闘ぶりに苦笑する。
そして隣に立つ巫女姫を見る。
巫女姫は手を伸ばしていた。
四号機は墜落することなく、途中で力を取り戻していた。
彼女の手の動きを真似、四号機の腕が動いて、サーバインを捕まえていた。
ばさりと羽ばたき、地上へ降りる。そしてサーバインを下ろしたところで、四号機は前のめりになって崩れ落ちた。
地響きを立てて、頭から落ちる。その姿はまるで土下座で、今度は本当に力尽きたらしく、目は光を失っていた。
巫女姫は、シンジへと目を向けた。
小さなアスカとテッサが駆け寄っていく。
彼女の目には、先ほどまでと違い、自我が垣間見えていた。
「およそ、四百年」
吐息をこぼす。
「随分と、待たされたものですね」
音を立てて、手首からブレスレットが垂れ落ちる。
指先に引っかかるブレスレットのプレートには、『キール・ロレンツ』の名が刻まれていた。
続く!