「これがみんなの選択なのか」
 シンジは落胆を漏らした。
 人が呼んでいると誘い出されて中庭に来てみればこの有様である。
 待ち受けていたのは、カヲルを筆頭とした、兵士の一団であった。
 二十を越える兵士が武器を構えている。
 しかしながら、その中に混ざってはいても、カヲルは呆れていた。
「僕は無関係だよ」
 嘆息する。
 カヲルは、この程度の数で抑えられると思っている彼らに対して、あきれ果ててしまっていた。
 兵士たちは、自身の強さによほどの覚えがあるのか、高圧的ですらあった。
「僕を殺すことにした?」
「その前に、機族との交渉を謀ることになりました」
 兵が左右に割れる。
 ユイであった。
「あなたの力が、強大なオーラ力に根ざしていることはわかっています。けれど、それも理力甲冑騎という、物理的な力へと変換する装置がなければ、意味のあるものではないでしょう?」
 生身なら大したことがないと踏んだ。
 そう言っていた。
「案外せこいんですね」
「たとえ騎士であったとしても、肉体を用いた戦いにはそれなりの訓練が必要になるものです。勝ち目はありませんよ?」
 ユイの言いぐさに、シンジとカヲルは、共にどうしたものかと困った。
 シンジは生身でシグナムを打ち破っている。
 そのことを知らないのかと、カヲルは呆れた。
 情報不足にもほどがあると。
 だがシンジは別の角度で困っていた。
 ユイはシンジの実力を知っている。
 実際、最初の対談では、それに根ざした緊張を持っていたはずだった。
 猛獣と同じ部屋にいるという緊張をだ。
(なにを考えてるんだ?)
 この人は、この程度の戦力では、僕を押さえられないと確信してる。
 なのに、それを見せないように振る舞っている。
(演技をして、身内をだまして、なんの得があるっていうんだ?)
 それもまた、自分をはめるための罠なのだろうかと疑ってしまうのだが、シンジにはユイの真意などわからなかった。
(逃げるか?)
 シンジは空を見上げた。
 そこに、小窓から体を乗り出しているアスカを見つける。彼女は叫んでいた。
「シンジぃ!」
 訳がわからないと言った顔をしていた。
 だが、おおむねは察しているのだろう。
 シンジは寂しげに笑った。
 本気で心配してくれているのが、その顔に見て取れて、声に聞き取れて、泣きそうになってしまった。
(申し訳ない……、って、こんな気持ちなんだろうな)
 ごめんねと心で謝り、シンジは決意の顔を上げた。
「さよならだ!」
 ──Let's meet again.
 シンジの体を金色の風が取り巻き、旋風となって渦を描いた。
 兵士達が腕で体をかばい、風に耐える。
 ユイが叫んだ。
「魔法!? そんな報告……」
 生身で戦える力を持っているとは聞かされていた。
 だが、空を飛ぶ魔法のような力を使えるという話は知らなかった。
 見上げれば、シンジは空に高く舞い上がっている。
 ユイはカヲルを睨んだ。カヲルは肩をすくめて答える。
 カヲルもまた、飛べるとは知らなかったのだ。
 この程度のやり取りとなったのは、元々逃がすつもりで居たからだ。
 ユイとしても、この短絡的な決断は、この国の命を縮めることになると思えて仕方なかったのである。
「追え!」
 兵士の半数が飛翔する。
 カヲルは首を動かし目だけで追って、数が足りないねと口にする。


「まだ飛ぶのは練習してないんだよな!」
 街の上を抜けたところで振り返り、シンジは仰天した。
 兵士たちが空を飛んで追ってくる、これはわかる。
 理力仕掛けのグライダーやボードを使用している隊も上がってきている。これもだ。
 だが白い仮面を付けた、一目で正体のわかる女が、兵士の編隊を袈裟懸けにするように突撃したことに対しては、意味がわからず、混乱した。
「シグナム!?」
 ここには居ないはずの彼女であった。
 シグナムは兵士たちを叩き、殴り、蹴飛ばし、地に落とし、シンジの元へと急接近した。
 がっとシンジの体を抱くようにつかんで、そのまま高速でかっ攫う。
 空気が壁のようで、シンジは首に痛みを感じた。
 段違いの飛行速度に息を苦しませながら、シンジはわめいた。
「なにやってんだよ! なんでこんなこと」
「お前を守るのがわたしの仕事だからな」
「それは僕が、アスカのおもり役だった間の話だろう!? こんなことをしたら」
「わたしの命はお前に拾われたものだ。わたしはお前を……主はやての次に従うと決めているからな」
「拾うと決めたのはアスカだ! はやてさんだって、この国の貴族だろうに、こんな真似をしたら」
「わたしはもう、死んだ身の上の人間だからな、かまわんさ」
 シグナムは、急に静かな声音で尋ねた。
「それとも、そんなに一人で、やりたいのか?」
 シンジはぎくりとさせられた。
「そりゃ……」
「頼りにならないか? わたしは、わたしたちは」
「巻き添えにしたくないって言ってるんだよ!」
「うそだな」
 シグナムは仮面を取った。
 そして青い瞳でシンジを見つめた。
「お前を求めて、機族はやってくる。お前が現れたから、機族はわたしたちを処分しようとしているという。巻き添えにしたくない? ならどうするつもりだ」
「それは」
「一人で行く気だ。違うか?」
「…………」
 シグナムはため息を吹きかけた。
「無茶も過ぎる。ろくな戦力も無しに。どうするつもりだった」
「だったら、どうすればいいって言うんだよ」
「この世界は、わたしたちの世界だ」
「そうかもしれない。だけど今のこれは違うだろ?」
「そうか?」
「そうさ。僕が現れた。機族が溢れた。放っておけない大事かも知れないけど、僕と機族が消えれば、みんなは結局、なんだったんだろうってことになるだけじゃないか。なにもなかった。そういうことになるじゃないか」
 たとえば魔王が現れたとして。
 魔王の軍勢が攻めてきたとして。
 人の目に付く前に、それらを一掃することができたなら?
 果たして、人々は、世界の危機があったなどと、認知して語ることがあるのだろうか?
 そうして、なにも始まらず、始まる前に終わってしまって、彼らの上には何事も無く、平穏無事な時間が続くのならば。
 ──そうなるようにと、どこからと知れず勇者は現れ、消えてしまうのではないのだろうか?
「僕が原因なんだ。僕が片付けて、僕も消えれば、なにもなかったってことになるじゃないか」
 呆れたものだとシグナムは言う。
「それをするには、お前は色々な人と関わりすぎたよ」
「なんだよ……」
「いろいろ聞いたぞ? マナから。みんなでな」
「みんなって……、なにをさ?」
「シンジの初めては予約済みだから、手を出すな、とかな」
 おののくシンジに、意地悪を言う。
「一つ、良いことを思いついた。連中の狙いが血筋なら、お前の子を宿した女は助かるんじゃないか?」
「酷いことを……」
「お前にはまだ、はやて様を救ってもらうという約束がある。ここで消えてもらっては困るんだ」
「だからって」
「まだるっこしいな、いいか」
 空中に放り出すようにしてから、シグナムはあらためてシンジを抱きしめた。
 真正面から抱き合う形になる。
「死んで欲しくない。側にいてくれと言っているんだ」
「…………」
「どうだ? わたしがそう思っているんだ。だから生きろ。わたしのために。わたしと共に」
 シンジは、はぁっとこぼした。
「はやてさんだって、きっと、君にずっと側にいてもらいたいって思ってるはずだよ」
「はやてははやてで、シンジはシンジだ」
「両立はできないだろ」
「わたしだけではない。アスカ様も、テッサも、他にもそう思っている者たちはいる。だろう?」
 それだって、と、シンジはうつむく。
「僕は、いらない人間なのに」
 シグナムは気付いた。
 自分がリョウジと話していたように、シンジもまた気がついているのだと。
 この国にとって、自分が危険な存在になってしまっているのだということを。
 だから。
「わたしが必要とし続けてやる」
「シグナム」
「闇の書から逃れた後は、お前の連れ添いとして、地の果てで暮らしてやる」
 シンジは、ありがとうと返した。それは喜びではなく、悲嘆からの言葉だった。
 うれしくなかった。彼女の言葉が、優しさから来る使命感が言わせたものであるとわかったからだ。
 同情からそう言いたくなって、口をついて出ただけの言葉なのだとわかったから、悲しかった。
 だから、シンジはそっと、彼女の体を押し離した。
「どこに……逃げれば」
「この先にグライダーを隠している。それに乗って、はやて様の元へ行く」


 そして城である。
「逃がしてしまったね」
 太った男がわめく。
「追撃隊を出せ! はやてを押さえろ! 闇の城もだ!」
 シグナムめと歯ぎしりをしている。
 身なりは良い。貴族なのだろう。
 恐らくは、王の採決を待たずに、機族に取り入ろうと先走ったのだろう。
 そんな様子が窺えた。
 カヲルはそっとその場を離れた。
 建物の影を選ぶように角を曲がっていく。
 気付けば隣にゲンドウが居た。
「どうするつもりだ?」
「この国から引き上げる。どうせシンジ君が向かうのは南だ」
「この国と対立するのか?」
「この国はもうダメだよ。彼らは助かるための唯一の方法を放棄した。共に滅ぶ選択肢はないな」
「奴一人に、そこまでのものがあるとは思えんのだがな」
「本人もそう思っているのが、やっかいなんですよ」
 父親なら、過小評価ではなく、期待して上げてくださいと、カヲルは半ば本気でゲンドウに説教をし、それとは別に、北の国との連絡を密にすると告げた。
 シンジをかばうとすれば、北以外にはないからである。


 だがシンジは北ではなく、この国の中の一地方領に迎えられていた。
 そこはコウゾウの領地であった。
 グライダーが姿を見せると、城の跡地に集う大勢の人が手を振り名を呼んだ。
 シンジたちが不時着気味に城の前庭に舞い降りる。
 一番早く駆け寄ったのははやてだった。
「シンジさん!」
「はやてさん……なんだよ、こんな、みんなまで……」
 はやての陣営に、マナたちやテッサの工房の人間もいる。
 テッサの姿は見えない。ただ、リョウジがいることには驚いたが、ミサトが混ざっていることにはさらに驚いた。
「君まで、どうして」
「成り行きよ」
 なにがあったんだろうと思う。
「リョウジ、君は向こうの人間だろう?」
「アスカ様のことはユイ様に任せた。というか、ユイ様に厳命されてな」
「あの人に?」
「ああ、お前を北や西に渡すなってな」
 そういうことだと肩を叩く。
「現実的な連中は、現実的にお前をどうにかしようとしてる。でもユイ様は、今が好機だと見たってことだ。きっかけとか、契機、転機、なんだって良い。お前という人間が現れて、時が動き出した。時計の針は止まらないし、止められない。止めよう、戻そうとしてる連中は、現実的ではあっても、本当の現実が見えてないってことだな」
 シンジは、ユイという人のことを考えた。
 あの人はいったい、どこを目指し、何を求めているのだろうかと。
「僕一人を押さえたからって、なにが変わるって言うんだよ」
「変えられるから、お前は一人で去ろうとしたんだろう? 違うのか」
 まあ、そう言うことねとマナが歩み寄る。
「少なくとも、あたしは帰る場所がなくなったからね。ベルフィールド卿の元にはもう戻れない。とりあえずコウゾウ様……ってより、テスタロッサ様の工房で、神像の面倒は見てもらえることになったけど、ね」
 神像は湖のほとりに浮かべられていた。
 そういうことでと口にする。
「この国とか、機族とか、そんなことじゃなくて、ね。あたしはあなたに賭けた。だから、ついてく」
「死ぬだけだよ」
「シンジが守ってくれるんでしょ?」
 諦めやと、はやてが口を出した。
「簡単に言うたら、シンジさんが水くさいってだけの話なんや」
「だけどさ」
「あたしらには、アスカ様もコウゾウ様も関係ない。シンジさんの力に魅せられて、シンジさんの元に集まったんや。あたしが一蓮托生って言葉の意味、教えてあげよか?」
「僕にはそんな責任は取れないよ」
「なら言い換えたろ。機族とやりおうて、生き残って、この先もこの世界で生きていく。これから起こるのはそのための戦いやろ。部外者が勝手に主人公ぶるのはやめてもらおか」
「そんなつもりは!」
「あんたがやろうとしてるのはそういうことや。リョウジが言うたけどな、あたしらにとっては、今が好機なんや。伝説のサードチルドレンに、北と西の国の助力も得られる。今やらんかったら、いつやるんや? 百年後か? 千年後か?」
 シグナムが続ける。
「シンジも、機族の本当の恐ろしさは知らないはずだ」
 これをと、はやてが見せたのは、カヲルが見たものと同じ写真であった。
「西方王が回してくれたものだ」
「これが敵か」
「そういうことだ。お前一人で、これをどうにかできるのか?」
「でも、君たちが居たからって、なにが変わるっていうんだよ」
 にやりとはやてが口にする
「もう、手は打ってあるわ」
 グォングォンと空で低い音が唸る。
 驚き顔を上げる。
 シンジは湖があるであろう低地から、乗り上げるように上空へと舞い上がり、姿を現したものに驚愕した。
 船だった。ただし、御座船などより、圧倒的に大きいものだ。
 そして生物的ですらあった。
「まさか!」
 シンジはこの巨体に覚えがあった。
「これがうちらの切り札や」
「トゥアハ―・デ・ダナン……」
 一行の上に、巨体からの影が落ちる。
 それはまさに、国境でシンジたちが命からがら逃げ出した、かつてのテッサの船、トゥアハ―・デ・ダナンであった。


「シンジさん」
 ダナンの上には、上甲板やや後方の位置に、御座船が船底をめり込ませて同化していた。
 その艦橋に入って、シンジは驚く。
「テッサ……君なのか」
 御座船の艦長席に、テッサが座っていたのである。
 御座船は北の巫女の居城とも言える代物だ。それを他国の人間が我がものとし、あげく、巫女達が手足となって従い、操船している。
 異常だと感じられた。
「いったい……、これは?」
「巫女姫様が、協力してくれたんです」
「巫女姫様が?」
 脇に控える巫女姫に目を向けると、巫女はわずかに頷いた。
 そもそも、テッサは言うなれば下賤の身である。
 巫女姫と同じ空間に居て良いはずがない。
 いや、この場合は、巫女姫が自由に出歩いていることが問題であった。
「わたしたちの力が、使徒というものを操るものであることはご存じでしょう? なら、このダナンという船が、その使徒からできているというのであれば」
 シンジは仰天した。
「この船、使徒で作られてたの!?」
 はいとテッサは肯定する。
 強獣どころでは無い素材で構成されていた。
(そりゃ、暴走するわけだ……)
 ゾッとする話である。
「このクラスになると、強獣では追いつかなかったんです……。それでもっと強く、大きな生き物をベースにしました。でも、それがいけなかったんですね……。シンジさんの話を聞いて、巫女姫様とも話せて、ようやくなにがいけなかったのかわかりました。使徒と強獣……。わたしたちは同じものだと思っていましたから」
 同じ物だと思って。その言葉に、シンジはあっけにとられた。
 それはつまり、使徒を倒し、素材にしたということなのだから。
 それも、理力甲冑騎などないころに、である。
 そこで思う。
「理力甲冑騎は?」
「どの種類の強獣を素材として使うと問題になるのか、うまくいかなくなるのか、その程度のことは実験の後に把握していましたから、使徒……、に分類されるらしい強獣を、結果的に避ける形になったようです」
 なるほどと納得する。
「最初は、それを確かめないでおおざっぱにやっちゃったから、うまくいかなかったんだ」
「はい。後は……」
「この船か」
 喫水線までを埋めこんで同化している、御座船のことである。
「この船、ただの船じゃなかったわけだ」
 ぐるりと船室を見渡す。
 巫女姫が秘密を明かす。
「この船には、使徒に融合しうる力があるのです。この船ほどに巨大で、それもさほどの意志、魂、自我を持たぬ肉体であるのならば、同化することは容易いことです」
 シンジは彼女の言葉に引っかかりを覚えた。
「同化って?」
「今は通常状態で航行していますが、いざとなればわたしを制御機関(コア)とし、艦橋からのシンクロ制御を行えます」
 目を丸くし、つばを飛ばして、シンジは悲鳴を上げた。
「待ってよ!」
 巫女姫は小さくかぶりを振って、決意を示した。
「問題ありません。コアといっても繋がるだけです。肉体や魂を捧げ、取り込まれるわけではありませんから」
 そういって、何でも無いことのように微笑む巫女姫に、信じられないとシンジは答える。
「昔、君と同じ顔をした人がいたんです」
「…………」
 それは単純に造形のことを言っているのではない。
 北の巫女達全員が、誰の面影を持たされているのか?
 彼女たち自身、重々承知しており、そしてまた、その人物と、サードチルドレン、碇シンジとの関係を知っていたから、巫女姫は言葉を奪われた。
 シンジは告げる。
「その人は、あなたと同じような顔をして、なんでもないことのように命を捨てようとしました。だから信じられません。危ないまねはやめてください。お願いします」
「ならば、どうするというのです?」
「それは……」
 シンジは悔しさに唇を噛む。
 手は無い、手段が欲しい。そう思うが……。
 巫女姫は、そんなシンジに、わかりましたと告げた。
「巫女として、サードチルドレンのために、祈りましょう」
「祈る? なにを……」
「この船の大きさならば、呼び出す場を設けられましょう」
「呼び出すって……、え?」
「お忘れですか? わたしたち、北の巫女の力のことを」
 シンジの顔が、驚愕に歪んでいく。
「使徒……、僕のため? まさか」
「それこそが、真なる北の巫女の勤めならば」
 彼女は手を伸ばす。
「呼びましょう。古の巨神兵……。エヴァンゲリオン初号機を」
 その先にあるのは……、ブリッジの外にあるのは、黒い月だ。
「そのために、わたしはここにいるのですから」
 本当に?
 シンジにはそう問うことができなかった。

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