「先輩…、先輩、先輩、センパイ…」
「泣いてたってしょうがないだろ」
 マヤの肩をつかんだのは観測班のチーフ、シゲルだ。
「しかしどうすんだよ、俺達には作戦を実行する権限はないんだぜ?」
 ぼやくマコト。
「だからって見捨てるわけにもいかないだろ」
 今ブリッジには三人しか居なかった。
 他のスタッフには待機を命じてある、誰もがリツコが囚われた事に不安を感じているのだ。
 艦長席を見上げるマコト。
 そこにはあの懐かしいボンテージおばさんの姿はない。
「助けなきゃな」
 マヤの顔を覗きこむ。
「使徒だよ、この船に積んでる使徒で何とかするんだ」
「上にはなんて報告する?」
「…マヤちゃん、君が指揮を取るんだ」
 マヤの両肩に手を置く。
「あたしが、ですか?」
「そうか!、特例第8項の9、緊急時における指揮権の移行」
 シゲルの叫びに、「あっ!」っとマヤは小さく驚いた。
「これで大義名分はできたな?、後はマヤちゃんが決めるんだ」
「はい!」
 暗闇の中に道を見いだしたような気分で、マヤはガギエルのメインコンピューターから、艦に搭載している使徒の一覧表を表示させた。
「これ!」
 マヤが選び出したのは、第十二使徒型戦闘空間発生装置「レリエル」だった。


「破壊したのは世界だ、星ではない」
「同じことよ!」
 せきを切って立ち上がる。
 ミサトの映像が消えた、照明がつき、真っ白な壁と床と天井がリツコの目を傷めた。
「エヴァに取り憑かれた者の悲劇か…」
「それはあなたも同じでしょ?」
 お互いの目を見据え、外そうとはしない。
「あなたがユイ様を連れ去りさえしなければ…」
「ユイの望んだ事だ…、そしてわたしの願いでもあった」
 はっとするリツコ。
「あなたがここにいる?、ではユイ様も!?」
「ユイは死んだ」
 びくっと、リツコの体が震えた。
「なんで…すって?」
「ユイは死んだ、遺体も残していない、この地にあるのは想い出だけだ」
 ゲンドウの脳裏に、穏やかな光が降り注ぐユイの墓が過っていった。


「碇君のせいじゃないわ」
 怒りを表すレイ。
 その目は釣り上がっていた。
 生来気の強いアスカですら、たじろがずにはいられない。
「それがわたしの願いでもあったから…」
 一歩、二歩と踏み出す。
「臆病だったのね…」
 脅えて逃げようとするシンジ。
 レイはそれを許さず、シンジの両頬に手を添えた。
「真実を知られたくなかったから…」
 そのまま首に抱きつく。
「綾波?」
 シンジはおかしなものを感じて問いかけた。
 髪が鼻孔をくすぐる。
 プールの匂いだ…
 真実は、信じてくれている者だけが知っていればいい
 父さん?
 そうだ、父さんはこうも言った。
 いずれお前にも決断せねばならん時が来る、その時、教えてやろう…
 僕にはまだ…
 わたしは信じているわ、だって、わたしにはもう、他に何もないもの…
 まだ綾波を受け止められるだけの心構えができてない…
 自然とシンジはレイの背に腕を回していた。
 震えてる…
 ようやく、レイも恐がっているのだと気がついた。
 背中に回した手を、片方だけ上に持ち上げる。
 レイの髪をくしゃっといじるように、頭を抱きかかえた。
「ごめん、まだ聞くべきじゃないんだ…」
 耳打ちする。
「だから父さんは綾波に口止めしてるんだね」
 知ってしまうと、その事実の重さに耐えられないかもしれないから。
 それがどんな真実で、どんな事実であったとしても。
「で、いつまでそうやって抱き合ってるつもりなの?」
 ジト目のアスカ。
「まったくね?」
 第「四」者の声に、レイとシンジは飛び離れた。
「マヤ技術補佐官…」
 ボンテージに白衣、半ば無理矢理リツコのマネをしているマヤがそこに居た。


 ビーーー!
 非常警告音が、リツコの更なる追求の邪魔をした。
「なんだ?」
 シュッと小さなウィンドウが、ゲンドウの左側の空間に投影表示された。
「迎えが来たのか」
「マヤ!?」
 あの子ったらなんて格好で!
 自分のことは棚上げする。
「ここまでだな」
 壁の一部に亀裂が入り、右側へとスライドした。
 向こう側は通路になっていた、ミサトが銃を手にして立っている。
「ついてきて」
 リツコを促す。
「どういうおつもりですか?」
 ミサトを無視するリツコ。
「君とはまた会えるだろう、今は帰りたまえ」
「本気…、ですか?」
「ああ、今はそれで良い」
 リツコはため息をつき、それ以上の言葉は吐くまいと立ち上がった。
「リツコ君、君は本当に…」
 背後で扉が閉まる。
 続きの部分は戸の音にかき消されて聞こえなかった。


「先輩を返してもらうわ」
 やっぱり恥ずかしいのか、マヤは頬を赤くしたままでシンジを指差した。
「先輩?」
 その単語に首をひねるシンジ。
「とぼけないで!、あなたたちが先輩を拉致した事は、わかっているんですからね!?」
 しかし真実、シンジには何のことだかわからない。
「答えないなら、話したくなるようにしてあげるわ!」
 マヤはパチンと指を鳴らした。
「え!?」
 マヤの頭の真横に、頭と同じ大きさの球体が現れる。
 黒いボール、白い縞模様。
「レリエル…、まさかエンジェリックホライズン…」
「当たりよ?」
 レリエルが一度だけ身震いした。
 瞬間、世界がモノクロームに変化する。
「きゃあ!」
「なんだよこれ、なんだよ!」
 恐慌に陥るアスカとシンジ。
「エンジェリックインパクトを起こしたのよ」
「エンジェリック…、なに?」
「エンジェリックインパクト、使徒の持つ固有のフィールドで世界を固定するの」
 レイの説明についていけない。
「つまり、どういうこと?」
「あんたバカァ?、とにかくヤバいって事じゃないのよ!」
 アスカの表現は的確だった。
 レイは頷き、二人を庇うために前へ出た。
「ちょ、ちょっとあんた!」
「逃げて…」
 息を呑むアスカ。
「そんなことできるわけないじゃない!」
 また逃げるだなんて、また置いてくだなんて、そんなこと!
 前に出ようとするアスカを、シンジは腕を横に出して抑えた。
「綾波は惣流さんを守って」
「な!?」
「碇君…」
 アスカは呆れ顔を、レイは憂いを帯びた表情をシンジに向けた。
「僕に二人を守らせてよ」
 微笑む。
 レイは胸元に手を当てて、アスカはあっけに取られてシンジを見てしまった。
 こいつ…、信じらんない!
 どうして笑って言えるのか、アスカにはよくわからない。
「わかったわ、碇君」
 アスカの手首を握る。
「あ、ちょっと…」
「行きましょう、碇君の邪魔になるから」
「ちょっと待ってってば、ねえ!」
 レイに引きずられるアスカ、シンジは声が遠くなるのを待ってから、体をマヤへと対峙させた。
 正面から睨みつける、迫力には乏しいものの、それでもマヤには十分過ぎるほどの効果があった。
 うう、恐い…
 それがマヤの本音だった。
 さっきはレイがきつく睨んでたし…、あたしってばこういうのに、全然向いてないのに…
 だが逃げるわけにはいかなかった。
 先輩のためですもの!
 尊敬してる先輩のやっていた事だから…、全然真似しなくても良いようなことを、必死になって真似ようとしているマヤであった。


「おい、マヤちゃんを知らないか?」
 シゲルは慌ててマコトに声をかけた。
「え?、もう下に降りてるけど?」
「ほんとかよ!」
 マコトはマヤとレリエルのサポートをしていたらしい。
「ちっ!」
 コンソールに映し出されている数値を見て、シゲルははっきりとわかるほどの舌打ちをした。
「なんだよ、どうかしたのか?」
「どうもこうも、マヤちゃん、戦闘員を連れてくの忘れてるぞ」
「なんだって!?」
 その通りで、マヤは今まさに窮地に立たされようとしていた。


「うう、どうしよう…」
 睨み合いが続いている。
 アスカとレイは逃げてしまったが、ここは元いた世界の異相空間なのだ、再度捉える事は容易であろう。
 もちろん、捉えるだけの力を持った者がいればの話だが。
「そうだ!」
 パシ!
 シンジの髪が弾けた。
「くっ…」
 よろめいたが、すぐに態勢を立て直した。
「今のは…」
 シンジはこめかみの少し後ろの辺りを押さえた。
 ヌルッとする、手を見る。
 血?、血の色だ…
 青ざめていく。
「どう?、レリエルの空間干渉能力を使えば、あなたの命を奪うぐらい簡単にできるのよ?」
 …と、やらせた方も青くなってる。
 やーん、血が出ちゃってるじゃない!、髪の毛弾くだけって命令したのにぃ…、あたしじゃコントロールしきれないよぉ…
 ブブブブブ…
 先輩…っと、いつものように呟こうとした時、レリエルが異常な震動音を響かせた。



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