「馬鹿、無理しちゃって」
 先日、浅間山火口内深々度にて使徒が発見された。
 弐号機による回収が目論まれたものの失敗、作戦は殲滅に変更され、これは見事果たされていた。
「何やってんのよ?」
 技術部の片隅にある廃棄部品集積所。
 処分が決定したプログナイフに手を這わせて、シンジが怪しい事をやっていた。
「これを、ね」
 撫でるようにさすると、赤い糸がしゅるしゅるとナイフから剥がれ出した、くるりと手首で巻き取るシンジ。
「何それ?」
「使徒の染色体」
「そんなのどうすんの」
「こうして、ね」
 手でこねると、だんだん小さく固まって飴玉になった。
「ね?」
 得意げに見せる。
「それって、あいつがいつも舐めてる奴?」
「そう」
「なんでそんなの」
「深い意味は無いよ、最初は怪我が酷そうだったから、後は何となく」
「怪我が治るの?」
「治るよ? それに体質も変わって来ると思う」
「体質?」
「酢を呑むと体が柔らかくなるって言うでしょ? 髪とか皮膚だって酢入りの水で洗ってると変化して来る。食べ物でもそうだ。肉専門の人とベジタリアンとじゃ体の中でのビタミンの生成方法が違って来る。生まれた時は同じなのにね」
「環境への適応とか、そう言う話?」
「そ、綾波もこれを舐めてれば体の不都合は全部治ってくよ、治り過ぎた後が恐いけどね」
「……S機関搭載型綾波レイってわけね、どうすんのよ、そんなの作って」
「さあ? アスカ探しを協力してやるから、綾波を父さんから取り上げてくれってリツコさんに頼まれたんだ」
「あたし、もうここに居るじゃない」
「でも途中でやめるのも何だからね、リツコさんからは面白い話が聞けたよ」
「なによ?」
「綾波の髪、根元の方が黒くなってるんだって、メラニン色素も濃くなって来てるって言ってた」
「もうちょっとってわけね?」
「うん、父さんには内緒、リツコさんにもネタバラシまではしてないよ」
「当然ね」
「それで、今回は駄目かと思ってたんだけどね、ナイフをコアに突き立ててくれてて助かったよ」
「そうそう、あの子ちょっとはあっちのシンジを見直したってよ?」
「そりゃあマグマの中に飛び込んで助けたんだから、ちょっとぐらい見直してくれないとね?」
「見直して欲しかったの?」
「何が?」
「あんたは」
「……さあ、どうだったかな」
 シンジは包み紙に飴をくるんだ。
「忘れたよ」
One Day : 10

 惣流・アスカ・ラングレーはこの頃おかしかった。
 行きたくもない中学校に押し込まれた、そこには無愛想なのと面白くない奴が居た。
 その内の、サードチルドレンとの関係が好転したのは先の使徒戦後のことであった。
「シンジ、居るんでしょ?」
 特別に許された温泉地での滞在、垣根越しの会話。
「あんた、なんであんなことしたのよ?」
「あんなことって?」
「下手すりゃ二人とも死ぬところだったのよ?」
 そうだ。自分に出来ただろうか? そんな無謀な真似が。
「……助けなくちゃいけないって思ったから」
「はぁ?」
「六分儀君ならきっとそうする」
「あいつ、か……」
「負けたくないんだ……」
 ぐっと歯を噛み締めた言葉が重かった。
(あたしと同じ、か……)
 そして今は、ぼうっと少年を眺めやっていた、頬杖をついて。
(あそこであたしが地上待機だったらきっと飛び込んだりはしなかった。ううん、飛び込めなかった。だって)
 理路整然とした言い訳が脳裏を過るから。
(命令違反とか、エヴァを二機も損失する可能性とか、頭で先に考えてて動けなかった。きっと)
 だが碇シンジは感情で行動した。
(それが正しいとか、間違ってるとかじゃなくて、助けなきゃいけないと思ったから助けてくれた?)
 思い出す戒め。
『認めたくないからって噛み付くのは逃げるのと同じことだよ』
『他人を認められない人間は、永久に逃避し続けるしか無いわ』
(あたしは……、あの瞬間、諦めてた)
 溶岩の中、回収用のワイヤーが切れていく音に脅えていた。
 誰も助けてはくれないと悲観していた。
(信じてなかった。誰も)
 姉にさえ助けてと縋らなかった。
 そのことから、経験から、ほんのちょっとだけ見えた気がしていた、何が姉達と違うのか。
 自分が身に付けていない物、それは覚悟だった。どんな状況に陥ったとしても態度や姿勢を一貫して貫き通せるだけの強い思い込み。
 どれだけの心掛けを普段から心に強いているか。
 その一端を少年に見た気がした……、しかし未だそれは言葉に言い表せるほどのものとして浮上してはいなかった。
 だから、少女は少年を眺め続けていた、そんな折り。
「霧島、マナです」
 転校生が、やって来た。


「霧島マナはスパイよ!」
 力説に少年は噛み付いた。
「そんなわけないだろう!」
 シンジとアスカは目配せを行う。
「ま、良いんじゃないの? 引っ掛かったんなら碇君の責任って事で」
「姉さん……」
「スパイか、ただの積極的な子かなんてまだ分かんないんでしょ? だって外じゃエヴァは有名だもの、そのパイロットなんだから、ま、ヒーロー気分でサービスするぐらい良いんじゃないの?」
「ヒーロー気分ですか」
「君を好きだって言ってくれるなら問題無いさ、でもエヴァのパイロットだから気になるって言うのなら、碇君でなくても良い、そう言う事だろ?」
「六分儀君……」
「本当に好きなのか、それとも演技してるのか、興味があるだけなら演技と同じさ、本気じゃないって点でね? だからきっと、碇君がエヴァから降ろされたら、もう興味を示してもらえないだろうね」
 この言葉は少女にも動揺をもたらしたようで。
「べ、別にそこまでは言ってないじゃない!」
 護魔化すために、彼女は叫んだ。


 少年の心にしこりが生まれた。
 それは日増しに大きくなる。
 今、彼は兄または弟と暮らしていた、仮の保護者が失踪したためである。
 一方で姉と呼ばれているアスカだ。
「面倒だし、シンジん家でいいわ」
 まさしく転がり込む、と言った体だった。これに動揺した少女は。
「姉さんを守るためよ!」
 と兄弟に噛みついてやはり同居している。
 表札になんと書くかで悩んだ兄弟が、『駆け込み寺(チルドレン専用)』と書いたことは絶対の秘密になっていた。
 どうやら女の子二人は漢字が読めないらしい、最初は教えてやる義理なんて無い! と意固地になっていた碇シンジであったが、今ではすっかり「今更教えたら殺されそうだしな」と意識の外に放り出してしまっていた。
 惣流アスカはまだ良い、もう一人の自分に剣呑な目を向けているから。
 だが問題は……。
「あ、お帰り、早かったのね」
「あ、あの……」
「ああ、バスお湯入ったままだから、どうぞ?」
 そう言ってガシガシと頭を拭きながら行ってしまう、意識されていないのだろう、放り出されたままの胸が揺れていた。
 下着は味気ないパンツのみ、それも小学生が履くような厚手のものだった。
 とりあえず狭い部屋だ。顔を会わせるのが恐くなって、言われたままにバスルームに逃げ込んだ。
「何やってるんだよ、僕は」
 服を脱ぎつつ、突っ張った股間に嫌悪を抱く。
(六分儀君はああ言ってたけど)
 それは逆かもしれない、と感じ出していた。
(憧れてるのは僕だ。六分儀君とアスカさんの関係に)
 匂い、とでも言うのだろうか?
 遥かに強く感じる兄弟に、自分と同じ物が見え隠れしていると感じられた。
 それは甘えだ。アスカ・ツェッペリンに六分儀シンジは甘えている。また、その甘えは許容されている。
(好きなんだ……、好きなんだと思う、でも)
 霧島マナは自分を甘えさせてくれるだろうかと、彼らに自分達を重ねてしまう。
 それがまた虚しい事だから、逃避するためにも焦ってしまって……。
 ポケットから携帯電話を取り出す。
 彼はデートの約束に、うんと返事をする事に決めてしまった。


続く


[BACK] [TOP] [NEXT]