月の陽は木々の狭間からわずかに漏れ落ちている程度で、人の目では森を縫って進むことなど不可能であった。
それでも彼女には、それを可能とするだけの奥の手があった。
顔には大きなゴーグルを付けている。体はシリコン性のウェアで全身を包んでいた。
頭から手先、足先までである。
だが外から彼女のことを視認することはできなかった。光学迷彩──彼女が身にしているのは、古代の遺物、ステルスアーマーであった。
この世界の科学力では開発できないもの。つまりはこれも、神像などと同じ古代文明の遺産である。
ふと足を止め、彼女は頭を巡らせた。視線を感じたのである。
暗視ゴーグルの、黒と緑の景色の中に、不自然さがないか確かめる。
そうして、一方向をじっと見やると、迷彩を解き、そちらに向かって両手を挙げた。
それから、城の方角を指し、片手ですまないと謝り、じゃあと手を振って姿を消した。
彼女が手を振った方角、茂みの奥には、幾つかの金色の光があった。
一対ずつ、それは獣の瞳であった。
(くわばらくわばら……)
ここは半人と呼ばれる獣人が支配する地区である。多くの人間は彼らのことを、騎士はやてが収めている土地の住人だと思っているが、マナはとんでもない誤解だと知っていた。
人になれなかった者たち。卑下をすればそういった言い方になるのだが、逆を言えば、獣の力を持つ人たちとなるのだ。
人と獣、どちらが強いかは明白である。
その上で、獣人は人と同じく策を巡らし、人と同じく武器を扱う。
魔法を使う者たちもいる。
獣姿をしている。だから脳は小さく、知恵、知識、知能の点で、ただの人間以下である。などということはない。
この森を進軍することになったとして、歩兵隊が無事に進行できるかどうかは怪しかった。
(さすがにねぇ……この森を焼き払うとか、そんなのやりたくないし……)
心情的にというのもあるが、打算的にと言うこともあった。
彼女は傭兵である。傭兵の中には獣人もいる。さらにはこの土地ともつきあいがある。
ここで遺恨が生まれると、他での商売がやりづらくなるのだ。
「よしっと」
ようやっと、城の外壁へとたどり着く。
ステルススーツは便利なものだが、シリコン素材は堅く突っ張り、あまり素早い動きをさせてはくれない。
窮屈でもあるが、体が凝るのだ。
彼女は城壁の上のかがり火を見てほっとした。
星と月明かりが頼りの世界では、暗がりは恐怖を喚起する空間でしかない。とくに木立の側などは、なにが潜んでいるのかわからずに、原初的な恐怖心を想起させる。
大きな危険をはらんでいる生き物については、獣人たちが排除しているだろうが、あくまでもそれは獣人にとっての危険度で見た話である。
獣人たちには問題が無くとも、人間が相手にするには辛い動物たちが、多く野放しとなっている。
「問題はここからなんだけどさ……」
はやての居城は特殊な作りを持っている。
正門と呼ばれるものが、巻き上げ式でもなければ、両開きでもないのだ。
スライド式であった。
その上、仕掛けのようなものも無いのだ。
ただの機械式の扉なのだが、その操作装置は直接設置されてはいない。
この扉も城の一部である。当然、その動作は守護騎士システムと連動している。
はやての許可があって初めてこの扉は開くのだ。
「やっぱ、そっちからか」
マナは崖の方を見た。
この城は峡谷に突き刺さっているような形を取っている。
その上、巫女姫の船が下層階に接舷している。
つまりそこは解放されている状態なのだ。
「見張りくらいはいるでしょうけどね」
後の問題は機械式の警戒網であった。
自身が神像乗りであり、このような遺物にも慣れていることから、赤外線など、このスーツでは遮ることのできない探査装置の存在も知っていた。
「かといって、地下道はなぁ……」
おそらくはこの城とも繋がっているであろう坑道が多数存在している。崖に幾つも開いている横穴のことだ。その幾つかは滝として地下水を排出している。
時間をかければ攻略できないことはなかろうが、その結果、城と繋がっていなければ意味が無いし、そもそも、そんなに長く時間をかけることはできなかった。
結局、他に道がないと諦める。
「行くっ!」
立ち上がり、茂みから前に。そして崖へと向かう。
腰の後ろを漁ってワイヤーガンを取り出す。
壁に沿って進み、ほぼ直角に道が途切れている際までと。そこから下部をのぞき込み、適当な突起を見つけてワイヤーガンを発射した。
ワイヤーが巻き付いたのを確認し、腰のフックに銃を戻す。
そうして彼女は、思い切って宙に舞った。
ふわりと谷底からの噴き上る風が、彼女の体を抱き留める。
だがそれも一瞬のことで、次には一気に下降60した。
弧を描くように舞い降りて、丁度良いところに大きな口が開いているのを見つける。
とても大きな穴が開いていた、それは御座船が接舷しているドックであった。
降下途中でワイヤーを切り離し、遠心力で穴に飛び込む。
回転して衝撃を逃がし、マナは起き上がるなり近場のコンテナの影に隠れた。
(人気は無いみたいだけど……)
戦場を渡り歩いている人間である。御座船の姿くらいは知っている。
そこに見張りがいないというのも奇妙なことであった。
(まさか巫女姫を手にかけようだなんて、そんなことを考える人間はいないって思ってるのかな?)
通路を探し、扉を見つける。
神像を扱う関係から、注意書きのようなものなら、絵図から意味を把握できるようになっていた。
別のブロックへの道だと見当を付けて、彼女はそちらへと潜んで歩いた。
直接城の中に出ることはできなかった。
幾つもの監視の目があったからである。それらを探知できたのもまた彼女が持つ古代技術品のおかげであった。
(……闇の城、か、そう言われるだけのことはあるわね)
地下倉庫へと続いている通路であった。
シンジが迷い込んだあの倉庫である。
(センサー探査装置なんて使うことはないと思ってたんだけど)
これは、それを使うに値する機械的な監視網が動作していなければ、がらくたも同然の品である。
その監視網がどのようなものであるのか? 科学に通じているマナは知っていた。この世界の隠密が用いる穏行術など、意味を成さない、無意味としてくれるような代物である。
この城には、それらが数メートルおきに設置され、それも全てが生きていた。
(こりゃ、見つかってないって思いたいけど、難しいかも……)
おっかなびっくりで、そうっと倉庫から外に出る。
人の気配はない。なら、まだ見つかっていない。だから包囲されていない。そう思うことにして、彼女は思い切って駆け出した。
内部は人が多い。あちこちで剣を振る者、手柄話に花を咲かせる者、酒盛りに興じる者たちと、さまざまな騒ぎが聞こえてくる。
中には戦人ではない女性たちの姿もあった。身内を小間仕えの代わりに連れ込んでいるのか、それとも臨時の雇い入れなのか、そういったことまではわからないが、マナは好都合だと判断をした。
汚れ物でも、洗い干されたものでもいい。衣服があれば頂戴しようと計画した。百人を超える大所帯である。千の桁に届いているかどうかはわからないが、見慣れない女が一人紛れこむ程度のことは可能だろう。
光学迷彩も完璧ではない。注視されれば光景の不自然さに気付かれる恐れがある。
(それから、どこに向かうかだけど……)
これだけの人が寄り集まっているのなら、知り合いの傭兵がいるかもしれない。
戦場では敵対しようとも、それ以外の場では情報を交換し合うのが常である。どちらの陣に付くことが、より多くの実入りに繋がるのか?
そういったことから人の移動が起これば、戦の前に陣営の規模が変わることも有り、戦う前から趨勢が決定することなど多々あった。
そんな具合に明かりを避けて、暗がりから暗がりへと移動していると、城の裏手へと歩いて行く少年の姿を見つけた。
それは珍しい格好をした少年であった。白の肌着に黒い下履き。なにやらぶつくさとこぼしていた。
彼女はその声が拾える程度の距離に、そっと移動していった。
「まあ、いつかはって思ってたし、良い機会だったって思うんだけどさ……」
シンジはため息をこぼした。
話はサーバインについてである。
アスカの母親の愛機だったと知ったアスカが、離れなくなってしまったのだ。
とは言っても、コクピットに閉じこもっているわけではない。
側からじっと見上げたり、話しかけてみたり、よじのぼったり。
そのいかつい顔に抱きつき、頬ずりをしてみたり……。
時折サーバインが目を開き、困ったような表情を見せるのが面白かった。
あれから詳しく、サーバインに見せられたイメージについて、アスカに伝えていた。もっとも死に際の凄惨な光景については伏せている。
そして、対峙した相手のことについてもだ。
「サーバインか……僕はおまけだったのかな? アスカって子が独り立ちして、大きくなっていくってお話の。そのためにお母さんの機体が残されてて、偶然それを起こせる僕があの子と出会わされて、そしてその機体の元まで行き着いて、あげく、それを使わなきゃいけない事態にまで追い込まれて……」
言葉にすると、シンジは、なんだろうかと怖気を感じた。
かつてテッサとはやての二人は、対談の中で、シンジを中心に色々なことが動いて、流れが生まれて言っていると口にしていた。
だがシンジの観点から言えば、アスカという少女の歩くべき道があって、そこに色々なものが敷設されているように感じられたのである。
「だとしたら、まだまだ山場は遠いって事になるのかな……」
鬱になる。
シンジは改めてため息をこぼした。
ラッキーだ、運が良いとマナは小さく拳を握り、ぐっと脇を締めた。
細かな内容までは聞き取れなかったが、アスカという名は聞き取れた。サーバインとはなんのことだろうか? ともあれ、この少年は、多少の事情は知っていそうな様子であった。
大きな危険を冒すつもりはない。多少なりと判断に使える事情を知ることさえできれば良いのだから、まずはこの少年を……この少年で十分でなければ、誰か他の人間についてを聞き出せば良い。
聞き出した後は、縛って転がしておけば良い。一刻か二刻で引き上げるつもりだから、縛られた彼が他の誰かに見つかる頃には、退散できていることだろう。
帰りはそれほど手間がかからない。見つかっても良いのだから、壁を越えて森の中に消えるだけだ。
侵入したときのような手間も暇も慎重さも必要では無い。ロープ一本あれば良い。
身を小さくし、かがんだ状態で接近していく。
背後から襲いかかるつもりで、もう少し……と力が入ったその瞬間。
不意に、少年が振り返った。
少年は、ぎょっと目を見開いて、硬直した。
近すぎた。光学迷彩の効力は発揮できていなかった。
奇妙な具合に景色が歪んで、人を象って見えている。
少年は、はっとした。表情が切り替わった。真剣なものにだ。
マナの反応は早かった。
彼が何事か叫ぶ前に、一足で飛びかかった。少年の口を左手でふさぎ、右手で肩を掴んで、外壁側の茂みへと押し倒した。
少年の頭がガンッと音を立てて地面にぶつかる。その脇の土、左の耳すれすれに、分厚いナイフが突き立った。
「黙って」
切られたくないだろうと、マナは脅す。
「叫ばないなら、殺さないから。わかったら頷いて」
ゆっくりと、堅い動きだった。
だが頷きではある。マナはその動きを、口を塞いでいる手で感じ取ってから、ナイフを握っていた方の手を離し、ゴーグルを持ち上げ、素顔を晒した。
少年の目が丸くなる。
女だから驚いたのだろうか? それとも異形の化け物だとでも思っていたのだろうかと、マナはいぶかしんだ。
どちらにせよ、大した問題ではない。時間が惜しいと、彼女は尋問に取りかかった。
手をずらし、口ではなく、首を掴む。
体重をかければ、首を折れるよう、バランスを取る。
尻は彼のあばらの上に。膝から力を抜けば、体重がかかってあばら骨が悲鳴を上げることだろう。
彼女は尋ねた。
「あなた、名前は?」
「……シンジ」
シンジはもごもごと口ごもる。
なんだろうかと訝しみ、マナはその目に感じ取った。
先ほどの疑問にも繋がる。自分の顔に驚いているのがわかったからだ。
「もしかして、あたしのこと知ってる?」
「いや、知りませんけど……」
でも、そっかと彼は呟いた。
「リョウジとアスカの年の差が十歳もないし、コウゾウ様だってふたりほどじゃないけど年が若くなってるし、だから基本的には、みんな、そうなのかなって思ってたんだけど……。そっか、逆に年を取ってる人がいたっておかしくないんだよな……」
マナは年……の部分を聞きとがめた。
「は? なによ」
「別に……」
「歳食ってるとか言われると、面白くないんだけど?」
くっと、ナイフを動かし、首筋へと刃先が当たるように倒す。
「そういうつもりじゃ」
「君だって、その歳で、その体つきじゃあ、あんまりかっこうよくなりそうに無いじゃない?」
シンジの背はそれほど高いとは言えない。そして年齢を見れば成長期も後半に入っている。
これからどのように変わろうとも、背が高く、そして厳めしい体格になるようには思われなかった。
「ほっといてください」
「なまいき。お姉さんが可愛がってあげようか?」
「遠慮します。それ、拷問するとか、そういう意味でしょ?」
「察しが良いじゃない。まあ、素直に応じてくれるなら、サービスくらいはしてあげるけど?」
シンジは冷や汗も流さず、不敵に返した。
「殺し方を、楽なものにしてあげる……とか言いませんよね?」
「あなたさっき、アスカ様の名前を口にしてたよね?」
答えてくださいよ……という呟きは当然無視する。
「ここの連中がなにを企んでるのか知らない?」
シンジは警戒心をあらわにした。
「どこの人なんですか、あなたは」
何者、とは聞かない。
どこの派閥のものかと確認する。
マナは当然答えない。だが、シンジはそういうことかと当たりを付けた。
「神像乗りの人か」
マナの目に危険なものが宿る。
「どうして知って……いえ、わかったの?」
「……そういう気がしただけですよ」
もちろん、これはあてずっぽうであった。
神像があって、彼女がいるなら……と、勝手に役割を振って、適当に口にしてみただけであった。
マナは思考を切り替えた。
殺すつもりはない。だが自分が特別な戦力となっている人物であると気付かれた以上、放置しておくわけにもいかない。
どうするか、と、迷いを持った彼女に、隙が生まれる事態が重なる。
「シンジ、こっちに居るのか?」
マナはぎょっとしたのだった。
それが知っている声だったからである。
「リョウジ!? なんで」
彼は自分の名を聞き、カンテラを持ち上げ、茂みの向こう、暗がりを照らした。
「誰だ?」
リョウジはそこに浮かんだ女の顔に驚いた。
「マナっ!? お前!」
そこにいたのが知り合いだという以上に、リョウジはその格好に驚いた。
どう見ても間者のする格好であったからだ。
味方として来たものの姿では無い。
リョウジはカンテラを投げ捨て、下げていた剣を抜こうとした。
マナはシンジのことを忘れて、短刀をリョウジへと向けた。
ゴッと音がして、マナの手首から短刀が飛ぶ。
マナは痛む手首を押さえて飛び離れた。
シンジの右拳が、後ろから自分の手首を打ったのだと察する。
「あなた!」
「ごめん、これくらいはできるんだ」
苦笑いを浮かべながら、シンジは反動を付けて飛び起きた。
不利だと悟ったのか、マナは背を向け、逃げだそうとした。
「シグナム!」
シンジが叫ぶと、木立に潜んでいたシグナムが姿を見せた。
マナの真正面である。
マナは避けられず、腹部にシグナムの持つ剣の柄の一撃を受けた。
急所を打たれて気を失い、そのままシグナムの体に倒れかかる。
「まったく」
シグナムはマナの体を抱き受けたまま、悪態をついた。
「わたしはシグナムという名前ではないと、何度言ったら」
呆れた様子で、リョウジが口にする。
「まだやるんですか、それ」
当然だ! っと、シグナムはやけに気に入っている様子でふんぞり返った。
場所を移す。
「少し、悔しいな」
シグナムである。
「気配は完全に絶っていたはずなんだが、よくわかったな?」
シンジは肩をすくめてからかった。
「半分は当てずっぽうだよ。途中まで気配があったのに、消えたからね。隠れてついてきてるんだと思ってた」
「あたりだ。ま、もっとも、ただどこに行くのかと思っただけだったんだが……」
「トイレだよ」
ただの小便だったのかと、落胆する。
「いつもいつも、意味ありげなことばっかりやってるわけじゃないよ」
ここは、シンジのためにしつらえられた部屋である。
城外の者たちが入れない、下層階に位置している部屋であった。
巫女達が喚いたために、多少豪勢になっているが、今はそれがありがたかった。
アスカに、コウゾウに、シンジ、シグナム、リョウジ、ミサト……特に最初のふたりを迎え入れるのに、あまりに粗末な様子では問題があったためである。
なぜミサトが居るのかと言えば、リョウジの願いであった。この不審者は彼女の知り合いでもあるらしい。
彼らの前には、縛り上げられて、ベッドに転がされているマナの姿があった。
「マナ君か……」
コウゾウのつぶやきに、知っているんですかとシンジが問いかける。
「リョウジの知り合いなんだよね?」
ああとリョウジが語る。
「傭兵だよ。それも、神像乗りのな」
「傭兵って……」
「まあ、たしかに女の傭兵ってのは、珍しいよ」
そうじゃなくてと、シンジは言う。
「神像ってさ、珍しいものなんだろう? それに、理力甲冑騎みたいに乗る人間を選ばない……まあ、センスとかは必要なんだろうけど、生まれつきのものなんて必要なくて、訓練次第で誰にでも乗れるものじゃないか。なのに、傭兵みたいに自由な人間が、よく持つことを許されてるなと思ってさ」
アマルガムのような組織であるならともかく、彼女は国軍に従軍してきているのだ。
まあなとリョウジは認める。
「それだけの実力があるのと、立ち回りがうまいってことさ」
「じゃあこういう扱いってまずいのかな?」
そう思うならと、うめくように、当のマナから声が漏れた。
「この扱いは、ないんじゃない?」
目覚めてみればこの状態だ。彼女は困り顔のシンジを見てから、はぁっとため息をこぼした。
ベッドの上なのだが、両腕は頭の上で組み合わせるようにして、枕元のフレームに縛り付けられていた。
ゴーグルはどこへやられたのか無くなっている。
ただ、そうして体を伸ばされていると、マナの肢体はシリコンスーツのこともあって、いやらしく線がまる見えとなってしまっていた。
マナはそんな自分の胸の山ごしにシンジを見つけて、ため息をこぼしたのであった。
「失敗した……こんなのに騙されたなんて」
「はは……そんなに落ち込まなくても」
無視して、マナはリョウジに尋ねる。
「どういう人間なの?」
「理力甲冑騎乗りだよ、こいつはな」
「騎士なの!?」
パイロットだからと言って、肉弾戦が得意なわけでは無いだろう。
だが素人よりは体は頑丈であるし、反応は早いはずである。
見誤って油断しすぎたかと反省するマナに、リョウジは慰めをかけた。
「ま、そういうことなんだ」
マナは二十歳を超えている。だがリョウジは十五・六だ。
なのに気安く話す様に、そういう関係なのかとシンジは了解した。
直接尋ねる。
「神像乗りなんですよね。じゃああの三機の内の?」
「あの三機? 直接見たみたいに言うのね?」
「見ましたから、昼間」
「昼……ああ、あの、グライダー?」
偵察だと騒ぎになったのを思い出したようである。
リョウジが解説した。
「トライデント……三つ叉の矛という名前の傭兵屋だ。アマルガムより……有名かどうかは」
同じにしないでよねとはマナの不満である。
「あんな組織と」
「……神像を三体も持っていれば、普通は狙われるものだよ」
コウゾウである。
「アマルガムの神像を倒したことでも知られているな、彼女たちは」
「それは凄いね」
お前が言うのかという視線が来るが、だからわかるとシンジは返した。
「『あれ』を、普通のやり方で倒すなんて、僕には想像もできませんよ」
コウゾウは肩をすくめた。
「ま、確かにそうだ」
シンジのやり方は超上的な反則技をたたきつけるだけのものだ。
「だがな、神像と言ってもピンキリだ。お前が戦ったような機体がごろごろとしているわけじゃないよ」
「そうですか……そうですね」
コウゾウはシグナムにほどいてやれと命じた。
シグナムは特に文句も言わず従う。
「処刑ですか?」
大人しく縄を解かれるのを待って、体を起こし、マナは縄の後をさすった。縄の感触でかゆくなっていたからである。
まさかとコウゾウは言う。
「目覚めていきなり暴れられてはな。ここには姫様もおられる。だがその気配がないなら縛る必要はないだろう?」
「そうですか。なら、座ってもいいですか?」
「かまわんよ」
言って、コウゾウは自分も座った。後の者は立ったままだ。いや、一人、シンジの前に小さな丸椅子を置いて、アスカが座り、足を揺らしていた。
マナはベッドの縁に腰掛け直して、ちらりと小さな姫を見てから、口を開いた。
「どういうことなんです?」
「アスカ様を助けようとしている。それだけの話だ」
「助ける?」
「機族に狙われていているのさ」
ちょっと待ってとマナは慌てた。
「狙われてる!? アスカ様が、機族に!?」
「ああ」
「そんな話……」
「そこから、奇妙なねじ曲がりを見せたんだ」
「ねじ曲がり?」
「機族に姫を渡すわけにはいかない。その理由は様々だったが……だが引き渡さなければ機族になにをされるかわからない。だからアスカ様には病死していただき、ついでに、陛下の失脚を願おうという動きが現れた」
「アスカ様は、それを恐れて、ここに逃げ込んだってわけですか?」
「ああ」
けど、でもと、彼女はぶちぶちと思案する。
嘘とは思えなかった。だが馬鹿正直に信じることもできない話である。
「差し出すわけにもいかないから、謀殺をもくろんで……?」
「事実だよ」
「それじゃあ、この進駐は」
「その一環だな。あるいは軍の中に暗殺者がいるのかもしれない。姫の身柄を取り戻す名目で戦を行い、その最中に……とな」
うわあとマナは頭を抱えた。
そんな軍の中に、傭兵である。
真っ先に疑われることは目に見えていた。
そんなマナの様子に、シンジがこそこそとシグナムと相談する。
「アスカ様をさらいに来たとか、そういうわけでもないみたいだね」
そう言って、シンジは正面にあるアスカの頭にぽんと手を置いた。
ぐりぐりと頭をいじる様に、マナは奇妙な光景だと眉間にしわを寄せる。
アスカは王族である。当たり前の反応としては、失礼な真似をするなと押しのけるのではないだろうか? なのにアスカは不満そうにしながらも、片目をつむるように顔をしかめているだけだ。皆も特に注意しようとはしない。……と思ったら、アスカは頭の上の手の根本を両手で掴んで、ぐりっとひねるように引っ張り下げて、右肩ごしに来たその手の甲にかみついた。かぷっと。
一同を確認する。やはりそんなじゃれ合いを、苦笑し、微笑ましく見るだけで、放置している。苦々しく見ている者もいるが、やはり口は出さない。見てみないふりをしていた。
「ま、この通りなんだけどさ」
シンジは笑いかけた。
「見ての通り、魔法とか、催眠術とかでいうことを聞かせているわけでも、操っているわけでもないよ」
「今の話に嘘はないってこと?」
「隠してることはあるけどね」
「そこは認めるわけね」
「まあね」
「その……姫様とあなたとの関係についても?」
「そちらではどういう話を聞かされているんだ?」
コウゾウである。
マナは正直に打ち明けた。
「特に、なにも。本当です。姫を迎えに行くとだけ。しかし賊の襲撃からお屋敷を失われたコウゾウ様が身を寄せておられるとの報もあるため、軍勢を持って護衛に当たる。そんなところで……」
「ところで?」
「来てみれば、姫巫女の御座船に、騎士や傭兵や……まあ、とにかくおかしいと思って、あたしは」
なるほどと、ようやくコウゾウは理解した。
「なにが裏で動いているのか、それを確かめようとしたわけか」
「はい、けど」
「なんだ?」
「失敗しました……。貴族が姫様の謀殺をもくろんでるって言うのなら、あたしたちは生け贄ですよね。どうあってもコウゾウ様の軍勢とは戦うように仕向けられてる。コウゾウ様に……はやて様、アスカ様もかもしれない。謀反の疑いがかかるように、動きを誘おうとしてる」
だとすれば。
「開戦に持って行く手はずもどこかにはあって、その上で負けることが期待されてる……。でなきゃ、アスカ様を連れ戻すことになっちゃうから」
そうだなとコウゾウも認めた。
「勝ってしまうと、城へとアスカ様を連れ戻すことになってしまう。だがお前たちを送り込んだ誰かは、それを期待していないはずだ」
「そして改めて大軍を持ってアスカ様ごと、か」
「反乱軍の旗頭になったということになれば、いくら姫様でも、死罪は免れんだろうからな。その証明のために、まずは敗北する生け贄が必要とされているわけだ」
青くなっているのはリョウジである。
「連中は、そこまでやる気だっていうんですか?」
逸るなとシグナム。
「まだ想像に過ぎないだろう?」
ここで黙っていたミサトが口を開いた。
「で、マナはどうするの?」
「どうって……なにがよ」
「アスカ様をさらって逃げる? そうすれば、戦う理由はなくなるんじゃない?」
なにを言わせたいのだろうかと、マナは肩をすくめるジェスチャーをしてごまかした。
「それもありかもね」
「そうする気はないみたいね」
シンジは、はてとリョウジに尋ねた。
「どういうこと?」
「このにらみ合いの中で、攫うみたいにアスカ様の身が移動してみろ。攫った、攫われたで問答になる。そうなればぶつかり合いは避けられない」
「彼女は戦いたくないわけだ」
ミサトは続ける。
「じゃあ、どうする? 今聞いた話を広げる?」
「そんなことできるわけがないでしょう? 噂の出所として取り押さえられるだけよ。あたしは処分されて、神像は接収される、最悪ね」
「こちら側につく気は?」
「論外。負ける側につく気はないから」
今までこのようなやり取りを行うミサトの姿を見たことがなかったため、シンジはちょっと面食らっていた。
「驚いたか?」
リョウジが教える。
「あいつの親父は学者馬鹿ってやつなんだ。世知に疎くてなおかげでダマされることも何度かあってな。結局ミサトが……それで慣れてるんだよ」
「なるほどねぇ」
伊達で小さなアスカの相手役を務めていたわけでは無いのだ。
ミサトとマナのやり取りは続いていく。
「そっちの陣営の動きに納得できないものがあるから、理由を探りたくなった。違う?」
「そう言ったでしょ? で、だから?」
「それは傭兵だからでしょ? 場合によっては、違約金を払ってでも仕事を降りるために、情報が欲しかった、違う?」
「ま、額が額だからね。そう簡単には決められないの」
「もう一度、詳しく教えてくれない? あたしたちのことは、どんな風に説明されてるの?」
「さっきも言ったとおりだけど?」
「それでベルフィールド卿が納得してるの? 他の貴族も?」
「それは……」
「おかしいでしょう? おかしいよね? アスカ様は幼いとは言っても、自分でものを考えられるお歳よ? 帰らないとも言ってない。今は帰らないって言ってるだけ。なのに無理にでも連れ戻そうとしてる。それも、まるで脅すみたいに軍勢を動かして……まるであたしたちには、あなたたちの動きを勘ぐってしまうような、なにかごとかの裏を持っていると、知っているみたいじゃない?」
「裏?」
「そう、裏」
ちらりとアスカを見る。
「あたしたちは、アスカ様が狙われてると知ってる。だから、この軍隊の動きもそれに関係してると睨んでる。でもマナの話だと、軍隊の動きとアスカ様とのことは無関係みたい。単にコウゾウ様の屋敷を襲った何者かに備えただけで……でももし、あなたがここに来なかったら?」
「あなたたちはあたしたちのことを、アスカ様の事を狙ってる誰かの策略で出張ってきた軍隊だと勝手に勘違いして、焦ってなにかを仕掛けようとして、それを証拠として押さえられて……」
理力甲冑騎が一騎に、神像が三体。これに人馬の部隊が地方領ににらみを利かせているのだ。
裏事情を知っていればいるほど、落ち着きを失って当然だった。
「問題は、ベルフィールド卿なのよ……。あたしは案外、つまらないことを吹き込まれてるんじゃないかって思ってる。そのせいで、本当は戦う必要なんてないのに、殺し合いをしてまでアスカ様を取り戻そうとしてるとか……」
一瞬の素振りだった。
なにかを知っているのかも知れない。マナの不自然な挙動……まぶたを一度閉じ、視線を外したことに、めざとく目を向けたシンジたちであったが、ここでは問わなかった。
だが、このマナという女が、ベルフィールド卿の事情について、何事かを知っているのは間違いないと確信できる挙動であった。
「しかし、そうなると、どうするか、だな」
リョウジである。
「あちらも……ベルフィールド卿を派遣した連中も、機族のことは伏せていたいわけだ。それはそうだな。機族へアスカ様を引き渡す、あるいは引き渡さず穏便に済ませることが目的なんだから、コウゾウ様のような民衆に人気のある立派な貴族や、はやて様のような国防の要を、領地ごと焼き払うような真似までして、どうしてそこまでアスカ様を……と想像すれば、そこには機族の人さらいが関わっていた、となれば……」
「アスカ様を売り飛ばすために、どれだけの労力を注ぎ込んだんだよって、思われるってわけだ」
「ああ、王族も貴族もなくなるな。領民は、自分たちを守ってくれるからと思って、貴族に従って税を納めてるんだ。それが身内を、王族でさえも身の安全のためならば売り飛ばすとなれば、下手をすると国の根幹が崩れるぞ」
「そこまでいくかな?」
「いくさ。他国がつけ込まないわけがない」
流す噂の裏付けとするには十分な話だとリョウジは言う。
「なるほどね」
シンジは、アマルガムとつながりのある渚カヲルなどに、すでに事情を知られていることを承知していたから、リョウジの話を否定しなかった。
そもそもアマルガムという国外の勢力が動いたからこそ、こうなってしまう流れが生まれてきたのである。
苦々しい思いであった。