幕舎の外幕が切り払われた。
 その切れ目から、転がるようにシンジが飛び出す。
 幕舎に添って置かれていた樽に足を引っかけ無様に転がる。
「っ!!」
 続いて飛び出たベルフィールド卿が剣を振る。
「待つんだ!」
 マコトの制止は間に合わない。
 縦に落ちてきた刃を転がってかわし、投げ出した身を起こす。
 シンジはそのまま背を向け駆け出した。
「逃がすかい!」
「逃げるんだ!」
 マコトが叫ぶ。
「見てるんじゃない! ベルフィールド卿を止めろ!」
 だが二人の姿はもう見えない。
 幾つもの幕舎は整然と並べられているわけでは無い。ちょっとした迷路の様を成している。
 重なるようにずれて位置しているために、一つの角を曲がられたならば、姿を見失いやすい。
 ベルフィールド卿は、シンジが押しのけているのであろう者たちの、なんだ、誰だという騒ぎから当たりを付けて、シンジの背中をぎりぎりで見失うこと無く追っていく。
 その口元に、不穏なものが浮かび上がる。
「……こんな機会、そうは来んからな。利用させてもらうで」
 一方で、追いかけきれなかったマコトとシゲルである。
 息を切らしているマコトに代わり、シゲルが者どもに命を下す。
「ご乱心だ! 使者殿を守れ! ベルフィールド卿を止めるんだ!」
 兵士達はこれに応じる。どのような理由であれ、使者を斬らせるわけにはいかなかった。
 送られてきた使者をどうするかは、面会を受ける最高責任者が決めるべきものだ。その下にある武将が勝手をしてよいものではない。
 この軍の大半はベルフィールドのものではあるが、そのベルフィールドと軍は、あくまでマコトの指揮のもとにある一軍に過ぎないのである。
 しかしこの命令を受けた者たちは、逃走劇を演じている二人の遥か後方である。
 全力で追走劇を繰り広げている二人の姿は、彼方の先だ。
「追いついたで!」
「くっ!」
 首の後ろがチリリとする。勘を頼りに首を捻ると、投げナイフが耳をかすめた。
 バランスが崩れ、立ち止まらざるを得なくなる。振り返れば鬼気に膨れあがったベルフィールド卿の体躯があった。実際以上に大きく見える体で剣を振り上げていた。
 武器が無い。シンジはベルフィールド卿へと飛びかかるようにして、その右脇をすり抜けた。
 振り上げられた剣の描く軌跡は限られている。その剣筋から外れさえすれば致命傷を負うことは無い。
 間合いを外すという意味では、後ろに下がるのも、前に出るのも同じという状況ではあった。だがだからと言って、敵の懐に飛び込むなどという真似が、当たり前にできるものでは無かった。
 ベルフィールド卿の放つ殺気、殺意が放つ重圧感(プレッシャー)を、シンジがはね除けているという証拠であった。
 普通では無い。非凡。
 卿が振り向いたとき、シンジは剣を手にしていた。
 どこから、と卿は疑問には思わなかった。どこかに転がっていたのかも知れないし、誰かから奪ったのかも知れない。
 だがそんなことを気にしていては、目の前の得物を取り逃す。あるいは、噛みつかれることになる。それは戦人としての勘であった。
 手強いと思える少年が剣を手にして立っている。
 目の前には武器を持った敵がいる。単純に、卿の思考は切り替わっていた。
 ベルフィールドが斬りかかる。それを真っ向から受けて、弾き合った刃の生んだ衝撃に、シンジは後悔した。手首がしびれたのだ。二撃目は流した。
 ベルフィールドがヒュウと口笛を吹く。
「やるやないか!」
「なにがそんなに面白いんですか!」
 ベルフィールドの剣は殺傷のための剣である。どの太刀筋のものも死に至ってしまうと想像できた。
 それは一度向かい合ったならば、二度と背中を向けられないことを意味していた。
 遊んでいるわけではないし、事の真相を確かめようとしている風情でも無い。
 明らかに、自分という存在を邪魔に思い、排除し、利用しようとしている。
 シンジは相手の態度からそう判断した。
 しかし、体格で負け、膂力で負け、持久力でも負けて、瞬発力ですら怪しいとなると、隙をうかがったところで、じりじりと貧していくだけである。
 徐々に追い詰められていく。
 幕舎の間を、樽や薪を邪魔に思いながら、剣圧に押されて下がっていく。
 これ以上はと焦ったときだった。
 突如ベルフィールドの上に、シーツが覆い被さった。
「なんや!?」
 ベルフィールドが布を押しのけようともがき、もこもこと突起を作っている。
「シンジ!」
 手を強く引かれて、転びかけた。
 シンジは自分の手を引いた女の顔に仰天した。
「マナ!?」
「こっち!」
 呼び捨てにしてしまったことすら気付かず、シンジは慌てて従い、自分で駆け出した。
 すると、シーツを払い捨てたベルフィールドの怒声が、叩きつけられてきた。
「裏切るんか、マナ!」
 マナは走りながらもびくんとすくんだ。足の速さがあからさまに落ちる。
 ベルフィールド卿の放った声は、ただ名を知っている相手に対するようなものではなかった。
 主従、主君と従僕。それよりももっと親密で、そしてもっと酷い格差によって支配の関係が成り立っているものたち。裏切るはずの無い下僕の反抗に苛立った主人が放ったもの。そんなことを連想させる怒りに満ちた声だった。
 それでシンジは理解した。してしまうしかなかった。
(男と女とか、そんな関係すら、成り立たない関係なんだ)
 マナという少女は──霧島マナという少女は、シンジの初恋だったかも知れない相手である。
 その少女とよく似た女性が、自分のよく知る少年と似た男性に抱かれていたとなれば、妬心の一つもわき上がる。
 だがその嫉妬心すらも、シンジの中で怒りに変わっていった。下僕、奴隷、あるいは道具。そうとしかみなされず、そうとして利用されている存在。それは人間ですらない。
 そんな人間が、愛情に満ちた扱いをされるだろうか?
 その一点でもまた、シンジの中でシンジの知る霧島マナと、自分の手を引きながら走る女性との表情が一致してしまう。
 機動兵器のパイロットとして選定され、その体に傷を負って操縦士から外され、それでも機密を知るものとして利用し尽くされ、自由などなく終わっていった少女との姿が、重なってしまう。
 せめてもの自由の中で、好きという言葉を大事にしようとした少女の姿と。
 神像を自分のものとし続けるためには、実力と世渡りの上手さが必要だという。だがシンジにも、それ以外に方法があることは、想像の付くことだった。
 それなりのつてがあれば良いのだ。スポンサー、パトロンが。
 出資主にどのような思惑があるのかはわからない。だが逆らえない関係であるのなら、どのような扱いをされていたのか……下衆な想像が浮かんできて、シンジは自分を嫌悪した。
「あーあ……」
 走りながら、マナが冗談のようにこぼす。
「終わったかな、これは」
「だったら、なんでさ」
 彼女は横目にシンジを見て、笑った。
 彼が、泣きそうな顔をして困っていたからだ。
「気に入ったからかな? 童貞……もらってあげる約束もしたしね」
「そんな約束……してないよ」
 でも、と、そうだねとシンジは笑い返した。
「無事に逃げられたら、お願いしようかな」
 マナは、きょとんとした顔をした。
「いいの? あたしで」
 先ほどの様子があれば、自分が北の国の礼装に身を包むようなことを許されている少年と、肌を合わせることなど許されない、汚らしい人間だとわかるはずなのに。
 そういった、そういう考えを当たり前として持っている彼女に、そういった考え方こそが当たり前なのだと植え付けた相手に反抗したくて、シンジは良いんだと言った。
「どうせなら、マナが良い」
「なんで……」
「惚れてくれたから」
「…………」
「命がけで」
 言葉だけの意味では無い。
 たとえ命が助かったとしても、彼女にはもう立場も無い。
 この国の一軍の軍団長の手を噛んだのだ。もはや当たり前に道を歩くことすら困難なことになったかもしれない。
 助けた相手(シンジ)に恩を売って頼るにしても、それができるような相手ではないとわかっているはずなのだ。シンジという少年は特別なようではあっても、特別な立場を持っているわけでは無い。立ち位置を持っているだけで、権力を持っているわけでは無い。
 その程度のことがわかる位には、マナは世慣れている。シンジもそこのところがわかったから、感謝したのだ。
 ならばと思うのだ。
 命がけ──人生を賭けてくれたから。
「僕はこの世界……国の人間じゃ無いし、どこの国の人間でも無いんだよ。使い捨てにされるような人間だ。みんな最後には、自分のことを……自分の身の周りのことを考えてるよ」
 アスカにしても、コウゾウやはやてにしても、北の国にしてもである。
 アスカはこの国の姫として、コウゾウはその家臣として、はやては闇の書の守り手として、北の国はリリスに仕えるものとして。
「だから、僕なんかで良いなら、もらってよ」
 マナは、くすりと笑った。
「そんなに格好良いものじゃないけど」
「そう?」
「なんとなく……ね。なんとなく、気になったの、それだけ」
「そう……じゃあ、僕のこれも、やっぱりなんとなくの、気分なのかな?」
 でも、まあと、マナは言った。
「男と女のことって、大体が気分だものね」
「そういうものなの?」
「そうよ? わからないか」
「ごめんね、まだ子供でさ」
「じゃあ、大人のあたしが、いろいろと教えてあげなくちゃね」
 ぎゅっと、引く手に力がこめられた。
「約束ね」
 微笑む程度には治ってくれたかと、シンジは少しうれしくなった。
「だけど……」
 気になるとシンジは言う。
「どうしてベルフィールド卿は……あんな真似を」
 ため息を吐き、それから、マナは事情を語った。
「家計が苦しいからよ」
 想像の埒外にあった言葉に、シンジは意味を掴み損ねた。
「は?」
「台所事情ってやつね」
 それはシンジには理解できない話だった。
「お金がない?」
「そう」
「それだけ?」
 それだけのことが、大事なのだとマナは言った。
「卿の治めてる土地はね、痩せて枯れてるのよ。取れるのは神像の部品や古代の遺物くらいで、後は荒れ地が広がってるだけなの」
 ますます理解できない話であった。
「ぐらいって、すごいんじゃないの? 神像の部品って、価値が……」
 希少価値は高いけどとマナは言う。
「神像の墓場みたいな発掘鉱山を持ってるんだけど、そんなの、勝手に売りさばけるわけないでしょ?」
 想像の付く話ではあった。
「利用価値が高すぎて、監視とか規制を受けてるって話?」
「そういうこと」
 シンジが思い出したのは、元いた世界の、昔にあったという制度のことである。
 とある地方では、遺跡とおぼしきものが現れると、その土地の持ち主が維持管理費を出さねばならなかったという。
 その上、貴重な文化遺産だと言うことで、勝手をすることもできないのだ。
 最終的には、無償で手放すことになっていた……と、うろ覚えの知識を掘り起こした。
 そんなところなのかなと思う。
「それとこれとがどう繋がるのさ? 僕を……使者を斬るのが、お金になるの?」
 マナは暗めの顔で、きゅっと唇を引き結んだ。
「戦争がしたいのよ……ベルフィールド卿はね」
「戦争って……」
 そう言った感じでもなかったけれどと思い返す。
 それともあれら全てが演技であったのだろうかとも。
(でも、マナに対して叫んだとき、あれは本物だったな)
 予想外の裏切りに、仮面が剥がれ、本性が見えたのかも知れないと思いつく。
「戦争も、お金がかかるもんなんじゃないの?」
 そうでもないとマナは言う。
「戦争をするときにはなにが必要になる?」
「なにって……」
 想像する。
「武器?」
 マナは頷く。
「半分正解」
「あとの半分は?」
「人」
「兵隊って事?」
「傭兵とかもね」
 あたしみたいなと、マナ。
「傭兵に対して、私財で便宜を図ることは許されてるのよ」
「私財……神像?」
「ええ。部品とか、武器とか、大昔の道具とか」
「それを当てたっていうの?」
「まあね」
 シンジは首を捻った。
「意味がわからないよ。傭兵に私財を当てる。それがどうお金に繋がるのさ。損をするだけで実入りなんて無いじゃないか」
「傭兵だもの。お金に換えられるものはいくらでも欲しいわ。だからベルフィールド卿のところには、破格の安さで大勢の傭兵が集まったの。現物支給でも良いってことでね。その上、それだけの軍勢が揃っているとなれば、大きな戦で功を上げることができる。いえ、できてしまった、かな? その結果、莫大な報奨金が手に入って……」
 報奨金──シンジはそういうものもあるのかと理解した。
「結果的に、物がお金に替わる流れができたってこと?」
「そういうことね」
 そうして、引き返せないところまで来てしまったのだとマナは言う。
「最初は他に方法がないってことだったのよ。没落を避けるためには、戦にでも出て、手柄を立てるしかなかった。そのためには手駒が必要だった。それも、普通じゃない、他にはない手駒がね」
「君たち……いや、神像……剣とかじゃ刃が立たない武器か」
「いえ、最初は普通じゃ雇えないような有能な傭兵だったわ。だけど、その内の何人かが、古代の遺物から武器を組み上げたり、修復して使い始めて……」
「加速した?」
「そう。部品は複製を組み上げるくらいの量があったから、卿も傭兵を真似て手をつけだしたの。やがて大きな物、神像まで復元させて、乗り手を集めて、部品とは名ばかりの複製品や、修復品を、備品として下ろし始めたの」
 あとは堕ちるだけだったとマナは話す。
「戦で立ててしまった功が大き過ぎたのよ。最初の戦の後はもう、どこにいっても期待されて、期待通りの戦果を上げるためには、小さな武器なんてものじゃ足りなくなってて、神像と神像乗りがどうしても必要で、そのためには発掘規模を拡大して、報酬を確保するしかなくて……」
「悪循環じゃ無いか」
「ええ。発掘規模の拡大は確実に財政を悪化させたし、そもそも神像の部品だって掘り尽くすことになって……」
「行き詰まったってことか」
「この頃は、大きな戦がなくなっちゃったんで、発掘を中断して、蓄えを切り崩してなんとかやってきてたみたいだけど……」
 どうしてそこまで内情に詳しいのかは聞かない。
 そんな不文律が二人の間に出来上がっていた。
「つまり、今、ここにある(いさか)いは、消えてもらっちゃ困る火種だってわけだ」
「逃がさへんで!」
 もうすぐ駐屯地を抜けるというところで、ふたりの前に馬に乗った卿が現れた。
 手綱を引いて馬を止め、弓をシンジへと向ける。
 シンジは叫んだ。
「そんなに戦争が欲しいのかよ!」
 卿の目が一瞬だけ揺れ、マナを捉える。
 それだけで理解したようだった。
「悪いか!」
 つがえていた矢を放つ。
 シンジは体ごと上半身を左によけた。
「家をつぶさせるわけにはいかん、いかんのや!」
 ベルフィールド卿が、馬の上から飛び、空中で剣を抜く。
 シンジは真っ直ぐに狙ってきた剣を転がって避け、立ち上がると同時に斬りかかった。
「そんな理由で人を殺して、殺されて、殺していいはずがないだろう!?」
 右、左と、せわしなくたたきつける。
 はじき返された反動を、そのまま回転することで威力に変えて、攻撃する。
 決して反撃させぬように、必死に勤める。
「だったら、どうするいうんや!」
 だが稚拙な剣戟(けんげき)に過ぎない。どれほど激しく、台風のように白刃が吹き荒れても、ベルフィールド卿ほどの使い手には、ひもにつるされた薪が迫ってくるのと大差のないものであったのだ。
「がきが!」
「ただの子供かどうか、教えてやるよ!」
 ギンと耳障りな音を立てて、刃同士が弾き合う。


 しんと静まりかえっている工場に、アスカの姿だけがあった。
 もちろんシグナムが護衛として控えてはいるが、整備工場の外の話である。
 作業員たちは、アスカに遠慮して引き上げていた。指示されている最低限の工程は終了していた。シートの交換に伴うコクピットレイアウトの変更と、ハッチの取り付け。それに新型の小型オーラエンジンの準備である。
 もっとも、オーラエンジンは装甲がいじれないために、取り付け半ばで放置されていた。
 新設されたハッチのパーツであるが、そこだけがエヴァの血に汚れていないため、真新しく、違和感が際だっていた。
 そのハッチは、左右の扉型、上への引き上げ型の三枚構成になっている。今は全て開いた状態だ。
母様(かあさま)の機体……か」
 アスカは椅子の上で、膝を抱え込んでいた。
 母親(ははおや)が乗っていた。そして機族に殺された。
 だがそんな名残は、今のサーバインには見つからない。
 このシートもだ。母が座っていた頃の物とは違う。違うどころか、全くの新品で、シンジたちと旅をしていた頃とも違うものになっている。
 このシートでは、シンジと二人では窮屈だろうなと、想像する。
 アスカはそっと、右手の壁を撫でた。
「母様の機体だった……じゃあ、サーバインは母様の騎士なの?」
 母親の騎士だったのなら、母親の騎士が動くためにシンジを必要としたのなら、シンジは母親のために選ばれた騎士だと言うことになる。
 そんなシンジだが、自分の騎士になってくれると約束してくれている。
 母の無念を晴らすために戦うのでは無く、自分のために。
 母親のために選ばれた人では無く、アスカを守るために出会った人として。
 そこになにか、アスカは複雑な気分を味わっていた。
「ねぇ、サーバイン?」
 尋ねてしまう。
「サーバインは、あたしの騎士になってくれるの?」
 それともと思う。
「母様の騎士だから、あたしを守ろうとしてくれてるだけなの?」
 アスカがそう尋ねたときだった。
「え?」
 目をしばたかせる。
 ハッチから見える先、床の上に、青白く揺らぐ陽炎のような人影が現れていた。
 アスカはその少女のことを何度も見ていた。
「シンジの……」
 中に居る人と呟こうとしたとき、がくんと揺れた。サーバインが動こうとしたのだ。
 ──レイ・フォースの姿はもう消えていた。
 アスカはレイのことを忘れて、コクピットの中を見渡し、サーバインへと問いかけた。
「どうしたの?」
「なんだ!」
 シグナムが駆け込んでくる。
「姫様!」
 アスカは上半身だけコクピットから覗かせた。
「わかんない! サーバインが!?」
 アスカの目前に、さっとノイズのように絵が流れた。
 身を引いて、映像を目にできる距離を取る。
「シンジ!?」
 そこには必死な顔をして剣を握っているシンジの姿が映し出されていた。
 絵が消えては、あるいは消える前に、重なるように、何枚も何枚も、違う角度から見た姿が開かれていく。
 それが幾度も続く。
 アスカは、そういうことなの? と天井を、サーバインを見上げた。
 そしてきゅっと唇を引き結ぶと、映像を無視して身を乗り出した。
 投影を突き抜けて、シグナムへと叫ぶ。
「シンジが危ないから、行ってくる!」
「アスカ様!?」
「行って! サーバイン! 行ってぇ!」
 アスカが尻を落とすようにシートに倒れると、ハッチが自動で閉ざされた。
 サーバインは自動的に立ち上がると、櫓につるされた状態で据え置きとなっていたオーラエンジンへと手を伸ばした。
 新たなエンジンは、長い円錐と短い円錐を、底面で張り合わせたような形をしているものが、二つで一組となっていた。
 一つの大きさは、サーバインが両手で掴んで、少しばかり余る程度である。
 サーバインはその二つを、右肩と左肩に、腕を交差させるようにして、ゴン、ガンっと、叩きつけた。
 装甲を割ってめり込んだオーラエンジンは、長い側の突端を突き出し、肩の角のようになった。
「大丈夫?」
 アスカが不安げに、天井に尋ねる。
 サーバインは答えの代わりに、目を光らせた。
 肩部装甲の下、筋肉が盛り上がる。
 毛細血管と神経がオーラエンジンの表面を覆うように侵食していく。
 やがてオーラエンジン上部にあるリング状の筋の下で光が回転を始めた。赤い粒子がこぼれだし、飛散する。
 サーバインは、さらに追加として用意されていた二枚のシールドを手に取った。
 肉厚で、大きさもサーバインの体の三分の二が隠れそうなほどである。内側には剣の他、飛び道具らしきものも装備されていた。
 それを、サーバインはエンジンの上に押し当てた。
 元々肩部を支持する形で取り付ける予定であった盾は、エンジンを隠しつつも、それを固定具に利用した。
 そうして盾は、装飾具のように肩口からやや外側に広がる形で、接着された。
 エンジンがエネルギーの排泄を始める。
 肩の肉の下では、太い血管も繋がったのかも知れない。背中の魔力炉の下、尾を成す覆いの下で、コアが放つ赤い光が強くなる。
 コアとオーラエンジンによるエネルギーの循環効率が上がっていく。それに従って発生する余剰分が、シールド、サイドバインダーの内側に漏れてこもった。
 余剰なオーラエネルギーの生み出す雲の流れが、まるで外套のような膜を作って地へと落ちる。
 このシールドは、本来背中へ装備するオーラコンバーターを改造したものであった。
 背中に魔力炉が搭載されたため、盾として設置するよう、手が加えられたものだった。
 そうしてサーバインは、外部へと続くハッチを見た。
 勝手に開いていく。シグナムが気配に振り向くと、テッサが操作盤の前にいた。
「何故開けた!」
「破壊されるよりマシでしょう!?」
 テッサはこういう動きをするときのサーバインを……サーバインでなくとも、このような勝手な真似をする人間のやることを知っていた。
「シグナムは魔法で追ってください!」
 わかっているという声は、サーバインの飛翔音にかき消されたのだった。


 サーバインはオーラエンジンが生み出すエネルギーを、サイドバインダーの先端部から発振していた。
 まるで盾を大剣の柄のように見立て、光の剣を抜き放っているような印象さえ生んでた。
 だがその剣は、実際には推進力としてエネルギーが燃えているだけである。
 垂直に立った噴炎が直角に曲がり、地と水平に遠ざかっていく。
 天を裂き、虹色の航跡が駆けていく。
 城の最上階、私室からその様子を確認し、はやては追って行った小さな光に確認を取った。
「シグナム、どうなってるんや?」
『シンジが呼んだようです』
「シンジさんが?」
『いや……なにかを感じ取ったサーバインが、勝手な真似をしたとも取れますが……』
「要領を得んな」
『すみません、サーバインの中には、アスカ様が』
 はやては、念話で悲鳴を送るという、器用な真似をしてしまった。
「なんて落ち着きのない人らや!」
 嘆息してしまうシグナムである。
『まったくです』
「シグナムはフォローできるんやったら、フォローして! そやけど、気をつけてな?」
 ため息混じりにこぼす。
「シンジさんとサーバインが組み合うんやったら、そこはただ事じゃすまんで」
 その通りだと、シグナムも同意した。


 ベルフィールド卿は、目前の少年を見誤っていた。
 それが決着を長引かせてしまってもいた。周囲は手を出しあぐねている兵士によって壁が出来上がってしまっていた。
 その一つ内側にマナがいて、中央にシンジとベルフィールド卿がいる。これはもう土俵だった。
(気持ちの悪い奴やで……)
 それがベルフィールド卿の抱いた、シンジへの評価、感想であった。
 洗練された動きではない。反射神経も良くはない。
 こちらの動きを見きっているわけでもない。後手を取って、慌てて動いているだけだとわかる。なのに、避けきってくれるのだ。
(わしが遅い言うんか? わしの剣が、あいつより?)
 決してそんなことはないとわかっている。だが、相対的にはそうなるのだろう。
 完全に手遅れな状況を巻き返す体捌き。なのにその動きは体の使い方がなっていない。
 反射的に避けているのだろうが、その反射を行うための知覚や、動作の初動は、明らかに間に合っていない、手遅れなタイミングなのだ。
 その上、どうして洗練されていない体捌きで、間一髪とはいえ間に合わせることができるのか。
 このギャップが、卿にたたらを踏ませていた。
 そしてシンジもまた、舌を巻いていた。
(シグナムや、ヴィータ以上だっての? この人は……)
 パートナーによる身体強化を得ていたとは言え、シンジはヴィータとの肉弾戦すら可能としていた。魔法を使うことのないベルフィールド卿は、守護騎士に比べれば与しやすい相手だと言うことになるはずなのだが、実際のところは、よりやりにくい相手であった。
 先読みが鋭すぎる。的確に致死性の一撃を送り込んでくる。
 そして一切のブレがない。
(疲れもしないって、どういうことだよ)
 なんだろうか……と思う。
 切り込んできたベルフィールド卿の剣を受け、つばぜり合う。
 真っ向からだと、まさに見下ろされる状態だった。
 全体重を剣に乗せられて、シンジの背骨は悲鳴を上げ、膝は屈してしまいそうに震えを見せた。
「シンジ!」
 マナが心配そうに声を出す。
 卿がにやりと嫌らしく笑う。
「その歳で女を抱きこんだんか。俺の女やで、あれは」
「あなたのものだった、でしょう!? 図々しいことを言わないでください」
「はっ! もう物にしたつもりなんか!」
「あなたと同じにしないでください。僕を取ってくれた人です! 選んでくれたんですよ、あなたよりもね!」
 シンジはベルフィールド卿を押し返し始めた。
 卿の重みを持ち上げにかかる。
 切り結び合っている刃でだ。
 少しでも力点がずれれば刃は滑るし、一点に応力がかかり過ぎれば剣は折れてしまうだろう。
 なのに、そうはならない。シンジが器用に調整している証拠であった。
 ベルフィールド卿は舌を巻く。
「あれはお前が思っとるような女とちゃうで……芯まで腐った雌犬や」
「どうして、そういうこと、言うんですか」
「生きるために、人殺しを選んだ女や。他人を金に換えて生きることを選んだ女や。俺と同じにな」
「そういうこと、言うもんじゃないでしょう!?」
「お前のようなもんが選ぶ女やないと、言うとるんや!」
 刃を滑らせる。火花を散らしながら剣がすり抜け合う。
「僕が自分で選んだんです!」
「前を見れるもんが後ろを見んな!」
 一回転して水平に斬りつけたときには、ベルフィールドはもう体勢を立て直して、下から切り上げようとしていた。
 刃がぶつかり、そして弾け合う。
 一合、二合。
 火花が散る。
 剣と、二人の罵る声以外、音がなくなってしまっていた。
 みな声を失ってしまっていたのだ。
 ベルフィールド卿は、間違っても子供に負ける人間ではない。だが、現実に、そのベルフィールド卿と、互角に斬り合っている少年がいる。
 ベルフィールド卿が一撃どころか、まともに斬り合うところなど、誰も見たことがなかったのである。それほどに卿は剣の使い手であった。
 凄いことになっている、と、皆が気付いたのだ。
「あなたはアスカ様のお父さんに頼まれて、迎えに来たんじゃないんですか!?」
「そうや! だから返してもらうで!」
「本人は嫌がってるんですよ!」
「子供のわがままや! 知ったことやないな!」
「だからって、話し合いに来た人間を斬るなんて、やって良いことじゃないでしょう!?」
「お前らがまともに話さんからや!」
 なにを隠していると卿は叫ぶ。
「アスカ様、コウゾウ、巫女姫、それに騎士や傭兵共! なにを企んどるんや!」
 どっちなんだとシンジは迷う。
 マナの言葉を信じるのなら、卿のこの叫びはとてもおかしい。
 あくまで小さなアスカのことを思いやっているように聞こえるからだ。
 先ほどのこともある。
 マナを選ぶなと言う声は、清廉なままでいろと忠告してくれているようにも聞こえたのだ。
「その上、司令官共を抱き込みに走って、なにを考えとるんや!」
 やばい、とシンジは思った。
 この言葉は、皆に疑心を与えてしまう。
 シンジたち、アスカたちには、戦うつもりはないのだが、卿のこの叫びは、シンジによる接触が、戦いのための陽動、布石、作戦の一環であると、勘ぐらせてしまうものだった。
 卿の口元に、嫌らしい笑みが見えた。
(ちくしょう!)
 やっぱり、権謀術数とか、苦手だよ、と思う。
 老獪さ、姑息さ、全てシンジには無いものだった。
 だが一方で、シンジ以外にも、この流れのまずさに気付いた者たちが居た。
 マコトとシゲルである。
「ベルフィールドを!」
「駄目だ、俺たちの私兵じゃ、逆に排除されるだけだ」
 シゲルはマコトを押さえた。
 ざっと見る。囲っているほとんどの兵士がベルフィールド卿の軍団員であった。マコトとシゲルが動員できる兵たちでは、ベルフィールド卿の軍団員を押さえきれない。数も質も違いすぎた
「これで!」
 詰みだとばかりにベルフィールド卿がシンジの剣を払い飛ばした。
「シンジ!」
 マナが悲鳴を上げる。卿がにたりと剣を上げる。
 だがその上に、弾かれたシンジの剣では無く、もっと巨大な物の影が落ちた。
 ──何かが高見から落下した。
 ドン! っと、破壊力を持った爆音、爆風が、陣を構築していた人、資材を吹き飛ばし、なぎ払った。
 誰もが暴風に転がされ、砂埃に目をこすり、咳き込んだ。
 地を跳ね上げるほどの震動と音だった。爆弾でも落ちたのかと疑う者たちもいた。
 四つん這いで、あるいはひざ立ちになって、誰もが爆発の震源地へと目をやった。
 粉塵が和らぐ。皆がその存在に目を向ける。
 幕舎を踏みつぶした大きな物が、今まさに立ち上がろうと力を込めているところであった。
 それは赤黒く、口からは生臭い息を吐き、生理的な嫌悪感をもよおす牙と舌を見せていた。
 強獣だと悲鳴が上がる。それを制したのはベルフィールド卿であった。
「あほが! 理力甲冑騎(オーラバトラー)や!」
 叫んだ卿を、サーバインが身を捻り、尻尾でなぎ払おうとした。
 それを横っ飛びにかわす。
 ずしんと、体を回したサーバインが地を踏んだ。
 卿が、そのサーバインに取り付く少年の姿を見つける。
「小僧!」
 一瞬、彼が振り返る。
 卿は舌打ちし、駆け出した。
「ズワウス! 小僧を捕まえや!」
 卿の声に応えたのか、森の奥から木々を吹き飛ばすように押しのけて、もう一体の巨人が現れた。
 突進し、ズワウスはサーバインと激突した。
 ズワウスは、搭乗者無しに、勝手に動いていた。
 兵士たちが、ズワウスに踏みつぶされぬよう、慌てて逃げ出す。
 迫り来る恐竜そのものの迫力を前にして、シンジは唖然と自分を見失ってしまったのだった。
 単純に驚いたのである。
(サーバイン以外に、勝手に動く機体があるの!?)
 仕組みが理解できなかった。
「なにをやってる!」
 そんなシンジを叱咤する声が降った。
 はっとし、間一髪でズワウスの横なぎの手を避ける。
 その動きは、同じ搭乗者無しでも、サーバインより軽快であった。
(捕まえる気なんて無いじゃないか!?)
 尋問などする気もないだろう。
 直撃していれば、叩き飛ばされ、肉片に変えられていた一撃だった。
 主人の命に従って、ズワウスはシンジのことを追いかける。
 サーバインは、そんなズワウスの挙動を追い切れず、のたのたとしていた。
 自立性では、サーバインはズワウスより劣っているようであった。
 もっとも、サーバインの動きも、十分に生きている強獣と遜色のないものであったのだが。
 呆然としているシンジの前に、空からシグナムが舞い降りた。
 先ほどの声の主は、彼女かと、気を取り戻す。
 シグナムは騎士甲冑のモードであった。剣も抜いていた。
「シグナムやて!?」
 叫ぶ卿の横で、ズワウスの巨体が飛んだ。飛ばされたのだ。
 地響きを立てて、風圧で幕舎をまくり上げ、なぎ倒す。
 手のひらのような赤い光が霧散する。それはサーバインが両のバインダーの先端を向けて放ったオーラエナジーであった。飛翔のために使う力を、飛び道具としてぶつけたのだ。
 手のひらのように見えたのは、ぶつかったエネルギーが、そこで花を開いたからだ。
 動きの俊敏さでは負けていても、ズワウスにはこのような力は無い。
 やはりサーバインは特別であった。
「ちっ!」
 ズワウスへと走っていくベルフィールド卿に、シグナムがしまったと叫んだ!
「なんだよ!?」
「仮面を忘れた!」
「もうどうでもいいよ!」
 シンジはサーバインへと走った。
「シグナムはマナを頼む!」
「彼女をか!?」
 どこにいるんだと慌てるシグナムを置き去りにする。
 シグナムは、サーバインへと駆け寄っていくシンジに、呼び捨てとは気安くなったな、と思いはしたが、口にしたのは別のことであった。
「アスカ様が中に!」
 サーバインの手のひらにすくい上げられ、コクピットへと持ち上げられて、シンジはアスカに交代だと言った。
 アスカと入れ替わりにシートに座る。アスカは当然のようにシンジの股の間に収まった。
 操縦桿を握り込むと、彼の身の内から、背をのけぞらせるようにして、レイ・フォースがサーバインへと浸透していった。
「行く!」
 サーバインを立ち上がらせる。
 開いたままのハッチの向こうに、マナの姿が見えた。
 側にはシグナムがいる。シンジは叫んだ。
「マナは隠れて!」
「そうさせてもらうけど!」
 マナはシグナムのことを気にする余裕もないようだった。
 シンジを案じて、自分の歳のことも忘れて、少女のように口にした。
「死なないでよね! 帰ってきたら、たっぷりとサービスしてあげるんだから!」
「お願いするよ!」
 答えてから思わず笑った。
「……なんか死亡フラグっぽいよなぁ、これ」
 かぷっと腕を噛まれる。
 アスカがじろりとシンジを見ていた。
「来た」
 シンジは、なにを言っても負け戦になるなと諦めた。
 ハッチを閉める。サイドバインダーの内側に取り付けられている剣を外す。左から一本だけだ。
 構えると、足下の味方のことなど気にもしていない様子と勢いで、ズワウスが突進してきた。
 腹を地で削るようにして、低空飛行で突っ込んできたのである。
 オーラエンジンの吹き出すエネルギーや、翼の羽ばたきによる風力で出る被害など気にもしていなかった。実際、人が風によって宙に巻き上げられ、震動に転ばされ、倒れてきた幕舎の下敷きとなっていた。
「いやぁ!」
 シンジは甲高い奇声を発して、剣の切っ先を突き出させた。
 だが黒い理力甲冑騎は、串刺しになる寸前で身をひねり、かわした。
 それどころか、片手を地に着け、爪を立て、それを基準に駒のように回って蹴りを繰り出した。
 胴を払われる直前、尻餅をつくような感じで、サーバインは自ら背後へと倒れ込んだ。
 キャノピーの前を人よりも大きなズワウスの爪と足の裏が過ぎる。
 サーバインはオーラエンジンをふかした。背中の側に厚いオーラの膜が生まれる。完全には倒れず、そのままふよふよと浮いて下がり、距離を取る。
 まるで飛行用のマントを使っているような格好だった。
「騎士やとは思わんかったわ!」
 黒騎士が立ち上がり、剣を抜き、構える。
 ベルフィールド卿の……これまたなぜ伝わるのかわからない声を相手に、シンジは軽口で応じた。
「見た目に騙されるなんて、案外、底が知れてるね」
「言うとけや、ドアホがぁ!」
 卿が意気を持って突進する。

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