「…かりくん、碇君?」
 小鳥の囀りと、朝の陽射し。
 そして遠慮がちな声と、体をゆする小さな手。
「ん…」
 薄目を開けると、赤い瞳が覗きこんでいた。
「あ、綾波!」
 がばっと飛び起きた。
「綾波?」
 続きのない言葉に、怪訝そうに小首を傾げる。
「…さん、綾波さん、無事だったんだね、よかった…」
 シンジは自室のベッドに寝かされていた。
「…あなたが守ってくれたもの」
「そ、そうだっけ?」
 あははははっと、照れ隠しに笑ってみたが、気まずい雰囲気に包まれただけだった。
「朝食、持ってくる?」
 無関心に、カーテンを開けに動くレイ。
「え!?」
 シンジは慌てて首を振った。
「いいよっ、悪いから、ちゃんと自分で食べに行くよ!」
「そう…」
 残念そうなトーンが混じった。
「じゃあ寝ぼけて、その格好で来ないでね?」
 レイは顔を背けたままで、出て行こうとした。
(格好?)
 下を見る。
「あ!」
 上半身裸だった、下ははいていたが。
「ご、ごめん!」
 いまさらながらに、頭に血を上らせる。
「それから…」
 扉の取っ手を握ったまま、レイは呟いた。
「ありがとう…」
「え?」
 パタンと戸は閉じられた。
「綾波、今なんて言ったの?」
 シンジは扉に向かって訪ねていた。

第参話 緋色の戦士

「起きたか、シンジ」
「おはよう、父さん」
 キッチン。
 シンジが席に着くと、レイがトーストとコーヒーを並べた。
「あ、ありがと」
「お世話になっている身だから、気にする事ないわ」
「う、うん…」
「どうした、シンジ?」
 新聞をたたみ、自分でコーヒーを注ぐゲンドウ。
「何だか照れ臭くて…」
 と言って、パンをかじった。
「いつもはどうしていたんだ?」
「一人で食べてた、冬月先生はいつも遅く帰ってきて、早くに出かけちゃってたから」
「…そうか、だがこういうのも良いものだろう?」
 レイも席に着いた、レイは紅茶を口にしている。
「シンジ、レイをどう思う?」
「どどど、どうって…」
 その反応だけで十分だった。
「いや、いい、忘れろ」
「忘れられるわけないよ…」
「それより、食事が終わったらこれを着て地下へ来なさい」
 パッキングされた、服らしい物を渡す。
「地下?」
「研究施設がある、レイ?」
「はい?」
「案内してやってくれ」
「はい」
 レイはまるで忠実なロボットのように答えていた。


「…知らなかったな、地下にこんな大きな施設があったなんて」
 途中で案内板を見た。
 そこには信じられない事に、地下6キロで最下層だと記されていた。
「嘘みたいだけど…、ねえ、綾波さんは知ってたの?」
 まともにレイを見れない。
 レイもシンジと同じ物を着ていた。
「ここへ来た時に、教えてもらったわ」
 白いスーツで、まるで真空パックされたかのようにギュッとしまっていた。
 逆にシンジのはダブついている。
「ふ〜ん…」
 横目でレイを見てみるシンジ。
 はっきりと浮き出ている身体のラインに、ドキドキしてしまう。
 なるべくレイを見ないようにと、シンジは部屋の観察をはじめた。
 ここは大きい部屋だった、まるで体育館のようだ。
 全周囲真っ白の壁で、一面だけガラス張りになっていた、向こう側には部屋があるようだ。
「碇君」
「は、はい!?」
 つい声が上擦った。
「そのスーツ、着かた、間違ってるわ」
 シンジの手をとる。
「じっとしてて」
「あ!」
 手首にある何かのスイッチを押した、シンジのスーツも、レイのと同じようにギュッとしまった。
「碇君?」
 なぜか前を押さえてもじもじとするシンジ。
「サイズ、合わなかったの?」
「え、えっと、一時的変化がその…」
 説明できない。
「スーツを脱いで、他のサイズに変えるわ」
「あ、いや、そうじゃないんだよ」
 レイの手を払う。
「だめ、今から体を動かさなきゃいけないの、だからダメ」
「そ、それはわかるけど、あちょっと!、ここで脱がさなくっても良いじゃないか!」
 きょとんとレイ。
「何を恐れているの?」
「恥ずかしがってんだよ!」
「どうして?、碇君の裸なら何度か見てるもの、恥ずかしくないわ」
「僕が恥ずかしいんだってばぁ!」
「何をしている」
 スピーカーから声が流れた。
「はろぉ、シンジ君おはよー」
「よ、よかった、父さん助けてよ!」
「シンジ、常々逃げてはいかんと、あれほど言っているだろう?」
「場合によるよそんなの!」
「レイー、大丈夫だから好きにさせてあげなさい?」
「…はい」
 素直に引き下がってくれたので、シンジはついほっとした。
「で、父さん、これから何をしようってのさ?」
「軽くレクチャーしておこうと思ってな」
「レクチャー?」
「まずはそのスーツね?」
 ミサトが何かの操作をした。
 シンジの正面に詳細なデータが表示される。
「凄い!、本物の投影スクリーンだ!!」
 シンジは感激して横から見たり裏から見たりしてみた。
「エヴァテクターは変身時に幾つかの制限を持っているの、服が消えてしまうのもその一つでね…」
「それはそのためのスーツでもある」
 シンジは軽く体をひねって見た。
「よかったわねシンちゃん、これで素っ裸見られなくてすむわよ?」
酷いやミサトさん…
 消え入りそうな声で呟いた。
「名前はプラグスーツよ?」
「プラグ…スーツ?」
「そう、生命維持装置なんかもついているわ、それから防寒、防弾」
「筋増加服にもなっている、通常人の2倍程度の力が出るはずだ」
「ほんと?」
 ジャンプしてみた、が、あまり普段と変らないのでがっかりした。
 くすっと笑うミサト。
「左腕の…、そう、着る時に押したボタンをもう一度押してみて」
「わわ、なんだこれ?」
 ぐんっと無理矢理、体が前屈みになっていく。
「ミサトさん、どうなってるんですか?、ミサトさん!」
 レイがシンジの両手を取った。
「おちついて」
「あ、綾波…」
「あなたの動きに反応しているだけよ…」
 落ち着いてみれば簡単だった。
「そっか、倍の力で動くから、変に力をいれると今みたいになっちゃうんだ…」
「自然体で体を動かせばいい」
「次のフェイズに移行するわよ?」
 急に明かりが落とされた。
 椅子がせり上がってくる。
「これを見ろ」
 二つの画像、シンジは椅子に腰を下ろしながら、じっくりとそれを見た。
「…あれが僕なの?」
「そうだ」
 エヴァテクターとエヴァンゲリオンだった。
「どうだ、シンジ?」
「どうって…」
 客観的に見ると、まるで信じられなかった。
「これでもまだ、戦うか?」
 シンジはちらっとレイを見た。
「正直、なにがなんだかよくわからないんだけど…、僕は綾波さんを守るって決めたから…、そう決めたから…」
 最後は小さくて聞き取りにくかったが、ゲンドウとミサトは口元をにやつかせて頷きあった。
 レイはじっとシンジを見ている。
「よし、ではシンジ、お前に課題を与えよう」
「課題?」
 スクリーンが消え、椅子も沈んで隠れてしまった。
 シンジが慌てて立つと、明かりが再び灯された。
「その服を着て、この辺りを走りこんでこい」
「えー!、これを着てぇ!?」
 自分の格好を見るシンジ。
「何か不満でもあるのか?」
「だってぇ…」
 恐る恐る、父を見た。
「恥ずかしいよぉ…」
 シンジの訴えは無視された。


 シンジは結局、館から湖までの往復約10キロを走ってしまった。
「しまったぁ…、筋力が倍になったからって、肺活量が増えてるわけじゃないんだよなぁ…」
 調子に乗って、走るだけ走ってから気がついたのだ。
 それでもスーツが汗を吸い取ってくれたので楽だったが。
「でもこれってどうやってトイレすればいいんだろ?、後で聞かなきゃ」
 建物の裏に回る、地下の研究施設への直通通路があるのだ。
「あれ?」
 裏庭には花を育てている温室があった、その向こうに薔薇の垣根がある。
「なんだろ、あの光」
 シンジは吸い寄せられるように、垣根の切れ目から向こう側へと抜けた。
「ガラス…、天窓?」
 地下施設の窓だろうか?、地面に大きなガラス窓があった。
 覗きこんで見る。
「!」
 シンジは体を硬直させた。
「綾波…レイ」
 レイの目がシンジを捕らえた。
 下は大きなプールになっていた。
 その水に浮かぶ裸のレイ。
 プールは深いのだろうか?、水が青い。
 レイは漂うように浮かんだままで、窓から降ってくる陽の光を浴びていた。
「しーんちゃ〜ん」
「うわぁ!、ミサトさん!」
 振り返る、ミサトが背中に張り付いていた。
「若いんだからしょうがないけどぉ、一応ノゾキは犯罪よぉ?」
「ち、違うよ!、そんなんじゃ…」
「じゃあなにかなぁ?、ん〜お姉さんのこの体だけじゃ不満なのぉ?」
 背中に胸を押しつける。
「うわぁ!、離れて、離れてよぉ!」
「あらぁん?、この間人の唇まで奪ったくせにぃ〜」
「あああ、あれは…」
「ははぁん、シンちゃん、そうだったの?」
「な、何がですか!」
「若い娘の方が良いんでしょう?、でもお姉さん怒らないから、ほらほら!、ホントのこと言ったんなさいよ!」
 胸をぐりんぐりんと擦りつける。
「うわわわわわ、からかわないでよっ、もう!」
 逃げ出す。
「あら怒ったぁ?、ごめんねぇ?」
「ミサトさん酔ってるでしょう!」
 さっきからアルコールの匂いが鼻についていた。
「ちょっちねぇ、シンちゃんの自主トレ終わるまで、する事ないしぃ」
 シンジは首を傾げた。
「…そう言えばミサトさんって、何してる人なんですか?」
「何って?」
「だって、父さんの研究を手伝ってるんだと思ってたけど、違うみたいだし」
「手伝ってはいるわよぉ?、ただ普段は雑用係だから」
「ふ〜ん…」
 どうも釈然としない。
「まあいいじゃない、それよりほら、レイ上がったみたいよ?」
「え?、あ、ほんとだ」
「って、また見ようとするぅ」
「そ、そ、そ、そんなんじゃ」
 真っ赤になる。
「ほんっと、からかいがいあるんだから」
 ミサトはけらけらと大きく笑った。



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