白い、巨大な飛空船の底部が、鳥肌を立てるようにささくれ立っていく。
 数百の鱗。その一つ一つが砲身であるとわかったのは、威嚇のための一射が行われたためである。
 軽い放電とそれに伴う発光現象。その後に、見上げていた彼らの直近にあった樹木の一つが、蒸発した。
 燃える姿も見せずにである。
 樹木の根っこすら残さずに、深く穴が穿たれていた。
 荷電粒子砲というものを知らずとも、威力を知るには十分であった。
 唖然、呆然とした彼らが、ぎちぎちという音に、その首を再び船底へと向けて見上げると、砲の一本一本が、うごめき狙いを定めていた。
 ──一つ一つが、一人一人へと、その先端を向けている。
 あり得ない科学の産物、死んだと思っていた父親。そして渚カヲルの来訪。
 混乱の(きわ)にあったシンジであったが、彼は頭を一つ振ると、複雑になる現状の中から、大事なことだけを選び出した。
 自分が盾になるように、サーバインを機動させる。
 父の操る機体を回り込み、ズワウスの側に立って、カヲルと相対した。
「待て! シンジ!」
 その声はシグナムのものであった。
 シンジはサーバインの左腕を上げさせた。その手のひらを開かせて、舞い降りてきたシグナムを受け入れる。彼女は手の上に降り立つと、コクピットハッチの縁に手を突いて、キャノピー越しにシンジのことをのぞき込んだ。
「西方王とは西の国の王のことだが、聖法王とも呼ばれている。手を出すな」
 シンジはハッチを開いた。
「なんだよそれ、カヲル君がそうだっていうの?」
「……らしいな」
 シグナムはコクピットへと半分体を入れた。だが、もう半分は警戒から外へ向けたままだ。
「西の国は謎が多い。その王は自らを代理であると語っていた。だが、もう一つの名である西法王の名が、彼のものであるのなら」
「納得はできるけど、でも」
 なぜ、それなら今になってという、疑問が沸く。
 西方の兵士たちは、剣だけでは無く、銃器も帯びていた。
 この世界の鋳造、鍛造の技術は、さほど高いものでは無い。
 にもかかわらず、彼らの持つ銃器は、二十一世紀台の光沢を持ち合わせていた。
 シンジは呻いた。
 以前、コウゾウの館で見た武器は、一発ごとの弾込式であったのだ。
 それは手作りに近い品であった。
 なのに、彼らが持つそれは、フルオートによる射撃が可能な、アサルトライフルに間違いが無い。
「出し惜しみ無しって事かよ」
 初期の銃器であれば、鎧で防ぐことは可能だろう。
 だがフルメタルジャケットは、鎧程度の厚みなど簡単に貫通してしまう。
 それをこの人数で斉射されたなら?
 制圧は一瞬で終わってしまうだろう。
 シンジは結果として出ることになる死者の数を想像し、諦めるしかないことを悟らされた。
 従うしか無い。
 ぐっと、視点が沈み込んだ。まだ操作はしていない。
 シンジは苦々しげに、背後へと目をやった。
 彼の父らしき男が乗った機体が、押さえつけるように、サーバインの肩に手を置いていた。


 西方とは、名の通りに西に位置している国である。
 だがその中心部は、深い謎に包まれていた。
 表に出て来るのは代理を名乗る王と、議会である。
 他国においては謎の深さ故に、代理の王のことと、西方の者が語る、聖法王という存在のことが、混同されることがある。
 西方の船は、闇の城への入城を希望したが、闇の城のドックは、これほど大きな船を収容できるようにはできていなかった。
 そのため、船は谷の間に底部を挟み込むようにしてその身を下ろし、半ば浮遊した状態で停泊する形を取ったのであった。
 ベルフィールド卿が率いてきた兵士たちは、城の外周に設営されたテントにて、治療の手を与えられていた。
 治療に当たっているのは、西の国の衛生兵である。船の側面の一部が開き、そこからフォークリフトによって医療用の物資が運び出されていた。
 抵抗感があるのか、それとも自分たちのことを見張っている者たちに対して萎縮しているのか、負傷兵たちは緊張を解くことができずにいた。
 治療のためと着せられた服は、清潔で、素材を想像することすらできない肌触りをしていた。
 そして西方の兵士たちが着込んでいる装備品は、技術レベルが違いすぎて、用途や目的を空想することすら叶わないのだ。
 そして不気味な面のこともあった。西の兵が着込んでいる鎧は、ゴムのような質感をしているアンダーウェアの上に、急所をカバーするように保護が追加されているものだった。その細部には、見たことの無い機械が装着されているのだが、それらはまだ、異質で済むものであった。
 しかしながら、問題は兜や面であった。こちらは暗視装置や赤外線探知装置、あるいは通信機などが組み込まれている、多目的仕様のヘルメットであったのだ。
 それが無知な者には、不気味な意匠としか映らない。
 マコトとシゲルは、不安になっている負傷兵に声をかけて回っていた。
 くれぐれも、不用意な真似はしないようにと。
「行くか」
「ああ」
 二人は揃って、城へ向かって歩き出した。
「はやて様の呼び出しか」
 マコトは、胃が痛いなと、眉間にしわを寄せていた。
「実際がどうであれ、この軍の指揮権は、俺にあったわけだからな」
 さてどうするかというマコトに、シゲルが案を出す。
「ベルフィールド卿の行動は、卿の暴走……いや、反乱行為であったと……それで押し切るしか無いだろう」
 まあ事実だからなと口にする。
「それはそれで、俺の監督不行届か、あるいは管理能力の不足を問い正されることになるんじゃないのか?」
「ま、それも経験だ」
 シゲルは笑って、彼の背を叩いた。
「十代の女の子に罵られる経験なんて、そうそうできるもんじゃないぞ?」
 シゲルは、はやてのつもりで口にしたのだが……。
「十代の女の子かぁ……」
 マコトは、下手をすると十代に満たないようにも見えるヴィータのことを思い浮かべて、顔色を青くしたのであった。


 だがしかし、いろいろと考え、事前に覚悟を決めて入城したにもかかわらず、二人の心配は杞憂に終わってしまったのであった。
大海嘯(だいかいしょう)?」
「まさか!?」
 首をかしげたのはアスカであり、驚いたのはそれ以外の者たちであった。
 はやてが代表して尋ねる。
「機族が溢れるには、早すぎるで」
「はやて?」
 アスカの問いかけに、はやては向き直り、取り乱しましたと頭を下げた。
 謁見の間には、はやての他、シグナム、ヴィータ、ザフィーラのヴォルケンリッターが、本来は、はやてが落ち着くべき主の座に着くアスカの前に居並んでいた。
 アスカの座る椅子の背もたれは、城の主の威厳に合わせて、とても高く作られている。
 それはアスカの座高の倍はあった。
 別段、自国の姫であろうと、はやてがこのように座を譲る必要は無いのだが、アスカは幼いが故か、そのようなことがらについてまで、気が回っては居なかった。
 教えてもらう機会も無かったためか、薦められるままに腰掛けていた。
 部屋の隅には、コウゾウとテッサの姿もあった。
 マコトとシゲルが入室したとき、アスカの前には、西方王であるらしい少年が、来訪についての説明を行っていた。
 その内容が、先の言葉、大海嘯についてであった。
「だからこそ、西の国の王座は、僕に譲られることになったんだ」
 アスカは、ん?と小首をかしげた。
「今までは、王じゃなかったの?」
 それは、西方の王が代理を名乗っていたのだから、今までも本質的には、王という位置にあったのではなかったのか? という問いかけであった。
「……北の国で君たちに会ったときは、まだ王じゃなかったよ」
「ならどうして?」
 今になって? アスカはちらりと、マコトたちを見た。それは言外に、シンジがらみかと尋ねる意図を持ってのことであった。
 シンジという名前を、彼らの前では出したくないという意思表示である。
 カヲルとしても、これほど急に事態を動かすつもりはなかったのだろう。不本意だというものを顔に表したのだった。
「機族の国に、動きがあったからさ」
「それが大海嘯?」
 説明を求められ、はやてが一歩前に出た。
「大海嘯とは、機族による蹂躙のことです」
「蹂躙?」
 そうだよとカヲルが答える。
「その対象は、人間だけってわけじゃ無いんだ。巨獣であったり、自然もだ。理由もまた色々だね。個体数の調整であったり、素材の確保、捕獲であったり、管理しやすいように、手に負える範疇にとどめるためとか……。だけど、今回のは違う。違っているんだよね」
『彼』のことを知るものたちはみんな、カヲルの歯に物が詰まっている物言いに、シンジが原因であろうと想像をした。
 機族は個体数を増やすこともやっている。それについては、北の国で知る機会のあった話であった。
 それが、なぜこうも唐突に? それを考えたとき、北の地にて、いち早く姿を消した、機族のアスカの姿が思い出された。
 彼女がなにかしらの報告をし、機族が動いた……と考えるのが妥当なタイミングである。
「それを知らせるために、越境したんだけどね」
 事情のわからないマコトとシゲルは、目をかわした。
 知らせるためにというには、闇の城は、王都からは随分と離れた場所に位置していた。
 方角もまた、途中で寄ったというには無理のある向きになる。
 この国は、他国に挟まれているのだが、違った見方をすれば、各国の中心になる位置だとも言えた。
 そのためか、大きな問題が起こった時には、この国に各国の王が集うのが、昔からの習わしとなっていた。
 なのに、西方王は、その会議を起こすつもりがないように見えた。なぜなのか?
 その理由について、マコトとシゲル以外の者たちは、考えることさえしなかった。
 結局のところは、シンジという存在が、問題なのだ。
 どこであろうと、中心は彼の居る場所となるだろう。
 ならば、国という枠組みを考えることは、無意味である。
 問題の中心地へと先行したことは、間違いでは無かった。
 マコトとシゲルは、この話題には踏み込めないと判断し、立場的に話しやすいコウゾウの元へと寄っていった。
 この場に、あの少年が居ないことに気がついたからである。
 北の神官騎士だというのは、方便なのだと思っていた二人であったが、先の戦闘で見せられた不可思議なイメージに、どうやらそれだけではすまない存在であるのだと推察させられていた。
 一礼するコウゾウに、不要だと右手を挙げて伝える。
「いったいどういう少年なんだ?」
 コウゾウは答えに窮した。
「普通ではない、ということしか」
 一口では説明できない。また、信じてもらうこと自体が困難であった。
 そんな迷いからのつまづきを、二人は勝手に勘違いをした。
 コウゾウもまた、把握していない一人なのだと。
 だけど……と、そんな二人のことを脇に置き、カヲルが話を続けて行く。
「動機については、まず間違いなく、きっかけになっているとは思うんだけど、数を持ち出して片付けようとする意図がわからなくてね」
 それはそうだと、アスカたちは思った。
 シンジ一人を捕まえるために、大軍を持ち出しても意味が無いのだ。
 戦い倒すためには大軍の存在は必要であろうが、シンジは別段、必要が無いのなら戦うつもりにはならない人間である。
 その力を、この世界を逃げ回ることだけに用いられたのなら、捕まえることは不可能となるであろう。
 まさか見も知らない人々を、人質に取れるつもりでもなかろうと推察をする。
 それとも、そのことが伝えられていないのだろうかと、彼らは首をひねったのであった。
「お父様には?」
 もちろんとカヲルは言う。
「君のお父さんには、西の国に駐在していた君の国の文官経由で知らせているよ。もっとも、その知らせが僕よりも……僕の船よりも早く、王都にたどり着けているのかどうかは、微妙だけどね」
 そんな会話の中で、どうなのだろうかと勘ぐっているのはシグナムであった。
 この少年が、闇の城や闇の書に興味を持っているとは思えない。ここに来たのはシンジが居るから。それが一番わかりやすい構図ではある。
 実際の問題として、彼の船は驚異ではあるが、ヴァルケンリッターにとっては、圧倒的と言うほどの戦力でもないとの結論に至っていた。
 この城の防護壁は、魔法で張るものだけでは無い。機械的な電磁シールドなどを合わせれば、彼の船とは互角以上に渡り合えると、分析結果が出されていた。
 攻撃に関しても、ヴォルケンリッターの最大攻撃魔法は、山すらも崩すことができるのだし……いざとなれば城の……と、不穏当なことを想定している。
 もちろん、熱量から推察されるエンジン出力が、予想の範囲内であるのなら、の話だが。
(使徒、そして、チルドレンか)
 これら闇の城の設備が、本来、なにに対して用意されたものであったのか? そこからの発想の飛躍が、シグナムをより深い思索にふけらせる。
 以前、渚カヲルは、自分のことを、アマルガムのスポンサーの一人であると口にした。
 シグナムは思う。思い立っただけで王の位置に付けたというのなら、一組織を支援するための資金程度、いくらでも用立てることができたであろうと。
(あるいは、それだけの巨額を投じて、何かを依頼していたのか?)
 それが何かはわからない。
 アマルガムは巨大な組織であり、その全てが、シグナムが関わったような非合法な活動だけを行っているというわけではないのだ。
 正道な人助けを行っている団体も所属している。
(だが、まいったな)
 ふむ……とシグナムは鼻息を漏らして、考え込んだ。
(巫女姫に、西方王までとは、王都ではどんな騒ぎになることやら)
 ますます反逆を疑われているかも知れないなと、シグナムはどこか他人事のように思い流した。


 そのように、彼らが情報のすりあわせを行っている頃、シンジは巫女姫の元にいた。
 碇ゲンドウ……、父親であるらしい人物と共にである。
 人前ではできない話をするために、絶対に他人、部外者の耳のない場所を求めた結果であった。
 件の男は、ネルフのスーツに、マントを羽織り、赤いサングラスをかけている。
 ミスマッチにもほどがあると、シンジは頭痛を堪えていた。
 そんな心情を知ってか知らずか、巫女姫が、からかうように口にする。
「そうしていると、まるで悪の帝王ですね」
「言ってくれるな」
 巫女姫の言葉に、彼はばさりと、それらしくマントをひるがえす。
「だが、この身ではな、諦めるほかはないし、第一、この姿がそのように見えるのは、お前がアニメ・コミックの文化を知っているからだ。そうだろう?」
 知らないものには、奇妙に映るだけだというのだ。
「この世界の皆には、その仮装も、(かた)りとして通じていると?」
「事実、だまされてくれる人間が多くて、助かっている」
 悪い人、と、巫女姫は口元を手で隠して笑った。
「純真なのですよ。無垢でもあります。そのような……」
「言い方次第だな。……それほど怖い目に遭わせたことは無いはずなのだが」
「ご謙遜を。黒の大魔王ともあろうお方が」
「大魔王か。魔物の王であるのか、魔法の王であるのか。最近では、魔界の王であるとの噂も聞いたな」
「全てあなたのことでしょうに」
 彼は口元に皮肉を貼り付ける。
「俺は、ただの俗物だよ。それほどたいそうなものでは無いというのに」
「不老不死の俗物とは、また」
「本当に不老不死なら、もっと若く居たいものだが」
 二人のやり取りを端で聞きながら、シンジは、どうなのだろうかと疑っていた。
(父さんにしては、印象が柔らかいんだよな……)
 父が冗談を口にする姿など、今まで想像もしたことが無かったのだ。
 そんなシンジを見下ろすように、彼が顔を向けた。
 自然と巫女姫もシンジへと目をやった。
 二人に見られ、シンジは身を固くした。
 その緊張を、二人は笑う。
「戸惑っているようですよ?」
「疑って当然だろうからな。俺だって最初は疑っていた」
「なにをです?」
「こいつのことだ。よもや、いまさら顔を見ることになるとは思わなかった」
 シンジは、思い切って口を開いた。
「父さん……、なんですか?」
 つい、丁寧な口調になってしまう。
 そんなシンジに苦笑いをしたが、彼はごまかさなかった。
「そうとも言えるし、そうでは無いとも言えるな」
「どういうことなんですか?」
「こういうことだ」
 彼は右手をシンジへと伸ばした。白い手袋に包まれている。
 その手がシンジに触れる寸前、干渉光が発生した。
 静電気が走ったように、手袋をはめた手が跳ね上がるように弾かれる。
 シンジは絶叫に近い驚きの声を上げた。
「ATフィールド!? なんで!?」
 ATフィールドは中に居る娘が自動展開してくれているものではあるが、それでも通常の接触程度で過剰に行われるものではなかった。
 シンジの意思に沿って発動することもあったが、今のシンジに目前の男性を拒絶するつもりは無い。
 ならなぜ展開されてしまったのか?
 シンジが目を丸くして男を見上げると、わかるかと彼は言った。
「今の俺に実体はない。この姿は、魂が形を作り上げているだけの存在だ」
「どういうこと……?」
「ふむ……魂自体は、碇ゲンドウ……間違いなく、俺だ。だが、あれが複製であったとは言え、一時的にでもアダムを宿した俺の魂は、その形を失うことができなくなってしまったらしい。だから、肉の器を失った今も、こうして存在し続けているのだ。と言ったところか?」
「幽霊みたいなものだってこと?」
「そうだな。核……とでもいうものか? 霧散することも霧消することもかなわずに、この形状、形態を維持し続けている。今の俺は、そういった存在だ」
 巫女姫が繋ぐ。
「もっとも、その方がこの世界に顕現されるようになったのは、この十年ほどのことですが」
「そうなんですか?」
「ええ。最初は淡く、ふわりといった感じでしたが、徐々に自分を思い出されたのか、ついには人とふれ合うこともできるようになられました」
 シンジは、何を言ったものかと悩んで、結局、ため息をこぼした。
「わけがわからないことばっかりだよ……」
 投げやりになって、とうとう、言葉までぞんざいになる。
「死んだと思ったら見たことも無い場所にいて、そこでは怪獣とかロボットとかがあって、魔法まで使われてて、知ってる人たちに似た人たちがいるかと思ったら、今度は死んだと思ってた父さんまで出てきた。……ここは本当に四百年後の世界なの?」
 それについてはとゲンドウは言う。
「俺も懐疑的だ」
「なんでさ?」
「生態系を見て回ったが、四百年でこれはあり得ん」
「それは僕も、そう思ったけどさ……」
「あるいは使徒の介在も考えたが」
「使徒の?」
「ああ。コアやリンカーコア……シンジ、オーラエナジーや魔力については知っているか?」
「エネルギーとしてなら理解してるけど」
「どう理解している?」
「オーラが拡散してしまった人の魂の力、魔力が大気中に漂ってるなにか……かな」
「そんなところか」
 馬鹿にするような言い方に、シンジはむっとした顔をした。
「なんだよ?」
「それが使徒だとしたらどうする?」
 シンジは驚きに声を発した。
「オーラや魔力が!?」
「ああ。目に見えない、マイクロな使徒。それらが大気中を漂っているのだとしたら?」
「そんな……」
「人に寄生し、凝縮し、リンカーコアなるものに擬態し、共棲しているのだとしたら? あるいはわざと動植物に取り込まれ、その生態を強化、改造し、乗っ取り……強獣なるものを作り上げているのだとしたら? マイクロとは言え使徒だ。なら崩壊に伴うエネルギー変換……転換現象を起こすことができる。その際に生まれる熱エネルギーを、燃料として利用しているのが魔力機関やオーラコンバーターなのだとしたら?」
 シンジは使徒が死ぬ際に上げる、十字型の火柱を思い浮かべた。
 それがエネルギー源なのだとしたら?
 だがシンジは、その話を鵜呑みにはしなかった。
 眼鏡越しのゲンドウの目は、真実を伝えているようにも見えたが、同時に、試されているようなものを感じたからだ。
 だから、違う、騙されるなと、シンジは冷静になることができた。
「でも、違う。違うと思う」
「何故だ?」
「もし……使徒が漂ってるなら、僕は息をできないよ。吸い込もうとしただけで、ATフィールドが反応するはずだ。ううん、立ってるだけで、ATフィールドが、そのマイクロな使徒に反応してなきゃおかしいんだ」
 まあ、その通りだなと、ゲンドウは認めた。
「俺自身についてもそうだ。いわば今の俺は使徒だからな。大気中に使徒が漂っているのなら、常に身辺では小爆発が起こっていなければならん」
 シンジはむっと頬を膨らませた。
「からかったのかよ」
 ゲンドウはくくくと笑う。
「怒るな。俺とて、仮説を組み立てているのが現状だ」
 うれしそうですねと、巫女姫がからかう。
「四百年前には、思ってもいなかったことでしょうからね」
「そうだな」
「なんの話さ?」
「こうして冗談を口にしたり、噛みつかれたりと、あなたとじゃれあっていることがですよ」
 微妙な顔をするシンジである。
 そんなシンジのことを笑ってから、彼女は口にする。
「実際のところ、今のこの方は不便な状態にあるのです。ATフィールドそのものであると言うことは……」
「機族がうるさくてな」
 ああと、シンジは納得した。
「そういうことか」
 ATフィールドは存在している限り発生し続けるものだが、それでも検知されないレベルというものがある。
 だが存在そのものをATフィールドによって支えている彼には、それを弱くすることはできないのだ。
「おかげで、フィールドワークもままならん。おそらくは機族の施設に入り込むことが一番の早道なのだろうが、近づくことすらできんのではな」
「父さんの名前を明かしても?」
「無理だった」
「もうやったんだ……」
「ああ。正体が怪しいという以前の問題だった。どうにもな、系統としては、ネルフでは無く、ゼーレが主体のものらしいのだ。……ゼーレは、わかるか?」
「勉強させられたよ」
「なら、良い。ゼーレにとって、俺の存在は、今でも驚異らしくてな」
「なんで自慢げなんだよ」
 ため息をこぼす。
「結局、なにもわからないのか」
 今度はゲンドウがむっとする番だった。
「真実を知りたいのなら、その女に聞け」
「巫女姫様に?」
「なにもかもを知っていながら、なにも語ろうとせん。そういう女だ」
 シンジが彼女を見ると、巫女姫は意味も無くにこりと微笑んだ。
 ああ、確かに、そういう感じの人だなと納得させられた。
「それで、どうして、今頃になって出てきたのさ?」
 シンジは本題に戻すことにした。
 真実など知ってもろくなことにはならない。
 これは『以前』『過去』に得ていた教訓である。
 だから諦めた。
「今更というわけでも無い。お前が現れたというので興味心をそそられたのがひとつ。もう一つは、フィフスに頼まれたからだ」
「カヲル君に?」
「最近は、西の国で色々とやっていたんだがな」
「なにをやってたのさ?」
「この世界のことを調べていただけだ。空に浮かぶ黒い月のこともある」
「あれか……」
「ああ。どこに行っても、必ず頭上にある。あり得ん現象だ」
 時空がねじ曲がっているとしか思えん。ゲンドウはそう口にする。
「それと、西の国が、どう繋がるのさ?」
「一番機械化が進んでいる。いや、機械文化が残されていた、か? もっとも、南とは比べるべくも無いがな。それでも、観測機器を調達するには、他に道は無かった。その程度だ」
 シンジはアマルガムのことを思い出し、嫌な顔をした。
「それで、西にね」
「奴としては、交渉材料の一つとして、俺を持ち出してみたつもりのようだがな」
「交渉? 誰との?」
「俺は、この国でも、一時期を過ごしていたからな。王族にも顔が利く」
 シンジはふと、思い出したことがあって尋ねてみた。
「ユイ……って人のこと、知ってる?」
 思った通りだった、父は妙な顔つきになった。
「彼女か……」
「母さんに似てるの?」
「面影はあるが、俺の知るユイとは違う。違和感ばかりが目立つな」
「一緒に居ようとは思わなかったの?」
「ユイでは無い。それが全てだ」
 試すなと、父に目つきで叱られ、シンジはごめんと謝った。
「じゃあ、父さんは、この国の王様とかとも、話せる人なんだ」
「あとは、お前に対しても、だな」
「僕?」
「ああ」
 闇の書だと、ゲンドウは切り出した。
「俺と、俺の研究チームなら、闇の書の呪い……プログラムを改編することはできるだろう。となれば、お前はどうする?」
 シンジは息を飲まされた。
 そうだったと思い出したのだ。
 父はただの司令ではない。
 ネルフの基礎となった母体組織、ゲヒルンで、本部やエヴァの開発すら行っていたのだから、闇の書と呼ばれるものについても、扱うことができて当然であった。
 しかしながら、それを頼んだとき、一体全体、自分はどんな対価を要求されることになるのだろうかと、緊張を強いられた。
(魔物でも魔法でも無くて、悪魔の王なんじゃないのか?)
 自分の父ながら、と考えて、だがこのような人で無ければと、彼はかつてのネルフに思いをはせた。


 シンジが皆の元へ戻ると、そこは意見の対立によって、混乱した場となっていた。
 意見は大きく分けて二つあった。
 一つは、一刻も早く、機族の動きに対応するため、先行しようというものであり。
 もう一方は、王都へ向かうべきだという意見であった。
 アスカのこともあるが、問題が問題である。
 その上、渚カヲルは、四百年を生きる神であり、新たな西方王として来訪したというのであれば、これに対して未成年の王族であり、未だ正式な権限のない小さなアスカや、一領主という立場でしかないはやてでは、対等に向かい合い、議論を交わすことは許されない話であった。
 ここで協調し、なにかしらの確約を結んだとしても、それは公式なものとはならず、意味を成さない物として扱われてしまうだけとなる。
 どうあっても、国王の存在が必要であった。
 だが、カヲルが持ち出している表向きの理由とは即位である。新たな王が生まれることは珍しくは無いが、自らそれを知らせに回ったという前例は無い。祝辞を述べる使者が送られることはあったとしても、新たな王が、他国の王の元へと即位の知らせに回ることなど、通常は考えられない行動であった。
 それは、弱小国が、強国へと行う恭順の姿勢そのものであるからだ。
 西の国が、中の国より劣るのかと問われれば、逆だという答えが出る。
 戦国(いくさこく)である西の国に、中の国が対抗できるようになったのは、理力甲冑騎の開発があってからのことになる。
 それまでは、滅ぼされない程度にうま味を吸われてきた……、具体的には、神像の部品を安値で採掘、輸出し、買いたたかれていた、そんな関係であったのだ。
 アスカが尋ねる。
「先王は?」
「体調の不良を理由にね、嬉々として僕に王座を明け渡してくれたよ」
 質疑に対し、そう語るカヲルに、立ち会わせた誰しもが不審の目を向けた。
(当たり前だよね)
 シンジでなくとも、誰もが渚カヲルのことを、ただの人間では無いと感じ取っていた。
 実際に、彼は人の子ではない。となれば、以前に王であった者との間には、血の繋がりなどあろうはずがないのである。
 ならば、王が倒れたとして、その血筋にない者が、なぜ王として選ばれることになるのだろうか?
 なによりも、今になって王になったというのであれば、最初から王であることもできたはずなのだ。彼は百の単位で時を経てきている、不死者であるのだから。
 カヲルは、憮然としているシンジへと、肩をすくめつつ笑いかけた。
「そういうわけだよ。西の国は、正式に、僕のものになった」
「僕のものに『した』んだろ?」
「辛辣だねぇ。君のためなのに」
「責任を押しつけないでよ。……どうせ、自分のものとして、改めただけ、なんじゃないの?」
 聖法王を名乗る影の支配者が彼であったのなら、今回のこれは、表舞台へ出ることにしたというだけのことであり、そこには交代劇すら、なかったであろう。
 王であったものは、本当に喜んで引き下がったのだろうか?
「どういうつもりなんだよ?」
 シンジは、一転して、真剣になった。
 勝手に火種を作られたのではたまらないからだ。
「君が現れたからさ」
「僕が?」
「うん。君が現れたことで、北の国と、南の、機族の国の動きが活発になった。なら、怠惰に眺めているのは愚策だよ。既に一刻を争う状況なのさ。電撃的に……、ここは動くべきだ」
「そんな安直な……」
 あきれるシンジに、カヲルはくつくつと笑う。
「元々形骸化していたんだよ。これまでも、僕を王にという話はあったんだ。ただ、僕が嫌がっていただけでね」
「人を支配しようって言うのか……使徒が」
「そう嫌そうにしないで欲しいね。これでも、苦渋の選択をしたつもりなんだからね」
「どういうことだよ」
「時は動きだし、世界もまた変わり始めた。その流れはもう止めようがないけれど、この四百年を、僕は人と共に過ごしてきたんだ。少しは愛着があるし、愛情も沸いているんだよ。今更彼らが滅ぶところなんて見たくはないさ」
 それは、使徒としての本能には従わないという宣言であった。
 だがその根底にあるのは、やはりシンジへの感情である。
 最初に好きになった人、碇シンジという少年が人間(リリン)であったことが、彼の、他者への存在肯定へと繋がっていた。
 彼は、シンジの代替物として、孤独を埋める存在を求め、共存の意思を持ったのである。
「だから、力を貸すことにした、っていうの?」
「いいや」
 しかし。
 本能には従わない。そう宣言しておきながら、彼は使徒そのものの禍々しさを口元に貼り付けて、笑ったのである。
「力を、振るうことにしたのさ」
 なにに対してか?
 シンジは、その一言を、発することができない。
「まあ、見ていて欲しいな」
 カヲルは言う。
「王になり、人という(シモベ)を手に入れた使徒が、なにを成すのかを、ね」
 結局のところ、やはり代替物でしか無いのだろう。
 心の穴を埋めるためには、その型に、完全に当てはまるものでなければならない。
 でなければ、いつまでも隙間が開いたままとなる。
 そして今、彼の前には碇シンジという少年がいる。
 それにより、彼の中において、その他の存在は、少年の存在を維持するためだけのものに成り下がってしまっていた。
 だがシンジには、彼の感情の推移についてなど、想像もできないことであった。
 ただ、その表情から、悪役だなぁと思ってしまっただけである。
 この彼があの父と手を組んでなにを画策しているのか。
 考えたくも無いと頭痛を覚えただけであった。
「で、話してみてどうだった?」
 そんなシンジの内心に気付いたわけでも無かろうが、カヲルはなにを話してきたのかと、興味を隠そうともしなかった。
 だがカヲルの質問に、シンジは眉間にしわを寄せた。
 まだ若いシンジの眉間には張りがある。しわを寄せる、と言っても、普通は眉が動く程度なのだが、このときにははっきりとしたしわが生まれていた。
 それだけ、シンジは頭を悩ませていたのだった。
「父さんだと感じた……、けど」
「違うって気もする?」
 カヲルはカヲルで、疑念を抱いているようであった。
「僕ははっきりと、君のお父さん、碇ゲンドウと会話を持ったことがあるわけじゃないからねぇ……」
「なんだよそれ? それなのに、仲間にしてるの?」
「力を貸してもらうのに、素性は関係ないだろう? 必要なのは、力と、知識さ。彼が碇ゲンドウであろうが、その他の誰であろうが、問題じゃないよ」
「そりゃ、そうなんだろうけどさ」
「そもそも、あの在り方はなんなんだろうね」
「在り方って?」
「彼には、実体がないんだよ。凝縮されたエネルギー体そのもので、おそらくはそれが本体だと思う」
「それが?」
「わからないかな? 実体がないということは、エネルギー機関が無いということだ。だけどエネルギーそのものではある。それだけなら拡散してしまうはずだけれど、ATフィールドのような殻……皮? で覆って、留まっている。どうやって?」
「…………」
「意思のあるエネルギー体だとでもいうのかな……。ATフィールドは心の力だから、意思があるのなら、フィールドが形成されるのはわかるけど、でも活動している以上は消費しているはずなんだよね。なのに、総量は減る様子が無い。じゃあ、一体、どこから、どうやってエネルギーを補填しているんだろうか?」
 共闘や共謀、あるいは契約か。
 碇ゲンドウと渚カヲルが、そのような関係であるのなら、互いに隠し事は多いのだろう。
 そう言えばと、シンジはもののついでに尋ねてみた。
「あの機体は? エヴァみたいだったけど……」
 問うているのは、父が持ちだしてきた機体のことだった。
 強い、と感じたのだ。
 おそらくは、サーバインよりも。
「エヴァではないよ」
「知ってるんだ?」
「むしろ、どうして君が知らないのか、そのことの方が不思議だけど」
 シンジは、もう少し、歴史を学んだ方が良いと、忠告をされた。
 どうやら、中の国で生まれたものであったようだ。
 ゲンドウがこの国に居た頃の作品だという話であった。
「そんな暇なかったんだよ」
 しかたないねぇと、カヲルはからかう。
「あれは、理力甲冑騎の前身にあたる実験機だよ。つまり、この国で生まれたものさ」
「実験機? あれが?」
 それにしては強力だと思う。
「理力甲冑騎は、強獣をつなぎあわせて作られているけど、初期のものには、使徒を素材に作られたものがあったんだ。もっとも、強い精神汚染が引き起されるっていうことで、誰も乗りこなすことができなかったけどね」
 シンジはちらりとテッサを見た。
 ダナンのことを思い出したのだ。
 理力甲冑騎の原型となる理論を持ち込んだのは、アスカの母であるらしいのだが、そこには父、ゲンドウの姿もあったのかもしれない。
 テッサならば、知っているのかも知れなかった。
「普通の人には乗りこなすことができなくても、父さんなら、か。同化、だっけ?」
「良く覚えていたね」
「まあね……」
 カヲルはおもしろげに笑っているが、シンジとしては苦い思い出だ。
 あの暗い坑道での戦いは。
 弐号機との戦いと、彼の……首。
「まあ、それだけでもないよ」
 それは酷くいやらしい笑みだった。
「エヴァには、無条件に好かれる者、かばわれる者、守られる者……そういった特定の条件を持った資格者が適格者として望ましいんだ。親近者。君以外にも、無条件に、『彼女たち』がかばおうとしてしまう存在」
「父さん……か」
「愛されているのさ、彼も、彼女たちに、君とは、同様に、だけど」
「だけど?」
「……なんでもないよ」
 彼はそう言ってはぐらかした。
 ただ、エヴァの中にいる彼女たちのその感情は、母としてであり、妻としてではない。
 そう口にしようとして、それはつまらない話であり、わざわざ口に出して言うほどのことでもないと、思い直しただけであった。

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