北の巫女姫は、船から出ることが許されない。という話であった。
 実際には許されないのではなく、できないのである。
 マヤの説明によると、この船自体が特殊なフィールド発生装置となっており、巫女姫の身を安静に保つための働きを行っているのだという。
 シンジは城の内部から下層階に降り、ドックへと回っていった。もちろん、船にいる巫女姫に会うためである。
 あのように巫女たちを追い散らしたことについて、少し話しをしておこうと思ったのだ。
 単なる小心からの行動であった。言い訳をする必要は無いのだから……。
 船に入ると、道々、顔を合わせる巫女たちが、皆、通路を開けて端に寄り、シンジへと頭を下げて、顔を見ないようにと勤めるのである。
 こんな顔に、威厳や権威や、神々しさがあるわけでもないだろうにと、鬱になる。
 マヤの後を追い、巫女姫を訪ねる。
 巫女姫にも私室があった。
 もっとも、そこはシンジの知るイメージの中では、病室に近いものであったが。
 大きめのベッドに、診療台。それに果物が乗った小さな机。
 それに静謐で、清潔で……。
「殺風景?」
「……そうですね、そう思いました」
 巫女姫の問いかけに答えると、正直ねと笑われた。
 ここまで案内をしてきたマヤは、一礼をして下がっていった。さすがにこの会談に付き合う考えはないようであった。
 シンジは、格とか、地位とか、そういったものが生む格差が、遠慮の下地にあるんだろうなと想像をした。
「座って」
「椅子がありませんよ?」
「ベッドの端で良いでしょう? わたしは立てませんが……」
「どうして?」
「アップリンク中なのです」
「え?」
「なんでもありません」
 シンジは怪訝に思いながらも、ベッドの端に腰を落とした。
 ベッドの上で半身を起こしている彼女の右手側になる。
「病気ってわけじゃ無いんですよね?」
 巫女姫が右手を差し出す。
 シンジはその手を受け取り、甲を親指で撫でるようにした。
 そんな愛撫がくすぐったいのか、巫女姫が微苦笑を浮かべる。
「どうですか?」
「不健康な感じじゃ無いですね」
「どきっとする?」
「からかわないでくださいよ」
 シンジが逃げるようにする。
 巫女姫は、そんなシンジの態度を特に気にした様子も無く、手を元の位置、腹の上に戻して、両手を組み合わせた。
「マヤから話は?」
「聞きましたけど」
「多重人格、あるいは人格の崩壊。そう考えてください。情報過多によりパーソナリティが汚染され、安定性を欠いているのです。ですから頭痛が酷いときなどは、こうしています」
「大丈夫なんですか?」
「今は治まっていますよ。でなければこのように迎え入れたりはしません」
 この間とは、随分と雰囲気が違うなと、シンジは対処に困っていた。
 またあのようにからかわれるのでは無いかと警戒していたのだ。
「あなたもその……作られた人間なんですか?」
 シンジの、傷つけてしまうかもしれないという恐れを交えた質問に対し、彼女は特に気にした様子も無く答えた。
「作られたと言うよりも、生まれたものと言うべきでしょうか」
「生まれた……? なにから」
「それはまだ口にすべき時ではありません。ですから、口にはしません」
 そうですかとシンジは追求しなかった。
「じゃあ、いつかは聞かせてくれるんですね」
「その必要は無いでしょう」
「僕には関係が無いからですか?」
「知ることになるからです」
 シンジはわき上がる衝動に耐えきれなくなり、質問を変えた。
「あなたは一体……何者なんですか?」
 とても抽象的な質問であったが、巫女姫はそれをおもしろがるように目を細めた。
「巫女姫……と言っても、あなたにはその畏敬は通じないでしょうね」
「ええ……少なくとも、僕の知っている人たちの中には、あなたは居なかったと思います」
「そうでしょうね。わたしはワンオフ……特別な目的のために作られたものから生まれた、唯一の存在ですから」
 シンジは眉間にしわを寄せた。
「難しいんですね……作られたものから生まれた?」
 彼女は笑う。
「ええ。もっとも、ゼーレ……ゲヒルン。そのさらに以前にまでさかのぼる話です。あなたが気にすることではありません」
 シンジは驚いた。
「あなたはっ、セカンドインパクト前から生きているんですか!?」
 まさかと、彼女はクスリとこぼした。
「代替わりはしていますよ。役割のことを話しているのです」
 シンジは浮かした腰を再び落とした。
「ああ……そういう……」
「ですから、あなたの持つ疑問の大半には答えられます」
 シンジは慎重に尋ねた。
「でも、教えるつもりはないんですよね?」
 彼女は唇に人差し指を当てて片目を閉じた。
「禁則事項です」
 似合わないなぁとシンジは思った。
「……理由を聞いても良いですか?」
 スルーされたことに対して、巫女姫は少しばかり傷ついたようであった。
「不都合が生じるからです」
「不都合?」
「はい。先入観になど、邪魔をされたくはないのです」
「それは、なんで?」
「あなたの選ばれる道が、必要だからです」
 おかしな物言いだなとシンジは感じた。
「サードチルドレンだとかなんだとかが作り出す未来ってものには興味なんて無くて、道に用があるんですか? 過程に価値がある?」
「はい」
「それがどんな道なのかはわからないのに?」
 彼女はうっすらと笑った。
 それは知らず……思わずと言った反応に思えた。
 表情の筋肉が、感情に引きずられ、()るように口の端だけ持ち上がったようであった。
 シンジは返答がないことから、彼女自身も気付いていない表情の変化に、なるほどと納得するしかなかった。
「この質問の答えも、邪魔になるものなんですか」
「はい。禁則事項です」
 なんだ、それはと、シンジは呆れた。
「あなたは本当に……代替わりなんてしているんですか?」
「嘘だと言ったら?」
「信じます」
「なら使徒だと言ったら?」
 シンジはカヲルのことを思い出す。
「信じたくはないです」
「敵だから?」
「敵って」
 シンジは吹き出す。
「なんのですか?」
「人類の」
「僕の……じゃないってことですよね、それって」
 なるほどと、今度は彼女が噴きだした。
「あなたは、人類……彼らの同類ではないのですね」
「やっぱり、壁とまでは言いませんけど、なにかこう、違うものなんだなって感じはあるんですよね」
「そうでしょうね」
 一つ、間を置く。
「ですが、その違和感も、時期に薄れるでしょう」
「勘違いだから?」
「人は慣れる生き物だからです」
 つまり、違いは明確にあり、消えることは無く、勘違いでも無いと言うことであった。
「どこかで聞いたような台詞ですね……」
「実際、あなたはこの世界、社会に慣れ、理力甲冑騎のようなものにも慣れてしまった」
「…………」
「理力甲冑騎……あなたの騎士は、どうです?」
「アスカの騎士です。どう……って?」
「あなたという乗り手を得たことにより、未知なるものへと成り果てようとしているのではありませんか?」
 未知なるものかと、シンジはこぼした。
「あれ、なんです?」
「あれとは?」
「エヴァの血です」
「使徒の血です」
「違うんですか?」
「大違いです。使徒は単体の生き物です。エヴァのように人を模した形を取っても、それはあくまで形態模写に過ぎません。本来の存在は光のようなもの。つまりはただのエネルギー体に過ぎないのです。それらが三次元界へと顕現するために、物理法則に則る形で再構築を行っているだけなのです」
「……血も、肉も、見え方は違っていても、同じものだということですか? エネルギーという名前の生命体だって」
「その通りです。血であろうが、肉であろうが、それは使徒なのです。細胞の一片、粒子の一つまでもが」
「それじゃあまるで、単細胞生物だ……」
「エネルギー体ですから、似たようなものですね。一つで全、全で一つ。この世界の生物のように部品単位で組み上がってはいませんから」
 ではと思う。
「じゃあ、今、サーバインを固めているのは……」
「使徒です」
「でも侵食されてるって感じじゃなかった……」
「はい。もしそうなら、凝固はしないでしょう。浸透しているはずです」
 シンジは思い出した。過去に痛い目に遭った、幾つかの侵食行為についてである。
「じゃあ、いったい?」
(かす)……でしょう。あるいは死骸か」
「どういうことです?」
「使徒としての存在値、エネルギーを、理力甲冑騎に喰われた残りが、表皮に浮いてきていると」
「サーバインが……喰っている? 使徒を?」
「エネルギーを吸い上げたのでしょう。外皮を固めているのは干からびた残滓(ざんし)に過ぎません。その内に剥がれ落ちるでしょう」
「サーバイン……一体なにをやるつもりなんだ?」
「新たな力を取り込むための儀式に過ぎないのでしょう」
「新たな力……魔力炉のことですか?」
「そうです。機械的な動力炉ですから、生体としてそれを操るためには、器官として認識し、操作するために神経網を接続する必要があるはずです」
「簡単な話じゃないですよね、それは」
「ええ」
「でも、それは僕も感じましたけど、それだけじゃないって気もします」
「そうですね……あの理力甲冑騎は、もはや機動兵器などという枠組みには収まらなくなっています。機体が……『本人』が、なにを思い、願っているのか? それにより、現れる結果は、わたしたちの想像を超えることもあるでしょう」
 シンジは感心した。
「よくわかるんですね」
「いずれあなたにもわかるようになるでしょう」
「僕に?」
「そうですね……たとえば、あなたは、今まで知らなかったはずの言葉を……固有名詞を、ごく自然に使ったことはありませんか?」
 シンジはいろいろと思い浮かべようとして、そう言えばと、ひとつ取り上げた。
「オーラバスター……僕はあの剣をそう呼んでた」
 彼女は、オーラバスターですかと口にする。
「そういうものですか」
「わかるんですか?」
 思わず尋ねてしまったのは、彼女が正確に、見たこともないもののことをイメージしていると直感したからであった。
 それはまるで、言葉にこめらているものから、形をひもといて、理解するに至ったような感触であった。
「この世に満ちるもの、マナ……魔力と呼ばれるものは、そういうものなのです。人の意思、意識を伝達するものなのです」
 シンジは、ぐーぱーと手を動かし、見つめた。
「だから、伝わる?」
 戦闘中の、不可思議な現象のことを思い出す。
 直接相対しているかのように行われた対話のことを。
「それは、殺意でも同じことでしょう」
「それが、魔法?」
「媒介として、という話です。原理は別となります」
「僕にも使えるようになるかどうかはわからないけど……サーバインのあれは、心配が無い、ということですね」
「はい」
 なんだろうなぁ、とシンジは思う。
(元気なときと、大人しいときとで、ギャップが凄いんだよな、この人)
 それも病気──体質に関係しているのだろうかと、シンジは彼女のことをいぶかしんだ。
 夢か幻と言うことにしたかったのだが、自分以外の人間、シグナムも目撃している。
(アップリンクとか、人間じゃ無いのか?)
 謎な人だと、シンジは思った。


 翌朝のことである。
「理力甲冑騎だ!」
 機体が一騎、舞い降りる。
 それは奇っ怪な、竜と鬼の合いの子のような機体であった。
 太く丸く、いかめしい。それほどまでに大仰な装甲を纏っている。
 竜を模した兜には小さな角が二本あり、鬼の面のようでもあった。
 コウモリのような巨大な羽根と、丸太のような尾を持っている、真っ黒な甲冑である。
 体躯も、スモールの追加装甲を着込んでいるサーバインより、さらに二回りは大きく見えた。
「ズワウスじゃないのか、あれ」
 誰かが言った。
 黒い姿には、朱色の文様が描かれていた。
 血か、炎を表しているようでもある。
 機体は足から急降下し、墜落寸前で大きく翼をはためかせた。
 一瞬生まれた浮力が加速をマイナスの方向へと転換し、とても柔らかく前庭へと着地した。
「凄い」
 シンジは目を丸くして疑った。
 その挙動はシンジが持っている理力甲冑騎の概念を超えるものであったからだ。
「理力甲冑騎って、もっとがくっとした動きしかできないんじゃ無かったの?」
 実際、旅先で見た甲冑の動きはそのようなものであった。
 このような動きができるのであれば、機族の戦闘機を相手にしても、やりようによっては十分以上に戦えてきたはずだと思えた。
 胸のハッチが開く。そこから、がたいの良い男が姿を覗かせた。
 乗ってきたものによく似た鎧を着込んでいた。兜を取って脇に抱える。
 男は大きな声で、アスカ姫に目通りを願いたいと叫んだ。
 緊張が走る。
 姫がこの城にいることは、非公式となっているからだ。
 やたらと体の大きな男だった。角刈りで、痩せた頬がいかつい感じを醸し出していた。年の頃は三十路だろうか?
 ただ、鎧も外套も、おろしたてのように立派なものなのに対して、腰につるしている剣の実用度だけが、異様な迫力を醸し出していて、そこにちぐはぐな印象が見受けられた。
(身支度をどれだけ調えたとしても、道具だけは……ってことか)
 どこに向かおうとも使い慣れている武器を手放すつもりは無いと言うことなのだろう。そこにその人物の人となりを見ることができた。
 シンジはその人物を遠巻きに眺める大勢の中に紛れ込み、直接には顔を見られないように気をつけていた。だから、はっきりと顔を覚えることはできなかった。
 そうしていて、テッサを見つけて、こっそりと側に寄っていった。
「とうとう来たかって感じなのかな?」
「そうですね……」
「知ってる人なの?」
「ベルフィールド卿……はやてのライバルです」
「軍関係の人って事か……ライバル?」
「あの動きを見たでしょう? 理力甲冑騎は普通の魔導士では相手にならない力を持っていますが、それでもはやてたち、『特別な騎士』の相手にはなりません」
 そういうことかと理解する。
「なのに、はやてたちがこの国の一番の騎士でも軍団でも無い?」
「その理由が、あの方なのです。第一軍の騎士団長である、ベルフィールド卿の……」
 そういうことかと思ったのだが、そのようなことは以前から承知のはずのことである。
 ならば彼女が浮かべている浮かない顔の理由はなんであるのかと、シンジはテッサをのぞき込んだ。
「気になることでもあるの?」
「卿は、アスカ姫にとおっしゃいました」
「それが?」
「なぜここにアスカ様が居ると知ったんです?」
「それは……」
 はっとする。
 表向き、コウゾウの移住については、館を失ったことから、はやてに助けを求めたという話になっている。コウゾウの元にアスカが居たという話はそこにはないのだ。
 あくまでも、アスカ姫は、城を出た後は行方不明の扱いである。
 この地に集っている者たちも、シンジたちが戻るまで、直接には姫の姿を見ておらず、ここに身を隠しているという話も、嘘なのではないのかと疑っていたほどなのだ。
「あの人がどこから飛んできたにしても、姫様の姿を見たっていう確定情報を、この城から持って行ったって人がいるってことなんだ……あの人が動くことに決めた情報を」
「そうなります」
 だが内通者がいるにしても、情報を送る手段は限られている。
「王都まで姫の話を送ったにしても、卿が飛んできたのは早すぎます」
「つまり?」
「元々、この近くに潜んでいたのかもしれません。裏ではコウゾウ様のところに姫様がおられたことは、広まっていた話でしょうから……」
 それにしては……とテッサはこぼす。
「卿のお姿はきちんとしすぎてします。身なりを整えられる場所を用意されて、そこからお越しになられたとしか思えません」
 つまり、この近くに軍団、軍勢が潜んでいて、陣を張っている可能性があるということであった。
「でも、はやてさんたちに気付かれること無く?」
「気付かれないところに、です」
 そういうことならと、シンジは決断した。
「準備できるかな?」
「え?」
「偵察に出た方が良いってことだろ?」
 シンジの押さえた声に、テッサは頷く。
「大急ぎで仕上げます……偵察には、グライダーでいいですよね?」
「了解」


 ベルフィールド卿は大広間へと通された。
 そこではコウゾウとはやてが待ち受けていた。それぞれ、背後にはリョウジとザフィーラを立たせている。これは側近をと言うより、小間使いを用意しているという形であった。
 ベルフィールドの要求に対して、白々しい嘘を返したのは、はやてであった。
「アスカ様がさらわれたやて? 初耳やなぁ。確かにアスカ様は療養したいと言うことでお泊めしてるけど、それはあくまで療養のためやで?」
 卿は長い卓の上に並ぶ燭台越しに不敵な笑みを送りつけた。
「そりゃあ、いかんなぁ」
 使者の肌は浅黒かったが、それは日に焼けているためであって、地の色ではない。
 短く刈り込んでいる髪をばりばりと掻いて、わざとらしい演技をする。
「で、姫さんの加減はどないや?」
「すこぶる元気や」
「なら、会わせてもらえるんやな?」
 それはもちろんと答えて、コウゾウがリョウジに呼びに行かせた。
 この際に、コウゾウはリョウジに呼びに行かせるというふりを装って、はやてに目で確認を取っていた。
(巫女姫については触れてこないな)
(御座船の入場を知らんはずがないやろに……)
 あれだけの船が国境を越えているのだ。
 御座船は巫女姫の船である。巫女姫無く動くことのない船である。故に国境、検問などの人の法に拘束されることはない。
 ならばこそ、その動きはよく目立つ。
 動向が王都へと伝わっていないはずがなかった。
(巫女姫と姫様との情報は別扱いなんか?)
(それはないはずだ。共にこの城にいる以上、関連づけて考えない方がおかしい)
(なら?)
(問題にしていないと言うことだろうが……)
 ──待って五分、ようやくアスカがやって来た。
「おお、アスカ様」
 アスカは寝起きのためか髪がふくらんでいた。櫛も通していない。
 その上、寝着のままであった。
「なにごとなの?」
 眠そうに目をこする……真似をする。
 はやてとコウゾウが笑いを堪えているのを見て、アスカは不満から、頬を膨らませそうになってしまった。
 確かにまだ朝は早いが、アスカはとうの昔に起床をすませ、食事も終わらせてしまっていた。そこにははやてたちも居たのである。
 この格好は、わざわざまだ寝ていたのだという演技をするよう、頼まれてのことだった。
「迎えに来ましたで」
「迎え? なんで? どこに?」
「もちろん、陛下の元へや。王妃様も心配しとる」
「ここははやての城だよ? 心配するようなことなんて」
「はやてかて、コウゾウのことだけで手一杯やろ」
「でも……」
「父上が心配してらっしゃるんや」
「無理に慣れない言葉を使わないでよ」
 はははと男は笑った。
「悪いな。なんせ辺境の田舎もんやさかいにな」
「本物の田舎者が、王都に駐軍するような軍の将になれるの?」
「きっついなぁ」
 このアスカの指摘は余計なものであった。
 ベルフィールドの目つきが変わる。
 表面上は同じであったが、その奥が鋭くなったのである。
 アスカのしたものは、幼い子供がするような指摘ではなかったのである。なによりアスカの人を探る目が、もう子供のものではなくなってしまっていた。
 男はそのことに感づいたらしい。しかしこれは、アスカの不手際と言うには難しい問題であった。
 幼いアスカに、そこまでの演技を求める方が酷であろう。
 そしてそんな男の変化に、コウゾウはまずいなと感想を持った。
 間を奪うために、会話に割り込む。
「お戻りになられますか?」
 アスカへと尋ねたのは、あくまでアスカの自主性に任せているのだという、主張のための演技であった。
 アスカは顎を引き、口をあひるのようにすぼめて、上目遣いに尋ねた。
「コウゾウは、わたしが邪魔なの?」
「それはありませんが……なにより、わたし自身、館が崩され、身を寄せているという有様ですから、迷惑だというのなら、アスカ様よりもわたしが城を去るべきでしょう」
 何者かに狙われている以上はと、狙われたのは自分であって、あの場には居なかったことになっているアスカではない、と、強調する。
「姫の御身に関わることとなれば、わたしなど」
 そうやでと、卿が口を挟む。
「コウゾウは、はやてに守ってもらうつもりなんやろうけど、そこに姫様がいるんじゃ、出ていかざるをえんようになる。姫様が城に戻れば、コウゾウは安心してはやてに守ってもらえるようになる。違うか?」
「違う」
 アスカは言い切る。
「何者が狙ったにしても、わたしがいることをおおやけにすれば、王族を巻き込むような真似は慎むはずよね?」
「そう、深い考えをするもんばかりとちゃうで?」
「自分の身が大事で、家臣を見捨てて逃げることにした。そんな王族、誰が崇めてくれるの? 奉ってくれるの?」
 なんや? と、卿はいぶかしんだ。
(子供の考えとはちゃうな、これは)
 かといって、なにかを吹き込まれているようにも思えない。
「それは大人の考えることや。子供が張り切ることとちゃうで」
「あなたも子供扱いする」
「ふくれてもあかん。もしアスカ様の身になにかあったらどうするんや? はやてやコウゾウはどうなるんや」
 アスカは一瞬だけ、コウゾウに目線を送った。
 コウゾウは、アスカと同じ感想を抱いていた。
(わたしの城がどうなったのか、その点には触れようとしないな)
 コウゾウの領地がどのようなことになっているのか、それを知っているのなら、からめた話もあって良いはずなのだが、それがない。
 アスカが引き上げる代わりに、コウゾウを警備する人間を出すとでも言えば、それで交渉は終わるはずなのだ。なのにそれをしようという気配もない。
(本気で連れ戻すつもりが無いのか?)
 コウゾウの城を襲ったのがアマルガムであり、機族だと知っているのならば、ここまで悠長な態度は取れないはずである。しかし、そこまでずさんな情報源しか持たないような男では、軍団長になどなれるはずが無かった。
 何者かに襲われた……十日以上も経って、未だにそんな曖昧な情報を手にしているだけだということは、おかしかった。
 破壊跡を見れば、どれほどの惨事であったのか、知っていようものだ。ならば、これほど悠長には構えていられないはずである。城一つを崩すほどの力など、想像もできないことなのだから。
(攻城戦レベルの巨大魔法が使われた……そう取るしか無いはずだ。一夜にして城が消える。それをやる方法は他に考えられん。だが、それだけの魔法使いとなると、国で管理されている者がほとんどとなる。それ以外の、野に居る者たちが動いたとなれば、それはそれで大事と捉えねばならん。魔法以外の力が用いられたとなれば、より大きな問題だ。城を落とすのに、一晩ですむ方法が見つかったことになる。なのに、関心が向けられていないだと?)
 気付かれぬように、ベルフィールドという男の表情を観察する。
(このちぐはぐさ、なんだ?)
 国にしてもそうだ。コウゾウが与えられている領地とは言え、国の一角が襲われたのである。だというのに、この事件に対する反応が鈍かった。
 領地に残してきている代理の者に、城からの使いはまだ来ていないというのだから……。
 コウゾウはそこのところを掴みかねていた。
 外に集まっている物々しい者たちについてもそうである。
 はやての城は、禁忌の土地でもあるのだ。そこに武装した者たちが集まっているというのに、話題に取り上げようともしない。
(警備のために人を雇っているにしては物々しすぎると思うはずだ。逆に神像や機械兵が相手では役に立たない者たちでもある。どうしてそこのところを持ち出さない?)
 アスカは男の顔を見上げた。座っていてさえ相手の方が大きいというのに、アスカはまったくひるまなかった。
「わたしは自分でここに来たの。なのにコウゾウが、やっかいごとが来たからって場所を移す? 追い出す? そんな酷い人間にはなりたくないの。わかったら帰って。これは命令よ」
「それでのこのこと引き下がったら、俺は単なる使いっ走りや」
「違うの?」
「俺やったら、絶対に、連れて帰ってきてくれる。そう信じて任せてくれたお人がおる。ならその期待を(たが)えるわけにはいかんやろ」
 その上、命じたのはアスカよりも上位にある者、つまりは陛下やと口にする。
 なるほどねと、アスカは皮肉った物言いをした。
「あたしのためじゃなく、自分の評価のためなのね……」
「もちろん姫さんの体のことも心配しとるわ。そんで、急にいなくなってしもうたってことで、心を痛めておられる方もおる」
 それはおかしいとアスカは言う。
「城には手紙をおいてきたもん。だから、はやてのところに居たってわかったんじゃないの?」
「ん? そんな話は知らんで?」
「おかしいじゃない? だったら、どうしてここにいるってわかったの?」
「コウゾウの城が襲われたて話は、王都にまで筒抜けになっとる。そのコウゾウにはやてが手を差し伸べたて話もな。そやったら、そこにアスカ様らしいお人がおるって話も、伝わってるとはおもわんか?」
 ここに至って、コウゾウの城の話が出てきたのである。コウゾウは、わざと触れずにいたというのは、勘ぐり過ぎだったのかと、迷いを持った。
 アスカが続ける。
「だとしても、手紙はどこに行ったの?」
「そんなん、俺にわかるわけないやろ」
「おかしいじゃない」
「知らんて。俺がここにたどり着いたのは、別の方法でや」
「そ? さらわれたことにならないと困る人が、捨てちゃったのかな」
 露骨に、あなたじゃないのという目を向ける。
 だが男は怯まなかった。
「驚きやなぁ、そんな不心得者がおるとは。帰ったらさっそく洗いださなあかんやろな」
 冗談よとアスカは切り上げた。
 もともとそんな手紙など存在していないのだから。
 これで、反アスカ派の中にアスカの味方が潜んでいて、その者がコウゾウの元へ行くつもりだったというアスカの動きをくらませるために、手紙を握りつぶしたのでは無いのかと、彼らが身内を疑ってくれればと……そういう程度の嫌がらせであったが、この男がどのような立場にいるのか、そんな確たる反応は得られなかった。
 それでも、どちらでもないよりは、あちら側である可能性が高い。少なくとも、こちら側ではないだろうと思えた。
 アスカは、ここまでかと、しっしっと手で追い払う仕草をした。
「ともかく、お父様には心配ないと伝えておいて。もう大丈夫って思ったら帰るからって」
 まだベルフィールド卿はなにか言い足りないようであったが、まあ、しゃーないな、と、この場は席を立つことにしたようであった。
「アスカ様を連れ帰るために、軍を持って来てるんや、入場とはいかんけど、外には置かせてもらうで」
 これに反対したのは、はやてである。
「軍を置くほどの土地はないで」
「ふた山ほど離れた場所や、そこなら、邪魔にはならんやろ」

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