状況は最悪を示していた。
 ファーストチルドレン及びその他二名のロストはそのまま戦力の低下に直結し。
 サードチルドレンは追い詰められた精神状態ゆえに独断専行を選択。
 待機命令を無視、第三新東京市上空に浮遊滞空する使徒に向かって威嚇発砲を決行。
 アンビリカルケーブル再接続中の弐号機パイロットを待たずに行ったこの行動は、正に致命的な物となってしまったのだった。
 使徒は薄さナノメートル単位の平面体に形態を変更した、内向きのATフィールドで体を支え、その中はディラックの海と呼ばれる虚数空間に繋げている模様であった。
 初号機は、その向こう側へと落とされた、これに対し赤木リツコは初号機の無事を前提に会話を進めた。
 生命維持モードでの生存確率などもその一つだ。
(虚数空間の反物質に接触して塵と化しているのなら、使徒に何らかの反応があるはずだわ)
 使徒が動きを止めているのは初号機がまだ存在しているからだろうと彼女は推察していた、別の宇宙、異次元空間と言ってもいいが、物質までは創造されていないのかもしれない。
 となると持久戦なのだろう、海の形成を解く時には内部の異物を吐き出さねばならないのかもしれない。
(現在はその待機状態ってことか)
 ちらりと時計を見やる。LCLの循環が止まるまで後……。
(使徒の再進攻はその後って事ね)
 リツコは憎々しげにビルの谷間の向こうを見やった。
 そこに駐機してきている元戦自のロボットと……。
 それを指揮しているはずの、かつての悪友を思い浮かべて。

One Day : 16

 外の世界で皆が右往左往している頃に。
 碇シンジはエヴァの全機能をセーフモードに移行して深い眠りに付いていた。
(血の味がする……)
 鼻の奥がとても痛い。
 何度か意識を浮上させていたのだが、今では酸欠も手伝って、もう完全に自分を見失ってしまっていた。
 意識不明と言ってもいい。
 何度幻覚を見ただろうか?
 それは途切れ途切れの夢だった。
 第三新東京市に呼び出されて、初号機に半ば脅され、乗らされた。
 初めての実戦では目を貫かれて気を失った。
 二度目の戦いは腹をやられた。
 三度目は焼かれた、ろくな事は無かった。
 ただ一つだけ違ったのは……、六分儀シンジ。
 アスカ・ツェッペリン。
 あの二人がその歴史の中には存在していなかったと言う事だった。


 がたんがたんと音が鳴る。
「やあ」
 聞き慣れた声に少年は目を開いた。
 そこは電車の中だった。
「良く来たね」
「君は……」
「僕は君さ」
「嘘だ」
「分かってるんだろう? 僕は、君さ……」
 確かに容姿は非常に似ていた。
 しかし声だけは別物に聞こえた、そう、まるで録音した自分の声を聞いているような。
「楽しかったかい? 旅は」
「旅?」
 くすくすと彼は笑った。
「そう、沢山の酷い目に合わされたよね? 人のエゴの生贄にされて、最後は友達まで殺したんだ。君が!」
 少年はびくりと震え上がった。
「違う、違うよ……、あれは僕じゃない、だって、僕は……」
「これから来る未来さ、そして既にあった過去なんだよ」
「過去?」
「君にそれを教えてあげる」
 赤い赤い夕日が差した。
 転写? それともフラッシュバックか。
 恐ろしいばかりの光景が焼きつく。
 目の神経が焼き切れるほどに。
 食い千切られる弐号機、厭らしく微笑む綾波レイに似た巨人。
 弾ける人々、赤く染まる地球。
 取り残される二人。
「ろく……、ぶんぎくんに、アスカさん」
「違うよ、僕と、アスカだ」
「え……」
 彼を見たつもりであったが、まだ目にはその異様な世界が映り込んでいた。
 終息した世界、景色が、視界が二人から引きはがされる。地球を睥睨し、月を捉え、太陽を眺める位置に来る。
 そして初号機が浮かんでいて……。
(なんだ?)
 遠く遠く、銀河から、宇宙からさらに遠ざかると、それら全て包み込む赤い殻から飛び出した。
(これは!?)
「そう、エヴァだよ」
(そんな!?)
「エヴァンゲリオン初号機さ」
 終息した世界は初号機の胸のコアの中の世界に過ぎなかった。
 どこかの施設だろう、装甲を剥がされた初号機には、とても多くのケーブルが接続されていた。
(そんな、どうなって!?)
 エントリープラグが挿入されようとしている。
 乗り込んで行くのは。
(母さん!?)
 はっとする。見上げた位置にあるコントロール室のガラス窓には、見覚えのある幼い少年が張り付いて手を振っていた。
(駄目だ!)
 少年は叫ぶ。
(母さん!)
「無駄だよ」
 くっと悔しさに歯噛みする。
(どうして!)
「これが歴史だからだよ」
 予定通りに実験は敢行され。
 母はエヴァの中へと消え去った。
(どうして……)
 少年はがっくりと膝を突いて。
 ようやく列車の中へと戻った。
 ダンと床を拳で叩く。
「母さん……」
 ぽたぽたと突いた両手の間に雫が跳ねた。
「エヴァには、僕と、アスカが居た」
 彼はそんな少年に淡々と語った。
「寂しかったんだ……」
 寝そべったままだった少年と少女の元に、綾波レイの姿をした何者かが現れた。
 それは、母だった。
 初号機のシンクロ、魂へのダイブは閉塞した世界に取り残された子供達との接触そのものだったのだ。
「母さんは、僕達を見捨てないでくれたんだ……」
 だから、帰らなかった。
 少年の元へは。
 二人のために。
 残ったのだ。
「こうして世界は輪転しているのさ」
 エヴァからエヴァへ。
 母から母へ。
「かつて、その世界は平穏に終わりを迎えるはずだった」
 サードインパクト。
「そして次の世界の卵となる予定だった」
 終わりは始まりへ。
「ところが二人、その枠から逃れてしまった者が出た」
 少年と少女。
「特に少年は、世界の全ての意識に触れ、その流れを知り、操る術を身に付けた」
 望んだ事で。
 望み直した事で。
「卵は始まりでもあり、終わりでもある。だからどんな始まりにだって生まれ出る事が出来るんだ。彼らにはそれが許されている。だってこの世界の大元の命なんだからね?」
「そんな……、それじゃあまるで」
 まるで?
 まるでなんだろうか。
「そう」
 彼が教えてくれた。
「神」
「!?」
「あるいは最初の人間、アダム」
「六分儀君が……」
「この世界もまた終局を迎えて卵に還元される。その時、また新しい神が生まれ出るまで、彼らは神として在り続けるんだ」
 世界は初号機の核となり。
 その初号機の存在する世界は、また次の世界の核となる。
 そんな余りにも壮大な話に、少年は困惑を隠し切れなかった。
 だが。
「じゃあ……」
 混乱した頭の中に、当然な疑問符が浮かび上がった。
「君は?」
 彼に問う。
「こうして目の前に居る君は誰なの?」
 少年は微笑んで答えた。
「碇シンジ」
 深い響きだった。
「かつてそう呼ばれた、『最初』のサードチルドレンだよ」
 そして初号機は絶叫する。
 何かを嘆いて、何かを憎んで。


続く


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