──その日、王都は驚きに包まれた。
山向こうから船が空を飛んでやってくる。
猟師が登るような小山ではあるのだが、船はその山よりも大きく見えた。
徐々に城下町へと接近し、領民の上に影を落とす。
その大きさは、天を覆う巨大さだった。
オーラマシンの発達により、空に浮く船の建造も行われているが、それと対比しても大きすぎたのである。
王都であるから、珍しいものを見慣れている民たちであっても、これには度肝を抜かれていた。
空が、船によって、完全に見えなくなってしまったのである。
人々は頭上を通り過ぎていく船底を、ぽかんと見上げて眺めることしかできなかった。
船が王城へと通り過ぎていく。
その船を警護するように飛んでいるのは、この国の理力甲冑騎だった。
動きには警戒を抱いているものが窺える。
彼らは船を誘導していた。
しかし、船の大きさに対して、甲冑はまるで蝿のようであった。豆粒がたかっているようにしかみえないのだ。
それほどまでにスケールが違うのである。
そして混乱したのは、城も同じであった。
すでに入国の話は届いていた。
そして空飛ぶ船で来るという話もだ。
だが、これほど巨大であるという話は、伝えられていなかった。
地上にある城よりも大きいのだ。
前庭に兵士達が慌てて飛び出し、さらには白色の理力甲冑騎も三騎が飛んだ。
しかし、相手は西の国の王の船である。手出しを控え、船の動くままとした。
威圧行為にしても、この船はやり過ぎの感があったが、カヲルとしてはそのつもりはない。
それを伝えるために、交渉役として、ゲンドウを間に立てていた。
シンジが思った以上に、ゲンドウの名は有名で、力を持つものでもあった。
船はやがて、城の西側に位置を取った。
そちら側には、騎士や衛視、兵士たちの訓練場となる広場があった。理力甲冑騎のための整備小屋や離発着場もだ。
船体はその上空を覆う形で停船する。
城の尖塔よりもやや高い位置へと降下して、流されないためのアンカーを落とした。
巨大な鎖と錨が二つ、地にめり込む。
城の中程の階にある張り出しから、王と王妃であろう人の姿が見えた。
焦りは感じられない。堂々とした態度である。
遠目には、本当に動揺していないのか、あるいは虚勢であるのか、見分けは付かない。
やがて船上より、一騎の理力甲冑騎が姿を見せた。
舞い上がったそれは、見たことも無い大柄な甲冑だった。
だが、見るものが見れば、すぐにその正体はわかった。背中に巨大な装備を追加し、両の腕部に新しい楯を取り付けられていても、兜は交換されていない。
先の戦闘での白化変貌を解いたサーバインである。
今は元の赤青い色に戻っていた。
城のものである白の甲冑二騎が、その両脇を固めたが、剣を向けようとしたところで、驚いたように距離を取った。
ハッチが開かれていた。そこに少女の姿が見えたからである。
「初期型の改良機のようですね……。乗っているのは、アスカ様?」
王と王妃の背後に現れた女性が口にした。
言われて、王たちも気付いたようだった。
王と王妃は、そこに、病気のあとなど欠片も見えない、元気な娘の姿を見たのであった。
──謁見の間と呼ばれる場所がある。
アスカ姫、カヲル、ゲンドウはそちらへと。
一方でシンジは、従者扱いで、別室へと通されていたのだが、その相手として現れた人物に対し、戸惑いを浮かべていた。
その女性が、ユイと名乗ったからである。
いきなりの対面であった。
「わたしはユイ。前妃とは親しくて、今も相談役のようなものをさせてもらっているの。あなた、名前は?」
「シンジです」
知っている癖にとシンジは思う。
事前に調査をしていないわけがないからだ。
腰掛けてと口にされ、汚すのがためらわれるような椅子に腰掛ける。
彼女よりも先に座らされ、何故と思っていると、彼女自らの手で、茶器が二人の間にある丸テーブルに用意され、茶が注がれた。
名前くらいは伝えられているはずである。
それを改めて問うのは、ただの手順、人としての礼節を守ってのこと……、というわけではない。
重圧感を与えて萎縮させ、会話を有利に運ぼうという手管だと、今のシンジは気付く程度に擦れていた。
彼女が茶を用意し、さらには二人以外、誰も部屋に入れていないことも、手管の一環であろうと知れていた。
さてと、彼女は口にする。
「あなたは新しい騎手ということだけど……」
「そういうことになっています」
やりにくいなぁと、母に似た人を前に緊張する。他への注意がおろそかになりそうになる。
警戒すべき相手なのだが、似ているという一点だけで、警戒心が薄れてしまうのだ。
この人はアスカを逃亡させた張本人である。歳は二十歳代中盤だろうか。思ったよりも若く見えた。
(アスカが十歳前後で、そのお母さんの友達なんだから、もうちょっと年上なのかも知れないけどさ)
女性の年齢を、見た目から計れるような器用さを、シンジは持ち合わせては居なかった。
人を見る目には、とことんなまでに自信がない。
シンジはそんな自分のことを自覚している。
だからシンジとしては、生前の母親と、さほど歳は変わらない、という感想を抱くのが精一杯であった。
(若作り)
シンジの論理的思考の帰結としては、その程度の失礼な答えを出すのが精一杯なのである。
この際、彼が知る人たちとは年齢が違うことや、友となるのに年代はさほど意味を成さないことには、気を回さなかった。
それくらいには、シンジの思考は飽和していた。
「偶然です。偶然、そうなってしまったというか。何とかしなくちゃって時に、なんとかできるものがあったから」
いいえと、ユイ。
「甲冑は人を選ぶわ。偶然はあり得ない。その時、そこに居て、そうするしかなくて、それができてしまって、そうなったというのなら、それはもう、必然の結果でしょう?」
それが、オーラに導かれるということなのだという。
だがシンジは疑念を抱くのだ。
いったい、オーラとはなんなのだろうかと。
彼女には彼女なりの確信があるのだろうが、シンジには懐疑的な考え方だった。
シンジにとって、オーラとは、ATフィールドのような、目に見えない質のエネルギーの一種でしかない。
人に導きを与えるような何かでは無いのだ。
そしてなによりも、サーバインと繋がったことにより、自分がサーバインの主というわけではないと知っている。
あくまで、仮初めの操手でしかない。サーバインの主は、アスカなのだ。
そこにあるのはサーバインと、サーバインの元の操手の意思であって、決してオーラなどと言うものが、シンジを求めたわけでも、シンジに託したわけでもない。
だからシンジは、この様に話す。
「アスカ様を守るために、必要だったから、頼られただけですよ。他にちゃんとした人がいれば……」
「そのちゃんとした人が、あなただったとは思えないの?」
「……僕には、よくわかりません」
それは逃げでしかない言葉だったが、この場合は正解だと思える選択であった。
話を止め、会話の勢いを削ぐことに成功したからである。
丸め込まれかけている。取り込もうとされていると、シンジはユイに対して警戒心を抱きつつあった。
顔が似ていても、別人なのだ。
それは忘れてはならないことである。
シンジはそのことを、再認識する。
この人は、自分こそが英雄、あるいは勇者であるのだと、思い上がれと言っている。
そうであった方が扱いやすいからだろうと推察する。
それに気がついたシンジは、僕には逆効果なんだよなと、内心で酷く自分のことを卑下していた。
そこまでの自信を持つことはできない。
持てるほどの理由や理屈も思いつかない。
自分でなければと、勇敢になれるようなメンタリティは、とうの昔に廃れ、枯れ果てていた。
思い上がった結果、同僚であった少女たちに無理をさせ、傷を負わせ、友人までも巻き込み、失い、そして世界までも壊してしまった。
自分が世界を救えるような、たいそうな人間ではなく、利用される側にある存在なのだと、骨身にしみて理解していた。
その上で、生来の気質が働いていた。怖いこと、面倒なことからは逃げ出したい、関わらずにすませたいと思う、当たり前の感性である。
しかしそれは、責められることではなかった。
平時から、命を賭けて……と口にできる人間は、よほどの使命感に燃えている人間だけである。
己に酔って、自分を見失って、思い上がっているような者だけである。
かつてはそうであったと、シンジは自己分析の上に、断言できた。
惣流・アスカ・ラングレーと出会い、ライバルとしていられた頃の話である。
調子づいたあげくに、人を見ることができず、自分を省みることもできなくなって……。
結果、どのようなことになったのか?
その反省は、確かにある。
だから昔とは違って、多少なりとも慎重に振る舞おうとしていられるのだ。
それでも、やはり彼は碇シンジでしか無い。
流されるままに生きてきたような、どこにでもいる当たり前の少年でしかなかった彼には、その場の勢いで行動するのがやっとなのだ。
複雑怪奇な手管に対しては、的確な対処など望むべくも無い。
──この城に、巫女姫はいない。
彼女は同道せずに、テッサ、はやて、シグナム、ヴィータ、ザフィーラと共に別行動を行っている。
テッサになにか考えがあるらしい。そのための力として、彼女たちは協力を請け負ったのだ。
シンジは、改めてユイという女性の立場を思い考えた。
不思議な女性である。
王の信が厚く、このように探ることを任されているが、正式な立場があるわけでは無く、愛妾というわけでも無い。
城での自由を許されている。ただそれだけの女性であるのだが、その許可されている自由の範囲が、普通では無いらしい。
そんな人物であるからこそ、不詳の輩であるシンジとの面談が、第三者の介在無く許されている。
もしも彼女が重鎮であるのなら、護衛とは言わずとも、見張りと称して側付きの一人くらいは伴わなければならないはずであった。
氏素性の知れない少年から守るために。
そして彼女自身が他に対して情報を秘匿することのないように。
だというのに、人が隠れている様子も無いのだ。
護衛を付けない程度には、失われても惜しまれず、だからと言って、失われれば混乱が起きる程度には、権力に近い人物である。
そんなユイが、今、彼に対して持っている懸念は、彼が『何処へ拠っているのか』という点にあった。
サードチルドレンであると言うことは、事前に掴むことができていた。
西にフォース、北にファースト。
チルドレンという存在が、そのまま国の強さになるというわけではないのだが、外交手段の一つとはなるのだ。
国のことを憂う立場にあるユイとしては、サードチルドレンがこの国ではなく、すでにチルドレンを擁しているどちらかの国に取り込まれることを危惧しなければならなかった。
チルドレンを一人擁しているだけでも、発言力は増すというのに、どちらかに彼が拠るのなら、その国の発言力は、絶対のものとなってしまうだろう。
しかしながら、ユイとしては、慎重にならざるを得なかった。
単身、生身でも、彼はシグナムやヴィータという、武闘派で知られる騎士を下しているというのだ。
そのようなものと二人きりである。
猛獣と同じ檻の中に居る……、という方が、まだ良いと言えるほどに緊張していた。
脅しすかしでは、手綱を付けることはできない。
相手のことがわからない以上、癇に障ることがないように、言葉を選ぶ慎重さが求められていた。
彼の強さは、理力甲冑騎がなくとも揺るぐものではない。
ならば、無駄に刺激することはできなかった。
そんな緊張は、目に見えずとも、距離感に敏感なシンジには、わかってしまうものであった。
(やってくれるよ、カヲル君は)
シンジは苦い思いを噛みしめていた。
北の国の騎士という隠れ蓑を使うつもりであったシンジたちの意思を無視して、彼は、シンジがサードチルドレンであるということを、暴露してくれたのだ。
それも、今回の大海嘯に関しては、サードチルドレンを旗頭とし、その元に集うという声明を発表してくれたのである。
旗頭となった以上は、どこかの国を一番に立てるわけにはいかない。
どこにも帰属できないのだ。となれば、アスカを一番に考えることも難しくなってしまった。
(しがらみを持つつもりなんて、ないんだけどなぁ)
しかしながら、客観的な視点となると、命を狙われることとなった姫君の元に、サードチルドレンを名乗る少年が降臨し、のちは行動を共にしてきた、となってしまうのだ。
それも、元は彼女の母が所有していた機体を駆って、旅してきたとも。
これは、サードチルドレンという存在が、この国に対して、何らかの深い因縁を持っているのだと、想像させるのに十分な展開であった。
実際には、なにもなくとも、そう見えると言うことが重大であるということくらい、シンジにもわかる。
シンジは、あらためてユイを見た。
確かに、父の言う通り、記憶にある母とは、ほど遠い人物だった。
印象が似ている……、それだけだ。
夫どころか男も居ない。子を成したことが無いことからくる違いだろうか?
彼女は女や女性というよりも、印象としては『ユイという名の人』でしかなかった。
「僕は、鎧に選ばれたわけじゃありませんよ。頼まれただけです。……鎧に、甲冑に」
守りたいと。
それは彼、あるいは彼女の意思だ。
アスカの母の遺志を継いだ甲冑の思いだ。
もちろん、シンジ自身も、守ってあげたいとは思っている。だが、あの強烈な思いを知った後では、シンジはかなわないと考えていた。
自分にできるのは、手伝い程度だと、思い知らされたと言っても良い。。
……だがそれも、他人から見れば、手伝い程度であそこまでするというのかと、気が違っているとしか評価されないものである。
命を賭けるということを、普通は、手伝い程度とは表現しない。
正常な者にしてみれば、正気とは思えない行為である。
それこそ、強い思いあればこそ、できることなのではなかろうかと、感動を覚える姿であった。
だが、シンジは、そうは思っていないから、あくまでもと距離を置こうとしていた。
対してユイは、さらにという近さを望もうと言葉を繰る。
彼女で無くとも、あの改造された機体が、今は亡き親友のものであったと知れば、なにかしらの因縁を感じずには居られなかった。
だがしかし、実際のところを口にすると、シンジの立ち位置は、既にユイの望むところにあった。
アスカの側、つまりはこの国寄りの立ち位置である。
だがシンジのことをよく知らず、これまでに成してきた、成されてきたことに関しても、大して把握しないユイはと言うと、そこのところのことをわかっていなかったために、意味の無い無駄な説得を続けてしまって、嫌気を覚えさせる結果となってしまっていた。
する必要の無い説得をして、面倒で、うっとうしく、しつこい人だと、自ら印象を悪くしてしまっていたのである。
「正直、逃がすことができたとは言っても、リョウジたちだけでは、危ないだろうと思っていたのよ」
「助かるとは思っていなかったんですか」
「ええ」
彼女は非常に、あっさりと認めた。
「でも、あの子に成すべきなにかがあるのなら、きっと助かる道に出会う。そう思っていたわ」
「信じていた……の間違いでしょう? それがオーラ力の導きってやつなんですか?」
「ええ」
シンジは、呆れるだけだった。
(ただの成り行き任せじゃ無いか、そんなのってさ)
そんなシンジに、ユイは探るように問うのだ。
「責めないの?」
「責める権利は、アスカ様のものだと思いますから」
そうねと、ユイは寂しそうに笑った。
責めてもらいたかったのかなとシンジは感づいたが、態度には表さない。
(オーラの導きって、結局、神頼みとなにが違うんだ?)
ただ、心中でそう思うだけである。
「で、城の中は大丈夫なんですか? アスカ様が降りたいって言うから、連れて来ちゃいましたけど」
「今は、ね。西方王もいるところで、不審な出来事は起こせないから」
「そういうことですか」
「そういうこと……と思うけど、これも儚い希望だわ。そこまで愚かではないと思いたいだけね。あるいは西方王の仕業だと騒ぎ立てるかもしれないし、あるいはあなたに罪を着せようとするかも」
「この城に潜り込むために、アスカ様を助けて来た?」
「ええ」
シンジは、じゃあ、ことによっては、ここでも追い回されることになるのかもしれないなと、想像した。
これまで守り続けてきた少女の実家であるが、敵の中にむざむざと迷い込んだ、とも言えるからだ。
「この先次第ですか」
「この先、ね」
ユイはわずかに思いに沈む。
「あなたが真にサードチルドレンで、西方王の口ぶりが本当のことだというのなら、アスカ様の立場は……」
機族に狙われているというのが大本であるのなら、問題はシンジの存在へとすり替えることができるのだが、機族の問題に乗ってアスカの排斥へと行動した者たちの思惑は別である。
あくまで、アスカという小さな姫の排除が目的であるのだから、機族の狙いがアスカからはずれた今となっても、収まろうとはしないだろう。
彼らはアスカという王位第一継承権を持つ存在を疎ましく思っている。
シンジには、そのような者たちが、アスカを廃して、その後には誰を立てようとしているのか、そこまで想像することはできなかったが、目前の女性には、当たり前のように名前が幾つも浮かんでいるようだった。
(人類保管計画か)
シンジは、一人勝手に物思いへとふけり込んだユイを横目に、自分もまた別の思索を始めるのだった。
アスカの部屋。
「うつー?」
「まあね」
「どしたの?」
不遜にも、天蓋つきのベッドという豪奢きわまりないアスカの寝台に、シンジは体を放り出し仰向けになっていた。
アスカはそんなシンジの左脇の辺りにちょこんと腰掛け、本を開いている。
それはカヲルからのプレゼントであった。
大海嘯に関する資料である。
そこには、なぜ南の存在が機族と呼ばれることになったのか、よくわかる事柄が載っていた。
森林を機械の昆虫が進んでいる絵があった。
三メートルほどの甲虫だったが、その頭部は人の上半身が取り付けられていた。
腹部から上の部位である。
もちろん、この上半身も機械であった。
両手にマシンガンを持ち、頭部は両眼の突き出したゴーグル風な物、ドーム型のレーダーになっているものなど、様々だった。
樹海を進む様子なのだろう。巨木の根を乗り越えている物、進行のためにレーザーブレードで幹を刈る物などの様子が映り込んでいる。
空を飛んでいるフォトもあった。上半身が格納されるように、腹部に潜り込んで、人としての頭部のみ出している。
背が開いていた。写真ではよくわからないが、景色が歪んでいることから、熱を放出して飛んでいるようだった。
さらには、そんな甲殻を脱いでいる写真もあった。
後部は強化装甲なのかもしれない。まるでフィギュアの素体のような、フレームのみの体で抜けだし、周囲を警戒しているようであった。
他にも、戦闘機、航空空中母艦、戦車の写真などがあり、ついには滅ぼされる巨石作りの都市の様子が映されていた。
レーザーにミサイル。あるいは爆撃と、一方的な蹂躙なのだが、最後の写真こそが、カヲルの見せたかった物なのだろう。
電磁波によるノイズなのか、干渉波による影響なのか、映像はやけに不鮮明だった。
だが、樹海の巨木が作る枝葉の傘の隙間から仰ぎ見た空に、巨大な何かが浮いているのがわかる絵だった。
真っ黒なのは、光の加減なのか、元々そういう色合いなのかはわからない。
濃淡から察するに、平らなものが幾層に組み合わさっているようであった。
下は尖り、上に行くほど広がり、そして頭頂部へとまた細まっていく。
青いクリスタルのようだった第五使徒に丸みを帯びせて、板で層を作るように重ねて段を作り構成すればそのようになるだろう。
写真には、注意書きが走っていた。
周囲の物体から大きさを計算していたのだろう、数式が乱雑に書き加えられている。
横方向は最大で三百メートルほど、縦には六百あたりで、何度も計算をし直していた。
書いてはぐしゃぐしゃと消している。
信じられなかったからか、あるいは正確な値をなんとしてでも得ようとしたのか、ともかく、必死な様子が窺い知れた。
まだ兵団を動かしている様子はないが、この巨大な空中要塞が、動きを見せているのだとカヲルは言う。
(こんなものが、僕一人を求めてやってくるっていうの?)
頭が痛くなってくる。
そもそも話が大げさなのだ。
現状、この世界に生きている人々を放置してくれるというのであれば、遺伝子のいくらかを提供するくらいのことはかまわなかった。
研究を行っているというのであれば、手伝っても良い。当初は機族がアスカを狙っているからと戦闘行為に及びもしたが、事情が知れるにつれ、狙っているのは主にアスカの周囲に居た人間たちだとわかってきている。
「機族の行動原理がわからないのが問題なんだよな……。アスカ、あの子なら、知っていたのかも知れないけどさ」
もう一人のアスカである小さな姫は、シンジの独り言に近い話を聞いて、小首をかしげていた。
「遺伝子ってなに?」
そこからかと苦笑する。
「血だよ。血筋って言えばわかるかな? 子は親に似るだろう? そういう設計図的なのが、血の中にはあるんだよね」
「シンジは大昔から来たんだっけ……」
「そう信じたがってる人たちが居て、ほとんどそうに違いない……って感じなだけ、なんだけどね、まだ」
アスカはぱたんと本を閉じた。
往生際が悪いと、その青い目が語っていた。
「どっちでも、もう関係ないと思う」
「うーん……」
迷う。
別に認めても良いのだ。
既に周囲がそうと認識して行動している以上は、本人が悩んだところで意味が無い。
だが、積極的に認めてしまう必要性も感じられないでいた。
認めずとも生きていけるからだ。
認めてしまえば、しがらみとなって、動きを制限されてしまう。
そうであるということを前提に、物事を決めてかからなければならなくなるからだ。
しかしながら、状況的には認めなくてはいけないようになっている。
本心においては、そんな流れが気にくわないだけであった。
「機族は、僕さえ居ればあとはいらないって考えなんだろうってのが、有力な考え方なんだよね」
んーと、アスカはぷっくりとした唇に指を当てて考える。
「でも、それって、西方王が言っただけでしょ?」
「そうなんだよなぁ」
アスカはシンジの腹の上に寝そべった。
「信じられるの?」
「わかんない」
はぁっとため息をこぼす。
「けど、ユイって人は信じたみたいだね。ここも見張られてるしさ」
「あたしの護衛じゃなくて?」
「君のことも含めてだろうね」
どこの誰ともつかない人間を見張ることで、アスカの身の周りを固める口実にもしているのだろう。
それと同時に、隠し事を漏らすのを待っているのかも知れない。
だからこうして、お姫様とふたりきりでいるなどという真似が許されているのだと想像できる。
「ユイさんは、一緒に居てくれた方が安心できるって、言ってたけどさ」
むーっとアスカはむくれた。
「なんだよ」
「べっつにぃ」
誰よりも自分の側に居たくて、こうして一緒にいてくれているのだという、少女的な幻想、妄想を外された女の子の憤慨を理解するには、シンジはそういう方面においては疎すぎた。
「でも、いつまでも見張ってるだけってわけがないんだよな」
「シンジ、襲われるの?」
「さあ……僕を売り渡して機族と取引をするつもり……っていうんならまだしも、ただ殺しただけじゃ意味がないってことくらい、想像していて欲しいんだけどな」
クローンで済むのなら、体細胞の一部を確保する程度のこと、いつでもできることである。
だが使徒関連技術に基づいた、魂についてなどの非科学的な側面が重要視されているのなら、本人の身柄確保が前提条件として存在しているはずなのだ。
なら、死体にして渡してしまえば良いとはならず、命の保証はされているのだと考えたい。
それが今のシンジの希望的な観測である。
しかし悲観的な想像としては、そこまで深い知識を、この世界の人たちが持っていてくれているだろうかというものになる。
ぼんっと、アスカはシンジの腹の上にまたがった。
そうしてシンジの両胸に手を突き、唇をふるわせ、尋ねる。
もし……と。
「みんながみんな、シンジを殺しちゃえって言い出したら、どうするの?」
「さあ……」
シンジは、返答に困ってしまった。
同じことを、この子も思われているんだよな、と思ってしまったからだった。
「とりあえず、僕なら逃げるかな」
「逃げちゃうんだ」
「別に、しがらみとかないからね」
「あたしは?」
「連れてくわけには……、いかないだろうね」
その時には、きっと手の届かないような遠くへ旅立ってしまうのだとわかってしまって、アスカはシンジの胸に身を投げ出して抱きついた。
「どうしたのさ?」
「シンジは……」
声が震えていた。
胸に押し当てられていて、くすぐったかった。
「あたしたちを、嫌ってる?」
驚きに身を起こす。
「え? なんでさ……」
アスカはシンジの胸に、頬をすりつけた。
「助けてって、言わないから」
「アスカ……」
「シンジは、諦めてる。ううん、最初から期待してないよね? ……疎まれてるって思ってる。それが当たり前の状態だって。好きで居てくれる人なんて、いるわけないって思ってる。求めてくれない」
「……アスカ」
「でも、そうやって諦められるのって」
顔を上げたアスカの目はうるんでいた。
「寂しいって思う」
シンジは言葉をなくしてしまった。
アスカの思いは、自分自身についての裏返しだろう。
一人くらいは、自分のことを好きだと言ってくれる人が欲しいという気持ちの表れだ。
好かれたい、好きだと告げてもらいたい気持ちは、シンジには痛いほどよくわかっていた。
自分こそが、それを望んで、結局は得られなかった人間なのだから。
シンジは失った言葉を見つけることができず、上手く作ることもできなくて、ただアスカの頭を抱いた。抱きしめた。
(だけど、これって、アスカが僕のことを好きだっていうのとは、違う話なんだよな……)
告げられたいと願う人間が、誰かを求めたとして、その誰かのことが好きかどうかは、別問題なのだ。
(好意は持ってくれてるみたいだけど、でも、この子は、僕のことが好きなんだろうか?)
シンジは、もごもごと小さな声で吐き捨てた。
「こんな小さい子を相手に、なに考えてるんだか、僕は……」