何故こうなったのかと言えば簡単な事だった。
 アスカはシンジに復讐を誓っていた。
 だから『あの後』、ドイツに帰ってその機会を待った。
 再びの来日、その時には技術部に転属していた、支部と本部の技術交換と言う名目でエヴァのシンクロ実験に参加した。
 碇シンジのエントリープラグに細工を施し、事故に見せ掛けて殺してしまおうと企んだ。これはドイツ支部も承知の作戦であった。
 しかし、失敗した。
 だから、ここに居る。
「アスカ……」
「……」
 葛城ミサトは嘆息した、拘束椅子に両手両足を束縛された痛ましい少女の嘲る顔に。
「シンジ君が会いたいって言ってるの」
 その瞬間アスカが思い浮かべたシンジは、きっと「アスカ、どうして」とおろおろと、嘘だと言ってくれとうろたえているだけの姿をしていたのだろう。
 だから愉悦を浮かべた、それこそが見たかった姿だから。
 闇に浮かび上がったシンジに吐き捨てる。
「あんた言ったわね? 許してくれたんだね? 許すわけないでしょうが! 何勝手なこと言ってんのよ! 自分の中で勝手に折り合い付けて、全て丸く納まったなんて思い込んで! あたしは今でも!」
 はっとする。
 シンジの目が違っていたからだ。想像と。
「残念だよ」
 シンジが手にしている物に気が付いてしまった。
「ちょ、なによそれ! 何する気よ!」
 銃のようなもの、それは注射器。
「自白剤だよ」
「!?」
「拷問とか、そんな手間かけてる暇は無いからね」
 思い出した、シンジの目は。
 彼の父親にそっくりだった。
「大丈夫、安心してよ、アスカの願いは叶えてあげるから、僕に対する気持ち、恨みとか、全部話してくれていいよ、聞いてあげる。ただそのついでに他のことも全部喋ってもらうけどね? そう、アスカとドイツ支部との関係から、一回のトイレで紙を何センチに切って使ってるか、全部ね」
「や、やめてっ、やめて!」
「だめだよ」
 愉悦を浮かべているのは彼だった。
「そうでなきゃ、アスカの身代わりを作れないじゃないか、アスカがいなくなったらみんなおかしいって思うからね、整形手術だけじゃバレちゃうし、マギのCGで会話させててもボロが出ちゃうよ、アスカのクローンを作って記憶を植え付けるにしたって、基本になる情報は必要だ」
 クローン。
 その言葉が嫌な事を思い出させる。
「アスカなんていらない、アスカの人形で十分だよ、そう」
 ──君なんて人形と等価値さ。
「やめてぇ!」
 アスカは絶叫して起き上がった。
 部屋は暗く静まり返っていた。
 はぁはぁ、ぜぇぜぇと荒く息を吐く、動悸激しく、薄いシャツの下で胸が上下していた。
 夜。
 恐ろしさの余り緊張した胸は膨張し、先端が尖っていた、モスグリーンのシャツが汗を吸って黒く変色して行く。
「う〜ん……」
 隣で寝ている『自分』に気が付く、うざったく髪を掻き上げる。
 幸せそうなその寝顔の裏にある評価。
 人形と等価値。
 ここに居る自分は何なのだろうか? シンジの作り出した人形なのだろうか?
 頼りない話、終末を確かに乗り切ったのだと証明してくれるものは、シンジの誠意、それだけなのだ。
 彼がもし、隣の子と同じ存在を作っただけだったとしたら?
 それがここに居る『存在』の『正体』だったのだとしたら?
「嫌な夢……」
 原因は分かっていた。
 霧島マナ。
 彼女がまたも、絡んで来たから。
 不安定になっているなと、自分でも感じていた。

One Day : 11

 例えそれが虚偽の姿であったとしても、人間性の一点において彼は彼女を信じていた。
 芦の湖、遊覧船の上。
 碇シンジは霧島マナに迫られていた。
「もっと聞きたいな、シンジくんのこと」
 栗色の髪は光に透けると良く知った少女と同じ色合いになる。
 それは金色。
「ロボットに乗るのって恐くない? 大きいんでしょ? ロボット、そんなの動かせるなんて凄いよねぇ、ねぇ? どんな風に動かすの?」
(どうして、こうなんだろう……)
 その時、彼が感じていたのは失望だった。
 こんなに空が奇麗で、風が気持ち良くて、白いワンピースを着た彼女は可愛いというのに。
「そんなに気になるの? エヴァのことが」
「え? うん、だってシンジくんが戦ってくれなかったら、みんな死んじゃうんだし……」
 シンジは苦笑した。
 あるいは自嘲だった。
 やはりかと言う思いでもあった。
「別に僕が戦わなくても、他の人が居るよ」
「え?」
「がっかりした? 別にエヴァのパイロットって言ったって、僕だけじゃないんだ」
「あ、ごめん……、何かまずかったかな?」
「さあ、ね……」
 だが言葉とは裏腹に落胆を垣間見せる。そのことが少女を軽く刺激した。
「ねぇ、シンジくんはどうしてロボットに?」
 ちらりと目を向けてから話し出す。
「父さんに呼ばれたから」
「お父さん?」
「うん……、ここに来る前は東京に住んでたんだ」
「東京って、旧東京のこと?」
「そう、武蔵野にね」
「何してたの?」
「チェロをね、習ってた」
「弾けるんだ?」
「ちょっとはね……、でもあんまりやりたくは無かったな」
「どうして?」
「……勉強部屋を貰ったんだ。家の外に、庭に、プレハブの倉庫」
「え?」
「邪魔だから、目障りだから、面倒だから、隠れて話してるの良く聞いたよ、チェロもね、家に居られると鬱陶しいからって理由で、習いに行けって言われたんだ」
「シンジくん……」
「それぐらいのお金は父さんから貰ってるから気にしなくていいって言ってた、……勉強部屋は寒かったよ、壁が薄いから雨なんか降るとばんばん音が鳴るんだ。それがうるさくていつも耳にヘッドフォンを差してた、その頃からはもう、一緒にご飯も食べさせてもらえなかったよ、ご飯ですよってわざわざ持って来るんだ。わたし達と一緒じゃ気が詰まるでしょうってね」
「そんな」
「どうでもよかった。そう思ってなきゃやってられなかったからね、そうしてたら父さんから三年ぶりぐらいで連絡が来たんだ。ここに来いって」
「第三新東京市に?」
「そう……、それでこの街に向かってる途中に敵が来てね、死にそうになったよ、葛城ミサトさんって人が迎えに来て、ネルフに連れていかれたんだ」
 ミサト、の部分で思わず反応があったのだが少年は見逃した。
「どうしてこんな所にって思ってたら、エヴァに乗せるためだって言われたんだ。恐かった。どうなってるのか、なにがどうなってるのか誰も教えてくれないんだ。なのにあれに乗って戦えって言うんだよ、僕が乗らなきゃ、みんな死ぬって、脅された」
 少女は酷い、と呟こうとして口を噤んだ。
 理由があって。
「エヴァに乗ってるのなんてね……、霧島さん達が思ってるのとは違うんだよ、みんなを守るとかじゃないんだ。ただ。ここに来ていろんなことがあったんだ」
「色んな事?」
「そう……、前は違ったけど、今は負けたくないって思ってる」
「使徒に?」
 少女が使徒、とその呼称を用いた事にぴくんと反応してしまったが、なんとか押し隠した。
 普通の人は、使徒なんて固有名詞は使わない。
「……ここに居たいんだ。前に住んでた場所より居心地がいいから、だからここに居てもいいって価値が欲しいんだ。居させてもらえる理由が、今はエヴァしか無いけど」
 寂しく笑う。
「だけどそのエヴァも、僕よりずっとうまく扱える人が居るんだ。だから僕はまだ半分用無しなんだよね」
「そんなことない! あたしは、シンジくんのことっ」
 言葉は途中で遮られる。
 がくんと船が大きく揺れたからだ。
「なんだ!?」
 シンジは船が大きな機械人形によって左右から挟み込まれている事を知った。
 むりやり止められていた。
「なんだよ、これ!」
「そんな、どうして……」
『マナ!』
 スピーカーからの声。
『今だ! そいつを拘束しろ!』
「待って、ムサシ!」
『急げ! 使徒が来てる。チャンスは今しか、がっ!』
 ドォンと、ロボットの顎下に何かが突き刺さって爆発した。
「ロケットランチャー!?」
 マナは驚いてその発射元を探した、一段上の通路に誰かが居た。
 もう一発、もう一機に突き刺さって誘爆を招く。
 両機は弾薬の引火から下がった。炎で船を巻き込まないように。
「霧島さん……」
 シンジの押し殺した声に少女は焦って口にした。
「違う、違うの、シンジくん!」
 だがその言葉は白々し過ぎた、ロボットのパイロットの名を呼んでからでは……。
 シンジはくっと俯き、歯噛みすると街の方に目をやった。
 蜘蛛の足のような物が上下して歩いていくのがかすかに見えた。
「使徒、あれが……」
「そうよ」
「アスカさん!?」
 階段を降りて来たのはアスカであった。
 ロケットランチャーを捨てて、今はコルトパイソンを握っている。その銃口が狙っているのはもちろんマナだった。
「出来れば邪魔したくなかったんだけど」
「着けて来てたんですか?」
「悪く思わないでね」
「どうして……」
「あんたは知らないでしょうけどね、第三新東京市は今停電中なの」
「停電?」
「そうよ、第三新東京市はいつでもエヴァを動かせるように、ネルフ本部から電気を供給されているわ、それが止まってる。どういう事か分かる? あんたを誘拐するために戦自が仕組んだ罠よ」
「戦自が!?」
 少年は傍らの少女に目を剥いた、その正体に。
「霧島さん、君は……」
「ち、違うの、あたし、そんなの……」
「あんたの都合なんかどうだって良いわ、あたしは万が一の時の事を考えて、碇君を保護出来るように追いかけて来ただけ、ただの停電ならこのままデートを続けさせてあげるつもりだった。邪魔なんてしたくなかったから」
 でも、と吐き捨てる。
「それは来てしまったわ」
「使徒……」
「そうよ」
「でも電源が無くちゃ、エヴァは」
「ええ、だから今必死に方法を捜してるでしょうね、でもね? 最悪の場合は……」
 アスカはサングラスをずり下げて、威圧感のある片目を晒した。
「本部の自爆」
「え!?」
「本部に残された最低限の電力を用いて自爆するの、その威力は最低でも関東地方をえぐり取るでしょうね、数百万の人口が最初の爆発で、誘発された地震と火山活動で数千万人が犠牲になるわ、日本はもう終わりね」
 自分達がしたことの結果に少女は崩れ落ちた。
「あ、あた、し……」
「あんたがどういうつもりだったかなんて知らないわ、でもあんたが荷担した事の結果がこれよ、人にどれだけの負担を掛けたのか、思い知るのね」
 くいっと、銃口で来いと呼び掛ける。
「祈るのね、あたし達の選択が自爆で無い事を、行きましょう」
「はい」
「シンジくん、待って!」
 シンジは振り向かなかった。どのような結末であれ。
 恋はここで終わったのだから。


続く


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