闇の書が納められている城は、深い森の奥にあることもあって、不気味な城であるという評判が立っていた。
 だがそんな、はやての城に、今は多くの人々が集っている。
 城内の空いた敷地にテントを張り、それぞれがそれぞれに、これから始まるであろう戦いに備え、働いていた。
 武器を研ぐ者、食事の用意をする者、非日常、日常、その両面が混在する様は異常であった。
 ふと、腰掛けに座ったまま剣を振っていた者が、怪訝そうに眉をしかめた。
 空の一角をじっと見て、目を細くして、遠くを見ようとしている。
「どうした?」
「あれ、なんだと思う?」
 同じように剣の研ぎ具合を確認していた男が、彼の言う先、空の一角へと眼を細めた。
 陽光に混ざってわかりづらい。
 だがおおよその当たりは付けられた。
 陽に紛れながら、何か大きな物が近づいてきているのだ。
「船……?」
 そうだよなと、最初に気がついた者が言う。
「コウゾウ様に知らせよう」
「そうだな」


 知らせは、はやての元へも届けられた。
「御座船やて!?」
 だがこちらはより正確な情報が、ヴィータによってもたらされていた。
 ヴィータは手にしているPDAを操作して、施設のレーダーがもたらす情報を開いて見せた。
「な? 間違いねぇよ。シグナルも確認した」
「シグナムのシグナルやて? シグナムがなんで御座船に……」
 ヴィータが、考えるまでもないだろ、とかぶりを振る。
「可能性は一つっきゃないだろ……」
「ほんまに……」
 はやては呆れたため息をこぼした。
「人を驚かせるのが好きな御仁やで……」
 私室を出て、テラスへと向かう。
 ヴィータが毒づく。
「シンジのやつ、なにしやがったんだか」
 少なくとも、シグナムに巫女姫を動かすことは不可能である。そういうことで、ふたりの見解は一致していた。
「コウゾウ様は?」
「もう気付いてるだろ」
 二人はテラスへと到着した。
 足下の前庭で、多くの人が騒いでいた。中心となっているのはコウゾウのようだった。
 こんな樹海の奥地である。外の者たちは、一旦はコウゾウの領地に入り、そこからこの城へと輸送されてきているのだ。
 その流れから、自然ととりまとめ役は、はやてではなく、コウゾウが担うこととなっていた。
 空に眼を細める。
 雲よりも白く、太陽よりもまばゆい船の姿を見つける。
 陽光を遮ってなお、その船底は影を作ることなく、光っていた。
「降りてくるな」
「ドック入りする気や」
 船は谷へと沿うように降下しようとしている。その先にあるのは、谷に突き刺さるトゲのような形を持っている、この城の基幹部である。
 ヴィータがPDAを操作する。
「御座船から誘導ビーコンの催促が来てる。下層ドックを開くぜ」
「頼むわ」
 谷間に、低く重い音がこだました。
 城を取り巻く外壁の上に人が殺到し、谷底をのぞき込む形で御座船を見下ろした。
 御座船は白い中型の船であった。
 空飛ぶ船だということだけでもただごとではないのだが、その船は、上から見ると、縦に長い二等辺三角形をしており、正面からは、上下左右に頂点を持つ、平行四角形の形をしていた。ただし、四角形の前方部は、甲板となっているのか、水平に切り取られているのだが。
 まるで着水するように、その船は降下した。谷間へと、減速しつつ潜航し、城の下層部に開かれた大きな口へと侵入していく。
 乱れた気流が波しぶきのように流れていった。
 そこにはまるで、御座船の船底にあつらえたような、ぴったりな形をしている収容庫が存在していた。
 底部が合うような切れ込みを持った、溝型の床をしていたのだ。
 御座船(メガヨット)が停止し、接舷を果たす。
 床のV字型の溝の左右から、巨大なアームが起き上がって、船底を固定する。
 動力炉の停止を待っているのか、船は緊張をあおるように沈黙の間を置いた。
 息を切らして、地下へと通路を下りてきていたコウゾウが、この光景を目の当たりにしてもなお、それでも信じられないと大きく目を剥き、うなり声を漏らした。
 その隣に、ヴィータを伴ったはやてが立つ。
 他の人間は、降りてこようとしたところを、ザフィーラによって押さえられていた。彼らにはある程度の自由を許してはいたが、やはりこの城は闇の書を奉る神域なのである。
 このような下層にまで、侵入することは許せなかった。
 はやてが、コウゾウに確認を取る。
「やっぱ、御座船ですよね……この船」
 はやての質問に、自失状態から復帰して、コウゾウは答えた。
「間違いないよ。知っている。巫女の船だ。だが、なぜ……?」
 はやては、認めましょうと嘆息した。
「他に考えられないでしょう……」
 心当たりは一つしかない。
「シンジさんが、またなにかやってくれたってことですよね」
「だが……な」
 なにをどうすれば、北の巫女姫に御座船を出させることができるのか?
 コウゾウには想像できず、どうしても歯切れが悪くなった。
 ゴッ、と、大きな音に、一同は一斉に引きつけられた。
 艦前方部が解放される。
 上甲板がスライドするように引き上げられ、下部の顎が割れるように左右に開く。
 その奥に見えるのは祭壇であった。
 格納庫を改造したものであろう。あるいは貨物庫かもしれなかったが、船は移動式の神殿としても機能していた。
 そんな神殿に、百名近い巫女たちが居並んでいるのを見て、コウゾウは、北の巫女たちが総出で出向いてきたのではないかとおののいた。
 少女たちが左右に割れて、壁を成す。
 その列の中に挟まれる形で、見慣れた少年たちの姿が見えることとなった。
 そこには、神衣姿の少女たちに囲まれて、困り顔で萎縮している、見慣れた者たちの姿があった。
 もちろん、シンジたちである。
 他の者たちは、旅に出る前と同じ格好をしていたが、シンジだけは、青を基調とした、すっきりとした衣装に着替えさせられていた。
 特に位の高い神官たちが、彼らを先導して歩き出す。
 遅れて続くシンジたちの顔色は、連行されている者のそれであった。
 ドックに降り、巫女や神官が左右に割れて、八の字を作る。
 もちろん、中央には、シンジたちが立たされていた。
 コウゾウは、先頭に立つ少女に目を丸くした。
「神官長……君か」
 マヤである。彼女はゆっくりと頭を下げた。
「お久しぶりです、コウゾウ様」
 あの傲岸な態度はなりを潜め、すっかり大人しくなっていた。
 険も取れ、物腰も柔らかくなっている。
「これは、どういう……」
 コウゾウは、はっとした。思い出したように、慌てて膝を突き、そこに直る。
 彼女は、地位的には、上となる相手であったからである。
 逆らうなどとてもできない相手である。ただの巫女や、神官とは格が違っていた。
 かつて彼は、一度だけ巫女姫と神官長であるマヤに目通りがかなっていた。
 それはまだ若い頃のことであった。まだただの学者であった頃の話である。
 今のような地位に就いて、わかったことがあった。それがいかに無謀な願い事であり、かなったことが幸運であったのか、身震いをするような思いであった。
 現在の彼にとっては、どんな間違いがあったとしても、同じ目線の高さで……ましてや、小柄な彼女たちである……長身なコウゾウが、立ったままで見下ろすような真似など許されるはずもなく、ましてやそのような低い場所に立たせるような真似などしてはならない相手であった。
 はっとし、はやてもコウゾウの所作に従って同じく膝を突き、頭を垂れた。
 予想以上にとんでもない事態になっていると実感する。
 コウゾウが、頭を下げたままで口を開いた。
「まさか……とは思いましたが、御座船であるというのならば、巫女姫も?」
「姫様は神域を出ることがかないません。故に、の、船であるのです」
 マヤはうやうやしく頭を下げた。
「船を下りることはかないません。その非礼、お許しいただきたく」
 ドッと、コウゾウは脂汗を噴きだした。
 背中がびっしょりと冷や汗にぬれる。
 巫女姫は一国の王以上に敬われている存在である。その神官長ともなれば代弁者とも言えるのだ。
 つまり彼女が敬意を払い、わびを述べれば、それは巫女姫が頭を下げたに等しいという話になるのだ。
 ……たとえば国王はその国だけの頂点に過ぎない存在であるが、神に仕える巫女姫は、国をまたぎ多くの信者を抱え、敬われている。その一面を捉えれば、北の国の巫女姫は、全ての王よりもさらに高位にあると言えた。
 その巫女姫が、姫の代弁者が、一個人に頭をさげるなどということは、本来あってはならないことであった。
 はやてもまた、その横で嫌な汗を掻かされていた。
 下手をすれば、ここにいる一同全員が、命をかけて守ることになるような秘密に晒されているのだと、感じ取ったからである。
 しかし巫女の側としては、そのような反応のされ方は、困るもののようであった。
 ちょっとだけ弱った顔をして、マヤはシンジへと振り向いた。
 シンジは、知らないよとうつむき加減にかぶりを振った。
 マヤは、ならばと前に出た。
 膝を突いて、コウゾウの腕に手を添えた。
「お立ちください」
「ですが」
「今のわたしは、神官長などではなく、ただの巫女であるのですから」
「では、代替わりを?」
「いいえ。わたしにはそのような資格など無かったのだと、思い知っただけのこと……。今のわたしは、巫女の一人として、徳を積み直す機会を求め、参ったのです」
「ですが、巫女姫は……」
「長きに渡り待ちわびたときが来たのです」
「それは、どういう……?」
「巫女は神の元に集い、その意にこそ従うものでありましょう? そういうことなのです」
 コウゾウは物言いの怪しさをいぶかしく思い、顔を上げ、彼女の熱っぽさに気がついた。
 その視線をシンジへと向けているのに気がつくと、さらにもう一段階高く仰天した。
 それでも、口が裂けても叫べなかった。
 なぜマヤが静かに、小さな声で語っているのか?
 それを考えればわかることであった。そのような話は、噂としても流していいものではない。
 どこに『耳』があるかなどわからないのだ。相当に危険な話であった。
「とりあえずは」
 そんな空気を読んで取り、割り込んだのは、はやてであった。
「長旅のところ、お疲れでありましょうが、お話のできる場所へ……」
「助かります」
 では……と、マヤは道を譲る。
「シンジ様」
 シンジが顔面を手のひらで覆った。
 先にとマヤが譲ったことで、シンジが北の国において、どのような立場に就いたのか?
 非常にわかりやすい構図を示されたことによって、シンジは「逃げ出して良いかな?」と、面倒ごとを嫌う独り言を漏らしたのであった。


 一行は、場所を城の地下施設へと移した。
 そこは円形の議論場であった。座席が二十ほど、円を描いたテーブルに添って配置されている。
 そこに集まったのはシンジ、アスカ姫、テッサ、そして仮面を付けたシグナムの遠征組。
 居残り組からはコウゾウ、はやて。北の国からはマヤと三人の巫女が入室している。
 厳選されすぎている面子であった。
「本当に……お前は俺の予想を上回ってくれるよ、まったく」
 コウゾウはあきれ顔でため息をこぼした。巫女たちには聞こえぬように、注意を払ってのものであった。
「はぁ……」
 シンジにはそう答えるしかない。ひたすら萎縮していた。
 ちらりと彼が気にしたのはマヤの視線であった。少々、コウゾウへの目つきが鋭くなっていると感じたのだ。おそらくは今の愚痴が耳に入ったのだろう。
 それでも、主であるシンジが許しているのなら、口を挟むのは不敬なことだとでも判断してくれているのかもしれない……と、シンジは考えて、余計に鬱に囚われた。
(趣旨替えにしたってさぁ……)
 シンジは内の子が外へと顕現したことについて、人づたえには聞いていた。
 しかし気を失ってしまっていたために、どのような形であったのか、想像ができないでいたのである。
 アスカたちの言葉が一番正確であろうが、それでも興奮した言葉には、誇張が混じっていると感じられていた。
(ましてや、か……)
 一応、その件については、吹聴して回らぬよう頼み込んでいた。
 シンジとしては、やっかいな噂が広がることを恐れたのだが、皆の理解としては、神はそう易々と人前に姿を現すものでは無いというものだから、ということになっていた。
 シンジはもう一度、嘆息する。と、コウゾウの視線に気がついた。
「この格好ですか?」
「ああ」
 シンジが両肩をつまんで持ち上げる。お祭りの時にでも身につけるような、民族衣装のようだった。
「それは聖衣じゃないのか?」
「聖衣? 普通じゃないことはわかりますけど……」
「それはわたしから」
 マヤである。
「信託が下されたのだとお考えください」
 託宣? そう首を捻る居残り組に、変わって説明を始めたのはシグナムであった。
 わざとらしい仮面のために、声はくぐもったものになってしまっていた。
 要点だけを伝える。
「巫女姫は、シンジのことを、教団が遣わせた神官騎士であったと……そのようにしてもよいとお考えくださっています」
 会議場のような光量の大きな室内で見ると、シンジはげっそりと痩せていた。
 それは相当な悶着があったことを想像させ、かなりの心労がたたっているのだとも感じさせるものであった。
「託宣がくだり、アスカ様をお助けするために、遣わせた騎士であったのだと」
「それで身元を詮索されなくなるって……言うんですけどね」
 コウゾウには、シンジの心配はよくわかることであった。
 そのような嘘は、それ以上の面倒ごとを発生させるものであったからである。
 やれやれとコウゾウは追求を諦めた。
「話が大きくなり過ぎているぞ、これは」
 どうしてそこまで好かれることになったのか? コウゾウはその点に興味を覚えた。
 だが口を突いて出たのは、問題点の整理についてであった。
「実は神官騎士であったと? 逃走中のアスカ姫を偶然救ったのが、教団からはぐれた放浪騎士であったと? あるいは修験者か。しかしそれも、神官戦士ではなく、神官騎士であったなどとは」
 ここに来ると、コウゾウは丁寧にしゃべるのをやめた。
 シンジを見る。シンジがその違いを理解していないと感じて、コウゾウは説明を加えた。
「神官騎士とはな、神の執行代行者のことを言うんだよ。神のために戦う戦士とは違う。神の代弁者として、実行権を持って神罰を執行する権限を与えられているんだよ。認知の点においては、しばしば神と混同される巫女姫とも、同等以上の存在だと言えるだろうな。場合によっては、一国の王を断罪し、裁くことさえ許されている。事実そうしたものたちは歴史上幾人もいるよ。……そんな存在なのさ」
「凄いんですね……」
「ああ、それほどの存在であるのだから、土地に縛られず、世直しの旅をしていてもおかしくはないんだが……」
 うんざりと、シンジはこぼした。
「やっぱり……道理でちゃんとした説明をしてくれなかったわけだ」
 なし崩し的に、なかったことにできないような役職を押しつけて、取り込もうとしていたなと、シンジは北の連中をジト目で睨んだ。
「まったくさ!」
 そう言いたいのはこっちだと、コウゾウはため息をこぼした。
「まったくな……巫女様を連れて戻ってくるとは思わなかったぞ。話は聞かせてもらえるんだろうな?」
 シンジはごまかした。
「長いんで、話が」
「そうか」
「あと、他にも報告したいことが多いんです」
「言い訳の間違いじゃないのか?」
「……それに、いい加減、くつろぎたいんですよ」
 先日地下で見つけた予備の服に着替えたいということである。着ていったものは戦闘で血まみれになり、駄目になっていた。
 そのために、仕方なく聖衣を着用しているのだと言い訳をする。
 しかしコウゾウは、だめだと口にした。
「怖い巫女様方が、お前の口からでは正確なものが伝わらないと言っているからな。ここで聞かせてもらおう」
「ここでですか……」
「ここまで人数を絞っているんだ。できない相談でもないだろう?」
 シンジは、ふぅとため息をこぼすと、わかりましたと諦めたように語り出した。
 しかしそれは、コウゾウの想像を、完全に超えている話であった。
 旅に出て、すぐに機族に捕捉されたこと。
 戦闘を、北の国によって、中断させられたこと。
 そして騙りと決めつけられて、エヴァンゲリオンと対決することとなった話。
 全てを聞き終える頃には、コウゾウも、はやても、驚き疲れて声を失ってしまっていた。
「チルドレンだと!? シンジがか?」
 この点については、コウゾウは驚いたものの、はやての、眉間にしわを寄せるような表情に、冷静になった。
「知っていたのか?」
「闇の書から引き出した昔の電子絵画に、シンジさんの写真がありましたから……」
「それを見せられていたか……できれば教えておいてもらいたかったぞ」
 でもと、はやては拗ねるように言い訳をする。
「信じられへんでしょ、こんな話」
「まあ、そうだな……」
 ああと、コウゾウは思い至った。
「それでシンジ、お前はずっと言い渋っていたわけか」
 ちょっと違いますけどと……シンジはそうこぼす。
「チルドレンっていうのが、みんなにとってそれほど意味があるとは思ってなかったし」
「ふむ?」
「だって、僕はこの世界に、エヴァとか、チルドレンなんて言葉があるだなんて思ってなかったから」
「だが、そういう話をしたことはあったな?」
「はい、でも、同じ世界だなんて思ってなかったから……」
「同じ名前の別のもの、あるいは似たもの、そういう疑いを持っていたのか? たしかに証拠がなくては、疑いを増すだけで、身の証を立てられるものとはならないからな」
「はい。だから、説明に困るなって思ってたのに……」
 まさか、そのものだったなんてと、彼は言う。
「テッサから、エヴァンゲリオンってものが出てくる伝説とかがあるっていうことについては、聞いていましたけどね。だからって、それが僕と関係しているものなのかどうかは、わからなかったんですよ? だから確かめるしかないかなってごまかしてたんですけど、それがドンぴしゃだったなんてさ……」
「だとしても、か」
「信じられますか? 信じてはもらえませんよね?」
 シンジはわざとらしいくらいに、大げさな格好で頭を抱えて見せた。
 そんなシンジの頭にぽんと手を乗せ、シグナムが嘆くように言う。
「だがお前は信じさせてしまった」
「エヴァンゲリオンか……」
 コウゾウは唸り声を上げてしまった。
 妖精が実在するような世界だというのに、存在が疑われているような、神世の時代の巨人の名である。
 それが北の地において姿を現したというのだ。
「そしてシンジは、それを破ったというのか……」
 ああ、と、シグナムがうなずきを入れる。
「それも、人の手によって生み出された、兵器でだ」
 シグナムのコウゾウに対する言葉遣いはぞんざいなものである。主であるはやてが丁寧語を用いている相手だというのに、気にもとめていない。
 これには面倒な事情があった。コウゾウは一領主としてのみ、はやて同格以下の立場で有り、決して以上の存在ではない。そして職の位を比べたならば、学者と騎士では比べるまでもないことになるのである。
 これにより、はやての元で副隊長を務めているシグナムは、コウゾウに対しては同格、あるいは格上ということになってしまうのだ。
(ファーストチルドレン……か)
 いずれは話さねばならないだろうがと、シグナムは自分が見た、見せられたものについて、明かさねばならないだろうなと考えていた。
 だが内容が内容である。
 この世界の最大宗教の正統宗派である教団が掲げている偶像、神が、この世に実在しており、なおかつその神が一個人に宿っているというのだ。
 それも、その神と肩を並べて戦ったという、神話級の人物に。
(秘密であるべきだという点では、わたしも理解しているんだが……)
 信じてもらえるか否かという点で、言葉にする迷いがある。しかしながら、シグナムとしては他の見解も持っていた。
 確かに酷く恐ろしい、巨大な存在であることはわかるのだが、だからと言って、神と言うほど強く遠いかと問われると、疑問を感じてしまうのだ。
 相手が神だというのであれば、見ることさえもおこがましく、姿を見た者は塩にでもなってしまうのではなかろうか? と……。
 あるいは存在が違いすぎて、まともに認識することもかなわないか……。
 そんなことを思う一方で、教団側はどう考えているのかと思ってもいた。しかし想像をしてみたところで、結局、あちらの思惑はよくわからないなと、シグナムは諦めた。
 ややあって、コウゾウが、それでもやはり信じられないと口にした。
「シンジが過去から来た少年だと? 四百年? その上、伝説のエヴァンゲリオンを倒した? それは本当にエヴァンゲリオンだったのか? それにだ……」
 巨大な存在に打ち勝ったとしても、それがそのまま、サードチルドレンとイコールで繋がる物ではないと、コウゾウは指摘した。
 ただ、なお強い者である、となるだけというのだが、この点については、シグナムが補足した。
「北の国の神官長……そこにいるマヤ様が呼びだされたんだがな、アマルガムのスポンサーだという少年に、機族の少女も、呼び出された巨人のことを、エヴァンゲリオンだと認めていたよ」
 そしてとシンジのことにも重点を置く。
「特にカヲルという少年なんだがな? 彼は初めてシンジを見た時から、そうであると確信していたようだったよ。機族の少女は、確証が得るために絡んでいたということだったが……」
「その結果、シンジは力を示し、証明してしまったと言うことか」
「ああ。巫女たちは、シンジがエヴァンゲリオンを倒すところを見て、サードチルドレン本人か、あるいは生まれ変わりであると考えることにしたようだった」
「エヴァンゲリオンを倒した姿が、その二人が認めていたことの後押しになったというのか? 何者なんだ、その二人は」
「一人はセカンドチルドレンの複製人間。一人は……」
 はぁ……っとため息を吐く。
「フィフスチルドレンらしい。本物の」
「…………」
 コウゾウは沈没した。
「フィフスチルドレン? 本物の?」
「ああ」
「これはもう……、俺にはついて行けないな……」
「セカンドはともかく、フィフスについては、本当に四百年生きているそうだ。フィフスの少年が本物であることは……」
「あの方は」
 マヤである。
「使徒でもあるのです。フィフスチルドレンについては、コウゾウ様もご存じのことでしょう?」
「使徒である……という話は、俺でなくとも、おとぎ話でみんな知っていることだがな……」
 そんなものがシンジのことを認めているというのであれば、これ以上の生き証人は居ないと言うことにもなる。
「保証され、あげく証明として、勇者の証を立ててしまったと言うことか。そして北の国を手に入れた」
 そういえばと思い出す。
 以前、エヴァのようなものに乗せられていた……そんな話をしたことがあったなと
 しかしながら、サードチルドレンであったとなれば、それは別の問題となってしまうのだ。
「本物の、神話の世界の、神の子か」
 シンジは愚痴る。
「そういう言い方、やめてもらえませんか?」
 真実です、と、マヤが口を挟む。
「レイ様の加護がそれを示すのです」
「サードチルドレンを愛していたという、女神の加護か……」
 こそばゆいとシンジは思う。
 そんな関係ではなかったのに、とも。
「しかしそれも……」
 なにを見たのか、なにかがあったらしい。
 それはわかるのだが、コウゾウは深く追求することを恐れた。
 知らない方が良いことであると思えたからだ。
「時を超えた、ということらしいが」
 コウゾウはシンジを見た。だが、シンジにも説明のできないことであった。
「僕が最後に覚えているのは、大きな爆発に晒されたってことだけです。……自分じゃ、ああ、死んだなって、思ったくらいで」
「だが、生きていた?」
「気を失っていたらしいんですけど、目を覚ましたら、山の中でした」
「そこから始まった物語か……」
「問題はだ」
 シグナムが、ちょうど良いとばかりに、その物語の主人公についてを語り出した。
「アスカ様のことだ」
「アスカ様の?」
「ああ」
 今度はシンジの頭を肘掛けにする。
「シンジについてだが、アスカ様に、巫女姫。それにフィフスチルドレンに、機族の少女。これだけの人間が、シンジのことをサードチルドレンであると認定しているんだ。機族が持っているアスカ様への興味が、そのままシンジへと移ることも考えられないか?」
「アスカ様のことがないがしろにされるというのか?」
「もちろんこの話を信じない者も出るだろう。そういった者たちは、今までと同じように、手管を用いてくるはずだ。だがシンジの存在が公のものとなれば、そういったことについても……どうなるだろうな?」
「どういうことだ?」
 コウゾウが、なにが言いたいのかを想像している横で、はやてが「ああっ!」と絶望するように声を上げた。
「そういうこと!? 突然サードチルドレンが現れて、姫の騎士になったやて? 姫の窮地に遠い過去から舞い降りて、無頼から救い出して、それでもって姫の騎士として剣を取って、盾となると誓ったやなんて、まるでアスカ様こそが、この世の主になるべきお方やて言ってるみたいなことになるやないか!」
「そういうことです」
 シグナムははやてに頷いた。
「機族はもう、アスカ様に固執してはいないのかもしれません。ですがこちら側の連中はどうでしょうか? そんな叙情詩のはじまりを見逃してくれますか?」
 テッサが、これまた彼女までため息を鼻からこぼして言った。
「無理ですね……政治的な意味合いで、アスカ様との関係性が取りだたされます」
「僕の意見としては……」
 シンジが口を開く。
「目的を集約するべきだと思うんだ。これ以上、話を大きくしてもろくなことがないんじゃないかって」
「それはそうだな」
 コウゾウが整理しようと努める。
「機族の興味がそれてくれたのなら、それはそれで喜ばしいことだろうが、まあ、それは希望的観測というものだな。唯一確実なことはと言えばだ、シンジがアスカ様以上に機族を引き寄せる、厄介者だと言うことだけだ。そうなると……」
 はやてが、どういうことですかと尋ねると、コウゾウは、わからないのかと片目を細めた。
「ここに集まっている連中は、アスカ様のために集っている者たちなんだ。シンジのためなんかじゃない」
「機族の興味がシンジさんへと移ったのであれば、彼らのことを引き寄せることになるシンジさんは、追い出すべきだと?」
「言い出す輩は出て来るだろうな」
 ならばと、はやては、口からこぼしてしまった。
「シンジさんを差し出せば、機族はアスカ様を諦めるんやろか?」
 誰もが気付いていながら、それでも言い出しづらかった考えではあった。
 だが一番に口にして欲しくなかったであろうシンジは、黙っている。何を言ったところで、自分可愛さの言葉に聞こえるだろうなと、わかっているからだ。
 そんなシンジのことをかばうように、シグナムが、それはどうでしょうか懐疑的に口にした。
「機族が目指しているのは、チルドレンそのものの復活だということでした。そのためにチルドレンと霊的構造が似ている存在が生まれ落ちる環境を維持、管理しているとも」
「それがわたしらの生息圏なんやな?」
「影ながらわたしたちの社会に介入し、支えていると。もし、シンジがそのものだというのなら、彼らはどうするでしょうか」
 コウゾウが忌々しそうに口にする。
「機族の影については感づいていたが……その理由が、チルドレンの復活にあったとは」
 シグナムは告げる。
「オーラコンバーターのようなものが、機族からもたらされた技術の先で生まれたものであるのなら、これまでもそういったことはあったのかもしれません。そもそもおかしくはありませんか? 強獣だの、密林だの、そういったものに囲まれて、どうして人は、人の社会は、これほどまでに繁栄することができたんでしょうか?」
 つまりと。
「機族にとって、我々は実験動物に過ぎないのです。サードチルドレン……チルドレンを復活させるための検体に過ぎない。ならば、それそのものが手に入ってなお、そのような実験場の維持に努める意味を、彼らは持ち続けてくれるでしょうか?」
 そういうことかと、コウゾウは懸念を理解した。
「その恩恵を預かることができなくなるとしたら……か」
「ああ。情けない話だろうが……。それにだ、それどころか、この先、わたしたちは、彼らの領地を……生活圏を荒らすことになるかもしれない」
「……オーラマシンの存在か」
「ああ、そうだ。オーラコンバーターは偉大だよ。だが人の行動半径を広げすぎたな。容易に彼らの敷地内へと侵入することが可能になった。となれば、機族の邪魔になるのなら、機族は駆除に乗り出してくるかもしれない。わたしたちの生活圏が、彼らにとっては実験のためと指定している生息圏だとするのなら、そこから出ることを許すだろうか?」
 シンジが尋ねる。
「機族の国って、遠いんですか?」
 コウゾウが、腕組みをして、ふぅむと唸った。
「わからん」
「え?」
 テッサがメモ帳を取り出し、円を描いて、その中に交差位置が中央よりかなり上になる、いびつな十字を描いた。
 その先端四つに丸をする。
「こんな風に、人が陣取っている土地って言うのは、ずっと上の方に偏っていて、南の機族の国っていうのは……」
「そうだな。南から来る。だから南に国がある。そう俺たちが思い込んでいるだけなんだ」
「酷い話ですね……」
「それだけ謎に包まれているという話だよ。まあ、南の方角と言うことについては本当であるようなんだが……その距離となるとな、皆目わからん。検討もつかんのだ」
「じゃあ、誰も機族の国に行ったことがないって言うのは……」
「危険がある……というのも、いろいろとあると言うことさ。単純に道のりが危険な場合。あるいは行く先が危険な場合。それに……この場合だと、人の足で行き着けるのかどうかと言う場合もあるな」
「時間と距離の問題ですか?」
「そうだ。歩いて行くのに一体何年かかるんだろうな? 人の足で往復しようとしたところで、片道で一生を終えるかもしれない。その上に強獣なんかの問題もある。人の生息圏から遠ざかるほどに強獣は大きくなる。植物だって危険なものが多くなる」
 テッサが想像で補った。
「オーラマシンは、不可能だった距離の踏破を可能にした……」
「それが過ぎたものやて言うなら、また以前の、地を這う生活に逆戻りさせられることになるんやろか? 下手をすると、狩猟時代にまで後退させられて……いや、それすらも許されんのか?」
「やっかいな話だな」
 そういうことですとシグナム。
「シンジを差し出せば、わたしたちは機族からの驚異を忘れることができるのかもしれません。ですがそれとは引き替えに、機族からの関心を失い、恩恵まで無くしてしまうかもしれないのです。と、そういう話になるわけですが……」
 はやてが言う。
「卑屈すぎやせんか?」
 しかしだとコウゾウ。
「簡単に差し出して良いものでは無い。だろう?」
 ああとシグナム。
「引き渡すにしても、最低限の交渉は必要だろう……もっともどこの誰が代表して、機族と交渉するのか……と言えば」
 シグナムはシンジの頭を深くぐっと押し込んでから手を離し、かぶりを振った。
 シンジにやってもらうしかないということであった。
 シンジは呆れた。
「生け贄自身にやらせようっての? それは交渉じゃ無くて、交換条件だろう?」
「機族がわたしたちの言葉に耳を貸すと思うか?」
「でも僕には、君たちのために自分を犠牲にしなきゃならない理由なんてないんだよ?」
「本当に?」
「…………」
 シンジは、ちくしょう、と、足下を見られたことを小さく毒づいた。
 そんなシンジのことを横目に、コウゾウが顎に手をやって考え込む。
「確かに、シンジの……サードチルドレンの声になら、機族も答えて返すかもしれんが」
「従ってくれるかどうかは別でしょう?」
 シグナムが確認を取る。
「で、シンジには、自分がサードチルドレンであるということを喧伝するつもりはない。そうだな?」
「うん」
「つまり、サードチルドレンなど存在しない。という前提は守るべきだと言うことだ」
「シンジが俺たちの命綱である以上、シンジ自身がサードチルドレンであることを認め、その上で俺たちの身の安全を保証してくれるようになってくれるまで、信頼関係を築き上げろと、そういうことか」
「そういうことだ」
 幸いにもとシグナムは続ける。
「シンジは別に、故郷に帰りたいわけではないらしいし……名前なんて、売りたくもないとも言っているんだ。旅をして、地位や名誉に対する欲がないのは、よくわかったよ。欲しいのは味方だろう? どこにも味方がいないのでは困る。かと言って、味方を得るために自分がサードチルドレンであるなどと口にして回っては……」
「功名心に(はや)ったり、欲に目がくらんだ連中まで絡んでくると?」
「それだけじゃないな。認めない、認めることができない、信頼できないという連中も出るだろう」
「結局……僕が安心して暮らせるのは、もしかしたら機族の元でだけ……って可能性もあるんですね」
「それも一つの可能性だろうな」
「ぞっとしない話ですけど」
「だが今は困る。もはやお前は主戦力だ。機族を抜きにしても、お前無しではこの『アスカ軍』は維持できん」
「アスカ軍って……」
「機族の申し出が事の発端ではあるだろうが、機族がアスカ様から興味を失い、手を引いたとしても、その機族の意を受けて、あるいは利用して動いた者たちはどうすると思う?」
「ああ……そういうことですか」
「アスカ様を(しい)しようとしている連中は、機族が諦めたことを話して回ってくれるかな?」
「機族の反応がどうであれ、その手先となっている連中は、この機を利用してアスカ様を亡き者にすると?」
「それこそ機族は、人がどう動こうが、人が自分たちのことをどう利用しようとも、気にもとめないだろうしな。シンジさえ存在していればいいのだろうし」
 コウゾウの意見をシグナムが補足する。
「それに、だ。北の国が動いたのはシンジのためだ。アスカ様のためではない」
「そうだな。それもある。ここでシンジを手放せば、北の巫女も引き上げる。そうなれば、アスカ様は見放されたという格好になるな」
「それは……」
「つまりは、もう後戻りはできんのだよ。上手い具合にシンジの役所を見つけて、据え置いてしまわなければならないという話だな。その上で、機族には穏便に手を引いてもらえるよう、対処するしかない」
「穏便に?」
「ああ。シンジが必要であっても、実験動物としてではなく、ただの人間としてであるのなら、協力する、交流する、ということで話を落ち着けることだってできるはずだ」
 頭の痛い話だがとコウゾウは言う。
 この旅で、機族にも人間がいることがわかり、その点については僥倖であったと言えるだろうが、機族全部が言葉の通じる人間であるのかどうかはわからないのだ。
 最悪、交渉など通じない機械が相手だと言うこともある。
 シグナムがまとめにかかった。
「とにかく、最初の話だ。姫を機族には渡さない。もう機族の好きにはさせない。お前たちの目的はそこだ。だからシンジという戦力が欲しい。これも良い。しかし今となっては、シンジには北の国という戦力がもれなくついてくる。そして北の国はシンジのことを、機族のみならず、お前たちに対しても、好きなようにはさせないだろうな」
 ちらりと、黙したままの、北の国の巫女たちを見る。
 シンジに対し、ぞんざいな言葉遣いをしていることに、かなり腹を立てているな……とシグナムは見た。
 それでも喚こうとしない、正させようとしないのは、シンジの望むことではないからだ。この辺りのくだりについては、御座船の中で散々繰り広げられたことであった。
 アスカのみならずシグナムもテッサも、旅仲間としての気安さが生まれていた。それを……巫女たちにとっては正す、というのは、シンジや彼女たちにとっては、関係(チーム)を失うことに等しかった。
 結局は、シンジが強権を発動し、黙らせていた。
(いつかは爆発するな……)
 シグナムがそんなことを考えていると、コウゾウが大きく息を吐き出した。
「改めて考えると、凄い話だ」
「だが良い話でもある。機族の狙いはシンジだ。アスカ様はお前たちの手で守れることになる」
「シンジは?」
「お飾りでも良いだろう? 国に対しては」
「機族の対処にだけ、矢面に立ってもらえば良いと?」
「シンジはどうなんだ?」
「僕は……僕の考えは変わってないつもりなんだけど……」
 シグナムが、それはもう無理だがなと、口にする。
「目立たないように努めて、曖昧にできるようにしておいて、もっともらしい嘘で煙に巻いて、逃亡する。……無理だろう、こうなると」
 おもしろがっていた。
「目立ちすぎたな」
 コウゾウが漏らす。
「だからと言って、北の国の申し出もな……」
 先ほどにも上った考えである。
「シンジをサードチルドレンから、神官騎士に置き換えたとしてもだ、アスカ様が北の国からの後押しを受けることになってしまったという構図は、そのまま残ることになる」
「そして、実際のところ、その後援はあくまでシンジが受けているもので、お前たちのものではない……と」
「シンジを粗略に扱うわけにはいかず、かといって、丁重にもてなして目立たせてもいけない? あげく、手放すなどもってのほかとは……どうしろというんだ」
 まったくとこぼされて、シンジは居心地の悪さを感じて、首を小さくした。
(まあ、僕がいなくなれば……ってのは変わらないんだろうけどさ)
 物語にはよくある話である。
 国を平定した騎士が、旅立つ、国に帰る、ということは。
 そこが未開の地となるか、北の国になるかはわからないが、シンジはその辺りが付き合っていく上での限界領域だろうなと、改めて定めたのであった。

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