「あーあ……こんなにあっさりつかまるなんてね」
マナである。
彼女はそのまま、シンジの部屋にとどめ置かれていた。
この部屋には電子ロックが有り、牢屋代わり使うことができたからである。
当たり前だが、この世界の人間に電子ロックの概念はない。だから気圧式の扉についても、取っ手のないドア、としか理解できない。
しかし神像乗りであるマナには、扉の開け方がわかっていた。
一同が退出する際に、シンジが解除ナンバーを押していた。彼女はそれを盗み見て番号を覚えていたのだ。
逃げようと思えば逃げ出せる。しかし彼女はその考えを捨てていた。
「逃げろって言われてるみたいなんだよね……」
逃げ帰って、聞いた話を伝えてもらいたいのか、あるいは逃げ出してくれれば、斬り捨てることができると思われているのか?
姿を消していたことを、あの少年には見られている。なのになぜか、そのことについて、皆には告げていないようだった。
その秘密が魔法にはなく、このスーツにあることくらいは気付いているだろうにだ。
機械の操作に慣れていた。ということは、このスーツの背部にあるものがなんらかの機械であることくらい、わかっているはずだった。
「ムサシ、うまくやってくれてればいいけどな……」
神像乗りの姿が見えないとなると、それなりに騒ぎになるはずだった。
戦力として、決して安くはない報酬を要求し、ある程度の前払いを行わせている。前払いという行為は、決して片側の利得だけを考えた契約方式ではない。支払う以上はという脅し、支払われた以上はという強迫観念、一方的に破棄すれば、どのような罰則を求められることになるのか? さらにこの場合、雇い主は国軍を率いる軍団長である。
以後この国で商売ができなくなるどころの騒ぎではない。下手をすればお尋ね者だ。
彼女は頭の後ろに両腕を組んで、足を投げ出し、ぼうっと天井を眺めていた。
寝る……というにも、考えがまとまらない。
うだうだと、いつまでも答えの無いことを悩んでしまう。
そうしていると、人の気配に気がついた。出入り口へと顔を向ける。
ドアが開く。
「失礼するよ」
入ってきたのは、自分を捕まえた少年だった。
こうして光の下で見ると、夜のとばりの中で見た姿よりも、さらに軟弱で貧相だった。少なくとも、抱かれようと思える男臭さが無い。
だが実際には、それは思い違いであることを、もう知っている。
「あなた」
「シンジ」
っていうんだと、彼はマナに水筒を投げた。
プラスチックのボトルであり、ストロー付きだ。
中身までは過去のものでは無い。それはさすがに、上で茶を作ってもらっていた。
マナは受け取った水筒を、あぐらを掻いた股の間に置いた。
「あたしはマナよ」
「逃げないんですね」
やっぱりかと、彼女は水筒を持ち、ストローに口を付けた。
「……騎士だったなんてね」
「いちおう、アスカ様の騎士ってことになってます」
「ちび姫の?」
シンジはぷっと吹き出した。
「ちびって」
マナは乗らない。
「あなたみたいなのが?」
シンジはアスカが腰掛けていた小さな丸椅子に腰掛けた。
「騎士って言ったって、乗り物に乗れるだけですよ。動かせたら騎士、でしょう?」
「でも、適合しなければ、死ぬことになるような乗り物よ? その試練に挑んで、乗り越えた人間なら、少しは人間的に、尖るものなんじゃない?」
「尖る?」
「自信を付ける、尊大になるってこと」
「そんなことを言われても……じゃあ、僕って、どういう風に見えるんですか?」
「どう、って……」
マナは考えた後に、よくわからないと答えた。
「強そうには見えない。やるようにも見えない。だけど一目置かれてる……どういう人間なの?」
逆に問われて、シンジは苦笑混じりに答えた。
「意外と強いんですよ、僕」
どうだろうかと彼女は思う。
ここで襲いかかって、押し倒し、気を失わせてから外に出る。
できると思える。もっとも、この少年は罠で、外に別の者が待機している可能性はあった。
だから行動には起こさないのだが、その前段階の行為については、可能だと思えた。
やはり、弱いと思う。腕の太さでさえ、女の自分に負けているような少年なのだ。
ううむとマナはうなり声を上げた。
「隙さえ見せなきゃ、なんとかなりそうなんだけどねぇ……」
「じゃあ、逃げますか?」
「やめとく。どう考えたって、罠だしね」
そうですよねぇとシンジ。
「まあ、疑いますよねぇ……」
そう言って、シンジはじっと彼女が口を付けた水筒を見た。
「美味しかったですか?」
「やめてよね、なにも仕掛けてないくせに」
「わかるんですか?」
「そう思ってたいだけだけどね。ここでどうにかするくらいなら、最初からそうしてるでしょ?」
「じゃまだから、眠らせて、外に放り出そうとしてるだけかも知れませんよ?」
「あたしだって、この城がどういう城なのかってことくらいは知ってるのよ? シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、それにはやて。そんな手間をかける必要はないでしょ?」
まあそうなんですけどねと言う。
「今朝来た騎士……ベルフィールドって人は、なにも口を付けなかったって話なんですよね。だからみんな、そういう風に注意するもんなのかなって、思ったんですよ」
「……あの人は異常なのよ。死ねない、死ぬわけにはいかないって想いが、人一倍ね」
シンジは眉間にしわを寄せた。
「他の人たちと、なにか違う意見なんですけど……なにか知ってるんですか?」
皆が清廉だと口にする。だから一人だけ違うことを言うマナに興味を覚えたのである。
マナは、しゃべりすぎたという顔をした。
明らかに裏の事情を知っている様子であった、が、それが聞き出せる類のもので無いことも明らかとなった。
態度が硬くなったからである。
それは、これ以上は情報を与えないようにと、しゃべる内容に注意するという態度であった。
「ねぇ?」
「なんです?」
「逃がしてくれない?」
「急にどうしたんですか?」
「同じ逃がしてもらえるのなら、安全に逃げ出したいだけなのよね……」
だから、案内人になってくれない? と、マナは前屈みになり、胸元をのぞき込ませるようにして、嫌らしい目つきでお願いした。
シリコンスーツは全身を覆って隠しているが、逆に言えば、体の線をまったく隠していないのだ。
赤くなるシンジに、手応えを感じて、もう一押しをする。
「逃がしてくれるなら、良いことをしてあげるけど?」
ねぇっと、唇を舌で濡らす。
シンジは怯えたように身を引いて、大げさに答えた。
「遠慮します! そういうの苦手だから……」
あら残念と、マナは雰囲気を変えて、おどけて見せた。
「魅力ないかな? 自信あるんだけど」
両胸に手を当てて、形に添って下へとなで下ろす。
そうじゃないと、シンジは慌てて補足した。
「逆ですよ。僕に自信がないだけです」
えっと驚くマナである。
ある事実に気付いたのだ。
「あなた……もしかして、童貞?」
シンジは手で顔を覆って答えた。
「そういうの、はっきり言わないでくれますか?」
マナは目を丸くして驚く。本気だった。
「その歳で? ほんとに?」
どうしてそこまで驚かれなければならないのだろうかと、シンジは天を仰ぎたい気分になった。
「悪かったですね……」
「いや、まあ、その……」
目を泳がせた上の言葉に傷付けられる。
「自信を持って! 頑張って!」
あきらかに何かを勘違いしていた。
普通、シンジほどの年齢ならば、一人や二人、知っているものなのだろう。
がっくりとうなだれるシンジである。
「励まされると、余計に情けなくなりますよ」
「あー……」
マナは体を反らして、後頭部を掻いた。
「だったら、相手してあげようか? 一回くらいタダで」
やめておきますよと、シンジは苦笑いをした。
「外で怖い人が見張ってますからね」
「あらやっぱりね」
怖い人。その口調に、おそらくはシグナムだろうと当たりをつける。
どうりで見張りが一人だけなわけだと理解する。シグナムが相手ではどうなるという問題ではない。
だがあの仮面はなんのつもりなのだろうかと首を捻りもした。
そんなことを考えながらも、マナは軽口をついていた。
「じゃあもし、見張りが居なかったら、どうした?」
「迷うくらいはしましたけどね」
あははとマナは笑った。
「それくらいには好みなわけね、あたしは」
そりゃねと言いながら、シンジはちょっと困った顔を見せた。
好みといえば、これ以上なく好みであって……シンジには痛すぎる相手を想起させる相手なのだ。
唯一の違いと言えば、彼女は体をこわしていて、ロボットには乗れない状態だった。そのためか、体つきはやせ気味だった。
あのまま大人になったとして、この人のように魅力に溢れた凹凸を手に入れていただろうかと思うと、微妙なものを思ってしまう。
「こういうのは、僕には向いてないんだけどな……」
ため息混じりの言葉に、マナは、どういうのと尋ねた。
「シモの話?」
「違いますよ! ……権謀術数っていうんですか? 苦手なんですよね。駆け引きとか……だからまぁ、率直に言いますけど」
マナもかなり察しはよかった。
タダで逃がされることは怖い。だからごねている。マナはそう見せていた。
そしてシンジが乗ってきた。タダで逃がすつもりはない。だから安心してくれと。
ならばマナが取る道は一つである。
「オッケー、で、条件は?」
だがそれは、マナにとって想像外のものだった。
「僕を、あっちの陣に連れて行ってくれませんか?」
マナは驚きに目を丸くした。
翌日の夜になって、ひょっこりと姿を見せた仲間に、ムサシはほっと胸をなで下ろした。
「よかった、戻ったか」
機体の中にいることにしていたが、それでも小用すら足そうとしないというのでは、怪しまれて当然である。
神像乗りと言うことで、警戒され、見張られてもいる。
傭兵なのだ。金を積まれれば裏切ることもある。あると思われている。
彼らにそのつもりがなくともだ。
だから極力、裏切っているかも知れない、などとは思われないように、振る舞いには気をつけていた。
ほっと胸をなで下ろし、火の側に座れよとマナを向かい入れたムサシであったが、かがり火に浮かんだ彼女の表情に、浮かないものを見てしまい、首をかしげてしまったのだった。
「どうした?」
「良かったんだか悪かったんだか……」
歯切れ悪く、彼女は貴族達の幕舎のある方角を見る。
ムサシは、どういうことかと考えたが、聞くことをためらってしまった。
どこで聞き耳を立てられているのかわからないのだから、話して良いことと悪いこと、その点について注意をして話すことができそうにない様子に、口を開かせるわけにはいかないな、と、感じてしまったからであった。
マナという手駒が入ったことは僥倖であった。
利害が一致したと言っても良い。姫の側が身動きを取れないのと同じように、国王軍の側でも、闇の城に手を出すことについては、躊躇するものがあり、動きが取れなくなってしまっていたのである。
命令であれば攻めもする。人を受け入れていることから、ちまたで噂されているほどには、不穏な城でないことも明らかになっている。だがそれでも、騎士はやてと守護騎士たちの実力については本物だと知られていた。
たかだか千の軍勢で落とせるほど甘いとは誰も思っていなかった。
神像や理力甲冑騎があっても互角とはならない。それほどの力を持っているのが闇の城の守護騎士たちなのである。
ついでに、発覚した事実があった。
ベルフィールド卿は代表であって、司令官ではないというのだ。
中核にはベルフィールド卿の軍団があるのだが、その総司令官は、ヒュウガ卿ということだった。
(なんでカタカナ発音にしただけなんだろ?)
シンジは手の抜きすぎだろうと、その名を聞いたときから想像していた人物に会い、まったく想像の通りの相手だったことに落胆していた。
不憫な人だと思ってしまう。
マナの手引きにより、シンジは堂々とこの陣の責任者の元へと乗り込むことができたのである。特使としてだ。
巫女に与えられた服を着ているのは、中立の立場を強調するためである。
アスカの陣営の人間ではなく、巫女姫の立場にある者だと誤解を招かせるためだった。
でなければ、姿を見せた途端に拘束されて、尋問をされることになっていたかもしれない。
シンジの前にはマコトが腰掛けていて、テーブルの上にシンジの届けた書簡を広げていた。
背後に立つシゲルが、直立不動のままで視線だけを手紙に落とすという、器用な盗み読みを行っている。
シンジは彼らにも親近感を持っていた。シゲルは年齢が離れすぎている上に印象も違いすぎて、名前を聞くまでわからなかったのだが、マコトについては自分が知っている日向マコトと、姿も年齢もほぼ同じだったからである。
「なるほど……なるほどな」
マコトは手紙を離し、眉間を指でもみほぐした。
「ここに書いてあることが本当なら、俺たちは間違いなく捨て石だな」
手紙をまとめて、背後のシゲルに渡す。
シゲルは改めて手紙を読み始めた。
マコトは彼が読み終わるのを待たずに、両手を組み合わせて、シンジに尋ねた。
「君は事情を全部知っているとなっているが、書いてあることは本当なのかい? 君が北の巫女姫がアスカ様へとつかわした騎士だというのは」
シンジは至極正直に答えた。
「そういうことになっています」
なるほどなとマコトは理解する。
「なっている、か」
「そういうことです」
それでもと言うのはシゲルである。
「巫女姫が認めているのなら、試すこと、疑うことは、巫女姫に対する非礼になる」
「そうだな、このまま引き下がるわけにはいかないとか、そんな理由で押し問答のあげく、一戦だなんてことになったとしたら……」
「弓を引いたとなるだろうな。この軍にも信者は多いんだ」
離反、反逆、反抗、どうなることかわからない。分裂することだけは間違いがなかった。
マコトは尋ねる。
「少なくとも、理力甲冑騎は動かせるんだね?」
「はい。アマルガムの神像と交戦しました」
「アスカ様を狙った無頼か。それが理由でコウゾウ様の城が崩れることになったとは」
「はい」
「そしてアスカ様がコウゾウ様の元へと身を移されたのが、機族に端を発する策謀が理由であったとはな」
そしてその連中から出た指令こそが、この遠征なのである。
「城の連中の狙いは、平穏無事、世はなべてこともなし、ってところだろうな」
「アスカ様さえ、自然に……となれば、な。国葬だけで済む問題にまで縮小するか……酷い話だ」
「アマルガム……の背後にいるのがどこかは別として、そちらはあからさまだな。アスカ様を奪った上で、そのようなことを考える者たちが治める国など滅んでしまえ、と代弁者を語るつもりだろう」
「その上で、機族にはやはり勝てなかったと言うことで、アスカ様を渡し、美味しいところだけさらっていくか」
「難しいところだな。俺たちはアスカ様を連れ戻らなければならん。だが、連れ戻ることは期待されていない。そして連れて戻ろうと、戻るまいと」
「後悔することになるか」
シゲルは深く息を吐いた。
連れて戻ればアスカは殺されることになる。
連れて帰らなければ、アスカはあらぬ嫌疑の果てに、裁かれることになる。
「どうするか」
ふたりがコウゾウへの返事に迷っていると、幕舎の外が騒がしくなった。
しまったなとシゲルがつぶやく。
「誰かが耳に入れたのか」
手のひらを顔に押し当てた。
「使者が来とるっちゅーんはここか!」
やがて幕舎を壊す勢いで幕を跳ね上げ乗り込んできたのはベルフィールド卿であった。
しかし、シンジが驚いたのは、その勢いにではない。
真正面から彼の顔を見たからであった。
昼間は遠目であったから気付かなかった。
まさかと思う。
「なんで俺に知らせへんのや!」
(トウジ!)
自分の父親と同じ頃合いの居丈夫であったが、その顔を間違えられるはずはなかった。面影が丸ごとそのままだったのである。
「使者は! こいつか!」
じろりと見下ろされ、シンジは怯えた。
(ベルフィールド……鈴と原って、なんだよその頭の悪い変換!)
ベルフィールドはその怯えを勘違いし、鼻白む。
「なんやこの餓鬼は。使いっ走りやないか。こんなん使者に立てるほど、向こうには人がおらんのか? それともなにか、馬鹿にされたんか」
そうじゃないとシゲルは注意する。
「彼らには戦争なんてするつもりはないんだよ。だから、彼のような子供が使者に立てられたんだ」
巫女姫がアスカに使わせた騎士というくだりについては、彼は伏せた。
そのため、衣装に着られていると言った感じの少年が送り込まれてきたことが、別の意味を持ってしまう。
捨て石として惜しくは無い人間が送り込まれてきたのでは無いかという、疑念を持たせることになってしまったのである。
「どういう扱いをするか、信用しとらんっちゅーことやないかい」
「そうじゃないだろう」
「アスカ様はお忍びで城を出られた。それがこんな大事になってしまって、収集をつけるために協力してもらいたい。向こうはそう言ってるんだ」
後ろ手に、手紙を隠せとシゲルに指示する。
もっともシゲルは、そう命令される前に尻の辺りに手紙の束を隠し挟んでいたが。
「で、お前らはそれを信じるんか?」
シゲルは肩をすくめる。
「信じるもなにもないだろう? お互い、殺し合いがしたいわけじゃない」
「そうか……そやけど!」
一瞬のことだった。
きらめきが走った。白刃。それはシンジのいた場所を薙いでいた。
「なにをするんだ!」
慌てたのはマコトである。
「あからさまな時間稼ぎや。それもこっちがこいつを斬ることを見越しとる。首だけ送り返されるのがわかっとるから、この小僧なんやろ」
「そういうことじゃないって!」
「期待通りに、首だけ戻したったら、どうするつもりなんやろな? なにかやるつもりやろ」
お前はとシンジに尋ねる。
「なにか知っとるんか?」
シンジは叫んだ。
「なにもありませんよ!」
「いいや、お前が知らんはずはないな」
にたりと笑う。
「避けたな。俺の剣を」
しまったと思ったのはマコトとシゲルであった。
卿の剣は、偶然で避けられるなまくらでは無い。
「向こうの話なんぞ聞く必要はあらへん!」
「なにを言ってるんだ、君は! この子は使者だぞ!」
「手練れの使者なんかおるかい! 刺客の可能性の方が高いわ!」
「巫女姫……北の国使いだという意味を!」
「それかて擬装やろ! 話なんぞ聞かずに切り捨てたっちゅー話にするだけのことや。あとはアスカ様を取り戻しておしまいや!」
「むちゃくちゃだ!」
シンジも思った。
(どういうことだよ?)
城に来たときの様子を耳にした分には、卿はこのような暴挙に出るとは思えなかった。そういった人物評も聞こえていない。
ねめつけられて、シンジはじりりと後ずさった。
(マナが隠してたなにかが関係してるのか?)
シンジが下がった分だけ、ベルフィールド卿も間を詰める。
「悪いな、俺にはそうせなならん理由があるんや。どうしても手柄を立てなならん理由が……足下をすくわれるわけにはいかん理由がな!」
狭い幕舎の中では避けるにも限度があるが、ベルフィールドはなかなか剣を振ろうとしなかった。
こいつ……と、あなどりを消したのだ。先の剣は、それなりにではあっても、殺すつもりで振ったものだ。避けられるとは思っていなかった。
それを避けたのである。この少年は。
次の一閃は確実に当てると、じりじりと間を詰める。
マコトとシゲルも、割って入ることができずに迷っていた。
ベルフィールド卿は明らかに必殺の剣を振るおうとしている。下手に声などかければ、反射的に自分たちがまず斬られてしまうだろう。
同時に、少年のこともある。卿から注意を反らさせるわけにはいかない。彼が注意しているからこそ、卿も斬れずに計っているのだ。
(卿に踏み込ませないなんて、実力で巫女姫に認められているのか?)
決して間合いに踏み込まないように下がるシンジに、ただの子供ではないと、三人は認識を改めた。
「お前、何者や」
ぎくりとしたのはマコトである。不用意なことであった。
もちろん、ベルフィールド卿は見逃さなかった。
「お前らっ、なにを隠しとんのや!」
マコトは困り、シゲルも迷った。
少年は、巫女姫が遣わした騎士ということになっている、と言った。
『なっている』の意味は、建前として、それだけの役職を与えた人間であり、使いとしては十分な格があるだろう、ということにされたのだと、そういう話であると受け取っていたのだ。
それが思い違いではないのかと、本当に実力のある子供なのかと思ってしまったために、マコトとシゲルの反応は、卿の疑心を煽るようなものになってしまったのだった。
北の国の礼装を身に纏っているからといって、巫女姫に認められた騎士だなどと思いつくには、シンジの外見が幼すぎ、軟弱すぎた。
だからこそベルフィールド卿は、それ以上の秘密の存在を疑ったのである。