戦闘の翌日、碇シンジは自宅へは戻らなかった。
「ごめんね、邪魔して」
「いいよ、別に」
ここは六分儀シンジの住んでいる部屋だ。
「広いんだ。結構……」
「葛城さんの家は狭いの?」
「うん……、自分の部屋を貰ったって言っても、自分の空間って感じじゃないからね」
「当たり前だよね、他人の家に間借りしてるんだから」
「そうだね……」
少年は不思議に思った。
どうしてこんなに、自分と同じように感じて、考えてくれるのだろうと。
「もう一人の僕、か……」
「なに?」
「うん……、僕の代わりに、君だったらもっと違ってたのかなって、思って」
「だとしても、人格なんて環境が作るものって言うしね、やっぱり僕と、君が出来上がるだけなんじゃないのかな?」
「そっか……」
「大した違いなんてないさ、僕は性格の違う君でしかない、それだけだよ」
「兄弟、か……」
「そう思ってくれるんだ?」
「あ、うん、ミサトさんが言ってた、人工的にでも受精卵を二つに分けたのなら、立派な双子だろうって」
「双子、か……」
「なに?」
「じゃあ、僕達は魂も半分に千切られているのかな」
「え?」
「君の命は、君のものさ、どう使うかは、君次第だよ」
「君は?」
悲しげな、深い苦しみの色合いが瞳に滲んで見えた。
「僕の命は、もう、好き勝手に使われたんだよ」
適当な護魔化しの言葉、だがその内にはいくつかの真実が込められていて……。
「ごめん……」
碇シンジの嗅覚は、その真実の一端から来る苦しみを確実に嗅ぎ取らせていた。
One Day : 5
一人、ミサトはリビングで朝食を取っていた。
寂しいからかペットのペンギンを相席させている。研究の結果作られた実験動物は頭が良く、三才児程度の知能を有してはいるが、それでも到底、人の機微を感じ取れるほどの存在ではなく、同居人ほどには暖かみを感じさせてはくれなかった。
「帰って来なかった。か……」
留守電には一応断わりが入っていた、それでもだ。
「六分儀シンジ、か」
懐いて当然だと思う。
「性格とかじゃなくて……」
例えば自分とリツコの関係が当てはまるだろう。
多くを語らずとも、あれと言えば通じてしまう、あの時、六分儀少年は転がれと叫んだ。そう、それだけで意図することなど、通じてしまうものなのだ。
(今なら分かる。確かに分かり易くて良かった……)
はぁっと溜め息が吐いて出た、碇シンジは軍事教練を受けて生産された少年兵ではないのだ。
僅か数週間で命令口調に慣れろと言う方が無茶である。
(同年代の気安さか……)
友達ライクに付き合ってやった方が良いのだろうが。
(そう言う訳にもいかないのよねぇ)
なんちゃって指揮官と馬鹿にされて済むのならまだしも、体面を気にしなければやってはいけない職場なのだ。
(今、追い出されるわけにはいかないのよ、わたしは!)
ミサトは手に握ったビール缶をぐしゃりと一息に握り潰した。
「これが……、僕が倒した使徒」
呆然と見上げた後で、少年は下りて来た兄弟に声を掛けた。
「何やってたの?」
「ちょっとね……、コアってのを見て来たんだ」
「ふうん……」
「話も聞けたよ、劣化が凄いんだってさ」
「劣化って?」
「死んだからってすぐに体が腐るもんじゃないだろう? 今は死後硬直の状態って事」
「ふうん」
そんな二人をリツコは覗き見ていた、いや、リツコだけでなく。
「気に入らないみたいね」
「……」
ミサトは無言で返した。
「そんな風にしてると、ますます嫌われるわよ? 苦手だって」
(どうでもいいでしょ、そんなこと!)
ミサトはなんとか、心の中だけで抑え込んだ。
「それより、何か分かったの?」
「父さん……」
ミサトは碇少年の声に、自分で聞いておきながら説明を聞き逃した。
「無視されちゃった。ね」
「うん……」
「苦手なの? 父さんが」
「何も言ってくれないんだ。何も……」
「しょうがないよ」
シンジが慰める。
「僕のせいで苛ついてるんだ。きっとね」
「そうかな?」
「そうだよ、落ち着いたら……、きっと相手してもらえるさ」
「そんな風には、思えないけど」
「ミサト?」
「あ、ごめん……」
仕方が無いわね、とリツコは嘆息した。
「針鼠のジレンマって、知ってる?」
「なに?」
「針鼠はね、お互いを温め合おうとすればするほど互いを傷つけ合うことになるの、でもね、恐がってばかりじゃ理解は得られないわよ?」
すう、と鼻息だけで深呼吸してミサトは動いた。
「シ〜ンちゃん、何見てんの?」
「いえ……、父さん、火傷してるから、何だろうなって、話してたんです」
「なんだろうね? 赤木さん、知ってますか?」
「ええ、あなた達が来る前に、起動実験中に零号機が暴走したの、聞いたことあるでしょ? その時にね、司令は加熱したハッチを素手でこじ開けたのよ、あの火傷はその時のもの」
「父さんが……」
「綾波の怪我って、その時のものだったんだね」
「うん……」
「碇君は、綾波から聞かなかったの?」
「うん、あんまり話した事無いから」
「そっか……」
「うん……、あの父さんがそこまでして助けたんだ。綾波を」
その綾波レイであるが、今日は本部で実験があったらしい。
「リツコさんも惚けてるよね、一緒に見学に来るだろうって思ってたなんて」
「うん……」
碇シンジは、綾波レイのカードをじっと見つめていた。
「気になる?」
「え? あ! そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「ごめん……」
溜め息。
「で、何を考えてたの?」
「うん……、綾波って、父さんにとってなんなんだろうって」
「綾波にとって、か……、父さんは、じゃないんだね」
「え……」
「碇君にとって大事なのは父さんで、綾波じゃないってこと」
「そっか……、そうなのかな? そうかもしれない」
彼は再びカードに見入った。
「着いたよ」
見上げたマンションは倒壊寸前に思えるほどに酷かった。
ダイレクトメールが溢れ返っているのは、集合ポストだけでは無くて各部屋の扉もだった。
「こんな所に住んでるんだ……」
「酷いよね、これは」
カチカチっとインターホンを鳴らしたのは碇シンジ。
しかしインターホンは無反応だった。
「壊れてるみたいだ」
「あ……」
それでも人の気配を感じたのか、扉が開いた。
「誰……」
「こんにちは」
「あ、あの……」
レイは落ち着いた様子とどもり気味の態度に見分けを付けた。
「六分儀君と、碇君」
「ごめん、寝てたんだ?」
レイはYシャツ一枚と言う、多少問題のある恰好をしていた、流石に碇の方は赤い顔をしている。
「赤木さんに頼まれて、新しいカード持って来たんだ。碇君?」
「あっ! ごめん」
慌ててポケットを探って渡す。
「そう……、ありがと」
「どういたしまして、じゃ、行こうか」
「うん……、じゃあ」
「……待って」
二人は同時に立ち止まった。
「上がっていけば」
碇は困惑を浮かべ、六分儀は素直に喜んだ顔をした。
「じゃ、お邪魔します」
続く
[BACK]
[TOP]
[NEXT]