ネルフ本部総司令執務室。
 入室した人間の内の何パーセントかは姿を消すと噂の、一種のあかずの間と言って良い場所である。
 なら、確実に入退室をくり返せる者は、どこか人間ではないのだろう。
(わたしは、どっち?)
 リツコは目の前の、手錠で拘束された少年に目を細めた。
 司令が座り、副司令が傍に立っている。そしてそれをじっと見ている六分儀シンジ。
 その構図での光景を眺めながら、リツコは司令のアクションを待った。
「答えろ、何故参号機に乗った」
 シンジは表情を崩さずに答えた。
「襲撃があると情報を貰ったからです」
「なに?」
「襲撃があると、だからエヴァを確保しようとしました」
「では」
 冬月が口を挟む。
「使徒の存在は知らなかったと言うのかね?」
 ちらりと目だけを向けるシンジだ。今だ顔には感情を浮かべない。
 ゲンドウだけを相手にしているとでも言いたいのかもしれない。
「使徒の襲来スケジュールなんて知るはず無いでしょう?」
 むぅ、と唸るしかないだろう、確かに誰にも正確な所はわからないのだから。
「何故姿を消した」
「別に……、元々正式にネルフに所属させてもらってませんから、報告の義務なんて無いでしょう?」
「何処へ姿を消していた」
「特に何処と言う事も無く、街を出て風任せに」
「情報はどこから手に入れた」
「それは聞く必要が無いでしょう?」
 ゲンドウの細められた目に、リツコは本当は別のことを訊ねたいのだろうと邪推した。
「シンジ君」
「はい」
 リツコとの会話になると、とたんに当たりが柔らかいのは何故だろう?
「レイの居場所を知らない?」
「さあ? 僕は碇君の周りに気を遣うのが精一杯で、それ以外のことにまで気を回してはいませんから」
 リツコは、その目の中に在る種の答えを見て取って、嘘吐きね、と、顔に出さずに了解した。

One Day : 19

(貧乏くじ、はぁ、あたしってほんと馬鹿)
 頼まれたら嫌と言えない性格ゆえに、その評価は本当の自分とはかけ離れていると感じていた。
 お節介、世話好き、お人好し。
 何が悲しくて、この暑い中をプリントなど届けに行かなくてはならないのだろうか?
 クラスメートがまた怪我をした。
 なにやらパイロットに選ばれたらしい、クラスでは大変な事になってしまった。なんであんな奴が、ネルフの選考基準って何? と。
 そこまでは良い、どうせ他人事だ。先生がプリントを届けてくれ、と言い出した。
 当然、その役割は彼の友人に振られるだろうと油断していた、しかしその友人の様子がどうも情緒不安定で怪しいとなると、代わりの人間を選んだ方が良いと言う事にもなってなってしまう。
(こんなの、誰だっていいじゃない)
 何故男子の届け物を、女子の自分が預からねばならないのか?
 それはもちろん、委員長と言う役職が示す通り、皆に押し付けられたからだ。
(やんなっちゃう、みんな喜んでやってるって思ってるんだもん)
 世話を焼くのが好きなのだろうとか、変に思われている伏しもあった。
 嫌と言えない、笑って良いよと言ってしまう。
 それを諦めだと、どうして察してくれないのだろうか?
(さっさと行って、買い物に行こう……)
 そう、学校帰りの頼まれ事の嫌な点は、ただでさえ面倒な買い物の時間をさらに取られることにあった。
「ここ、か……」
 憂鬱になって足も遅くなる。
 家族の誰かが出て来て、勘違いされたらどうしよう?
 そんな愚にもつかない事を考えながらインターホンを押して。
 緊張の最中、扉が開くのを瞬間待った。
 僅か一秒。
 がちゃんと開いた。
「あ、え!?」
 そして洞木ヒカリは硬直する。
「なに?」
 それは綾波レイ。
 彼女が、応対に出たからだった。


「姉さんは何処なの!」
 一応の尋問の後にシンジは解放された。
 具体的な証拠はなく、ただ純粋にパイロットとエヴァの安全を確保しようとしたと説明されては、経緯の信憑性はともかくとして結果は確かにそこにあるのだから、そうそう拘束するだけの理由はないと判断された。
 これには『上』に騒がれたくないと言う心理的な物が働いているのだが、実際にはシンジと委員会に繋がりは無い。
 これはもう、シンジの思惑通りと言ってもいい状態だろう、一応、使徒に汚染されている可能性を示唆されて、リツコの検診だけは受けていた。
 そして今。
 ネルフ本部内通路の一角。
 壁を背負わされる形で、シンジは少女に胸倉を掴まれていた。
「何処って……、言ってもね」
 困ったな、とシンジ、頬を掻く。
「黙っててって、頼まれてるんだ」
「どうして!?」
「さあ? でも多分、君が親離れをしないからじゃないの?」
 自分の姿はそうも見えるのだと言う程度には理性を残していたのだろう。
 しかし引っ込みは付かない。
「あんたが……」
 ぐっと歯を食いしばって。
「あんたが姉さんをおかしくしたのよ! あんたが!」
 両手で胸倉を強く押し、シンジの背中を壁に叩きつけた。
 ──ドン!
 両手と片足でクッションを作ってシンジは堪えた。
「痛いよ……」
「あんたが……」
 俯いて震え出す。
「泣いてるの?」
「誰が!」
 ふむ、と悩む素振りを見せる。
「でも僕もアスカには嫌われたくないんだよね」
「馴れ馴れしく言わないで!」
「じゃあ」
 耳に息を吹き込むようにして囁いた。
「君が……、アスカの代わりになってくれるのかな?」
 一瞬の躊躇はまさに葛藤、そのもので。
 それは正に、少女がその選択を一瞬でも考慮した証拠でもあった。
「じょ、冗談!」
「そう?」
「そうよ! 誰があんたなんかに、あんたなんかを……」
 だが心で何か揺れる物を感じているのだろう。
 何かが瓦解していようとしている。それを一時的に押し止めたのは。
「警報?」
「使徒!?」
 少女は彼を放り出して、逃げるように駆け去った。


『良い? 初号機の出撃は十分後れるから、それまでの時間を稼いで』
『わかってます』
『弐号機のバックアップ、頼むわ』
 リツコと少年のやり取りに、少女は激しい憤りを示した。
(あの馬鹿は何やってんのよ!)
 それは碇のシンジの方を指していた。
 六分儀を名乗る少年が、なんと零号機に乗り込んでいる。
 いつの間にシンクロを試したのだろうか? そんな疑問が思い浮かばないほどに、少女は激しく憤っていた。
「来た!」
 本部に居たために偶然使徒の『出現』から迎撃までの時間を短縮出来た。
 なんとか天井都市で待ち受ける事が出来たのだが……。
「そんな!?」
 使徒の閃光の一撃でビル二つが消失し、天井都市を構成する装甲板の全てが貫通されてしまった。
「この!」
『焦るな!』
 シンジの叫びにたたらを踏む、しかしくっと思い直して駆け出させた。
「でいやあああああ!」
 ジオフロントに降下しようとする使徒、その正面に道路を踏み壊しながら弐号機が切迫する。
 振り上げられるソニックグレイブ。
 使徒はもう首まで空けた穴に体を沈めていた、その仮面が顔を上げ、弐号機に向く。
 岩窟の奥のちらつく光。
「!?」
 吹き飛ばされる弐号機。
「きゃあああああ!」
 しかしそれは、使徒からの攻撃による物では無くて。
「零号機!?」
 ジオフロントの天井を成す十八もある特殊装甲を一撃で貫通する閃光波だ。
 幾らエヴァと言えども、その破壊力の前には堪えられなかった。
「あんた!」
 前面装甲をえぐられるように溶解、陥没させられ、さらに顔面レンズも割られ素顔を焼けただれさせられた零号機が、衝撃にのけぞって倒れ込んでいった。
「くっ!」
『初号機、出ます!』
(遅いのよ!)
 毒づき、どうすべきかを選択する。
『わぁあああああ!』
 通信に届く必死の声。
 ぎりぎりの所で少女が選んだのは。
「ちっ」
 零号機パイロットの、状態確認の優先であった。


続く


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