先日、日本重化学工業の出展物である二足歩行型兵器が暴走した。
 その危機を回避しえたのは、ネルフにて要職にある人物の協力があったからである。しかし。
『使徒襲来より既にふた月、しかし未だに有益な訓練メニューすら出来上がっていないのはどういう事かね?』
『もうしわけありません』
『その上でのエヴァの私的運用、申し開きはあるかね?』
『ありません』
『では処分を通告する。降格の上、UNの士官養成所にて再教育を受けてもらう』
『待って下さい!』
 副司令からの冷たい言葉に食い下がった。しかし。
『下がりたまえ』
 結局司令が口を利いてくれたのは、その最後の一言だけだった。
 悔しさが込み上げて来る。ミサトは唇を噛み締めた。
「貴方に監視が付いている事も承知の上で接触しています」
「戦自が何の用なの?」
「それは貴方が一番良くご存じでは?」
 羽田に向かう列車の中、背後の席に陣取った男は窓際の隙間からヘッドフォンとマイクがセットになった物を伸ばして寄越した。
 ミサトはそれを耳に付けて会話していた、見張りからは見えないだろう。
「エヴァの情報が欲しいのね……」
「それと、貴方が」
「わたし?」
「ええ……、使徒と戦闘経験のある貴方を」
(作戦らしいものを立てられた覚えは無いんだけどね……)
 それでもだ。勘違いしてくれているなら利用するのも良いだろう。
 皮肉な事に、スカウトされて始めて、ミサトは自分の力のいたらなさを、客観的に、自虐的ながらも認められていた。

One Day : 7

「葛城さんが?」
「行方不明よ、その上護衛はやられていたそうよ」
 リツコの研究室、リツコは香りを嗅ぐ様にしてコーヒーに口を付けた。
「ミサトも降格されたからって抵抗もしなかったなんて、情けない話しね、全く」
「でも、どうして……」
「どうしてもこうしても、上から順番に並べていけば、チルドレンの次くらいには重要度が高いもの、少なくとも、あなた達の事は把握しているわ、それに、エヴァのシステムについてもね」
「なるほど……」
 確かにそれはそうであろうが。
「じゃあ、拷問とかされてるんでしょうか……」
「……司令が一応、捜索命令を出しているけど」
 言葉を区切る。
「抵抗してないって事は、自分から……、ってこともあり得るわ」
「そんな、どうして?」
「あの子にとって重要なのは、使徒と戦う事だからよ」
 多少、思い当たる事があってシンジは顔を歪めてしまった。
「そうですか……」
「ええ、それでね、シンジ君のことなんだけど」
「碇君が、何か?」
「気付いてないの? あの子、レイの事が好きなのよ」


 同時刻、学校。
「いかーりくーん!」
 きゃいきゃいとプールサイドからお声がかかって、碇シンジは顔を向けた。
(綾波……)
 プールに入るでもなく、隅に座っている少女が目に付いた。
(どうして僕じゃなくて、六分儀君なんだろう……)
 見た目も、何もかもが同じなのに。
(六分儀君、言ってた……、僕達は同じだって、環境が違えば性格も違って来る。ただそれだけの差なんだって、でも)
 現実に、今、自分は自分で、彼は彼なのだ。
(この間の作戦だって、六分儀君が立てたって話しだし)
 実際には口出ししただけなのだが。
(だったら、僕じゃなくて彼が出てたら、もっと)
 もっとずっと上手くやっていたのかもしれない。
 右手を見る。
 使徒の下から引っ張り出してくれたのは零号機だった。強く握られた手の感触が、フィードバックによって残っていた。
(彼に出来ることは、僕にだって出来るはずなんだ)
「いっ、碇……」
 引きつった声に、へっと思う。
「君は……」
「すまんかったな、殴ってしもうて」
「え……」
「わしは……、その」
「いいよ、別に」
 少年は簡単に切って捨てた。
「別にっちゅうことは、ないやろ」
「いいんだ。そんなことはどうでも」
「そんなことやと!」
「トウジ! 熱くなってどうするんだよ!」
 碇シンジは呆れた目をして彼を見上げた。
「言ったでしょ? 君みたいにノーテンキにしてられる余裕、ないんだ」
「ほう! ほんならなに悩んどるんか言うてみぃ! ああ!?」
 少年は溜め息を吐いた。
 勝手に怒っていろと切り捨てて。
(綾波……)
 再び見上げる。しかしそこには、もう彼女の姿は見られなかった。


「これが……」
 その頃、戦略自衛隊、関東本部では。
「そう、陸上型軽巡洋艦トライデント、その壱番鑑ですよ」
 巨大なコンテナ倉庫の中はさらに地下が掘られていて、船にも見える巨大ロボットが建造されていた。
「じきに弐号機、参号機がロールアウトします」
「これを、わたしに?」
「そう、これらの総指揮をあなたにお願いしたい」
 ミサトは振り返って男を見た。
「でも良いの? このことが表沙汰になったら……」
「引き抜きはこの業界では良くあることですよ、それに」
「戦自を蔑ろにしているネルフへの意趣返し?」
「いいえ? 子供を戦場に送り出しているネルフに、正面切って抗議するだけの正論を吐くことが可能ですかね」
「どっちもどっちか……」
 確かに、ネルフの情報管制の一部には、チルドレンに対する人権問題もからんでいるのだ。
「ま、我々も同輩である事には違いありませんがね」
「え……」
「大佐! 霧島、リー、浅利訓練生参りました」
「ご苦労」
 大佐だったのか、とはミサトの内心の驚きだ。
「彼らがこれのパイロットに当たる」
「そうですか」
(ここでも、子供が)
 一人の少女と二人の男子、年齢はシンジと同じに思えた。
「ただ。霧島君は身体に不備が見られるため、別作戦に従事してもらう予定になっていますがね」
「別作戦?」
「エヴァのパイロットの監視と、情報収集ですよ」
(場合によっては、拉致監禁ってことね)
 心の内で溜め息を吐いて、ミサトはせいぜいエヴァの機密について漏らす事を決めた。
 システム上、その精神状態が大きくシンクロに影響を及ぼす、誘拐による洗脳、脅迫の類は下手をすれば起動そのものを危うくすること、また、チルドレンには替えが利かない事を含めてだ。
 使徒に対して現行兵器で唯一有効なのがエヴァである以上、それでチルドレンの安全は保証されるだろう、とりあえずは。
 また、ここで自分が働く事で、使徒に対して有効な攻撃策を見いだせたなら、自然と彼らの価値も下がるだろう。
 ミサトはどこか心の中で、罪悪感を消すためにそんな贖罪を言い訳として用意した。


「でもさぁ」
 委員長として名高い洞木ヒカリであるが、それでも学校帰りにアイスショップへ寄るくらいの付き合いの良さは持っていた。
「碇君って、結構男子に嫌われてない?」
 そんな友達の声に、彼女はチョコミントをペロリと舐めた。
「鈴原が突っかかってるからでしょ? 最初の時にあいつの妹が逃げ込んだシェルターが被害にあったらしいから」
「でもあの時ってさ、引っ込むビル? あそこに逃げ込んだ人なんてかなり全滅って感じだったじゃない?」
「ビルごとジオフロントに落ちたらしいもんねぇ」
 どれ程報道管制を引こうとも、やはり漏れるものは漏れるらしい。
「うちの親戚も、実はねぇ」
「あ、あたし、小学校の時同じクラスだった子のお父さん、死んじゃったみたい」
「う〜ん、だからってさぁ、碇君恨むってのもチョットねぇ」
「そうよねぇ」
 ふと、三人の少女は前から歩いて来る少年に気が付いた。
 碇シンジ……、に見えるのだが、学校とは余りに雰囲気が違い過ぎるように感じられた、ほとんど別人だった。
 背を真っ直ぐに伸ばし、鼻歌でも歌っていそうな雰囲気で歩いて来る。少し長めの髪を無造作に乱して、黒いアンダーシャツに黒いズボン、黒い運動靴と言った出で立ちをしていた。
「碇……、?」
 違うんじゃない? と思った洞木ヒカリであったが、判断がつきかねたので口にはしなかった。
「え……」
 戸惑いの顔。
「えっと……」
「あーっ、ひっどい、同じクラスの」
「ああ……、勘違いしてるよ、多分ね?」
 彼は苦笑交じりに告げた。
「碇君と同じ学校の子だよね? 始めまして、僕、六分儀って言うんだ。碇君の双子の兄弟だよ」
「えー! 碇君、双子のお兄さんなんて居たんだ!」
「お兄さんかどうかは、分かんないけどね」
「えっ、でもなんかお兄さんって感じがする……」
「そっかな?」
「お兄さん、名前、なんて言うんですか?」
「僕も、シンジって言うんだ」
「兄弟で同じ?」
「名字が違うでしょ? いろいろややこしいんだよね」
 もう、っと少女達は肘で突き合って責任を押し付け合った。
「あの……、じゃあ、六分儀君もロボットの?」
「パイロットだよ? 一応ね」
「やっぱり!」
「と言ってもろくなもんじゃないけどね、やられてばかりで」
 ピピッと音が鳴った。
「あ、ちょっとごめん……」
 端のガードレールに腰かけて、後ろポケットをまさぐり、銃のようなものを取り出す。
「なんですか? それ」
「注射だよ」
 腕に押し付けて引き金を引く。
 ブシュッと音。
「あれにやられちゃってね」
 少年はまだ解体工事中の使徒を見上げた。
「その時に一度心臓が止まって……、後遺症でね、暫く薬で抑えていれば治るらしいんだけど」
「危ないんですね……」
「そりゃ危ないよ」
 軽い調子で彼は言う。
「あそこのビル、溶けてるでしょう? あんなので攻撃されるんだから」
 実際、ATフィールドを持つエヴァには物理的な装甲が必要な訳ではない、それでも過剰とも思える装備を行ってくれていた事が幸いしているのだから、全くの無駄と言う訳でも無かった。
「六分儀君?」
 何気にポケットから例の包みを取り出し、口に放り込んだシンジを見咎めるように、綾波レイが通りがかった。
「やあ」
「今の……」
「これ? あの飴だけど」
 お尻をはたきつつ立ち上がる。と、間近にレイが迫って来ていた。
「え……、?」
 問答無用だった。逃げられないようにシンジの料頬をがっちりと手で挟んで口を合わせた。
 無理矢理舌を差し込んで、くるりと飴玉を拐っていく。
「甘い……」
「何するんだよ、もう……」
 幸せそうなレイの様子に少年は顔をしかめて口を手で拭った。
 ころりと音、シンジの口に入ったものは、今はレイの左頬を膨らませていた。
 貰うものを貰って満足したのか、去っていく。
「なに考えてんだろ、ねぇ?」
「あ、ああっ、うん……」
 仰天し、目を丸くしていた少女達も再起動した。
「生で見ちゃった。キスするの……」
「それも綾波さんの……」
 ちょっとぽうっとしている。
「六分儀君って、綾波さんと付き合ってるの?」
「どうかな? 友達になって欲しいって頼んだけど、断られちゃったしね」
「え!?」
「さっきの飴、あれが気に入ってるみたいでね、それだけだと思うけどな」
 あんまり寂しげな様子だったので、多分、本当にそうなのだろうと、少女達は思い込んだ。


続く


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