「海上での使徒襲来、これも予想通りですか?」
 加持の言葉に総司令は答えない。
「やはり、これが原因ですか?」
 開けられるトランクケース。
「硬化ベークライトで固めてありますが、生きてます、人類補完計画の要」
「ああ、最初の人間、アダムだよ」

One Day : 9

『本日午前十時五十八分二十秒、二体に分離した目標の攻撃を受け、初号機、弐号機共に活動を停止、零号機により回収、この状況に対するE計画責任者のコメント』
『無様ね』
「もう! あんたがボケボケッとしてるから、せっかくのデビュー戦がメチャメチャになっちゃたじゃない!」
「なに言ってんだよ! 惣流が間抜けな事しただけじゃないか!」
「何よあれ、山ん中で逆さになっちゃってさ、ダサぁ」
 ブリーフィングルームは子供の喧嘩の場と化していた。
 ぼんやりと見ているのはアスカだ。その隣でシンジは苦笑していた。
「駄目だったね」
「ええ……、気を抜くなってあれだけ教えたのに」
 歯痒そうにアスカは歯を噛み締めた、サングラスの奥に鋭い目を見る。
「初号機と弐号機の損傷が少なくて良かったよ」
「ええ」
『フィードバックにより気絶したパイロットを予備パイロットに変更、再度進攻』
 画面の中の赤と紫のエヴァは、揃えたように両手両足を動かして駆け出した。
『目標、甲、乙に対して同時過重攻撃を敢行』
 拳が二体に分かれた使徒のコアをそれぞれに砕く。
『使徒殲滅を確認』
 室内に明かりが灯された。
「見事なものだ」
 冬月は深い溜め息を吐いた、六分儀シンジ、それにアスカ・ツェッペリンの身元は表立って確認されていない。
 セカンドインパクトの動乱期が横たわっているために、何処で生まれたか調べようの無い子供などごまんと居る。二人の身元が元々無いのか、それとも抹消されたのか。
 判別のしようなど無い、正し、それを真に受けることは出来ないのだが。
(コアの書き換えも無しにエヴァとシンクロし、その精神波長から遺伝子に至るまで同一とはな)
 セカンドチルドレンの父親は不明である。これは母親が精子バンクを利用したためだ。ならば顔の似た少女が他に居たとしてもおかしくはない、しかし。
 遺伝形質が全く同じと言う事の説明としては不足する。
「パイロット両名」
『はい!』
「君達の仕事は何だね?」
『エヴァの操縦』
「違う、使徒に勝つことだ。そのためには二人で協力し合って」
『何でこんな奴と!』
「もう良い……」
 頭痛を堪える冬月だ。
「……僕らってあんな風だったんだね」
「そうね、けど」
「なに?」
「あれは八つ当たりね」
「八つ当たり?」
「そうよ、あんたにそっくりなサードが気に入らないんでしょ」
 そっか……、とシンジは天井を仰いだ。


「なんで惣流さんって、あんなに怒るんだろ?」
 碇シンジはエレベーターの中、綾波レイを相手に愚痴っていた。
「僕のことが嫌いなのかな?」
 肩越しにちらりと様子を窺う。
「ねぇ、綾波はどう思う?」
 レイはころりと、飴を鳴らして顔を上げた。
「わからない」
「そうだよね……」
「でもあの人はあなたが嫌いなんじゃないわ」
「え……」
「嫌ってるのは、六分儀君よ」


「ネルフもけち臭いんだから、もっとまともな車、貸してくれれば良いのに」
「ジオフロントの中に限って許可ってのも、なんだかね」
 アスカが運転しているのはネルフが所有している赤い偽装車だ。
 助手席には窓を開けっ放しにしてシンジが頬杖を突いていた。
 後部座席で不満気に頬を膨らませているのは惣流アスカだ。
「やっぱりここは寒いね」
「だったら閉めなさいよ、窓!」
 ちらりと向けられた視線に少女は不快を感じた。
「なによ!」
「サングラス」
「ああ、あのことね」
 笑ったのはアスカであった。
 車を借りようとしてからかわれた、その時、調子に乗ってサングラスを外せと奪われたのだ。
 無理矢理に奪った男はその下の傷に顔をしかめた、気持ちが悪いと露骨にだ。
 これに怒ったのはアスカでは無く、もう一人のアスカであった。姉として慕っていた人物に対する乱暴な振る舞いに腹を立てたのだ。
 不意をついた一撃、少女の蹴りは見事延髄に入って男を昏倒させた、くるりと白目を剥いて男は崩れ落ち、動かなくなった。
 アスカは……、黙って、男が取り落としたサングラスを拾い掛け直した。
 それだけだった。
「今更気にするような事じゃないんだけどね……」
「君はアスカが好きなんだね」
「呼び捨てにするんじゃないわよ!」
 押し殺しに失敗した笑い声。
「姉さん!」
「ごめん、でもね、理想なんでしょう? アスカにとってあたしは」
「……」
「ま、あたし自身、なりたかった自分に近付いてるって手応え感じてるから、憧れるのは分かるけど」
「そうなんだ」
「むぅ」
 どうしてか分かり合っている二人に不満が募る。
 三年前から一緒に暮らす様になった。寝る時も、起きている時もだ。
 自分よりも一歩だけ頭が良く、二歩以上に強く、そしてそれ以上に大人な姉は良い目標だった。
 本当の大人以上に大人びて、落ち着き、常に慌てず、整然と構え、対処する。
 生意気と言われた事も、それ以上に蔑まれた事も多々あった。しかし、それらの事が姉の痛点を突いたことは一度も無かった。
 そう。
 姉は常に泰然としていて、その心も、物腰も、誰も揺らがせることはできなかった。
 他人の目など気にせず、自分に絶対の自信を持ち、こうしていること。
 それがどれだけ人目を惹き付けるのか?
 まさしく指針である。
 それも生きた、なのに。
「あんた姉さんとどういう関係なのよ」
 ちらりと、言っていいのかと確認する目がまた癇に触った。
「姉さんに聞いてんじゃない! あんたに聞いてんのよ!」
「一番弟子、かな、一応」
「一番はあたしよ!」
「それはあんたの思い込み」
「姉さん!」
「一番弟子は間違いなくシンジよ、それもあたしなんて手が届かないほど強いわ」
「そんな……、姉さんが?」
「そう、シンジは力を手に入れた、でも意味が見付けられなくて使おうとしなかった。だからあたしが教えてやったのよ、使い道をね、だからアタシとシンジは師弟関係って言うより教師と生徒ってとこかな」
「生き方まで習ったからね」
「その割りに全然変わってないじゃない」
「変われないよ、僕にはまだ。アスカが必要なんだ」
「そ」
 後ろの座席のアスカはその台詞に顔を赤らめてしまっていた。
(それって)
 愛の告白、そのものだ。
 羨望と憧れを感じてしまった。そんな風に言ってくれる人がいたならば?
 何がいけないのだろうかと思う。
 何が違うのだろうかと思う。
 姉と自分とには明確な差がある。目と腕の傷だ。
 誰もが顔をしかめる。少し痩せ気味の頬は精悍さと同時に殺伐とした雰囲気も醸し出している。
 考えてはいけない事だが考えてしまった。
 女性としては、自分が上だ。
 だが全てを纏めて並び立った時、間違いなく自分を選んでくれるのは馬鹿な男共で、審美眼のある男性は彼女を選ぶ。
 この差はなんなのか?
 姉はどうして教えてくれないのだろうか?
(違う)
 少女は自分を卑しめるのをやめた、教えてくれないのではない、聞かなかったから教えては貰えなかったのだ。
 その絶対的な差を構成している物が、もし自分にとって絶対に手の届かない部位から来ているものだったとしたら?
 それは決定的な差となってしまうから。
(臆病者!)
 自分を叱咤して、少年を睨み付ける。
 しかし少年の方が大人であった。
「……認めたくないからって噛み付くのは逃げるのと同じことだよ」
「誰が!」
「他人を認められない人間は、永久に逃避し続けるしか無いわ」
「姉さん……」
「あたしは、そうして壊れたのよ」
 何のことだか分からない、と。
 少女はぐっと、喉を詰まらせた。


続く


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