「ATフィールドの発生を確認!」
 オペレーターが喚きを上げた。
「パターン青、使徒です!」
「何処だ!」
「零号機、エントリープラグ内!」
 誰もが脳裏に、3号機の悪夢を思い描いた、しかし。
「違います、発生源は!」
 絶叫する。
「ファーストチルドレンです!」
 ガタンと椅子を蹴る勢いで立ち上がるゲンドウ。
「碇……」
 冬月コウゾウもまた、そんな相棒を叱責しながらも、動揺を隠せないまま呆然としていた。

One Day : 23

 零号機は吠えた。
 無い口を開いているかの様に、洞窟の奥に響き渡る風のような声で吠えた。
 自らを呪い、憎み、胸の装甲に指を挟み込み、剥がそうともがく、その上背中に腕を回して、あろうことかエントリープラグを抜き捨てようと、保護ブロックに手をかけた。
 それは正に、自らの中に出現した者に対する恐怖に足掻いているかのようで。
「タイミング、間違ってなかったよね?」
 ジオフロント、ネルフ本部最下層ドグマ内部。
 ヘヴンズゲートと呼ばれる扉の内側に、本来、ここに居てはならないはずの少年が居た。
 シンジである。
 下半身は横に、上半身だけを『それ』に相対するように捻り、両腕は大きく挙げてまるで何かを掴んで引き抜いたかの様なゼスチャーをしていた。
 いや。
 実際に引き抜いたのだろう、正面プールの奥には巨大な十字架があり、エヴァと同サイズの真っ白な巨人が磔にされていた。
 その体はむくみからか弛んでいる。
 顔は仮面によって隠されていた、七つ目の、その正面に槍が浮いていた、赤黒い二股の槍だ。
 ロンギヌスの槍と言う。
 ズシィンと響きを上げて、失われていた両足が再生された。
「綾波……、知恵の実と生命の実を宿した綾波は、これに括られる必要なく単体の神として顕現した、最後の束縛であったロンギヌスの槍には……、暫く消えてもらった方がいいかもね」
 槍がその形状を変える。
 捻じれた柄をほどくようにして、先端と後部を同じように二股に割り裂いた。
 その形はまさにDNAそのものである。
「ロンギヌスの槍……、最初の接触実験に用いられた被験者、か」
 シンジが思い出したのはレイの予備が沈められているはずの部屋のことだった。
 その外周を回っている数値、それを物質化したものがこの槍だ。
 そしてそれは……。
(僕、か)
 碇シンジ。
 初号機に乗ることは、この世に生を受けた時点でもう運命付けられていたのだろう。
 碇ゲンドウと。
 その妻によって。
『セカンドインパクトの後に生きて行くのか、この子は……、この地獄に』
(お腹の中の、まだ卵だった僕から株分けされた魂、確かにそうでなくちゃ母さんの、全ての計画は動かなかった。……全ては老人って人達に握られたままだった。でも)
 シンジは腕を振りかぶって投擲する素振りを見せた、見えない手に操られたかの様に連動して、槍は巨人に突進した。
 しかし。
 ……唐突に開く黒い穴、ディラックの海と呼ばれる虚数空間への扉。
 槍はその中に姿を消した。
「母さんは」
 シンジは穴を塞いで涙を流した。
「僕がこんな風になるってことまで、考えてくれたの?」


 シンジが一人寒さに震えて嗚咽しているころ、地上の戦いも集結していた。
 唖然とした表情のまま皆硬直していた。
 零号機の状態不備に対して緊急出撃した初号機が、S機関を使用して攻撃したのだ。
 初号機は天空に向かって右腕を突き出したまま活動を停止していた、その腕は爆砕し張り裂け、肘の部分までが無くなり、炭化していた。
 S機関と言う生体電流というには余りに巨大過ぎるエネルギーを、全身の、東洋ではチャクラと呼ばれる眉間から体前面を下がって股間を通し、背筋を上り頭頂部から再び眉間へと輪転する道筋に通して加速させたのだ。
 それは一種の荷電粒子砲であった。この一撃は衛星軌道上に居る使徒をATフィールドごと貫通してなお余りあるだけの破壊力を見せつけた。
 ただし。
 反動も凄まじく、初号機を管理しているシステムの大半はブラックアウトしてしまっていた。
「なんてことを……」
 リツコは愕然として呟いた。


 初号機は弐号機によって回収された、零号機もだ。
 不平や不満はあるだろうが、少女は堪えた、少年に諭されたからだ。
 ──これでまた君の価値は高くなったね
 ぞっとした、自分から強制したと思っていた契約が、実は彼に乗せられているだけではないのかと思ったのだ。
 契約は履行を願うことなく破棄するべきなのだろうかと悩んだ。結局その考えは放棄したが。
 出撃したのはファースト、殲滅したのはサードで、彼が何をしたと言う訳でも無いのだから、脅え過ぎる必要はないはずだった。
 しかしの、直感。
 少女は彼が何かとてつもなく大きな流れを操っているのだと感じてしまっていた。
 サードは現在治療中である。腕の爆砕に伴うフィードバックは、リミッターが作動する前に十分過ぎるほどの痛手を少年に負わせていた。
 何故、かような攻撃方法を思い付いたのか?
 その詰問が行えるような状態では無かった。少年は生命維持装置を付けられたまま無菌ポッドに収められている。
 一方で、ファーストチルドレンである。
 こちらは赤木リツコによって徹底的な検査がなされようとした、しかし全ては徒労に終わる。
「やれやれですね……」
 六分儀シンジ。
 彼以外との接触を拒んだためである。
 覚醒したファーストチルドレンはATフィールドを自在に操り、全ての『敵』を返り討ちにした。
 銃弾はATフィールドで防ぎ、第十使徒よろしくATフィールド……、位相空間の歪みを局所に集中する事で物質を圧壊させた。
 あらゆるものが塊に変わった。鉄も、肉もだ。
 今はレイが生まれた場所、ネルフ内の破棄された一室に閉じ篭っていた。
 シンジを連れ合いとして。
 アダムの妻として作られた女、リリスは後に悪魔の妻となり、その背に十二の翼を授けられるという逸話がある。
「ふっ、あ!」
 今、レイが生まれ落ちたと言うベッドはギシギシと揺れていた。
 長きにわたって積った塵と、かび臭い匂いが嘔吐を誘う。
 横になっているのはシンジであった。その上にレイが座るようにして一つになっていた。
「碇、クン!」
 その呼び名は決して彼女が知るはずのない事柄を表していた。
「記憶が?」
「わたしはわたし……、わたし達に時間も、距離も意味は無いもの」
 真っ白な顔に浮かぶ笑みの妖艶さはなんであろうか?
 余りにも無機質で、なのに情感がたっぷりと潜んでいた。
 体の色素は濃くなるどころか、異常な色に変革していた。
 真っ白である。純白、人としてありえない色だった。
 髪もだ。白くなってしまっている。いや、毛根から生えているのだろうか?
 まるで触手のように、皮膚と一体化しているようだ。
 腰を前後に揺する事で、シンジと繋がっていることを確認しているのだろう、その背中ではゆらゆらと不細工に翼が揺れていた。
 足の外側のくるぶしからも生えていた、その総数は十二枚。
 悪魔が、妻に与えた数と同じである。
「んんっ、んんっ……」
 性欲を求めている訳ではないからだろう、こそばゆいもどかしさだけを楽しんで見えた。
 じゃれて、遊んでいるのだ。
 それがわかっているから、シンジもまた自分の胸に突かれている彼女の手首を握って支えているだけで、あえて何かをしようとはしていなかった。
「おいで」
 自分に掛けられた言葉かと思い、レイは薄く微笑んだ。
 だがすぐに表情を堅くし、虚ろな瞳を作って振り返った。
 いつの間にか戸を開き、惣流・アスカ・ラングレーが立ち尽くしていた。


 一人の少年と少女によって、ジオフロントの地下にはその名に相応しい巣が形作られた。
 踏み込んだ者は、誰一人として帰って来ない、それが良い事であるのか、悪い事であるのかは分からなかった。
 唯一、言えるのはあの少年をあてがっておけば、綾波レイの姿をした悪魔は非常に大人しいと言う事だけだった。
 そんな折り、第十六使徒が襲来する。


 委員会による糾弾と追及は連日に及び……。
 さらにはファースト、セカンド、それにシンクロ可能な予備人員を失った状態の苛立ちが、総司令に少しばかり正常な判断力を失わせていた。
「ダミープラグを使用する」
「しかし、碇」
「まだ許可を出せる段階にはありませんが……」
 ゲンドウは決断した。
「零号機にサードを乗せる」
「シンジ君をか? しかし」
「危険です、サードチルドレンの容体は今だ予断を許さない状況で……」
 総司令は視線ででしゃばったオペレーターを黙らせた。
「囮程度には役に立つ、急がせろ」
「……はい」
 苦渋や苦肉の策、選択であったのならまだ納得出来たかもしれない。
 だが誰にとってもこの判断は理解しかねた、何より自分の息子をこうまで手荒く扱うと言う事が。
(死んでも良いって言うの?)
 その考えは伝染していく。
 使命のためであれば自分の息子すらも殺す、これまでは彼がパイロットである事をどこか他人事として捉えて来た、仕方が無い事なのだと割り切って。
 だが、ここに来て彼らは自分にもその火の粉は飛び移る可能性があるのだと、ようやく実感として認識した、この男は容易に自分達も切り捨てるだろうと。
 このような雰囲気は、加速度的に伝染し易い。
「準備、できました」
「出せ」
 零号機の中には両袖を取り払われたプラグスーツを着せられ、脇から何かチューブを差し込まれ、口には携帯型の酸素吸入器を取り付けられている少年が横たわっていた。
 射出の衝撃すら、彼の生死を危うくするだろう、その想像に歳若いオペレーターは、思わず顔を背けて口を塞いでいた。


 戦闘は悲惨を極めた、誰もが焦りと恐怖と脅えの中で、正常な判断力を失っていた。
 第十六使徒は起動直後の零号機に強襲、融合を行う。
 その背後に射出される初号機、ダミープラグは一切のコントロールを受け付けずに、暴走した。
 ──グォオオオ!
 雄叫びを上げて踊りかかり、零号機を踏み付け、縄のような使徒を引きちぎった。しかし使徒も使徒である。
 分断されながらも初号機に融合を試みたのだ。
 そして全ては、人類の預かり知らぬ所で進行していく。


「君は誰?」
 少年は問いかけた。
「僕は君だよ」
「違う、君は」
 使徒と呼ばれる者だと直感した。
「寂しい存在だよ」
「六分儀君?」
「そして悲しい生き物さ」
「君も?」
 そんなシンジの姿をした使徒を取り囲むように、三人のシンジは正位置に立った。
「さて、どうするんだい?」
『二番目』のシンジが問いかけた。
「どうって……」
「そうだね、決めるのは君だ」
「僕?」
「そう、最初の僕が決めるべきだろう? 三番目の僕は、まだ踏ん切りが付かないようだからね」
「……なにをするつもりなんだよ」
 最初のシンジは目を閉じ、顔を仰向けて……。
 そして消えた。
「じゃ、また後でね?」
「え?」
 その後のことは少年は知らない。
 衝撃と共に気を失い、次に目覚めた時はまたしても病室のベッドの上だったからだ。
 ダミープラグの暴走による初号機の自爆。
 それが公式のものとして記録された、戦闘の最終報告であった。


続く


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