「誰?」
 レイの警戒混じりの声に、シンジは反射的に庇うよう前へ出た。
「忘れたの?」
 木の間から、シンジ達の前へと歩み出る。
 黒のボンテージと白衣の組み合わせに、シンジは我が目を疑った。
「リツコ司令代理…」
 レイの呟き。
「知り合いなの?」
 とぼけたことを聞くシンジ。
「敵よ」
 レイは簡潔に答えた。
 すばやく反応するシンジ。
「綾波っ、逃げて!」
 インターフェースをポケットから取り出した。
「させないわ!」
 ピシッ!
 鞭が飛んで、シンジの手が打たれた。
「あっ、く!」
「碇君!」
 インターフェースが地面に転がる。
「綾波、早く逃げて!」
 また鞭が飛んできた。
 今度はシンジの腕に巻きつく。
「逃がさないわ!」
 レイは一瞬ためらった。
「だめ、碇君を置いていけない…」
 キッと睨みつけるレイ。
「碇君を放して」
 三人の上に影が落ちた。
「あれは…、この間の」
 頭上にサハクイエルが空中制止していた。
 その両翼の肉が「ぼたり、ぼたり」と落ちてくる。
「うわ!」
 思わず頭を庇う。
 ドカン!、ゴガン!っと、それらは次々に大穴を穿った。
「なに!?」
 シンジは驚いた、ぐるんとその肉塊に、紅い玉と仮面が現れたからだ。
「驚いた?、使徒は全て同じものから構成されているの、だから別の使徒から体を作り出すことができるのよ…、これはそれを応用した輸送法ね」
「使徒…?」
「そう、同じものでできているから、合体して巨大化することもできるのよ…、気になるかしら?、あの紅い玉が」
 そう、シンジは気になっていた。
 それは記録映像で見た、エヴァの胸にあったものと同じだったから。
「同じで当然なのよ」
 ふふふっと、妖艶な笑みを浮かべる。
「使徒は、エヴァを元に創り出されたものだから」
 気がつけば、シンジ達は20体近いサキエルに取り囲まれていた。
「碇君を放しなさい!」
 レイは強く叫んだ。
「そう、あなた碇って言うの」
 シンジを見る目が普通ではない。
「わたしを殺せばいいわ、だから碇君を放して」
 語尾が震えた。
「…驚いたわ、お人形にそんな芸ができるなんて」
 サキエルの一体がレイに近づいた。
「きゃ!」
 殴りとばす。
「綾波!」
「きゃー!」
 レイ山の斜面を滑り落ちた。
「あやなみー!」
 シンジは鞭を無理矢理引っ張った。
「なんて力なのっ、子供なのに!」
 斜面を見下ろすシンジ、下の薮の中で、起き上がるレイが見えた。
「よかった…、ぐ!」
 ほっとしたのも束の間、今度はシンジが殴り飛ばされた。
 ドサッと転がる。
「あっう…」
 シンジはその苦痛にあえいだ。
「先輩、レイをどうしますか?」
 イヤリングからの声、通信機になっているらしい。
「あんなお人形、後でどうとでもなるわ」
 その言葉はレイにも聞こえていた。
(狙っているのは碇君!?)
「今はエヴァ・オリジナルを手に入れることが先決よ?」
「くっ!」
 シンジの視界が涙に歪んでいた。
 そのぼやけた視界の中で、インターフェースだけがはっきりと形を成している。
 目の前だ。
「しまった!」
 シンジの挙動に気がつき、リツコは叫んだ。
 すばやく髪につけ、キーワードを口にするシンジ。
エヴァテクター!
 そして紫色の鬼が現れた。


「所長!、エヴァテクターが起動しています」
「そうか…」
 ミサトはトランクケース内のディスプレイに釘付けになっていた。
 窓から真上を見ているゲンドウ。
 サハクイエルが滞空していた。
「…葛城君、後は頼む」
 そのまま窓から飛び出す。
「わかりました、お気をつけて」
 ミサトの返事を背に、ゲンドウは裏山ヘ向かって駆けていった。


 紫色の光球が飛んだ、次々とサキエルをなぎ倒していく。
「!?」
 リツコへ飛び掛かるように、光は野獣へと形を変えた。
 フォウ!
 呼吸音のような叫びを上げる。
「シャムシエル!」
(えっ!?)
 つかみかかろうとした瞬間、横合いから光の鞭が飛んできた。
(なんだよこいつ!)
 左腕に巻き付いた、抗うように踏ん張るシンジ。
 平たい頭部に、昆虫のような腹、そして無意味に思える節足。
 シンジの腕に巻きついているのは、そいつの前足でもある光の鞭だった。
(あつっ!?)
 鞭が熱を発しはじめた、左腕が焦げていく。
「このぉ!」
 コアに向かって殴りかかろうとした。
 シュッ!
 だがもう一本の鞭に右手もからめ取られてしまう。
「今よ!」
 電撃が走った。
「うわあああああああああ!」
 鞭からの電撃に、シンジは絶叫を上げた。
 恍惚とした表情を浮かべるリツコ。
「エヴァは頂くわ」
 彼女はエヴァが手に入る喜びに、心から打ち震えていた。


「うわあああああああああああああああああ!」
「碇君…」
 その絶叫はレイにも聞こえていた。
「行かなきゃ」
 力を込める。
「痛!」
 レイはいきなり走った激痛に、左足を押さえてうずくまった。
 転がり落ちた時にどこかの枝で切ったのだろう、足が縦に切れていた。
 白い足が血で染まっている。
「碇君が、死んじゃう」
 破れたスカートを引き裂き、それを足に巻きつける。
(どうして、そこまでするの?)
 痛みを堪えて、いったん道まで降りようと決めた。
(碇君が、死ぬ、それは、ダメ)
 斜面を登るより、その方が早く戻れると思ったからだ。
 だが思ったより傷が深くて、思うように足が動いてくれない。
(行って、どうするの?)
 シンジの叫びが途絶えた。
(あなたに何ができるの?)
 だが電撃の光はやまない。
(あなたは、なにがしたいの?)
 とうとう足を引きずり出す。
(あなたは、何を望むの?)
 自問自答をくり返す。
 無駄なのに。
(碇君…)
 ふいにシンジの微笑みが浮かんで消えた。
(わたしに無いもの)
 守ってくれる人。
(わたしの、欲しいもの)
 差し伸べられた手。
(わたしの、手にしたいもの)
 少年の笑顔。
(あなたは、何を望むの?)
「レイ!」
 背後からゲンドウが走ってきた。
 糸が切れたように倒れこむレイ。
「レイ、大丈夫か!、レイ!!」
 ゲンドウは慌てて抱き起こした。
「はい…」
「そうか」
 ほっとして、微笑む。
「これを返しに来た」
「これは…」
「お前のものだ」
 それはシンジのと同じものだった。
 インターフェイスだ。
「でも、わたしには…」
 否定するようにうつむく。
 ゲンドウは無視して、レイの髪に取りつけた。
「ずっと、聞こえていたのだろう?」
 髪を撫でてやる。
「心の声が」
 レイははっとしてゲンドウを見た。
(こころ?)
 優しく頷くゲンドウ。
 熱いものが、頬をつたって流れていく。
(心…、わたしの心)
 ぽたりと滴が落ちた。
 涙…
(これがわたしの心…)
 今までの疑問が氷解していく。
(悲鳴を上げていたのは、わたしの心?)
 二度目の涙…
(泣いている、泣いているの?、わたし)
「今すべきことを決めるのは、レイ、お前自身だ」
 ゆっくりと離れるゲンドウ。
 よかった…
(なぜ喜んでくれたの?)
 守らせてよ。
(わたしは嬉しかったのね)
 さよならなんて言わないでよ。
(わたしも言いたくなかったの)
 どうして起こしに行ったの?
(心配だったから…)
 どうして世話をやくの?
(感謝していたから)
 どうして?
(感謝の気持ちだったから…)
 気持ちは心から生まれるもの。
(誰の心から生まれたもの?)
 それは自分の心から生まれたもの。
(碇君を想う、わたしの心から生まれたもの)
 だから失いたくなかったのね。
(失くしてしまうと、心が張り裂けそうだったから)
 座り込んだまま、手の平の上の涙を見つめている。
(これが碇君と一つになりたい、わたしの心…)
 レイはゆっくりと顔を上げた。
(これが碇君とともにありたい、わたしの気持ち…)
 心が痛いのね。
(違うわ、寂しい…のよ)
 一人でいるのが嫌なのね。
(だからあなたは望むのね)
 一言分の息を吸い込む。
(あなたは何を望んでいるの?)
 わたしの居られる場所を探しているの。
(それが碇君のことなのね…)
 たった一つの言葉によって、レイは答えを探し当てた。
 そしてエヴァはその想いに力を与える。
「エヴァ…テクター」
 夕日のような輝きが、レイの体を包みこんだ。



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