『船旅は思ったより快適ですがね、こいつの移送は危険だと最後まで反対されましてね、幾つか嫌がらせを受けましたよ』
「子供のダダに過ぎん、玩具を取り上げられたくないと喚いているだけだ」
『これ以上のドイツでの研究は危険ですからね』
「そうだ。後は本部で引き継ぐ、何も問題は無い」
『問題と言えば、洋上での起動はエヴァの情報を漏らす事になると釘をさされましたが、解決済みで?』
「そうだ。その問題は既に委員会に話は付けてある」
『注文の品は?』
「荷物は既に佐世保を出向し、今は太平洋上だ」
One Day : 8
フィリピンを経由して横浜へと向かう太平洋上のルート、その中間地点を飛ぶヘリの中で六分儀シンジは暇を持て余していた。
「日向さんも大変ですね」
「まあね、ま、葛城さんが戻って来るまでの辛抱さ」
(戻って来るのかなぁ……)
リツコ経由で、今どうしているのかは知らされていた。
(父さんは放っておくつもりみたいだけど)
そこには良い撹乱になるとの考えもあるのだが、シンジがそこまで思い至ることは無かった。
「見えたよ、あれだ」
「太平洋艦隊って奴ですね」
「ああ、セカンドチルドレン様、御一行だよ」
そんなヘリを見上げるように、船の甲板に袖まくりTシャツにジーンズと言うラフな恰好をした、サングラスで顔を隠した赤い髪の少女が立っていた。
着艦するヘリを海兵隊の面々は整列して出迎えた。
列の向こうに二人の少女が待ちわびていた。
二人揃って髪は赤い、肌の色も同じなのだが、ややサングラスを掛けている少女の方が背が高いだろうか?
日向に続いてシンジは歩いた、その先に居る少女達をじっと見て。
「どうも、セカンドチルドレンだね?」
「そうよ、で、そっちが?」
「いいえ」
すっと二人を残して彼女は歩いた。
袖をまくった右腕には、真っ直ぐに張り合わせたような痕が残されていた、白い肌にその赤みは威圧感として感じられる。
「あんたはサードじゃない、そうでしょう?」
シンジはコクリと頷いた。
「シンジ……、で良いの?」
「六分儀シンジ」
あっと驚きの声が上げられた。
惣流・アスカ・ラングレー。
セカンドチルドレンを名乗る少女は、その光景に唖然とした。
自分とそっくりでありながら、傷だらけで、見目を引く奇麗さよりも、惹きつけるような精悍さを湛えた『姉』。
自分でさえ恐くて触れられない姉の右腕に無造作に手を触れて、事もあろうにその少年姉の唇を奪ったのだ。
姉の目を丸くしている様子が見なくても分かる。それは当初、彼女をからかっていた海兵隊の隊員も同じだったのだろう、誰しもが次の瞬間、彼の冥福を祈ろうとした、しかし。
「んっ……」
くんっと、彼女の頭が動いた、押し付けられた唇を押し返すように、そして舌を差し入れたのが分かった。短い接触ではあったのだが。
この艦において最も強く、もっとも気高く、最も気難しい少女が、このような所業を受け入れたのだ。
それは在る意味、恐怖に近かった。
理解できなかった。
「ふっ……、相変わらず甘えてるわね、あんた」
「ずっと……、我慢してたんだ」
「あいつはどうしたの?」
「……」
「まったく!」
シンジの首に腕を絡めて、少女は引きずるように回して見せた。
背後の日向に向かい直る。
「セカンドチルドレンの世話役をしています、アスカ・ツェッペリンです」
「あ、ああ、日向マコト、ネルフで作戦部課長代行をしているんだ。よろしくお願いするよ」
「じゃあ、艦橋に案内しますね」
ヘッドロックを掛けたまま引っ張ろうとする。
「ちょっと、シュヴェスター! あたし、姉さんに恋人が居るなんて話、聞いた事無いんだけど?」
「当たり前よ、彼氏じゃないもん」
追いすがった妹にあっさりと言う。
「……」
「なに?」
「キスしたくせに」
ぷっとアスカは吹き出した。
「なによ!」
「あんたは、可愛いわね、ホントに」
「なによぉ……」
頭をくしゃりとやられて頬を膨らませる。
「子供扱いするのはやめてよ!」
「反発するのはね、子供だって劣等感があるからよ」
「ふんだ!」
完全に拗ねた少女の瞳は、ようやく逃げたシンジを鋭く睨み付けていた。
「で、どうだった? 六分儀シンジ君は」
「さいってー! 変に暗いし、顔色窺っちゃってさ、なぁんで姉さん、あんなのに優しくするんだか」
「ふうん」
無精髭に尻尾髪の男は面白げに笑った。
「つまり、愛しのお姉さんが取られそうで嫌なわけだ」
「加持さん!」
おおっとと苦笑する。
「それでも彼のシンクロ率は、初の搭乗時から八十を越えていたと言うぞ?」
「嘘!?」
一方、二人が居るのとは艦橋を挟み込んだ逆側に、シンジとアスカは佇んでいた。
「何してた?」
「色々とね……」
シンジは柵に頬杖をつき、アスカは柵にもたれ掛かって、一人は海を、あるいは空を眺めていた。
「色々とうろついたけど、ママのお墓に行った時にお婆様に見つかってね、後は済し崩しよ」
「いつの、こっちに?」
「三年前」
「それにしては変わってないね」
「共振作用って奴よ、形状はこの時間軸のあたしに引きずられるもの」
「そうなの?」
「あんたとは違うって事よ」
「そっか……」
ちょっとした間が開く、それを嫌ったのはアスカだった。
「あんたは?」
「アスカを探しに行こうと思ったんだけどね、『自分』があんまり情けなくて、我慢できなくてさ」
「へぇ?」
「なんだよ?」
「変わったんだ。やっぱり」
「そっかな?」
「仕方が無いとか、関係無いって思わないって事は、変わったんでしょ? 少なくとも我慢できないなんて言葉、あんただったら絶対に言わなかった言葉よ?」
「そっか……」
シンジはアスカから視線を外した。
「でもね、やっぱり恐いんだ。邪魔だ。鬱陶しいって言われそうで、上手く付き合っていけないんだよ」
「けどねぇ……、あたしは駄目よ? 結構あの子に好かれちゃってるし、あんたにべったりされると、同じ苦しみを味合わせるような事になっちゃうから」
「……」
「我慢する。とか言わないんだ?」
「無理だよ、僕にはね」
「だったら機嫌くらい取って来るのね」
体を起こす。
「アスカ! そこに隠れてるんでしょ? こっちに来なさい」
慌てて隠れたために髪が流れて見えた。
(頭隠して尻尾隠さず……、違うか)
「シンジに弐号機、見せてあげたら?」
おずおずと顔を出した少女は、二人を見比べた後で、ふんっと歩き出して言い放った。
「こっちに来なさいよ!」
エヴァンゲリオン弐号機。
その最後の様を思い出せば、余りにも凄惨で心が辛い。
最後の罪として思い出せるのもこれだった。アスカを探して食われる弐号機を見て心が弾けた。
(あの時のことで、はっきりと覚えてるのってそれだけなんだよな……)
その前は自棄になっていたし、後はもう自己批判と恐怖で……。
共通して、ずっと取り乱していただけだった。
「これが実戦用に作られた世界初の本物のエヴァンゲリオン! 所詮本部にあるのはプロトタイプとテストタイプ、シンクロ率の高さに比べてろくな戦闘結果を得られてないのがその良い証拠よ!」
寝そべっているエヴァの頭の上に仁王立ち。
「不自然なくらい高いシンクロ率が弾き出されるのもシステムの違いのせいよ! あたしの弐号機ならジオフロントに侵入させることも無かったし、使徒にやられることも無かったわ!」
そして来た水中衝撃波。
「爆発?」
降りようとした少女にシンジは叫んだ。
「君はそのままプラグに入って!」
「え!?」
「プラグスーツ無しでもシンクロは出来る。何が起こってるかは通信で確かめて」
「ちょっと! あんたはどうするの!」
「こっちはこっちで逃げるから!」
「分かったわ!」
彼女が収容される前にシンジは甲板に駆け出していた。
「やっぱり来たのか、使徒……」
がくんと揺れる。立ち上がるエヴァに輸送用タンカーは大きく傾いだ。
使徒の動きが変わった。突っ込んで来る。激突、空を飛ぶエヴァ、シンジは宙を舞うように、残骸と共に波間に投げ出された。
一方で、少女だ。
「姉さん! お姉ちゃん! あいつが!」
『どうしたの?』
「あの船に居たの、あいつ!」
しかし姉の言葉は冷たかった。
『いいから、あなたは使徒を倒しなさい』
「でも!」
『使徒を倒さなきゃ救助活動に入れないの、早く!』
くっと顎を引いて、エヴァを一時的に着地した巡洋艦から飛び立たせた。
跳躍ではない、両手両足を揃えて、まさに飛翔して見せた。
海面に姿を見せる使徒、ロケットのように弐号機を向ける。右武器庫開口、ニードル発射、傷みにもがいて口を開いた所に。
ゴウン!
突貫、弐号機は内部電源が切れる前に、見事に使徒を殲滅せしめた。
そして、シンジは。
「使徒殲滅、あの飛び方、アスカが教えたんだろうな」
爆発による波を受けてシンジはちゃぷんと海面下に沈んだ。
透明度が高くて、遠くの、四散し、沈む使徒の肉片が良く見えた。
シンジは両腕を体に添えると、人にあり得ない速度で泳ぎ出した。
身をくねらせるように、足をばたつかせただけでだ。
(お土産、ちゃんと持って帰らないと綾波が恐いしね)
予想以上の綾波レイの大胆な変化に、ちょっと引いてしまっていたシンジであった。
続く
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