大海嘯と口にしても、遥かな南からの侵攻である。
故に、今日明日というほど、時間に余裕がないわけではない。
だが、猶予がないことも確かなのだ。
発着場には、続々と国中の甲冑が集い、降り立っていた。
そこには黒の機体、ズワウスの姿もあり、見上げているのは、ベルフィールド卿であり、ユイであった。
「いっそ、切り捨てられとった方が、楽やったかもしれんなぁ」
ユイはそんなベルフィールド卿の顔を横から見上げた。
妹が助かったというのに、張り詰めていたものが消えたようには見えなかった。
「今のこの国に、あなたを切るなんて、度胸のある人はいませんよ」
「そやろなぁ」
「外国の、それこそ、あの子のように、どこの国のものでない人でもなければ、無理でしょうね」
げははと、下品に大声で笑う。
「あいつには、別の意味で斬られそうやけどなぁ。……あ、いや、むしろ跡形も無く吹っ飛ばされる方か? あいつに、俺を斬るほどの剣の腕はあらへんやろしな」
特殊能力の問題では無く、自力の話になると、圧倒するのはベルフィールド卿となる。
実際、シンジも戦いたいとは思っていない。
ATフィールドはあらゆる物理現象を跳ね返す。だが、シンジはそれが絶対のもので無いことを、身にしみてよく知っている。
特に人間は、時により思いもしない力を発揮するものだ。
ベルフィールド卿のように、武豪であれば、ATフィールドを両断しかねない怖さがあった。
「冗談を言っている場合では無いでしょうに」
ユイはため息をこぼす。
「妹御のことはどうするのです? せっかく救われたというのに」
「そや、俺もこれで報われたわ」
後は……、とのことは口にはしない。
現状において、彼の立場が微妙なものであるのは確かなのだ。
これを覆すための道は幾つかある。
この先の戦いにおいて武勇を立てること。あるいは国外に逃亡すること。
もしくは……、下克上である。
ユイはこの、三つ目のことを懸念していた。
「西の国に魂を売りますか?」
卿は答えない。
彼の妹の身柄は、今のところ西の国が預かっている。
ならば西の国に鞍替えする可能性は捨てきれなかった。
いや、西に渡る必要も無い。
もしも機族との戦端が開かれたのなら?
国力は恐ろしく落ちるだろう。そこに、理力甲冑騎という、個人においては最大の戦力を持つ男である。
国民ですら、力を持つ彼を望むかも知れない。
もともと、王などと言うものは、力を持つ者が土地を平定し、皆の上に立つところから生まれるものだ。
ならば、理力甲冑騎という、まるで聖剣のようなわかりやすい象徴、選ばれたものとしての偶像を所有している者が、王の座に付くことを求められたとしても不思議では無い。
その流れを利用したならば……。
「なんや、魔女」
ユイは、びくんと、思考を探られたような気がして焦りを覚えた。
「魔女はやめてくださいと何度も……」
「気にするもんでもないやろ」
「わたしは、そのようなものでは」
「怪しい力を持つから魔女。人に理解できない理屈を操るから魔女。人を惑わすから魔女。魔女と言うても、枕に付く言葉で意味は変わるで」
「わたしは、娼婦です」
「おぼこがなに言うとんねん」
「……では、あなたはなにを持って、わたしを魔女と?」
「さぁてなぁ?」
頬を痙るように上げて、にやにやと笑う。
酷くいやらしい笑い方だった。
「まあ、あいつのことはええ。生きてさえいてくれたら、それでな」
「あなたが死んだら、代わりはいないんですよ?」
「いっそ、俺との繋がり自体、無くした方が幸せかもしれんで」
「それは、エゴでしょう?」
「そうか?」
「あなたが耐えられないことを、妹御は耐えられると?」
「耐えて欲しいとは思うけどな」
「耐えられなかった人間がなにを……。耐えられない人間がどう壊れてしまうのか? あなた自身が一番よくわかっているでしょうに」
「痛いとこつくわ」
もしこの場にシンジがいたなら、彼は父のことを思い浮かべていただろう。
際限なく壊れた人間が、悪魔に、どこまでのものを捧げるのか。
その怖さについて震えただろう。
自分にあるもの、どころではない。
他人のもの、だけでもない。
世界にある、ありとあらゆるもの。
世界そのものすら捧げてしまうことを、シンジは知ってしまっていたのだから。
「まあ、せいぜい長生きするて」
「そうしてください」
去って行く背を見送り、ユイは緊張を吐息と共に抜き、ズワウスを見上げた。
すると、ズワウスもまた、ユイを見下ろし、見つめていた。
ズワウスは人を取り込んでいた特殊な機体であるが、だからと言って、サーバインのように疑似生命化し、自我を手に入れているわけでは無い。
目が合っているのも、ただの偶然である。だがしかし。
(気のせいじゃないわね)
ズワウスの目は、未だに敵を見るものだ。
理力甲冑騎は、乗り手を映す。
ならばこの目つきは、ベルフィールド卿の目、そのものだろう。
だとするならば、ベルフィールド卿の、あの多少は軟化して見える態度もまた、見せかけであろうと思えてしまった。
本性は、このズワウスの目に現れているとおりのはずだ。
(長生きね……)
きっと、お前たちの背中を突いてでも。
寝首をかいてでも、生き延びてみせる。
(そういう気持ちを、隠してる)
ユイはそう判断する。
そしてベルフィールド卿は南へと大軍を率い、出立した。
十二機の理力甲冑、三隻の空中戦艦、それに二十四機のウィングキャリバーが、青空の遠く、雲に紛れるよう遠ざかっていく。
シンジたちは、その様子をそれぞれの場所で見送った。
──夜。
「モチベーション……、テンションが、上がらないんだよな」
シンジは一人、ベッドの上に横になっていた。
足は片方、下に落とすようなだらしなさだ。
城の一室、外を見るための窓を開いたままである。
そこから見える夜の空には、白く明るい月と、黒く禍々しい月が浮かんでいた。
「流されてるだけじゃ、どこにも行き着けないって、知ってるはずなのに」
思い出すのは、あの赤い波の打ち寄せる浜辺の姿だ。
何もかもを無くし、失った。
何一つ、残らなかった。
(アスカ……)
月明かりの中に、手を伸ばす。
薄闇に青白く浮かぶ右手を、ゆっくりと閉じて、何かを掴む仕草をする。
そこに蘇る、生の感触。
それは肉に食い込んでいく感触だった。
誰の?
自分を見る冷めた目。
その姿に、コピーを名乗るもう一人のアスカが重なる。
(戦えるのか? あの子と)
今までは逃げ回っているだけだった。
連れのいる旅だったこともある。
しかし次はきっと、命の奪い合いになる。
シンジにはその予感があった。
(ATフィールドは、心の壁か……)
シンジには、それを打ち砕くことも、取り払うことも、理解のできない『現象』にすぎない。
(こうやって、人付き合いの良い振りをしているのだって、あくまで振りだもんな)
人見知りが、そう簡単に治ってたまるもんかよと、身を丸くするように横向けになった。
腕を枕にするように曲げて、頭の下に敷く。
(変わってない……、っていうのを見抜くような知り合いがいないのが、救いなのに)
なんで出てくるんだよ、父さん、と。
シンジはとりとめも無く、適当なことを考えながら、眠りについた。
遠隔地。
地を埋め尽くす蟻のような機械が、波となって押し寄せる。
時折足を止め、頭を上げ、触覚を右に左に振り、ギチギチと顎から音をさせる。
山を、森を避け、だが生き物だけは襲い、飲み込んでいく。
小動物も、強獣ですらも、姿が見えぬほどに覆われ、消えていく。
それを主モニターに映し、オーバー・ザ・レインボウが、上昇限界高度から見下ろしていた。
アスカは艦長席の前に仁王立ちとなって、その光景を眺めていた。
クルーは、彼女と、モニターの光景、どちらにか、目を伏せるような態度を見せる。
そしてそんな全てをあざ笑うように、ブリッジの隅で、アカギの幼女二人が、クスクス、クスクスと笑っていた。
アスカの顔に、表情は、ない。
「冗談だろ……」
「あれが全部、機族だっていうのかよ……」
国境に浮遊船十艦と、三十騎ほどの理力甲冑騎が展開している。
方々から結集した戦力である。
浮遊船は理力式の物が五隻、残りは気球であった。
地上部隊はまだ追いついていない。輸送用の浮遊船は、先ほどとって返したばかりである。
望遠鏡、双眼鏡を覗く必要もない。彼らのいる高度から見える地平線。その位置は百キロは先になるだろうあたりが、黒一色に染まっていた。
最初は、小山同士の合間から、黒い濁流のようなものが染み出しているように見えたのだ。
それがあっという間に複数の谷間からとなり、いつしか山そのものも飲み込んでしまっていた。
理力艦の甲板、落下防止のための柵に、多数の搭乗員が押し寄せて騒いでいた。
「機械が溢れた……。あんなもの、どうするっていうんだ」
一方で、旗艦とされている理力艦のブリッジで、マコトがシゲルに話しかけていた。
二人は北の巫女姫や、西方王とも面識があると言うことで、先行するよう申しつけられ、ウイングキャリバーによって送り込まれていたのである。
シゲルが唸りながら言う。
「人の姿をしていないっていうのは、本当だったんだな」
マコトは艦長席からずり落ちそうになっていた尻を戻した。
「冗談だろ? あれは機械じゃないのか?」
「あれ一つ一つが、機族の一種族だって話だ」
「本当なのかどうなのか」
「さあな」
「理力甲冑騎、どの程度に役立つと思う?」
「立つわけないだろう。広がっているのは機族……らしい虫だけだ。今の時点じゃ、見えてるのはそれだけだぞ? 機族の甲冑の姿が見えない」
「スモールだったか? 本当の戦力は、あの向こうということか」
「今見えてるのは、俺たちで言う、歩兵ってところだろうな」
「歩兵であの数か」
ため息をこぼす。
「死ぬな、これは」
「それでも、やるしかない、だろ?」
「やる気の人物もいることだしな」
派手に響く、ラッパの音。
二人の乗る艦と、隣の艦との間に、黒い甲冑がゆっくりと浮上してくる。
通常の甲冑よりも一回り大きな、特徴のある尻尾を持った騎士だった。
ズワウスである。
ぐんと翼竜から流用したらしい翼で羽ばたき、先行していく。
「やる気だな、あの人は」
「大丈夫なのかな。腕を折ってたはずだけど」
「腕が折れてるくらいで、大人しくなる人じゃ無いさ」
「確かに、そうだけどな」
ブリッジの窓から、ズワウスの後ろ姿を見る。
マコトは席から立ち上がり、号令をかけた。
「元気な人だ。続くぞ!」
シゲルが細かな指示を出す。
「全砲門開け。各隊、前に出すぎるなよ? 限界射程距離を守れ。どうせどこに撃ったって当たる」
そして戦争が始まった。
空に浮かぶ船が砲を放つ。
原始的な火砲である。
火薬の衝撃に、気球船は浮くように揺れる。
理力艦の砲撃は、それよりは現代的で、大型の砲撃に、火線を引くような機関砲も用いられた。
続いて理力甲冑騎が群れの中に飛び込み、蹴散らし、剣で払い飛ばした。
これには、単純に大きさが物を言っていた。理力甲冑騎に比べて、機械虫の大きさは二メートルから三メートルほどだ。
質量差で、蹴散らすくらいのことは可能であった。
ただし、効果のほどは見て取れない。
飛ばされた機械虫は、ひっくり返りはしても、ギチギチと足を動かし、何事も無かったかのように、姿勢を戻し、また動き出す。
その上、圧倒的な数の差を覆せるほどでもなかった。
優勢だったのも初撃だけであった。理力甲冑騎の一騎が、一匹の虫に足を取られた。
ぶら下がる虫を蹴り落とそうとした甲冑の背に、別の虫が飛びついた。
そうして、あれよあれよという間に虫は取りつき、重量負けした甲冑を無数の虫が這い回る地へと引きずり下ろした。
理力甲冑騎は倒れ、黒い渦に飲み込まれ、姿を消した。
が、まだ終わらない。
その理力甲冑騎を中心に炎が炸裂する。
甲冑騎唯一の飛び道具、フレイ・ボンムであった。
左腕の篭手と盾の、中間の作りをしたものから発せられた火炎であった。
理力甲冑騎が、命からがら空に上がる。そして背を向けて逃げようとした瞬間……。
滑空して来た、鋭い顎をもつ巨大な羽虫に似た機族に、胴から二つに分解され、森に落ちて、今度こそ機械虫に呑み込まれた。
数秒して、暴走したオーラコンバーターの光が、周囲百メートルほどを包み、そしてクレーターを作り出した。
この光景は、彼らの心に、深い絶望を刻み込んだ。
「話にならんやないか」
爆光を突き抜け、白を背景に、黒がたゆたう。
ズワウスはその場に踏みとどまるように急制動を駆けて空中に制止した。
剣を右手に、首をめぐらせる。
足下から砲火が上がり、点が線を描いて船を打ち据えていた。
さすがに、空中艦の船底は薄くない。
機関砲程度で落ちることは無いのだが、次には、光が薙いで、艦を切り裂いた。
高出力のレーザーであった。
船がずるりと二つにずれる。その次には融解点から爆発し、火だるまとなって落ちて行った。
やけに大きな腹をした機械虫からの攻撃であった。
腹部は腸のようなものがぐるぐると取り巻いている。
エネルギーを生み出すための加速器なのだろう。
図体自体も、他の歩兵蟻より、五倍は大きかった。
理力甲冑騎を超える大きさである。
「こりゃ……、勝てんわ」
ここを埋め尽くしている数だけでも、自分たち、人族の総数を超えているかも知れない。
彼らにとって、軍と言えば千の値だ。暮らす者たちを含めてもその百倍程度だ。
対して、ここにうごめく機族は万の値に留まるのだろうか?
億に届いているかもしれない。
戦闘力に劣る人族が、いったい、一人何殺すれば良いのだろうか?
「あいつらは、これに勝てるつもりなんか?」
卿が思い浮かべるのは、他国の者たちのことである。
少なくとも、我が国の者たちは怖じ気づく。
怖じ気づいた貴族共がどう動くのか?
「……手札あるなら、早う動けや。でないと、足下すくわれるで?」
「呼びましたか?」
西の国の艦の中である。
カヲルは、ゲンドウに捕まえられていた。
「報告が届いた」
写真やデータの伝送技術はオーバーテクノロジーではあるが、カヲルはこれを保持していた。
写真を見て、苦笑する。
「怒濤のごとくだね」
丘が黒くうごめく無数の生き物によって埋め尽くされていた。
蟻にも似た昆虫である。丘を、森を呑み込み、埋め尽くしている。
遠くその背後の空も黒く染まっているようだった。空を飛ぶ機械生物が舞っているのだろう。
「分析は?」
「写真の中だけで地上一千万、空一万だ」
「総数は億に達するかもしれないね」
「南の国があふれたと言うことだな。これだけの数の機族がいたとは」
「機族というのは総称に過ぎないよ。その大半は単一の目的を果たすだけの機械だ。蟻と同じだね。今攻めてこようとしているのは、さしずめ兵隊蟻と言ったところか」
「連中はどうするだろうな」
「及び腰、いや、すぐに、逃げ腰になるだろうね」
この情報を渡してみるかと、反応を促すことに決めた。
カヲルはこの国の者たちを観察するつもりだった。
忠言しようとは思わない。
結果として、物事は短絡的な方向へと流れることになる。
「機族からの使者だと?」
「評議会からの使いを名乗っています」
カヲルが情報を意図的に漏らす直前のことである。
王の元に、灰色のローブで姿を隠した者が訪れていた。