「つまり機族にとって、あいつ一人が残りすべての人間と同じ比重やってことやな」
 ベルフィールドである。
 王を含めた主立った重鎮たちが列席している会議の場だ。
 本来であれば、今の彼の立場では、参加など許される物では無い。
 しかしながら、サードチルドレンと直接交戦の経験を持つ彼の言動は貴重であり、無視できない物があった。
 闇の城近郊での戦闘と、そこで起きた不可思議な交感現象についての報告もするという理由もあって、彼の身柄は保留という扱いとなっていた。
 そして、王の対面には、渚カヲルが場所を取っていた。
「機族にとって、欲しいのは、君たちのなかに稀に生まれ出る変種であって、君たち全部じゃあないんだよ。何の変哲もない君たちと彼らが、等価値であるとして扱ってもらえると考えるのは危険だよ」
 語られているのは真実だ。
「数が多ければ多いほど、変種が生まれる確率は多くなる。けれど多すぎる人口を養っていけるほど、今の世界は優しくはないからねぇ」
 王が口を開く。
「だからこその、大海嘯というのだろうが」
 為政者にとって、それは既知の真実であった。
 呆然と、あるいは憤慨して話を聞いているのは、それらの真実を、今更になって知ることになった、いわばその程度の立場に置かれていた者たちであった。
 ここにはっきりと、立場の垣根が現れている。
「サードチルドレンの扱いは、慎重に行って欲しいんだ」
 カヲルは、彼を殺しても無駄だと忠言する。
「彼を差し出したとしても、機族が退いて、これまで通りに君たちの生活を守ってくれるとは限らないんだからね」
 もし殺したとしても……、本当はそう語りたかったカヲルであるが、これは侮辱に相当し、発言力を与えてしまう結果になりかねない。
 だからこそ、カヲルは言葉を選んでいた。
 カヲルとしては、事情を知ることで、自嘲を促したかったのである。
 短絡的な行動に出て、滅亡への引き金を弾くような、愚かな真似を起こして欲しくは無かったからだ。
「彼らにとっては、ゼロから人という種族を再生させるくらいのことは、簡単なことなんだ。事実、君たちの祖先は、そうして生産された人たちがほとんどなんだよ?」
 場がどよめく。
 まさかと口にする者たちが出る。
 実際には、一度全ての人族を全滅させた後で、クローンを再解放するという内容なのだが、この国の者たちの知識レベルでは、クローンという技術について、理解を促すことは難しかった。
 だから、カヲルはそのような言い方をしたのだ。
 これにより、シンジの命については保証がついたのかもしれない。
 だがそれは、命について、だけである。
 身柄の保証とは行かなかった。
 むしろ、煽ったと言っても良いことになっている。
 保身を謀るのであれば、サードチルドレンを手に入れることが一番の早道であると語ったに等しかったからである。
 だがそのような行動に出る者を、機族が気持ちよく見るだろうか?
 むしろ、心根の悪しき『種』であると判断するだろう。
 過去の世界においては、国の単位で異常な遺伝子を抱え、正常な外交を成せなかった例もあるのだ。
 種の復興を目指す機族が、このような例外的種子(エラーシード)を見逃すとは思えなかった。
 で、あるというのに、不穏な空気が蔓延していく。
 カヲルは、だめなのかい? と、いつもの笑みを貼り付けたままで、内心でため息を吐いていた。
 もし碇シンジを手に入れたのなら、機族は、この世界を滅ぼすだろう。
 なぜなら、特殊な能力を差し引いたとき、碇シンジの身体は二十一世紀の少年のものなのである。
 現状の世界は、そのような個体が生育するには過酷すぎた。
 おそらくは、現行の種は駆逐され、旧来種の復興が目指されるだろう。 『現住生命体』の保護と保全は、タスクとしては手間がかかるばかりであり、機族にとって、次善の策でしか無いのだから。
 サードチルドレンが生きていた二十一世紀と比較して、現在の世界は崩壊への原因となるもので満ちあふれている。
 ここは、人工的な調整無しには、成り立たない世界なのである。
(たとえば大気密度だね。今の世界は生き物が少なすぎるんだ。また工業レベルも低すぎる。挙げ句の果てには、植物が多すぎるんだ。下手をすると二酸化炭素が食い尽くされて、酸素が多くなりすぎてしまうほどにね……)
 植物が増えすぎれば二酸化炭素を消費され、温室効果が制限を受ける。そうなれば待っているのは氷河期だ。
 実際には、その手前で、大気密度の変化から、人は体調を崩し、倒れ始めてしまうだろう。
 機族による改造種の自然解放と、大海嘯による意図的な自然破壊には、これらの調整事項も絡んでいた。
(でもそれらのタスクは、消費、消耗が大きすぎるんだ)
 また時間がかかり、面倒でもある。
 在来種が多くなりすぎているからだ。それら全てに合わせた調整など無理があるほどに多くなってきていた。
 しかし、ここで二十一世紀の生きたサンプルである個体が手に入るのである。
 世界の目安、基準点が手に入ることになってしまうのだ。
 そうとなった時、機族は世界を、その個体に合わせて再調整を行い、定期的な調整を加え続ける道を選ぶだろうか?
 これまでのように?
 むしろ、タスクとしては、一度世界を滅亡へと追い込み、初期化、再構築を選ぶのでは無いだろうか?
 長期的なタスクとしては、そちらの方が、非常に簡単な物になるだろう。
(人工的なフォースインパクトだよね……、ただこの場合は、新しい種が滅ぼされ、古き種が蘇るってことになってしまうんだけど)
 彼自身は、フォースインパクトは論外であるが、例え氷河期が訪れようとも、真空の世界に投げ出されようとも、問題などはなにもないが、今更、孤独にまみれたいはと願ってはいなかった。
 彼にとって、碇シンジに比べれば、存在している人族などは賑やかしにすぎないのだが、それでも無くしたくはない騒々しさである。
 そして、碇シンジが、彼らの存在無く孤独の中で精神の均衡を保ち続けられるとは思っていなかった。
 機族が持っている行動原理については、推測の域を出ていないが、それでも今更の感じが見て取れる。
 ならば、この世界は、現在を生き延びている人族の手にゆだねたい。
 そのためには、機族を駆逐するか、もしくは支配下に置かねばならなかった。
 少なくとも環境保全のための機能なり手段なり、それだけでも手に入れなければ、いつまでも命を握られたままとなる。
 機族の都合一つで、滅ぼされもすれば、繁殖も行わされている。
 それが今の現状であり、人であるのなら、命であるのなら、それは許しがたい行為であると怒りに燃えてもらいたい。
 それが渚カヲルの考えであるのだが……。
(西の国でさえ、浸透させるのに百年からの単位で時間が必要だったことだからねぇ……。今が好機とは言え、無理がありすぎるか)
 やはり、全てを明かすには、この国は遅れすぎている。
 これからの苦難よりも、現状の維持を望むだろうなと見て取って、渚カヲルは、今後の計画について思考を重ね、彼らの討論については、耳にも入れなくなっていった。


「で、話ってなんだよ?」
 カヲルに呼び出されたシンジである。
「どうもきな臭くなって来ているんでね。手っ取り早く、君をこの国から遠ざけた上で、人の目にさらしておこうかと思ったんだけど」
「意味がわからないよ」
「そうかい?」
「結局、行けとか、行ってこいって、話なんじゃないの?」
「もう、そういうレベルじゃ、ないんだけどね」
「わかってる。だけどさ、本来、僕と機族の問題なんだ、僕一人だけで行ったって良いんだからさ」
 それが一番シンプルな解決方法であろうと、シンジは提案する。
 しかしながら、カヲルには認められない提案であった。
「それで本当に君が機族の手に落ちたりしたら、目も当てられないことになるよ」
 だけどなぁと、シンジは乗り気になれなかった。
「この国から遠ざけるって言っても、どこにだよ?」
「とりあえずは、僕の国かな。いや、僕の船、か」
「結局、その後で、行くところは同じだろ?」
「この場合、同行者が違うと、相当に変わるよ」
「勝てるつもりなの?」
「負けるつもりなのかい?」
「戦いにする必要がないって言ってるんだよ」
「それでは世界が見捨てられてしまうよ」
「どういうことさ」
「新しい生命体が蔓延(はびこ)る世界に、古い生命体は邪魔なだけだ」
「人類保管計画……」
「彼らの人さらいには、人類を保全するという目的がある。けれどその基準は君にある」
「…………」
「正確には、四百年前の人類、セカンドインパクトからサードインパクトの間に記録された、幾人かのデータが基準だよ。で、君だ」
「僕……ね」
「そう。今までは限りなく原種に近く、先祖返りを起こしている個体を選んでいたけど、そこに記録上最も上位にあるだろう存在(オリジナル)、サードチルドレンが現れたんだ。万の個体よりも優先するのは当たり前だろう?」
「だからって、なんで滅ぼされることになる、なんて話になるのさ?」
「だって、君をベースに再生産される生命体は、今の世の住人に比べて『弱すぎる』からね。保全と保護のためには、生存環境の見直しは必須になるよ。そして、そこに今の彼らが生きのびられる環境はない」
「なんでさ?」
「単純に、体の作りの違いでだよ。この世界には、過去には無かったものがあるだろう?」
「理力とか、魔力のことか……」
「そして過去の世界には、そんなものはない。彼らは無意識のレベルでそれらを使って体を強化している。だから昔の、君たちよりもずっと強いんだ。だけど、そんなものが存在しない世界になったら」
「生きられない? なんでさ」
「立つことすらできなくなるだろうからさ。あるいは、心臓なんかの不随意筋ですら、まともに動かなくなるかもしれない」
「そこまで!?」
「酸素と同じレベルで、彼らには必要なものなんだよ」
「だけど、魔力も理力も、正体不明なんだろう? 無くなるとは限らないじゃないか」
「そうかな? 機族は魔力を科学的に捉えたんだろう? ならばその原因の駆逐は可能だろうし、理力についても、可能性が無いわけじゃない」
「そうなのかな……」
「ATフィールドだって、意味のわからない物だったはずだ。それを今や生身の人間である君が使ってる」
「僕が使ってるわけじゃ……」
「同じことさ。使えるような形が生まれている。そうだろう?」
 シンジは顔をしかめてしまう。
 無能力。魔法も超能力も無い、数十センチの跳躍がやっとの人類にとって、確かに今の世界は生き残るには過酷すぎるだろう。
 中の娘がいなければ、なんど死んでいたかわからない。
 この世界では、命は簡単に消えていく。そのことがわからないほど、シンジも馬鹿では無かった。
 だから、自分が機族に協力したとして、過去種が復活したとしても、暮らしていけるかどうかは、結果を考えるまでも無くわかることであった。
「今の在来種が消えただけで、薄まるようなものなのかもしれない。人が酸素が薄くなっただけで倒れてしまうように、今の人たちも次々と意識を失ってしまうかもしれないんだ」
「昔からあったものなのかもしれない……」
「その時は、機族自身の手が下されるだけさ。雑種交配は、困るってことでね」
 自然なものは、価値が高い。
「君を手に入れ、純血種で地を満たし直す。それは彼らの悲願なのだろうからね」
 あるいは最上位の命令なのか。
「なのに、せっかく誕生させた純血種が、雑種と交配してしまっては、すべてが台無しになってしまう。そうじゃないかな?」
「だから、まずは一掃されるっての?」
「そうだね」
「でもさ」
 今、手の内にある戦力を考えるに、不安なのだ。
 純粋な戦闘力がどうであれ、勝るとすれば、個の単位としての話でしかないだろうと思えるのだ。
 シンジと、カヲルの手の内の幾つかが、機族の力を上回っている。
 シンジは、その程度だろうと、推し量っていた。
 それは、決して、物量を覆せるほどのものでは無いとも、量っている。
 戦うにしても、勝てる見込みが見つからない。
「僕もその意見には賛成だよ」
 そう言って、カヲルがシンジへと見せたのは、かなりの距離から撮影したと思われる写真であった。
 電波障害によるノイズが走っている。
「これは……」
 それは、アスカと共に見た、あのファイルに載っていたものであった。
 ただし、ファイルのものよりは鮮明で、形もわずかに違っている。
 小さな円盤から、下に向かって大きな円盤が積層され、中央からまた一回りずつ小さな円盤へと変わっている。
 円盤を積み重ねて作られた卵形をしたなにかだが、円盤の外部は、大小無数の刺によって構成されていた。
「大きさは使徒を超える。全高で一キロ近いね。うちの分析班は、機族の移動要塞だと見ているよ」
「動き出してるってことか」
「時速は十数キロ程度。戦闘速度ではなく、巡航速度での移動だろうね。連中は使徒関連技術を持っているから、これが戦闘態勢を取ったとき、どれだけの動きを見せるのかはわからないんだ」
 テレポートすらありえるという話であった。
「もし雲の上まで上がれるとしたら、こちらの負けは確定するだろうね」
「でも、昔にも確認されてるんだろう?」
「うん、だけど、前線で働きを見せている姿は確認されていないんだ」
「虎の子的な何か、か」
 ろくなものじゃなさそうだなと思う。
「これが動いているから、なんだってのさ?」
「うちの連中は、殲滅戦のためだと見てる。僕も同意見だね」
「殲滅か……」
 シンジは小さなアスカの笑顔を思い浮かべた。
「勘弁して欲しいよな」
「弱気だねぇ」
「何をどうすればどうなるのかっていうのが、まったくわからないんだ。どうしたら良いんだろう」
 一番良いんだろう、とは口にしない。
 それはシンジが成長した証であった。
「サーバインのことだってあるのにさ」
「なにか問題が?」
「あれはアスカ様のためにいる騎士だからね。アスカ様がこの城に残るのなら、サーバインは僕とは来てくれないよ」
 人のように扱うんだね、とは、口にしなかった。
 カヲルとて、使徒である。あの機体に、意思があることには、気がついていた。
「一応、代替機のあてはあるんだけどねぇ」
「神像?」
「いや、ズワウスさ」
「ズワウスって……、ああ、あの人の?」
 シンジは、そういえば、会っていないなと思い返した。
「あの人は、今どうしてるの?」
「王様につかまってるよ。君のことを聞かれてる」
「そっか」
「その後は……、本来なら、領地に戻されることになるだろうね」
「領地に?」
「追って沙汰するという奴だろうね。今はそれどころじゃ無いさ」
「ふうん」
「最終的には、領地の没収と、爵位の返上、その辺りになるんじゃないのかな?」
「あれだけのことをしておいて?」
「この国にとっては、数少ない甲冑乗りだからねぇ」
 さすがに王族へと危害を加えようとしたことについては、見過ごされることがなかったが、その件についても、彼が直接になにかをしたというわけではないのだ。
 あくまでも、ベルフィールド卿は、そそのかすようにも取れる発言を行い、誘導しただけであるのだし、先の戦いにおいても、身元不明、不審人物であったサードチルドレンを、誰何(すいか)する行為が行きすぎて、結果、ああも大事になってしまった。そういう話になっている。
 実際のところ、シンジが身分や立場を偽っていたのは事実であるのだし、それを確かめようとした卿の行動は、正しいものであったとも言えた。
 また、発掘品である兵器群についても、あくまで戦場へと赴くに辺り、許されている権限の範疇において放出していたのだから、これもまた問題とはしにくいものであった。
 その戦場が、ベルフィールド卿の工作によるものだと立証できない以上、彼に表立った罪はないのである。
 そしてその罪を立証するためには、多くの貴族が痛い腹を探られることとなる。当然、調べはいつまでもつくことはなく、うやむやとなるのは明白であった。
「酷い話だね……」
「まったくさ」
「でも、罪がはっきりしないのに、領地の没収とかされるの?」
「自軍を壊滅させてしまっているからね。その責任をどうこうっていう辺りが、取りざたされるんじゃ無いのかな」
「表向きは、か」
「そういうことさ。卿は、神像にも、理力甲冑騎にも理解があるし、そして、本人も騎士(ライダー)だ。もしこの先の戦争で功を立てることができれば、元の地位に返り咲くこともできるだろうね」
「そっか……」
「問題は、彼の妹さんなんだよね。家がなくなる以上、引き取り手なんてどこにもいないし、引き取りたいと願う人なんて、皆無だろうし」
 むしろ、と。
「彼への憎しみや、中傷にさらされて、どんな悲惨な目に遭うことか」
「助けることは……」
「引き取ることは簡単だけどね」
 しかし、と言う。
「これから大戦争なんだよ? どうなることか」
 その通りであった。
 この戦争は、機族による殲滅戦である可能性が高かった。
 幾つの家が消え、断絶することになるのかわからない。
 下手をすれば、国そのものが消えてしまう可能性があった。
 もしそうなったとしても、その最中であったとしても、彼女のことを見放さずに面倒を見てくれるような人に、心当たりなどあるのだろうか?
「いまは?」
「僕の船でかくまってるよ。護衛も付けてね」
 そこまで薄情ではないと口にする。
「人質、の間違いなんじゃ無いの?」
「そこまで悪辣じゃ無いよ」
 冗談にしてもやめてくれないかとカヲルは言った。
「君の力で回復したにしても、ずっと甲冑に囚われたままだったんだ。経過観察とリハビリは必要だよ」
 そして西方の医術レベルは、それこそ四百年前、二十一世紀の技術レベルを保っている。移動式の簡易設備も、装備もだ。
「いたれりつくせりだね」
「君のためでもあるさ」
「僕の?」
「切り捨てられないだろう?」
 シンジは、非常に嫌そうな顔をした。
「僕には、あの人を守る義理なんて、ないよ?」
「でも積極的に、見捨てられるわけでもないだろう? 後で気になって、確かめてしまう」
 そしてその時になって、後悔するんだと告げられて、シンジは言い返すことができなかった。
 カヲルはやれやれと苦笑する。
「もっとも、ベルフィールド卿自身がどう動くかは、わからないけどね」
「大人しくしてるかな?」
「妹さんのためには、大人しくしていてもらいたいけどねぇ」
 まあ、無理だろうねと口にする。
 ベルフィールド卿は音に聞こえた騎士である。
 妹に対する思いだけで、あのようになれるように、シンジに対して覚えさせられた複雑な感情を……、騎士としての殺意と、兄としての感謝を抱えたままで、くすぶるような状態を良しとしていられるような、そんな人物ではあり得なかった。


 翌日。
 白亜の船の上部甲板より、一気の理力甲冑騎が両脇を支えられる形で下船された。
 黒い理力甲冑騎は、ドラゴンそのものの威圧感を放っており、地に付けられた機体を前に、男は高圧的に、ふんと鼻で笑い飛ばした。
「相当に癖が付いているな」
「ゲンドウ様」
「……ユイか」
 ゲンドウが、その名を口にしようとして引っかかるのは、昔からのことであった。
 ユイ……この女は、彼の死んだ妻が、自身と同じ名前であったことを知っている。
 そこからくるものだとわかっていても、それでも名で呼ぼうとしてくれることを、重ねて見ているのではなく、別人として扱ってくれているからこそだと、喜びを覚えていた。
「ベルフィールド卿は、感謝をしているというわけではないようです」
「だろうな。今は肉親が助かったことに、感情が飽和しているのだろう。だが、いずれは動き出す」
「許されませんか」
「周囲が許さんさ。どれだけの人間が彼によって翻弄された? それを思えばな」
 その中には王族であるアスカも含まれている。
「君とて、娼婦の魔女などと呼ばれていたのではなかったか?」
「あいにくと、まだ……なのですが」
「ふむ。もういい年だろう。だが、職を考えれば、退くこともできんか」
「良い相手がいればとは思うのですが」
 ゲンドウはくつくつと笑う。
「怖じ気づかれるか」
 ゲンドウがその相手になろうとは思わないし、ユイもまた、それを望んでいるわけではない。
 お互いに、そういう対象としては見ていない。
 知人に風貌が似ていて、名も同じであることが、消えない戸惑いとして横たわってはいる。
 だが、それはそれだけの話でしかない。
 互いに互いが、違う生命体であることを、本能的に悟っているのだ。
 だからこそ、次のような話題も簡単に登る。
「キョウコのこともありますから」
「アスカ様の母親か……。元機族という話だったか?」
「仲の良いわたしもまた、そのように見られています」
「彼女の生まれについては、極秘とされていると聞いているが」
「ゲンドウ様の耳にも入っている話です。そうそう、口に蓋はできませんので」
「君は偶然知り合ったのだったな」
「誰もそれを信じてはくれませんが」
 それはそうだろうとゲンドウは言う。
「俺とて、君たちの仲の良い姿を見ているからな。あれが他人の仲だとは思えんよ。彼女と陛下の仲を取り持ったのも、君だろう? 確かに、噂には事欠かんな」
 仲の良い知人を、一国の長に引き合わせ、その仲を取り持ったのが、私心もなく、純粋な好意であったなどと、誰が信じるというのかと言っているのだ。
 理由を邪推するのなら、同じ機族に通じている者だからだというのが、一番信じやすい話であった。
 アスカの母親であるキョウコについては、不透明な部分が多いのだ。
 しかしユイについてもまた、それは同じようなものであった。
 彼女たちが、どこから現れ、どうしてこれほどまでに取り立てられることになったのか? はっきりと答えられる者は少なかった。
 そして、答えても良いと認められる話は、さらに少なくなるのである。
 機族という存在は、国の中枢に近い者たちでさえ知らぬほどに、深く、潜み、関わっている。
「その辺りも、関わっているのかもしれんが」
「なんのことです?」
「こいつだ。いや、サーバインと言った方がより正確か」
「サーバイン……、ああ」
 ユイもまた、納得の顔をした。
「確かに。我が国の機体であるとは言え、あれも廃棄同然に、下賜したものです。今更取り上げるなど」
「見たこともない形状に、性能、それを調べるためというのも、今このときには不自然な話だ。必要十分な戦力を当てるつもりがなく、温存か、あるいは別の目的について、邪なことを考えているとしか思えんな」
 ズワウスには、ベルフィールド卿の妹と、卿自身の癖が染みついてしまっている。
「誰であろうとも、十全には使えんだろうよ」
「遊ばせておくには、……という話ですが」
「理力甲冑騎というものを理解しておらん文官の台詞だな。武官が吐いたのなら、なおさら使えん屑だという話になる。ベルフィールドという男、死刑にはならんのだろう?」
「はい」
「甘い話だな。王族を利用したのだから、死刑でも順当だろうに」
「ですが、それを認めると、機族に通じている者たちもまた、王家を利用しているという話になりますから」
「同じ穴の狢どころか、シロアリ並ということか」
「言い過ぎ……、と、否定できないのが悲しいところです」
「この機に、風通しを良くするくらいのことは、やってのけてもらいたいものだがな。だが、それができるようであれば、妹をああも好きにされることはなかったか?」
「それは厳しすぎるでしょう、卿が今のように言を発することができるようになったのは、理力甲冑騎を手に入れたからなのですから」
「立場が人を作ったか」
「あの少年は、どうなのでしょうか?」
 シンジのことである。
「陛下は、あの少年を、聖騎士として認める方針を固められました」
「聖騎士? シンジをか」
 ゲンドウは、随分と持ち上げたものだなと呆れる発言をした。
「確かに、ここまでの功績は、騎士としては認められるものだろうが」
「そこまでではないと?」
「ああ」
 ゲンドウには、『過去』のシンジについての記憶がよぎっていた。
「勢いや、思いがあるときには強気も見せるが、期待を負わせるには、奴は弱い」
「そうなのですか」
「そうだ。あいつは、基本的に、恐怖心から逃れるために突き進むような人間だからな」
「臆病者だと言うことですか?」
「俺と同じだよ」
 自嘲だった。
「逃避には全力を使うやつだ。目を背けて、背中を見せて、結果、後悔し、しなくてよかった怪我ばかりを増やす。現状を打破するための闘争には向かん。そのような方向には、感情が働かんのだ」
「全ては自分のため、ですか」
「そうだ」
「ですが、それにしては、彼の輝きは純粋だと思えます」
「そうか?」
「はい」
 ゲンドウは、オーラというものについては懐疑的であった。
 正体がわからないからである。
 一方で、ユイという女性には信を置いている。
 ゲンドウにはわからない経験則を持っているからだ。
 理力甲冑騎の原型については、確かにゲンドウの作である。
 そうと言える程度には関わっていた。
 だが、結局、乗り物としては成り立たなかったのである。
 それを操れる道具としたのは、キョウコであり、ユイであった。
 オーラという、未知のものを利用したのだ。
 その上、人の持つ意思の力、命の輝きを、物理的なものへと変換し、発揮してくれる外郭としたのである。
 それはもう、碇ゲンドウという、科学者の理解を超えていた。
 ユイは、そのような人物であるからこそ、不可思議な輝きを持つ碇シンジを、サーバインへ乗せたいと考えていた。
 あの少年が、真実、サードチルドレンであるのかどうか?
 この眉唾物の話を計るためには、オーラの輝きこそを見極めたかったのである。
 ベルフィールド卿の軍と、それに従軍したものたちは、戦闘の最中に起こった交感現象によって、間違いないと確信を得ていたが、それもまた、集団幻覚、あるいは幻術の類ではなかったのかと、疑われていた。
 ユイには、これらの反論を覆せるだけのものがなかったのである。
 ただ、碇ゲンドウが認めている。そのことについて、無視をしてはならない存在であるのだと、碇シンジを知ろうとしていた。

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