爽やかな風がカーテンを揺らしている。
 淡い水色で統一された物静かな空間。
 白いシーツに赤い髪を広げている少女、アスカ。
「レイ、綾波…」
 ぼんやりと天井を見上げている。
「あいつはなにも話してくれない…、碇君も目を覚ましてくれない…」
 扉に目を向ける、向かい正面はシンジの部屋だ。
「あれは一体、なんだったの?」
 アスカの思考は、ドアノックによって邪魔された。

第五話 割れたエヴァテクター
「いかーりくん!」
 ほら!っとアスカの背を押して部屋に入る。
 シンジはベッドの上で半身を起こしていた。
「洞木さん…」
 アスカの名は呼べない。
 何かしゃべろうと口を開くアスカ。
「しっかし、とんだ災難やったのぉ」
 代わりにガス!っと、トウジの足を蹴った。
「いったぁ!、なにすんのや」
 つーんっと知らん顔。
「で、怪我の方はもう良いのかよ?」
 しようがないとばかりに割り込むケンスケ。
「うん、怪我っていうほどのものはしてないし…」
「まったく、だからあんたが行ってどうすのって言ったのよ」
 無遠慮にベッドの端に腰掛ける。
「ま、命があるだけめっけものよね?」
「アスカ、そんな言い方って…」
「良いんだ、本当のことだから…」
 アスカを見ないようにうつむく。
「良くないわ」
「綾波?」
 おかゆの入った椀を盆の上に乗せてきた。
「おはよう、碇君」
「あ、うん…」
「これ、作ってきたから」
 枕元、ベッド脇にある台の上に置いた。
「あ、ありがとう…」
 照れからか、まっすぐレイを見れない。
「良い、碇君のためだから」
 真顔で返事をするレイ。
 手を前で組み、じっとシンジを見下ろしている。
「なんや、ワシら邪魔みたいやのぉ」
 一つの絵になるには、ベッドに腰掛けているアスカが邪魔だった。


「まさかあなたに会うなんてね…」
 リツコはシンジがスーツの説明を受けた、あの真っ白な部屋の中央に座らされていた。
 今は照明が落とされているため、暗闇に包まれてしまっている。
 椅子一つ、他には何もない。
「ま、それはお互い様でしょ?」
 背後にミサトが現れた、浮き上がるように。
 映像ね…
「この会話、記録されるんでしょ?」
「ま、ね?、でも関係者はあたしともう一人だけだから、あまり意味は無いわ」
「もう一人?」
 バン!
 突然髭面で、赤いメガネの男が真正面に現れた。
「久しぶりだな」
「そんな…、まさか!?」
 驚きに目を見開いてしまう。
「ゲンドウおじさま、生きて…」
 震える手を伸ばす、触れる直前で映像ではないかと疑い、手を止めた。
 だが指先は触れてしまった、衣服の感触が電撃のように駆け抜けていく。
「本物…」
「ああ、映像では合成だと疑われるだけだからな」
 半ば腰を浮かせる。
「生きていらしたんですね…」
「奇蹟に近かったがな」
 パッと周囲が明るくなる。
 真っ白な世界が映し出された。
「虚数空間…」
「あの後…、帝星から脱出した後の記録だよ」
 画面の左下方から、なにか光るものが飛び出していった。
「ここから戻れたのは、ユイの捨て身の努力があったからだ」
「ロンギヌスの槍…、オリジナル!?」
 二本の棒がねじり合わさったような槍。
 その先端が虚数空間を湾曲させていく。
 波紋がレンズのように広がり、その向こうに黒い宇宙が見えた。
「凄い…、実数空間を呼び込むなんて!?」
 黒い宇宙に出る、その正面に青い星。
「月と太陽と地球…」
 並んで見える。
「そうだ、この星は君達の故郷によく似ている」
「何を…、いまさら」
 うつむき加減に。
「あなたが壊したくせに」
 リツコの声は震えていた。


「なぁんだかんだ言ったってさぁ…」
 頭の後ろで腕を組む。
「やぁっぱ気になんのよねぇ」
 レモンイエローのワンピース。
 アスカは昼食の後の散歩中だった。
 食べてすぐに体を動かすのが、アスカの主義なのだ。
 お腹がふくれて活性細胞の動きが活発になり、首筋や背中、お腹の辺りが汗をかき始めている。
 放っておいたら、無駄なお肉が付いちゃうもんね?
 その散歩道に裏山を選んだのは偶然だった。
「いい天気…」
 枕木の階段を上っていく。
 頬を撫でていく風が気持ち良い、湖からの風だろうか?、すこし冷たい。
「来てよかったんだか、悪かったんだか…」
 レイとシンジ。
 二人を見ていると、なんだかむかむかしてくる。
「なにかこう、胸のこの辺りがもやもやしてんのよね」
 理由がわからない以上、どうすることもできなかった。
「あいつ…、あんな顔もするんだ」
 シンジはたまに、とても穏やかな笑みを浮かべる事がある。
 それはレイと見つめ合う時だ。
「なんか、ちょっと悔しいな…」
 なに言ってんだろ?、あたし…
「あーもぉ、やめやめ!、こんなのあたしらしくないし!」
 また山を登りはじめる。
 うじうじしてらんないのよね、このあたしは!
「あら、もう終わり?」
 道が途切れていた、少し開けた場所に出る。
「あ…」
 背の高い木々に囲まれた場所。
 そこだけぽっかりとした空間が広がっていた、そして陽の光を存分に浴びている。
「碇君…」
 気づいたのか、墓前に両手を合わせていたシンジが振り返った。
「惣流さん…」
 どうしてここに?
 不思議そうに、それでいてちょっとだけ嫌そうに。
 くっと顎を引いて堪えるアスカ。
「散歩…、あんたこそなによ、熱心にお墓になんか手を合わせちゃってさ?、ご先祖様に「助けてくれてありがとうございました」なんて報告してたのかなぁ?」
 からかうような口調に、シンジは苦笑を浮かべた。
「…まあ似たようなものかな?」
 墓を見る、墓石には家名では無く、個人名が刻まれていた。
「碇…、ユイ?」
「母さんなんだ…」
「え!?」
 驚きシンジを見る。
 シンジは墓石を見ていた。
 表情を消すために。
「碇君…、ここに居たの?」
 もう一人登ってきた、青い髪と白いセーラー服、いわゆる「水兵さん」の格好をしたレイだった。
「綾波まで…、どうしたのさ?」
 その服は昔、母がシンジをおもちゃにするために買ってきたものだった。
「所長も助教授もいないから」
 助教授?
 数秒首を傾げて、シンジはミサトの事だと気がついた。
「ミサトさんって、助教授だったのか…、知らなかったな」
「あんたバカぁ?、同じ屋根の下に暮らしてて、どうしてそんな事も知らないのよ?」
 両手を腰に当ててバカにする。
「仕方ないよ、ミサトさんって秘密主義で、何にも教えてくれないんだから…」
「よおっくそれで一緒に住んでるわねぇ?」
 ちらりとレイを見る。
「じゃあその子のことは?、何か知ってんの?」
「え?」
 戸惑う。
 エヴァのこと、敵のこと、父さんのこと、ミサトさんのこと…
 そしてなによりも、シンジは今だにレイの事を何も知らなかった。
「…父さんの、知り合い」
「それは聞いたわよ、で?、どんな知り合いなのよ」
 シンジは無言で顔を背けた。
「よくそんなので、あいつのことを「守るんだー!」なんて走って行けたわねぇ?」
「しょうがないだろう?、綾波は僕が守るって…、そう決めたから」
「碇君…」
 レイが嬉しそうに頬を染めた。
 白い肌、青い髪、赤い瞳。
 たおやかで、すぐ何かに踏みにじられてしまいそうな、そんな儚さを感じる。
 それら全てが、あのカナリアに…、シンジが埋めた、あの鳥にだぶって見えた。
「僕はもう、何も無くしたくない、無くしたくないんだ…」
 その呟きがアスカに確信をもたせる。
「あんた…、その女をカナリアの代わりにするつもりなのね?」
 意味が分からないからか、レイは表情を変化させなかった。
 だがシンジは違っていた。
「な、なにを言って…」
 動揺、そして同時に自覚してしまったのだ。
 その瞳が罪悪感で彩られていく。
「カナリアを守れなかったから…、その事から逃げ出したいんでしょ、あんたは」
「やめてよ!」
 腕を大きく振って否定する。
「やめてよ!、どうしてそんなことを言うのさ!」
 アスカは落ち着いた様子で、シンジを睨んでいた。
「前にも言ったでしょ?、あんたが本当のことを言わないからよ」
 詰め寄る。
「白状しなさいよ、どうしてこいつのことを気にかけるのよ?、守るなんて言うのよ?、一体何から守ろうってのよ?、あの怪物から?、あれってなに?、なんなのよ!」
 その勢いに後ずさるシンジ。
 とんっと何かにぶつかった、シンジの肩に添えられる手、そこから温かなものが流れ込んでくる。
 レイだ。
「碇君をいじめないでと…、前にも言ったでしょ?」
 恨みがましく、アスカを睨む。
「嫌よ!、あんたこそ何よ、大事だって言うんなら、なんで碇君に全部話さないのよ!」
 アスカは引き下がらなかった。
「今はまだ話すなと言われているからよ」
 誰に!?
 アスカよりもシンジが驚いていた。
「所長に」
 父さんに!?
 体が強ばるのがわかった。
 それを感じたのか、レイは不審げな表情を見せる。
「碇君?」
 弾けるように離れるシンジ。
「ご、ごめん…」
 何も聞きたくない!
 だから先を制した。
 わかってたはずなのに…
 唇を噛み締める。
 起きた時、レイがあまりにも優しかったから、許してくれたのかと思っていた。
 でも違ったんだ…
 レイは訝しげな瞳を向けている。
 あれもやっぱり、僕が父さんの子だったから…
 アスカは勝ち誇ったように、レイの胸元に指を突きつけた。
「あんた本当にわかんないわけ?」
「なにが?」
 レイのペースは変らない。
「何がって…、あんたもバカねぇ、何が大事な人よ、おじ様に口止めされてるからって、律義にそれを守っちゃってさ、隠し事?、はんっ、お笑いぐさだわ」
「だから、何が?」
 ちょっとだけ変化があった。
「もお、つくづく鈍感!、あんた碇君よりもおじ様の方が大事だって、そう言ってんのよ?」
「そんなこと、ない」
 語尾が震えた。
 くっと顎を引く。
「あたしは、碇君が…」
「ならどうして、おじ様の命令は聞けて、碇君の質問には答えられないのよ?」
 レイはシンジを見据えた。
「碇君…」
 びくっと震えるシンジ。
「聞きたかったの?」
 悲しみをたたえた赤い瞳。
 シンジはそのままうつむき、視線をそらしてしまった。
「ほんと、バカね…」
 呟くアスカを、レイはキッと睨みつけた。



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