「使徒……」
 碇シンジは『未来の記録』が現実のものであったことを知った。
 正面、歩いて来る参号機。
(でも、どうして……)
 その中にいるのは鈴原トウジ、フォースチルドレンではない。
 六分儀シンジを名乗る。もう一人の自分であった。

One Day : 18

「襲撃?」
 葛城ミサトはその報告に眉根を寄せた。
「ええ、松代の実験場が……、それでネルフの方は大騒ぎですよ」
「でも一体誰が? 何のために?」
「それなんですがね?」
 耳をくすぐるように下士官は話した。
「どうもネルフの方で確保しそこなったってパイロットらしいんですよ」
(六分儀君が!?)
 思わず名を口にしかけて必死に堪えた。
「そう……」
 ミサトはスクランブルの掛かったトライデントを見上げた。
 大急ぎで推進剤が補給されている。
(緊急発進も出来ないなんて)
 迎撃都市で待ち受けているのとは違うのだ。
 いつ何が来るか分からないというのに、常にスクランブル待機などしていては予算に穴が空いてしまう。
 また電力と違って必要時に必要なだけ補給しておかなければ、燃料と言うものは劣化もすれば整備の邪魔にもなる。
(大型機械なんてこれだから……)
 ネルフで働いていたからか、どこかで大きくても小さくてもATフィールドが有る限り無駄なのだと言う意識があった。
「どうしましたか?」
 ちらりと険しい目を横向けて戻し、ミサトは答えた。
「ネルフがこっちとの共同戦線に承知するかと思ってね」
「するでしょう、参号機、いえ、正式に使徒と認定されましたが、松代から第三新東京市へ向かってるんですよ? その間のルートは日本の国土で治外法権じゃないんですから」
「でも使徒が目標である以上、指揮権は向こうに譲渡されるわ、こちらを当てにするかどうか……」
 彼は肩をすくめてその場を離れた、噂が本当だったとでも呆れたのだろう。
 その噂とは私怨のために働いていると言う、マナが流したものだった。


 参号機の強奪騒ぎを起こしたのはシンジであった。
 見た目さほどサードと変わらない少年である。その気になれば碇シンジの物真似などお手の物だ。
「やあ」
 彼、鈴原トウジはどうしてここにと言う顔をしたが、一応の警戒心だけを見せて言葉を交わそうとした。
 直後からの彼の意識は無い。
 シンジは以前治療用に手渡されていた圧搾式のガンスプレーに麻酔薬の入ったアタッチメントを付けて使用した。
 プラグスーツを着込んでいたために、その狙いは首筋と目立つ所にはなってしまったが、無防備な背中を見せてもらえれば簡単だった。
 物陰に連れ込んでスーツを脱がせて着替え、気付かれないように参号機へ接近した、碇シンジの顔を覚えている者が多い中で、彼は運も手伝ってか無事エントリープラグにまで辿り着けていた。
 直後に爆発が幾つか起こった。保安部員が走り回る。
 それは仲間の仕掛けた陽動だった。
 隙を見て勝手に乗り込み、エントリーを開始する。
 慌てる指揮所の様子が面白かった。そして少年は呟いた。
「さあ、勝手にやってくれ」
 鈴原トウジの身はアスカとレイが無事に確保してくれているからと。
 シンジは目をつむって、力を抜いた。


「六分儀君っ、答えてよ!」
『馬鹿シンジっ、なにやってんのよ!』
 少年は少女の声を無視して呼び続けた。
「聞こえてるんだろう!? 答えてよ!」
 参号機に首を締められ、初号機は山肌に押さえ込まれた。
 ──くっ、がはっ!
 フィードバックが高過ぎるのか、少年の首にも指の形でへこみが生まれる。
『何をしている』
 父からの通信が入った。
『使徒を倒せ』
(うるさいんだよ!)
「でも、六分儀君が乗ってるんだ!」
『あれの言葉を思い出せ、お前の代わりに死ぬために存在している。問題は無い』
(そんなわけないだろ!)
 全てが嘘だったと知ったからこそどうにも出来なかった。
 何処までが嘘で何処からが本当だったのかは分からない、だがあの時。
 初めてこの街に来たあの時、味方になってくれたのは彼一人だけだったのだ。
(それに彼とは話したい事があるんだよ!)
 少年は全身全霊、力を込めた。
「あ、あああああ、あああああ!」
 腹筋で押し返し、起き上がろうとする初号機、参号機の腕を掴み、みしみしと握り潰そうと抵抗を試みる。
 ぼきんと参号機の腕が折れた、それを契機に蹴り跳ばす。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 顔を上げる。参号機が居ない。
「え?」
 ガンと衝撃、参号機が折れた腕の間をゴム紐のように伸ばして振り回したのだ。
 横っ面を殴られて少年はシートの上で揺さぶられた。
「がっ、は……」
 胃の中の物が出かける。しかしLCLと共に詰まっただけだった。
『ここまでなのかい?』
 不意に入った通信に少年は涙目を向けた。
 そして息を呑む。
「!?」
 そこには参号機から送られて来た映像が写されていた。
 エントリープラグの中、黒いプラグスーツを着たシンジが薄く笑っていた。
 その背後、あるいは周囲を白い粘菌状の物が巣を張っている。
「そ、そんな……」
『使徒はここに居る』
 シンジは言う。
『君が倒すんだ』
「どうやって!」
『殲滅すればいい』
「そんなこと出来ない! 出来る分けないよ!」
『やるんだ。でなければ僕がここに居る意味が無い』
「どういう……、こと?」
『本当は分かっているんだろう? 今、こうして僕がここに居る事の意義を』
 少年は唇を噛み締めた。
 周囲の誰にも分からなかっただろう、だが少年にだけはその真意は分かり過ぎるほど分かってしまった。
 皆にはフォースの代わりに犠牲になろうとしていると取れただろう、と同時に、何故彼が使徒の存在を知っていたのかと言う問題に発展する。
 しかし少年にとっては、もっと重い意味を持っていた。
(知ってるんだ)
 自分が『知った』と言う事を。
 その上で自分を彼の代わりにしろと言う。
「そんなのってないよ……」
 シンジは微笑みを見せた。
『僕が死ぬ事に意味が在るんだよ、君が生きる事にどんな結論が出るのか、君はもう想像が付いているはずだ』
「だけど!」
『さっきから何ごちゃごちゃ言ってんの!』
 少女は喚いた。
『参号機の動きが止まってる内に、早く!』
「駄目だ!」
 ブッとぶれて通信ウィンドウは消えた。
『きゃあああああ!』
「アスカ!」
 弐号機が吹っ飛んでいった。
 腕を掴んで放り捨てた参号機は、そのまま天に向かって雄叫びを上げた。
 ──ォオオオオオオオ!
(くっ、せっかく抑えててくれたのに)
 段々と理解の範囲が広がって来ていた、あるいは想像が付くのだ。
 あのシンジには使徒を倒せるだけの力がある。いや、存在そのものも無に出来る。だがそれをしてしまっては今ここに居る自分達を不測の事態に叩き込んでしまう可能性がある。
 だから、わざとなぞろうとしている。
『正史』を。
(君も彼と同じなのか……、そのつもりなの?)
 そこまで考えて、その答えを欲しがっている自分を再確認した。
 この閉塞した世界を壊して、正しく生き直してみたい。
(それを僕にやらせようって言うの!?)
「あああああ!」
 少年はナイフを握って敵とも味方ともつかぬものに突き立てた。
 腹の下から突き上げるように両手で握って。
「アスカ!」
『!?』
「エントリープラグを!」
 少女はその気迫に逆らえなかった。
(トウジが無事なだけじゃまだ駄目だ。トウジの『足』が及ぼす影響なんてたかが知れてる。歴史はそれほど変わらない!)
 変わってしまった史実の影響が出るのは、未来になるほど大きくなる。
 だが、数ヶ月後には世界は終焉を迎えるのだ。この程度の誤差はなんの影響も生まないだろう。
(もっと大きな何かを作らなくちゃいけないんだ!)
 そのための爆弾を、と。
 いつしか少年の心は、初号機の中の彼の思考と混ざり合っていた。


続く


[BACK] [TOP] [NEXT]