「運が良かったって、言うべきなのかもね……」
 ミサトの言葉は、自分と共にお咎め無しとなった子供達に向けたものだった。
 三人の子供の視線はミサトの背中と、その向こうに並べられている愛機に向けられていた。
 マナ用の参番艦もロールアウトし、三機並べて駐機させられている。当初の予定では壱番艦に搭乗予定であったが、身体の都合により通信中継器兼指揮官機である特殊仕様艦をあてがわれていた。
 その巨体は広い厚木の米軍基地の航空機離発着場をほぼ占有してしまうことになっている。邪魔以外の何者でも無いのだが、米軍もこの戦自の独自開発した機体には関心が高いのだろう。
 さっそく技術的な調査が行われていた。
「面白くないのは分かるけど、抑えてね」
「はい……」
 奥歯に噛み締めて返事をしたのはマナだった。
 その声音は悔しげに聞こえるが実はそうではない。
(シンジ君……)
 あれ以来ずっと引っ掛かっていたのだ。
 彼の言う通り、確かにエヴァに頼らなければならない現状では無理に乗せることも必要なのかもしれない、だが、何故この人はここに居るのかと。
 面白くないのも、一番この状態を喜んでいるのも自分ではないのかと勘繰ってしまう。
 ネルフ、戦自、今度はUNと、まるで使徒と戦える場所に縋り付き、こだわっているように見えるのは果たして本当に勘違いであるのだろうか?
(それに、その手段を欲しがってるんじゃないの?)
 そんな疑惑が浮上していた、波間に浮き上がった泡のようには消せなかった。
 少年と少女の違いを上げるなら、少年は使徒と戦う事だけに括られている点に在るだろう、それ以上の責務は負わされていないのだ。
 一方、少女はもっと大きな範囲での就任を義務づけられていた、使徒などはその内の一つであるだけで、専門で対応に当たる事に必然性は感じられないのだ。
 なのに、この人は使徒と戦うことになるのだと勝手に決め付けている。
 それはおかしい、個人的な感情によって突出するこの上司は、どこか自分本位で疑わしかった。軍人である自分達は司令部の命令に服従することが絶対条件のはずだ。なのに勝手に敵を決めて戦おうとしている。
 それも、自分達を手駒として。
 そんな馬鹿な話があるのだろうか? 個人的な道具として占有を主張され、UN軍の中で浮いてしまってはいざと言う時に見殺しにされてしまう可能性がある。
 現行でトライデントを最も上手く操れるのが自分達である以上、エヴァ以前の迎撃要員として出撃を命令されることは確実だ。これは現状で最もスクランブル回数の多い仮想敵であるため仕方が無いとは言え、取り敢えず戦闘出撃回数が群を抜いて高くなるのは必然である。
 ならば、上との連携、信頼関係は独自にであっても取る必要があると、少女は現場の指揮担当を確認し、直属の上司のスタンドプレーを拒否する体制を整えておこうと、一人勝手に決めるのであった。

One Day : 15

(なんなんだよ!)
 そんな霧島マナが思いを馳せている碇シンジは、零号機と言う初めての機体の中でくさっていた。
 何もかもが気に食わないでいた。
 乗り慣れた初号機と違うこの感触。
 どこからかレイが見ているような視線を感じた。
 彼女の赤い目が視界の端にちらついて仕方が無いのだ。
 しかし実際には彼女はここには居ない、来ていない。
 初の機体交換実験、そう、今日この日、綾波レイは初号機とのシンクロ実験を行う予定であった。
 なのに綾波レイは姿を見せなかった。何故か?
(くそ!)
 毒づく、上に報告はしていないが知っている。いや、想像は付いていた。
(なんで何も言わないんだよ、なんで!)
 赤毛の少女に責任を転嫁する。彼女が告げ口してくれるだろうと逃げた結果がこれであった。
 レイが何処に行ったなんて知らないと、今更口に出来ないと嘘を吐くしかなかった。
 その後味の悪さも手伝っている。
 一方、そんな少年の毒気に当てられたのか、少女もまた苛立っていた。
(悪いのはあんたでしょうが)
 姉が居なくなってしまった。
 三年もの間支えとして来たものが無くなったのだ。不安定にもなるだろう。
(なんであたしのせいにされなきゃなんないのよ! このファザコンが)
 そんな二人に複雑な顔をする人間も居る。
「調子悪いですね、二人とも」
「そうね……」
 リツコであった。
(約束と言えば、約束通りだけど……)
 その影響は余りにも大き過ぎた。
(時期を考えて欲しかったって言うのは、贅沢なの?)
 パイロット二名のメンタル面での落ち込みようは普通ではなかった。
 一時は好調に伸びていたシンクロ率が、一気に下落、二十パーセント弱も変動したのだからこれは看過出来ない問題だろう。
 そして、レイだ。
(初号機との再シンクロの確認が出来ないんじゃ、あの計画、中断するしか無いわね)
 彼女の手にある資料には、ダミープラグとの文字が見えた。
 そこにはそのダミープラグと初号機の反応数値と、過去のレイと初号機の反応数値も比較資料として記載されている。
 今日はその資料の数値を更新するつもりだったのだろう、しかしレイが来ないのでは意味が無い。
 彼女はこれ以上の実験は意味がないなと、中断の意を助手に指示した。


「こんなとこに居たの?」
 赤い髪は夕日を孕んで風に膨らみ、金色の光をこぼしながらゆるやかに広がって大きくそよいだ。
 アスカである。
 場所は綾波レイの団地の最上階、屋上だ。
 ちなみにここに上る階段は無い、外壁に梯子が張り付けられているのでこれに手をかけるしかない。
 当然上る所は丸見えであるし、ここは綾波レイのための監視システムが働いている。
 うら寂れた場所に少女が住んでいる。それを目撃して不埒な真似を目論んだ者が数人から十数人、相応の処分が下されているのは裏の事実であった。
 彼らの内の何パーセントかは何処かの所属エージェントである。
 これの判別に時間を掛けるつもりはネルフには無かった。捕縛と同時に待機中のワンボックスカーで自白剤によるチェックを行っていた、予めマニュアル化されているチェック項目を投与後に淡々と質問して確認して行く。
 その結果は録音されてマギに回される事になる。犯罪者に対する人権を考慮していないが故に使用される薬は強力無比で、催眠効果も絶大であった。
 それはもう人格が崩壊するほどの負担を脳にかける。良くて廃人、悪くても死亡であるから、当人にとってはさほどの苦しみにはならないだろう。
 なにしろ、苦しんでいると自覚する事が出来ない状態に追いやられるのだから。
 そんな警備体制が敷かれているこのマンションである。
 なのに少女を護衛する人員、あるいはこの二人の行き先を追っている諜報部は気が付かないままで居た。
 アスカが見下ろした先では、レイが幸せそうに眠っていた。
 シンジの膝を借りて、体を丸めて。
 シンジはそんなレイの髪を、優しく、愛おしく撫で付けていた。
 慣れた手付きで。
「昔は、アスカの専用だったのにね」
「あたしの膝も、もうあんただけのモンじゃないわ」
「でも、『自分』用でしょう?」
「まあね」
 シンジの隣に腰を下ろす。
 ジーンズにタンクトップ、その上にジャケットを羽織っている。
 銃を隠すためだろう。
「アスカってさ」
「なに?」
「目はサングラスで隠すのに、どうして腕は隠さないの?」
 シンジの問いかけに、アスカは腕を撫でさすった。
「人を見極めるためよ」
 酷薄に笑う。
「この顔じゃあね、みんな目を逸らすから分かり辛くなるの、だからこれは見られたくないんじゃなくて、こっちに向かせるための道具なのよ」
「腕は?」
「これを見るとね、大抵同情心を剥き出しにするか、嫌悪するか、恐がるか……、反応が極端になるのよ」
「そうやって人格を判断してるんだ?」
「そう、だからあたしはあの子を嫌ってるの、あたしを馬鹿にしてるから」
 ん? っと思い当たらなくてシンジは悩んだ。
「あの子って、アスカのことなの?」
「そうよ」
 シンジの手を払って、代わりにレイの頭を撫でる。
 右腕で。
「自分に似た人間にこんな風に傷がある。それを見て嫌だって思って、自分はそんな傷が付かない様にって注意してる。それが傷のある奴を馬鹿にしてるのと同じだって事に気が付いてないのね」
「でも尊敬はしてるよ?」
「だったら追い詰めてやればいいわ、絶対言い返すために、あたしを傷つけるために、傷つくような事を探して、目か腕のことを口にするから」
「アスカ……」
「消さないでよ?」
 アスカはサングラスを外してシンジを睨んだ。
「あんたに消す力があるってこと、分かってるんだから」
「でも……」
「あたしはね、これがあたしに相応しいって思ってるのよ、こんなあたしにはね」
「……」
「あんたに世話してもらいながらずっと考えてた、あんたに世話を頼んで考える時間を作ったの、分かったことと言えば自分が嫌になるほど間抜けだったって事だけ、救い難いくらいにね」
「そう……」
「あんたを鍛える事で自分も鍛え直して少しは間抜けさも抜けたけど、それでも戒めは必要だと思う、でないとあんたに甘えちゃうから」
「僕に?」
「だってそうでしょう? 今のあんたには昔のあたしが……、ううん、あたしの根底にある。あたしが沈めた、封印した欲求とか欲望、全部満たして満足させられるだけのものがあるんだもの」
「そうだね」
「だからあたしは望まないの、自分でそれを満足させなきゃ何にも変われないって自覚したから、これはそのための決意の証拠よ」
「そっか……」
 んっと、レイが呻きを発した。
「ごめんね、うるさくして」
 頬に手の甲を当てて軽く撫でてやる。
 それだけで眉間に寄せた皺を消して、少女は再び眠りの縁へと戻っていった。
 とても安心して。
「良く眠るわね」
「二日もろくに寝られなかったんだもん、無理ないよ」
 少女にとってはとても辛い時間であった。
 あの日、家に帰って眠った翌日、起き上がろうとして目眩いを感じて倒れてしまった。
 下着が真っ赤に染まっていた、シーツもベッドも実に酷い有り様だった。
 一瞬の混乱、知識としては知っていた、願望として切望していたから。
 だがそれが素直に認識とは直結してはくれなかった。望んだ物が訪れてくれたと言うのに、少女は喜びよりも困惑を感じてしまっていた。
 何故、と。
 いや、あるいはどうして今更と。
 別に月経は無い、と明言された訳ではない。
 ただ普通でない自分の容姿から、そして十四歳と言う年齢にも関らず無い事から、自分には来ない物なのだろうと諦めていた。
 そう思い込んでいた。
 だからただの思い込みで、実は後れてやって来ただけなのかもしれない。
 しかしそれは自分のアイデンティティにも関わる重大事であった。人並みに人として営みを続けて行けないのなら、いっそ死んでしまいたい。
 そう思っていたのに、何故、今更子供が作れるようになれるの、と。
 やっとの思いでバスルームに辿り着き、少女は下着を脱ぎ捨てた。
 血がべったりと肌に渇いて張り付いていた、バリバリとして痛かった。
 股の間からはまだ染み出して来る。止まるような様子は無い。
 頭痛と吐き気、それに気怠さと鈍痛。
 ここには生理用品などはない、だから結局、そのままベッドに戻ることにした。
 不安と吐き気から来る気持ち悪さの中で、脅えにも似た不安定な感情に頭の中を掻き回されて二日を堪えた。
 そして三日目の朝。
「おはよう」
 と少年と少女が立っていた。
 その時に示してしまった反応を、彼女は記憶していない。
 ただ夢にまで見るほど、誰かが傍に居てくれる事への安堵感のみで満たされていた。


続く


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